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チビは猫ベッド。カインはソファの肘掛けの上で。さて、思いがけず白梅に出会った後はお堂の方へ。外廊下がぐるりと取り巻いているんですが、その先に、以前から気になってたけど、これって何だろう。一つ一つが石仏なのはその通りなんだが、この配置は意図的なのか、ただの寄せ集めか。曼荼羅かとも思ってしまうけど、ここは密教でもないし。仔細は分からないが、それぞれの表情は豊かですよ。豆蔦の呪縛?眠いのか笑ってるのか。...
さてさて…断捨離してたらこんなもの出て来たシリーズ…今回は横浜厳島神社のお賽銭… 有名な神社はたいてい全国に分社があるものだけど…横浜に厳島神社の分社があるな…
新年おめでとうございます・・・今年もよろしくお願いいたします。 お約束のご挨拶はこれくらいとして、さて、新春ということもあって、 本年最初の話題として、めでたいテーマを選びました。 ズバリ「宝船」と今年の干支である「蛇」と、そして「七福神」です。 ええ、どれも年賀状イラスト...
時折耳にする~日本の常識は世界の非常識~という感覚は、何とはなく信仰の面にも 当てはまる気がします。 たとえば、キリスト教やイスラム教などのいわゆる「一神教」に対して、日本の場合は、 「八百万神」と言われる数多の神々を祀っています。 「一神教」の世界からしたら、こうした日本...
中世のヘンテコ説話からかつての日本人の信仰世界と世界観を覗き見る ~京都・五条エリア
1.「宇治拾遺物語」にあるちょいとおもしろい説話 1-2.この説話に秘められた神仏の世界観 2.かつての日本人の信仰/精神世界をさらに探ってみる 2-1.浄土宗や修験道との関係 2-2.五条の地に伝わる他の説話・伝説 1.「宇治拾遺物語」にあるちょいとおもしろい説話 京都市の中心部、五条駅周辺の五条エリアには五條天神社という神社があります。「天使の宮」などとも言われていて京都市内(洛中)でももっとも古い神社の一つ、らしい。名前が「天神社」ではありますが、主祭神は菅原”天神さま”道真ではなくスクナビコナノミコト(少彦名命)、ほかにオオナムチノミコト(大己貴命)とアマテラスオオミカミが祀られていま…
ども。今回の絶景は、大分県の「宇佐神宮」です。初めての参拝は、表参道ではなく、勅使街道↑から向かいます。石畳の勅使街道↑をいずみ2号で宇佐神宮にすすむ君。突き当たりに鳥居↑が立ってて、その左側が無料駐車場です。(正確には、この左の道路沿いに有料駐車場があって、さらにその左側が無料駐車場です。)表参道の方の駐車場は有料なので、こちらに来ましたw駐車場にいずみ2号を駐めて、徒歩で橋↑を渡って境内へ。隣に、...
備前国と備中国の境界に横たわる吉備中山〈きびのなかやま〉、その西麓に鎮座する吉備津神社は鬼退治伝説で有名な吉備津彦命〈きびつひこのみこと、孝霊天皇の皇子〉を…
「赤いキツネと緑のたぬき」との名称を持つ和風カップ麺商品があります。 製造販売元は「東洋水産」で、正式名称は頭にブランド名「丸ちゃん」を冠した、 「マルちゃん 赤いきつねうどん」、「マルちゃん 緑のたぬき天そば」となるとの ことです。 普段はあまり思い出すこともない、この「...
皆さま 前から気になっていた動きですが、7月のYahoo!ニュースにこのような記事が載っていました。 呪術信仰、無戸籍者の集落…教科書では語られなかった歴史…
廿日市天満宮の隣にある真言宗寺院。行基が開基、空海が改宗という由緒をもつ名刹。藤原姓厳島神主家の祈願所で、となりにある同じく神主家が鎮守として鎌倉から勧請した天満宮の別当寺だった。神と仏が分かたれた現
皆さま お盆(おぼん)は、日本で毎年夏に行われる伝統的な行事で、祖先の霊を祀るための一連の儀式です。この行事は、日本の古代から続く祖霊信仰と仏教が融合して形成…
現在南海トラフ地震への注意が呼びかけられている状況、何事も起こらなければよいのですが。こうした自然災害に関しては今も昔も備えることと祈ることしかできないのかもしれません。 日本列島ならびに周辺には4つのプレート(北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート)がひしめき合うように存在しており、これらのプレートの活動が地震や噴火をもたらすとともに美しい景観や地下資源をもたらしている。そしてこのメリット・デメリット両極端な面がそのまま日本の特徴にもなっています。悩ましいですねぇ。 ちなみに2007年に日本ではじめてダイヤモンドが発見(ずっと日本にはダイヤモンドはないと言われ…
目次基本情報御由緒御朱印御朱印帳境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:大阪天満宮御祭神:菅原道真公社格等:府社・別表神社鎮座地:大阪府大阪市北区天神橋2-1…
皆さま 私たちが神社をめぐるとき、一つには代理参拝として依頼者にご縁のある神さまを祀っている場所を選んで回ります。 また、私たちの個人的に縁のある場所には定期…
巫師の巡礼記(21):地元で大切に祀られている豊後のお稲荷様
皆さま 稲荷神社は全国に数多くありますが、「正一位稲荷大明神」の称号を持つ神社は、伏見稲荷の祭神を、「稲荷勧請」によって、各地の稲荷の社祠に分祀したことを示す…
皆さま 私たちが修行時代を通じて通っていた神社をご紹介いたします。神社庁に所属の神社ですが、「巫師養成所」としての顔も持っていたところです。私たちはこの神社で…
目次基本情報御由緒御朱印御朱印帳境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:秩父今宮神社御祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神・須佐之男大神・八大龍王神・宮中八神・役…
巫師の巡礼記(7):荼枳尼天信仰の名残を感じさせる美作の社寺
皆さま 神仏習合時代の稲荷信仰の雰囲気を感じられる社寺が岡山県北部にあります。 今では荼枳尼天関係の仏を祀っている寺院は珍しいのですが、私たちは、そういう昔の…
ユニクロのコラボレーション商品の一つJWアンダーソン。 トラッドな香りのするラインナップで、体型に合えばとてもアイビーぽくなります。 昨冬のレタードスウェット…
皆さま 陰陽道自体は明治時代に入って消滅し、表舞台から姿を消しました。 ですが、陰陽道は神道や仏教とも関連性があって、逆に陰陽道へ影響を与えた神道の流派もあり…
歴史ある日光のルーツを知る旅!ガイドツアー(その7)神仏習合_輪王寺 小玉堂(児玉堂)⛩日光金谷ホテル2024/01/6~7
弘仁11年(820)弘法大師(空海)が滝尾で修行し、 仏眼金輪(ぶつげんきんりん)の法を17日間行った。 結願の夜に白糸の滝の傍にあった八葉蓮華池の中から 小さな白い珠が飛び出したという。
皆さま 巫師の世界に入るためにどのようなプロセスがあるのでしょうか。 人により入門に至る経緯は異なりますが、基本的には「血筋」がとても重要です。特に、先祖代々…
皆さま 神道と仏教は、神と仏を調和させ同一視する思想である神仏習合(しんぶつしゅうごう)によって共存していた時代がありました。明治時代の神仏分離令は、神道の…
皆さま 今回は、稲荷大神及び稲荷信仰と日本に伝来した仏教との関係について踏み込みます。かなりディープな話になりますが、人の信仰や祭祀にまつわる深層心理学的なテ…
【日光・輪王寺_1】日光は 山・神・仏 一緒くた|60歳からの御朱印めぐり〔067/541〕
輪王寺の三仏堂に祀られている三体のご本尊は、日光三山の神様とそれぞれ結びついています。
日本で一番古い歴史書は「古事記」(こじき)だと、学校の授業で初めて教わった とき、筆者はその語感りから「乞食」(こじき)を連想してしまったものです。 今思えば、まことに不謹慎な所業でした。 もっとも、この「乞食」という言葉自体もあまり歓迎されるものではなかったようで、 後に...
ぼんやりTVを眺めていたら、こんなニュースが流れました。 ~願い事などを書いて神社に奉納する「絵馬」にシールを貼るケースが 出てきています~ これを耳にしたとき、筆者は反射的にこんな連想をしたのです。 ~なるほどなぁ、屋外に飾る絵馬だから、やっぱり雨雪などから文字の劣化を...
先月、和歌山県にある丹生都比売(にうつひめ)神社に行ってきました。 ええ、そうです。前々回で取り上げた梨木香歩さんの「丹生都比売(におつひめ)」を読んでいたのは、こちらへ行くための伏線で […]
箱根神社の御朱印|由緒・境内をわかりやすく解説|関東屈指のパワースポット(神奈川県足柄下郡箱根町)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1祭 神箱根大神由 緒1191年に編纂された筥根山縁起并序によると、第5代天皇・孝昭天皇の時代に聖占仙人が駒ヶ岳の山頂に神仙宮を開いたのが始まり。その後、757年に箱根大神の神託を得た万巻上人が現在地
【大分】宇佐八幡と弥勒寺=神仏習合のはじまりで貴重!|大分学研究会例会【宇佐神宮】
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ 今回は大分を学ぶコーナー♨大分県を多角的に分析学習し、魅力を探し、情報発信する大分学研究会。☆「大分…
石城神社の御朱印情報|石城山の山頂に鎮座|国重文の本殿(山口県光市)
所在地山口県光市大字塩田石城2233番地祭 神大山祇神・雷神・高龗神社 格式内社(小)由 緒社伝によると574年に創建。敏達天皇から石城宮の勅額を賜り、905年に延喜式神名帳に記載された由緒ある神社です。1469年、大内氏14代当主・大内政
善行神社(ぜんぎょうじんじゃ→神奈川県藤沢市善行2丁目)は、善行内にあった八坂神社と稲荷神社(善行稲荷)という別々の2社を1997(平成9)年に合祀して創建した神社で、源義経を祀る白旗神社(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)の兼務社となります。境内には神仏習合の名残りも見られ、社殿の横にある薬師堂は江戸時代に別当寺を務めた起雲山 全龍寺(廃寺→神奈川県藤沢市善行1丁目)から移されたものと伝わります。薬師堂の左側の塀に沿っ...
旧ナントカ協会とか某カントカ証人とか、昨今日本では宗教・信仰がらみの話題が よく取り上げられています。 ただ、その内容があまり芳しいものではないのは、まことに残念なことですが。 しかしながら、宗教や信仰に対する解釈には微妙で繊細な一面があるのも事実の ようです。 たとえば、...
柄沢神社(→神奈川県藤沢市柄沢)は、創建年代の詳細は不明ですが、神仏習合の頃は孝安天皇(→実在の可能性が極めて低い6代天皇)を祀る「第六天社」と呼ばれ、鎌倉時代前期の1193(建久4)年には入間野・那須野での巻狩(まきがり→狩りを兼ねた軍事演習)へ向かう途中に源頼朝が参拝したことで信仰が広まったと伝わります。境内には神仏習合の頃の名残りと思われる鐘楼と梵鐘があり、柄沢村が江戸時代中期の1724(享保9)年に下野烏山藩(し...
妙見宮鷲頭寺の御朱印|妙見信仰ならびに星祭り(節分祭)発祥の宮寺(山口県下松市)
所在地山口県下松市中市1丁目10−15宗 派真言宗御室派札 所・山口県十八不動三十六童子霊場 第18番・中国楽寿三十三観音霊場 第15番・周南七福神(大黒天)由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、7日7夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護する
降松神社の御朱印|星の神様・妙見さまを祀る神社(山口県下松市)
所在地山口県下松市河内1984番地祭 神天之御中主尊由 緒595年、青柳浦の松に星が降臨し、七日七夜輝き続けて琳聖太子の来朝を擁護するようにとお告げがあったという。597年、百済国の王子・琳聖太子が来日し、桂木山に社殿を建立。そして、鷲頭の
閼伽井坊(花岡大師)の御朱印|現存する唯一の花岡八幡宮の社坊(山口県下松市)
所在地山口県下松市末武上398宗 派真言宗御室派札 所・周防国三十三観音霊場 第12番・周南七福神(寿老神)由 緒閼伽井坊は、709年に豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請した花岡八幡宮の社坊9ヶ寺の内、現存する唯一のお寺とのことです。花岡八幡
花岡八幡宮の御朱印|神仏習合の名残を伝えるお寺のような神社(山口県下松市)
所在地山口県下松市末武上400祭 神・応神天皇・神功皇后・姫大神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)由 緒709年、豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。鎌倉時代、重源上人が社殿を再建。室町時代には大内義隆が社領を寄進。安土桃山時代
山田神社(→神奈川県横浜市都筑区南山田町)は、室町時代中期の1445(文安5)年に創建したと伝わる妙見社を前身とする神社で、明治時代後期の1910(明治43)年、国の一村一社政策を受けて近郷の諏訪社、神明社、稲荷十社、八幡社、熱田社、熊野社、第六天社など21社を合祀し、山田神社と改称されました。合祀された1つの諏訪神社は平安時代前期の860(貞観2)年の創建と伝わる古社で、本殿横には別当寺(神宮寺)の名残りと推察される鐘楼と...
神サマ仏サマ、つまり神道と仏教のその双方を有難く信心するスタイルは、いわゆる 「神仏習合」と呼ばれ、仏教伝来以来の日本民族の信仰は、ほとんどの期間そうした 形式で行われてきました。 つまり、神道の神サマも仏教の仏サマを区別することなく、信仰の対象となっている のですから、日...
今から二十年近く以前のことになりますが、とある日本語に注目が集まった出来事を ご記憶でしょうか? しかしまあ、何かと熱しやすくてそしてまた忘れっぽいというのが日本民族特有の 気性でもあるようですから、「もうすっかり記憶の彼方」という方も、おそらくは 少なくないことでしょう。...
豊後高田市から国東市へ🚙💨美しい雪景色の中で二人だけの境内巡り♬📚前回のブログからの続き📚国東半島は「神」と「仏」が融合する神仏習合の発祥の地であるということを旅を終えてから知ることになる💦熊野磨崖仏から両子寺(ふたごじ)へ向かう🚙💨≪両子寺近くの風情あ
神王山 観音院 妙見寺(→東京都稲城市百村)は、奈良時代後期の760(天平宝字4)年に47代淳仁天皇(→藤原仲麻呂政権)の勅願で創建された妙見宮(→神王山 北辰妙見尊)の祭祀を司る別当寺として、平安時代後期の1112(天永3)年に創建された天台宗寺院です。本尊は阿弥陀如来像です。妙見寺は、現在も境内山頂にある神王山 北辰妙見尊の行事を行うなど神仏習合が色濃く残り、江戸時代前期の1662(寛文2)年から行われている「蛇より...
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梶ヶ谷神明社(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷4丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)に創建されたと伝わります。江戸時代には光永山 寿明院 西福寺(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷5丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代初期の1870(明治3)年に近くの子神社(ねのじんじゃ)を合併し、1873(明治6)年に村社となりました。高度経済成長期の1968(昭和43)年に区画整理事業で境内が整理さ...
久地神社(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)は、創建年代などは不詳ですが、神仏習合の江戸時代には赤城社といい、日蓮宗寺院の秋興山 浄元寺(→神奈川県川崎市高津区久地1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年に神仏分離令が発布されると天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする久地神社と改称し、明治時代前期の1881(明治14)年に近隣の3社を合祀しました。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみかみ)久地...
末長杉山神社(→神奈川県川崎市高津区末長2丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には隣接する天台宗寺院・松林山 安楽院 明鏡寺(→神奈川県川崎市高津区末長)が別当寺として祭祀を司っていました。傾斜地にあるため末長杉山神社の境内から明鏡寺の本殿や三重塔を眼下に収めることができます。神仏習合の頃には約30cmの木の立像(→仏像)が神体だったようです。現在の社殿は2007(平成19)年に改築され、同年11月29日に入魂祭なる...