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春の京都旅、初日は廬山寺へ↓ 『紫式部が源氏物語を執筆したとされる京都の廬山寺』先日、京都へ行ってきました (転勤先で知り合った元地域猫と会うため、半年に1回…
石山寺。源氏物語の中でも光源氏が訪れていたり藤原道綱の母(蜻蛉日記作者)も祈願に訪れています。紫式部もこの石山寺で源氏物語の構想を練ったと言い伝えがあります。…
滋賀県野洲市喜合のさざなみ街道沿いにに紫式部の歌碑があるとのことで、守山市在住の友人が画像を送ってくれました。「おいつ島 しまもる神や いさむらん 浪もさわがぬ わらわべの浦」 沖の島は、古くから人の心をとらえていた島で、歌に詠まれたり、文学の中にその名をとどめている。 この歌は、紫式部が、沖の島の対岸であるあやめ新田童子が浦のこの地から、遠く沖の島を望んで詠んだものと言われている。 平成五年三月...
人生初の御朱印を頂きました。並ばず頂けたのが幸いしました。バスツアーに便乗し源氏物語由来の石山寺、大河ドラマ館〜源氏物語ミュージアム〜宇治橋〜平等院へ大満足の…
「枕草子『香炉峰の雪』は第何段なのか問題」NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ていたら、来週の予告で中宮定子が「香炉峰の雪」と言ったところで番組は終わった。有名な…
「光る君へ」の舞台・平安京が大内裏跡の近くで学べる施設♪ ~京都市平安京創生館~
平安時代をしっかり学べる「京都市平安京創生館」という展示コーナーがあります。展示範囲は狭いけれど、平安京の大きな模型があるのでも知られており、この模型目当てに来られる方が多いですね。京都の千年前の暮らしや風景を知るには欠かせない場所となっています♪
多宝塔からさらに上に上がっていくと、見晴らしの良い所に出ます。「近江八景 石山の秋月」で描かれており、瀬田川の光景を眼下に望むことができます。月見亭保元年間、後白河上皇の行幸のために建てられたといわれています。光堂平成20年(2008年)石山を発祥の地とする東レ(株)によって寄進されました。本堂と同様懸造りになっています。光堂の周りでは、早咲きの桜に出会えました。紫式部の像源氏苑の一角にあります。紫式部は、...
三十八所権現社本堂のすぐ東側にある鎮守社で、現存する文献などから慶長7年(1602年)に淀殿により再建されたものと考えられています。祭神は、神武天皇から天智天皇までの38代の歴代天皇。経蔵石山寺一切経や校倉聖教などの文化財を収容してきた校倉造の建物。屋根は瓦葺で、校倉造では珍しい切妻造となっています。紫式部供養塔石山寺で『源氏物語』を起筆した紫式部の供養塔。鎌倉時代に作られた石造の宝篋印塔で、その傘が三...
NHK大河ドラマ「光る君へ」:香炉峰の雪、いかならむ雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに、「少納言よ、…
石山寺の本堂へと続く階段を上っていきます。本堂正堂と礼堂が幅一間の相の間で繋がれていて、礼堂は急な斜面に造られているため、懸崖造になっています。懸崖造で有名なのは、京都の清水寺の本堂ですね。正堂は、承暦2年(1078年)に半焼した後、永長元年(1096年)に再建され、礼堂は、慶長7年(1602年)淀殿の寄進によって建てられました。本堂にある「源氏の間」は、紫式部が『源氏物語』の構想を練り、書き始めた場所と伝えられてい...
先日、京都へ行ってきました (転勤先で知り合った元地域猫と会うため、半年に1回訪問) その際に参拝したのが、廬山寺↓ 紫式部の邸宅址で、源氏物語を執筆した場所…
年金支給日。私がもらってるのは、特別支給の老齢厚生年金、少ないけど生活の糧。 振込金融機関へ行き記帳、固定資産税一期分納付して来ました。 1年分の支払いを全て…
おつかれさまです。 トイレに行くとき、 「厠(かわや)に行ってきます」 と言いたくなるほど 大河ドラマにどハマリ中 の腰掛けOLです。 先週、滋賀県大津市にある『石山寺』に行って来ました! 4月14日放送の『光る君へ』第15回「おごれる者たち」にも「石山寺」のシーンが登場しました。 石山寺とは 紫式部ゆかりの寺 石山寺の桜 月見亭と桜 アクセス 石山寺とは 滋賀県大津市にある「石山寺」は、奈良時代に創建された寺。 「石の山の寺」という名前の通り、大きな石の上に位置しています。 迫力のある硅灰石(けいかいせき)は、国の天然記念物に指定されています。 そして、「石山寺」はとにかく広い! 伽藍山とい…
タイトルは「おごれる者たち」。今回もまた、作中で2年が過ぎましたね。前回と合わせるともう6年、道長とまひろは他人のふりしてすれ違ったぐらいで、文のやり取りどころかまともに会話もしてないのかあ。まあ史実..
平安時代の人々は、霊験あらたかな石山寺の観音様に会いに行くのが大きな楽しみでした。藤原道綱母もその一人で、『蜻蛉日記』には朝早く都を出て、逢坂(おうさか)の関を越えて近江に入り、打出浜から舟で琵琶湖から瀬田川へ進み、夕方頃に石山寺に入ったと記されています。まさに一日がかりの石山詣だったようです。逢坂の関打出浜大河ドラマ館を出て、境内を散策していきます。明王院の前には、比良明神影向石があります。ここ...
~基礎情報学習帳:おごれる者たち~ NHKの大河ドラ「光る君へ」は「源氏物語」の作者・紫式部が主人公の物語です。これまでの大河ドラマでの見どころは合戦シーンでしたが、この「光る君へ」では平安朝の宮廷が舞台。煌びやか平安時代の貴族社会を描きます。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜いよいよ時代が変わるか?ってことで第14話の感想ぉ!まひろは道長と偶然、会いました。まぁ、道長の妻、倫子に会い…
石山寺では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」と「源氏物語 恋するもののあはれ展」の2つの展示を見学できます。明王院では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」を開催中。ドラマに登場する衣装や小道具、撮影の裏側を知ることができるパネルなどを展示。まひろとききょうのフォトスポット「光る君へ」の台本 まひろが書き写した後撰和歌集キャスト・スタッフのインタビューなどの映像を4Kシアターで上映。世尊院では、...
【光る君へ】#14 兼家没、遠ざかったまひろと道長は各自もどかしい空回り
前回ブログについての反省 NHK大河ドラマ「光る君へ」第14回「星落ちてなお」が4/7に放送され、オープニングのトリを飾っていた藤原兼家(演・段田安則)が没した。ここまで公の硬派的な物語を引っ張ってきた功労者、まだまだ居てほしかったが・・・そんなことを言ったら、いとに叱られるか。 まずはあらすじを公式サイトから引用しよう。 (14)星落ちてなお 初回放送日: 2024年4月7日 仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納…
京阪石山寺駅から瀬田川沿いを歩くこと10分。石山寺の東大門に着く直前に「朗澄大徳ゆかりの庭園」があります。朗澄律師大徳は「石山寺中興の祖」と言われた名僧で、自分の死後は鬼となって石山寺の経典と聖教を守ると誓い、弟子の前に金色の鬼となって現れました。石に刻まれた鬼は、石山寺縁起絵巻に描かれた死後の朗澄律師の姿なのだそう。この庭園を過ぎるとすぐに石山寺東大門があります。東大門仁王門、山門、総門とよばれる...
平安朝の別世界から帰還。源氏物語現代語訳、読了。源氏物語は、山登り、長い長い道のりでした。読んでも読んでもまだ続く、それでも次が読みたくなる。半ばを過ぎると寂…
おつかれさまです。 今週は、滋賀県有数の桜の名所「三井寺」に行って来ました! ちなみに、「三井寺」の夜桜ライトアップは4月14日(日)まで! 今年は開花が遅かったこともあり、まだ桜を楽しめそうです! 「三井寺」とは 紫式部ゆかりの寺 「三井寺」の桜の様子 5分間の貸切拝観 「三井寺」からの景色 名前の由来 琵琶湖疏水の桜 「三井寺」概要 「三井寺」とは 「三井寺(みいでら)」という名で親しまれていますが、正式名称は「園城寺(おんじょうじ)」。 琵琶湖の南西にあり、電車だと京都駅から30分かかりません。 広大な境内には歴史的な建造物が点在していて見どころ満載! 所要時間は2時間程度みてもよさそう…
京阪石山駅から石山寺駅に向かう際、京阪電車の「光る君へ」ラッピング列車に乗車出来ました!側面に紫式部(まひろ)役の吉高由里子さんの姿が見られます。現在のまひろとは衣装もメイクも変わり、よりお美しいですね。つり革も紫電車内も「光る君へ」仕様となっていました。石山寺駅に着くと、駅自体も紫式部ワールドになっています。駅前には、源氏物語のレリーフがあります。ここから石山寺に向かって歩いて行きます。郵便局のポ...
読書記録:絵草紙源氏物語(角川文庫)[田辺聖子]価格:733円(税込、送料無料)(2024/4/11時点)楽天で購入抄訳も抄訳と言うか、もはやダイジェストかジュブナイル版ですが。ようやく「源氏物語」と題されたものを読..
楼門寛永5年(1628年)の建立。玉橋楼門と玉橋片岡橋片山御子神社は、上賀茂神社の境内にある24社ある摂末社の中で第1摂社に定められる神社(通称「片岡社」)で、賀茂別雷大神の母である「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」をお祀りしている神社です。 縁結びの社として女性に人気があります。屋根には二葉葵のご心紋が見えます。紫式部も参拝したと伝わり、片岡社について「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに ...
上賀茂神社の二ノ鳥居を潜ります。二ノ鳥居 上賀茂神社と謡曲「賀茂」 秦氏の妻女の玉依日売が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿しておいたところ、解任して男子を産んだ。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷の神となる。この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社という。 神社は京都でも最も古い神社の一つ。雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の...
#654 『枕草子』第114段に登場した藤原宣孝~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』でまひろの父為時と仲が良く、のちにまひろの夫となる藤原宣孝ですが、第13回の派手な格好での御嶽詣でについて、実は、清少納言が随筆『枕草子』で書いて…
京都市北区上賀茂本山にある上賀茂神社の正式名称は「賀茂別雷神社」といいます。今年も桜の季節にお参りしてきました。創建については諸説あり、社伝では、神武天皇の御代に神山(こうやま)の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えています。弘仁元年以降、斎院が400年にわたって置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕しました。『源氏物語』第9帖「葵」では、女三の宮が新たな斎院となり、第20帖「朝顔」では、朝顔の姫が父...
静かに桜の花見をしながら散策できるのはここ!3(紫式部墓~興聖寺~妙蓮寺~本隆寺~首途八幡宮)
桜のシーズン、京都市内はどこもいっぱいでうんざりしますね。きれいな桜は見たいけど人ごみの中で見るのは疲れます。そこで今回は、桜を静かに見ることができる場所とその途中で立ち寄れる寺社の第3弾をご紹介したいと思います。第1弾、第2弾も一緒に参考にしてくださいね。
静かに桜の花見をしながら散策できるのはここ!1(京都御苑~清浄華院・廬山寺~本満寺~相国寺)
桜のシーズン、京都市内はどこもいっぱいでうんざりしますね。きれいな桜は見たいけど人ごみの中で見るのは疲れます。そこで今回は、桜を静かに見ることができる場所とその途中で立ち寄れる寺社をご紹介したいと思います。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜感想が一回遅れちゃったなぁ〜ってことで第13話の感想ぉ!前回から、なんと4年も経ったところから始まりましたが、…
筋トレや踏み台昇降運動時に、足首に巻いているアンクルウェイト(左右合わせて1Kg)。1個220円の商品とは言え、しょせん百均のものとしては想像以上に長持ちしてくれているのはありがたいんですが。衛生面が..
藤原道綱母の書いた『蜻蛉日記』には、夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についてのの記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦...
~基礎情報学習帳:星落ちてなお~ NHKの大河ドラ「光る君へ」は「源氏物語」の作者・紫式部が主人公の物語です。これまでの大河ドラマでの見どころは合戦シーンでしたが、この「光る君へ」では平安朝の宮廷が舞台。煌びやか平安時代の貴族社会を描きます。
京都市東山区にある大将軍神社は、素盞嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る神社です。この辺りに、藤原兼家の東三条殿はこの周辺にあったといわれています。藤原兼家平安中期の公卿。右大臣師輔の三男。母は武蔵守藤原経邦の女盛子。968年(安和1)兄兼通を越えて従三位に昇り,翌年蔵人頭を兼ねたまま中納言に進んだ。左大臣源高明が失脚した安和の変が起きたのはその1ヵ月後で,兼家もこれに重要な役割を果たしたものと思...
【光る君へ】#13 退場近い兼家、ここでのまひろ&道長の再会は何を意味するか
朝ドラ「虎に翼」も始まって NHK大河ドラマ「光る君へ」第13回「進むべき道」が3/31に放送された。今回は、悲劇のヒロイン定子様が少女らしく可憐にご登場、安倍晴明に寿命を見切られているらしい兼家はすっかり弱って道長を悲しませ、宣孝のまひろへの恋愛感情の覚醒も感じられた。 まひろは「より良き世の中を求め、あなたは上から政を改めてください。私は、民を一人でも二人でも救います」との道長への気持ちを胸に、読み書きできるよう庶民の子どもに字を教え始める。 道長は、民の声を黙殺しようとする兄道隆始め先輩公卿に対して「民なくば、我々の暮らしもありません!」と抵抗。賛同してくれる公卿は「黒光る君」の実資だけ…
皇室との関係が深いことから御寺と呼ばれる泉涌寺。創建については、伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創したという説、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪寺が起源であり、斉衡2年(855年)藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとするものという説などがあり、伝承を総合すると、平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後...
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により奈良に創建されました。鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。清少納言も和泉...
紫式部奈良橘寺にて(9月のバスツアー) その時、3ヶ月後に源氏物語著者紫式部にここまで傾倒するとは思ってもみないことでした。誰かの「紫式部だー」と言う言葉を聞…
花街の面影を残す島原を歩いてみました。島原大門は、江戸時代に幕府公認の花街としして栄えた島原の正門です。坂本龍馬、西郷隆盛、桂小五郎、新選組も遊んだと伝わる揚屋(料亭)の角屋(すみや)一階の台所や網代の間、松の間、美術品を展示する展示館が角屋もてなしの文化美術館として公開されています。遊宴だけでなく、お茶会、句会の場所としても使われ、文化サロン的な役割を果たしていたそうです。島原は、我国最初の廓で...
読書記録:眠れないほどおもしろい源氏物語(王様文庫)[板野 博行]価格:891円(税込、送料無料)(2024/4/2時点)楽天で購入ついに手を出してみました、源氏物語……の、解説本。自分には古典の現代語訳は向いていな..
奈良市春日野町に鎮座する春日大社の起源は、平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説、768年(神護景雲2)左大臣藤原永手が、氏社として春日山の主峰御蓋(みかさ)山の山麓に創建したのが始まりとする説があるようです。藤原氏と共に当社も隆盛し、平安時代初期には官祭が行われるようになりました。...
【光る君へ】#12 まひろの恋の果て。これが傑作「源氏物語」の肥やしになるんだ
道長との関係は、切ない結末を一旦迎えた😢 NHK大河ドラマ「光る君へ」第12回「思いの果て」が3/24に放送された。幼いまひろと三郎の関係から始まって、2人の関係はなんとも切ない終わりを迎えた。まあ、ここでめでたしめでたしを迎えると、後で余計ドロドロになっちゃいそうだし史実に添わせるにも無理が出る。 公式サイトからあらすじを引用させていただく。 (12)思いの果て 初回放送日: 2024年3月24日 道長(柄本佑)の妾になることを断ったまひろ(吉高由里子)。為時(岸谷五朗)が官職に復帰する目途もなく、生計を立てるためにまひろの婿を探すことを宣孝(佐々木蔵之介)が提案する。その頃、まひろと決別し…
一気に時間が跳んで990年。確かいろいろ動き出す年ですよね!ドラマ内でも4年が経過して、一条天皇が元服、そして定子(清少納言の主)が入内。後に紫式部が仕えることとなる彰子も生まれて、普通に育ってました..
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
自転車で走って来ました🚲 カーデガンも脱ぐくらい暖かかった。と言うより暑いくらい。このままこの陽気が続くといいのですが。年金ネットで試算してみました。来年か…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜まひろちゃんも道長さんもじれったいよねってことで第12話の感想ぉ〜!今回はまひろも道長も…ホントじれったい感じ…
日本語の面白い語源・由来(む-③)紫式部・無茶苦茶・空しい・昔・胸突き八丁・胸・紫
日本語の語源には面白いものがたくさんあります。前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記