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ロシアの暴走が止まらない中、北方領土(南樺太・千島列島)へのソ連侵攻から今日で79年を迎えました。依然としてウクライナでは激しい戦闘が続き、ロシアへの態度をめぐって世界の二分化が進んでいます。西欧諸国だけでなく、日本国内にもウクライナに手を差し伸べようとする人が多くいます。あらためて、日露間の領土問題にスポットライトが当てられても不思議ではない状況ですが、問題はよくなるどころか悪くなる一方です。やは...
また憂鬱な時期がやってきました。1945年8月、旧ソ連(ロシア)は日ソ中立条約を一方的に破棄し、北方領土に侵攻のすえ、多くの日本人を虐殺・強制連行しました。あれから70年以上がたち、ロシア人はウクライナで同じ過ちを繰り返しています。宇侵攻から1年半がたつ今、国際社会は「ロシア敗北後」を想定した、新たな国際秩序への模索を始めています。一方の日本社会はどうかというと、相も変わらずです。他人事ではないというのに...
樺太から宗谷海峡を隔てて向かい合う北海道には、ロシア人によって樺太から追放された住民が多く移り住み、樺太ゆかりの石碑も多く残されています。今回はその一つ、「樺太庁豊原中学校記念碑」を見るため、札幌市中央区の旭山記念公園にやってきました。記念碑は公園の片隅、ちょうどJRバス界川2丁目停留所のすぐ横に鎮座しています。目立たない場所にあるため、見落としてしまわないようご注意ください。記念碑は「上田校長頌徳...
旭展望台の「樺太記念碑」―北方への思いは消えず(北海道小樽市)
北海道小樽市の市街地西部にある「旭展望台」に登りました。こちらには小樽市街地を一望できる展望所があるだけでなく、かつてロシア人に侵略された樺太(南樺太)をしのぶ「樺太記念碑」が置かれています。今回は樺太記念碑を中心に、展望台周辺がどうなっているのか調べてみました。天台宗浅草寺旭展望台の麓は住宅街になっています。日銀通りから坂を上り続けると、突き当りには天台宗浅草寺が鎮座していました(写真上)。カト...
ロシアからすれば、アイヌは確かに先住民。ロシア人がオホーツク海岸に達したのは、17世紀に入ってからなので。更に言うなら、日本人も先住民ですよ。ロシアが、のこのことやってくる以前から、極東アジアに国家として存在していたんですから。ethnicどころじゃない。紛れもないnationとして。にも関わらず、世の中にはおかしな言論が罷り通っていました。「アイヌを日本の先住民族に指定すれば、北方領土返還に有利...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【8/1槵生間~23大泊(完)】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。34回目となる今回は、岡本一行が槵生間(久春内)から輪荒を経由して、大泊に帰還するまでの行程を読み進めていきます。今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、樺太問題を再認識しようという狙いのもと、熟読を開始しました。あれから半年以上が経ち、北樺太の地理情報を掲載する中で、日本人があまりにも北樺太に対して無頓着なのに気づきました。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【7/27鵜城~30槵生間】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。33回目となる今回は、岡本一行が鵜城を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/27 鵜城~突岨:やまない大しけ二十七日、北風に乗りて発す。土人の男女の送る者、甚だ衆し。連日風雨あるも、此に至り始めて霽る。四顧すれば洗ふがごときなるも、波面未だ静かならず。行ゆく突岨を過ぐ。風勁きに会ひ、俄かに舟を...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第32回目)【7/23南安~26鵜城】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。32回目となる今回は、岡本一行が南安(北名好)を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/23:南安~牛苫内(7/24~26:鵜城)二十三日、天陰にして南風あり。払暁に即ち発す。三岬を過ぎて鵜城(ウショロ)に達す。此の際の山脉、海を距ること稍や遠し。一望すれば樹木蒼然たり。午牌、石鳥(イシトリ)を過ぐ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第31回目)【7/20~22 南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。31回目となる今回は、岡本一行が南安に滞在するシーンから読み進めていきます。南安はのちに北名好と呼ばれる場所で、樺太庁の行政区分でいうところの恵須取支庁名好町にあたります。▲今回の滞在地7/20:ロシアとの共存を望む男に会う二十日、南風ありて波高し。散歩して夷戸に過る。往年、邪智去夫の掠せる所の蝦夷三家、一は則ち鵜城(ウショロ)に帰る。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第30回目)【7/18幌子谷~19南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。29回目となる今回は、岡本一行が近涸の海岸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/17 幌子谷~北緯50度南方十八日、将に発せんとするも、夷戸に過ぐ。土人多く寿女連夷の状を為せり、しかれども其の言は則ち蝦夷なり。蓋し此の際の蝦夷にして寿女連を娶る者、此のごときならんと云。一婦有りて鵜城の産なり。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第12回目)【6/16探簀戸~6/22縫鵜】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。12回目となる今回は、岡本一行が探簀戸を発ち、北緯50度近辺を北上するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/16探簀戸~自来間~北緯50度周辺十六日、早に寒く濃霧ありて、淫淫なること雨のごとし。便風に乗りて発す。北行すること四里ばかり、山下の土崩るるもの、赤きこと赭(あかつち)のごとし。午牌、自来間(ジ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第11回目)【6/14野鋪浦~6/15探簀戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。11回目となる今回は、岡本一行が野鋪浦を発ち、樺太東海岸を北上するシーンを読み進めていきます。敷香に入ったのが随分前のように感じられるほど、長い長い「北知床半島編」でしたが、これにてようやく終わりです。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/14野鋪浦~蒸日~東岸部十四日、風転ず。早くに野鋪浦を発し、小岬三を過ぎて又た二山を望む。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第10回目)【6/8~6/13 野鋪浦】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。10回目となる今回は、岡本一行が野鋪浦に滞在するシーンを読み進めていきます。まだ北知床半島から抜け出しておらず、現在でいう船見沼周辺が今回の舞台です。▲今回の巡検ルート(赤丸が読み進める範囲)6/8~6/10初八日、東北の風極めて暴にして、急雨盆注す。怒涛なること雷のごとし。戸柱まさに崩れんとす。上漏り下温る。坐する処無く、難苦極まる。夜に...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第9回目)【6/5真知床~6/7野鋪浦】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。9回目となる今回は、岡本一行が真知床(北知床岬)を発ち、樺太東海岸を北上するところから始めます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める範囲)6/5五日、舟を発し北行す。二里ばかりにして、南方に雷声の殷々たるあり。しばらくありて、黒雲の一帯なるもの、知床の外に連なること、驟雨状のごとし。礁石の五六町の外に連亘し、傍礁の一処、宜しく舟を繋ぐ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第8回目)【6/2~6/4 真知床岬】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。8回目となる今回は、岡本一行が真知床(北知床岬)近辺に滞在する3日分を読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(赤丸が読み進める範囲)6/2 志那古奴とロシアの事を談ず二日陰雨。志那古奴とともに魯西亜の事を談ず。志那古奴曰く「十年前、魯人此に来る。大艦あり。其の最も大なるは、五帆檣を植つ。一隻進みて父国に抵る。当時我が属、まさに之を殲さん...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第7回目)【6/1茨冨間~真知床岬】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。7回目となる今回は、岡本一行が北知床半島の先端部に向かうシーンから始めていきます。細くて長い半島を延々と進み、ようやく先端部に到達しました。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)6/1茨冨間~真知床岬(野狸)閏月初一日、天陰なり。志那古奴に命じ前導せしめ、行くこと一里。南風 腥気を送る。衆皆な曰く「海豹なり」と。忽ち一頭巨大の者を見...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第6回目)【5/28歴背床~5/29茨冨間】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。6回目となる今回は、岡本一行が歴背床近辺を発つシーンから始めていきます。この辺りから進路は南に変わり、そのまま北知床岬に向かうルートを取ります。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/28 歴背床~蒸日二十八日、濃霧四塞たり。南行すること三里ばかり、石壁峭削たり。瀑有りて焉に■。状 缶簾のごとく、瑟を戛するがごとし。海面の礁石 点々に...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第5回目)【5/25多来加湖畔~5/27歴背床】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。5回目となる今回は、岡本一行が多来加湖畔を発つシーンから始めていきます。盤香で入手した小舟を使い、陸伝いに北知床半島の先端部を目指すようです。まだアイヌ人のテリトリーですが、ときおりウィルタ人の集落に出会うところが興味深い。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/25 多来加湖畔~野凝二十五日、天気猶ほ悪し。蝦夷 皆な晴れを待たんと...
【5/15敷香~5/24多来加湖畔】岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第4回目)
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。4回目となる今回は、岡本一行が敷香を発つシーンから始めていきます。この辺りから方角を変え、弓上の海岸線に沿って南東に進んでいき、北知床半島(真知床)に向かいます。この辺りから徐々にアイヌ以外の集落が増え、北樺太らしさがにじみ出てくるのではないでしょうか。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/15 敷香~盤香十五日、霧を冐(おか)...
【5/11チカヒルウシナイ~5/14敷香】岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第3回目)
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。3回目となる今回は、岡本一行が鮇拾間(チカヒルウシナイ:近幌)を発つシーンから始めていきます。▲今回読み進める行程(赤矢印が巡検ルート)5/11チカヒルウシナイ~藻泊十一日、果(は)じめ晴る。西風あり。上辰 突岨(トツソ)を過ぎ、上午 蒔子谷(マクンコタン)に到る。巨鯨 隊を成すを見る。其の幾千尾を知らず。天を仰ぎ潮を吐く。飛沫の迸散する...
【5/10輪荒~チカヒルウシナイ】岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第2回目)
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。2回目となる今回は、岡本一行がシラオロ(白浦)に到着したところから始まります。▲今回読む箇所の移動経路(赤矢印)チカヒルウシナイは突岨のやや下あたり4月9日にシラオロ(白浦)入りした岡本一行は、ここに長期間とどまり、アイヌ人同行者を雇いました。異言語が飛び交う中を巡検するわけですから、現地事情に詳しい人間を同行させることが必要不可欠で...
【4/1大泊~4/9小田﨑】岡本文平『窮北日誌』を読む会(第一回目)
何を血迷ったのか、ロシアのプーチン大統領は2月末に、隣国ウクライナへの軍事侵攻を命じました。民間人への容赦ない攻撃も行われ、犠牲者は日増しに増えるばかりです。核攻撃を厭わないプーチンの姿勢を見てか、ウクライナのNATO非加盟を理由にしてか、西側諸国は参戦をひかえ、経済制裁によってロシアに対峙しています。そんな中で、僕は改めて北方領土、とくに樺太の存在を思い出していました。【本文を読む前に】あまりにも残...