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### **カルタゴの歴史** **カルタゴ(Carthago, Qart-Hadašt)は、現在のチュニジアに位置した古代都市国家で、フェニキア人によって建設され、地中海世界の強大な勢力となりました。最終的にはローマに滅ぼされました。** --- ## **1. 建国と発展(紀元前9世紀~紀元前3世紀)** - **建国**:紀元前814年頃、フェニキアの都市ティルス(現在のレバノン)からの植民者によって建設された。 - **貿易国家**…
前回の続きです。 モスターからバスに乗って首都のサラエボを目指します。 2時間ほどで着くので割と余裕です。 昨夜レストランで食後に飲んだエスプレッソがいけなかったのか夜の寝付きが悪くて寝不足のためにバスの中では爆睡していました笑 同じホステ
モスターでの一夜を過ごして次の日。 朝はゆっくりしました。夜に到着のパターンだと次の日早くから動くのは中々きついものがあります。 そしてシャワーを浴びにバスルームに行くと窓から外壁が見えたんですが銃弾の後が生々しく残っているのに衝撃を受けま
リアルタイムブログの更新に切り替えました。 現在はコソボの首都プリシュティナに滞在しています。 今回はプリシュナから約1時間の場所にあるミトロビツァという街に行ってみることにしました。 この街については自分はコソボに来るまで知らなかったので
今日わんこ。絶賛お友達とバス🚌旅行中のぐーママことpharyです。きのふ書いた記事はこちら→8時間半のおしゃべりけふは、素晴らしい天気の中、三つの国の三つの海辺の町の見学をしました。午前と午後、二人のガイドさんがついてくれたのですが、奇しくもお二人の説明中に現地に住んでいる方の民族問題に関する意見というか、国への帰属意識、感情が垣間見えた気がし、綺麗な街や古い街並みを見ながらも歴史問題や、民族問題について...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【8/1槵生間~23大泊(完)】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。34回目となる今回は、岡本一行が槵生間(久春内)から輪荒を経由して、大泊に帰還するまでの行程を読み進めていきます。今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、樺太問題を再認識しようという狙いのもと、熟読を開始しました。あれから半年以上が経ち、北樺太の地理情報を掲載する中で、日本人があまりにも北樺太に対して無頓着なのに気づきました。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【7/27鵜城~30槵生間】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。33回目となる今回は、岡本一行が鵜城を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/27 鵜城~突岨:やまない大しけ二十七日、北風に乗りて発す。土人の男女の送る者、甚だ衆し。連日風雨あるも、此に至り始めて霽る。四顧すれば洗ふがごときなるも、波面未だ静かならず。行ゆく突岨を過ぐ。風勁きに会ひ、俄かに舟を...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第32回目)【7/23南安~26鵜城】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。32回目となる今回は、岡本一行が南安(北名好)を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/23:南安~牛苫内(7/24~26:鵜城)二十三日、天陰にして南風あり。払暁に即ち発す。三岬を過ぎて鵜城(ウショロ)に達す。此の際の山脉、海を距ること稍や遠し。一望すれば樹木蒼然たり。午牌、石鳥(イシトリ)を過ぐ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第31回目)【7/20~22 南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。31回目となる今回は、岡本一行が南安に滞在するシーンから読み進めていきます。南安はのちに北名好と呼ばれる場所で、樺太庁の行政区分でいうところの恵須取支庁名好町にあたります。▲今回の滞在地7/20:ロシアとの共存を望む男に会う二十日、南風ありて波高し。散歩して夷戸に過る。往年、邪智去夫の掠せる所の蝦夷三家、一は則ち鵜城(ウショロ)に帰る。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第30回目)【7/18幌子谷~19南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。29回目となる今回は、岡本一行が近涸の海岸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/17 幌子谷~北緯50度南方十八日、将に発せんとするも、夷戸に過ぐ。土人多く寿女連夷の状を為せり、しかれども其の言は則ち蝦夷なり。蓋し此の際の蝦夷にして寿女連を娶る者、此のごときならんと云。一婦有りて鵜城の産なり。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第29回目)【7/17近涸~幌子谷】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。29回目となる今回は、岡本一行が近涸の海岸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/17 近涸~幌子谷十七日、南風ふきて波有り。直に南すること半里、乃ち亜多華(アタゲ)に達す。一河有り、落石に比すれば稍や小なり。河傍に土人の五家あるも、皆な鷺毛隖に往漁せば一人を見ず。顧みて過ぐこと里余、地勢 巳...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第28回目)【7/16荒子井~近涸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。28回目となる今回は、岡本一行が荒子井を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/16 荒子井~近涸十六日、天色清澄にして海水 鑑むべし。鱒の水底を行くを見る、極めて饒(おお)し。衆 為に注視すること徐徐なり。枻を皷し南且つ西すること里余、落石(オッチシ)に達す。河有り、広さ約そ三十間、深さ四・五尺...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第27回目)【7/14戸塚~15荒子井】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。27回目となる今回は、岡本一行が戸塚(後戸岬)を出発するシーンから読み進めていきます。これから進む地域は、スメレングルの居住地域にあたりますが、所々にアイヌ語地名が残っています。ここからが『窮北日誌』の最終章というべきでしょう。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/14 戸塚~割績十四日、北風・微陰あり。岸に傍ひて西行すること里許...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第26回目)【7/11輪藉~13戸塚】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。26回目となる今回は、岡本一行が輪藉を出発するシーンから読み進めていきます。日本列島(樺太)とユーラシア大陸は、この辺りで最も近接しており、この狭窄部は一般的に「間宮海峡」と呼ばれています。これから大陸を間近に見つつ、樺太西海岸を南下していこうというのが、これから読んでいく話の大筋です。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/11 ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第25回目)【7/8与市這隖~10輪藉】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。25回目となる今回は、岡本一行が与市這隖を出発するシーンから読み進めていきます。これから南下する樺太西海岸は、海峡を隔ててロシア支配地と接している関係で、東海岸よりもロシアの影響力が強めです。その中で先住民がどう暮らしているのか、僕なりに紐解いてみようと思います。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/8 与市這隖~寄血霧:間宮林...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第24回目)【7/5品馬戸~7与市這隖】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。24回目となる今回は、岡本一行が品馬戸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)今回はいつもよりも集落密度が高いので、高精度の地図を用意しました。後代の地図をいくつか参照しつつ、極力正確になるよう記載したつもりです。7/5 品馬戸~羽吹戸:巨大湖の間を進む初五日、晴れて風無し。まさに発せんとするに...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第23回目)【6/29松毛鵞小門~7/4品馬戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。23回目となる今回は、岡本一行が松毛鵞小門に滞在するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/29~7/2 松毛鵞小門で雨をやり過ごす二十九日、雨漸く歇む。風力愈いよ厲し。是日も又た夷戸に過る。戸中の男女、吾輩を迎へて草実乾魚等を供す。必ず好否如何を問ふ。乃ち煙草一小撮を与へて去る。七月初一日、北風ありて雨...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第22回目)【6/26鵞小門岬~28松毛鵞小門】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。22回目となる今回は、岡本一行が鵞小門岬を出発するシーンから読み進めていきます。これから進むのは、樺太最北部にあたる地域です。鵞小門岬を過ぎて方角を南西に変え、まずは鵞小門の村に移動しました。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/26 鵞小門岬~鵞小門二十六日、濃霧あること四合なり。払暁に発し、西南を指す。霧の霽るに会ふも、余靄 ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第21回目)【6/23泥生戸~25鵞小門岬】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。21回目となる今回は、岡本一行が泥生戸を出発するシーンから読み進めていきます。下の地図にある通り、今回でついに樺太最北端に到達します。と同時に、窮北日誌の上巻を完読することになります。ここまで長かった!▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/23 高波で水浸しになる二十三日、天陰なり。午牌、西南風ありて発せんと欲す。刀破袁・気志喩理...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第20回目)【6/17弁連戸~22泥生戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。20回目となる今回は、岡本一行が弁連湖畔を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/17 音沓戸に到達する十七日、陰・風あり。蝦夷皆な発せんと欲すも伝九郎悦ばず。余、蝦夷に従ひ、乃ち行く。浜海・沙汀平垣にして、岡阜断続す。乾位向きて走る。遥かに正北を望むに、山脉横亘にして、雲外に三峰の駢列せり。是...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第19回目)【6/10~16 弁連戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。19回目となる今回は、岡本一行が茶江を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/10 満洲の食器を見る十日、夷戸を過ぐ。貧窶・臭穢なり。蓋し蝦夷は皆な席(むしろ)有るも、肉分・小六子は則ち之無し。肉分夷の室に居するに、板上に水豹の皮、もしくは大皮裘を鋪きて臥したり。器物も亦た、甚だ備はらず。鍋・釜...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第18回目)【6/8茶江~9弁連戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。18回目となる今回は、岡本一行が茶江を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/8 茶江~鰭持歯八日、潮を候して行く。潮未だ満たざるも、舟を盪して前(すす)む。湖の東西、相ひ距ること一里ばかり。西北の平山際無く、樹木蒼然たり。唯だ見るは、天外に一、二の峯尖を露はすのみ。湖西の山に倚りて、小六子夷...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第17回目)【6/6縫江~7茶江】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。17回目となる今回は、岡本一行が縫江を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/6 縫江~徳女津六日、晴れて風無し。弁連戸(ベレント)の肉分夷の爾都刀牙(ニツトゲ)と云ふ者に命じ、嚮導と為し、湖に泛(うか)びて行くこと一里ばかり。右顧すれば肉分夷の七家有り。即ち吾苧隖(アオー)なり。稍や北して三...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第16回目)【6/2~5 縫江】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。16回目となる今回は、岡本一行が縫江に滞在するシーンを読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(赤枠が読み進める範囲)6/2 対毛川流域について聞き取り調査をする二日、微陰にして北風頗る寒し。土夷の郡来すること陸続として止まず、煩囂極まる。予古便を召し、遠近の夷落の状を問ふ。予古便曰く、此の河総て鷺毛隖(ロモー)と名づく。所謂縫江(ヌエ)...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第15回目)【6/1 女侶区隖~縫江】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。15回目となる今回は、岡本一行が女侶区隖を出発するシーンから読み進めていきます。このあたりから、海岸線に沿うようにして、巨大湖がいくつも出現します。それに伴い平地が増え、村数も増えてきました。どんな地名が記録されているでしょうか。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/1 女侶区隖~縫江六月初一日、昧爽にして未だ起きず。肉分夷の婦...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第14回目)【閏6/29丁母木~30女侶区隖】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。14回目となる今回は、岡本一行が丁母木を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/29 丁母木~盧碁隖(呂郷沼)二十九日、朗晴なること昨のごとし。行くに長崖の、二里の外に連亘するを見る。高さ三丈ばかり。一河有り、甚だ深からず。此より北、土地平衍・極目なること際無し。唯だ落葉松を見るのみ。行くこと八...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第13回目)【閏6/23縫鵜~28丁母木】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。13回目となる今回は、岡本一行が縫鵜を出発するシーンから読み進めていきます。ついに北緯50度を越え、アイヌ圏の最果てに到達しました。この辺りの地形は険しく、海岸線の近くにまで山が迫っています。過酷な地形が続く中、岡本一行はどのようにして航行するのでしょうか。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/23 縫鵜~植小谷二十三日、大霧ありて...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第12回目)【6/16探簀戸~6/22縫鵜】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。12回目となる今回は、岡本一行が探簀戸を発ち、北緯50度近辺を北上するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/16探簀戸~自来間~北緯50度周辺十六日、早に寒く濃霧ありて、淫淫なること雨のごとし。便風に乗りて発す。北行すること四里ばかり、山下の土崩るるもの、赤きこと赭(あかつち)のごとし。午牌、自来間(ジ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第11回目)【6/14野鋪浦~6/15探簀戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。11回目となる今回は、岡本一行が野鋪浦を発ち、樺太東海岸を北上するシーンを読み進めていきます。敷香に入ったのが随分前のように感じられるほど、長い長い「北知床半島編」でしたが、これにてようやく終わりです。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/14野鋪浦~蒸日~東岸部十四日、風転ず。早くに野鋪浦を発し、小岬三を過ぎて又た二山を望む。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第10回目)【6/8~6/13 野鋪浦】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。10回目となる今回は、岡本一行が野鋪浦に滞在するシーンを読み進めていきます。まだ北知床半島から抜け出しておらず、現在でいう船見沼周辺が今回の舞台です。▲今回の巡検ルート(赤丸が読み進める範囲)6/8~6/10初八日、東北の風極めて暴にして、急雨盆注す。怒涛なること雷のごとし。戸柱まさに崩れんとす。上漏り下温る。坐する処無く、難苦極まる。夜に...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第8回目)【6/2~6/4 真知床岬】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。8回目となる今回は、岡本一行が真知床(北知床岬)近辺に滞在する3日分を読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(赤丸が読み進める範囲)6/2 志那古奴とロシアの事を談ず二日陰雨。志那古奴とともに魯西亜の事を談ず。志那古奴曰く「十年前、魯人此に来る。大艦あり。其の最も大なるは、五帆檣を植つ。一隻進みて父国に抵る。当時我が属、まさに之を殲さん...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第7回目)【6/1茨冨間~真知床岬】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。7回目となる今回は、岡本一行が北知床半島の先端部に向かうシーンから始めていきます。細くて長い半島を延々と進み、ようやく先端部に到達しました。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)6/1茨冨間~真知床岬(野狸)閏月初一日、天陰なり。志那古奴に命じ前導せしめ、行くこと一里。南風 腥気を送る。衆皆な曰く「海豹なり」と。忽ち一頭巨大の者を見...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第6回目)【5/28歴背床~5/29茨冨間】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。6回目となる今回は、岡本一行が歴背床近辺を発つシーンから始めていきます。この辺りから進路は南に変わり、そのまま北知床岬に向かうルートを取ります。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/28 歴背床~蒸日二十八日、濃霧四塞たり。南行すること三里ばかり、石壁峭削たり。瀑有りて焉に■。状 缶簾のごとく、瑟を戛するがごとし。海面の礁石 点々に...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第5回目)【5/25多来加湖畔~5/27歴背床】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。5回目となる今回は、岡本一行が多来加湖畔を発つシーンから始めていきます。盤香で入手した小舟を使い、陸伝いに北知床半島の先端部を目指すようです。まだアイヌ人のテリトリーですが、ときおりウィルタ人の集落に出会うところが興味深い。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/25 多来加湖畔~野凝二十五日、天気猶ほ悪し。蝦夷 皆な晴れを待たんと...