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孝徳天皇は、失意の中、翌年の654年に崩御した。 そのため、中大兄皇子の母、孝徳天皇の姉である、宝皇女(皇極天皇)が、再度、飛鳥板葺宮にて、斉明天皇として、…
#4331 君が目の恋しきからに泊てて居てかくや恋ひむも君が目を欲り
令和6年8月24日(土) 【旧 七月二一日 先負】・処暑 「綿柎開」(綿のはなしべ開く)君が目の恋しきからに泊てて居てかくや恋ひむも君が目を欲《ほ》り ~中大兄皇子(天智天皇)『日本書紀』巻二六(斉明天皇編)母上の眼差しが恋しいばかりに、こうして停泊していてもこ
日本書紀の斉明紀には、いわゆる狂心(たぶれごころ)の渠(みぞ)といわれた大工事をおこなったという記事がある。一般的には、奈良県の、香具山の西から現在の天理市付近と考えられる石上山までに至るもので、石を運搬するための運河と呼ぶべきものと考えられている。石
斉明天皇が崩御なされたのは、福岡ではなく高知だった──── という説があるのはご存知でしょうか? その舞台となるのが、朝倉神社です。 高知市の西の端の地域・朝倉にあって、近くに高知大学もあります。 昔から『木の丸さま』の愛称で親しまれています。 朝倉神社...
大化改新の方程式(246) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その4
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>豊璋と鎌...
大化改新の方程式(241) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その5
かなりインターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。4月以降、ビジネス環境がコロナ前に回帰したとたん、多忙を極め土日もない状態が続いています(現在進行形)。とはいえ、閉鎖してしまったと思われるのは哀しいので、暇をみつけてやっとかたちにできた記事を1本あげておきます。【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化...
【酒船石(さかふないし)】古代日本のミステリー なんなんでしょ 2カ所で発見されているらしいです
< 7世紀の人工物ってことですから1400年ぐらい前ですけど その役割は解ってないんですねえ > 奈良県明日香村の岡っていう地域にある酒船石が「岡の酒船石」「岡の酒船石」は江戸時代にはすでに見つかっていたらしいですね。 で、もう1つは「出水(でみず)の酒船石」大正時代に発見。 飛鳥川の畔、「岡の酒船石」の北西3キロメートルほどの出水っていう場所で、農家の人が2つ石造物を同時に掘り出したんだそうです。 今は「岡の酒船石」からほぼ真北に1キロメートルほどの、奈良文化財研究所飛鳥資料館、前庭に常設展示されているみたいです。でもコレ、レプリカだそうですね。 ホンモノの出水の酒船石は、京都市左京区南禅寺…
大化改新の方程式(240) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その4
【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。・『日本書紀』皇極紀おいて、八佾の舞や甘樫丘の邸宅建造など蘇我父子の専横の象徴として描かれているものの多くは、宝皇女による飛鳥聖地化に向けた“興事”の一貫であった。彼らは女帝に忠実だったがゆえに、後世、汚名を被るこ...
大化改新の方程式(239) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その3
【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。・『日本書紀』皇極紀おいて、八佾の舞や甘樫丘の邸宅建造など蘇我父子の専横の象徴として描かれているものの多くは、宝皇女による飛鳥聖地化に向けた“興事”の一貫であった。【ここでの課題】彼女の“興事好き”が、乙巳の変以降の...
麻氐良布神社㊤㊦2月4日(日)初参拝 この日は特にあてもなくブラブラ。前からあったけど一度も入ったことがなかった「だご汁茶屋」さんへ。ブロ友さんが紹介されて…
大化改新の方程式(238) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その2
【前回のおさらい】大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが、皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。【ここでの課題】彼女の“興事好き”が、大化改新前後の出来事にどう関わったのか。宝皇女が最初に行った“興事”に、板蓋宮建造と八角墳造営がある。前者は彼女の“新し物好き”として片付けることができるかもしれないが、後者はそれだけ...
大化改新の方程式(237) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き”
【ここでの課題メモ】前回から始めた自説を振り返るための、自説のまとめ第2弾。その第1弾として前回では、皇極期を通して皇極女帝への圧力となり、上宮王家滅亡事件や乙巳の変に大きく関わる“女帝不可”の思想をとりあげた。『日本書紀』によれば、斉明天皇は“興事好き”で、飛鳥を中心に多くの構造物を創造した。斉明朝の実力者が中大兄皇子や中臣鎌足であったというのでなければ、この所業は斉明こと宝皇女の強烈な個性を示すもの...