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水曜日。台湾は明日4/4から清明節(と児童節)で4連休になり、大学はこの日から5連休になるので昨晩子供も高雄から蘆洲に帰省してきておりこの日は地元の友達たちと午前中からカラオケ行くことにしてるとか。朝起きてNHKニュース見たりコーヒー飲んだりしてたら8時前にいきなりグラグラきたんで「あーまた地震か」なんて呑気に思ってたらいきなり激しい揺れ。(これはデカいぞ)と自宅一番奥の”事務室”から室内歩けるうちに玄関の...
【旅行記】2013年5~6月 3回目の台湾(3=完)―東台湾の面白さを理解する
台湾入りしてから3日目、玉里の爽やかな風と朝日に誘われ、目を覚ましました。3日目の前半は玉里鎮内を徒歩散策し、後半は鳳林鎮に移動して、内地人移民村があった林田村を散策します。暑くならないうちに、歩き始めましょう。掲載した写真は、当時撮影したものを絵葉書風にアレンジしたものです。外地旅行に来た、大正の紳士・貴婦人になった気分でお楽しみください。目次1 史跡巡り・玉里ウォーキングツアー2 灼熱の林田村3 ...
【旅行記】2014年1月 4回目の台湾 3日目―鉄道&自転車で東台湾をノンビリ北上
台東行き莒光号606次の車中で3日目を迎えました。それほど眠れないまま、座席で一晩を過ごした疲れを引きずり、夜明け前の関山駅ホームに降り立ちます。目次1 台東線の客車代走は通学列車だった2 池上弁当を食べに行こう!3 レンタサイクルで花蓮をスイスイ4 新型特急プユマ号に乗る5 福隆駅で出来立て駅弁を食べる6 夜の台北でスイーツ&小吃の夜食をペロリ台東線の客車代走は通学列車だったこれから関山発台東行きの普快車...
今回お送りする玉麒麟別荘は花蓮県南部の要所、玉里鎮の中心部にあります。玉里駅の目の前にあるので、日本人の鉄道旅行者の間でよく知られているようです。▲玉麒麟別荘外観(2017年4月撮影)価格は600元と廉価ですから、貧乏旅行を楽しみたい方にはピッタリかもしれません。ただし価格が安い分、アメニティグッズは揃っていないので、石鹸・歯ブラシ等は自分で用意する必要があります。寝るだけなら問題ない宿だと思います。フロン...
台鐵東部幹線を北上して、台湾東部最大の街・花蓮にやってきました。用を済ませて花蓮を離れる際に、駅ホームで撮影をしながら、列車到着までの時間つぶしをします。はたして、花蓮駅ではどんな列車が見られるでしょうか?▲花蓮駅に到着花蓮まで来たからには、台東線のローカル輸送をになうDR2700形をスルーして帰れません。優等列車で活躍したのも今は昔。国鉄型でいうキハ58系やスハ43のように、都落ちして台東線に落ち着きまし...
台鐵台東線のちょうど中間地点に位置し、ローカル列車の運用上の拠点となっているのが、花蓮県玉里鎮にある玉里(たまざと)駅です。玉里は日本統治時代より交通の要所として栄え、現在でも花蓮県南部最大の街として賑わっています。▲玉里駅舎間もなく戦後70年になろうとしていますが、玉里駅付近には今もなお、日本統治時代に建てられた官舎が数多く残っています。▲玉里駅舎内写真には写っていませんが、駅舎内にはセブンイレブンが...
玉里駅から自強号に乗り込み、一路鳳林を目指します。蘇澳以南の台湾東部には高速道路が通っていません。そのため、今でも東部幹線(宜蘭線・台東線)は長距離利用客が多く、立席券が発行されない「タロコ」・「プユマ」・「観光号」に至っては「切符の入手が難しい」ことで有名です。今回乗り込んだ自強号も乗車率が高く、乗車時点で既に満席でした。客室内で立ったまま過ごすこと1時間、日本統治時代に置かれていた旧鳳林郡の中心地・鳳林(...
台湾東部、花蓮県鳳林鎮にはかつて官設移民村「林田村」が設置され、多くの内地人(日本人)移民が農耕を行っていました。彼ら移民にとって精神面の拠り所となったのが、中野集落(現在の二村)の南側に建立された林田神社です。戦後国民党政府によって破壊された後は、樹木に埋もれ風化するばかりでしたが、近年大規模な修復が行われ、当時の姿を大分取り戻しました。祭神北白川宮能久親王殿下大国魂命大己貴命少彦名命大祭:10月6日▲旧...
台湾東部、花蓮県鳳林鎮にはかつて官設移民村「林田村」が設置され、多くの内地人移民が農耕を行っていました。当時の花蓮港庁鳳林郡鳳林街大字林田一帯が林田移民村の範囲でした。大字林田の下には4つの小字(南岡・中野・北林・平林)が置かれ、その他にも本島人(台湾人)による集落「金田」があります。うち南岡は一村、中野は二村、北林は三村の異名を持っています。戦後、南岡・中野は併せて大栄、平林は林栄へと改称されましたが...
【2013年夏】台鐵台東線DR2700形 普快4675次 乗車記(鳳林~花蓮)
台鐵台東線のローカル輸送で活躍する、DR2700形気動車に乗車しました。今回乗車地に選んだのは鳳林駅。ここから花蓮までの切符を求め、駅窓口で普快の切符を入手する所から始まります。ちゃんと「普快」と言ったにもかかわらず、差し出されたのはなんと自強号の切符でした。自強号ではなく普快4675次の切符が欲しいと駅員(日本語が通じました)に伝えたところ、「普快は40分遅れているから自強号の方がいい」との返事が返ってきまし...
台湾東部 花蓮県玉里鎮には日本統治時代の史跡が数多く残されています。その中でも一番有名なものが、旧「玉里社」ではないでしょうか。戦後、中国国民党によって施設が破壊された後も、鳥居や石灯篭などが草木に埋もれながらも残されてきました。近年の保存活動により史跡公園として整備され、現在では境内に入りやすくなりました。神社入口に立つのは一の鳥居。周囲には民家が建っており、鳥居柱が一部、民家にめり込んでいます。...
ハラワン祠跡(花蓮県玉里鎮)―変形鳥居がたつ原住民集落の神社跡
台湾東部 花蓮県玉里鎮楽合地区には、原住民アミ族が居住するハラワン(楽合)集落があり、日本統治時代に建立された神社の跡が一部残されています。ハラワン集落は省道台9線沿い、言い換えると玉里市街地から数キロ離れた場所にあります。日本統治時代当時、ハラワン集落は大字落合に属していましたが、戦後、落合は中国語で同音の楽合に改称されました。▲ハラワン集落周辺の地図▲ハラワン集落入口に立つ「楽合勇士」の像ここから集落...
台湾東部、花蓮県南部の要所・玉里にやってきました。玉里駅前から歩いて、玉里鎮東部にあるハラワン祠(神社跡)を目指してみたいと思います。玉里鎮中心部には一応歩道が設置されていますが、自動車がその上に駐車していることが多いため、他の台湾諸都市と同様に歩きづらいです。交通量はそこまで多くないものの、道を行く自動車やスクーターには気をつけるべし!中山路(玉里大通)と光復路(玉里本通)が交わる地点はロータリ...
台東から列車に揺られ、花蓮県南部の要所・玉里にやってきました。ここで一泊する予定を立てていたので、宿泊地第一候補の「新新大旅社」(予約は取っていません)を目指して歩くことにします。ところが、本命の新新大旅社は改装中だったようで閉鎖されており、宿泊することはできませんでした。代わりの宿を探そうと駅前界隈を歩きまわっていると、駅の目の前にホテル「瓦拉米(ワラミ)客桟」を見つけました。この他にも、玉里駅前にはホ...
台鐵台東線DR2900形 自強号243次 乗車記(台東~玉里)
台鐵台東駅から自強号(特急に相当)に乗りこみ、今回の宿泊地・玉里へと向かいます。知本発の243次に無座票(立席券)で乗車しましたが、車内はそれほど混雑しておらず、窓側の座席に落ち着くことができました。リクライニングシートに身を沈めると、列車はすぐに動き出しました。機関庫を車窓から眺めていると、藍色のリバイバル塗装を纏ったR100(R123)が他のDLと並んで停車している様子が見えました。願わくば、この機関車がオールS...
【格安きっぷで行く】台鐵台東線の復興号685次 乗車記(池上~花蓮)
池上から復興号685次(台東発樹林行き)に乗り、一路花蓮を目指して北上します。2014年1月現在、復興号の運賃割引キャンペーンが行われているので、100元で乗車することができました(台東~花蓮駅間は150元)。この復興号685次はたしか2012年7月に、侯トウ駅周辺で撮影したことがあります。撮影した当時は「もうすぐ復興号が廃止になるかも・・・」と思っていましたが、しぶとく残っているのには驚きです。▲2012年7月に撮影した復興号68...
台湾南東部最大の都市・花蓮にやってきました。この街は日本統治時代になってから本格的な整備が始まったので、非常に日本色が強く、至る所に日本家屋があります。今回は花蓮駅を起点に、市内の史跡・名所などを巡ってみました。花蓮駅から市街地中心部へは距離があるので、移動する際はバスかレンタサイクルのどちらかが良いでしょう。今回、筆者はレンタサイクルを利用して巡りました。花蓮客運バスターミナルのすぐ横にある「ジ...
【2014年夏】台鐵台東線DR2700形 普快4675次 乗車記(玉里~花蓮)
2014年7月、まもなく定期運用から撤退するという台鐵DR2700形に乗車しました。玉里発花蓮行きの普快4675次で全区間を乗りとおします。なお昨年夏にも、同列車に鳳林から花蓮まで乗車しました。今回の4675次の乗車をもって、DR2700形最末期の運用区間すべて(花蓮~玉里~台東)に乗車を果たしました。運用撤退が間近に迫っており、なんとか滑り込みで間に合った形です。▲玉里駅出発DR2700型がつどう中、玉里駅を出発します。次に玉...
台鐵台東線DR2700形 普快4678次 乗車記(富源~玉里)
富源から玉里に移動するため、台鐵台東線のDR2700型普快4678次に乗車しました。台東線電化直後の2014年7月に行われたダイヤ改正により、DR2700型は定期運用から外れ冷房車が一掃されたことから、現在 同線内の各駅停車は全て区間車に統一されています。DR2700型が駅員の誘導でゆっくり入ってきました。前面を銀色に塗装して原型に近づけた「リバイバル編成」ではなく、前面を黄色塗装にした編成でした。撮影するとき前者、乗車する...
台北に移動するため、花蓮駅にやってきました。ここから北廻線・宜蘭線を通り、台北に向かう夜行列車に乗ります。列車の到着時間は深夜2時前と遅く、かなり待ち時間があります。駅到着の時点で夜7時ごろだったので、結局約7時間もの間、花蓮駅で過ごすことになりました。駅待合室で座っていると、市街地の方から「ドン」という音が聞こえてきました。気になったので駅前に出ると、音の正体はなんと打ち上げ花火でした。色とりどり...
日本統治時代の台湾をよく知るうえで、花蓮市の存在は欠かせません。日本時代に建設された町割りの中に、今も多くの日本家屋が眠っています。その中には史跡登録され、資料館として活用されているものもあれば、今も現役の民家として使われている物件もあります。今回は旧花蓮港神社(花蓮県忠烈祠)を起点に、市内を散策しながら、台鐵花蓮駅まで歩いてみました。今回の散策を通して、台湾に根付く「日本」を知ることが一番の目標...
台湾東部、花蓮県花蓮市にある旧花蓮港神社を訪れました。同神社跡は戦後、中華民国政権の手によって美崙山忠烈祠に改められ現在に至ります。同神社は花蓮港庁平野区の米崙山腹にあって、台湾神社(→台湾神宮)と同じ祭神を祀っていました。1916(大正5年)4月に起工し、鎮座式は同年9月22日に行われ、1921(大正10)年3月2日には県社に指定されています。(台湾総督府編『台湾事情. 昭和18年版』台湾総督府官房情報課、1943年)ここにはち...
まもなく定期運用終了へ...玉里駅につどう台鐵DR2700形を激写
台鉄DR2700型といえば、晴天の玉里駅に集う風景を真っ先に思い出します。この気動車の写真を撮るために玉里へ来たのは2回限りでしたが、いずれも充実した時間を過ごすことができました。DR2700型が定期運用から外れる直前に撮影した、玉里駅構内の風景をお送りします。花東縦谷は毎回訪れるたびに青々としており、訪問を楽しみにする筆者を温かく(暑く)もてなしてくれます。おかげでむさ苦しい曇り空にがっかりすることなく、DR270...
今回は台湾東部、台鉄台東線富源駅の様子をお送りします。昭和20年の時点では白川駅と呼ばれていました。元々の駅舎は台東線によくある無骨なデザインでしたが、電化にあわせて改修工事が行われ、和風デザインに衣替えしました。完成直後は本来の設計図とは異なる、赤を基調としたデザインになっていました。さすがに批判の声があがったようで、結局設計図通りの姿に「再改修」され現在に至ります。▲富源駅駅舎改修工事の完成予想...
旧抜子社は台湾東部、花蓮県瑞穂郷の北側にある神社跡地です。台鉄富源駅から歩いて行くことができ、比較的交通の便の良い場所にあります。境内入口では水車が回っています。案内看板にも神社跡である旨が記載されていますが、名称は抜子祠ではなく「白川神社」となっています。▲境内入口から参道を眺めて水路をわたり、境内に入ります。旧抜子社を代表する遺構といえば、なんといっても入口付近に建つ石灯篭でしょう。完全な形で...
今回お送りする抜子庄とは、台湾東部の花蓮県瑞穂郷北部にある地域を指す名称です。現在の行政区画でいうと、富源村・富興村・富民村に該当し、日本統治時代末期の行政区画でいうと、大字白川地区にあたります。ちょうど中央部を台鉄台東線・省道9号が通っており、富源(旧:白川)駅があります。富源駅前に案内看板があります。一つの看板に「日治」と「日拠」表記が混在しています。「日拠」とはありますけれども、年号自体は正し...
花蓮県瑞穂(みずほ)郷は台湾東部、花東縦谷の中央部にある小さな町であり、富源(マシロ)渓が秀姑巒渓と合流する地点を中心に広がっています。日本統治時代には花蓮港庁鳳林郡瑞穂庄が置かれており、自由移民村の「瑞穂村」が設置されていました。今回は「瑞穂村」についての概説と、当時の繁栄を今に伝えるベーハ小屋(煙草乾燥小屋)の姿をお送りします。瑞穂村が設置されたのは日本統治時代の中でも比較的後期にあたる昭和7(1932)...
花蓮県瑞穂郷の中心部をぶらり散策(瑞穂駅~鉄馬駅站~力天宮など)
今回お送りする瑞穂(みずほ)郷は花蓮県南部にある小さな町です。日本統治時代には煙草栽培のため内地人移民村「瑞穂村」が設置されていました。また、郷内には紅葉温泉や、観光牧場の瑞穂牧場(みずほぼくじょう)があることでも知られています。瑞穂駅は自強号も停車する比較的大きな駅です。駅前には土産物店が軒を連ねており、大衆食堂もあります。旧省道9号線沿いには食堂やホテル、商店等があります。写真上、目の前に見え...
旧瑞穂祠・虎頭山歩道(花蓮県瑞穂郷)―東台湾の温泉地に眠る神社跡
現在温泉地として知られる東台湾瑞穂(花蓮県瑞穂郷)には日本統治時代、タバコ栽培を目的とする移民村が置かれていました。その移民村の鎮守として鎮座していたのが、今回ご紹介する瑞穂祠です。瑞穂祠の跡地は戦後破壊されたのち、参道の一部は虎頭山歩道として整備され、社殿のあった場所は放置され続けてきました。ここでは現状がどうなっているか、入口から社殿跡にかけて順に調べていきます。▲旧瑞穂祠(虎頭山歩道)入口神社参...
日本統治時代、東台湾には多数の内地人移民村が置かれていました。中でも現在の鳳林鎮にあった「林田村」は、官設移民村として大正初期から開発され、おもにタバコ栽培が行われました。また、住民には福岡・熊本県出身者が多かったとも記録されています。そんな林田村の鎮守として建立されたのが、今回登場する林田神社です。大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久親王を祭神とし、毎年10月6日に大祭が執り行われました(花...
東台湾・林田移民村 中野集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―僅かに残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は中央部に位置する中野(なかの)集落をめぐります。南側にあった南岡集落と同じように戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、二村と呼ばれるようになって現在に至ります。中野集落は林田村の中心地だったようで、集落内には駐在所と尋常高等小学校(→国民学校≒小学校)が置かれていました。なお学校は現在でも学校として機能しており...
東台湾・林田移民村 南岡集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―多数残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は一番南に位置する南岡集落をめぐります。同集落には戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、一村と呼ばれるようになって現在に至ります。また、戦前から戦後にかけて煙草の栽培がおこなわれてきたため、集落内部には収穫した煙草の葉を乾燥させるための小屋「ベーハ小屋」が残っています。今回は旧南岡集落をめぐり、ベーハ小屋や...
中華路139巷の宿舎群(花蓮県玉里鎮)―東台湾の田舎町に残る日本家屋
台湾東部にある交通の要所・玉里にやってきました。同地を訪れたのは、玉里鎮公所の近くに残っているという木造宿舎(日本家屋)を記録に残すためです。ところが、今回の玉里滞在時間は行程の都合上わずか15分しかありません。はたして、予定通りに取材をこなすことはできるのでしょうか。旅行記スタイルでお届けします。▲リニューアルで生まれ変わった玉里駅今回は列車で玉里入りしただけに、玉里駅を起点に目的地を目指します。約2...
林田移民村の「台湾村」とは?金田集落をぶらり散策(花蓮県鳳林鎮)
東台湾にかつて日本人による移民村があったことは当ブログで度々ご紹介した通りです。その中でも今回は、花蓮県鳳林鎮にあった「林田移民村」にスポットを当てたいと思います。林田移民村(以下、林田村)は日本統治時代の花蓮港庁に置かれた官設移民村のひとつで、主に煙草の栽培が行われました。村内には南岡、中野、北林といった計3つの集落が置かれ、これら地名は鳳林街(現在の鳳林鎮・光復郷北部)の小字としても登録されていま...
台湾東海岸を代表する温泉地・瑞穂温泉には、日本統治時代に建てられた古い温泉旅館が存在します。それが「瑞穂紅葉温泉旅社」と、今回お届けする「瑞穂温泉山荘」(みずほ温泉リゾート)です。前者は警察招待所として建設されたもので、万栄郷の山奥にあります。一方、瑞穂温泉山荘は瑞穂郷にあり、交通の便は後者の方が良好です。とはいえ、圧倒的に有名なのは「瑞穂紅葉温泉旅社」の方でして、瑞穂温泉山荘の存在はその陰に隠れが...
台湾に行くと各地に温泉が点在しています。これらの多くは日本統治時代に整備されたもので、場所によっては当時の雰囲気を残している場所もあります。今回は東台湾の花蓮県にある瑞穂温泉へとやってきました。こちらは県南部の瑞穂郷・万栄郷に跨る温泉地で、紅葉渓と虎頭山に挟まれた場所にあります。今でこそ一帯には複数もの温泉宿が存在しますが、日本統治時代には1軒の湯治場があるだけでした。今回は日本統治時代の湯治場が...
東台湾の花蓮港庁・台東庁、つまり現在の花蓮・台東両県では、日本統治時代に大規模な内地人による移民が行われました。吉野・豊田・林田村に代表される官設移民村や、鹿野・旭村といった企業による私設移民村は、現代日本人の間でもよく知られています。その一方で、「自由移民村」はあまりよく知られていません。自由移民がどこに集落をなし、その集落がどんな地名であったのか、戦前の諸史料に詳しく記載されているものの、それ...
【花蓮駅前】台湾料理店「楊記扁食」の魯肉飯・蛋花湯(花蓮県花蓮市)
台湾東海岸を鉄道で北上する途中、夕食をとるため花蓮に立ち寄りました。およそ2年半ぶりに足を降ろした花蓮の駅前はずいぶんと変わっていました。駅前ロータリーでは何やら工事が進んでいるようで、駅舎の右隣でも大きなドーム天井が形成されています。東海岸の駅では数年前から駅舎の改良が行われていますが、工事の手はついに花蓮駅にも及んできたというわけです。そんな花蓮駅を出て、駅前ロータリーを少し進むと見えてきまし...