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ロシアウクライナ戦争はウクライナが優勢になりつつある。塹壕と地雷で固められた防衛線を突破することはロシア軍にもウクライナ軍にもできないが、ウクライナ軍は5個旅団1万人を動員して手薄なロシア領に攻め込んだ。この作戦は大当たりで無人の野を行くがごとくロシア領土を蹂躙している。~~引用ここから~~ロシア領侵入、ウクライナ軍上層部が賭けに出た理由ウクライナに必要なのは勝利であって、ギャンブルではなかった。CNN.co.jp(CNN)ウクライナに必要なのは勝利であって、ギャンブルではなかった。乏しい軍事資源をロシアへの越境攻撃に大量投入するというウクライナの決断(ニュースの見出しを狙ったものだが、これまでのところ戦略上の目的は不明だ)は、ウクライナにとって窮余の策とも、国民を鼓舞する動きとも取れる。おそらく、この戦...北方領土を取り戻せないものか
ロシアの暴走が止まらない中、北方領土(南樺太・千島列島)へのソ連侵攻から今日で79年を迎えました。依然としてウクライナでは激しい戦闘が続き、ロシアへの態度をめぐって世界の二分化が進んでいます。西欧諸国だけでなく、日本国内にもウクライナに手を差し伸べようとする人が多くいます。あらためて、日露間の領土問題にスポットライトが当てられても不思議ではない状況ですが、問題はよくなるどころか悪くなる一方です。やは...
▲宗谷岬北海道稚内市宗谷岬一般人が通常訪れることのできる日本最北端の地▲間宮林蔵立像江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家元武家の帰農した農民出身で幕府で御庭…
神職が常駐する最北端の神社 北門神社(北海道稚内市中央1丁目1番21号)
▲神職が常駐する日本最北端の神社北門神社北海道稚内市中央1丁目1番21号▲御朱印右はクリア御朱印です▲一ノ鳥居⛩️▲この階段80段登ります(帰りに撮影)▲まだ…
2月7日は北方領土の日。今日改めて申し上げたいのは、北方領土はロシアに占領された日本の主権領土であるということだ。私たちは、ロシアが再び敗北し、占領されたすべての土地が虜囚の地から解放されるその日まで、共に歩んでいかなければなりません。 pic.twitter.com/1EdFO2gxwD— セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使 (@KorsunskySergiy) February 6, 2024 ……一から自力で説明できるほど専門家でもない...
黒水靺鞨 ≠ オホーツク文化人黒水靺鞨渡来説というものがあります。アムール川流域から海を渡って来た人々が、オホーツク文化の担い手になったというもの。40年ぐらい前までは、有力視されていました。ですが、両者の間には、類似点より相違点が目立ちます。何より靺鞨文化においては、製鉄技術が発達していました。石器と骨角器を用いていたオホーツク文化人なのでしょうか? ※引用 オホーツク文化の住居址は基本的に六角形...
松前藩による「禁農モデル」という学説があります。アイヌに農業を禁止したという、単純な主張ではなく。アイヌが農業に挑戦するのを禁止した、という内容なんです。禁農モデル 深澤(1995)アイヌ社会においての農耕文化は擦文文化期以後アイヌ社会内の欲求により常に進展していたと考えられるにもかかわらず、「意図的なイデオロギー」によってその動きが禁止されるという、人為的行為によって阻害された結果、実践的な折...
また憂鬱な時期がやってきました。1945年8月、旧ソ連(ロシア)は日ソ中立条約を一方的に破棄し、北方領土に侵攻のすえ、多くの日本人を虐殺・強制連行しました。あれから70年以上がたち、ロシア人はウクライナで同じ過ちを繰り返しています。宇侵攻から1年半がたつ今、国際社会は「ロシア敗北後」を想定した、新たな国際秩序への模索を始めています。一方の日本社会はどうかというと、相も変わらずです。他人事ではないというのに...
【旅行記】続・Go To 夏旅2020 2日目(1)―たぬき尽くし!小松島の金長大明神に行く
四国旅2日目はうず潮の町・鳴門から始まります。この日は牟岐線に乗ってから徳島線に乗り換え、ついで高知方面を目指す予定です。具体的なルート・宿泊地は後々決めるとして、まずは徳島駅に行きたいと思います。▲NEXELα鳴門をチェックアウト!予定では6時起床でしたが、眠気に負けて7時に起床。大浴場でスッキリしてから、8時をめどにチェックアウトしました。駅から歩いて3分という好立地にあるので、ゆっくり移動できるのが魅力...
今回は北海道小樽市にある、JR小樽駅をめぐります。所属路線は函館本線、駅番号はS15。函館本線は同駅を境に、西は非電化区間の「山線」と呼ばれるローカル線に、東は新千歳空港への直通列車が走る札幌都市圏の通勤路線になっています。小樽駅といえばなんといっても、風格漂うレトロ駅舎でしょう。この駅舎は1934(昭和9)年に建てられたもので、3代目にあたります。似たようなデザインの駅舎は各地に建てられ、上野駅、真岡駅、...
樺太から宗谷海峡を隔てて向かい合う北海道には、ロシア人によって樺太から追放された住民が多く移り住み、樺太ゆかりの石碑も多く残されています。今回はその一つ、「樺太庁豊原中学校記念碑」を見るため、札幌市中央区の旭山記念公園にやってきました。記念碑は公園の片隅、ちょうどJRバス界川2丁目停留所のすぐ横に鎮座しています。目立たない場所にあるため、見落としてしまわないようご注意ください。記念碑は「上田校長頌徳...
旭展望台の「樺太記念碑」―北方への思いは消えず(北海道小樽市)
北海道小樽市の市街地西部にある「旭展望台」に登りました。こちらには小樽市街地を一望できる展望所があるだけでなく、かつてロシア人に侵略された樺太(南樺太)をしのぶ「樺太記念碑」が置かれています。今回は樺太記念碑を中心に、展望台周辺がどうなっているのか調べてみました。天台宗浅草寺旭展望台の麓は住宅街になっています。日銀通りから坂を上り続けると、突き当りには天台宗浅草寺が鎮座していました(写真上)。カト...
福岡県宗像市・岡垣町を分けるようにそびえる「四塚連山」は、その低さと立地から、縦走登山の定番地として親しまれています。これまで城山・金山・孔大寺山に登ってきましたが、残る一つ「湯川山」は未登頂でした。昔、垂見峠から登山したという家族の話によると、「頂上からの景色が素晴らしい」とのこと。好天続きの某日、絶景を求めて湯川山に登ってみました。目次1 今門登山口からスタート!2 登山口~弥勒尾峰3 弥勒尾峰...
地面グチャグチャ...2月の千歳市街地をぶらり散策(北海道千歳市)
2月の北海道は一面雪に覆われています。どこを見ても真っ白で、逆に雪のない場所を探す方が難しいかもしれません。始めて冬の北海道を訪れましたが、本当に凄い。南国育ちの筆者にとって、北海道や北陸の雪景色は珍しい風景です。見たら「きれいだな」「美しいな」という感情が先行しますが、いざ現地で生活するとなれば話は変わってくると思います。今回は北海道千歳市に入り、市中心部をめぐっていきます。2月中旬の北海道はまだ...
2004年夏に訪れて以来、およそ15年ぶりに新千歳空港を訪れました。今回は北海道らしい光景を重視しながら、飛行機を来て&見て&撮ってみます。福岡から飛行機で新千歳について早々、隣のエプロンに「エア・ドゥ」のラッピング機が止まっているじゃないですか!個人的に一番見ておきたい会社の機体でした。この「エア・ドゥ」は北海道を拠点とする航空会社ですが、福岡には就航していないため、これまで見たことがありません。まさ...
僕は常々、官民双方の北方領土啓発に強い不満を持っています。その理由は言うまでもなく、ロシア人国家による樺太不法占拠に屈服し続けているばかりか、南千島(北方四島)に関しても、領土問題解決より相手国との親睦に重きを置いており、失地回復への執念が一切見えないからです(本末転倒だろうがと)。ご当地キャラフリーク兼イラストレーターとして、この問題にキャラ業界が関わっている件は、ずいぶん前から存じています。あ...
ゆるキャラ®グランプリ2016in愛顔のえひめ(3)―貴公子ちりゅっぴの巻
愛媛県松山市で開催された、「ゆるキャラ(R)グランプリ2016 in愛顔のえひめ」の会場内を散策していきます。グランプリ常連からレア度の高い中小団体のマスコットまで、幅広い場所から多くのマスコットが参加しています。11月5~6日,「吉祥物大賽2016 in愛顔之愛媛」擧行了在愛媛縣松山市。今次走走會場裡,把過100體的當地、公司吉祥物着眼。「にゃんよ」(愛媛県)の特設ブースが見えてきました。このマスコット自体は別のブース...
斉召南『水道提綱』巻二十四「大長島」を読む(2=完)―樺太東海岸編
中国文献から樺太地理を読み取るべく、斉召南『水道提綱』巻二十四「大長島」にあたる箇所を読んできました。今回は樺太東海岸の記述にについて、地名抽出や解説を入れたいと思います。青枠内は白文、赤枠内は書き下し分です。また、白文地名にはピンインも併記しています。東海岸の地勢について(郭多和以北)▲樺太東海岸・郭多和以北の地図(入力地名は推定箇所を指したもの)東流入海者有九。自白和必河源而東隔山為郭多和(Guo...
斉召南『水道提綱』巻二十四「大長島」を読む(1)―樺太西海岸編
ロシアによる実効支配が続く北方領土「樺太」について、今日の日本人が知る機会はごく限られています。かりに知る機会があったとしても、それはたいていロシア寄りのバイアスがかかったものでしょう。なおかつ政府が領土問題を実質棚上げしているため、そこで問題意識が問われることは殆どありません。あたかも、ロシア(当時のソ連)が正当な手段で樺太南部を獲得したかのように思わせる、ミスリードを誘発する情報が氾濫していま...
アイヌを介して行われた山丹交易。樺太を経由し、大陸(清)から、錦やガラス玉が齎されました。ですが、当時のアイヌは読み書き算盤、一切できません。交易相手の山丹人に対し、多額の負債を抱えていました。19世紀初頭、蝦夷地が幕府直轄領となった際、松田伝十郎が、山丹交易の改革を行います。アイヌの負債を、幕府が肩代わりしてくれたんです。※引用(漢数字→アラビア数字) サンタンやスメレンクルたちの白主の日本側交易...
今回は福岡県福津市の勝浦地区にある空間神社をめぐります。同神社が鎮座する勝浦地区は、昭和30年代まで宗像郡勝浦村の一部でした。中でも神社近辺は旧勝浦村の伝統的な中心地で、福津市立勝浦小学校も立地しています。小学校の北には本村集落が、南には古賀集落が隣り合い、うち古賀地区に同神社は鎮座しているのです。▲空間神社全景鳥居は入口と末社前にそれぞれ1基あります。入口から向かって右側には古賀公民館が、左側には藤...
本日2月7日は北方領土の日だそうで。 制定された理由を外務省のページより抜粋しました。 1855年2月7日,日本とロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も,択捉島,国後島,色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は,一度も他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。 政府、北方領土問題に対する国民の皆様の関心と理解をさらに深め、返還運動のいっそうの推進を図るため、「日魯通好条約」が調印された2月7日を「北方領土の日」に制定しました。…
年末が刻々と迫っています。毎年恒例、一年総まとめの時間がやってきました。タイトルを見て「あれ?」と思ったあなた、するどい勘の持ち主ですね。それと、毎年見てくださっていることに厚く御礼申し上げます。これまでの総まとめでは、中国の歴史書でいう「編年体」形式でお届けしてきましたが、あまりにも「よくない出来事」が多すぎたので、今回は記事を問題ごとに分けたいと思います。想定内だったロシアの暴走記念すべき第一...
今回お届けする旧大島砲台は宗像市沖の離島・大島の北端部にあります。島最大の集落と港がある島南部から循環道路に入り、切り立った断崖絶壁を避けるようにして進むと、牧場・砲台跡に入る小道が見えてきます。小道をさらに進むと、それまでうっそうと茂っていた森林が開け、広大な牧草地に移り変わります。今回お届けする砲台跡は、牧歌的風景のど真ん中に位置しています。海が荒れた日は強い潮風がおし寄せるこの地も、波が穏や...
川村家 家系図捏造 ビッキと縁戚 道新使って 虚偽情報……砂沢と砂澤で、たまたま苗字が似ているからって、「ウチから娘(クラ)を嫁がせた筈だ~!」と粘着される。怖いですねぇ、気持ち悪いですねぇ。ストーカーですねぇ(-。-; 砂沢クラと砂澤陣は親戚じゃない:道新のガセネタ (2022/11/09) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2296.htmlさて、6本目になりました。狂歌まとめ記事をお送りします。ちなみに、カテ...
樺太ししゃも、カラフトシシャモ、違いがわかる人は多いのか少ないのかわからない。たっぷりしらすご飯
どうも、毎日の夜ごはんに迷いを見せる二児パパの達也です。 自分だけならね、なんでもいいんですけどね。子供たちのことを考えると半分テキトーで半分はバランスくらい…
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【8/1槵生間~23大泊(完)】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。34回目となる今回は、岡本一行が槵生間(久春内)から輪荒を経由して、大泊に帰還するまでの行程を読み進めていきます。今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、樺太問題を再認識しようという狙いのもと、熟読を開始しました。あれから半年以上が経ち、北樺太の地理情報を掲載する中で、日本人があまりにも北樺太に対して無頓着なのに気づきました。...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第33回目)【7/27鵜城~30槵生間】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。33回目となる今回は、岡本一行が鵜城を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/27 鵜城~突岨:やまない大しけ二十七日、北風に乗りて発す。土人の男女の送る者、甚だ衆し。連日風雨あるも、此に至り始めて霽る。四顧すれば洗ふがごときなるも、波面未だ静かならず。行ゆく突岨を過ぐ。風勁きに会ひ、俄かに舟を...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第32回目)【7/23南安~26鵜城】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。32回目となる今回は、岡本一行が南安(北名好)を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/23:南安~牛苫内(7/24~26:鵜城)二十三日、天陰にして南風あり。払暁に即ち発す。三岬を過ぎて鵜城(ウショロ)に達す。此の際の山脉、海を距ること稍や遠し。一望すれば樹木蒼然たり。午牌、石鳥(イシトリ)を過ぐ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第31回目)【7/20~22 南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。31回目となる今回は、岡本一行が南安に滞在するシーンから読み進めていきます。南安はのちに北名好と呼ばれる場所で、樺太庁の行政区分でいうところの恵須取支庁名好町にあたります。▲今回の滞在地7/20:ロシアとの共存を望む男に会う二十日、南風ありて波高し。散歩して夷戸に過る。往年、邪智去夫の掠せる所の蝦夷三家、一は則ち鵜城(ウショロ)に帰る。...
アイヌ先住民族説を否定したい一心で、保守系言論人・活動家が叫んでいます。「日本の先住民族は縄文人ダー!」しかし、沖縄には縄文時代がなかった。その論法で、日本国を守れますか?※新版 日本人になった祖先たち/篠田謙一著/NHKbooks1255(p196)……ご覧のように、沖縄以南には縄文時代がありません。旧石器時代においても石器は殆ど見られず、貝器の文化でした。昨今は、沖縄本島辺りまでは、本土の縄文文化からの影響を受け...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第30回目)【7/18幌子谷~19南安】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。29回目となる今回は、岡本一行が近涸の海岸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/17 幌子谷~北緯50度南方十八日、将に発せんとするも、夷戸に過ぐ。土人多く寿女連夷の状を為せり、しかれども其の言は則ち蝦夷なり。蓋し此の際の蝦夷にして寿女連を娶る者、此のごときならんと云。一婦有りて鵜城の産なり。...
現代のアジア人、どれだけ縄文人と近縁?現代人とのつながり:得られた手がかりと謎※一部引用、改行を加えました 今回改めて,現代のヤポネシア人に縄文人のDNAが残されているのか,推定した。その結果,本土日本人(東京)では1割程度,沖縄本島では3割弱,アイヌでは7割弱と推定された。これは前述の埴原の二重構造説と矛盾しない。やはり我々ヤポネシア人は縄文人の遺伝要素を受け継いでいるのである。では,縄文人と関...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第29回目)【7/17近涸~幌子谷】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。29回目となる今回は、岡本一行が近涸の海岸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/17 近涸~幌子谷十七日、南風ふきて波有り。直に南すること半里、乃ち亜多華(アタゲ)に達す。一河有り、落石に比すれば稍や小なり。河傍に土人の五家あるも、皆な鷺毛隖に往漁せば一人を見ず。顧みて過ぐこと里余、地勢 巳...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第28回目)【7/16荒子井~近涸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。28回目となる今回は、岡本一行が荒子井を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/16 荒子井~近涸十六日、天色清澄にして海水 鑑むべし。鱒の水底を行くを見る、極めて饒(おお)し。衆 為に注視すること徐徐なり。枻を皷し南且つ西すること里余、落石(オッチシ)に達す。河有り、広さ約そ三十間、深さ四・五尺...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第27回目)【7/14戸塚~15荒子井】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。27回目となる今回は、岡本一行が戸塚(後戸岬)を出発するシーンから読み進めていきます。これから進む地域は、スメレングルの居住地域にあたりますが、所々にアイヌ語地名が残っています。ここからが『窮北日誌』の最終章というべきでしょう。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/14 戸塚~割績十四日、北風・微陰あり。岸に傍ひて西行すること里許...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第26回目)【7/11輪藉~13戸塚】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。26回目となる今回は、岡本一行が輪藉を出発するシーンから読み進めていきます。日本列島(樺太)とユーラシア大陸は、この辺りで最も近接しており、この狭窄部は一般的に「間宮海峡」と呼ばれています。これから大陸を間近に見つつ、樺太西海岸を南下していこうというのが、これから読んでいく話の大筋です。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/11 ...
『樺太脱獄記』(ウラジミール・ガラクティオノヴィチ・コロレンコ、訳=森林太郎、青空文庫)
『Die Flüchtlinge von Sachalin(ドイツ語訳の題)』(Vladimir G. Korolenko) シベリアのヤクーツク地方の山...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第25回目)【7/8与市這隖~10輪藉】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。25回目となる今回は、岡本一行が与市這隖を出発するシーンから読み進めていきます。これから南下する樺太西海岸は、海峡を隔ててロシア支配地と接している関係で、東海岸よりもロシアの影響力が強めです。その中で先住民がどう暮らしているのか、僕なりに紐解いてみようと思います。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)7/8 与市這隖~寄血霧:間宮林...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第24回目)【7/5品馬戸~7与市這隖】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。24回目となる今回は、岡本一行が品馬戸を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)今回はいつもよりも集落密度が高いので、高精度の地図を用意しました。後代の地図をいくつか参照しつつ、極力正確になるよう記載したつもりです。7/5 品馬戸~羽吹戸:巨大湖の間を進む初五日、晴れて風無し。まさに発せんとするに...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第23回目)【6/29松毛鵞小門~7/4品馬戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。23回目となる今回は、岡本一行が松毛鵞小門に滞在するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/29~7/2 松毛鵞小門で雨をやり過ごす二十九日、雨漸く歇む。風力愈いよ厲し。是日も又た夷戸に過る。戸中の男女、吾輩を迎へて草実乾魚等を供す。必ず好否如何を問ふ。乃ち煙草一小撮を与へて去る。七月初一日、北風ありて雨...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第22回目)【6/26鵞小門岬~28松毛鵞小門】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。22回目となる今回は、岡本一行が鵞小門岬を出発するシーンから読み進めていきます。これから進むのは、樺太最北部にあたる地域です。鵞小門岬を過ぎて方角を南西に変え、まずは鵞小門の村に移動しました。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/26 鵞小門岬~鵞小門二十六日、濃霧あること四合なり。払暁に発し、西南を指す。霧の霽るに会ふも、余靄 ...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第20回目)【6/17弁連戸~22泥生戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。20回目となる今回は、岡本一行が弁連湖畔を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/17 音沓戸に到達する十七日、陰・風あり。蝦夷皆な発せんと欲すも伝九郎悦ばず。余、蝦夷に従ひ、乃ち行く。浜海・沙汀平垣にして、岡阜断続す。乾位向きて走る。遥かに正北を望むに、山脉横亘にして、雲外に三峰の駢列せり。是...
今回も稚内公園に泊まりました。日が傾き、像がライトアップされ・・・樺太でのこと・・・繰り返されてはならないと何時も以上に思いました。クリックしていただけると^^≫≫≫【ブログ村】Thankyouforviewingmypicture.Pleaseusemypictureifyouwant.Pleaseclickortap.Linkedto≫≫≫【ほたるの店】≫≫≫ほたるの呟き氷雪の門・・・
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第19回目)【6/10~16 弁連戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。19回目となる今回は、岡本一行が茶江を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/10 満洲の食器を見る十日、夷戸を過ぐ。貧窶・臭穢なり。蓋し蝦夷は皆な席(むしろ)有るも、肉分・小六子は則ち之無し。肉分夷の室に居するに、板上に水豹の皮、もしくは大皮裘を鋪きて臥したり。器物も亦た、甚だ備はらず。鍋・釜...
岡本監輔の樺太旅行記 『窮北日誌』を読む会(第18回目)【6/8茶江~9弁連戸】
樺太北部をフィールドワークした岡本監輔の旅行記『窮北日誌』を読む会。18回目となる今回は、岡本一行が茶江を出発するシーンから読み進めていきます。▲今回の巡検ルート(矢印が読み進める行程)6/8 茶江~鰭持歯八日、潮を候して行く。潮未だ満たざるも、舟を盪して前(すす)む。湖の東西、相ひ距ること一里ばかり。西北の平山際無く、樹木蒼然たり。唯だ見るは、天外に一、二の峯尖を露はすのみ。湖西の山に倚りて、小六子夷...
夢が丘展望台撤収の次はちょっと前から気になっていました標津線廃線跡の一つ西春別駅跡の鉄道記念公園を訪問してきました。ホームページはこちら鉄道記念公園残念ながら到着は17時を回っていたので屋内の展示を見ることは出来ませんでしたが、逆に静態保存機の方はゆっくりと眺めることが出来ました。2022年 6月これはどうやら西春別駅を模しているようです。ホームにキハ22がただずんでいる様子になっています。周りも丁寧に...