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#室町時代の人物
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大内義尊 公家化した父親の公家化した息子・七歳で叛乱関連死
三十一代・義隆の息子。陶ら家臣の叛乱により、義隆が命を落とした際、なおも逃亡しようと試みたが失敗。叛乱者に見つかって殺されたとされる。母親は小槻氏。死亡時わずかに七歳。
2025/03/17 10:00
室町時代の人物
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梵良彦明 十歳にして詠雪の詩を作る・父譲りの神童
二十九代・政弘の三男とされる。父が帰依していた保寿寺の以参周省に師事。幼い頃から優れた漢詩文を作った逸話が知られている。のち、師匠を継いで保寿寺の住職となり、兄・義興と大内氏を支えた。
2025/02/28 02:29
陶氏 当主世代順 & 系図あれこれ
大内宗家の系図に完全なものがないのと同様、陶氏系図についても完全なものはない。『新撰大内氏系図』に書かれていることも現時点ですでに上書きされている。今後も変る可能性がある。
2025/02/06 21:51
大内髙弘 大護院尊光・謀叛を企て失敗、九州に逃亡
政弘の子。息子を国衙領目代とすることで、国衙のコントロールを図ろうと目論む父の意図により僧籍にあったが、還俗。家督を奪おうという企みが発覚して逃亡。大友氏を頼る。
2025/02/06 05:46
平賀氏 安芸国人衆・義隆の「お気に入り」人事に大迷惑
藤原姓。大内氏配下に属して活躍したが、後に尼子氏にも属した。頭崎城主・興貞は父の弘保と不和で、そのために大内氏の攻撃を受けた。のち、義隆の「お気に入り」隆保が家督に。
2025/02/03 04:58
大内満世 馬場殿・家督争いのたびに敗者側につく
義弘弟・満弘の遺児。父は義弘と内紛を起こしたが、幕府の介入で和睦するも、九州で戦死。盛見対弘茂、持世対持盛の家督争いで常に負けた側を応援。最期は逃亡して京都で自殺。
2025/02/01 03:25
神代氏 清和源氏・大内水軍に属した後、毛利家臣に
清和天皇の末裔という方々。周防国との関わりは先祖が配流されたから? 大内水軍に属して活躍したことがわかっているものの具体的事蹟は系図からはわからず。毛利家に仕えて存続。
2025/01/31 10:23
陶盛政 周防守護代世襲開始・菩提寺龍文寺の開基
盛長の子で、五代当主。盛見、持世に仕えた。持世代に初めて周防守護代となり、同職は以後代々陶氏の世襲となった。陶氏菩提寺にして、曹洞宗の名刹・龍文寺の開基もこの人。
2025/01/31 07:16
大内持盛 持世と家督を争い敗死・洞春寺観音堂の人
義弘の子。叔父・盛見は家督継承者は亡兄・義弘の子と決めていたが、持世・持盛の兄弟どちらを当主に、と明確にしないまま戦死。幕府が決めた家督を持世から奪おうとして、敗死。
2025/01/29 06:34
陶盛長 四代目当主・盛見代の長門国守護代として尽力
三代目・弘長の従兄弟。弘長には跡継がなかったものか、庶流ながら当主となった。宗家・盛見に仕え、長門守護代となる。盛見配下で活躍したと思われるが、目立つ史料はない。
2025/01/28 02:48
椙杜氏 三善姓・意見封事十二箇条 & 京下りの輩の末裔
『意見封事十二箇条』の三善清行、鎌倉幕府の問注所執事となった京下りの輩三善康信などの末裔で太田と名乗った子孫。周防玖珂郡椙杜荘に移住し、大内氏配下に。後毛利家臣。
2025/01/27 01:37
大内政弘 天に二物を与えられし者・雅な武家歌人にして応仁の乱最強の将
応仁の乱で上洛し、強大な軍事力で他を圧倒。帰国後は領国経営に専念。分国内の秩序を安定させ、山口には西の京と呼ばれるほどの雅な文化が花開いた。武家歌人としても著名。
2025/01/26 06:49
陶弘長
父・弘政とともに宗家に尽し、数々の戦に従軍。義弘期の「応永の乱」にも名前が見える。弘茂と盛見の家督争いで盛見について功績をあげ、長門守護代となった。最後は九州で戦死。
2025/01/24 02:50
陶氏 忠臣輩出歴代重臣の家・最後に謀叛人が出た
右田氏からさらに分家した一族。名字の地は「陶」だが、二代弘政の時、都濃郡富田が本拠地に。代々優秀で忠義の臣を輩出し、大内家中で重きをなした。最後に謀叛人が出たが……。
2025/01/23 00:26
陶弘政
陶祖・弘賢の子。鷲頭氏への抑えとして、弘世の命で富田保に領地替えした。その後、陶氏代々の根拠地となる富田保に最初に入部し、基礎を整えた。鷲頭氏との戦いでも活躍。
2025/01/22 02:00
益田氏 石見の名門・大内氏従属時代を経て毛利家臣に
藤原姓。系図については諸説あるが、鎌足まで遡れば同じこと。国司として赴任してきて、そのまま石見に土着した国兼を祖とする御神木家一族の嫡流。長らく大内氏に属した。
2025/01/21 06:13
弘中氏 大内氏重臣の一族・子孫は毛利家に仕え今も続く
『萩藩諸家系図』には、清和源氏であること以外、その出自は不明と書かれている。厳島合戦で活躍した弘中隆包が圧倒的に有名だが、事蹟を残したのは彼だけではない。
2025/01/19 11:38
仁保氏 鎌倉御家人三浦氏の庶流・平子重経が祖
桓武平氏三浦氏の庶流で、鎌倉時代からの名門。平子重経代、西国に移住。仁保を根拠地とした。大内氏家中でも重きをなしていたが、のちに毛利家に仕え、三浦姓に復した。
2025/01/18 06:02
町野氏 近江から西国へ・叛乱者に与した後毛利家臣に
藤原姓。武士化した藤原氏の一類と思われ、源氏に仕えて安房国に所領を得た。その後、里見家、近江の蒲生家と主をかえ、在京中の義興に従って周防国に来たと考えられている。
2025/01/17 07:43
白井氏 桓武平氏千葉氏の庶流・瀬戸内の警固衆
桓武平氏千葉氏の庶流。先に安芸武田氏に仕え、仁保島を拠点とした警固衆だった。瀬戸内海の制海権を欲する勢力から重要視され、多くの加増を条件に味方となって活躍。叛乱者に与した後、最後は毛利家家臣となった。
2025/01/16 09:18
鎌倉・室町が舞台のおすすめ時代小説 歴史ドラマや映画の予習にも
武家政権が始まった鎌倉以降の様子を知っていれば、その後の時代を舞台にした小説を読むときに、より面白く感じるはずです。ちょっぴり地味で敬遠されがち(?)な鎌倉・室町時代を面白く学べる、おすすめの小説を紹介します。
2025/01/15 11:40
仁戸田氏 十四代、十七代の子孫と二流あるも詳細不明
十四代の子孫が「仁戸田」と名乗った一類と十七代の子・鰐石小太夫が仁戸田とも名乗った一類とがある。両者の関係は不明。謎だらけ。
2025/01/15 10:29
黒川氏 宗家から分家・義隆に殉死したのは宗像氏系
十九代・弘成の子貞保を祖とする。系図上は数代で途絶え、事蹟なども不明。義興・義隆期に活躍したのは宗像氏出身で改姓した人たち。
2025/01/14 04:22
江木氏 元寇の時活躍・大内氏時代の記録が乏しい
十九代・弘成の子、弘房を祖とする一族。子孫は毛利家に仕えてその後も続いたが、毛利家臣となる直前の記録が曖昧で経緯は不明。
2025/01/12 20:25
宇野氏 多々良氏最初の分家・子孫は毛利家臣に
大内氏が史料に現われる直前期に分出した一族。それゆえにか、系図からはほとんど手がかりを得られない。子孫は毛利家臣として続いた。
2025/01/11 07:34
矢田氏 矢田太郎弘家の末裔・主に殉じ子孫は毛利家臣に
矢田太郎こと二十一代弘家の子・成賢が祖。史料が少なく、不明な点が多い。主義隆の死を知った当主は殉死。その子孫は毛利家臣となる。
2025/01/10 06:23
末武氏 二十一代・弘家弟が祖・吉見家臣から毛利家臣に
末武氏の系図は信頼できるとして、『新撰大内氏系図』の御薗生翁甫先生も高く評価。義隆死後、吉見氏配下を経て毛利家臣となった。
2025/01/09 02:56
柿並家 大内教幸の子孫・叛乱者の味方から毛利家臣に
応仁の乱の時、主の留守分国で叛乱を起こした大内教幸の子孫。折敷畑、厳島と大内(陶)方として活躍したが、後に毛利家に仕えた。
2025/01/06 05:57
野田家 問田家から分家・跡継が途絶え問田家の人が後継者に
問田家から分家した一族。後継者がないまま当主が亡くなり、問田本家の者が継いだ。本家とともに叛乱家臣に与して滅んだらしい。
2025/01/04 09:42
右田家 分家陶のほうが有名に・毛利家に仕え今も続く
盛房弟・盛長が立てた分家。名字の地・右田は現在の防府市にある。さらに分家した陶のほうが有名だが、毛利家に仕え家は存続した。
2025/01/03 07:35
問田家 氷上山二月会の弓太郎・毛利家の防長経略で滅亡
大内氏分家で、興隆寺二月会の弓太郎。政弘・義興代の文武の臣・弘胤、興之父子などが著名。叛乱家臣に与力し、毛利家防長経略で滅亡。
2025/01/02 20:03
鷲頭家 宗家を凌駕したことも・北辰降臨ゆかり地の人々
史料に名前が確認できる最初の人々のひとりが始祖となった、古い時代に分かれ出た一族。宗家を凌駕した鷲頭長弘が有名。下松のお殿さま。
2024/12/29 09:00
冷泉隆豊 大内氏最後の忠臣・主に殉じて壮絶な戦死
大内義隆に最後まで付き従った忠臣。武勇の人として有名で、大寧寺で意味深な歌を詠んで壮絶な戦死を遂げた。子孫は毛利家臣に。
2024/12/27 08:28
冷泉氏 始祖は弘世の子・忠義の臣輩出の家
弘世の子・弘正から分出。歴代は、明徳の乱、応仁の乱などで活躍した猛将ぞろい。国難に際し、主君・義隆に殉じた隆豊が最も有名。
2024/12/26 11:44
大内師弘 名著にも誤りあり・義弘兄弟の内紛との混同
弘世と争い敗死した兄弟とされるが、その詳細として古い史書で語られていたのは、義弘と満弘兄弟の内紛の経緯のだった。では果たしてこの人は誰?
2024/12/22 02:03
大内満弘 父に代わって兄・義弘と戦う(康歴の内訌)
幕府に忠実であろうとした義弘と、我が道を行かんとする弘世。大内家中は二つの意見に割れ、父に代わり、弟・満弘が兄と争った。
2024/12/20 08:24
大内弘茂 応永の乱で幕府に降伏・兄と家督を争い敗死
応永の乱で、兄・義弘とともに幕府軍と戦う。兄の死後、幕府に降伏。家督継承者となるが、留守分国にいた兄・盛見を討伐できず敗死。
2024/12/09 12:40
大内義長 大友家の人・子孫は東広島で名家に
幕府が認めた大内氏最後の当主。実情は大内義隆を倒した叛乱家臣たちに担ぎ上げられた傀儡に過ぎないが。子孫は東広島で名家となった。
2024/11/23 14:56
大内弘直 終始一貫して南朝支持の人
二十三代弘幸の弟。一族の総意とは関係なしに、終始一貫して南朝への「忠節」を貫いた人とされる。防府敷山で武家方と戦い、石見で戦死。普門寺に宝篋印塔があることが有名。
2024/09/09 09:56
大内弘幸 影薄い当主から南朝転向で一発逆転
叔父・長弘が家を導いているような状況下にあり、当主としてやや影が薄いが、南朝に転向して長弘派を追い落とそうと決断したのはこの人。鷲頭家討伐は子の弘世によって実行される。
2024/09/03 07:45
大内長弘 終始武家方を助けた実力者
二十一代当主・弘家の子。後醍醐天皇の倒幕からずっと足利尊氏を支持。南北分裂でも武家方につき、家中一の実力者として、幕府から周防守護に任命された。惣領家を凌ぐ勢いだったが、死後にその子・弘直は大内弘世に
2024/08/30 06:35
大内教幸 家督簒奪を試みて敗死した宗家の長老
応仁の乱が勃発した際、当主・政弘の留守中に、分国で叛乱を起こし、家督を簒奪しようとした伯父。救国の英雄・陶弘護の前に敗れ去った。九州に逃れて再起を図ったが、態勢を立て直すいとまもなく、自害に追い込まれ
2024/08/24 01:21