メインカテゴリーを選択しなおす
自分なりの成功をようやくつかめて、今ちょっと、裕福な感じ。こういうときに、注意すべきことってあるのかな? なーんて、ぜいたくな悩みもってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への道標』──魅力ある人生のための処方箋(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 まず、自分がある程度の成長をし、成功をおさめたと思うならば、次にすべきことは、この幸福の種を次第しだいに広げていくことだと思います。その一つは、自分が幸福の種を両手一杯に持ったならば、この一部を他の人にお裾分けしてあげること、そういう「分福(ぶんぷく)」の姿勢が必要であろうと思います。(中略) さらに現在の一時的な成功、こ…
6月だけど晴れ!🌞土曜日!暑い!🔥 PayPay自治体キャッシュレスキャンペーンあるし、未踏地のため神奈川県座間市に旅行のつもりでしたが 寝坊したので日曜の予定を土曜日に変更( ˘ω˘ ) スヤァ… 私にしては珍しくほぼリアルタイムな日記です。 そんな訳で大都会東京都巣鴨にある 大正大学の鴨台祭(文化祭・学園祭)に行ってまいりました。 鴨台祭2025 公式サイト さすが旅のプロ、リカバリーも完璧👍そもそも寝坊してんじゃねーか 文化祭とかって秋の10、11月あたりのイメージですけど、ここは珍しく6月。 縁もゆかりも無い大正大学になぜ行ったかと言うと サークル・部活動に珍しく雅楽倶楽部があるため …
そういえば、1つ重大な問題について論じ忘れていた。それは、大本山永平寺3世・大乗寺開山の徹通義介禅師(1219~1309)のことについてである。徹通義介禅師はよく、永平寺の宗風をねじ曲げ、変えてしまった人だとされる。それで、その際に、密教の導入など、様々な変化があったというのだが、それは本当だろうか?正しく、史料に基づいて考えられているのだろうか?よって、この記事では、義介禅師についての古伝から、その事績を批判(=吟味)的に確認してみたい。・批判1徹通義介禅師はどのようなお方だったのか?まず、徹通義介禅師は、どのようなお方だったのだろうか?なお、個人的には義介禅師の最古伝となる『三大尊行状記』「義介禅師章」などに見える、特に義介禅師の参学について不明に思っている人が多いことが、誤解の最大の理由であると思わ...「純粋禅」の虚構(4)
神さまは一人だって考えられてる国と、日本みたいに神さまはたくさんいるっていう国があるでしょ。これって、どっちが正しい考え方なの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教の挑戦』──ミラクルの風(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 これは結局において、造物主、創造主というものと、地球系霊団の人格神とを分けて考える以外に道はないし、そう考えることが、世界の宗教が一つになるための早道だと思います。 人格を持って地上に出てくる、あるいは霊天上界において人格を持って地上の人を指導する神というのは、この大宇宙を創った神と考えるには、スケールにおいて若干小さく見える…
☆谷川岳を北上する.谷川岳から見える霧のかかった風景写真を添付します。写真解説「谷の間に青い山脈が聳えています。山の中腹に霧がかかっています」多忙に多忙を...
☆一途な新世界の渇望.骨折した入居者を病院搬送した車両の写真を以下に添付します。写真解説「車椅子n乗った状態で搬送できる車両。スイッチ一つで収納できる」介...
☆二兎を追えば、つまり獲物を得られないとはたしかにその通りで、簡単なことならいざ知らず難しいことや複雑なこと、あるいは疲労の蓄積などがあろうものなら事を成...
☆断捨離でワープする.工事金額122万円を示す請負契約書の写真を添付します。写真解説「請負金額122万円(消費税込み)と支払い条件(二回払い)の書面」以前...
Q&A 学会活動に関する素朴な疑問【添削版】③(活動について)
Q.折伏はどうやってやればいいの? 折伏とは日蓮大聖人の仏教を語り大聖人仏法の信仰を勧めることです。平和運動や文化活動をしたり、創価学会や池田先生の事を語ったり、ましてや公明党を支援することでありません。でも安心してください。創価学会は大聖人の仏教ではないので折伏という修行はありませんので、どうすれば折伏が出来るかなんて考える必要はありません。 Q.「座談会」ってなに? 公明党選挙支援や聖教新聞啓蒙・財務の啓蒙など、創価学会本部が求める会員を育成する場が座談会です。御書講義も申し訳ない程度にやりますが、それも創価学会流の解釈で、創価学会員育成システムの一環です。外部の友人を誘うとその後気まずい…
私は宗教心はないのですが、インスタで康照さんの教えを聞いて、前向きな考え方が出来るのが心に響いて、よく聞いています。ただ、自分にピッタリくる教えのいいとこ取りです。康照 kosho_sakae僧侶(真言宗 阿闍梨)代替医療家インスタはこちら今回は四無量心の教
孤独なんだ。一人で机に向かったりしてると、こんなこと何になるんだろう、もっとほかにやることあるんじゃないのって思ったりするんだけど? なーんて悩みもってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』──縁生の弟子たちへのメッセージ(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。 しかし、諸々の比丘、比丘尼たちよ。あなたがたはすでに修行の道を歩んでいる。すでに修行の道を歩んでいるあなたがたであるならば、心強くありなさい。長旅を一人で耐える覚悟をしなさい。孤独に耐える実力を養いなさい。人生に勝利する鍵は、実にこの孤独に耐えるというところにあるのだ。孤独に耐えることに失敗した者は、真に成功…
以前、某ブログを見て、正直驚いた。最近、曹洞宗内に於いては太祖・瑩山紹瑾禅師への研究が進み、その伝記や教えの実態はかなりのところ明らかになっている。1980年代頃の研究の問題点も分かり、その時代の研究がほとんど、瑩山禅師の実態を捉えていないことも分かってきた。これらの事実は本来、一般世間にも影響していかねばならないところだが、未だに瑩山禅師について、ただ「道元禅師の教えを歪めた人」という中傷がされることに、驚きと失望を禁じ得ない。それらの見解の問題点は、大きくいえば1点であり、【「純粋禅」の虚構】でも申し上げたことと共通するが、それは以下に尽きる。※日本達磨宗悪者説まぁ、従来、達磨宗を研究した人達のミスリードもあるのだろうが、この説について、拙僧は全く納得出来ない内容である。そもそも、曹洞宗は日本達磨宗に...「純粋禅」の虚構(2)
ほんとの愛は、「与える愛」だって、教えてもらってるよね。でもなんで、与えるのが愛なの。もらえるんなら、その方がいいじゃない? なーんてまっすぐな疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『太陽の法』──エル・カンターレへの道(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。 愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。 愛の本質とは…
とても良い問いです。「自我の消滅」とは、仏教において非常に重要なテーマであり、誤解されやすい部分でもあります。以下、わかりやすく解説します。 --- ## ◆ 自我とは何か? 仏教でいう「自我(じが)」とは、次のような考え方を指します: * 「これは**自分**の体だ」 * 「これは**自分**の考えだ」 * 「私は他人と**別の存在**だ」 * 「私はこうあるべきだ」という**固定した自己イメージ** このような…
「阿羅漢果(あらかんか)」を得る方法とは、**仏教、特に上座部仏教(テーラヴァーダ)において、煩悩を断ち、完全な解脱に至る修行の道**です。 これは、釈迦(ゴータマ・ブッダ)の教えに基づいて段階的に進んでいくもので、理論だけでなく**日々の実践が必要不可欠**です。 --- ## ◆ 阿羅漢とは何か? * \*\*阿羅漢(アラハン/Arahant)\*\*とは、煩悩をすべて断ち切り、二度と輪廻に戻ることのない人。 * 完全…
いわゆる仏事に関する思想が、ほぼ真逆の浄土真宗の教義体系を見ていると、それに照射される形で当方どもの作法の意義が分かったりするというのが良いと思っている。今回も、以下の一節から学びを進めていきたい。九十五死亡したるものには法名(普通改名或は戒名といふ)を与へ、又葬式に引導といふ法式を行ふは、如何なる意味でありますか、真宗にては、僧侶は得度後、俗人は帰敬式(普通御剃刀といふ)後に、法名を付属するを例と致します、之は仏法に入りて俗を離れたるしるしに、法名を与へるのであります、又引導といふことは、他宗に於て行はるゝことで、真宗には死んでから後に引導はないのであります、夫は生きて居る中に、信心を得るのが即ち引導でありまして、死んでから後の儀式は、皆報恩の行ひとするのであります、西元竜拳師『真宗百話』森江書店・19...『真宗百話』に見る戒名と引導の話
☆内心「うらやましい」楽しみが多い少子高齢化の時代の宗教は、基本的に「流行らない」から、観光で儲けているテーマパーク宗教を除けばピンチです。墓と先祖供養に...
☆日顕宗はカイダン宗.ishipoteさんが私の記事にコメントをくださっている。→sokafree.exblog.jp/33508859/このishipo...
☆一周忌に納骨を終了.写真解説「帰郷して借りたレンタカーのホイール部分の写真」夜行バスでの3泊5日の帰郷から帰ってきました。意義深く、円滑で福運に満ちて、...
とりあえず、以下の一節をご覧いただければと思う。五戒謂わく、戒に五有るなり。一には不殺、二には不偸盗、三には不邪婬〈在家人の受くるは、則ち邪婬と云う。若し出家人の受くるは、則ち云く梵行に非ざる縁を離る。一切都て断ずるが故に〉、四には不妄語、五には不飲酒〈前の四、是れ性戒なり。後の一、是れ遮戒なり〉。『釈氏要覧』「戒法」章何だろう?最近、『釈氏要覧』ばっかり使っているような気がしているのだが、大丈夫だろうか?手抜きしすぎている感じがしているが、一節ごとは短くても学ぶことが多いので、ご寛恕願いたいところではある。今回採り上げたのも、短いながらも色々と思うところがあったためである。まず、五戒の内容については特段意見は無い。しかし、その解釈が2つあるので、そこに注目したのである。まずは、「不邪婬」の解釈であるが、...在家五戒に於ける性戒と遮戒について
富士市にある『霊蹟本山岩本山(がんぽんざん)実相寺』に行ってきました。『霊蹟本山』というのは日蓮大聖人が滞在した寺院に与えられている称号で山号が『岩本山』です。平安時代の久安元年(1145)に鳥羽天皇が法皇時代に、比叡山横川(よかわ)の天台宗僧侶・智印法印に建立させた元々は天台宗の寺院です。その後正嘉2年(1276)、智海法印が改宗して日蓮宗となり、智海法印は日源と改名しました。永禄11年(1568)に武田氏に侵攻され大伽藍を焼失し多くの僧侶が殺害されましたがその後再建されました。この実相寺に大聖人は入山され一切経を閲読されて『立正安国論』を著されました。また大聖人と日興上人が出会われたのもこ…
仏教の教えで、「空(くう)」ってあるんだけど、どういうことなの? なーんて疑問もってる人、やっぱりいませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『釈迦の本心』──よみがえる仏陀の悟り(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 「唯神(ゆいしん)実相哲学」という言葉がありますが、これは「唯光(ゆいこう)実相哲学」と言い換えてもよいものです。 「三次元、四次元、五次元などという世界があると言われているが、ほんとうは、そうしたさまざまな世界があるわけではない。ただ光のみがある。その光が実相をつくっている。光のみ実相である。その光が変化した姿が、さまざまな世界のありさまをつくっている。霊の世界における仏…
曹洞宗では、道元禅師の時代から6月1日には上堂がなされている。その内容は、酷暑の季節に入り、普請の坐禅を止めるためである(再開は9月1日)。閏六月旦の上堂。三半一閏最初の日。六月炎天我の如し何。闍梨を熱殺して、能く活すべし。揚眉の当面早く蹉過す。『禅林普済禅師語録(上)』なお、上記上堂は、そのような内容ではない。これは、ただ六月の最初に上堂を行った、というだけである。古来、4月15日が結夏であったから、6月1日はそのちょうど中間である(これを、半夏ともいう)。よって、その日に上堂を行うわけだが、上記上堂はそういうわけでもない。上記上堂の特徴は、「閏六月」に行われたことである。つまり、閏月が夏安居中に存在したことを意味し、ほぼ同年代の臨済宗の記録を見ると、そういう場合には「九旬安居」が「十二旬安居」になって...今日は六月一日の上堂を学ぶ
『浄土布薩式』「大科第十二 証明」(『浄土布薩式』参究27)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十二証明」の項目を学んでいきたい。大科第十二に証明と云は、仰で十方諸仏に啓す、娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、大乗有縁の処、某の道、某国、某の郡、其の郷、其の村、其の里、其の仏像前にして、信心乞戒の受者有り、理事頓教の真戒を受け畢て、我等以て証明尊と為る。請ひ願くは、諸仏証明大善知識と為りたまへ。『続浄土宗全書』巻15・82頁、訓読は原典に従いつつ拙僧証明とは、受戒したことを証明してもらうことだが、声聞戒であれば「七証」に位置付けられる比丘によって行われた。大乗仏教では理念的な仏・菩薩によって証明されており、以上の文章でも、十方諸仏によって証明されたことが分かる。気になるの...『浄土布薩式』「大科第十二証明」(『浄土布薩式』参究27)
☆長井秀和の「トイチ」長井秀和という芸人がオカシナことを吹聴しているようです。彼は、学会が「トイチ」と言って「収入の10%を献金する」ことをあたかも奨励し...
☆挫けない。前進するのみ!→Eternal Journey with Sensei(永遠の師弟旅)English Ver.>Eternal Journey...
☆御書の通りの出来事.失言一発退場の政治家・葉梨氏の新聞報道写真を添付します。写真解説「記者に囲まれる法相の写真付きの新聞。“法相失言・批判拡大”の見出し...
☆公明党はスゴイ.公明党・谷合正明議員の写真を添付します。写真:agripress.co.jp/archives/6698より.現在、国会での参院予算会議...
知人に大学の社会学部卒は一人だけいます。その知人と以前飲んだ時に社会学の話を聞いて興味がわいたので少しだけ社会学の勉強してみた。その名の通り「社会」について探求するの学問なのだが社会って広いし空気みたいだし・・社会学というのはなんとも掴みどころがない学問だと思った。そもそも「社会って何だろう?」と問われても普通はそんな事を考えて生きていないし、「こうである」という絶対的な答えもないから何かモヤモヤする学問です(笑)。でも「社会」について考えることは大小さまざまな社会の中で生きていく人間にとっては必要な学問なのかも知れないとも感じる。現在の定説では社会学はオーギュスト・コント(1798~1857…
幸福の科学の信者って、凄い経文をいただいているんだから、ご先祖さまが迷ったりしてるとき、自分の力で救ってあげれないの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』──未来を、この手に(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 そのうちに、だんだん自分にも力がついてきたら、直接、そういう霊たちを救う力も湧いてくると思いますが、まずは、うっすらとでもよいから後光が出る状態になり、法力が出てこないと、救うことはできないのです。 たとえば、「遊園地などへ行って池でボートを漕いでいると、一緒にボートに乗っていた人が池に落ちたため、その人を助けようとしたところ、手を引…
仏教における「悟り(さとり)」とは、**真理に目覚めること**、あるいは**すべての迷い(煩悩)を断ち切って解脱(げだつ)に至る境地**のことです。サンスクリット語では「ボーディ(bodhi)」と呼ばれ、「目覚め」「知恵」などの意味を持ちます。 --- ### 仏教での悟りの意味 仏教では、人間は**無明(むみょう)=真理を知らないこと**によって、苦しみの輪(生死の輪廻)に縛られています。悟りとは、この無明を打…
↑前回の続きです。今回は畜生に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P416~引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何、我爪頂に載せた...
江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は篤胤が、釈尊が火葬される経緯について、どのように評したかを見ておきたい。さて其翌朝阿那律と云弟子が阿難に云ことには、汝王舎城に入リ諸の末羅〈はたらき人のことか〉に仏の滅度を語て頼むがよいと云時に、阿難が泣泣城に入り諸の末羅どもの一所にをつたる処へ行た所が、夫らが云には、朝早くなにの用在て来たぞと云時に、阿難が云には、如来昨夜已に滅度せられたによるてきてくりやれと云。是らのいふに、どふしてそう急に死んだ事じやなどヽいひつヽ、これらがかヽりてとりしつらひ天冠寺と云寺へ持ち...釈尊の火葬についての評価(拝啓平田篤胤先生51)
空腹で、お腹が「グー」と鳴った時、それは、身も心も大いに喜べる、大変有り難い至高の時。
江戸幕府の三代将軍、徳川家光公の時代、沢庵宗彭(たくあんそうほう)という、将軍家、諸大名、一般庶民にも、広く名前の知られた、大変立派な高僧としても有名な、臨済宗の和尚さんがおられました。徳川家光公は、この沢庵和尚と出会い、一目見るや否や、我が心の師匠として帰依し、大変に尊敬し、その教えをよく聞いていたのだそうです。ある時、家光公は、沢庵和尚の元に訪れ、「近頃、余は、何を食べても美味しいと感じられな...
昨夜寝る前に読んだ本「苦しくて切ないすべての人たちへ 」 著者は、恐山の禅僧 南 直哉 氏 この本を知ったきっかけは、1年ほど前に文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に、南さんがゲスト出演していて知りました。 (この時の放送がYouTubeにUPされていたので、最後に貼...
「第一官律名義弁」其三十六(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・36)
ということで、もう30回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。現在は日本の役職となっている。そこで、今回から数回は「職」という項目から見ていきたいと思う。職一長者天長元年、大師東寺の別当に補せらるを始と為す〈補任〉。私に謂く、此れ別当の補任なり。承和三年五月十日、実慧を以て権律師に任じ、長者に補す。遺告に依る。実慧を以て長者補任の始と為すべし。已前、未だ長者の奏表を経ざる故なり。『...「第一官律名義弁」其三十六(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・36)
このブログって、いいことたくさん書いてあると思うんだけど、その話、伝えたい人がぜんぜん聞いてくれないんだ。「興味ない」とか、「別の信仰もってる」とか言われたりして。どうすればいいのかな? なーんて疑問、持ってくれてる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明』──偉大なる悟りの復活(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 「蓮(はす)の華(はな)のたとえ」というものがあります。蓮は泥沼に咲くわけですが、蓮のなかには、まだ沼の底のほうにあって、水面まで遠い蓮もあります。これに対しては、いかんともしがたいものがあります。「水面上に顔を出して、花が咲けば素晴らしい」というようなこ…
ごく簡単な考察である。とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。建保五年丁丑、十八歳の秋、始めて本山を離れ、洛陽の建仁寺に投じ、明全和尚に従う。猶お、顕密の奥源、律蔵の威儀を習い、兼ねて臨済の宗風を聞く。即ち黄竜の十世に列す。遂に明全に従い、海を航海し宋に入る。日本貞応二年癸未、大宋の嘉定十六年なり。『永平寺三祖行業記』「道元禅師章」、訓読は拙僧短い一節ではあるが、幾つかの註記が必要となる。まず、この建保五年とは1217年のことで、道元禅師は18歳であった。その年の秋に、それまで4年ほど修行していた天台宗の比叡山を離れて、建仁寺に入ったのであった。ただし、『建撕記』などを見てみると、道元禅師はおそらく、比叡山と建仁寺を往来しながら栄西禅師とも会っていたと思われ、それが長じて、本格的に比叡山を離れたのがこの...道元禅師は明全和尚に嗣法したか?
『釈氏要覧』を見ていたところ、面白い項目を見出したので、紹介がてら学んでみたい。護戒事業方等経に云く、鬼神を祭祀することを得ざれ、鬼神を軽んずることを得ざれ。神廟を毀壊することを得ざれ。仮使、有人の祭祀する有れども、亦た彼の人を軽んずることを得ざれ。亦た彼と与に往来することを得ざれ〈文多く、載せず〉。それで、『方等経』を典拠にしているとはいうが、『大方等陀羅尼経』巻4「護戒分」からの引用であるらしい。しかも、良く見てみるとこの一節は、「善男子復有五事」として、実践すべき5項目となっている。そのため、一応、5行で表現してみた。それから、拙僧的に良く分からないのは、これが何故「護戒事業」と呼称されたかだが、これも引用された原文を見ていたら、すぐに理解出来た。それは、先の一節に続いて、「是の如くの五事、是れを行...護戒と鬼神信仰について
「南天棒」こと中原鄧州老師(1839~1925)は、明治時代から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶であり、常に南天の棒を携え、全国の禅道場を巡って修行者を容赦なく殴打したため、先のように呼ばれた。こういう「厳しいのが「禅」」だと思っている人には、とても人気であるという。それで、今回の記事は、先に挙げたタイトルの通りだが、南天棒の言葉に、道元禅師『正法眼蔵』「嗣書」巻への批判が見えたので、それを見つつ、批判の射程と、その可否について検討してみたい。まぁ、宗派が違うので、南天棒自身は「是」として主張したのだろうが、洞門の拙僧としてはそのまま同意するわけにもいかない。嗣法の原理はこの勘定では分からぬ。嗣法の広大無辺にして際涯なき無量心に参ぜねばならぬ。時間の不可得なる所をも参詳するがよい。早く合点の行くように...南天棒による『正法眼蔵』「嗣書」巻批判?
我欲を捨て去り、煩悩を滅し、悩み、苦しみの世界から脱する為の方法、その王道こそが、坐禅。
徒(いたずら)に百歳(ひゃくさい)生(い)けらんは、恨(うら)むべき日月(じつげつ)なり悲(かな)しむべき形骸(けいがい)なり設(たと)い百歳(ひゃくさい)の日月(じつげつ)は声色(しょうしき)の奴卑(ぬび)と馳走(ちそう)すとも其中(そのなか)一日(いちにち)の行持(ぎょうじ)を行取(ぎょうしゅ)せば一生(いっしょう)の百歳(ひゃくさい)を行取(ぎょうしゅ)するのみに非(あら)ず百歳(ひゃくさい...
☆次の戦いが始まる.岡山から東京へ移動した夜行バスの写真を添付します。今回のミッションについて6つの記事にまとめました。その最初の記事を以下に添付します。...
我が家の6人の猫のうち一番最初に飼った一番年長のライムが13歳で虹の橋を渡りました。我が家の猫を見送ったのはこれで二人目で奇しくも一人目に亡くなったライムの子供のカルアと同じ5月4日が命日です。大人しくて控え目な男子で、我が家で唯一の純血種なので「ライム王子」と呼んでいました。全く苦しむことが無く最後は妻に抱かれて逝きました。今思い出しても泣けます。親や友人、ペット・・何でもそうですが、普段は死ぬなんて思っていませんからそれらを亡くした時の喪失感は大きいです。人間なら誰しもが、他者もそして自分自身もいつかは死ぬという事を知っています。犬猫などの動物には明確な「死の概念」ありません。「死の概念」…
「動物霊」って言葉を聞くことがあるんだけど、ほんとにそんなのいるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』──人生の苦難を乗り越える法(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 みなさんは「動物霊」という言葉をよく聞くだろうと思います。有名なのは、蛇の霊、狸の霊、狐の霊といったものです。 確かに動物も仏に創られた生き物であり、その肉体のなかに霊が宿って魂修行をしています。したがって、動物霊というものがあることは事実です。(中略) それから、こうした純然たる動物霊とは違った動物霊もいます。 あの世の地獄界には、畜生道、動物界というところがあります。…
実範上人(?~1144)とは、平安時代後期にあって日本に於ける戒律の荒廃を嘆いた人として知られる。唐招提寺の再興に尽力したり、東大寺に於ける授戒作法の再建などにその名前が残る。そこで、作法書として1122年(保安3)に『東大寺戒壇院受戒式』を著した。今日は、『日本大蔵経』に収録される同式について、ちょっとした雑感を記しておきたい。そこで、同式では「正受戒法」という項目があるのだが、以下のように始まっている。東羯磨師受者に語りて云く、「善男子等、汝等遮難並びに無し。衆僧、同じく慶ぶ。まさに汝等に大戒を与うべし。但、深戒上善は、広く法界に周く。まさに上品の心を発して、上品の戒を受くべし。上品の心の者、前縁に云うが如し。今、泥洹の果に趣かんと為し、三解脱門に向かい、三聚戒を成就して、正法をして久住せしむべし〈以...実範上人『東大寺戒壇院受戒式』「正受戒法」への雑感
何となくまた始めてみようと思い立ったブログ、さてタイトルは何にしよう?と考えた時、最近興味のある仏教関連から何かないかなというアイデアでした。 僕自身は、特に信仰は無くいわゆる無宗教ですが、還暦を過ぎ人生終盤に入ったことや、昨年末の父の他界など、ここ最近人生について改めて考...
仏教の無常観における時間の捉え方は、\*\*「すべてのものは絶えず変化し続け、永遠に同じ状態は存在しない」\*\*という根本的な教えに基づいています。つまり、時間は静的・固定的なものではなく、**変化(無常)そのものの流れとして理解されます。** --- ## 1. 無常(Anitya/無常観)とは? 仏教の中心的な概念である「無常」は、 * 物事は常に生じ、変わり、消え去る。 * 一瞬たりとも同じ状態が続かない。 …
お布施って、仏さまや神さまに、お金などを捧げることなんでしょ。なんとなく大切なことってのは分かるんだけど、そのための姿勢とか心構えってあるのかな? なーんて疑問持ってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(下)』──仏智が拓く愛と悟りの世界(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 仏教的な観点からみて、いやしくも、布施が人間の魂の向上になり、この世の仏国土建設のためになるならば、それなりの条件が何かあるはずです。それは、単なる物の移動、物体の移動、あるいは金銭の移動ではないでしょう。その奥に何らかの精神があるはずです。この精神とはいったい何でしょうか。 このように考え…