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一見すると良く似ている。だが、詳しく見てみると、言っていることは全く違う。なお、前者については、曹洞宗の大本山永平寺御開山・高祖道元禅師が『正法眼蔵』「発菩提心」巻で引用し、例えば『修証義』「第四章発願利生」などでも強調されるため、曹洞宗の自家薬籠中の言葉だと理解している人も多いかもしれないが、出典は『大般涅槃経』巻28(北本)である。迦葉菩薩、偈をもて釈迦牟尼仏をほめたてまつるにいはく、発心と畢竟と二つながら別無し、是の如くの二心は先の心を難しとす。自未得度先度他(自ら未だ得度せざるに、先ず他を度す)、是の故に、我れ初発心を礼す。初発に已に天人師たり、声聞及び縁覚に勝出せり。是の如くの発心は三界に過えたり、是の故に最無上と名づくることを得。『正法眼蔵』「発菩提心」巻での引用要するに、こういうことである。...「自未得度先度他」と「我得自度已当復度衆生」について
何年かまえに、奈良にあそびにいった。😚中学と高校のときの修学旅行は、どちらも京都・奈良だった。😁京都は仕事でよく行くけど奈良はそれ以来だった。😊東大寺にほんと…
実は、拙僧自身、とても不思議だったことがある。それは、三仏忌などを勤めるための法要、通称(九拝差定)に於いて、導師による拈香法語を唱えた後、やはり導師が書いた(という形になっている)「疏」を、維那が唱えるが、正直、機能的な面からいっても、内容的な面からいっても、両者は被っているのである。こういう無駄なことはしないというのが禅宗ではないか?と信じていたので、とても強い違和感を覚えていた。そうすると、先日或る資料を読んでいて、心から納得した。やはり、2つ唱える理由があったのだ。又た進前上香し、菓子・嚫金・上茶、逓伝を待ちて、備え了って三拝。坐具を収め、〈二祖はこの時、特為茶あり。三仏には無し〉衣角を整えて立つ時、侍者、大香を進む。住持、拈香法語。〈三仏会に、粥後、上堂祝香あれば、ここの法語無し〉進みて従香を焼...何故、九拝差定で法語と疏を唱えるのか?
以下の問答をご覧いただきたい。仏陀波利尊者、五台に游ばんと忻州に至る。一りの老人を見る。師に問う、「甚麼の処にか去る」。師云く、「台山に文殊を礼しもて去く」。老人云く、「大徳よ、文殊を見るや、還た識るや」。尊者、対うること無し。『聯灯会要』巻29「応化賢聖」この「仏陀波利尊者」という人は、インドの高僧で、中国の五台山に来た人とされる。この中国の「五台山」というのは、文殊菩薩が現れる霊場として知られ、一大観光名所、巡礼の地であった。実際、インドからも幾人かの僧侶が来たとされ、最終的に日本にまでやって来て東大寺大仏の開眼供養をした菩提僊那尊者も、五台山に来ていて日本にスカウトされた人であったとされる。で、まぁ、こういうインドから来た人というのは珍しいから、禅問答の格好のネタにされてしまうわけである。なお、この...インドの高僧に「何しに来た?」と聞いた人
宗教って、いろいろ戒律があったりするんでしょ? それってなんだか重いなあ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか? 幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』──常に仏陀と共に歩め(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。 仏教には「戒」というものがあります。これは、交通ルールのようなものとは違って、各人が自分で「これを守ろう」と設定するものです。 たとえば、「今年は毎月一冊、仏法真理の本を読もう」という誓いを立てれば、それはその人にとっての戒になります。 そして、毎月読むことにしていたのに、「今月は読みそこねた」ということになれば、それは破戒、すなわち戒を破ったことになります。ただ、それに…
☆なぜ僧侶は偉いのですか?偉いとは偉大の意味です。決して「偉そう」が偉い訳ではありません。すぐれて立派なこと、優秀の意味です。優秀とは「他より一段と目立っ...
☆日華の御本尊は何を意味する?「血脈相承のない御本尊が富士門流にある」のです。その衝撃情報記事を以下に示します。→sokamori2.exblog.jp/...
☆先細る得度者とその後の還俗.きょうは寺院に関する話を致します。どことは申し上げませんが、全国に寺院があるとある宗派で得度(とくど)の少年の数が先細り、な...
創価学会員のブログは、自分の体験談をダラダラ書いている記事が多い。私には自分の体験談をいかにも自慢気に世間に公表する意味が全く分からない。聞いてもいないのに自分から体験談を言ってくるヤツはろくなもんじゃないというのが世間の相場である。そんな糞つまらない体験談(本当にすごい体験なら聖教新聞で紹介される)をネットで発表している創価員は「法華講には体験が無い」と決めつけてくる莫迦が多い。多くの法華講員は昔の武勇伝を得意げに語ってくるヤカラや老害などと違ってネットで自分語りするほど厚顔無恥ではないし、個人の功徳体験は信心の正邪を決めるエビデンスにならないということを分かっているだけである。「正しい信心…
「賽の河原(さいのかわら)」は、**実在する特定の場所**というよりは、日本の仏教や民間信仰における**死後の世界の一場面**を指す**観念的・宗教的な場所**です。 --- ## ■ 賽の河原とは - 子どもが亡くなったあと、三途の川の手前にあるとされる場所。 - 亡くなった子どもたちは、親より先に死んだ罪で仏に許されず、河原で石を積み上げて塔を作ろうとする。 - しかし、鬼が現れてはその塔を壊す。 - 最終的に…
テレビの影響で俳句が密かにブームになっているようです。私は俳句や短歌を詠むのは「才能ナシ」ですがたまに俳句・短歌をつくります。といってもノートやPCに保存しているわけではないので作って終わりです(笑)。ただ詩歌を読むのは好きです。『万葉集』『古今和歌集』などたまに読んでいます。俳句と言えば松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶の江戸三大俳人が有名ですよね。一応は三大俳人として並び称されていますが、やはり芭蕉が頂点ですね。有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は画期的です。蛙が鳴かない。飛んでいるのに滑稽じゃない。それまでの常識を覆した凄い一句です。そして芭蕉といえば晩年に完成した「かるみ(軽み)」の作風が…
⇑前回の続きです。 今回は一度、幸運にも天界に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P415~引用 一〇八) 第十八-二十 五趣 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへり...
人間って、神さまに創られたんだから、神さまと人間って、まったく別の存在でしょ。そう考えない宗教なんてのもあるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』──宗教の可能性とは何か(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。世界の宗教には、大きく分けて二通りの流れがあります。一つは、「神人(しんじん)隔絶型」とでもいうべきもので、神と人とが隔絶されていて、まったく別のものとして切り離されているかたちの宗教です。キリスト教などはその典型です。(中略)もう一つの宗教は、「神人合一型」とでもいわれるものです。(中略)神と同じようなものを本質に持っているのだから、この世的にさまざまな迷いもあろうし、穢(けが)れもあろうし、罪もあろうけれども、そういうものを払い除け、取り除けていき、...神さまと人間って別じゃないの?
道元禅師が仰った世尊による「二十年の遺恩」「二十年の福分」などについて、実は結構難しい問題を含む。①然れば出家人は、学仏の力によりて食分も尽くべからず、白毫の一相、二十年の遺恩、歴劫に受用すとも尽くべきにあらず。長円寺本『正法眼蔵随聞記』巻1-3②況やまた仏二千年の福分を以て末法の我等に施す。是に因て天下の叢林、人天供養不絶。長円寺本『随聞記』巻2-13良く知られているのは、『正法眼蔵随聞記』であろうと思う。なお、この一節の典拠は、特に①が分かりやすいとされる。世尊二千年の遺蔭、児孫を蓋覆す。白毫光の一分の功徳、受用すれども尽きず。『禅苑清規』巻8「亀鏡文」『随聞記』では、上記の一節を少し入れ替えていますが、「白毫」の記述も含め、明らかに影響を受けている。そして、「亀鏡文」をそのまま引いたと思われるのが、...道元禅師が示す「世尊二十年の遺恩」について
さて、ここ数回の関連記事のおかげで、現行の「五観の偈」が、何故このような用いられ方をしているのかが分かってきたように思う。そして、既に拙ブログでは、現行の唱え方が明治時代以降に選ばれた慣習である可能性にまで辿り着いている。その証拠として、明治時代に編まれた『洞上行持軌範』を考えてみたい。これは、近代曹洞宗教団で作成された、全国画一型の軌範である。そこで、江戸時代の「五観の偈」については、面山禅師『僧堂清規』と、玄透禅師『永平小清規』で若干の相違点があったことが分かった。そうなると、相違の克服は、『洞上行持軌範』で図られたと思われ、結果、それが現行の作法になっていると考えるのが妥当である。よって、以下に確認したい。大衆は遍槌を聞て普同合掌し、次に揖食し畢て定印を結び五観の偈を想念し、微音に唱て云く、一計功多...『洞上行持軌範』巻上の「五観の偈」について
☆ワンパターンの打破一考.以下に、青年時代の池田先生の顔写真を添付します。何という美しい顔でしょう。池田先生の若かりし頃のお顔は本当に魅力的です。そして先...
☆富士宮信徒「暗躍」の理由.過去記事「仏教カテゴリ関係者の皆さまへ」及び、その続編を以下に示します。→sokafree.exblog.jp/3448846...
☆前略・千早様シリーズ(67)→ps://www.youtube.com/watch?v=9mUyk9lOAlcきょうは久々、千早さん記事を書きたいと思い...
☆「宿命転換」を描く漫画.以下に、復刻版「どろろ」(全二巻)の写真を添付します。昔から読みたい漫画がいくつかありました。その一つが「どろろ」でした。このほ...
創価学会から勧誘されている人へ。入会前の重要事項説明(読者からの質問)
当ブログの読者の方から創価学会に入会したらどうなりますか?との質問をメールでいただきました。入会を考えている人は創価学会の人達は明るく優しくて楽しくて暖かいと感じていると思います。ところで友人の創価学会員から創価学会についてどのような話を聞いていますか?いろいろと有るでしょうが入会前に聞いていた話と実際の創価学会が違う事にガッカリしないように入会決意を胸に秘めている皆様方に、「創価入会に当たっての重要事項」を説明しますので、よく読んでから入会するかどうか決めてください。(1)創価学会はそれなりにお金がかかります。「創価学会はお金がかからない宗教」と聞いた方は創価学会員になるとお金がかかるという…
ありとあらゆる生きとし生けるものの幸せを願う事、それは、自分自身の幸せを願う事。
衆生(しゅじょう)を利益(りやく)すというは四枚(しまい)の般若(はんにゃ)あり一者(ひとつには)布施(ふせ)、二者(ふたつには)愛語(あいご)、三者(みつには)利行(りぎょう)、四者(よつには)同時(どうじ)是(こ)れ即(すなわち)ち薩埵(さった)の行願(ぎょうがん)なり(修証義 道元禅師)世の人々を幸せにするには、四通りの尊い仏の教えがあります。一つ目は、布施(ふせ)を行う事です。二つ目は、愛...
江戸時代に刊行された『寮中清規』を入手して、読んでいた所、次の一節を見つけた。己れが徳行の全缺を忖って供に応ずるは、街坊化主に報ずる所以なり。功の多少を計り彼の来処を量るは、園頭磨頭荘主に報ずる所以なり。『亀鏡文』『亀鏡文』は元々、『禅苑清規』に収められているもので、同清規の著者である雲門宗・長蘆宗賾禅師によって編まれた。それで、或る意味この両句は、「五観の偈」第二句・第一句目の解釈法の1つであるといえよう。前後の文脈を読んでも、何故ここに、「五観の偈」の、それも最初の二句だけが使われているのか良く分からない・・・その上で考えてみると、この二句は、自分が何故、このような観法(一応「五観」なので)を行うのか、その理由を考えていることになる。そして、その対象が、叢林の経済・経営を支えていた当事者であると思われ...『亀鏡文』に見える「五観の偈」
たまたま「初学法(仏道修行の初心者が行う規範)」について調べていたところ、浄土宗西山派の「五観の偈」があったので紹介しておきたい。なお、これを現在も同宗派で使っているかは知らない。詳しい人は、コメントでもメールでも良いので、ご一報いただければ幸いである。典拠だが、『大正蔵』巻74に収める『新学菩薩行要抄』であり、浄土宗西山派三鈷寺流に籍を置いていた実導仁空(1309~1388)が口述したものであるという。以下の通りである。五観実相食を観じて其の来処を計る己の徳行を忖り全く三行を缺く心を防ぎ三毒を捨離するを宗と為す法性良薬の為形苦を療ず法身を資する為応に此の食を受くべし一応、訓読は『大正蔵』の返り点に順ってみたが、まぁ、現在我々曹洞宗が、道元禅師撰『赴粥飯法』を由来として使っているものとはずいぶんと隔たりが...浄土教系の「五観の偈」
ちょっと前から目を通すようにしている日蓮宗系の『草山清規』(明治29年刊)なのだが、その中にも「五観」があることが分かった。それで、これは典拠があるのか?と思い調べていたところ、日本の天台宗系の規範にも出ているようなので、「法華系『五観の偈』」ということでまとめてみた。そこで、台巌編『法華礼誦要文集』(村上勘兵衛、明治11年)から「五観」を引用してみたい。観実相食計其来処忖己徳行全欠三行防心離過三毒為宗法性良薬為療形苦為資法身応受此食引用に当たって旧字体を新字体に改めるなお、同著ではフリガナも無く、ただこの本文のみが掲載されている。なお、6年後に出た同著のカタカナ付きではフリガナがあるのだが、一句目が「クワンジツサウジキケゴライショ」などとあって、ただ音読みしている様子が分かる。そこで、今度は意味が通るよ...法華系「五観の偈」について
日本の信仰って「アミニズム」が強いって聞くけど、なにかいけないの?富士山みたいな壮麗な山とか、吉野川みたいな大河に自然に手を合わせたくなるって、ごく自然な感情なんだから、それでいいんじゃないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』──人類再生の原理(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。日本では伝統的に、山岳信仰や川への信仰などの自然崇拝があり、また、稲荷信仰や猿神信仰、犬神信仰などの動物信仰があります。世界の宗教を研究してみると、いまでも原始的な生活をしているような種族は、こうした信仰を持っています。(中略)確かに、自然のなかに精霊が宿っていることは事実なので、このような信仰も否定されるべきものではありません。しかしながら、それはあまり高度なものではないという...アミニズムって?
日本に臨済宗黄竜派の法系を将来された明庵栄西禅師といえば、『興禅護国論』『喫茶養生記』『受禅戒作法』などの著作に合わせて、叢林修行の基礎を記した『出家大綱』(正治2年1月6日著、余談だが道元禅師御生誕の頃になる)が知られている。今日は、栄西禅師が記された「五観」を見ていきたい。その前に、曹洞宗では、道元禅師が伝えられた「五観の偈」が『赴粥飯法』に記されていて、その出典や解釈については、江戸時代の面山瑞方禅師『受食五観訓蒙』(『曹洞宗全書』「注解四」)にて明らかにされるところでもあるので、それをご覧いただきたいところであるが、一応本文のみ記しておこう。一計功多少量彼来処(一には功の多少を計り、彼の来処を量る)。二忖己徳行全欠応供(二には己が徳行の、全欠を忖って供に応ず)。三防心離過貪等為宗(三には心を防ぎ過...栄西禅師の「五観の偈」
宗教って、民主主義に反するんじゃないの。トップが右を向けと言ったら右を向いて、左と言ったら左。全体主義と変わらないんじゃないのかなあ?なーんて偏見に満ちた疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の革命』──心の力が未来を変える(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。私が述べたいのは、要するに次のようなことです。仏教の教えは、民主主義の理想となんら変わりません。また、法治主義ともなんら変わるところはないのです。仏教の教えには、極端な個人主義や個人礼賛もなければ、全体主義的な独裁もありません。釈尊は自分自身について、「法を見る者は、われを見る。われを見る者は、法を見る」と言っていました。すなわち、「教えこそ自分自身である。教えを離れての自分はない。あなたがたは私の肉体を私だと思っては...宗教と民主主義って?
☆他宗と手を結んだ理由.以下に、個人年金運用を解説した資料の写真を添付します。写真解説「私が加入した米ドル積み立て型の変動制保険の資料です」創価学会員は眉...
☆それはまさに「竜女」の証明.聖教新聞に鮮烈に輝く体験談が掲載されました。>5歳の少女は聴覚障害があるため、話すことも聞くこともできなかった。ある日、通っ...
☆傘さして雪道をトコトコ・・以下に、会社に到着して傘を置いた状態の写真を添付します。きょう、あられが降って雪に変わりました。ズンズン降り積もったので、長靴...
☆意識不明の長井秀和市議.令和7年3月10日の西東京市文教厚生委員会で居眠りしている長井秀和.創価学会を「殺人集団」と選挙演説してトップ当選した市議の長井...
明治時代の仏教啓蒙家といわれる大内青巒居士が、次のような礼讃文を編んだという。(講師先づ合掌して曰く)人身受け難し、今已に受く、仏法聞き難し、今已に聞く、此の身今生に向つて度せずんば、更に何れの生に向つてか此身を度せん、大衆諸共に三宝に帰依したてまつるべし。『礼讃文』、大日本仏教青年会『仏教講話録』明治26年この次に三帰礼文などが続くのだが、今回見たいのは以上の一節である。なお、明治中期以降、この礼讃文は宗派を超えて、様々な研修会や講演会の場で講師によって読誦されたようである。それで、この一節の典拠なのだが、最初の数句はおそらく、大慧宗杲禅師の言葉であろう。人身得難し、仏法逢い難し、此の身不向今生に向かって度せずんば、更に何れの身に向かって此の身を度せん。『大慧書』巻30なお、別の文献では、「古徳云く」の...或る『礼讃文』について
先日、創価洗脳員達には読解力が無い(頭が悪い)という記事を書いたが、頭が悪い人の特徴は、まず「語彙力不足」そして「知識不足」が挙げられる。また中には、読解力が無い=精神が幼稚(感情論中心)という指摘する人もいる。対話ができない創価洗脳員にそっくり当てはまる。語彙力や知識は勉強すれば身に付くはずだが、それらが絶対的に不足しているのは創価洗脳員が勉強をしないからである。創価破門のきっかけ作った平成2年11月16日のスピーチの中の、「(猊下の御説法に対して)全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ。ドイツ語聞いているみたいにね。それで『俺偉いいんだ、お前ども、信徒ども、信者、信…
原始仏教から現代仏教に至るまで、代々実践され、受け継がれてきた、心を整える「止観(しかん)」。
諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、一切皆苦(いっさいかいく)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)前述の言葉は、お釈迦様が説かれた仏教の教えの中でも、特に重要な4つの基本理念として、「四法印(しほういん)」と言われています。仏教においては、特に大切にされている教えであり、仏教の教えの根本でもある教えとされています。「諸行無常」とは、全ては常無し、全ては変化し続ける、という事で、こ...
曹洞宗では、出家の儀式に当たる「出家得度式」において、3種類の御袈裟を授けることになっている。それは、「出家得度式作法」の中の「授坐具衣鉢」項目であり、その際に、坐具と五条衣・七条衣・九条衣と鉢盂を授けるのである。いわば、「比丘六物」の内の五物までを授けることを意味している。この辺は、曹洞宗の清規に多大なる影響を与えている中国雲門宗の長廬宗賾によって編まれた『禅苑清規』の影響もあるといえるだろうか?受戒の法は、応に三衣・鉢具并びに新浄の衣物を備うべし。新衣無きが如きは、浣染して浄めしめよ。入壇受戒は、衣鉢を借賃することを得ざれ。〈中略〉若し衣鉢を徣借すれば、登壇受戒すると雖も、竝びに得戒せず。『禅苑清規』巻一「受戒」項このように、非常に厳しく「三衣」の必要性を説くのである。それで、現状の得度作法であれば、...出家と三衣について
☆4月から騒がしくなります.今月3月に入り、富士宮一派の信徒が創価学会カテゴリに名を連ね、嫌がらせをするという出来事がありました。悪辣な批判を展開するこの...
☆ビックリ仰天、日顕宗のウソ!いやはや、ひっくり返るぐらい驚きの情報が入りました。きのうの「富士門流・日顕宗の「血脈相承」とは?」という記事に非公開でコメ...
☆日顕宗信徒のこだわり.富士門流一派の信徒が「唯授一人の血脈相承」について「荒唐無稽と学会が批判している」と述べていました。荒唐無稽とは「でたらめ」の意味...
☆旧統一教会へ解散命令.→ps://www.youtube.com/watch?v=WNmYYNKooFI家庭連合(旧統一教会)に解散命令が下りました。「...
☆大の里が優勝し、久々の日本人横綱誕生が期待されている。以下に、大の里の優勝インタビューと、地元のフィーバーを伝える動画を添付します。→youtube.c...
4月7日、宗祖御大会と共に総本山大石寺の二大法要と言われる『御霊宝虫払大法会』に参詣することができました。御虫払法要に参詣することは正宗移籍してからの念願でした。御虫払法要は毎年4月6・7日の二日間で奉修されますが、二日目の午前9時に大客殿に入りました。最初に、【御生骨】と【雨の祈りの三具足】が正面の御前机の中央に安置され、そして大聖人を筆頭に御歴代上人の御真筆の御本尊が内陣・外陣の特設柱に奉掲されます。まず内陣中央に【師資伝授】の御本尊、それから内陣に大聖人の御真筆の御本尊が奉掲され、内陣の最後に大聖人と日興上人の御影。それから外陣に移って日興上人から第九世・日有上人までの御真筆の御本尊。そ…
若い時は日に3杯も4杯もコーヒーを飲んでいましたが、カフェインの摂取が健康やメンタルに悪影響を及ぼす恐れがあると知ってから控えるようになりました。当時は長時間労働でしたし何も分からないまま仕事をしていましたので、精神的なプレッシャーをコーヒーで紛らわしていたのかもしれませんね。ある時、急に電車に乗ることができなくなったことがありましたが、後から考えるとコーヒーの飲みすぎも影響していたかもしれません。今でも新幹線や飛行機で長時間の移動をする前には少し気持ちがざわざわとすることもありますが、乗ってしまえばなんてことはありません。 それでもコーヒーは好きですので、なるべくカフェインの入っていないデカ…
☆公園の健康遊具の価値.公園器具・ふみいたストレッチ(あしのばし)の写真を添付します。写真解説「足首・膝・股関節の柔軟性の向上と腰痛予防改善用の健康遊具で...
☆残された人生の価値.以下に、服用している咳止めの薬の写真を添付します。写真解説「薬の瓶から白い薬が5粒、机の上にこぼれています」時代が変わったのは、コロ...
☆海外の創価学会は大躍進.以下に、韓国・プサン文化会館の開館式の写真を添付します。写真解説「聖教新聞2025年3月9日に掲載されたプサン会館の集合写真です...
☆池田大作はヒトラー.以下に私のマスクをつけた顔写真を添付します。かつて私は顔写真をブログに出したことはない。ただし、子供時代の写真は出してきた。その私の...
☆法華経とは「正法」なり.以下に、御書の日めくりカレンダーの写真を添付します。写真解説「“法華経を謗ずるが第一の重病なり”と書かれています」日蓮大聖人は「...
☆富士宮一派と戦うブログ.以下に、日めくり御書カレンダーの写真を添付します。富士宮一派(日顕宗)の有害性に気がついたのは今年に入ってからです。それまでは「...
☆当ブログは5周年・2013年11月30日にて完結いたしました。ブログは2024年11月1日で16周年を迎えました。この記事は2025年4月2日からのご報...