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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 58.徳川家康・四十六
しかし、北条氏政が、講和条件を拒否したために、豊臣秀吉が、黒田官兵衛孝高に命じ、交渉に当たらせた。 6月16日、北条氏政の重臣であった、松田憲秀の長子の笠原…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 57.徳川家康・四十五
浅野長政は、5月20日時点で、豊臣秀吉の命に従って、急ぎ軍を返すと、武蔵国方面に侵攻しており、寿能城及び、岩付城を攻めた。 5月21日時点にて、浅野長政は、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十四
松井田城主で、北条氏累代の重臣、大道寺政繁は、北方軍を碓氷峠で、迎え撃ったが、与良が、真田勢の先方の真田信幸隊に打ち取られた。 主力は、真田軍と激戦になった…
いま色々と忙しいので、適当にお茶を濁した記事で。今日の昼間、大河ドラマ「どうする家康」で、関ヶ原の戦いに決定的な影響を及ぼしたとされる小早川秀秋役が発表されました。 x.com
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十参
北条軍は、伊豆の南端の下田城を防衛線として、水軍を集結させていたため、西伊豆の諸城砦には、少数の陸戦部隊しか、配置していなかった。 同年の3月1日、豊臣秀吉…
目次 藤原公任 説話 東三条殿の立后について失言を放つ 三船の才 藤原実資 説話 藤原実頼の名前が由来 豪華な邸宅 藤原済時 説話 気難しい性格 大饗において永平親王に接待させて大恥をかく 藤原師尹
長女→東大不合格。現在は京大目指し浪人中。次女→長女と同じ地方進学校の高1長男→サッカー大好き小6次男→のんびり末っ子くん料理好きな子どもたちのエピソードも添…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 54.徳川家康・四十弐
11月24日、豊臣秀吉は、北条氏との手切れ書を北条氏及び、諸大名に配布した。 同日の豊臣秀吉から、徳川家康への書状では、来春の出陣決定と陣触れを出したことを…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 53.徳川家康・四十壱
豊臣秀吉は、北条氏政、徳川家康から事情聴取を行い、沼田領内の三分の二を北条氏政、三分の一を真田氏とする、譲歩に近い裁定を行った。 豊臣秀吉は、北条氏の当主の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 52.徳川家康・四十
1586年(天正十四年)11月1日、徳川家康は、京へ上ると、11月5日、朝廷に正三位に叙される。 この時、多くの徳川家康の家臣が、叙任されている。 徳川家康…
醍醐寺五重塔は朱雀天皇が醍醐天皇の冥福を祈るために建てた塔で、現存する京都最古の木造建築物である。承平六年(936)に着工し、村上天皇の御代の天暦五年(951)10月に完成した。 内部には両界曼荼羅・
目次 一条天皇時代 寛弘二年(1005) 11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する 11月29日 賀茂光栄が賀茂臨時祭の日時・紫宸殿出御の日時・官奏に伺候する日時・除目の日時を勘申
陰陽道の教えに沿って一日を過ごした平安貴族~九条殿遺誡・現代語訳~
『九条殿遺誡』は10世紀半ばに右大臣藤原師輔が記した家訓書。 目次 平安貴族の一日 起床後の作法 宮中での心得 教訓 幼年期 仏を大切にする 天皇に尽くし、父母を敬う 対人関係の心得 質素倹約のすすめ
目次 晴明の位階・官歴 解説 天文博士 主計権助・主計助 備中介 大膳大夫 散位 晴明の位階・官歴 官職 官位 初出 典拠 天文得業生 天徳四年(960)9月23日 『中右記』嘉保元年(1094)11
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 51.徳川家康・三十九
1586年(天正十三年)11月29日、日本列島中央部を「天正大地震」が襲った。 被害は、甚大であり、中部、東海・北陸の広範囲に及んだ。 地震発生の際、豊臣秀…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 50.徳川家康・三十八
1586年(天正十三年)1月2日、徳川家において、主君の徳川家康に次ぐ、筆頭家老の重臣である、石川数正が、出奔し、羽柴秀吉に帰属する、事件が発生した。 石川…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 49.徳川家康・三十七
羽柴秀吉は、滝川雄利を使者として、浜松城に送り、徳川家康と講和しようと試みた。徳 川家康は、返礼として、次男の於義丸、即ち、結城秀康を秀吉の養子にするために…
【中学受験】社会(歴史)の勉強にオススメ!『イラストでサクッと理解 流れが見えてくる日本史図鑑』と歴史学習まんが
イラストや漫画でわかりやすく説明してくれる日本史の本はたくさんありますが、これほどに古代から現代までの重要事項をまとめてわかりやすくしてくれた本は初めてです!受験間近で学習漫画を読む時間はないけれども、わかりやすく説明してほしいと思っている方にオススメです。
今回紹介するのは、日光街道12番目の宿場・小山です。JR宇都宮線、水戸線、両毛線の乗り継ぎ駅で、東北新幹線の駅もあります。現在の行政区画は栃木県小山市の中心部になります。 小山が宿駅の指定されたのは1617年(元和3年)以降と考えられています。宿駅の管理は、当初は古河...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 48.徳川家康・三十六
四国では、6月11日、長宗我部元親が、十河存保の十河城を落し、讃岐国を平定した。 第二次十河城の戦いである。 徳川家康は、長宗我部元親に「淡路・摂津・播磨を…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 47.徳川家康・三十五
森長可の討ち死によって、池田・森軍の左翼が、崩れ始めると、徳川軍の優勢となった。 池田恒興は、自軍の立て直しを図ったが、永井直勝の槍を受けて、討死にした。…
記憶に定着する社会の暗記授業 織田信長がいちごパンツをはく⁉
5年生の中学受験コース。2学期の塾が始まりました。そして最初の授業は忘れられないほど記憶に定着する織田信長のお話がありました。信長が「いちごパンツをはいていた」件については、生徒さんたちが一番のお気に入りの、語呂合わせとなりました。楽しくて記憶に定着するなら、何でもありな語呂合わせは、生徒さんたちの心に残る授業です。
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 46.徳川家康・三十四
4月7日、徳川家康は、羽柴秀吉の姉の息子、即ち、甥である、羽柴秀次の軍が、上条城・大留城等、篠木周辺に、二泊宿営した頃に、近隣の農民、伊賀衆からの情報で、秀…
4月11日にバターン半島を攻略したが、半島尖端から4キロの距離に浮かぶコレヒドール島の攻略という難関が待ち受けていた。東西7キロほどのオタマジャクシのような形をした島なんやが、周囲6キロの島は断崖絶壁で、その上にコンクリートに鉄板を張り詰めた陣地を巡らし、オタマジャクシの頭には、十六インチ要塞砲や三十サンチ加農砲、高角砲などがズラリと砲口を並べている大要塞や。そんな「浮沈軍艦」と呼ばれたコレヒドール島攻略作戦に、我々の部隊にも出動命令が出た。島の攻略に歩兵が刈り出されるということは、最も危険な敵前上陸をせよというこっちゃ。小さな島の敵の懐に上陸したんでは逃げることも出来んがな・・・。こら、ほんまにアカン!三日後の5月4日は、半島の突端のジャングルの中で夜を過ごした。夜空に輝く南十字星を見ながら、いよいよ明...歴史35昭和――春やん戦記➆
第一次防衛線は突破したものの、第二次防衛線は20キロほど先の山の中腹にあった。それを攻撃するためにはジャングルの山道を登っていかんとあかんかった。しかも、昼間は敵の目につきやすいので、行動はすべて夜間あった。尻の上のバンドに白い手拭いをぶらさげて、それを目印にして、はぐれんように闇の中を行軍した。ほんでもって、適当な場所を見つけてジャングルの中で寝たんや。キキッ、ギャーギャーと、名前も知らん鳥の鳴き声で目が覚めた。眠たい目をこすりながら山の中腹を見てびっくりしたがな!山の上から白旗をかかげたアメリカ兵が、蟻の行列のように降りてくるやないかい。一人、二人・・・十人、二十人・・・百人、二百人・・・、千人、二千人・・・?!小便ちびるほどびっくりした!わしら日本兵を見つけると「グモーニン」やら言うて、ニコニコ笑い...歴史35昭和――春やん戦記⑥
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 45.徳川家康・三十参
羽柴秀吉は、織田信雄が、津川義冬・岡田重孝・浅井長時を処刑したことに激怒すると、織田信雄に対し、出兵を決断した。 徳川家康は、織田信雄と同盟を結ぶと、紀州の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 44.徳川家康・三十弐
しかし、同時刻、船によって、琵琶湖を渡っていた丹羽長秀が、「一度坂本に戻るべし」との部下に反対されたが、進路を変更して、海津への上陸を敢行した事で、戦局は一…
本多勝一って、朝日新聞の記者がいたじゃない。日本の良識のジャーナリストだったと思うんだけど、その人のスクープを、自虐史観とか言って否定されてもねえ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『本多勝一の守護霊インタビュー―朝日の「良心」か、それとも「独善」か』(幸福実現党刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。まえがき今の若い人たちは、本多勝一というジャーナリストのことはもう忘れているかもしれない。しかし、かつては大朝日新聞をバックにして、日本の良心・良識のようにスター記者として輝いていた時もあった。ある意味では、日本の戦後の自虐史観と大企業の発展を憎む共産主義的呪いの“源泉”あるいは、“毒泉”ともいえる人物かもしれない。本文中にもあるが、スター記者としての本多勝一は知って...本多勝一って?
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 43.徳川家康・三十壱
前述の通り、織田信長が、本能寺の変によって、明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が、山崎の戦いで、明智光秀に勝利し、主君の仇を討った。 織田信長の嫡男で、織田家の…
靖国神社へ首相が参拝する問題について、アメリカ政府って、どう考えてるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『守護霊インタビュー駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディ日米の新たな架け橋』(幸福の科学出版)で、2014年当時のキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使の守護霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で次のように紹介しておられます。キャロライン守護霊安倍首相に?靖国神社へ参拝しないように?ああ、きわめて重要で難しい問題です。私の(首筋を手で何度も叩きながら)……が、かかっています。お分かりですか。石川ご存じのように、あの神社には戦犯として有罪になった人たちが祀られています。キャロライン守護霊はい、知っています。分かります。和田アメリカには、バージニア州にアーリントン...靖国神社問題へのアメリカの考えって?
こらアカン!2月に米軍の基地からバターン半島の地図が見つかったんやが、バターン半島は、戦争が始まる一年前から、三段構えの防御線を造り、6カ月の攻防に耐えられる物資を貯えた大要塞あったんや。そのうえ、半島の先にはコレヒドール島というもう一つの大要塞がある。こらアカン!思わず女房の小春の泣いとる顔が眼に浮かびよった。ところがや、わしらが上陸した次の日から、リンガエン湾に次々と兵隊が到着してきた。砲兵部隊も続々とやってきた。重爆撃機を中心とした航空隊も配属されて、日本軍は五万人ほどの大軍団になっていた。ああ、これで助かった!しかし、そう思たのもつかの間や。日本軍が侵攻した島々から撤退してきたアメリカ兵が、バターン半島に集結して二倍の8万人に膨れ上がっていた。そこにフィリピンの避難民2万人も加わって日本軍を上回る...歴史35昭和――春やん戦記⑤
昭和16年の7月5日に大阪城のそばにある歩兵第八連隊に入営をして、十日も経たんうちに、大阪港から上海に移動させられた。そのときの日本軍は、国際都市の上海どころか南京も占領してイケイケの時あった。当時は何の情報も知らされずに分からんままに行ったが、あとで調べたら、アメリカもイギリスも「黄色人種同士で戦っとけ」みたいな気持ちあったんやろなあ。おまけに、ドイツがソ連と交戦したために、その年の四月に日ソ中立条約が結ばれて、中国は虫の息あった。そやから、大工をしていたわしは、上海では銃を持ったことがなかった。駐屯地の兵舎やら、日本からぎゅうさん移住して来た日本人街の建築やらに刈り出されて、そら、忙しい毎日あった。せやけど、このまま日中戦争が終わってくれたらええのになあと思てた。ところが、7月28日に日本軍が、フラン...歴史35昭和――春やん戦記④
最初の現役を終えて、昭和14年の暮れ、大阪の聖天坂の家に帰ってきて、久々に小春との正月を迎えた。小春は道頓堀の劇場でお茶子(客接待)して、舞台にもちょこちょこ上がっとった。わしも、いつまでもぶらぶらしてられんので、入隊前に勤めていた岸里の工務店の社長はんに働かせとくなはれと頼みに行った。社長はんは、ご苦労さんあったと言うて、心良う引き受けてくれはったがな。大工に左官に電気の配線と忙しかったが、一ぺん軍隊にいったら多少のことは辛抱できるもんや。贅沢は出来んけども、まあまあ幸せな日々あった。しかし、それも一年半ほどや。わしが満州から帰ってきた昭和14年9月には、ドイツが突如ポーランドへ侵攻して、すでに第二次世界大戦が始まてた。おまけに、三年前のから始まった日中戦争がまだ続いてる。そこへきて、昭和15年9月に、...歴史35昭和――春やん戦記③
「15年前の今日ら(8月14日)あったら、酒飲んで、こんなごっつぉは食べられへんかったがな!」そう言いながら春やんが、ちびちびと飲んでいたコップの酒をゴクリと飲んで続けた。富田林は、大阪(市内)から疎開してくるぐらいやから、まだましなほうあった。ほやけど、酒どころか醤油は無い、砂糖も塩もなかった。それやのに、ラジオから流れる大本営発表は『勇猛果敢に敵戦力を撃砕せり』ばっかしや。当時は、こんなこと言われへんかったけど、みんな負けると思てた。せやのに、なんで戦争を続けるねん!もうええわ!もうどうなろうがかまへん。もうええから戦争を止めて、もはや玉砕あるのみ。あのときの「もうええわ」には、諦めのような、願いのような、覚悟のような複雑な思いが込められてた。そやさかいに、15日に終戦の詔書を聞いたときには、どない言...歴史35昭和――春やん戦記②
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 42.徳川家康・三十
しかし、依田信蕃の許に集結するのに反対する、勢力は、北条氏政の信濃佐久郡の岩尾城主の大井氏の許に集まった。 11月、依田信蕃は、信濃国の前山城を攻めて、前山…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 41.徳川家康・二十九
6月11日、北条氏政は、本能寺の変で、織田信長が、横死したことを知ると、6月12日、軍事動員を行った。 6月中旬、秩父往還を守備していた、浄居寺城の大村忠堯…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 40.徳川家康・二十八
織田信長の領地になった、甲斐国・信濃国・上野国の三カ国が、空白地帯であったのは、畿内において、織田家の内紛があっためである。 本来、織田信長が、死去しても、…
夏期講習の話です。 授業が始まって、先生が一言。 理系は日本史をとってはいけません!覚えることが多すぎる。でも、ここに来ている人はもう手遅れです。変更は無理で…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 39.徳川家康・二十七
服部半蔵の家臣の芝山小兵衛は、徳川家康に対し、「正成は、討ち死にした」と伝えたが、遺体を回収しようと戻ると、生きていたため、介抱しながら、共に帰ったと言われ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 38.徳川家康・二十六
徳川家康は、甲州征伐後、駿府において、織田信長を接待した。 徳川家康は、織田信長の接待のために、莫大な私財を投じて街道を整備し、宿館を造営した。 織田信長は…
もう80年近く前だけど、沖縄戦って、ほんとに悲惨だったって話だよね。あの戦争って、やっぱし日本が悪かったのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。人間の偉さとは、自分の生き様が、歴史に与える影響とその責任をどこまで感じうるか、ということでもあろう。私自身も自分の発言の一言一言や著書の一冊一冊が、現在及び将来の日本と世界にどれだけの影響を及ぼし、責任が生じるかを考え続けながら、使命を果たしているつもりだ。先の大戦の歴史認識の見直しも、宗教家として、鎮魂の願いもかねて、「粛々」とやり続けるつもりだ。他の誰にもできない仕事こそ、私の仕事である。今週末には、沖縄での講演会も予定している。...沖縄戦って?
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 37.徳川家康・二十五
阿部勝宝は、敵陣に切り込み戦死した。 武田勝頼の最後の戦いとなった、田野の四郎作・鳥居畑では、織田信長の大軍を僅かな手勢で、奮闘して、撃退した。 しかし、衆…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 36.徳川家康・二十四
仁科信盛等の首級は、織田信忠の陣に届けられ、主従の首級は、京で晒し首となった。 首を取られ残された、仁科信盛の遺体は、信盛を崇める、地元の領民により、埋葬さ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 35.徳川家康・二十参
1582年(天正十年)2月3日、森長可及び、団忠正の織田軍先鋒隊が、岐阜城を出陣。 若い両将の目付けとして、河尻秀隆が本隊から派遣された。 2月6日、先鋒隊…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 34.徳川家康・二十弐
1574年(天正二年)の第一次高天神城の戦いは、徳川家康が、救援を送れなかったため、徳川家康の威信を低下させ、離反者が続出した。 そして、八年後の1581年…
アメリカって、やっぱり一番進んだ国なんだから、その歴史認識は正しいんでしょ。だから戦前の日本って、やっぱり悪い国だったんでしょ?なーんて思ってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『日本よ、国家たれ!』――元台湾総統李登輝守護霊魂のメッセージ(幸福の科学出版)で、李登輝・元台湾総統の守護霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。(アメリカは)日本に対する偏見の部分について、反省してないよね。だから、歴史認識では、韓国や中国と同じだよ。日本を、悪い国で、ヒトラー的な国にしないと、自分たちのやったことを正当化できないからね。(中略)ハワイの真珠湾奇襲攻撃だって、一週間前から知ってたからさあ。実際は知ってたのに、自分たちの身内を犠牲にして、三千人近くの人を死なせてまで戦争を始めたかったのは、...アメリカの歴史認識って?
目次 後一条天皇時代 長和五年(1016) 1月29日 陰陽寮が神鏡を移す日時と伊勢奉幣の日時を勘申する 2月6日 陰陽寮が翌日の行幸の吉時を勘申する 2月19日 陰陽寮が斎王のことを伊勢に報告する日
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 33.徳川家康・二十壱
1580年(天正八年)8月までには、徳川家康は、「高天神六砦」と呼ばれる、小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦を完成させ、高天神城への…