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四国周遊4日間⑧ 念願の道後温泉本館へ行く!ルナパークさんの夕食と朝食
この記事は2023年5月10日に他サイトで公開したブログのアメブロ再投稿記事になります。道後温泉に宿泊した時のホテル紹介記事ですが、当時との時間経過のギャップ…
この記事は2023年4月26日に公開したブログのアメブロ再投稿記事になります。四国の祖谷や渓谷、海辺などとても四国でしか見られない景色が沢山ありました。全文は…
Day Trip:リンドハースト マンション(Lyndhurst Mansion)
週末は、日帰りでニューヨーク郊外のタリータウンという町に行ってきました。マンハッタンからだと車で約45分。ハドソン川沿いにある町です。”日帰り旅行”なんて...
この記事は、2022年11月9日にBloggerサイトで公開した記事の、アメブロ再投稿記事になります。町並や散策や施設紹介記事になりますので、当時とは料金設定…
この記事は、2022年11月7日にBloggerサイトへ公開した記事の、アメブロ再投稿になります。施設紹介の記事になりますので、当時とは料金サービス等の変更が…
この記事は2022年11月3日にBloggerサイトへ投稿した記事の、アメブロ再投稿になります。お店の紹介も少しありますが、日本の風景日を堪能していただけると…
この記事は、2022年8月3日にBloggerサイトに投稿した記事の、アメブロ再投稿記事になります。これから夏の時期になると変わらず咲いてくれるアジサイがとて…
静岡県東部、三島市にある三嶋大社にやってきました。旧社格は官幣大社で、古くは伊豆国一宮に指定されていた、由緒ある神社です。また、当社は源頼朝ゆかりの地としても知られています。平治の乱に敗れた頼朝は、蛭ヶ小島で流刑生活を行っていた折、この地で源氏再興を祈願。のち成就すると、社殿を造営したと伝えられています。三嶋大社祭神及び由緒元の官幣大社で祭神は事代主命・大山祇命であり、事代主命は古来から俗に恵比須...
【施設紹介】大井川鐵道大井川本線 新金谷駅(静岡県島田市)―令和に残る昭和の風情
今回は静岡県島田市にある、大井川鐵道新金谷駅をめぐります。起点の金谷駅から一つ先にある駅で、大井川鐵道の本社・車庫が併設されています。また、名物列車「SL急行」は同駅~千頭間で運行されています。▲新金谷駅駅舎▲SLポスト▲駅舎内(カフェも併設されている)▲新金谷駅ホーム(トーマス色の客車が見える)▲廃車発生品を使ったモニュメント▲近鉄から来た16000系▲SL急行で使用される旧型客車▲西武・南海からの譲渡車が並ぶラ...
【施設紹介】紀州鉄道 西御坊駅(和歌山県御坊市)―先に何かありそうな終着駅
今回は日本屈指の短距離私鉄で知られる、紀州鉄道の終点・西御坊駅をめぐります。起点の御坊駅が市中心部のはずれにある反面、この駅は中心部寄りという立地です。ついでに紀州鉄道に乗車しましたが、御坊駅ユーザーの多くはマイカー・バスを利用しているのか、車内はガラガラでした。▲民家と線路の間にある、わずかなスペースに建つ西御坊駅元々中間駅だった西御坊駅には、あまり終点らしくない雰囲気が漂っています。線路に並行...
鶴見線国道駅の雰囲気に誘われた僕は、ぶらりと降り立ちました。これから、支線の終点にある大川を目指します。さあ大川に行くぞと鶴見駅の改札を抜けましたが、肝心の大川行きが来るまで30分以上もありました。ちょうどすぐ後に扇町行きが出るというので、「なら国道駅で途中下車しよう」と思ったわけです。扇町行きの205系を見送ると、国道駅ホームには僕一人だけが残されました。薄暗い照明がホームをぼんやりと照らし、場末感...
【名古屋城】名鉄瀬戸線「お濠区間」の廃線跡を歩く(大津町~本町~堀川)
名古屋城の外堀にはかつて、名鉄瀬戸線の小さな電車が走っていました。今でこそ名古屋の繁華街・栄に乗り入れている瀬戸線ですが、かつては外堀の南側を通り、景雲橋のたもとにある堀川駅を起点としていました。600Vの架線下を、小さな電車が窮屈そうに走っていたそうです。その路線環境から、外堀区間は「お堀電車」と呼ばれていました。今回は大津町駅跡を起点に、名古屋城外堀の南側に沿って、堀川駅跡まで歩きたいと思います。...
JR万座・鹿沢口駅前で草軽電気鉄道の痕跡を探した(群馬県嬬恋村)
今からおよそ60年前の1962年。軽井沢と草津温泉を結ぶ軽便鉄道「草軽電気鉄道」が、その短い歴史に幕を下ろしました。廃止から半世紀以上を経た今でも、沿線各所に痕跡が残っています。今回はその中でも、とくに到達難易度が低いというJR万座・鹿沢口駅周辺の廃線跡をたどりました。吾妻川橋梁橋台・上州三原駅跡万座・鹿沢口駅を出た僕は、まず最初に吾妻川をはさんで対岸部にあるという、上州三原駅跡を目指しました。駅跡には何...
往復20分で行ける!レールが残る紀州鉄道廃止区間を歩いた(西御坊~日高川)
1989年に廃止された、紀州鉄道の末端区間(西御坊~日高川)にはレールが残存しています。当時の施設がどれだけ残存しているのか、西御坊駅から順にたどってみました。▲終端部から西御坊駅を眺めて西御坊駅を出て車止め側に回り込むと、中間駅だった頃の雰囲気が、そこら中に色濃く残っていました。駅を出てすぐの場所にあった踏切も、アスファルトに埋れながら現存しています。ホーム側をふさぐ柵は、いかにも手作りの木製でした...
JR新宮駅前から歩いてすぐの場所に、徐福公園と呼ばれる一角があります。徐福といえば日本各地に伝説を残した人物じゃないですか。九州だと佐賀県の「徐福伝説」が良く知られています。ここ和歌山県新宮市にも、徐福にまつわる伝承が今に残っています。これを記念して、初代和歌山藩主・徳川頼宜の命によって「徐福の墓」が建立されました。徐福公園にはその墓碑や、昭和15年に建立された顕彰碑が鎮座しています。▲徐福公園入口の...
まさか、二宮金次郎のお墓に偶然行きつくなんて、思ってもいませんでした。今回は栃木県日光市、旧今市市街地にある報徳二宮神社をめぐります。▲報徳二宮神社参道▲報徳二宮神社一の鳥居・社号標▲報徳二宮神社二の鳥居▲報徳二宮神社境内全景▲二宮金次郎像と社殿▲報徳二宮神社社務所▲今市田植唄の碑▲堅牢そうな祭器庫▲報徳二宮神社拝殿(と小さな金次郎さん)▲拝殿床下にある扁額▲社殿奥にある二宮尊徳墓所撮影日:2021年3月...
想像していたよりも静かな、山間に抱かれた終着駅でした。今回は埼玉県秩父市にある三峰口駅をめぐります。羽生から熊谷・秩父を経由して伸びてきた、秩父本線の終着駅です。▲三峰口駅外観▲西武観光バス三峰口駅バスのりば▲三峰口駅前観光トイレ▲三峰口駅 駅舎内部▲三峰口駅の立派な車寄せ▲団体改札口▲停車中の車内から三峰口駅構内(終端部方面)を眺めて▲三峰口駅構内撮影日:2021年7月5日...
廃止から12年・・・旧加賀一の宮駅はどう変わったのか(石川県白山市)
2009年11月、北陸鉄道石川線の末端区間(鶴来~加賀一の宮)が廃止されました。あれから10年以上が経ち、跡地はどのように変化したでしょうか。今回はそれを探るべく、かつての終点・加賀一の宮駅をたずねました。▲加賀一の宮駅を正面から眺めて社寺建築の駅舎は修復され、美しい状態で保存展示されていました。内部は資料・休憩所として一般開放されており、自由に入ることができます。「旧加賀一の宮駅」について大正14年(1925...
ケーブルカー&リフトで気軽に満喫!高尾山に登山した(東京都八王子市)
東京都民が気軽に訪れるという、八王子市の高尾山に登ってみました。今回は一人ではなく、都内在住の身内をともない、二人で山の頂を目指します。▲高尾登山電鉄清滝駅まず京王電車で高尾山口駅に向かい、そこから歩いてケーブルカーの清滝駅を目指します。高尾山口駅から清滝駅までの区間は、ついひと月前に下見したばかりで、おおよその位置関係は把握済み。迷うことなくたどり着きました。ここから高尾山駅までの移動手段は、歩...
筑豊の歴史を語るうえで欠かせないのが、炭鉱という存在です。明治から昭和中期にかけて、筑豊各地に炭鉱が開設され、石炭を運搬するため鉄道網が張り巡らされました。昭和40年代を過ぎると、石油エネルギーへの転換を受けて次々に閉山。その跡地は住宅地や荒野に変わりました。しかし、現在でも炭鉱の名残は各地に残っています。その一つが、今回お届けする明治炭鉱の炭住街です。その場所は福岡県飯塚市の北部、旧頴田町の中にあ...
2021年10月16日、京都鉄道博物館の5周年記念セレモニーが行われました。開館直後の10時半から行われた式典には、同館マスコットの「ウメテツ」も参加。イベント復活の機運が高まる中、マスコットの活用も復活の兆しを見せています。京都鉄道博物館には、開館10分前に到着しました。入口ではすでに大勢の来場者が、開館の時を今かと待ち続けています。どうやら0系の車内公開がお目当てらしく、大半が未就学児をともなう親子連れです...
車掌車ヨ14493+控車ヒ759 旧青森桟橋(青森県青森市)―潮風で粉になった保存車
青函連絡船が出ていた青森駅周辺には、当時の面影を伝える保存車がいくつか存在します。連絡船「八甲田丸」船内の保存車両は、その場所ゆえに良好な状態を維持していますが、屋外に保存されている車両は悲惨です。かつて、旧青森桟橋には北海道で使用されたキハ27が、休憩所代わりに展示されていましたが、塩害のため現存しません。車掌車と控車が辛うじて残っていると聞き、さっそく見に行ってみました。▲国鉄青函連絡船「八甲田...
矢島藩主・生駒氏の居城「八森城」と城下町をめぐる(秋田県由利本荘市)
以前、四国の高松城を訪れた際に、同地を治めた生駒氏のお家騒動を知りました。この騒動によって生駒氏は改易され、堪忍領として出羽国矢島1万石を与えられます。のちに分知のため、旗本扱いになりましたが、幕末の戦いで新政府側に与したことで高直しを受け、1868年から71年までの間、短期間ながら矢島藩は復活しました。今回は生駒氏ゆかりの地であり、戊辰戦争の舞台にもなった矢島を訪ね、かつての居館「八森城」まで歩いてみ...
【施設紹介】北陸鉄道石川線 鶴来駅(石川県白山市)―古さが魅力の車庫併設駅
今回は石川県中央部、白山市にある鶴来駅をめぐります。駅番号はI17。北陸鉄道石川線の終着駅にあたり、車庫が併設されているのが特徴です。今でこそ終点ですが、石川線は2009年まで2駅先の加賀一の宮まで伸びていました。廃止から10年以上も経過したにしては、比較的痕跡が残っているものの、徐々に風化が進んでいます。また、石川線とは別に、1980年まで能美線(新寺井~鶴来)も分岐していました。かつては、3方面に向かう線路...
ふと何気ない思い付きから、夜の姨捨駅を訪れることになりました。▲真っ暗闇の中に浮かび上がる姨捨駅舎▲きれいに改装された姨捨駅待合室▲姨捨駅窓口▲駅名標はスイッチバック型になっている▲相対式ホームと跨線橋が配された姨捨駅▲姨捨駅ホームから善光寺平が見える!▲展望台から善光寺平を眺めて撮影日:2021年10月19日...
上野公園の片隅にはかつて、京成電鉄の博物館動物園駅がありました。地下に4両編成分の短いホームが設置され、昭和初期のレトロな雰囲気を残していたそうです。6両編成に対応していないため、普通列車でも通過する列車が増え、利用者は徐々に900メートル隣の京成上野駅に流れていきました。駅老朽化と利用者減のため、1997年に休止、2004年に廃止されて現在に至ります。現在でも駅出入口とホームが残り、営業当時の面影を残してい...
【施設紹介】富山地方鉄道本線 舌山駅(富山県黒部市)―北陸新幹線が見える木造駅舎
今回は富山県東部、黒部市にある富山地方鉄道舌山駅をめぐります。駅番号はT32。同駅は富山地方鉄道本線の中でも、とりわけ終点(宇奈月温泉)に近い末端区間上にあり、北陸新幹線との交差地点からそれほど離れていない場所に立地しています。北陸新幹線の金沢延伸に伴い、新幹線との交差地点に新黒部駅が開業したことで、駅間距離のきわめて短い区間(新黒部~舌山)が発生しました。両駅間は300メートルしか離れていないため、徒...
今回は福井県中央部、越前市にある北府駅をめぐります。駅番号はF1。福武線の終点・越前武生駅の一つ手前にある駅で、車両基地が併設されています。難読駅名の一つに数えられ、「きたふ」「ほくふ」等誤読されることもしばしば。そんな北府駅は元の名を西武生駅といい、2010年に現駅名へと改称されました。平易な駅名から難読名に改称された、珍しいケースといえます。▲北府駅駅舎そんな北府駅には1924年に建てられた、古い木造駅...
【施設紹介】JR筑肥線 肥前長野駅(佐賀県伊万里市)―「西線」に残された木造駅舎
今回は佐賀県北部、伊万里市の内陸部にある肥前長野駅をめぐります。この駅を語るうえで欠かせないのは、なんと言っても古い木造駅舎の存在でしょう。JR筑肥線の非電化区間、通称「筑肥西線」にはかつて、多くの木造駅舎が残っていました。合理化と施設老朽化のため、その大半が2000年前後に解体されたことで、今や西線に残存する国鉄時代の木造駅舎は、肥前長野駅を残すのみとなっています。そんな肥前長野駅の木造駅舎も老朽化の...
宗像氏貞墓所・承福寺(宗像市上八)―湯川山登山口にある黒田官兵衛ゆかりの地
戦国時代の宗像地方を支配した宗像大宮司家は、氏貞の死によって断絶を迎えました。それから数百年を経た今もなお、宗像大宮司家の名残は市内各所に残っています。今回はその一つ、市北部上八(こうじょう)地区にある、宗像氏貞墓所をたずねました。▲宗像氏貞墓所入口国道495号から鐘崎に続く県道502号を右に折れ、ひたすら坂を上っていくと、右手にこんもりとした森が見えてきます。その入口には石柱が一基たち、目印になってい...
電車から見える赤レンガアーチ橋!旧九州鉄道城山三連橋梁(筑紫野市永岡)
明治22(1889)年12月、九州鉄道の博多~千歳川間が開業しました。この時建設された区間の中には、のちにルート変更で放棄された箇所も存在します。今回は大正9(1920)年の複線化に際して廃止された、筑紫野市内の旧線ルートを自転車でたどりました。目次1 天拝山駅から三連橋梁までの旧線2 旧九州鉄道城山三連橋梁3 三連橋梁から原田駅までの旧線天拝山駅から三連橋梁までの旧線旧ルートは現在の天拝山駅~原田駅間にあたり、...
国鉄勝田線 下宇美駅跡(福岡県宇美町)―サイクリングロードに残るホーム
昭和60年に廃止され、その大半がサイクリングロードに転用された国鉄勝田線。廃止から40年近い現在も、沿線には鉄道が走っていた頃の面影が多数見られます。香椎線との接続駅・宇美の一つ手前にあった、下宇美駅の跡地をたずねました。下宇美駅は九州自動車道のすぐ南側にありました。住宅街に囲まれた好立地ということで、廃止が惜しまれます。また、駅前を通る県道68号線には、西鉄バスの下宇美停留所があります。▲下宇美バス停▲...
宗像市中央部、河東地区の丘陵地帯には数多くの古墳が眠っています。近年の開発によって大部分が破壊されてきましたが、開発後もしぶとく生き延びている古墳があります。今回お送りする相原古墳群E-1号墳もその一つです。同古墳群は孔大寺山から延びる丘陵地帯の端部にあります。すぐ西側を横山川が通っており、小盆地状の地形を古墳群北側(池浦地区)に形成しています。牛舎造成に先立ち発掘調査が行われ、前方後円墳1基、円墳十数...
今回は福岡県豊前市にある豊前松江駅をめぐります。所属路線はJR日豊本線。駅舎は日本家屋風の木造で、1932年(昭和7年)に建造されました。屋根も瓦ぶきのままとなっており、さらに板張りの壁がそのまま残っているため趣深く歴史を感じさせます。▲豊前松江駅内部改札口にはSUGOCA読み取り装置が設置されています。駅舎内部を見渡す限りだと、大規模な改造を受けていないようで、木の温もりを感じることのできる居心地良い駅です。有...
旧蘇澳金刀比羅社(宜蘭県蘇澳鎮)―台湾屈指の漁師町を見下ろす神社跡
今回お届けする旧蘇澳金刀比羅社は台湾北東部、蘇澳の小高い山の上にあります。かつて「臨海道路」と呼ばれた蘇花公路から参道が分かれ、砲台山の頂上まで続いていました。終戦から70年以上を経た現在でも、金刀比羅社の名残りが随所に残っています。今回はそんな砲台山を巡ってみようというのです。蘇澳金刀比羅社の参道は先述のように、蘇花公路から分岐していました。ところが戦後道路拡幅のために、参道の入口付近が大幅に削り...
中華路139巷の宿舎群(花蓮県玉里鎮)―東台湾の田舎町に残る日本家屋
台湾東部にある交通の要所・玉里にやってきました。同地を訪れたのは、玉里鎮公所の近くに残っているという木造宿舎(日本家屋)を記録に残すためです。ところが、今回の玉里滞在時間は行程の都合上わずか15分しかありません。はたして、予定通りに取材をこなすことはできるのでしょうか。旅行記スタイルでお届けします。▲リニューアルで生まれ変わった玉里駅今回は列車で玉里入りしただけに、玉里駅を起点に目的地を目指します。約2...
台湾の首都にして最大都市・台北市の中心部にやってきました。今回は台湾政府の主要機関が集中する地域、日本語地名でいうならば幸町~樺山町にかけての地域をめぐっていきます。▲亭仔脚の中から旧台北州庁を眺めて台北駅のすぐ東側が今回めぐる地域にあたります。駅から数百メートルほど東には、旧台北州庁をそのまま転用した監察院があります(写真上)。先ほど二つの地名を挙げましたが、幸町・樺山町ともに台北駅のすぐ東側にあ...
旧台東神社(台東県台東市)―拝殿残存説あり...東台湾・鯉魚山の神社跡
今回お届けする台東神社は台湾南東部、台東市の中心部鯉魚山にありました。神社跡地は現在台東県忠烈祠として整備されており、境内には神社時代の構造物がいくつか現存しています。▲旧台東神社入口神社入口は旧台東駅(現在の台東バスステーション)の裏側にありました。当時の参道は忠烈祠の参道に転用されています。▲旧台東神社・鯉魚山施設配置図日治時期台東神社遺址、鯉魚山配置圖かつての神社参道には鯉魚山の由来に関する説明...
旧里壠社の石灯籠台座(台東県関山鎮)―台湾屈指の日本家屋密集地だが...
今回お届けする旧「里壠社」は台湾東部・関山鎮にあった日本統治時代の神社跡です。神社名の「里壠」は関山の旧名にあたる地名で、昭和12年の地名改称により「関山(かんざん)」へと改められました。関山における神社建立は比較的遅く、昭和になってからの1928年です。つまり里壠社は20年も存在しなかったことになります。同神社はやはり戦後取り壊され、境内跡地はごく一般的な農道になってしまいました。以下、跡地周辺での調査記...
鹿野村社(台東県鹿野郷)―日本統治時代の風格甦った東台湾移民村の神社
2015年の春、台湾南東部にある鹿野郷で神社が再建されました。再建された「鹿野村社」は当初、日本統治時代の内地人移民村「鹿野村」の鎮守として建立され、戦後は社殿の基礎のみ残存していました。しかし近年、基礎の修復にあわせて社殿も再建されることが決まり、2014年ごろから再建工事が行われてきました。そして2015年、もとの位置に鳥居・石灯籠・社殿が再建され、「鹿野村社」はおよそ70年ぶりに鹿野の台地に蘇りました。鹿...
東台湾・林田移民村 南岡集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―多数残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は一番南に位置する南岡集落をめぐります。同集落には戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、一村と呼ばれるようになって現在に至ります。また、戦前から戦後にかけて煙草の栽培がおこなわれてきたため、集落内部には収穫した煙草の葉を乾燥させるための小屋「ベーハ小屋」が残っています。今回は旧南岡集落をめぐり、ベーハ小屋や...
台湾北部のローカル線「平渓線」に乗り、終点の菁桐駅にやってきました。平渓線は一応ローカル線ではあります、台北から近いうえに沿線には観光地が多く、週末になると多くの観光客でにぎわう路線です。今回も満員すし詰めの列車で苦しみ悶えながらの道中でした。さて、今回菁桐にやってきたのには理由があります。日本統治時代に炭鉱開発が行われたという同地には、80年以上前に建造された木造建築が複数保存されているというので...
東台湾・林田移民村 中野集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―僅かに残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は中央部に位置する中野(なかの)集落をめぐります。南側にあった南岡集落と同じように戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、二村と呼ばれるようになって現在に至ります。中野集落は林田村の中心地だったようで、集落内には駐在所と尋常高等小学校(→国民学校≒小学校)が置かれていました。なお学校は現在でも学校として機能しており...
日本統治時代、東台湾には多数の内地人移民村が置かれていました。中でも現在の鳳林鎮にあった「林田村」は、官設移民村として大正初期から開発され、おもにタバコ栽培が行われました。また、住民には福岡・熊本県出身者が多かったとも記録されています。そんな林田村の鎮守として建立されたのが、今回登場する林田神社です。大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久親王を祭神とし、毎年10月6日に大祭が執り行われました(花...
現存量多し!東台湾「関山」の日本家屋を調査した(台東県関山鎮)
台湾南東部、台東県第二の町関山には多くの日本家屋が残っています。そもそも台湾の主要都市には、公務員宿舎をはじめとする日本家屋様式の建築物が多く残っていますが、高層建築の林立によって町並みが変化しているため、戦前の雰囲気を残している場所は多くありません。ところが関山という場所は人口密度の低い台湾東海岸にあって、しかも都市化の影響をほとんど受けていません。おかげで碁盤の目に区画された関山市街地には、70...
旧瑞穂祠・虎頭山歩道(花蓮県瑞穂郷)―東台湾の温泉地に眠る神社跡
現在温泉地として知られる東台湾瑞穂(花蓮県瑞穂郷)には日本統治時代、タバコ栽培を目的とする移民村が置かれていました。その移民村の鎮守として鎮座していたのが、今回ご紹介する瑞穂祠です。瑞穂祠の跡地は戦後破壊されたのち、参道の一部は虎頭山歩道として整備され、社殿のあった場所は放置され続けてきました。ここでは現状がどうなっているか、入口から社殿跡にかけて順に調べていきます。▲旧瑞穂祠(虎頭山歩道)入口神社参...