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大化改新の方程式(251) 自説のまとめ:鎌足失脚説 おまけの続き
前回に続き、「鎌足=金」説について論じたい。トンデモ級の説なのかもしれないが、「鎌足=豊璋」説よりはリアリティがあると思う。少なくとも、中臣氏との接点がまるでみえない後者に比べて、前者にはその心配はない。この説の可能性については、飯田眞理氏が『古代日本の探求 第一巻』にて多方面から語り尽くしているので、今回は、この説の論点を私なりに整理しておこうと思う。(1)同時代人にみえみえの改竄をあえてするか...
本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者・歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)が評論した田道間守(たじまもり)
田道間守慟哭の絵 田道間守の評論文語意調査表 私は公爵、伯爵などの爵位や博士の学位を持つ明治時代の有名人が尊敬に値する人物を評論した明治32年発行の「明治名家古人評論」という文庫本サイズの祖父の蔵書を持っています。 これまで、その中から「ラ・ファイエット」、「上杉謙信」、「鄭成功」を取り上げ、ブログで紹介しましたが、今回は「お菓子の神様」の田道間守(たじまもり)について紹介します。 今回のテーマ「田道間守」を評論した本居豊頴(もとおり とよかい)」という人はこ爵位や博士を持っていませんが、国学者・歌人として、教育者・評論家の「杉浦重剛」と同様に、明治時代に日本文化の発展に貢献した功労者の一人で…
大化改新の方程式(250) 自説のまとめ:鎌足失脚説 おまけ
自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、3つ目の「斉明朝では鎌足は失脚していた」を展開してきた。すでに検証したように、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説には根拠がないことは明白だが、実は、はじめて関裕二氏の著作を読んだとき、豊璋がありなら、他の人物でもよいのではないかと考えたことがある。で、思いついたのが、中臣金──理由は至極単純で、鎌足=「金」を「兼」ねる男。隠蔽目的にしてはあまりにネタバレすぎる、...
JUGEMテーマ:歴史 笑い」を旨とする祭があります。防府(山口)の「笑い講」、名古屋(愛知)・熱田神宮の「酔笑人神事」、東大阪(大阪)・枚岡神社の「注連縄掛神事」、日高(和歌山)・丹生神社の「笑い祭」などが代表的です。昨年はその
大化改新の方程式(249) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その7
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
JUGEMテーマ:歴史 その2からの続き女陰石と道祖神の話は前回で一通り終了したものとして、今回はその延長で少々飛躍ぎみというより誇大(古代…?)妄想レベルな話をしてみます。 《6》卵生神話 サルバドール・
現代語訳が手に入ったので、子供向け版以来50年ぶりに読んでみました。読みやすいけど、よく分かりません。なんとなくすっきりせず、このところのお天気のような気分…
大化改新の方程式(247) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その5
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
飛鳥時代はここから始まった!【推古天皇の豊浦宮】豊浦寺跡(向原寺)
この記事では、かつて豊浦宮が置かれた豊浦寺跡(向原寺)をご紹介しています。推古天皇は593に豊浦宮で即位されました。豊浦宮が置かれた593年を飛鳥時代の始まりとします。ここから飛鳥時代が始まり、以来100年間、飛鳥は政治の中心地でした。
【難波の堀江】百済の聖明王より賜った金銅仏が善光寺の御本尊に!【善光寺縁起】
この記事では向原寺(豊浦寺跡)の一角にある「難波池」をご紹介しています。廃仏派の物部氏により捨てられた仏像が、善光寺に祀られているという逸話が『善光寺縁起』に見られます。一度捨てられた仏像が、今も信仰を集めていることを知り感動しました。
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き《3》スサノオは和歌山発…? 〜松前健説 出雲と紀伊が深い関係にあることは昔から指摘されていたようで、須佐や熊野といった地名が両方に存在しますし、スサノオを祀る須佐神社は和歌山
大化改新の方程式(246) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その4
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>豊璋と鎌...
神武天皇から持統天皇までの記紀が扱う時代について系図を作成してみた。 この時代の神武天皇からはじまる系図では、通常は男系の単調な系図となっていて、神武天皇から成務天皇までは父子継承であることから、系図は一直線になっている。 ところが、本来の記紀には多彩な母系も記述されており、決して一直線の単調な系図で表されるようなものではなく、また、"神武"のような漢風諡号も使われていない。 漢風諡号を用いた単調な系図は、そもそもの記紀の世界観からは大きく異なったイメージを与えて、あまり適切ではないのではないか? 漢風諡号を用いず、母系も意識した系図を作成すると、どのようになるのか? そのような観点から、記紀…
前回(上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱)自作の『記紀等準拠系図』を紹介したが、この系図を眺めると、親子継承の間隔や婚姻関係など、いろいろ無理があることに気づく。 〇親子継承が大きく伸びている部分として、①ワチツミ、②物部十市根、③武内宿禰が挙げられる。②③は伊香色女、伊香色男の世代が3世代ずれている。①については、ハエイロネ姉妹の世代が3世代、ワチツミが1〜2世代ずれている。 〇3代から6代までの天皇は、磯城県主ハエの子の世代の娘を妃としており、この間の天皇を直系で繋ぐのは無理がある。 〇同世代で活躍したとされる四道将軍の四人の世代がバラついていて、同時期に活躍していたとするのは無理が…
解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について
前回(世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱)紹介した世代修正系図では、第四代と第五代の間、第六代と第七代、第九代と第十代の間を分割した。 第七代倭根子(大倭根子・彦フトニ:孝霊天皇)については大直根子(オオタタネコ)と同一人物ではないかとしたが、今回は、第五代ミマツ彦(孝昭天皇)と第十代ミマキ入彦・イニエ(崇神天皇)の出自について。 第五代ミマツ彦(孝昭天皇)に関して、「ミマツ彦の同母弟」という意味の名を持つミマツ彦イロドが、徳島の那賀川に拠点を持つ長国造の祖先とされていて、事代主の孫との伝承があり、ミマツ彦イロドを祀る『御間都比古神社』が徳島の山中に現存する。 事代主については出…
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は、2世紀の様子について紹介する。 弥生時代後期、阿波の那賀川上流で水銀朱鉱山(現在の若杉山遺跡など)が開発される。事代主一族がこの水銀朱利権を掌握していた。※事代主については出雲の国譲りに関する物語などで大活躍する神であるが、式内神社の分布を見ると、徳島の那賀川周辺にのみあるなど、事代主は本来は那賀川の開拓に関する神であったとみられる。 100年代後半、大物主一族が、奈良盆地南東の泊瀬川上流域、宇陀の水銀朱鉱山を開…
シナリオ:2世紀末から3世紀初頭『綏靖天皇のクーデターと世俗王孝昭天皇の登場』
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年前後の様子を紹介する。 ホホデミは即位後、程なくして亡くなる。ここで、皇后イスケ依姫はホホデミの長男タギシミミを男王に選ぼうとする。一方、川派(カワマタ)姫がイスケ依姫を追放するクーデターを起こし、川派姫の夫である渟名川ミミが男王として第二代綏靖天皇となる。2世紀末のことである。※男王がメインか、女王がメインかで、話は変わる。神武天皇は明らかに三輪祭祀の巫女を出す磯城県主家に婿入りしていて、発言力があっ…
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代の様子を紹介する。 第四代スキツミ(懿徳天皇)でホホデミ(神武天皇)から続く祭祀王家は途絶える。スキツミの親族、ワチツミは淡路に拠点を置き、吉備勢力と関係を深める。 世俗王第二代の倭足彦(記紀では第六代孝安天皇)の代替わりとして、ミマキ入彦が纏向を制圧し、世俗祭祀の統一王(記紀では第十代崇神天皇)となる。250年ごろのことである。※ミマキ入彦の出自であるが、皇后のミマキ入姫が、又の名をミマツ姫とも言わ…
シナリオ:3世紀後半から4世紀前半『垂仁天皇、景行天皇、ヤマトタケル』
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代後半から300年代前半の様子を紹介する。 彦坐王は初代世俗王ミマツ彦(孝昭天皇)の子の天足彦の子孫で、和珥氏一族。子の丹波道主王とともに四道将軍の派遣で丹波方面で活躍して、奈良盆地北部から淀川・琵琶湖・丹波を支配していた。 第十代崇神天皇ミマキ入彦五十瓊殖(イニエ)の代替わりとして、第十一代垂仁天皇イクメ入彦五十狭茅(イサチ)が200年代後半に即位。 垂仁天皇は彦坐王家に介入。彦坐王の子の佐保彦を滅ぼ…
系図から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は、西暦300年代後半から400年まで。 足仲彦即位(仲哀天皇350年頃)時点で、関門海峡・北九州以外は勢力下に置いていた。また朝鮮半島では新羅や百済が国として形成されはじめて、皇后の息長足姫(神功皇后)は新羅の権益(母方が新羅王子天日槍の子孫)を有していたことから、関門海峡、北九州、新羅の制圧を企図した。 そこで若狭水軍を息長足姫に束ねさせ、紀伊水軍を武内宿禰に束ねさせて、瀬戸内海と日本海から関門海峡を挟み討ちにし念願の関門海峡制圧に成功した。 ここで不測の事態が起こる。足仲彦(仲哀天皇)が急死してしまっ…
関門海峡制圧(仲哀天皇崩年の前年:記崩年干支によると361年)以降、莫大な富と文化が瀬戸内海・難波に流入。巨大な前方後円墳の造築が可能になり、記録も詳細に残せるような文明開化が起こった。 このため五世紀の歴史は詳細な様子がわかる。以下は、各天皇の元年崩年をまとめたもの。 ※記紀記事の西暦(絶対年代)への比定については、不確定性が多い。日本書紀はストーリー上の都合に応じて改竄している可能性が高いほか、暦について春秋二倍暦などを考え始めると、あらゆる解釈が可能になる。上記表では、古事記記載の崩年干支が、一年暦に換算された正確なものとして、各天皇の元年崩年を整理した。 以下、5世紀の様子を紹介する。…
畿内政権の制圧圏、日本の範囲はどのように拡大していったのだろうか。 記紀が語る領土拡大の歴史についてまとめてみた。 ハニヤス王鎮圧時の制圧圏 畿内はハニヤス王の反乱鎮圧時点で制圧は完了したとの歴史認識のようで、日本書紀には「畿内無事」との記載がある。 このほかに、崇神天皇即位後、制圧伝承のない地域として、紀伊半島と四国がある。ミマツ彦カエシネ(孝昭天皇)が、宇陀の水銀朱などの鉱物資源の権益を求めて、出身母体の事代主一族が支配する四国那賀川流域から紀ノ川を遡って奈良盆地南西の玉手の地に進出したと『解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱』や『シナリオ:2世…
邪馬台国論争のキーポイントは、 240年代の伊都国が属していた女王国は畿内の政権と言えるのか? 「解説:記紀が語る領土拡大の歴史 - 上古への情熱」を見てみると、邪馬台国論争にも明確な結論が出るように思う。 魏志倭人伝に見る伊都国 魏志倭人伝では240年代に魏側の使者が倭国に訪れていることから、240年代の倭国の様子を記載している。 伊都国は「代々王がいて、みな女王国に属する。帯方郡の使者が往来し足を止めるところ」とされている。 240年代に伊都国は女王国すなわち邪馬台国に属していたことになる。 日本書紀に見る伊都国 日本書紀では仲哀天皇が崩御する前年に伊覩県主の五十迹手が降伏している。それ以…
初代神武天皇から四代懿徳天皇までは名の最後がミミ、ミとなっている。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 名のさいごがミ、ミミとなっている耳王家は彦ホホデミ神武天皇から始まり最後が磯城津彦の子のワチツミとなる。四代スキツミ懿徳天皇の世代までは、すべて男で姫がいない特徴がある。(正確には男女不明であるが、明確な姫がいない。) ワチツミの父は、三代磯城津彦タマテミ安寧天皇の子で、安寧天皇と同じ磯城津彦であるが名前が伝わらない。また「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」…
初期天皇家の妃は古事記と日本書紀で記載が大きく異なる。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 耳王家の妃に関する系譜は、記紀で大きく異なる。古事記では妃を大物主及び磯城県主からとしているのに対し、日本書紀は事代主の子孫の出身としている。 大物主は三輪山の神であり、磯城県主一族は大和盆地南東部の実力者で間違いない。 一方で、「解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱」でも解説した通り、事代主一族は那賀川の水銀朱鉱山開発を行うなど鉱山権益の実…
神武東征に際し活躍した弟磯城は初代磯城県主となり、磯城県主家は代々妃を出し繁栄するが、七代孝霊天皇に妃を出して以降、歴史から消えてしまう。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 弟磯城は神武東征の立役者として初代磯城県主黒速となる。神武天皇は大物主の子のイスケ依姫を妃とした。このイスケ依姫と弟磯城は関係者で兄弟と考えられるが、関係についてはっきりとは書かれていない。 綏靖天皇世代の磯城県主ハエは、子や姪が3代から6代の天皇妃となり、強大な権勢を保持していたと考えられる。この磯城…
初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 崇神天皇に至る基本的な経緯は以下の通り(参照「解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱」)。①弥生時代後期、事代主一族が那賀川上流の水銀朱鉱山を開発。②その後、大物主一族が、日向出身の饒速日と、那賀川の事代主一族のトミ彦とともに、大和の宇陀の水銀朱鉱山を開発。③噂を聞きつけた日向のホホデミ(初代神武天皇)が三輪山麓に乗り込んできて、大物主一族と手を結び、饒速日とトミ彦の一族を追い出した。④しかし物流は…
JUGEMテーマ:歴史 永井豪のマンガ『凄ノ王』(1979年連載開始)というタイトルを比較的長い間“スゴノオウ”と読んでおり、スサノオと読むのだと気づいたのはけっこう大人になってからです。なぜこんな誤解をし
大化改新の方程式(245) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その3
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>「鎌足=...
安房の神様の山。 左が男神山=太玉さん。 右が女神山=比理刀咩さん。 孫の天富命がそう決めた。 これ神話じゃなくて、 本当にあった話だと思いますよ。 2600年前の実話、 ノンフィクション。 たぶん太玉さんの孫の富さんと、 日鷲さんの孫の由布津さんが、 部下を数名連れて徳島から、 安房に来たと思うんですが。 その初上陸地点と言われているのが、 この海岸(布良海岸)です。 この近辺ここ以外は全部岩場で、 丸木舟では上陸不可なので。 間違いなくこの狭いエリアの砂浜から、 初上陸したと推測されます。 神山の直下にこの海岸(砂浜)があり、 しかもちょうど山が2つ夫婦みたいに? 連なっているので。 上陸…
大化改新の方程式(244) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2(補足)
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>「鎌足=...
102. 天岩戸神社・東本宮(あまのいわとじんじゃ・ひがしほんぐう) 〜宮崎県西臼杵郡〜
宮崎県の天岩戸神社には、天安河原へと繋がる道がある西本宮と、天岩戸がある河岸側の社殿、東本宮があります。多くの方は西本宮と天安河原だけを参拝して終えますが、ぜひ静かに佇む東本宮へも合わせて参拝していただきたいです。
日本神話の地、高千穂。ここには、天岩戸隠れの際に八百万の神々が集まり、相談をしたと伝えられる洞窟「天安河原」があります。実はこの「天安河原」も御朱印があって、天岩戸神社西本宮でいただくことができます。
大化改新の方程式(242) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。その第1弾では、『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。【ここでの...
JUGEMテーマ:歴史 女優・声優の戸田恵子さんがアンパンマンの声を担当して数年たった頃に出したエッセイ『アンパンマンになりたい私』(風雅書房 1994年刊)というのがあります。この中で戸田さんはアンパンマンについて、&ldquo
<真説>CG『蘇我馬子』 ~聖徳太子は蘇我馬子の存在と業績を抹殺する為に日本書紀に創作された架空の人物である~
CG : The theory that Prince Shotoku = Umako Soga 『聖徳太子』は紙幣の図柄に何度も採用されるなど、日本の歴史上で最も有名な偉人なのかも知れない。「仏教振興」「冠位十二階」「十七条の憲法」「遣隋使」「法隆寺創建」など古代史上で偉業を成した。 しかし筆者は
天照大御神が隠れたという天岩戸を御神体とする、天岩戸神社。その奥にある「天安河原」。ここは天照大御神が隠れた際に、八百万の神々が相談したとされる洞窟。岩戸川の渓流を遡ったところにある天安河原は、俗世間から切り離されたような神聖さを湛えていました。
8月上旬に初めてコロナに感染。家族と職場に持ち込み、ひどく恨まれてしまったが、感染経路は通勤途上以外全く思い当たらない。コロナ禍以前の状態に戻った満員電車に1時間以上も揺られていれば、さもありなんか。いまだ咳止まず。【ここでの課題メモ】これまで5回にわたって宝皇女の“興事好き”について語ってきた。自説の根幹としてあげた以下の3つのうち、残りは鎌足失脚説だ。・乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想・宝皇女...
100. 天岩戸神社 西本宮(あまのいわとじんじゃ にしほんぐう) 〜宮崎県西臼杵郡〜
神社巡り100社目は、偶然にも天岩戸神社!天岩戸神話が伝えられるこの地に、とうとうやってきました。この神社の奥には天安河原があります。そこが今回の旅の一番の目的。一体そこでどんな景色に出会えるでしょうか!?
大化改新の方程式(241) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その5
かなりインターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。4月以降、ビジネス環境がコロナ前に回帰したとたん、多忙を極め土日もない状態が続いています(現在進行形)。とはいえ、閉鎖してしまったと思われるのは哀しいので、暇をみつけてやっとかたちにできた記事を1本あげておきます。【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化...
とうとうやってきました、日本神話の舞台、日本の始まりの地、高千穂。山間にひっそりとある高千穂町の高千穂神社は、神武天皇の兄である三毛入野命(みけぬのみこと)が創建した神社で、約1900年前とされています。悠久の時を感じる神社。
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…