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お布施って、仏さまや神さまに、お金などを捧げることなんでしょ。なんとなく大切なことってのは分かるんだけど、そのための姿勢とか心構えってあるのかな? なーんて疑問持ってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(下)』──仏智が拓く愛と悟りの世界(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 仏教的な観点からみて、いやしくも、布施が人間の魂の向上になり、この世の仏国土建設のためになるならば、それなりの条件が何かあるはずです。それは、単なる物の移動、物体の移動、あるいは金銭の移動ではないでしょう。その奥に何らかの精神があるはずです。この精神とはいったい何でしょうか。 このように考え…
この地球🌏って、宇宙ではひとつだったものがふたつになりますね? 😙愛というものも、地球🌏では" 善と悪 "というふたつにわかれて、その対極でわたしたちはいろい…
ちょっとした備忘録的な記事である。まず、この房舎について知っているという人は、道元禅師の伝記にかなり詳しいと思われる。法眼感涙し、即ち入室を聴し、即ち横川首楞厳院般若谷千光房に登らしむ。『永平寺三祖行業記』「道元禅師」章これは、それまで藤原基房の木幡の山荘にいた、未出家の道元禅師は13歳の春、比叡山に単身向かわれ、母方の親戚だったとされる良顕法眼に出家を願い出た。その願いを聞いた良顕法眼は当初、実家の親の感情などを慮って一度固辞したが、道元禅師の道心堅固なる様子を聞いて、上記の通り感涙を流しながら入室を許可し、比叡山山内の横川首楞厳院般若谷千光房に登らせたのであった。さて、実は以前から、この「般若谷千光房」ってどこなんだろう?と思っていたのだが、余り良く分からなかった。それどころか、以下の一節まである。初...横川首楞厳院般若谷千光房について
☆失敗しないと変われない.→ps://www.youtube.com/watch?v=Wx4ElrwxDFAもはや、韓国は行くところまでいくしかないようで...
☆空想や妄想の話はいいから、あなた自身の功徳を書いてください。あなたの発言には、あなた自身の現実が書かれていない。他人様をどうのこうの言うのではなく、まず...
☆芸能界の先駆者・リンダ.以下に、笑顔一杯の山本リンダの写真を添付します。>歌手の山本リンダ(74)が、16日放送の同局系「奇跡体験!アンビリバボーSP」...
本ブログの読者の方から、元自活サイトの座長の林信男氏のSNSでの発言に対する意見をリクエストされたので今回は林信男氏の論説を取り上げてみる。林信男氏といっても知らないと思うが、彼は元々はJIKATSUという反執行部の創価学会員サイトで座長を務めていたのだが、ある日突然180度態度を変えて今では個人サイトで一生懸命に創価学会を擁護している人物である。さて読者から送られてきた林氏のX(エックス)のポストだが長々と書いているが法門法義で破折するレベルの内容ではない。(以下太字は林信夫氏のXより転載)。まず林は冒頭で、『「百六箇抄」「本因妙抄」「身延相承書」「池上相承書」「御本尊七箇相承」「産湯相承書…
日本画家・穐月明氏の絵を通して、仏教の開祖・お釈迦さまの生涯を九つの場面でわかりやすく紹介。誕生、出家、悟り、涅槃まで、仏伝の名場面を物語風にまとめました。絵本のように親しみやすい語り口で、仏教の世界を身近に楽しんでいただけます。
奥州藤原氏については、こんな説明になっています。 ~前九年の役・後三年の役の後の1087年から、源頼朝に滅ぼされる1189年までの間、 陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む奥羽地方(現在の東北地方)一帯に勢力を 張った藤原北家の支流の豪族~ この程度の案内でも分かる...
坐禅はする程に、続ける程に、自分自身の命、縁により繋がっているあらゆる存在の尊さ、恩恵が、色濃く感じられていく。
生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あきら)らむるは仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし但(ただ)生死(しょうじ)即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得(こころえ)て生死(しょうじ)として厭(いと)うべきもなく涅槃(ねはん)として欣(ねご)うべきもなし是時(このとき)初(はじ)めて生死(しょうじ)を離(はな)...
お葬式って大事だよね。大事な人が亡くなったら、たくさんの会葬者のもとで、偉いお坊さんに読経してもらって、高い戒名をつけてもらうのが大切だよね? なーんて思い込んでる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『黄金の法』──エル・カンターレの歴史観(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 目に鱗がついている第二の例は、僧侶です。死後の世界の存在を信じもせず、知りもしない僧侶が、収入だけのために、お経を上げているなど、もってのほかです。実際、こういう僧侶が、けっこう多いと言えます。僧侶のほんとうの仕事とは、霊界人りしたばかりで、とまどっている魂に対して、死後の世界への導きを与えてやるというこ…
今回採り上げる『草山要路会註』とは、元々、近世初期の日蓮宗・深草元政(1623~1668)が、門下の子弟のために書いたもので、貞享3年(1686)に初めて刊行されたという。内容は、全部で十科(起信・決疑・持戒・衣食・住処・知識・誦経・止静・志学・指帰)を配して、仏教の基本を教示したものとなっている。そして、拙僧の手元にある『草山要路会註』は、元政の弟子であった慧明院日灯(1642~1717)による註釈の『草山要路鈔』を本文に組み込んだものである。拙僧の手元にある『草山要路会註』は、巻末に「京都東洞院通三條上町書林平樂寺村上勘兵衞」とのみあって、本書の書誌的知見を記した【『草山要路会註』の版本について(上)【立正大学・古書資料館の世界4回】(小此木敏明)―八木書店グループ】を参照すると、江戸期に刷られたであ...深草元政・慧明院日灯『草山要路会註』「持戒第三」の参究
仏教や神道といった日本の精神文化が、どのように武道の理念や稽古法に影響を与え、空手という独自の武道が形成されてきたのかを解説。少林寺武術の伝説から禅の思想、琉球王国の武術文化、神道的価値観、日本武道の精神性に至るまで、空手の源流を体系的にたどります。武道の本質や教育的価値を深く理解したい方に最適な一記事。
占い師ポーはあの世での名前『戒名』について考えています。ポーの宗派は何でしょう?仏教に属しているから『戒名』がいる。『戒名』に入れてほしい漢字。『生前戒名』をつけるにはどうしたらいいの?を語るブログ
まずは、以下の一節を見ていきたい。是れ仏家の宏範にして児孫の諦信し来れる家常の茶飯なりとす。見よ在家の仏弟子となるにも受戒なり、僧の剃髪式の内容も受戒なり、〈中略〉仏祖の宏範何れの所にかある。故に換言すれば、受戒は吾人一超して仏家に入る戸籍転換法である。否仏祖位を継ぐ家督相続式である。原田祖岳老師『禅学質疑解答』丙午出版社・大正6年、54~55頁要するに、原田老師は仏祖の広い規範について、児孫が信じてきた家常の茶飯だとしているのである。つまりは、仏弟子たる者、誰しもが護持してきたことだということになる。そこで、原田老師のご見解としては、受戒については児孫がよく信仰するための、日常的なものだとしており、よって、在家が仏弟子になるにも受戒、僧が僧になるための剃髪式も受戒であるというが、これはもはやいうまでもな...洞門の受戒を世間の営みに喩えるなら?
↑前回の続きです。 今回は一度、地獄に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P415~P416引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何...
おはようございますご訪問ありがとうございますにほんブログ村今日は大奥が体の調子を崩してしまったので珍しく1人で行動しようと思っています。買ったばかりなんですがカメラのセンサーに汚れが付いたみたいで画像に影が写っていたんです。なので早速ニコンに予約したんです
親鸞聖人が独自の「二双四重」の教判論を展開したことで知られる『愚禿鈔(上)』に於いて、我々禅宗のことを、こう評している。頓教について、また二教・二超あり。二教とは、一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。二超とは、一には竪超[即身是仏・即身成仏等の証果なり。]二には横超[選択本願・真実報土・即得往生なり。]『愚禿鈔』、『浄土真宗聖典(第二版)』501~502頁「頓教」というのは、「漸教」に対応する語であり、特に後者が「歴劫の修行」を要するのに対し、直ちに頓悟する教えをいう。それが実現するための教学は決して安易なものでは無いし、複雑な体系を持ってはいるが、しかし、仏に至る道として、速やかなる教えである。親鸞聖人はその中に「二教」と...親鸞聖人と仏心宗
人間のことを、神の子だとか仏の子だとか言う人がいるけど、ほんとなの? どうしてそう言えるの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』──泥中の花・透明な風の如く(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 人間には、創られたものとしての痕跡があります。 赤ちゃんは、生まれてきたら、すぐに酸素呼吸ができます。口も日も鼻も耳も付いています。人間の肉体の姿そのものを見ると、あまりにも見事に、この地上で生活ができるように創られています。これは、ある意味で信じ難いことです。 また、幸福の科学の教えを学んでいる人は、「魂」という問題に遭遇します。魂の問題について…
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。故に知る、今時、是れ像法の最末時なり。彼の時の行事、既に末法と同じ。然らば則ち、末法中に於いて、但だ言教のみ有りて、而も行証無し。若し戒法有れば、破戒有るべし。既に戒法無くんば、何れの戒を破るに由りて、而も破戒有らんや。破戒、尚お無くんば、何に況んや持戒をや。『末法灯明記』そういえば、拙僧もそう習ったし、そう教えていたような気がするのだが、末法に至る「三時」について、「正法」は教行証が揃い、「像法」は教行のみとなり、「末法」は教のみとなるという話を聞いた。本書もその世界観を受けている。典拠というと、やっぱり中国法相宗の慈恩大師基だろうか?仏滅度の後、法に三時有り。謂わく正・像・末なり。教・行・証の三名を具すれば、正法と為す。但だ教行のみ有れば、名づけて像法と為す。...『末法灯明記』に見る「末法」の一様相
伝教大師最澄が著したとして伝承されてきた『末法灯明記』は、実際の末法に入り、それが強く自覚された鎌倉時代になると、引用例も見られるようになる。例えば、親鸞聖人『顕浄土方便化身土文類六(いわゆる『教行信証』)』などである。ウチの宗派の祖師方にも、引用例はある。それで、今回は『末法灯明記』の中でも、「像法」の様相について見ていきたいと思うが、その前に「像法」とは何かというと、そもそも、釈尊が入滅してから、仏教は徐々に衰えると考えられていて、最初の千年(五百年とも)が「正法」、続く千年が「像法」、そしてその後は「末法」となる(一万年続くとも)。経論によって、この年数は区々なのだが、とりあえず「像法」の定義的な文脈は以下の通り。復た像法に於いて比丘・比丘尼、破戒し、悪法、邪行、非行、無慚、無愧にして、供養法を毀し...『末法灯明記』で説く「像法」の様相
仏陀って、悟りを開いた方のことだと思うんだけど、悟りを開いたら、もう生まれかわないというのが、お釈迦さま(釈尊)の教えだったんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)』──いま、新たな法輪がめぐる(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。 ただ、もう一つ述べておかなければいけないことがあります。「悟りを開いた場合に、輪廻的な生存を断ち切って、輪廻の枠から外れて、もはや生まれ変わらないようになることができる」というようなことを、なぜ釈迦が言ったと伝えられているのかという理由についてです。 これはいったいどういうことでしょうか。確かに、人…
最近、出講している『正法眼蔵』勉強会で、「行持(上)」巻、「仏教」巻と立て続けに読み終えた。そこで、両巻に共通するかのような教えがあったので、まとめてみたい。なお、日本のように、数多くの宗派が残る国になると、何が真実の教えなのか?が気になることもあると思う。それは、現代だけではなく、これまでの各時代でも同様で、例えば道元禅師は以下のようなことを述べておられる。いま、有道の宗匠の会をのぞむに、真実、請参せんとするとき、そのたより、もとも難辨なり。ただ二十、三十箇の皮袋にあらず、百千人の面面なり。おのおの実帰をもとむ。授手の日くれなんとす、打舂の夜あけなんとす。あるひは師の普説するときは、わが耳目なくして、いたづらに見聞をへだつ。耳目そなはるときは、師また道取おはりぬ。耆宿尊年の老古錐、すてに拊掌笑呵呵のとき...道元禅師に於ける「師決」の話
5月5日、道元禅師が行った端午の節句の説法について採り上げてみたい。例えば、道元禅師の『永平広録』を参照すると、端午の上堂は、中国曹洞宗の宏智正覚禅師(1091~1157:『従容録』の元になった『宏智禅師頌古』を作成した。道元禅師は「古仏」と呼んで尊崇した)の言葉について更に拈提した内容である。寛元4年(1246):巻2-169宝治元年(1247):巻3-242(今回紹介)宝治2年(1248):巻4-261建長元年(1249):巻4-326そこで、以下には宝治元年の上堂を採り上げてみたい。端午の上堂に、挙す。宏智古仏、天童に住せし時、今朝の上堂に云く「五月五日天中節。百草頭上に生殺を看る。甘草・黄連、自ら苦く甜し。人蔘・附子、寒熱を分かつ。薫蕕、昧し難し双垂瓜。滋味、那ぞ瞞ぜん初偃月。円明了知、心念閑なり...今日は端午の節句(こどもの日)
「みどりの日」、以前は4月29日だったが、諸般の事情(?)から5月3日と5日との間にある「国民の休日」が名称変更されている。さて、せっかくだから、ちょっと「みどり」について考えてみようと思うが、手持ちの『漢和辞典』を見てみると「みどり」と読む漢字について以下のものが挙がっていた。・碧(あおいし、美しい青い色の石)・緑(みどり色の糸、絹)・翠(カワセミ)それぞれ、意味の原点を見てみると、宝石だったり、糸だったり、鳥だったりと、世の中に存在する緑色から、それぞれに意味が作られていることが分かる。ところが、実際の用語として使うとなると、そういう原点とは切り離されて色の指定のために使われている。例えば、素晴らしく澄んだ空や海を表現する場合には「紺碧」なんていう。道元禅師の漢詩にも、「碧浪」や「碧空」なんて語句があ...「みどりの日」の雑文
今日は「憲法記念日」だというので、記事にしたいと思うが、敢えて言うまでもなく、今日は1947年5月3日に「日本国憲法」が施行されたのを記念して、1948年公布・施行の祝日法によって制定された祝日である。なお、公布されたのは11月3日で、こちらは「文化の日」となっている。で、ポーランドも同じく今日が記念日らしい。あちらは1791年(日本だと寛政3年)に、近代型の憲法が始めて成立したとのこと。先輩か。それで、今日はこの日に因んで、拙僧自身も「憲法」について学ぶ日と勝手に決めているが、今年は仏典に見える「憲法」という用語について、見ていきたいと思う。なお、以前、個人的に学んだ限りは、我々が現在「憲法」という用語でもって認識している概念は、当初「国憲」だったらしい。すると、中国宋代の典籍に、こんな一節を見出した。...「憲法記念日」と仏典
「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉を聞いたことがあるんだけど、幸福の科学って、教えが書かれた書籍は書店で買えるわけだし、自分で教えを勉強してたんじゃだめなの。なんで入った方がいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰のすすめ』──泥中の花・透明な風の如く(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉は、「法を説く人がいるときには、その人の説く法に従いなさい。法を説く人が亡くなったときには、その人が遺した教えに従いなさい」ということを意味しています。 これは、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほ…
仏法を聴聞することについて、「聞法」と略されるのが一般的な気もするが、「聴法」という言い方はあるのだろうか?簡単に調べてみた。御入滅後正法も弘まりてあれば、仏法を聴聞して、未来を助かるは、只この世界の人間ばかり。『戒会落草談』その前に、道元禅師にも「正法を聴聞」という語句はあるが、まずは以上のように「仏法を聴聞」という語句が見られることが分かると思う。さて、それでは「聞法」と「聴法」だが、以下の結果となった。おほよそ聞法は、ただ耳根・耳識の境界のみにあらず、父母未生已前、威音以前、乃至尽未来際、無尽未来際にいたるまでの挙力・挙心・挙体・挙道をもて聞法するなり、身先心後の聞法あるなり。これらの聞法、ともに得益あり、心識に縁ぜざれば聞法の益あらず、といふことなかれ。『正法眼蔵』「無情説法」巻あくまでも一例だが...「聞法」と「聴法」について
旧暦の頃の禅林は、4月15日に夏安居が始まる。そうなると、5月1日というのは、ちょうど15日程度が経過した頃となり、住持が説法して修行僧の身心を引き締めるために適当な日付だと認識されていたのか、少なからずの「5月1日の上堂」などが残されている。我々も「五月病」などが怖い頃であるから、教えを学んで、気合いを入れ直しておきたい。今日は以下の教えを紹介しておく。五月朔〈祝聖如常〉、乃ち云く、大道体寛く易無く難無し、宝鏡三昧七仏の蒲団。直に得たり十世古今の始終、当念を離れず。無辺の刹境、自他毫端を隔てず。正与麼の時、人人脚下の無憂履、箇箇頭上の捲輪冠、諸仁者、如何が行履して恁麼に相応することを得去らん。〈払、一払して云く〉雨中青梅の熟することを認得して、三十六牙忽ちに酸を帯ぶ。『永福結夏録』まず、この上堂が行われ...今日は5月1日(令和7年度版)
江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は篤胤の、釈尊への総評である。見ておきたい。さてかやうに老衰しつゝ、年八十の時とんと床へついたでござる。夫は大般涅槃経と云経に、我今背疾、挙体皆痛、我今欲臥、如彼小児及常患者といつて、右脇に臥たと云事が有。然るを後世の僧どもがまた説を作りて大論などに、仏は金剛の体なれば実にはやまひと云事はなけれども、方便して病悩があるやうに示現したものじやなどゝいつたでござる。然れども、こりやけつく贔屓のひきだおしというもので、ちやうど儒者が聖人を引たふすとおなじやうなことでござる。実...篤胤による釈尊への総評(拝啓平田篤胤先生50)
Wikipediaにはこんな説明がある。~七福神(しちふくじん)とは、インド伝来の仁王経の中にある 「七難即滅 七福即生」という仏教語に由来する、福徳の神として日本で 信仰される七柱の神である~ということは、「ナントカ ノ ミコト」と名乗るような純粋系の「日本の神様
我々は、「福祉」という言葉を聞くと、ついつい、何やら社会的弱者に対する救済などの意味ばかりを考えてしまうのではなかろうか。無論、そのような位置付けは非常に大切で、拙僧もそれを否定したいわけではない。だが、漢語としての「福祉」という用語を考えてみると、意味は「幸せ」である。要するに、社会の人々が幸せになる行為全般を、福祉とはいうわけである。ここまでいうと、仏教について学んだ人は、仏教に於ける世間・出世間の問題を取り沙汰するかもしれない。でも、大乗仏教という教えは、やはり社会福祉的活動を求めているのであり、その意味で、大乗仏教を標榜する教団が社会福祉的活動をするのは、当然であるといえる。さて、この記事を書くために参照しておきたい文献がある。拙僧はこれを、大学の講義の参考資料としても使いたいと思っているので、今...昭和期における曹洞宗の社会福祉事業について
「無我」って、よく聞くんだけど、何のことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『沈黙の仏陀』──ザ・シークレット・ドクトリン(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 あなたが、あなた自身だと思っているものは、実は皮袋にしかすぎないのです。皮袋なのです。それをあなたは、あなただと思っているのです。 永遠に尽きることのない、永久の、悠久の大河である神仏のエネルギー、そのなかに生きているものがあなた自身です。その悠久の大河に、羊の皮袋でもって水をすくい、それをくるんだものを、あなたは自己だと思っている。この皮袋のなかに入った水たまりが自分だと思っている。しかし…
あの世って、やっぱりあるの。ほんとにあるんだったら、死後の生活って、どんなふうなの? なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『渡部昇一 死後の生活を語る』──霊になって半年の衝撃レポート(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように述べておられます。 著名な評論家でもあった昇一先生の、霊になって半年の衝撃レポートである。もちろん、オカルトでも、ホラーでも、スリラーでもない。新鮮な目で、この世とあの世の実体験の違いを語って下さっており、「目から鱗」の人も多かろう。 私の国民へのお願いは、少なくとも、死ぬ前にこの本一冊ぐらいは読んでおいて頂きたい。さらに、できれば学生時代ぐ…
『浄土布薩式』「大科第十一 正受戒」⑤(『浄土布薩式』参究26)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十一正受戒」の項目を学んでいきたい。大科第十一正受戒第一の羯磨には、十方一切の境上に、戒法色に顕し、香と成り、雲と作る、悉く動転す。譬えば雲集て龍興り、虎嘯いて風起こるが如し、物の相感ずること、自然に有るものなり。第二の羯磨には、動転する所の戒法、虚空より此の梵壇上に来集す。譬えば豊山の九鐘、秋の霜降りるを待て、自ら鳴り、蓋山の舞水、歌舞儀に因みて出るが如し。第三の羯磨には、来集する所の、戒法、受者の頂上より、足下に至る。五体に薫じ、六根に満つ。譬えば昆明の石魚の、雲雨に毎に常に鳴き、髻と尾と必ず動き、繁露積て醴泉と為るが如し。物の皆、此の理有り。何ぞ疑ふに足る乎。『続浄土宗全書』...『浄土布薩式』「大科第十一正受戒」⑤(『浄土布薩式』参究26)
「第一官律名義弁」其三十五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・35)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。三綱〈十禅師の内に在り〉一上座〈講師に任ず〉一寺主〈講師に任ず〉一都維那〈講師に任ず〉承和元年十二月廿四日大師、東寺の三綱を表請す〈東宝記〉貞観八年三月丁丑、真言宗僧を東寺の三綱に任ずるを以て、階業を経たる者、西寺の三綱に任ず、永く以て例と為す〈三代巻十二〉『緇門正儀』17丁表~裏いわゆる各寺院の「三綱」と、「十禅師」と...「第一官律名義弁」其三十五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・35)
☆地球民族主義.創価学会の三色の扇子の写真を添付します。アイデンティティとは・・>自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められてい...
☆25歳からプロを目指して.以下に、私が所有するエレキウクレレの写真を添付します。写真解説「ワインレッド色のエレキウクレレがセミハードケースに入っています...
☆創価学会を興隆させる!以下に、1月から手帳に記録した唱題の時間を示します。写真解説「2025年の元旦からの90日間の記録。最小で5分、最大で100分」女...
Q&A 学会活動に関する素朴な疑問【添削版】①(勤行・唱題①)
創価学会の公式サイトに学会活動に関する素朴な疑問に答えるコンテンツがありますが、日蓮大聖人の仏法から逸脱した回答もあります。創価学会という新興宗教を信仰する人はこのままでも十分ですが、日蓮大聖人の仏法を信仰したいと思っている初心の創価学会員が日蓮大聖人の仏法と創価信仰を混同しないように添削をしたいと思います。尚、本分の太字部分は創価学会公式サイトからの引用になります。 Q.なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えるの? 「南無妙法蓮華経」とは、端的に言えば、日蓮大聖人が覚知された、万人の苦悩を根本から解決する法です。この南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く「根源の法」です。 日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」を…
一見すると良く似ている。だが、詳しく見てみると、言っていることは全く違う。なお、前者については、曹洞宗の大本山永平寺御開山・高祖道元禅師が『正法眼蔵』「発菩提心」巻で引用し、例えば『修証義』「第四章発願利生」などでも強調されるため、曹洞宗の自家薬籠中の言葉だと理解している人も多いかもしれないが、出典は『大般涅槃経』巻28(北本)である。迦葉菩薩、偈をもて釈迦牟尼仏をほめたてまつるにいはく、発心と畢竟と二つながら別無し、是の如くの二心は先の心を難しとす。自未得度先度他(自ら未だ得度せざるに、先ず他を度す)、是の故に、我れ初発心を礼す。初発に已に天人師たり、声聞及び縁覚に勝出せり。是の如くの発心は三界に過えたり、是の故に最無上と名づくることを得。『正法眼蔵』「発菩提心」巻での引用要するに、こういうことである。...「自未得度先度他」と「我得自度已当復度衆生」について
何年かまえに、奈良にあそびにいった。😚中学と高校のときの修学旅行は、どちらも京都・奈良だった。😁京都は仕事でよく行くけど奈良はそれ以来だった。😊東大寺にほんと…
実は、拙僧自身、とても不思議だったことがある。それは、三仏忌などを勤めるための法要、通称(九拝差定)に於いて、導師による拈香法語を唱えた後、やはり導師が書いた(という形になっている)「疏」を、維那が唱えるが、正直、機能的な面からいっても、内容的な面からいっても、両者は被っているのである。こういう無駄なことはしないというのが禅宗ではないか?と信じていたので、とても強い違和感を覚えていた。そうすると、先日或る資料を読んでいて、心から納得した。やはり、2つ唱える理由があったのだ。又た進前上香し、菓子・嚫金・上茶、逓伝を待ちて、備え了って三拝。坐具を収め、〈二祖はこの時、特為茶あり。三仏には無し〉衣角を整えて立つ時、侍者、大香を進む。住持、拈香法語。〈三仏会に、粥後、上堂祝香あれば、ここの法語無し〉進みて従香を焼...何故、九拝差定で法語と疏を唱えるのか?
以下の問答をご覧いただきたい。仏陀波利尊者、五台に游ばんと忻州に至る。一りの老人を見る。師に問う、「甚麼の処にか去る」。師云く、「台山に文殊を礼しもて去く」。老人云く、「大徳よ、文殊を見るや、還た識るや」。尊者、対うること無し。『聯灯会要』巻29「応化賢聖」この「仏陀波利尊者」という人は、インドの高僧で、中国の五台山に来た人とされる。この中国の「五台山」というのは、文殊菩薩が現れる霊場として知られ、一大観光名所、巡礼の地であった。実際、インドからも幾人かの僧侶が来たとされ、最終的に日本にまでやって来て東大寺大仏の開眼供養をした菩提僊那尊者も、五台山に来ていて日本にスカウトされた人であったとされる。で、まぁ、こういうインドから来た人というのは珍しいから、禅問答の格好のネタにされてしまうわけである。なお、この...インドの高僧に「何しに来た?」と聞いた人
宗教って、いろいろ戒律があったりするんでしょ? それってなんだか重いなあ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』──常に仏陀と共に歩め(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 仏教には「戒」というものがあります。これは、交通ルールのようなものとは違って、各人が自分で「これを守ろう」と設定するものです。 たとえば、「今年は毎月一冊、仏法真理の本を読もう」という誓いを立てれば、それはその人にとっての戒になります。 そして、毎月読むことにしていたのに、「今月は読みそこねた」ということになれば、それは破戒、すなわち戒を破ったことになります。ただ、それに…
☆なぜ僧侶は偉いのですか?偉いとは偉大の意味です。決して「偉そう」が偉い訳ではありません。すぐれて立派なこと、優秀の意味です。優秀とは「他より一段と目立っ...
☆日華の御本尊は何を意味する?「血脈相承のない御本尊が富士門流にある」のです。その衝撃情報記事を以下に示します。→sokamori2.exblog.jp/...
☆先細る得度者とその後の還俗.きょうは寺院に関する話を致します。どことは申し上げませんが、全国に寺院があるとある宗派で得度(とくど)の少年の数が先細り、な...
創価学会員のブログは、自分の体験談をダラダラ書いている記事が多い。私には自分の体験談をいかにも自慢気に世間に公表する意味が全く分からない。聞いてもいないのに自分から体験談を言ってくるヤツはろくなもんじゃないというのが世間の相場である。そんな糞つまらない体験談(本当にすごい体験なら聖教新聞で紹介される)をネットで発表している創価員は「法華講には体験が無い」と決めつけてくる莫迦が多い。多くの法華講員は昔の武勇伝を得意げに語ってくるヤカラや老害などと違ってネットで自分語りするほど厚顔無恥ではないし、個人の功徳体験は信心の正邪を決めるエビデンスにならないということを分かっているだけである。「正しい信心…
「賽の河原(さいのかわら)」は、**実在する特定の場所**というよりは、日本の仏教や民間信仰における**死後の世界の一場面**を指す**観念的・宗教的な場所**です。 --- ## ■ 賽の河原とは - 子どもが亡くなったあと、三途の川の手前にあるとされる場所。 - 亡くなった子どもたちは、親より先に死んだ罪で仏に許されず、河原で石を積み上げて塔を作ろうとする。 - しかし、鬼が現れてはその塔を壊す。 - 最終的に…