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多井畑厄除八幡宮の近くには、義経腰掛けの松があります。源平合戦の折り、源義経一行は、多井畑厄除八幡宮で先勝祈願をした後、この地の松に腰をかけ休息を取り出陣したと言い伝えられています。義経腰掛の松 1184年(寿永3年)2月7日未明源義経一行は多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願した後、この松の木の下で休息をとり一の谷に向かったと伝えられている。それから後、村人はこの場所に社を作り「ほんがんさん」の愛称で親しみと尊敬...
神戸市須磨区に鎮座する多井畑厄除八幡宮(たいのはたやくよけはちまんぐう)は、多井畑の厄神さんの愛称で親しまれています。須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれており、日本最古の厄除けの霊地と伝えられています。 770年(神護景雲4年)6月に疫病が大流行し、それを鎮めるために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われました。多井畑厄除八幡...
本堂仁和二年開創当時の本堂には、松風村雨物語で有名な在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられています。その後、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されました。現在の本堂は、慶長七年(1602)に、片桐且元を建築奉行とし、豊臣秀頼が再建したものです。(但し内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造)三重塔弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して昭和59年に再建されました。(旧...
今回はかつて日本でよく見られた群衆による「石投げ」、印地打ちについて。↓の「石合戦」のWikiページにあるように記録だけでも古代にまで遡ることができるという由緒正し~いコンセプト。 ja.wikipedia.org 地面に転がった石を拾って誰かに向かってぶん投げるというのは実に恐ろしい武器になるわけで、それが集団で行うともなれば殺傷力を備えた立派な軍隊にもなりうる。なにしろ元手がかからない遠距離攻撃用の武器、しかも身分を問わずに誰でも、石を握ったその瞬間から兵士にも暴徒にもなりうる、じつに恐ろし~い戦法ですね。 そんな石投げは寺社で行われるお祭りのイベントの一環でもあると同時に神仏の意思を示す…
今日は函館船魂神社の、義経伝説について、触れていきたいと思います。 <義経伝説>1190年、義経が津軽(青森)から蝦夷地(北海道)に渡る途中、海が荒れ、船が…
今日は近隣にある 法輪寺【曹洞宗】の紹介です。 場所は名古屋市守山区の更に北東端に位置しております。 その起源は平安時代末頃かの源義経の家来であった佐藤兄弟(※継信・忠信)が平家追討のおりに戦
金峯神社は、吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祀る神社です。二の鳥居金峯神社に伝わる経筒は、金峯山から出土したもので国宝となっています。令和6年(2024)には、金峯神社と金峯山寺が所有する藤原道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定されました。拝殿 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの義経隠れ塔源頼朝に追われた源義経がここに隠れていたという塔。その際に追っ手に囲まれてしまい、屋根を蹴...
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。須磨寺でさらに「おもろいもん」巡り。 事件のない花隈町と、晴れてる新開地を通過して、山陽電…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
宋の太祖、趙匡胤は、後唐の禁軍将校、趙弘殷の息子である。 趙匡胤は、後周の柴栄が、即位して、世宗になると、近衛軍の将校となった。 その後、柴栄の将軍として、…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。尾崎放哉さんゆかりの須磨寺の大師堂へ。あと毘沙門天堂からの景色を眺めます。 事件のない花隈…
即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復、以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。即成院 与一の手洗い場本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。即成院のHPによると「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受...
▲武蔵坊弁慶の石像▲弁慶岬北海道寿都郡寿都町政泊町奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡りこの地に滞在しました弁慶は毎日この岬の先端に立って同志の到着を待って…
神泉苑は、延暦13年(794)、元は桓武天皇により平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宮殿があり、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園で...
写真(風景・自然)ランキングにほんブログ村満開の駒つなぎの桜。花が多い部分を。2024.04.17Nikon Z8 + NIKKOR Z 24-120mm f/4 S
写真(風景・自然)ランキングにほんブログ村今年の駒つなぎの桜。花が少ないですが今年も見る事が出来ました。2024.04.17Nikon Z8 + NIKKOR Z 24-120mm f/4 S
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源義経は、その武勇により歴史に名を刻んだが、その後の運命は複雑なものとなった。義経と兄・源頼朝との関係は、義経が後白河法皇から検非違使に任命されたことをきっかけに悪化したとされている。吾妻鏡によれば、この任命は頼朝の承諾を得ずに行われ、義経は鎌倉に入ることを許されず、腰越に留め置かれた。この時、義経は自身の弁明として腰越状を書いたとされるが、それでも許されることはなく、最終的に京に引き返すこととなった。 しかし、この一連の出来事については、異なる見方も存在する。実際には義経が検非違使に任官された際、頼朝の承諾を得ていたという説もある。さらに、京都大学名誉教授の元木泰…
ここから鞍馬寺の奥の院の参道に入っていきます。義経息次ぎの水は、牛若丸が天狗に兵法を習うために深夜、独りで奥の院道を急ぎ、途中で息つぎのために湧水を飲んだ場所とされています。義経息次ぎの水牛若丸が、毎夜奥の院僧正が谷へ剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉を潤したといわれる。800余年後の今も湧き続けている。義経背比べ石平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔。...
藤原の郷の中心部には、「陰陽師」のセットで登場した政庁があります。政庁(せいちょう)正殿を中心に左右対称の建物を配置。政治や重要な儀式が執り行われていました。その脇には「義経」の京の町で登場する通りがあります。政庁を出て、少し山の方に上ると義経持仏堂や安宅関があります。義経持仏堂藤原氏初代の藤原清衡の居住館を再現した経清館(つねきよのやかた)にも経清のろう人形があります。経清館山を降りて伽羅御所(...
えさし藤原の郷は岩手県奥州市江刺にある平安時代を題材とするテーマパークで、1993年(平成5年)7月4日、開園、同年に放送されたNHK大河ドラマ第32作・『炎立つ(ほむらたつ)』の撮影の為に作られた大規模オープンセットで、撮影終了後も存続できるような歴史公園として整備されました。NHK大河ドラマのロケ地として知られ、奥州藤原氏の歴史を顕彰しながら、古代から中世にかけての東北の歴史文化を体感できます。私は大河ドラ...
#314 本レビュー『新版 平家物語(三)』訳 杉本圭三郎 ~とにかく読了 日本の古典~
2023年の読書活動テーマ ”とにかく読了 日本の古典『新版 平家物語(三) 全訳注 (講談社学術文庫)』を読み終えました。次々に消えてゆく平氏一門繰り返され…
義経まつりは、天下分け目の奥州合戦に由来する祭り。華麗に合戦絵巻を再現する「義経公」は圧巻。足軽甲胃隊、静御前、弁慶、義経などが練り歩く。総勢200名もの武者行列は壮観。義経気分で当時のドラマにひたってみてはいかが? 日時:2015年09月20日 場所:国見町観月台文化センターおよび藤田商店街 料金:無料
そして私にとってそれは私によって私自身の魂を鎮めること。死者である私のために私が祈る祈りなのである。だから私は静のことを語ろうと思う。ふるえる声で語ろうと思う。そう、それこそnovelのように。(p.352) どうも現代に「いる」らしい源義経が、みずからの生涯を生真面目に語って語って語りまくり、その語りの波というかうねりというかグルーヴというか磁場に飲み込まれて、本から離れることができず、寝るのも忘れて爆笑しながら読み進めるのが私にとっての『ギケイキ』シリーズである。三作目の本作も、義経の語りの渦に身を委ね、最高に楽しくて踊りながら読んだ。 読んでいて時々、思うのだけれども、義経は、いま、どこ…
以前のあの記事”木彫りキーホルダー”の話で、「言っちゃあ悪いがやはりそのあたりがなんていうかやっぱり義経なんだよなぁ。」と書きました。が、その暴言、マジ撤回しまーーーす!!マジ、さーせんでしたーーーーーー!!そして、同じく拙ブログの”シルクロードロマン”記事にて、チンギス・ハーンをかなり絶賛して、庶民の希望の星☆彡のように力説した後、義経チンギスハン説を茶化しながらも、日本のプライドのために信じるみた...
東海道 街道を歩く その6 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 戸塚→藤沢
東海道 その6 戸塚→藤沢 東海道その6は、戸塚→大坂→藤沢を歩きます。距離は16,4Km、所要時間は4:42東海道 その6 戸塚→藤沢 東海道その6は、戸塚→大坂→藤沢を歩きます。距離は16,4Km、所要時間は4:42
買って少しだけ攻略して積みゲーになっていたビルシャナ戦姫の攻略がようやく終わりました。 「ビルシャナ戦姫 ~源平飛花夢想~」「ビルシャナ戦姫 ~源平飛花夢想~…
#361 本レビュー『新・平家物語(四)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
牛若(義経)、ついに奥州行き、その前に元服するし、離れて関東で過ごすの『新・平家物語(四) (新潮文庫)』を読みました。きかん坊の牛若(義経)、鞍馬から脱出、…
#366 本レビュー『新・平家物語(七)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平時忠に自首して捕らえられるも解き放たれた源義経と平時忠に仕えるために源義経の首をとれといわれて戦う武蔵坊弁慶の邂逅『新・平家物語(七) (新潮文庫)』を読了…
#370 本レビュー『新・平家物語(九)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平維盛らをたたかわずして撃退した富士川の戦いが終わって、ついに再会を果たした頼朝と義経の『新・平家物語(九) (新潮文庫)』について頼朝と義経出会うが・・・主…
#380 本レビュー『新・平家物語(12)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平家を都から追い落として英雄になったはずの木曽義仲が”盛者必衰の理”で退場し、次の”盛者”の源義経が入京した『新・平家物語(十二) (新潮文庫)』について木曽…
#384 本レビュー『新・平家物語(13)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
一ノ谷・生田の戦いで、源範頼・義経率いる鎌倉殿の軍により散々に破れ、敦盛・忠度などの一門を多く失った平家が描かれている『新・平家物語(十三) (新潮文庫)』に…
#389 本レビュー『新・平家物語(14)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
一ノ谷で捕えられた平重衡の京・鎌倉・奈良の処刑までの足取りと義経の静との恋と頼朝夫妻による結婚の『新・平家物語(十四) (新潮文庫)』について平重衡の処刑まで…
#416『新・平家物語』吉川英治を読んで ~とにかく読了 日本の古典~
吉川英治先生の戦後初の長編小説『吉川英治 新平家物語 新潮文庫 全巻セット 20巻セット』の全体を通しての感想庶民の幸せとは何かを、源平の兵火から戦の天才、源…
#397 本レビュー『新・平家物語(16)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
屋島の戦い後半の那須与一の海上の扇を弓で射る話から壇ノ浦の戦い寸前までを描いた『新・平家物語(十六) (新潮文庫)』について宗盛の失策で反撃勝利を逃した平家、…
#400 本レビュー『新・平家物語(17)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
源平の最終決戦、壇ノ浦の戦い!その推移と結果『新・平家物語(十七) (新潮文庫)』について船戦なら負けるわけがない!と戦うが相次ぐ味方の離反で散っていく平家一…
#403 本レビュー『新・平家物語(18)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
平家打倒のヒーローから、危険視を続ける兄の頼朝に拒否され、排除されて都落ちの逃避行となる源義経・静御前・弁慶らの臣下たちを描いた『新・平家物語(十八) (新潮…
#407 本レビュー『新・平家物語(19)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
頼朝をはじめとする鎌倉武士らの前で義経への思いを歌い踊る静御前の白拍子の畢竟の悲曲の舞に心揺さぶられる『新・平家物語(十九) (新潮文庫)』について大業のため…
#408 TVアニメ『まんが日本史「源氏の旗あげ-源頼朝と東国武士』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の源平の合戦について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていたのを見…
#409 本レビュー『新・平家物語(20)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
最終巻、大業実現のために非情を貫き武士の時代に転換した頼朝、修羅の輪廻を離れるため一身にその業を背負うと決めて奥州に逃げた義経、二大巨星が消えた最終巻『新・平…
#415 TVアニメ『まんが日本史「源氏の旗あげ-源頼朝と東国武士』の感想
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の源平の合戦と源頼朝と義経の兄弟の関係についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感…
#419 TVアニメ『まんが日本史「鎌倉幕府の成立-武家政治と封建制度』の感想
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の頼朝と義経の対立と鎌倉幕府成立についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 つ…
#430 ”じゃないほう”源氏⁉ 源範頼~『平家物語』の雑感~
テレビアニメや本などで『平家物語』を四回通して味わった中での雑感範頼って、”じゃないほう”の元祖では⁉(NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の”蒲冠者”こと源範…
大河ドラマ『義経』の底本の『義経』、平家物語と義経の人生を宮尾先生がエッセイ的につづったこの本の感想について義経を中心にしながら『平家物語』について宮尾登美子…
【平泉・義経堂】判官も 眺めた山河 ここにあり|60歳からの御朱印めぐり〔056/541〕
高館義経堂(たかだちぎけいどう)は、源義経最期の地とされる小高い丘に建つお堂です。松尾芭蕉が有名な句を詠んだ場所でもあります。
昨日、「月刊・歴史チップス」2023年10月号衆道味(通算264号)、「毎晩鍛錬!剣術修行?鞍馬のお山は禁断の園!? ~ ナンバーワン稚児・遮那王!新たな世界へ行く!!」 を、更新しました。 誤記や乱文の修正やリンクの追加などは追々行います。●歴史チップス●...