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菅生神社(すがおじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区菅生2丁目)は、鎌倉時代前期の1233(貞永2)年に、下菅生郷(しもすがおごう)蔵敷(ぞうしき)の鎮守として白幡八幡大神(→神奈川県川崎市宮前区平4丁目)の祭神を勧請して創建された神社です。1233(貞永2)年は鎌倉幕府3代執権北条泰時(やすとき)が、最初の武家法である御成敗式目を制定した翌年にあたり、創建当時は若宮八幡大神と称されました。時代が下り江戸時代になると神職の小泉信濃...
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回の感想、最後です。感想がいっぱいだなぁ最終回で希望の光が出たのが泰時とトウ。泰時は義時亡き後、執権となり御成敗式目を作りま…
京都東山区の六波羅蜜寺には、承久の乱後に、鎌倉幕府が設けた「六波羅探題府跡」の碑があります。それまでの京都守護を改組し、京都六波羅の北と南に設置した出先機関で、初代探題は、北条時房と北条泰時。承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配されましたが、それまで幕府の支配下になかった荘園であったため、これらの荘園にも地頭が置かれることになりま...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回見ましたかぁ〜義時さんの最後、凄かったね〜こちらが最初の感想だね⬇️『『鎌倉殿の13人』悲しい最後』大河ドラマ…
最初の頃とは衣装がどんどん変わっていきましたね。偉くなった小四郎の衣装です。そうそうこんなこともありましたね(^^ゞ八田殿特製の小鹿富士の巻き狩りの時の頼朝の衣装政子の衣装もずいぶん豪華になりました続いて太郎の衣装です😄長身の坂口さんに似合いますね!にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm...
再度鎌倉の大河ドラマ館を見学してきました。11月に模様替えされて、初期の頃とは異なる展示物も展示されていました。まだ純粋な青年だった頃の小四郎こと北条義時家族が和気あいあいだった頃の北条家この頃が懐かしいですね~出ました!平六こと三浦義村です!決して相談してはならないお方(^0^;)襟を正すと要注意(..;)源氏三代揃い踏み。いつの間にかお三方とも逝ってしまわれた(; ;)実朝くんの手には、演じた柿澤勇人さんが来館...
JR横須賀線「逗子駅東口」から徒歩3分、京急「逗子・葉山駅北口」から徒歩2分のところにある亀岡八幡宮古くは単に「八幡宮」と称せられましたが、昭和28年10月、宗教法人亀岡八幡神社として登録され神社本庁に所属しましたが、古くからの慣習で「亀岡八幡宮」と呼称されています。 亀岡の名称については、当社の境内は、公の地籍上「高畠」という小字になっており、なだらかな岡で、亀の背中のようであったというところから、鎌...
東国対西国!運命を決する戦い「承久の乱」古戦場跡…木曽川そして宇治川へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、東国対西国!運命を決する戦い「承久の乱」古戦場跡…木曽川そして宇治川へ…です。
こんにちは。badass tigerです。今年もあと10日あまり。大河ドラマもこの日曜日に最終回ということもあって年の暮れを感じますね。今年は、三谷幸喜さんの…
鎌倉殿の13人 第48話(最終回)「報いの時」 ~承久の乱の顛末と北条義時の死~
さて、最終回。冒頭の徳川家康の登場には驚きましたね。たしかに、家康が『吾妻鏡』を愛読していたという話は事実です。三谷さんのアイデアかプロデューサーの企画...
いよいよ今夜、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が最終回です。あ〜まだまだ見たい気もするなぁ〜主人公、北条義時はどんな最後になるのか?『吾妻鏡』による義時の最後は元…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜第47話の感想ぉ〜2弾目だね、1弾目はこちら⬇️『感動した!尼将軍の大演説!』昨日の大河ドラマ「鎌倉殿の…
『承久記』によると、敗走した京方の藤原秀康、三浦胤義、山田重忠は最後の一戦を挑もうと院御所に駆けつけましたが、後鳥羽上皇は、彼らを見捨てて、門前払いにしました。山田重忠は「大臆病の君に騙られたわ」と門を叩き憤慨。後鳥羽上皇は幕府軍に使者を送り、この度の乱は謀臣の企てであったとして義時追討の院宣を取り消し、藤原秀康、三浦胤義らの逮捕を命じました。上皇に見捨てられ、失望した三人は洛南の東寺に立て籠もり...
にほんブログ村 宜しければバナーをクリックしてね白の執権北条泰時各話をクリックすると、そのページが開くよ。目次第1話 泰時誕生第2話 父と母第3話 女好…
承久3年(1221年)6月9日、後鳥羽上皇は、坂本から京に戻り、西園寺公経を斬るのを止めて、翌10日、高陽院に戻り、西園寺父子を赦免しました。丸太町の高陽院邸跡京方は残る全兵力をもって宇治・瀬田に布陣、宇治川で幕府軍を防ぐことに決めました。藤原秀康、三浦胤義らの武将や源有雅、一条信能らの公家も出陣しました。6月13日、京方と北条泰時率いる幕府軍は宇治川で衝突。この時期は、梅雨時だったため、水かさが増しており、...
木曽川を突破した幕府方の東海・東山両軍は、三浦義村の提案で、北陸勢の到着を待たずに、近江瀬田川まで進むことにしました。木曽川の惨敗を知った後鳥羽上皇は、比叡山の衆徒を頼り、順徳天皇や親王・近臣を伴い、近江坂本に移りました。後鳥羽上皇の日吉参り(承久記絵巻より)しかし、上皇の寺社抑制策が災いして、比叡山はこれを無視し、上皇は孤立してしまいました。雪の日の比叡山延暦寺根本中堂承久3年(1221年)6月9日、上...
岐阜県美濃加茂市のJR美濃太田で下車し、大井戸の戦いの史跡巡りをして来ました。駅から徒歩で、中山道を目指します。中山道太田宿は、中山道51番目の宿場で、中山道の三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えました。皇女和宮下向のおりに新築された「旧太田本陣門」、国の重要文化財に指定されている「旧太田脇本陣林家住宅」、明治26年創業の蔵元「御代櫻...
承久3年5月22日、北条泰時がわずか18騎で先発すると、諸国の武士達が集まり、東海道は北条泰時・時房、東山道は武田信光・小笠原長清、北陸道は北条朝時(ともとき)・結城朝広(ゆうきともひろ)らを大将軍として、三道から攻め上りました。27日、北条義時は、義時討伐の院宣を持った院の使者・推松丸に宣旨の返書を持たせました。28日、泰時一行は遠江国に入りました。連日の雨により、洪水が発生しているということで、船で渡ること...
鎌倉殿の13人 第47話「ある朝敵、ある演説」 ~承久の乱勃発と政子の名演説~
遠縁ながらも源氏の血を引く摂関家の九条道家の子・三寅が時期将軍と決まり、三寅が幼少のあいだは北条政子が将軍を代行することになりましたが、三寅の4代目鎌倉...
鶴岡八幡宮の三ノ鳥居からほど近い若宮大路沿いの「M's Ark Kamakura」というビルの1Fに、坂口健太郎さん演じる北条泰時の住居跡であった北条泰時邸跡の遺構が展示されています。大河ドラマ館のパネルより「侍気分」という武将グッズのお店前のフロアーからガラス越しに発掘された泰時の「住居跡を見ることが出来ます。柱穴、ゴミ穴、土台材、羽目板などが確認できます。和田義盛を演じた 横田栄司さんが来店した際に書いたサイン...
鎌倉市大町にある浄土宗の寺院・安養院。この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係しているそうです。もとこの地には、尊観が開いた浄土宗の善導寺がありました。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が、源頼朝の菩提を弔うため、長谷笹目ヶ谷(鎌倉文学館付近)に創建した寺でした。政子の死後、北条泰時が伽藍を整備し、政子の法名から「安養院」と名付けました。1333年(元弘元年)兵火により焼失...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜いよいよ雪の鶴岡八幡宮の階段だぁ〜ってことで第45話の感想ぉ〜!複雑な糸が絡んで、結果的に義時の思うとお…
承久の乱後、北条義時を筆頭とする、鎌倉の武家政権は、後鳥羽上皇の挙兵に参加した、畿内・西国の御家人達の守護職を次々と解任すると、新たに東国の有力御家人を任命…
【鎌倉殿の13人】実朝暗殺。義村の本心を知り、義時の闇が深まった
「聖なる儀式」の中、天使の実朝は天命に従う NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、11/27に三代将軍実朝の悲劇的最期を描く第45回「八幡宮の階段」を放送した。 最近は主人公に同情たっぷりの家族に引きずられて見ていたせいか、物語は重かった~とにかく重かった。最後の心の拠り所・三浦平六義村にも殺されそうになったと知った我らのダークヒーロー北条義時の絶望。最後の方はもう人間味を完全に失ったロボット顔に変貌し、血の通わない無機物的な、故に迷いがあるはずがない顔になっていた。「かわいそうで仕方ない」と家族は同情しきりだ。 さて、今回描かれた実朝暗殺。まずは源仲章が「寒いんだよ」と出色のセリフを吐いて絶…
北条義時、大江広元等の鎌倉の首脳陣は、承久の乱の勝利の直後、既に、三上皇の配流を決定していた。 後高倉法皇及び、後堀河天皇が、最初に行ったのは、後鳥羽上皇及…
1221年(承久三年)6月16日、北条義時が、京から鎌倉に派遣した、戦勝報告の飛脚は、6月23日の午前2時頃、鎌倉に到着した。 北条義時は、「今は、義時、何…
1221年(承久三年)6月15日、後鳥羽上皇に門前払いされた、京方の勇猛な武士達は、最後の戦いに挑んだ。 既に、承久の乱は、決着しており、武士としての最後の…
源仲章のビックリ顔に劣らぬほど驚いた終わり方 11/20に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第44回「審判の日」は、建保7年(1219年)1月27日の「鎌倉の悲劇の1日」をたっぷり描くのかと思いきや、悲劇を描かないまま直前で終わった。覚悟を決めてテレビ前に臨んだこちらはビックリだ。え~なんでそこで終わるかな! 次回、11/27の「八幡宮の階段」に悲劇は持ち越される。悲劇の1日は、2回に渡って描かれるということだ。27日は実朝君の月命日だからわざわざその日に延ばしたんだとか、実はワールドカップにぶつかることを考えて少しでも大河に引き留めようとしたんだとか、色々想像した。とにかく、せっ…
1221年(承久三年)6月14日、北条泰時は、宇治川の渡河の苦戦状況を見ると、長男の北条時氏を招き寄せ、速やかに川を渡って、敵の陣中に入れと命じた。 時氏は…
1221年(承久三年)6月13日、北条時房は、宇治川に攻め寄せていた。 京方に橋の板を引き落とされ、徒立ちの達者の悪僧達が、橋桁の上で、大太刀、長刀を自在に…
【武都】章『天地鳴動』編「承久の乱」⑨後鳥羽上皇の御幸と還御
山田重忠は、摩免戸を退却後、三百余騎を率いて、東海道・東山道の合流地点である、杭瀬河に向かった。 それに対し、武蔵七党の児玉党、三千騎が、攻め寄せた。 山田…
【鎌倉殿の13人】北条泰時を演じる坂口健太郎さんの出演作と【無料】イッキ見する方法。
【鎌倉殿の13人】北条泰時を演じる坂口健太郎さんの出演作と【無料】イッキ見する方法。「おかえりモネ」の菅波先生や「とと姉ちゃん」も視聴できるのはU-NEXTのNHKオンデマンドで。31日間の無料お試し期間に「コウノドリ」「64」も全部見れます。
日本最古の築港遺跡「和賀江島」!北条泰時が築いた源実朝の夢を受け継ぐ港跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、日本最古の築港遺跡「和賀江島」!北条泰時が築いた源実朝の夢を受け継ぐ港跡です。
時政の幸せなしめくくり NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第42回「夢のゆくえ」が11/6に放送され、土曜日11/12の再放送を見逃したので先ほど(もう日曜日💦)録画で見た。今週は忙しかったのでブログで鎌倉殿ふりかえりは無理かな・・・と思ったのだが、今日、録画を見てしまったら、やっぱり少し書きたくなった。間に合うかな? 録画を一緒に見た家族は、今、「ボーイスカウト歌集」(ボーイスカウト日本連盟発行)を引っ張り出してきて歌を歌っている。前のパートからドボルザークの「新世界」がBGMで流れていたが、時政の伊豆邸での場面は「🎵遠き山に日は落ちて」のパートになり、家族はそれに触発されたのだ。 見せて…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜実朝さんが独り立ちできるか⁉︎ってことで第42話の感想ぉ〜!いきなり!源実朝の夢に後鳥羽上皇が出てきまし…
山田重忠は、清和源氏の祖、源経基の次男、源満政の後裔である。 重忠の父の重満は、墨俣川の戦いで、源行家の軍勢に参加して、戦死した。 山田重忠は、その後、源義…
最近、当ブログで読まれているのがこちら⬇️『白の執権・目次』『歴史連載物語「白の執権」・目次』にほんブログ村 宜しければバナーをクリックしてね白の執権北条泰時…
1221年(承久三年)5月22日、北条泰時の決死の出撃の同日中に、北条時房、足利義氏、三浦義村、義村の息子の泰村が、出撃した。 また、「北陸道の大将軍」とし…
建保4年(1216年)6月15日、東大寺の大仏を再建したことで知られる宋人の技術者・陳和卿が、源実朝に拝謁しました。陳和卿は、対面するなり実朝の顔を3度...
【鎌倉殿の13人】惜別、和田義盛。そして「黒い義時」は張りぼてだった
しっかり描かれた和田義盛の死に顔 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は10/30、第41回「義盛、お前に罪はない」を放送した。いやー、凄かった。見終わってしばらく脱力しちゃったこともあり、また振り返りのブログが遅くなった。もう本日夜には42回「夢のゆくえ」が放送される。 41回では鎌倉最大の市街戦とも言われる和田合戦が力を込めて描かれ、愛されキャラ「和田っち」和田義盛の最期が待っていた。「のえ」が「離れ離れは嫌です!」「二階堂に戻ります!」の切り替えの早さで笑わせるなど箸休めパートはあったけれど、「トロイ」か三国志の「レッドクリフ」か(BGMまでそんな感じになっていたような)を見ているような息…
【鎌倉殿の13人】過保護パパ義時、遠すぎる目標設定がいけない
千世の本音は幸せ3,寂しさ7 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、もうあと何時間かで和田合戦を描く第41回「義盛、お前に罪はない」が始まる。癒しの「和田っち」和田義盛が死ぬ結果はわかっているので、和田っちファンの「かしまし歴史チャンネル」のきりゅうさんは、既に涙して「寝込んで動画が更新できないかも」とまで予告していた。無理もない。 youtu.be 私もドキドキしているが、第40回「罠と罠」についてのブログを忙しくて書きそびれていた。今さらどうしようかと思うけれど、やっぱり少しだけでも書いておこうかと録画を見返した。 前39回「穏やかな一日」で、実朝のカミングアウトによって心の通じた千世と実…
1221年(承久三年)5月21日、源義朝の娘の坊門姫、即ち、頼朝の姉妹を祖母とする、一条頼氏が、鎌倉に下向し、緊迫する、京の情勢を伝えた。 武家政権の首脳陣…
平清盛が仁安元年頃から取り組んできた日宋貿易は鎌倉時代も続いていたため、南宋から多くの人が来日していました。その中に、東大寺大仏の再建を行った宋人の僧・陳和卿(ちんなけい)がいました。陳和卿は、建保4年(1216)、鎌倉に赴き「当将軍は権化の再誕であり、恩顔を拝みたい」と源実朝への拝謁を希望。御所で実朝に対面した際、陳和卿は実朝を3度拝み、泣き出し、「貴客は昔宋朝医王山の長老たり。時に我その門弟に列す。(将...
「夜」に、とうとうのカミングアウト NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第39回「穏やかな一日」、土曜日の再放送を見て、これを書き始めた。第3代鎌倉殿・源実朝の心模様が中心に描かれた回で、彼には切なかったけれど救いもあったように思った。 今39回は、承元2年(1208年)から建暦元年(1211年)の足掛け4年を1日で描く、と語りの長澤まさみがいきなり侍女の姿で言っていたから(ダー子のコスプレにしか見えなかった。オサカナはすっかり魚の腐ったような目をするようになった義時?)、実朝は20歳前のハイティーンの4年間か。今で言えば高校~大学生の多感な、恋愛が盛り上がる時期に当たるのだろう。 (func…
鶴岡八幡宮の目の前に、鎌倉幕府執権北条泰時邸宅跡が見やすく整備されて公開されています。「気軽に入れる史跡」として遺構を見ながらワイワイ議論もできます。
願成就院は、『吾妻鏡』によると、文治5年(1189年)に北条政子の父親で、鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州討伐の戦勝祈願のため建立したといいますが、寺に残る運慶作の諸仏は、文治2年(1186年)から造り始められていることから、北条氏の氏寺として創建されたものと考えられています。大御堂その後、北条義時や北条泰時によって堂塔が整備され、巨大な池とその中の小島を橋でつなぎ、多くの堂宇や塔がそ...
空海が諸国巡礼の折、百日間にわたり護摩修法を行った鎌倉市極楽寺のl地に、承久元年(1219年)、三代執権の北条泰時が成就院を創建、北条一族繁栄を祈ったといいます。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失し、西ヶ谷に移りましたが、江戸時代に元の地に再建されました。山門から由比ガ浜を眺め下ろせる眺望、参道から境内に咲く紫陽花も人気を集めています。本堂本尊は不動明王、良縁成就として知られています。...
令和4年8月27日(土) 【旧 八月一日 友引】・処暑・綿柎開(わたのはなしべひらく)世の中に麻は跡なくなりにけり心のままの蓬《よもぎ》のみして ~北条泰時 『新勅撰和歌集』 巻17-1152 雑歌二世の中に麻のようにまっすぐな人はいなくなった。気ままに生える蓬のような者ば
顔の大きい佐藤二朗 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第31回「諦めの悪い男」。今回もまたまたすごかった。8/14に放送され、ここぞという時の思い切りの悪さ&先見の明の無さが尾を引いて、比企能員が死んだ。おもしろおじさんのイメージの強かった佐藤二朗が、笑顔の怖ーい悪役・比企能員を演じて、最期まで小物らしくジタバタして素晴らしかった。 当主の戻らない比企家で、「兵を整え迎え撃て!」と息子に叫ぶ妻の道、不幸にもまだ健在だった比企尼(何か投げてましたね)、そして一幡をかばってトウに瞬殺されたせつ・・・切ない。この女優陣にも涙。拍手を送りたい。 佐藤二朗は顔が大きい。義時や頼家と見合っているシーンで…
『鎌倉殿の13人』北条泰時ってどんな人?母は八重?のちに御成敗式目を制定 - JBpress
中森明菜『伝説のコンサート』が驚異の視聴率4.6% 紅白出場への期待も高まる - NEWSポストセブン …
中世に新しく歴史の表舞台に登場してきた武家も、「下文(くだしぶみ)」や「下知状(げちじょう)」などの貴族たちが用いてきた官文書由来の文書を使用しましたが、その一方で、書状(しょじょう→手紙)に由来する「御教書(みきょうじょ)」などの書札様(しょさつよう)文書も公文書として用いました。ただ、用途には違いがあります。「御教書(みきょうじょ)」とは三位以上の公卿(→貴族のトップクラス)の意志をその家の家司(けいじ→家来)...
鎌倉殿の13人 第21話「仏の眼差し」 ~奥州合戦と八重の死~
奥州合戦は描かれませんでしたね。藤原秀衡、源義経が死んでしまって役者がいなくなりましたし、北条義時が主人公の物語としてはまだまだ先が長いので、省けるとこ...
【栂尾炊き】栂尾煮をつついて 月を見ながら 明恵上人の【阿留辺畿夜宇和】を少しだけ考える
<「ありのままに」がヒットするほど窮屈なストレス社会の中の働かない働きアリ> 京都には土地の名前の付いた食べものや料理がけっこうあります。 九条ねぎ、聖護院かぶら、中堂寺大根、壬生菜、堀川ごぼう。まだまだあるでしょうね。寺社の名前がそのまま土地の呼び名になっているところが多いのも京都の特徴かもしれません。 3回目の緊急事態宣言の中、朝夕はまだ少し寒いぐらいの東京の4月末、少し足を延ばして多摩川べりにある小さなダイニングバーに顔を出してきました。 散歩コースの途中で見つけた飾らない店。ノンアルビールで20時までの営業ですとメールをもらったので、ご夫婦の顔を見に出かけたわけです。 もともと酒はワイ…