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皆さま 陰陽道自体は明治時代に入って消滅し、表舞台から姿を消しました。 ですが、陰陽道は神道や仏教とも関連性があって、逆に陰陽道へ影響を与えた神道の流派もあり…
歴史ある日光のルーツを知る旅!ガイドツアー(その7)神仏習合_輪王寺 小玉堂(児玉堂)⛩日光金谷ホテル2024/01/6~7
弘仁11年(820)弘法大師(空海)が滝尾で修行し、 仏眼金輪(ぶつげんきんりん)の法を17日間行った。 結願の夜に白糸の滝の傍にあった八葉蓮華池の中から 小さな白い珠が飛び出したという。
皆さま 巫師の世界に入るためにどのようなプロセスがあるのでしょうか。 人により入門に至る経緯は異なりますが、基本的には「血筋」がとても重要です。特に、先祖代々…
皆さま 神道と仏教は、神と仏を調和させ同一視する思想である神仏習合(しんぶつしゅうごう)によって共存していた時代がありました。明治時代の神仏分離令は、神道の…
皆さま 今回は、稲荷大神及び稲荷信仰と日本に伝来した仏教との関係について踏み込みます。かなりディープな話になりますが、人の信仰や祭祀にまつわる深層心理学的なテ…
【日光・輪王寺_1】日光は 山・神・仏 一緒くた|60歳からの御朱印めぐり〔067/541〕
輪王寺の三仏堂に祀られている三体のご本尊は、日光三山の神様とそれぞれ結びついています。
日本で一番古い歴史書は「古事記」(こじき)だと、学校の授業で初めて教わった とき、筆者はその語感りから「乞食」(こじき)を連想してしまったものです。 今思えば、まことに不謹慎な所業でした。 もっとも、この「乞食」という言葉自体もあまり歓迎されるものではなかったようで、 後に...
ぼんやりTVを眺めていたら、こんなニュースが流れました。 ~願い事などを書いて神社に奉納する「絵馬」にシールを貼るケースが 出てきています~ これを耳にしたとき、筆者は反射的にこんな連想をしたのです。 ~なるほどなぁ、屋外に飾る絵馬だから、やっぱり雨雪などから文字の劣化を...
先月、和歌山県にある丹生都比売(にうつひめ)神社に行ってきました。 ええ、そうです。前々回で取り上げた梨木香歩さんの「丹生都比売(におつひめ)」を読んでいたのは、こちらへ行くための伏線で […]
箱根神社の御朱印|由緒・境内をわかりやすく解説|関東屈指のパワースポット(神奈川県足柄下郡箱根町)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1祭 神箱根大神由 緒1191年に編纂された筥根山縁起并序によると、第5代天皇・孝昭天皇の時代に聖占仙人が駒ヶ岳の山頂に神仙宮を開いたのが始まり。その後、757年に箱根大神の神託を得た万巻上人が現在地
【大分】宇佐八幡と弥勒寺=神仏習合のはじまりで貴重!|大分学研究会例会【宇佐神宮】
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ 今回は大分を学ぶコーナー♨大分県を多角的に分析学習し、魅力を探し、情報発信する大分学研究会。☆「大分…
石城神社の御朱印情報|石城山の山頂に鎮座|国重文の本殿(山口県光市)
所在地山口県光市大字塩田石城2233番地祭 神大山祇神・雷神・高龗神社 格式内社(小)由 緒社伝によると574年に創建。敏達天皇から石城宮の勅額を賜り、905年に延喜式神名帳に記載された由緒ある神社です。1469年、大内氏14代当主・大内政
善行神社(ぜんぎょうじんじゃ→神奈川県藤沢市善行2丁目)は、善行内にあった八坂神社と稲荷神社(善行稲荷)という別々の2社を1997(平成9)年に合祀して創建した神社で、源義経を祀る白旗神社(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)の兼務社となります。境内には神仏習合の名残りも見られ、社殿の横にある薬師堂は江戸時代に別当寺を務めた起雲山 全龍寺(廃寺→神奈川県藤沢市善行1丁目)から移されたものと伝わります。薬師堂の左側の塀に沿っ...
旧ナントカ協会とか某カントカ証人とか、昨今日本では宗教・信仰がらみの話題が よく取り上げられています。 ただ、その内容があまり芳しいものではないのは、まことに残念なことですが。 しかしながら、宗教や信仰に対する解釈には微妙で繊細な一面があるのも事実の ようです。 たとえば、...
柄沢神社(→神奈川県藤沢市柄沢)は、創建年代の詳細は不明ですが、神仏習合の頃は孝安天皇(→実在の可能性が極めて低い6代天皇)を祀る「第六天社」と呼ばれ、鎌倉時代前期の1193(建久4)年には入間野・那須野での巻狩(まきがり→狩りを兼ねた軍事演習)へ向かう途中に源頼朝が参拝したことで信仰が広まったと伝わります。境内には神仏習合の頃の名残りと思われる鐘楼と梵鐘があり、柄沢村が江戸時代中期の1724(享保9)年に下野烏山藩(し...
妙見宮鷲頭寺の御朱印|妙見信仰ならびに星祭り(節分祭)発祥の宮寺(山口県下松市)
所在地山口県下松市中市1丁目10−15宗 派真言宗御室派札 所・山口県十八不動三十六童子霊場 第18番・中国楽寿三十三観音霊場 第15番・周南七福神(大黒天)由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、7日7夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護する
降松神社の御朱印|星の神様・妙見さまを祀る神社(山口県下松市)
所在地山口県下松市河内1984番地祭 神天之御中主尊由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、七日七夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護するようにとお告げがあったという。597年、百済国の王子・琳聖太子が来日し、桂木山に社殿を建立。そして、鷲頭の
閼伽井坊(花岡大師)の御朱印|現存する唯一の花岡八幡宮の社坊(山口県下松市)
所在地山口県下松市末武上398宗 派真言宗御室派札 所・周防国三十三観音霊場 第12番・周南七福神(寿老神)由 緒閼伽井坊は、709年に豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請した花岡八幡宮の社坊9ヶ寺の内、現存する唯一のお寺とのことです。花岡八幡
花岡八幡宮の御朱印|神仏習合の名残を伝えるお寺のような神社(山口県下松市)
所在地山口県下松市末武上400祭 神・応神天皇・神功皇后・姫大神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)由 緒709年、豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。鎌倉時代、重源上人が社殿を再建。室町時代には大内義隆が社領を寄進。安土桃山時代
山田神社(→神奈川県横浜市都筑区南山田町)は、室町時代中期の1445(文安5)年に創建したと伝わる妙見社を前身とする神社で、明治時代後期の1910(明治43)年、国の一村一社政策を受けて近郷の諏訪社、神明社、稲荷十社、八幡社、熱田社、熊野社、第六天社など21社を合祀し、山田神社と改称されました。合祀された1つの諏訪神社は平安時代前期の860(貞観2)年の創建と伝わる古社で、本殿横には別当寺(神宮寺)の名残りと推察される鐘楼と...
神サマ仏サマ、つまり神道と仏教のその双方を有難く信心するスタイルは、いわゆる 「神仏習合」と呼ばれ、仏教伝来以来の日本民族の信仰は、ほとんどの期間そうした 形式で行われてきました。 つまり、神道の神サマも仏教の仏サマを区別することなく、信仰の対象となっている のですから、日...
今から二十年近く以前のことになりますが、とある日本語に注目が集まった出来事を ご記憶でしょうか? しかしまあ、何かと熱しやすくてそしてまた忘れっぽいというのが日本民族特有の 気性でもあるようですから、「もうすっかり記憶の彼方」という方も、おそらくは 少なくないことでしょう。...
豊後高田市から国東市へ🚙💨美しい雪景色の中で二人だけの境内巡り♬📚前回のブログからの続き📚国東半島は「神」と「仏」が融合する神仏習合の発祥の地であるということを旅を終えてから知ることになる💦熊野磨崖仏から両子寺(ふたごじ)へ向かう🚙💨≪両子寺近くの風情あ
神王山 観音院 妙見寺(→東京都稲城市百村)は、奈良時代後期の760(天平宝字4)年に47代淳仁天皇(→藤原仲麻呂政権)の勅願で創建された妙見宮(→神王山 北辰妙見尊)の祭祀を司る別当寺として、平安時代後期の1112(天永3)年に創建された天台宗寺院です。本尊は阿弥陀如来像です。妙見寺は、現在も境内山頂にある神王山 北辰妙見尊の行事を行うなど神仏習合が色濃く残り、江戸時代前期の1662(寛文2)年から行われている「蛇より...
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梶ヶ谷神明社(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷4丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)に創建されたと伝わります。江戸時代には光永山 寿明院 西福寺(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷5丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代初期の1870(明治3)年に近くの子神社(ねのじんじゃ)を合併し、1873(明治6)年に村社となりました。高度経済成長期の1968(昭和43)年に区画整理事業で境内が整理さ...
久地神社(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)は、創建年代などは不詳ですが、神仏習合の江戸時代には赤城社といい、日蓮宗寺院の秋興山 浄元寺(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年に神仏分離令が発布されると天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする久地神社と改称し、明治時代前期の1881(明治14)年に近隣の3社を合祀しました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみかみ)久地...
末長杉山神社(→神奈川県川崎市高津区末長2丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には隣接する天台宗寺院・松林山 安楽院 明鏡寺(→神奈川県川崎市高津区末長)が別当寺として祭祀を司っていました。傾斜地にあるため末長杉山神社の境内から明鏡寺の本殿や三重塔を眼下に収めることができます。神仏習合の頃には約30cmの木の立像(→仏像)が神体だったようです。現在の社殿は2007(平成19)年に改築され、同年11月29日に入魂祭なる...
八雲神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、創建年代は不詳ながら上市ヶ尾村(→現市ヶ尾町)の鎮守として崇敬されてきました。江戸時代には当時の京都八坂神社(→京都府京都市東山区祇園町北側)の祭神・牛頭天王(ごずてんのう→疫病を防ぐ神)を祀る牛頭天王社と称し、真言宗豊山派の初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年の神仏分離令により神仏習合が終わり、素...
大場諏訪神社(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、江戸時代中期に徳川将軍家の旗本でこの地の地頭(→領主)であった筧三郎右ヱ門(かけいさぶろううえもん)が創建したと伝わる神社です。江戸時代には弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)が別当寺として祭祀を司っていました。創建寺は付近の別の場所に社地があったようですが、幕末期の1856(安政3)年8月25日の大風で社殿が潰れてしまい、同年10月に村民が協議して現在の...
宿河原八幡宮(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)は、創建年代は不詳ですが江戸時代には宿河原村の鎮守社として親しまれ、「鎮守八幡宮」と呼ばれていました。創建時の社殿は多摩川北岸にあったようですが洪水により流出し、雁三山 正幡院 常照寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)の観音堂が建っていた場所に社殿を再建したと記されています。そのため、江戸時代には常照寺が別当寺として宿河原八幡宮(→当時は正八幡宮)の祭祀を...
星霜山 円光院 長福寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原2丁目)は、創建年代や開山・開基者は不詳ですが、江戸時代には浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として記されている天台宗寺院で、宿河原周辺では唯一(→多摩区全体では5社)の天台宗寺院となります。寺歴は定かではありませんが、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡宿河原村の条には次のように記されています。********...
本郷神社(→神奈川県横浜市緑区東本郷4丁目)は江戸時代前期に創建されたと伝わる神明社が起こりで、1921(大正10)年に1600(慶長5)年に創建された稲荷社と合祀して本郷神社となりました。神仏習合の江戸時代には瑞照山 慈眼院 東観寺(→神奈川県横浜市緑区東本郷1丁目)が別当寺として稲荷社の祭祀を司っていました。本郷神社となった神明社・稲荷社および末社の数々は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』...
空海さんと神仏習合。*゚+菊理媛のシフトチェンジアクティベーション
こんにちはこちらのブログへご訪問ありがとうございます昨日はモカさん へ菊理媛のシフトチェンジアクティベーションのアチューメントをさせてもらいました昨日の朝、御…
汁守神社(→神奈川県川崎市麻生区黒川1丁目)は創建年代は不詳ながら神仏習合時代には不動尊を本地仏(→神の本体)として祀る汁守神明社として崇敬されていました。江戸時代には金剛寺が別当寺として祭祀を司っていたようです。国の一村一社政策により1914(大正3)年に近隣の日枝神社などが合祀され、神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ→勅令に基づき例祭に神奈川県知事から金銭が贈られる神社)に指定されました...
にほんブログ村 先日の謎の石像、覚えていらっしゃるでしょうか? 動物が何かとお尋ねした、こちらの石像です。 【記事】 「こんなところに、御嶽神社」 その質問の答えが、ブログ外からのコメン
白山信仰の中心的な神社 神仏習合の形態をそのまま 参道から左側が長滝寺、奥が長滝白山神社です 撮影 22年4月中旬 郡上市白鳥町 金剛童子堂の左ねじの木脇に咲いていた白い花高山市に向かう途中に立ち寄りました旅の出会いに感謝です良い一日を・・・ にほんブログ村 ご訪問して頂きありがとうございます これからもよろしくお願いします...
神仏習合で参拝法が珍しい?!修験道の古刹「小渕山観音院」に行って来ました!
こんばんは、いもみ🍠です。 本日は、埼玉県春日部市小渕にあります『小渕山観音院』のご紹介です。 700年以上の歴史がある神仏習合・修験道のお寺であり、これまで私たちが巡ってきたどの神社寺院とも違ったお詣りの仕方をします。 また小渕山観音院には、かの有名な俳人・松尾芭蕉が『奥の細道』で一番最初に宿泊した、という説もあります。↓場所はコチラです↓ 駐車場は5~6台ほど停められるスペースが仁王門近くにあります。 入る場所は油断すると、通り過ぎてしまいます…私たちの様に!(・∀・)マタヤッチマッタ~ 駐車場への入り口は、国道4号線(日光街道)沿いにあるのですが、カーナビだと何故か裏側に誘導されてしまい…