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いつもの通り、お話は古今東西いろいろに飛び散ることになりますが、 さてこんな説明にぶつかりました。 ~(革命とは、)被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、 政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。 また漢語の「革命」の語源は「天命が改まる」の意味で、王朝交...
【前回までのおさらい】仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』をもとに自説を検証する。その第一弾、仁藤氏も認めている「女帝不可の思想の影響」の争点として、・“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝廷内に浸透していたか?・山背大兄は皇極朝においても有力な皇位継承候補であったか?・皇極女帝と蘇我大臣家との関係はどうだったか?をあげた。1つ目の争点では、女帝の存在にネガティブなイメージをもつ儒教的エートスに...
大化改新の方程式(260) 乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想
テンプレートを変更してみました・・・仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』(以下、本書)において、自説と照らし合わせていきたい論点は以下の3つだ。・女帝不可の思想の影響・「韓政に因りて」の解釈・孝徳朝における鎌足のスタンスまず、最初の「女帝不可の思想の影響」についてみていこう。繰り返しになるが、「乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想」というのが自説の根幹の1つだ。仁藤氏も「乙巳の変を解くカギ...
大化改新の方程式(259) 『東アジアからみた「大化改新」』を読む
仁藤敦史氏の主張に賛同するかどうかは別として、『東アジアからみた「大化改新」』は、厩戸皇子(聖徳太子)没後から孝徳期までの対外関係を唐および朝鮮3国の動向をからめて理解するには、一般書としては最適な本であると私は評価したい。amazonへのリンクそこで今回は、その概要を解説しておこう。仁藤氏が本書で提起した課題は、なぜ7世紀中葉になって、〔大化改新という〕政治改革が必要となったのかについては、「蘇我氏の専...
まもなく迎える来年は「乙巳」の年。中大兄と中臣鎌子によるクーデターで蘇我本宗家が滅亡したとされる年から24度目の「乙巳」である。2年前になるが、当ブログで「大化改新」をテーマに自説を展開してから10年になるのを機に、刊行されたばかりの仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』を片手に、自説の振り返りを行うと宣言した(自説を振り返る 大化改新の方程式(235))。ただその前段として、自説の根幹たる以下の3点...
前回の最後に、不比等落胤説をとるなら不比等の母は「鏡王女が妥当だ」としれっと書き加えたが、ここで不比等の母について触れておこう。■車持与志古娘これまでたびたび引用している『尊卑分脈』が記す不比等の母で、長男・真人(出家して定恵)の母でもあり、これが通説のようだ。車持氏は天武13年(684年)の「八色の姓」において「朝臣」姓を賜った上毛野氏などの東国6氏のうちの1氏族だが、与志古娘の父・君子の詳細は不明。...
百済王の太子、余豊璋は、その後、唐の長安に連行され、嶺南地方に流刑にされている。 なお、歴史作家の関裕二氏は、余豊璋と中臣鎌足が、同一の人物であるとの説を唱…
孝徳天皇は、失意の中、翌年の654年に崩御した。 そのため、中大兄皇子の母、孝徳天皇の姉である、宝皇女(皇極天皇)が、再度、飛鳥板葺宮にて、斉明天皇として、…
しかし、改革は、決して、順調とは言えなかった。 648年の冠位十三階の施行の際には、左右両大臣が、新制の冠の着用を拒んだと『日本書紀』に記されている、翌年に…
紀元645円6月14日、「乙巳の変」の翌日には、皇極天皇は、弟の軽皇子に譲位した。 孝徳天皇である。 中大兄皇子は、皇太子に立てられた。 「乙巳の変」の最大…
中大兄皇子が、即座に「入鹿は、皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えると、皇極天皇は、無言のまま、殿中へ退いた。 佐伯子麻呂と犬養網田は、蘇我入鹿を…
中臣鎌足は、更に蘇我一族の長老、蘇我倉山田石川麻呂を同志に引き入れると、その娘を中大兄皇子の妃とした。 蘇我倉山田石川麻呂は、蘇我馬子の息子、蘇我倉麻呂の息…
#4331 君が目の恋しきからに泊てて居てかくや恋ひむも君が目を欲り
令和6年8月24日(土) 【旧 七月二一日 先負】・処暑 「綿柎開」(綿のはなしべ開く)君が目の恋しきからに泊てて居てかくや恋ひむも君が目を欲《ほ》り ~中大兄皇子(天智天皇)『日本書紀』巻二六(斉明天皇編)母上の眼差しが恋しいばかりに、こうして停泊していてもこ
大化改新の方程式(249) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その7
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(248) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その6
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(247) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その5
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(246) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その4
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>豊璋と鎌...
#455 TVアニメ『まんが日本史05「大化の改新-中大兄皇子と藤原鎌足』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の大化の改新についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 聖徳太子の理想を引き継…
大化改新の方程式(245) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その3
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>「鎌足=...
現在の日本民族は海に囲まれた「島国」に住んでいます。 日本という名称がまだなかった頃のご先祖様たち(大和民族)も、その点は同じで 長らく列島(島国)住まいを続けてきました。 さて、そうした列島民族のライフスタイルを、陸続きの大地に住む他民族と比較して みると、こういうことが...
大化改新の方程式(242) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。その第1弾では、『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。【ここでの...
8月上旬に初めてコロナに感染。家族と職場に持ち込み、ひどく恨まれてしまったが、感染経路は通勤途上以外全く思い当たらない。コロナ禍以前の状態に戻った満員電車に1時間以上も揺られていれば、さもありなんか。いまだ咳止まず。【ここでの課題メモ】これまで5回にわたって宝皇女の“興事好き”について語ってきた。自説の根幹としてあげた以下の3つのうち、残りは鎌足失脚説だ。・乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想・宝皇女...
大化改新の方程式(241) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その5
かなりインターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。4月以降、ビジネス環境がコロナ前に回帰したとたん、多忙を極め土日もない状態が続いています(現在進行形)。とはいえ、閉鎖してしまったと思われるのは哀しいので、暇をみつけてやっとかたちにできた記事を1本あげておきます。【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化...
最近、韓流ドラマなども時々見るようになってきたのですが、韓流ドラマには意外と韓国(朝鮮)の王朝を舞台にしたドラマが多くて、日本でもかなり人気があるようですね。 日本でも飛鳥時代あたりの激動期の王朝を舞台にしたドラマを作れば、韓国の王朝ドラマよりもずっと迫力があり、面白くて人気も出そうなドラマができると思うのですが、日本では過去の天皇王朝をドラマの舞台にするのはタブーなのか、余り王朝ドラマはないようですね。 日本の飛鳥時代とは、6世紀の末ごろから7世紀の末ごろにかけて、現在の奈良県高市郡明日香村付近に都が置かれていた約100年間の時代をさします。 6世紀の半ばに百済から仏教が伝来すると、当時朝廷…
大化改新の方程式(239) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その3
【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。・『日本書紀』皇極紀おいて、八佾の舞や甘樫丘の邸宅建造など蘇我父子の専横の象徴として描かれているものの多くは、宝皇女による飛鳥聖地化に向けた“興事”の一貫であった。【ここでの課題】彼女の“興事好き”が、乙巳の変以降の...
みなさん、こんにちは。 今日は「秋田県ネタ」です。 私は全国方々「行ったり住んだり」しましたが「秋田県」には、まだ行ったことがありません。 いつか是非も、訪れたいなと願っています。 でも「きりたんぽ鍋
今日は昼から交換したサドルの尻テストを兼ねて近所の散歩ポタです。油日駅(JR草津線)入り口の飾りは忍者が印を結んでるイメージだそうですが私にはテツ&トモの「なんでだろー」ポーズに見えます。(テツは滋賀出身)普通は自宅を中心に放射状のコースを通るので円周方向