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源氏や平家は天皇家を出自として代表的武家となった。公家も武家を誕生させた。 例えば、西園寺家から四国へ下った者達は十五将となった。 我が国の貴族達も、外国の貴族達と同じように血を流し戦った。「お公家様」は作られたイメージに過ぎない。
少弐頼尚は足利尊氏にとっては人生を救ってくれた大恩人の筈。 しかし尊氏は、頼尚の人の良さに付け込み利用するだけ利用して、恩を仇で返すが如き仕打ちを行った。 頼尚が、尊氏を救わず、後醍醐帝側に付いていたらもっと違う九州、もっと違う日本だった。
足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。
日宋交易で巨万の富を得た博多の商人達は、元寇で多くを失った。 博多を復興させようとした鎌倉幕府だったが、武士たちの恩賞不満の声に応えられず九州で討幕の動きが活発化。 鎌倉幕府が倒れ、南北朝時代になって以降も博多近郊は戦場と化し荒廃した。
浄土寺の御朱印|境内全体が国宝!聖徳太子・足利氏ゆかりのお寺|尾道七佛めぐり(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市東久保町20ー28宗 派真言宗泉涌寺派寺 格大本山札 所・中国三十三観音霊場 第9番・備後西国三十三観音霊場 第5番・百八観音霊場 第11番由 緒616年に聖徳太子が開基したお寺といわれています。1336年、足利尊氏が九州
~古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた 逸話であり、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話であった~ こんな説明に接したとしても、その「戦前教育を受けた者」になる方々が今や 絶滅危惧種?並みの現在では、その「大変有名な話」の有...
東洲斎写楽(生没年不詳)と名乗る謎の?絵師が突如出現(1794年)したのも、また伊能忠敬(1745-1818年)が初めて蝦夷地の測量(1800年)をしたのも、元号では「寛政年間」(元年~13年)、つまり、西暦でいえば1789年から1801年にまたがる期間の出来事だ。そして、実はその
昨年から更新が大幅に遅れていましたが、ようやく今年秋の紅葉をアップするに至りました。まずは衣笠山麓の立命館大学の南隣にある等持院からスタートです。有名な紅葉名所ではありませんが、それだけにのんびりすることが出来ました。等持院は1341年、足利尊氏により夢窓国師を開山に迎え建立した禅宗臨済宗のお寺で、後に足利歴代将軍の菩提所となりました。応仁の乱や火災に見舞われましたが、後に豊臣秀吉が秀頼に命じて再建さ...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 82.徳川家康・七十
同年3月12日、徳川家康は、伏見城から、二条城に移り、3月21日、衣冠束帯を纏い、行列を整えて御所に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。 3月2…
さて、どのように言ったらよいものか、そうした方面の話題にとんと疎い筆者には 判断が付きかねますが、児童虐待、性加害犯罪、人権蹂躙などの表現をもって 昨今盛んに取りざたされているいわゆる「ジャニーズ問題」です。 現在では、お話はどうやら事務所の名称を変える、変えないというとこ...
どうも、クイズで知識も楽しくゲットしたくなるブログです。2023年は1573年に室町幕府が滅亡してちょうど450年という年になります。さて室町幕府といえば、初代の足利尊氏が1338年に京都で創始。その後15人の将軍が誕生して約240年続きましたね。そしてそのなかでも初代の足
アメリカの女性作家ジーン・ウェブスター(1876-1916年)による児童文学に 「あしながおじさん」(Daddy-Long-Legs)という有名な作品があります。 大学進学のための資金を匿名の援助者から与えられることになった孤児院育ちの 少女を主人公とした物語です。 念のた...
分倍河原合戦(ぶばいがわらかっせん)は、鎌倉時代末期の1333(元弘3)年5月15日~16日に多摩川河畔の分倍河原(→東京都府中市分梅町2丁目)において、新田義貞(にったよしさだ)率いる討幕軍と北条泰家(ほうじょうやすいえ→北条高時の実弟)率いる幕府軍との間で行われた合戦で、5月16日の関戸合戦を含めて新田方は「分倍河原」、幕府方は「関戸」での合戦と軍忠状に記しています。当初、新田義貞の挙兵を歯牙にもかけなかった鎌倉幕府首...
龍門山 等持院 高安寺(→東京都府中市片町2丁目)は、平将門の乱(→939年~940年)を鎮圧した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の館跡に建てられた市川山見性寺を前身とする曹洞宗寺院です。寺伝によると源義経・武蔵坊弁慶主従が何度も参詣したといい、義経主従が奉納したと伝わる大般若経や、弁慶硯の井戸が残されています。鎌倉時代末期の戦乱で荒廃したようですが、南北朝時代前期の1340(暦応3)年頃、室町幕府の初代将軍足利尊氏が鎌倉...
関戸合戦は、鎌倉時代末期の1333(元弘3)年5月16日に、霞ノ関(→東京都多摩市関戸)で行われた新田義貞率いる討幕軍と、北条泰家(→北条高時の同母弟)率いる鎌倉幕府軍との間で行われた戦いです。古戦場の近くにはこの戦いで討死した幕府軍の無縁仏を埋葬した「北条軍無名戦士の墓」(→東京都多摩区関戸5丁目)があります。さて、『太平記』に記された内容が現実の出来事かを確かめるには、同時代の史料を確認する方法が一番です。1333(...
山名氏の祖、義範が、御門葉に連なるほどの身分であったが、山名義範以降の山名氏の鎌倉時代の事績は、全く、不明である。 義範の家督を継承した、山名重国が、義範の…
「寛政の三奇人」という言葉がある。ちなみに「寛政」とは元号で、たとえば東洲斎写楽(生没年不詳)なる謎の?絵師が突如出現(1794年)したのも、また伊能忠敬(1745-1818年)が蝦夷地を初めて測量(1800年)したのも、元号では「寛政年間」(元年~13年)、に当たり、西暦
【清和源氏】編『新田一族』章「里見氏」節 02.里見氏の系譜
新田義重は、治承・寿永の乱の勃発前、平賀盛義の息子の義澄、その義澄の息子の義重、源義光の孫の義隆等を猶子に迎えると、広域的に勢力範囲を広げていた。 平賀盛義…
【太平記】第7回「悲恋」〜あらすじと感想 奥州の乱は止まず幕府軍も戦果をあげられないままでいた。一方、花夜叉一座に帰ってきた石は、藤夜叉が身ごもっていることを知る。久しぶりの花夜叉一座だったが思わぬ知らせにショックを受ける石。右馬介は、藤夜
【太平記】第6回「楠木登場」あらすじと感想 さて第6回目にしていよいよ楠木正成の登場です。すでに前回までに名前だけは登場していますが、太平記の主役の一人ですし満を持しての登場といった感がありますね。 貞氏と高氏は赤橋守時邸へ。直義はこちらか
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 08.新田本宗家の滅亡
新田義貞の入城後、金ケ崎城は、足利軍の攻撃を受けた。 新田義貞は、一度は、足利軍を迎撃したが、1337年(延元2年)1月18日、足利軍は、再度、金ヶ崎を兵糧…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 07.新田義貞・五
新田義貞の軍勢は、足利尊氏の軍勢に敗北し、楠木正成と共に尊氏を挟撃しようとする。 1336年(/建武三年)5月24日、新田義貞は、楠木正成と合流して、酒を酌…
遊行寺(ゆぎょうじ)の名で知られる藤沢山 無量光院 清浄光寺(しょうじょうこうじ→神奈川県藤沢市西富1丁目)は、鎌倉時代後期の1324(正中元)年に鎌倉郡俣野の領主であった俣野景平(またのかげひら)が開基、時宗開祖一遍の遊行を相承した遊行四世の呑海(どんかい→俣野景平の兄弟)が開山した時宗総本山です。1324(正中元)年は14代執権北条高時政権で、周辺には得宗被官(→北条氏嫡流の家来、御内人とも)の所領が点在し、境内には1333(...
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 06.新田義貞・四
足利尊氏は、後醍醐天皇の勅状を得ないまま、討伐に向かい、中先代の乱の鎮圧後は、鎌倉に本拠を置いた。 足利尊氏は、新田一族とその与党の所領を、北条時行の撃退に…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・参
新田義貞は、鎌倉を陥落させると戦後処理に奔走した。 各々の武将が、義貞へ軍忠状、着到状を提出し、義貞は、それに対して、証判を書いた。 しかし、7月に入ると、…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・弐
新田義貞は、碓氷川を渡って、八幡荘に到着すると、越後の後陣、甲斐源氏・信濃源氏の一派等の各地から参集した、五千騎と合流して、新田義貞軍は、九千に膨れ上がった…
【清和源氏】編『新田一族』章「新田氏」節 03.新田義貞・壱
新田政義の死後、息子の新田政氏が、新田本宗家の五代当主となったが、前述の通り、新田氏の「惣領」の座は、世良田義季と岩松時兼に分割相続されていた。 政氏の死後…
【太平記】第5回「あやうし、足利家」〜あらすじと感想 前回鎌倉の侍所に捕らえられた高氏。御家人最大の大名、足利家に北条が戦いを挑んだと見なされて鎌倉は騒然となったとの冒頭のナレーション解説。 連署の金沢貞顕に「高氏を何とかならんのか」と頼む
【太平記】第4回「帝、ご謀反」あらすじと感想 なかなかインパクトのある第4回のタイトル!帝が謀反をするという矛盾というか違和感を感じるタイトルですが、それが確かにその通りなことがこの時代の不安定さを物語っています。 高氏が訪れている京では正
【太平記】第3回「風雲児」あらすじと感想 京の都に着いた高氏。母、清子の実家の上杉家に泊まってるものの退屈そうにしている。田舎者丸出しで京都観光する尊氏と右馬介。都の賑わいに気持ちも高ぶる「女性のしとまで匂いまで良い匂い!」と大はしゃぎする
【太平記】第2回「芽生え」あらすじと感想 オープニング前の解説では鎌倉幕府の権力構造と争い、「執権」「連署」「内管領」の権力争いについての説明。この辺りは特にややこしいですね。前回北条高時の闘犬の会で恥をかかされていたことを知った弟直義。な
【太平記】第1回「父と子」あらすじと感想 ドラマが始まる前、冒頭に当時の時事であるベルリンの壁崩壊とドラマの舞台である鎌倉幕府崩壊〜室町幕府成立をなぞらえて「時代の転換期」というキーワードが語られる「太平記」。現代でもコロナ禍があったり世界
方向方角を示す場合、一般的には「東西南北」を基準にするようです。 まあ、少なくともチョイ前まではそうだった気がします。 ところが、話は多少逸れますが、筆者なぞは実際にこんな光景を目撃したことが ありましたから、最近ではそうでもないのかもしれません。 それは、どうやら待ち合わ...
自分は昔から大河ドラマが好きです。今放送している「どうする家康」ももちろん、昔の大河ドラマも好きな大河ドラマは何度も何度も見返してしまいます。残念ながら全ての大河ドラマをしっかりと見ているわけではないですが、最近また見返そうかなと思っている
前項までに述べた様に、足利一族の名門、渋川氏は、室町幕府の草創期、肥前、備前、備中、安芸、豊前、摂津等の守護職に任ぜられ、九州探題職を世襲した。 渋川氏の一…
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2900名以上…
<CG>『ブラタモリ ~足利はときどき天下をとる!?~』 ~森高千里の歌になった渡良瀬橋を見てタモリが歌詞の意味を解説→葵衣アナが「頑張れ!彼氏」と応援♡~
CG : Good luck! you 先週の『ブラタモリ』227回目のお題は「足利はときどき天下をとる!?」で足利氏の故郷をぶらり旅。『足利幕府』の開祖「足利尊氏」の先祖の故郷足利市。「関東のどん詰まり」(タモリの個人的見解)か? 「足利尊氏」は“天下を取った”偉人であ
石井山 長勝寺(せきせいざん ちょうしょうじ→神奈川県鎌倉市材木座2丁目)は、鎌倉時代中期の1253(建長5)年に松葉ヶ谷の地頭を務めていたとされる三浦一族の石井藤五郎長勝が日蓮に帰依し、自邸の一部を法華堂として寄進したところから始まる日蓮宗寺院です。創建時の堂宇は南北朝時代の1345(貞和元)年に京都に移り、現在の大光山 本圀寺(→京都府京都市山科区御陵大岩)となりました。移転理由は、この時の長勝寺住職の日静が足利尊...
渋川義季は、1423年(応永三十年)、少弐満貞に博多を攻められ、敗北し、肥前国山浦城に逃れた。 その敗北を契機に九州探題の勢力は、衰退を始めた。 1425年…
渋川義季の正室、北条朝房の娘は、娘の幸子及び、息子の直頼を産んだ。 直頼の生年は、1335年(建武二年)、即ち、誕生直後に、父の義季は、戦死し、幼児のまま、…
足利氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 義国の次男、源義康は、上野国の足利荘を相伝すると、足利義康を称した。 源姓足利氏の誕生である。 義…
金龍山 宝戒寺(→神奈川県鎌倉市小町3丁目)は、正式には金龍山 釈満院 円頓宝戒寺という天台宗寺院で、鎌倉時代には得宗家小町亭(とくそうけこまちてい→北条氏の家督である得宗家の邸宅)がありました。「北條執權邸旧蹟」(→北条執権邸旧跡)の石碑が建っているのはそのためです。本尊は地蔵菩薩で、「萩の寺」と形容されるように季節によっては白萩が人の入山を拒むかのように咲き乱れます。宝戒寺の開基は鎌倉幕府の討幕に執念を燃...
大高城に兵糧を運び込むという役目を成功させた松平元康(のちの徳川家康)でしたが、桶狭間の戦いによって今川義元が落命したという報せを受けると、その日の夜半...
江戸川柳でたどる偉人伝(鎌倉・室町時代②)日蓮・楠木正成・新田義貞・高師直・足利尊氏・小栗判官・一休・太田道灌
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
本堂書院観音堂の足利尊氏の守り本尊といわれる如意輪観世音菩薩像は一宮市指定文化財に認定されており、両脇には西国・秩父・坂東の百観音霊場の分身を安置しています。一宮市指定文化財彫刻如意輪観音菩薩坐像一躰柳星山常念寺蔵昭和三十八年三月二日指定常念寺は、足利尊氏の甥といわれる空遄召運上人が、明徳元年(一三九〇)に創建した西山浄土宗の寺である。この像は、足利尊氏の守り本尊と伝えられる。高い宝髻、宝石をちりばめた宝冠、うっすら開いた玉眼、不自然さもなく巧妙に配置された六本の腕、思惟する女性的な温顔にあてがわれた指のやわらかさ、胸に垂下する瓔珞など、まことに美しい像である。片膝のすわり方であるが、安定して危なげがない。おそらく寺の創建ごろに制作された像であろう。像高三十五センチ。一宮市教育委員会一宮城主関氏三代塔また...尾張一宮の旅(2)常念寺その弐
あらすじ【角川まんが日本の歴史】6巻「二つの朝廷 ●南北朝~室町時代前期」
お疲れ様です。あかいあくまです😈 ご紹介あかいあくま今回は角川まんが日本の歴史6巻のあらすじです!鎌倉幕府が倒れた後、後醍醐天皇による建武の新政、室町幕府の成立、と朝廷と武家によ...
お疲れ様です。あかいあくまです😈 迫るあかいあくま室町幕府を開いた足利尊氏初代将軍を務めた尊氏の性格はどうだったのか?素顔に迫ります! 足利尊氏が幕府を開き後醍醐天皇率いる南朝と...
東海道線にはよく乗車するのですが、尾張一宮に下車したのは今回が初めてです。駅前の駐輪場でレンタサイクルを借り、2時間ほど街をぶらりとしてきました。常念寺は、明徳元年(1390)、足利尊氏の甥・空遄召運上人(くうせんしょううんしょうにん)の創建と伝えられています。唐門安穏親子地蔵境内の隅々まで整備されており、庭園も美しいです。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング尾張一宮の旅(1)常念寺