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山田富士(→神奈川県横浜市都筑区北山田1丁目)は、江戸時代に富士講によって作られた富士塚の1つで、火口や登山道(→緩やかな御殿場口、急勾配な吉田口)が作られるなど、都筑区内の富士塚の中では最も造形が美しく凝った富士塚と思われます。江戸時代には山の中腹に妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)が祭祀を司った太子堂があり、長さ30cmほどの聖徳太子立像が祀られていたと記されます。現在は太子堂はなく、...
鎌田堂(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、平安時代後期の武将で源義朝(→源頼朝の父)の家人で乳母子でもある鎌田政清の館跡に建立されたと伝わる地蔵堂です。江戸時代前期までは純金製の観音菩薩像を安置していたようですが、盗賊に奪われ、1673(寛文13)年に石の地蔵尊を建立したと記されます。江戸時代には真言宗豊山派寺院の妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)が管理し、幕末の安政年間(→1855年~1860年)...
諏訪山 普門院 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区東山田4丁目)は、平安時代前期の貞観年間(→859年~877年)に「顕密の博士」と称された僧の安然が創建したと伝わる天台宗寺院です。一説には、信濃国諏訪の僧・堯観が山田の沢に霊地を求めて、大樹の根本に草庵を結んだとありますが、真偽の程は定かではありません。ただし、本尊の聖観音菩薩立像は、神仏習合の頃は諏方明神像の胎内に安置されていたと伝わるので、山号にもなっている諏...
山田神社(→神奈川県横浜市都筑区南山田町)は、室町時代中期の1445(文安5)年に創建したと伝わる妙見社を前身とする神社で、明治時代後期の1910(明治43)年、国の一村一社政策を受けて近郷の諏訪社、神明社、稲荷十社、八幡社、熱田社、熊野社、第六天社など21社を合祀し、山田神社と改称されました。合祀された1つの諏訪神社は平安時代前期の860(貞観2)年の創建と伝わる古社で、本殿横には別当寺(神宮寺)の名残りと推察される鐘楼と...
妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)は、創建の詳細は不明ですが、江戸時代中期の延享年間(→1744年~1747年)に死去した僧の覚推が中興開基したと記される真言宗豊山派寺院です。もとは西不動谷(→神奈川県横浜市都筑区南山田2丁目)にありましたが、江戸時代中期に現在地に移転し、この地の領主河野通有(こうのみちあり→八王子千人同心の1家)から二段五畝の畑を寄進されました。長泉寺は、江戸時代には本山・末...
【佐賀】曹洞宗「長泉寺」で新たにいただけるようになったステキな【御朱印】~追加版~
【佐賀】佐賀県佐賀市東与賀町の願王山長泉寺 【長泉寺 御朱印】御朱印帳にお書き入れいただきました 【長泉寺 御朱印】(書き置き) 新たにいただけ…