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長さ:~10分 / レベル:応用 / 重要度:まずまず 漢文でも早く高得点を得たいということになったら、やっぱり「単語(漢字の読み)」・「文法(句法)」だけでなく、「最低限の常識」が必要になります。
ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。 『老子』第二章より 聖人・・・・・・万物作而弗始也、為而弗恃也、成功而弗居也。夫唯弗居、是以弗去。 万物を作りて而して始めとせず、為して而して恃まず、功を成して而して居らず。夫れ唯居らず。ここを以て去らず。 訳「万物を自...
長さ:~15分 / レベル:共テ / 重要度:超重要 2024年共通テスト・国語第4問(漢文)の解法実況中継を行っています。今年の漢文は前半は基本的な問題ですが、最後の配点の高い2問がトリッキーでした。
漢文の勉強は多くの高校生にとって課題となることがあります。 しかし、漢文の基本となる句法を理解し、マスターすることは、漢文の学習を効果的に進める鍵となります。 ここでは、高校生向けに必須の漢文句法に焦点を当ててみましょう。
漢文は中国の古代文学や哲学を理解し、古典文化の奥深さに触れる機会です。 しかし、漢文は漢字を使った独特の文法や表現方法を持つため、難しいと感じることもあると思います。 ここでは、漢文の勉強法についてのヒントを共有します。 漢文を楽しみながらマスターしましょう!
先日の神戸婦人大学の講座は「★源氏物語」入門★「源氏物語」は 紫式部が約10年をかけて完成させた54帖からなる長編小説🍀主に「漢文」で書かれた男性の文章とは違い「ひらがな」を使って書かれています当時 和歌をたしなむ貴族女性が増え「ひらがな」が急速に広まったそうです🖌️あらすじは天皇と「桐壺の女御」の間に生まれた主人公「光源氏」が美しく成長し学問にも音楽にも才能を発揮するという物語✨主人公の光源氏を通して 恋...
高校では「漢文」の授業がありました。「国語」という枠組みの中で中国の古典を学ぶというのは不思議だなあと、今も昔も思っています。中国の古典、そしてそれを日本語として読めるように工夫した「漢文」は、日本語をより深く知るために欠かせないものだということなのでしょう。 漢文の授業では、杜甫(712ー770)や李白(701ー762)の詩、「論語」などを読んでいたかと思いますが、これらは、古文の授業で読んだ「源氏物語…
共通テストには漢文も出ます。200点満点中40点。 「漢文早覚え速答法」でなら、夏休み中にサラっと読めます。 「基本句形とよばれるパターン化された表現10と漢…
「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
行錄(22)「誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅卻」(吾の正法眼蔵が、この目の見えない驢馬のところで滅んでしまうとは)「臨済録」より
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
行錄(21)「勝即總勝、負即總負」(勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け)「臨済録」より
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
行錄(20)「官不容針、私通車馬」(公には針をも通さずとも、裏では馬や車が勝手に通り抜けています)「臨済録」より
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
行錄(19)「祇圖踏破草鞋」(ただ草鞋をすり減らそうとしているだけです)「臨済録」より
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
行錄(18)「老僧祇與麼」(老僧はただこんなものだ)「臨済録」より
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
行錄(17)「一箭過西天」(一箭(矢)は西天に飛び去った)「臨済録」より
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
行錄(16)「作家禪客、宛爾不同」(なるほど一家をなした禅客は、他とは違う)「臨済録」より
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
行錄(15)「慈云、作麼」(大慈和尚が言った、なにを言っているのだ、と)「臨済録」より
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
行錄(14)「金牛昨夜遭塗炭、直至如今不見蹤」(金牛は昨夜炭で塗りつぶされてしまい、まったくその痕跡も見ることはできません)「臨済録」より
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
行錄(13)「不展鋒鋩、如何得勝」(切先を交えることなく、どのようにして勝ちを得られるでしょうか)「臨済録」より
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
塾の宿題も母の宿題も同じと決めた話 g3です。 ひとり設計事務所を営みます。 ヒトは怠けるイキモノだと 母とチカラ子が自負しています。 そんな母だからこそ 高3になっても 声かけしています。 音読 だって 塾だって宿題で音読 宿題ではなくてもやるヒトはやる 宿題だってやらないヒトはやらない 宿題ならやるヒトもいる そして 間違いない音読 だったら 怠けるイキモノ母が 怠けるイキモノチカラ子に やや荒手の音読声かけ=宿題 ・英語音読 ・漢文音読 ⤵勉強報告会で約束した音読です。 g3archi.com 定期考査中はせっせとやっていましたが 終わった途端に音読も休息 その後サボり気味 人間なんてそ…
行錄(12)「師云、佛祖俱不禮」(師は言った、仏祖ともに礼拝しない、と)「臨済録」より
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
行錄(11)「已後坐卻天下人舌頭去在」(将来、天下の人々の舌頭を押さえて座り込むこともあるだろう)「臨済録」より
黄檗は、自らのもとから独立しようとする臨済に、百丈和尚から受け継いだ禅板と机案を渡そうとします。 しかし臨済はそれを燃やしてしまおうとします。 臨済は、物を受け取ることを法の伝授の証にするようなことはしたくなかったのかもしれません。
行錄(10)「汝向後北去」(あなたはこの先、北へ向かうといいでしょう)「臨済録」より
臨済は黄檗のもとで修行をしていましたが、大悟するためには大愚と出会う必要がありました。 大悟の後、自らの禅風を確立するためには首座とともにする修行が役立っています。 さらには、普化との出会いもとても大切なのですが、そのきっかけは溈山と仰山のもとを訪れた時に与えられています。 臨済の修行は、この
行錄(9)「賊是小人、智過君子」(賊は小人ですが、その智は君子以上ということでしょう)「臨済録」より
黄檗が持っていた鍬を臨済がさっと取り上げてしまいます。 この場面は、どのようなことを私たちに伝えようとしているのでしょうか。 溈山にその意味を問われた仰山が答えます。 鍬を取り上げた者はまだまだ小人だが、その知恵は十分で君子以上です、と。 ここでもやはり、その後の臨済の活躍を予言しているよう
行錄(8)「兩彩一賽」(一度の勝負で二度勝ち)「臨済録」より
臨済は僧堂で居眠りをしています。 一方の首座は僧堂で坐禅を組んでいました。 そのどちらもが、黄檗を相手にして動じる素振りを見せません。 後に、仰山が言います。 この場面では、二度の勝ち目が出ている、と。 それはどのように解釈したらいい言葉でしょうか。 黄檗は二人の良き後継者を得た。 そ
行錄(7)「首座云、知即得」(首座が言った、それを知っているならまあいいでしょう、と)「臨済録」より
臨済は、黄檗が来たのに気づいて、目を閉じました。 その様子に黄檗は恐れをなしたようにして、方丈に帰ります。 黄檗の後について方丈に行った臨済は、黄檗に礼拝します。 自分を認めてくれた黄檗に感謝を示しているようです。 黄檗はまだ若い臨済の資質を認めていました。 そのような黄檗と臨済の振る舞い
行錄(6)「正賊走卻、邏蹤人喫棒」(賊本人は走り去り、取り締まりの警邏が棒をくらったようなものです)「臨済録」より
臨済は、黄檗の棒の一打をとらえ、押し返して、黄檗を倒してしまいます。 黄檗を助け起こした維那(いな:僧堂に集まった僧たちの取りまとめ役)が、かえって黄檗の一打を受けてしまいます。 これを後に溈山と仰山が話題にしています。 賊本人はその場から逃げてしまい、残っていた警邏が棒で打たれたようなものだ
行錄(5)「師侍立德山次、山云、今日困」(師が徳山のそばに立っていると、徳山が言った、今日は疲れた、と)「臨済録」より
徳山は坐禅を終えて、疲れた、と言ったのでしょうか。 それを聞いた臨済は、徳山がなにか寝言で言ったぞ、と返します。 徳山は臨済を打ちます。 臨済は徳山が腰を下ろしていた坐禅用の椅子をひっくり返します。 徳山は、その時、一緒にひっくり返ったのかもしれません。 そのまま徳山は居眠りでも始めたので
行錄(4)「深山裡栽許多作什麼」(こんな深山の奥に松を数本植えて、それでなにをしようというのか)「臨済録」より
黄檗は、岩山に松を植え、後に続く人たちのための道標にするというのを聞き、臨済の修行の到達点を見たのかもしれません。 松は、紅葉樹が散った後も葉を残すもの。 そのような松の木を、黄檗のもとで育てたのは臨済である。 後の人たちは、臨済の業績を松の木に見立てて書き残した。 そのようにも読み取れる文
行錄(3)「非但騎虎頭、亦解把虎尾」(虎の頭に乗ったばかりか、虎の尾まで捕まえていたのです)「臨済録」より
臨済は、黄檗が大愚に一撃を喰らわせたいものだと言うのを聞いて、それならこの場で喰らえと平手打ちをします。 黄檗は臨済の変化や成長をそこに見たのでしょう。 侍者に、臨済を参堂に連れて行かせます。 そのあとに溈山と仰山とのやり取りが書かれています。 臨済は虎の頭に乗っただけではなく、尻尾も掴まえ
行錄(2)「元來黃檗佛法無多子」(もともと黃檗の仏法にややこしいことなどなかったのだ)「臨済録」より
臨済が黄檗に仏法の根本義を尋ねたところ、黄檗はただ棒で打っただけでした。 それを大愚に話したところ、大愚は、黄檗は老婆のような親切心で教えているのだ、と説明します。 その言葉を聞いたとたんに、臨済は大悟します。 このときから、臨済は自身の禅風を発展させるようになります。
行錄(1)「汝向高安灘頭大愚處去、必為汝說」(高安灘頭の大愚の所に行け、必ず汝のために説いてくれるだろう)「臨済録」より
首座は、まだ若い臨済に、将来性を見ていました。 その言葉を理解した黄檗は、自分のもとを去ろうとする臨済に、大愚の所に行け、と言います。 臨済は黄檗と大愚との間を行き来することで大悟します。
勘辨(22)「祇聞空中鈴響、隱隱而去」(ただ空中に響く鈴の音が、ありありと耳の底に聞こえ、それが遠ざかって行くのみであった)「臨済録」より
陰々と鈴の音が聞こえ、それが遠ざかっていく。 そのようにこの「勘辨」編は終わります。 「勘辨」で語られたことから、私たちはどのようなものを感じとれたでしょうか。 それを振り返るとき、耳の奥で微かに響く音が聞こえているような気がします。 そして、それは次第に遠ざかっていきます。
勘辨(21)「徑山五百衆、太半分散」(径山にいた五百人の僧たちは、その大半が立ち去ってしまった)「臨済録」より
径山のもとに着いた臨済は、挨拶もせず、旅装を解くこともなく、振り向こうとする径山に一喝を浴びせます。 径山が一言を発するひまも与えず、臨済はその場から去ってしまいます。 そこでなにが起こったのか。 それを問う僧に径山は答えます。 「あの男に直接聞いてみろ」 それで多くの僧たちは径山のもとを
勘辨(20)「肯即深肯、要且無祖師意」(認めることはとても深く認めているのだが、つまりはそこにも祖師西来意はないな)「臨済録」より
還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
臨済が説く四種類の喝を整理すると次のようになります。 ・金剛王の宝剣:ズバリと本質に切り込むもの ・金毛の獅子:迫力で身の危険を感じさせるもの ・見せかけの餌:チラチラ見せておびき寄せるもの ・役立たずの一喝:ただの大声 臨済はこれらの喝を、使い分けているということでしょうか。
勘辨(18)「定方禮拜、忽然大悟」(定上座は礼拝をしたその時、忽然と大悟した)「臨済録」より
定上座は臨済に祖師西来意、つまり仏法の根本義を問います。 臨済は言葉で返さずに、定上座に平手打ちを与えます。 礼拝をしないのかと側にいた僧に言われ、礼拝をしたときに大悟します。 麻谷は十二面観音の顔の中でどれが正面を向いているのかと問います。 臨済は立ち上がり、麻谷をつかまえて十二面観音
勘辨(17)「州便問、如何是祖師西來意」(そこで趙州は問うた、如何なるかこれ祖師西来意、と)「臨済録」より
趙州は、たまたまどこかへ出掛けた先から戻ったところの臨済に会います。 そこで、いわゆる「祖師西来意」を問います。 祖師西来意とは、達磨大師はどうして中国に来たのか、という質問ですが、これは同時に仏教(禅)の本義はなにか、という問いでもあります。 臨済は、今帰って来たところで、足を洗っているのだ
勘辨(16)「覺云不審」(大覚は言った、ごきげんよろしゅう、と)「臨済録」より
臨済は大覚を呼び出し、お前は先ほど、あいさつをしなかったのか、と問います。 大覚は、即座にあいさつをして下がります。 そのあいさつは、二人の間の親しさのようなものの表現ではなく、むしろ「なんでもない」ということを意味しているように思えます。 そして、そのような振る舞いこそ、臨済が求めていたもの
勘辨(14)「普便喝。師乃打。」(楽普はそこで一喝した。師はすぐに打った。)「臨済録」より
「ある者は棒を用い、またある者は喝したものだ。お前はいずれかを自らのものにしたか」 臨済の問いかけに、楽普はまだどちらも自らのものになっていないと答えます。 その次の瞬間、臨済と楽普は一棒と一喝を交わします。 この短い対話は、まるで剣術の立ち合いをみているようです。 一瞬の隙をうかがって
勘辨(13)「如何是露地白牛」(露地の白牛とはなんだ)「臨済録」より
露地白牛とは、仏教の故事に由来する言葉です。長者が子供たちを火から救うために、白い牛が引いた車を用意し、子供たちはその言葉に誘われるように外に出ます。露地は仏教者が集まって修行をする場所、白牛は仏であり、仏教者が求めているもの、と解釈されます。二人は、その露地白牛について、それぞれ「モー、モー
勘辨(12)「金屑雖貴、落眼成翳」(金の屑は高貴だといっても、眼に入れば翳りとなります)「臨済録」より
仏や祖師というものは高貴なもの、僧たちが目指すべきものかもしれません。しかし、それを目の前に置いて、それに達するべくここで過ごしているのであれば、それは僧たちの目にはただの翳りを生じる邪魔ものになるのではないか。それは、普段の臨済の言葉とは矛盾があるように思われます。そこを王常侍は言っているように読
勘辨(11)「道得也三十棒、道不得也三十棒」(言い得たとしても三十棒、言い得なくても三十棒)「臨済録」より
德山は、言い得たとしても三十棒、言い得なくても三十棒と言いました。しかし、楽普とのやり取りでは、棒で打つことをやめ、方丈に戻りました。臨済は、德山を「なかなかやるものだ」と評価しました。一方で楽普は、自分自身の経験から何を学んだのか、速やかに言うことはできませんでした。それで臨済から一棒を受けました
勘辨(10)「適來是汝喝老僧」(先ほど汝はこの老僧に一喝したのか)「臨済録」より
楽普の「座主、今いるところをどのような場所と思って、同じだと言い別だと言うのですか」は、どのような意味でしょうか。同じ、とか、違う、というのは、区別するときに使う言葉。そのような区別は不要である、と言っているようにも読めます。座主を送って来た臨済に、先ほどの一喝は誰に対したものか、と尋ねられます。
勘辨(9)「師以杖面前畫一畫云、還糶得這箇麼」(師は杖で面前に一線を書いて言った、さて、これも売ることができるか、と)「臨済録」より
臨済録の一節「院主は、臨済の「どこに行ってきたのだ」という問いに、「街中でもち米を売ってきました」と答えました。 それに対し、臨済はさらに、地面に杖で線を一本書き、「これは売ることができるか」と尋ねます。
将校と臨済のやり取りから、いくつかのことが読み取れます。 まず、将校が答えなかったことには、理由があるかもしれません。臨済の話をすでに聞いたことがあれば、「聖か凡か」という問いに簡単に答えるべきではないと考えたでしょう。あるいは、ただ戸惑っただけかもしれません。 次に、臨済は将校が答える前に、さ
勘辨(7)「官馬相踏」(立派な馬同士の蹴り合いだ)「臨済録」より
老和尚が臨済に尋ねます。そなたに礼拝したらよいのか、しないのがよいのか、と。これはどのような意味の質問でしょうか。臨済が礼拝に値する段階まで進んでいるのか、それともいまだ不十分な段階なのか。そういう、臨済を試すような質問だったのでしょうか。「賊」という言い方がここでも出てきます。これは普化に対しても