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仁王門を潜ると、石畳の参道が続き、その先に本堂が見えてきます。本堂慶長13年(1608年)再建。入母屋造、本瓦葺き。桁行七間、梁間五間。釈迦如来像、十界曼荼羅の他、日蓮と日像の像を安置。2003年(平成15年)に解体修理が行われました。多宝塔室町時代の永享11年(1439年)以前のもので、京都で一番古い多宝塔とされています。太鼓楼仁王門から見下ろした景色にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろ...
京都市伏見区深草宝塔寺山町にある宝塔寺は、藤原基経が嘉祥年間に発願した真言宗の極楽寺が宝塔寺の前身とされています。極楽寺は基経の没後、嫡子の藤原時平により昌泰2年(899年)に聖宝を開山として完成。『源氏物語』第33帖「藤裏葉」では、夕霧の祖母(葵上の母)大宮の一周忌が極楽寺で行われました。室町時代、日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付されて葬られ、その後、寺名を宝塔寺に改めました。総門 室...
『源氏物語』を完成させた藤式部(紫式部)のその死と娘の賢子の活躍を描いた『愛する源氏物語 (文春文庫) [ 俵 万智 ] 』について『源氏物語』のさまざまな和…
『源氏物語』を完成させた藤式部(紫式部)のその死と娘の賢子の活躍を描いた『香子(五) 紫式部物語 [ 帚木 蓬生 ]』について『源氏物語』完成!その後の後日談…
■『宇治平等院鳳凰堂』平成の大修繕を終え美しく生まれ変わった世界遺産を堪能(京都府宇治市)
目次 1 平成の大修理後初の『平等院鳳凰堂』訪問 2 JR宇治駅から『お茶』と源氏物語『宇治十帖』の町 3 屋根に鳳凰羽ばたく世界遺産『宇治・平等院』 4 10円玉硬貨にも描かれる日本を代表する建築 5 数々の国宝級の品々を収める『鳳翔館』 1 平成の大
野宮じゅうたん苔苔を用い嵐山を表した美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」神石(亀石)野宮大黒天のそばにある神石(亀石)を撫でながらお祈りすると、 一年以内に願い事が成就すると言われています。龍神手水鉢脇の井戸「野宮の竹美しや春しぐれ」の句碑大山弁財天前の庭には、村山古郷作「野宮の竹美しや春しぐれ」の句碑が建っています。絵馬謡曲「野宮」と野宮神社 晩秋のある日、旅僧が野々宮にやって来ると、1人の艶...
#828 第36回「待ち望まれた日」感想~大河ドラマ『光る君へ』
道長が待ちに待った中宮彰子がついに一条天皇の皇子、敦成親王を出産する『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第36回「待ち望まれた日」について道長・倫子夫妻が…
紫式部の人生を追いかけながら、その時々で執筆される『源氏物語』を味わう『香子(四) 紫式部物語 [ 帚木 蓬生 ]』について一条天皇崩御、三条天皇の即位、道長…
新・京都学講座の講師をします!”復元音で味わう『源氏物語』〜宇治十帖「橋姫」より〜”
こんにちは。京都の朗読家 馬場精子です。ブログにお越しくださいましてありがとうございます。 さて・・・ 復元音で味わう『源氏物語』〜宇治十帖「橋姫」より〜…
野宮神社は、伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられています。天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中より新たな斎王が卜定され、宮中の初斎院で1年間、そして嵯峨野の清らかな場所を選び造営された野宮に入り1年間潔斎した後に斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)に向かい伊勢神宮での神事に臨んだ。その時の行列を「斎王群行」といい、1998年(平成10年)より毎年10月の...
トップ画像は女郎花。こんなに可愛い花なのに、切り花にすると悪臭が。。。( ノД`)シクシク…部屋に飾れません。花が少ない時期にも咲いているムラサキゴテン↓カラーリームとしても美しい。花期の長いランタナ↓花の多い時期は3色まとめてアップするので紺かは1色ずつ大きな写真でアップしてみました。ランタナのオレンジ↓黄色は色の変化はないけれどオレンジは色が変わってくるのも楽しめます。ランタナのピンク↓どの色もそれぞれとても...
紫式部の人生を追いかけながら、その時々で執筆される『源氏物語』を味わう『香子(三) 紫式部物語 [ 帚木 蓬生 ] 』について『源氏物語』の執筆をつづける中…
紫式部の人生を追いかけながら、その時々で執筆される『源氏物語』を味わう『香子(二) 紫式部物語 [ 帚木 蓬生 ] 』について紫式部の宣孝との結婚、賢子の出産…
サブタイトルは「波紋」。うーわー……なんかもうね……急転直下というか。私は前回、生まれたのが男の子だと知った時に道長が浮かべた意味ありげな表情、あれを「政争の種ができてしまったか……」という懸念とか、..
嵯峨野の竹林の小径を抜けて行くと、野宮神社があります。野宮神社があるところは、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を清める場所であり、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで建てられました。その様子は源氏物語「賢木の巻」で、六条御息所の娘(後の秋好中宮)がこの地に暮らした後、斎王群行をして伊勢に向かう直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ね、別れを惜しむ場面が場面が描かれています...
ドロドロ感の匂いを漂わせつつ実際にドロドロ展開はなかったので安堵した それはそうと現代でいうとワーママの母と娘の確執の描写必要でしたかね今後のドロドロの伏線に…
【SF時代劇『紫式部のスマホ』】「源氏物語」はスマホから生まれた!?2024年「◯◯のスマホ」シリーズ最新作は過去最高傑作の予感。
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東福寺の塔頭・同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長が法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。同聚院臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が...
なまえ香ご体感ギヤラリー展ご案内 紫式部と香人(かおりびと)たち 会期:10月1日(火)~10月19日(土) 会場:手漉き和紙と世界の紙の店紙の温度ギャ…
市バス「わら天神前」下車 東へ200mほど行ったところに花山天皇の紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)があります。花山天皇は、冷泉天皇の第一皇子(母は藤原懐子)で、円融天皇の譲位を受け、永観二年(984)17歳で即位しました。しかし、寵愛の女御藤原忯子の死を悲しむあまり、藤原兼家・道兼父子らの謀略で、わずか1年10カ月でで退位、山科の元慶寺で出家しました。その後は播磨国書写山の性空(しょうくう)などのもと...
京都市北区衣笠街道町にある法音寺平安時代に慈覚大師によって創建したといわれています。その後平安時代中期に花山天皇の勅願所になり、西国三十三ヶ所霊場復興所の本山でもあります。1008年(寛弘5年)には、花山天皇の葬奏が行われたともいわれています。応仁の乱の兵火によって焼失しましたが、その後再建されました。左大文字の発祥地旧大北山村の菩提寺でもあり、五山送り火が行われる8月16日の朝に施設餓思会が行なわれ、そ...
東福寺駅から歩いて5分ほどのところに夢の浮橋跡があります。夢の浮橋は、泉涌寺に詣でる本道に架けられていました。かつては大路橋や落橋と呼ばれていましたが、『源氏物語』の宇治十帖の「夢の浮橋」に因んで名付けられました。現在橋はなく、コインパーキングの前に、ポツンと石碑が建てられています。「夢浮橋」(ゆめのうきはし)は、『源氏物語』五十四帖の第54帖に描かれています。かつて、この地に夢の浮橋が架かっていた...
かがりの部分が完成です。途中放棄をせず、何とか日常使いに出来るハーダンガーになりました。やはり布目が粗いものは仕上がりがきれいになりません。また濃い色はより布が透けて見えてしまいます。何でもやってみて気がつくことは多いです。フェリシモのハーダンガー刺繍講
京都市東山区鷲尾町にある天台宗の寺院雙林寺(そうりんじ)は、延暦24年(805年)に桓武天皇の勅願で左大史・尾張連定鑑(むらじさだみ)により、最澄を開山としてこの地に伽藍が創建され、日本初の護摩祈祷道場として建立されました。平安時代は、護摩祈祷が盛んで、中宮彰子が土御門殿で敦成(あつひら)親王を出産する際、大勢の僧侶を集めて護摩祈祷を行ったことが『紫式部日記』に記されています。また、『源氏物語』第53帖「手...
京都市南区九条町にある東寺は、真言宗の寺院で、東寺派の大本山。延暦 15 (796) 年平安遷都のとき羅生門の東に創建され、西寺に対して東寺といい、また左大寺、左寺とも。弘仁 14 (823) 年嵯峨天皇から空海に賜わり、真言密教の根本道場となって教王護国寺と号しました。鎌倉時代に文覚が堂舎を修復。文明 18 (1486) 年の火災で堂塔など大部分を焼失しましたが、豊臣氏、徳川氏の助力により再建されました。『紫式部日記』には、...
現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側には、藤原道長の邸宅・土御門第がありました。土御門第跡(つちみかどていあと)平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第(じょうとうもんてい)、京極第(きょうごくてい)などとも呼ばれました。道長の長女彰子(しょうし)が一条天皇のお后となり、里内裏(さとだいり)である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生...
サブタイトルは「待ち望まれた日」。いやもう今回はね、頑張って「紫式部日記」読んでて良かったーーー(喜)の、一言につきましたね!もうね、宿下がり〜出産〜五十日の祝いのあたりは、見ていて何もかもが楽しかっ..
ついに彰子に御子が産まれたねオメデトー! この前、涙の告白したと思ったらもう出産までしちゃうとは驚きだけど、大河の話数的に仕方ないよね わぁ〜、よかったねぇ…
源氏物語「末摘花」現代語訳と考察 『源氏物語』は、紫式部によって11世紀に書かれた日本文学の古典であり、その中でも六帖「末摘花」は特に興味深い章です。この帖では、光源氏と末摘花という女性との関わりが描かれています。末摘花の特異な外見や性格が
源氏物語七帖「紅葉賀」の考察 『源氏物語』は日本文学の金字塔であり、その全54帖の中でも七帖目の「紅葉賀」は、光源氏がその栄華を極める若き日々を描いた重要な一篇です。この帖では、源氏の人生における華やかな一面と、裏に潜む運命の影が巧みに描か
源氏物語八帖「花宴」考察―光源氏と桜の宴 『源氏物語』は、日本文学の最高傑作の一つとして知られています。その中でも八帖「花宴」は、桜の宴での美しい光景と、光源氏の儚い恋心が描かれた章として人気があります。この章は、華やかな宴会の場面と、それ
源氏物語 九帖「葵」考察 『源氏物語』は紫式部によって書かれた平安時代の文学作品であり、その中でも特に有名な一章が「葵」巻です。この「葵」巻では、主人公である光源氏とその正妻である葵の上、そして源氏の情熱的な愛人・六条御息所との関係が中心に
源氏物語十帖「榊」考察 『源氏物語』は、紫式部が11世紀初頭に著した古典文学の傑作であり、日本の文学史において非常に重要な位置を占めています。その中でも「榊」(さかき)は、十帖目にあたる巻であり、物語全体のテーマをさらに深く掘り下げています
源氏物語十一帖「花散里」考察 『源氏物語』は、平安時代に紫式部によって書かれた日本文学の傑作です。全54帖からなるこの物語は、主人公である光源氏の恋愛模様を中心に描かれています。その中でも、十一帖「花散里」は、光源氏とその愛人の一人である花
【2024年大河ドラマ『光る君へ』第三十五回「中宮の涙」】《新たな推しの誕生》 中宮彰子役をつとめる見上愛の名演技に魅せられて。
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【光る君へ】#35 中宮彰子の純粋な涙にもらい泣き、定子を偲ぶ一条帝もおとなになっていた(伊周変わらず)
巷で話題の「平安ファイト一発」 NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回「中宮の涙」が9/15に放送された。「我が家の一大事」=引っ越し間近なので、今回は書けるだけ。 あらすじを公式サイトから引用する。 (35)中宮の涙 初回放送日:2024年9月15日 道長(柄本佑)は中宮・彰子(見上愛)の懐妊祈願のため、息子の頼通(渡邊圭祐)と共に御嶽詣へ向かう。しかし険しい行程と悪天候に悩まされ、目的地である金峯山寺への到達に手こずっていると、伊周(三浦翔平)が武者を引き連れ、不穏な動きを見せる。その頃、まひろ(吉高由里子)の書く物語に興味を持った一条天皇(塩野瑛久)が、まひろに物語の真意を尋ねては、自身の…
寛弘5年(1008)、藤原道長は、娘の中宮彰子のために、金峯山で懐妊祈願を行いました。その甲斐あってか、ついに彰子の懐妊が判明。出産のために、彰子が道長の邸である土御門邸へ里下がりすると、4月から5月にかけて、彰子の安産祈願のための法華三十講が行われました。※法華三十講法華経二十八品 (ほん) に開経の無量義経と結経の観普賢経を加えた30巻を、1日に1巻ずつ、または朝夕に1巻ずつ講ずる法会。京都市左京区聖護院山王町...
清涼寺は、秋の紅葉の名所でもあります。黄金に輝くイチョウ多宝塔と紅葉一昨年の秋、本堂と庭園を見学してきました。本堂を抜けると、渡り廊下が続き、ここから庭園を鑑賞します。弁天堂は、本堂のうしろの池に面して建っています。弁天堂弁天堂は、正面柱間三間、屋根宝形造で、正面に軒唐破風が付いており、建築年代は江戸末期ごろと推定されます。弁天堂のまわりは、池遊式庭園になっています。弁天堂西 川中島観光客の姿はほ...
まひろとの会話や伝えようとする話から殻を破りそうな中宮彰子を描いた『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第34回「目覚め」について敦康新王には心を開くも、父…
本堂の西側には、豊臣秀頼の首塚があります。1980年(昭和55年)大阪城の京橋口三の丸跡から、地中に埋葬され、周囲にシジミやタニシの生貝が敷かれた頭蓋骨が発見されました。その頭蓋骨は、20~25歳の若武者で、首に介錯の跡があり、左耳が不自由だったこと、出土品などから、大阪夏の陣と時期が合うことがから、秀頼のものと推定され、1983年(昭和58年)、秀頼ゆかりの清涼寺に首塚を造って納骨されました。石は小豆島の自然石...
清涼寺の仁王門を潜ると、左側にあるのが法然上人像です。法然上人像この像の奥には、聖徳太子殿があります。聖徳太子殿法隆寺の夢殿を模したものといいます。この北側には、多宝塔が建っています。多宝塔 江戸護国寺での出開帳の際に寄進され、3年後の元禄16年(1703年)に船で運ばれ再建されました。鐘楼「嵯峨十景・五台の晨鐘」と呼ばれてきたには足利義政・日野富子・足利義尚の名と文明16年(1484年)の日付が刻まれていると...
読書記録:あさきゆめみし2:源氏物語(講談社コミックスミミ961)コミック1981/10/1前半部分は末摘花や源典侍などのコミカルなエピソード。少女漫画な光源氏も、ここまでくるとすっかり女たらしキャラになってきたなあ..
道長の御嶽詣!平安時代の信仰風景、紫式部ゆかりのあの人も行ったらしい!
平安時代、華やかな宮廷文化の陰で、貴族たちは深い信仰心を持って山岳信仰に励んでいました。 その中でも特に注目されるのが「
2024大河ドラマ『光君へ』、すごく良かったです。これまで源氏物語だとか紫式部さんに特別な興味はなかったのですが、源氏物語好きの母につられ、またドラマの面白さに、毎回楽しみにしておりました。脚本が大石静さんかぁ。。 おもしろいですよね。。。(わたしのように、源氏物語だとか紫式部さんに特別な興味がなくても楽しめるドラマに仕上がってましたね・・ このドラマ以降、あたしも同居のスピさん達も源氏物語&紫式部さ...
藤式部(まひろ)には考えを語る中宮彰子様、その導きで一気に爆発的な覚醒をなさった『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第35回「中宮の涙」について藤式部の導…
こんばんは、めいです中秋の名月です 月見れば 千々に物こそ悲しけれ我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里) 月を見ると 色々悲しく感じるワンめい一人に…
嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。仁王門この地には平安前期、嵯峨天皇の皇子で、『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。阿弥陀堂(栖霞観跡)阿弥陀堂は、源融が建立した棲霞観を偲ぶ唯一の建物と言われています。阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は、源融...
金峯神社は、吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祀る神社です。二の鳥居金峯神社に伝わる経筒は、金峯山から出土したもので国宝となっています。令和6年(2024)には、金峯神社と金峯山寺が所有する藤原道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定されました。拝殿 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの義経隠れ塔源頼朝に追われた源義経がここに隠れていたという塔。その際に追っ手に囲まれてしまい、屋根を蹴...
サブタイトルは「中宮様の涙」。今回はダブルミーニングではなく直球タイトルでしたね。っていうか、中宮様が帝へのアタック方法のアドバイス受けた途端にお渡りがあって、たぶん脳みそ真っ白になったままド直球で告..