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2024年3月16日(土)に北陸新幹線の金沢→敦賀が延伸開業! めでて〜お祭りモード突入〜! 北陸旅行割もありますし 能登半島地震で被害を受けた観光業&それに関わる色んな業界の人のためにも 旅行で大量に課金されるのがよろしいと思います。 せっかくだし私も昔行った(昔かよ)北陸旅行の際の日記でも。 富山県のな!(えー タイトルに思いっきり書いてありますけどね。 北陸新幹線の延伸に言及しておいて富山県なのか… しょーがねーだろー、石川県も福井県も行ったことないんだからー 金沢行かずに富山来たの??って現地の人に驚かれた思い出。 富山にスマブラ友達がいるので旅行を兼ねて行きました。 なんなら福井にも…
今日は三河国にある 箱柳城 を少し紹介します。 場所は愛知県岡崎市の山間に入ったところにあって、現在は竹藪に覆われております。 その中へ入るといたるところに石積みが見られ大変興味深いのですが、な
朝も暑かった四国高松からこんにちは😃。岡山駅でサンライズ瀬戸と出雲の切り離しの時に、外の空気吸いにホーム出たけど、思った程寒くなくて肩透かし食らったみたいでし…
今回は我が【尾張国】浅野城 を少し紹介します。 場所は愛知県北西部の一宮市にある城跡(※館跡)で、その主は戦国時代に名を馳せた浅野氏でありました。 中でも長政はかの信長、秀吉に仕えたことで知ら
昨日のお昼寝で金縛りに襲われたので夜に寝るのが何となく怖かったけど、意外とスヤスヤ眠ることが出来て今朝はまぁまぁ元気だったな。でも寒い。 …何もこんな急に気温が低まることも無かろうに。 朝、配偶者氏に「今日はおしめん(巨大草食ペット)のおしめのテープが剥がれてしまうかもしれないので、そうなった時は宜しく」と言われていた。珍しく上手く行かなかったらしい。 …で、夕方頃に「そう言えば」と思い出して様子を見てみたら………予告通りウ〇チまみれの脱げかけオムツを片足に引っかけてウロウロしていたよ💢 慌てて脱がせてシャワーを浴びさせて、ベランダの床も綺麗に洗ってすっかり一仕事した気になって力尽きた(笑)。…
今日は尾張国南部の 河和城 を少し紹介します。 場所は現在の知多半島の三河湾側に位置しております。 この城を造ったのは、三河の渥美郡(※渥美半島)を治めていた戸田氏が知多へ進出したものだそう
こんばんは。お疲れ様です。ん?ワタシ?うんうんとっても疲れてます。なんせ、朝6:08の3番電車に乗って18きっぷの旅をしたのだからねぇ。沼津始発の7:00発宇…
今日は三河国にある 古宮城 を少しばかり紹介します。 場所は以前に紹介した亀山城や文殊山城からほど近い国道301号沿いにあって、また驚くことにこの城は甲斐国の武田信玄が三河国へ進出の拠点とし
厳原港を一望できるビュースポット!清水山城三ノ丸に登る(長崎県対馬市)
対馬の中心地・厳原には、多くの史跡が残っています。今回はその中から、井須原港を一望できるビュースポットで知られる、清水山城三ノ丸に登ってみました。「登る」というからには、もちろん険しい山道を歩かねばなりません。はたして、無事にゴールまでたどり着けるでしょうか?史跡 清水山城跡国指定 昭和五九年一二月六日清水山城跡は、有明山(五五八.二m)から延びた東の支脈先端にあたる清水山の尾根上に立地する。一六世...
銀世界の金沢城址(石川県金沢市)―前田家100万石の栄光はいずこ
前田家加賀100万石で有名な、金沢藩の中枢として繁栄を極めた金沢城。現在では一部遺構が残るのみですが、少しだけ城址を見物しました。電車の乗り換え時間を使って訪問したので、今回は簡単な紹介に留めます。▲雪が残る濠端を眺めて濠を越え、建築物が建っていたであろう場所に来ました。真っ白な雪に覆われて美しいです。雪が積もるこの季節、前田殿は国元でどう過ごしたのでしょう。降り積もった雪と冷たい空気が城内に満ち溢れ...
【高市郡高取町】高取山登山② 日本100名城の1つ『高取城址』本丸と国見櫓、山中にある不思議な猿石
前回の続きで高取山に登った時の話になります。宗泉寺を出ていよいよ山登りが始まります。登り口には『高取城址』と書かれた石碑が立てられていました。この先は『七曲り』と言って曲がりくねった道が続いています。敵が攻めてきた時見通しを悪くするためこのような道が作ら
日時:令和5年4月22日 12時30分ごろ 住所:長野県上田市殿城 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:烏帽子岳(標高2066m)および 殿城山(標高1193m)の登山道 ※市民の森公園登山口から北東に約300m ...
「ふるさと歴史館」を見学したら展示のひとつに松山の見所や史跡を描いたマップがあって、そこのすぐ近くに「上野館跡」という場所を見つけたので行ってみました。伊達家家臣の茂庭(もにわ)家に関係する場所らしいです。場所は「ふるさと館」、「酒ミュージアム」、「松山公民館」などがある場所のすぐ裏の斜面の上。
宗像市内にある小さくも険しい山「白山」の登山に挑戦しました。元々は宗像氏の居城があった山で、難攻不落の城であったと伝えられています。山田本村にある登山口から登っていきます。入口付近に駐車場があるので、車でお越しの方はそちらをご利用ください。駐車場そばにはトイレもあります。登山道入口に立つと、鴬など春の鳥のさえずりが聞こえてきます。宗像の山は春になると、自然の音色を楽しめる美しい場所になるのです。白...
さて、いよいよ歴史的に有名な浜松城です 家康が岡崎城から引馬城に移ってから約17年の在位期間に 歴史的に名高い戦が沢山あります 元亀元年(1570) 姉川の合戦 元亀3年(1572) 三方ヶ原の合戦 天正3年(1575) 高天神城の攻略 天正12ねん(1584) 小牧・長久手の戦い 特に元亀3年の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の 激闘であったと伝えられている 家康が駿府城に移った跡の浜松城は、代々の徳川家と ゆかりの濃い譜代大名が守りました 歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから 浜松城はのちに出世城と呼ばれるようになりました 浜松市役所からの浜松城、野面積みの石垣は400…
元亀3年(1573)三方ヶ原の戦いで甲斐の武田信玄に大敗した 徳川家康は、命からがら浜松城に逃げ込みました この時戒めの為に描かせたのがしかめ像と言われています 何とか武田軍の城攻めを逃れた家康はその夜 どうにか一矢を報いたいと犀ヶ崖近くで野営する武田軍を急襲しました 地理に不案内な武田軍は混乱し崖に転落して多くの死者を出しました この時、いかにも橋があるかの様に布を渡した事から 布橋の地名が付いたと言われています お隣りの犀ヶ崖資料館も楽しめます
浜松城の前身である引馬城が元城東照宮付近にあったとされている 引馬城は今川氏の領地にある城で、徳川家康が岡崎城から 遠州にきた際にこの引馬城に入り浜松城を築いた 引馬は馬を引く負け戦を連想するする事から浜松城に改名した 武田信玄との三方ヶ原の戦いでは、引馬城の北口にあたる玄黙口へ 撤退していることから引馬城が活用されていた事がわかる その後、浜松城の築城が進むにつれ、引馬城は主郭ではなくなり 米蔵などが置かれ古城と呼ばれるようになる 明治19年にこの地(曲輪跡)に東照宮が建立された 浜松城公園駐車場からすぐなので是非セットで行きたい場所 家康、秀吉のルーツみたいな気がします
真夜中に新宿を出て、朝に無事、合流できました。豪華な朝ごはんを食べ、運転させまくって観光名所へ。2時間ほど歩いて、朝ごはんを消費。お腹ぺこぺこで宿にたどり着きました〜ランキングに参加しています。クリックしていただけたらうれしいです♪↓↓↓...
今回は徳川発祥の地 松平郷【三河国】の紹介です。 場所は豊田市松平町と言うかなり山間に入った場所で、この付近にあった以前に紹介した大給城も含めたものが、国指定史跡の松平遺跡であります。
日時:令和4年9月14日 時刻不明 住所:東京都八王子市元八王子町3丁目(付近) 状況:子グマ2頭の目撃情報 現場:国指定史跡「八王子城跡」付近 ...
大郷町の羽生にある築館城跡の「築館公園」。ここは半年ほど前に初めて訪れた場所で、そのあと桜を見にもう一度訪れました。そして今回、大郷町を訪れた折に、もしかしたらヤマユリの花も咲いていたりするかなあ―――、と思って行ってみました。
昨晩の車中泊旅の続きになりますハイエース車中泊旅記事はこちら♪↓『ハイエース車中泊 群馬県甘楽郡甘楽町【道の駅 かんら】⭐️⭐️⭐️⭐️』今日は❗️まちにまっ…
【標高差約45m、歩行距離300mほどで山頂に辿り着ける超超超お手軽ハイキングルート】 ※2022年3月24日追記 2023年1月31日(予定)まで通行禁止になっています。3月24日、お彼岸のお墓参りに行くと登山口の前にフェンスが張られて
新型コロナワクチンの3回目接種(ファイザー)を受けました。 1、2回目共にファイザーで、副反応も特になく安心していたら3回目接種の夕方から微熱が出て、手足がとてもだるくなって夜中に9度2分まで熱が上がりました。
今日のお城は【遠江国】横須賀城 を紹介します。 場所は静岡県掛川市の南に位置しております。 この城が建てられた理由は、甲斐の武田氏が遠江に進出し高天神城が奪取されてしまったことからそこ
今日のお城は【武蔵国】の 八王子城 であります。 この城は小田原城の周囲に配置されていた沢山ある支城のひとつでありましたが、そんな支城の中でもこの城には凄い特徴がありまして、当時まだ関東の城にお
今日は信州の松本城(別名:深志城)を少し紹介します。 もうメジャー過ぎて今更ではありますが、やはり【国宝】でもあるその5重天守は、複合連結式とも呼ばれる形式で、大天守の廻りに付属する小天守
今回は【遠江国】の家康で有名な 浜松城 の紹介です。 このお城は、かの徳川家康公が三河国の岡崎城から今川氏の旧領である遠江国その先の駿河国の支配までを見据えて拠点を移したのものでした。 その後
昨日の土曜日に僕らは2021年の初詣に行ってきました。 毎年ながら僕らは正月の三が日が過ぎてからの週末に何となく行く感じなので、今のコロナ禍だからと言うわけでもなく例年通りと言う感じでしょうか、ま
今回紹介するお城は丹波国の福知山城であります。 ちょうど昨年からの大河ドラマで明智光秀主役の『麒麟が来る』がやっており旬かなと思いまして、また前回の京都の旅ブログで紹介した亀岡城にも関連してま
今回は以前に行った安芸国の広島城について紹介します。 この城は僕の大好きな構造の天守で、それは古式望楼型5重天守であり黒い下見板の外観においてもその好きな要因の一つであります。 これら
今回は【遠江国】にある 小山城 を紹介します。 場所は静岡県の大井川河口に近い所にあります。 その起源は今川氏とされその後、織田信長により桶狭間にて今川義元が討たれると今度は徳川家康と武田信
今日は備前国の岡山城を少しばかり紹介したいと思います。 前回の広島城(※安芸国)と同じ中国地方つながりと言うことでこちらにしてみました。 岡山城はかの豊臣秀吉の五大老の一人でもあった
今日紹介するのは美濃国の岐阜城(※稲葉山城)であります。 今年の頭(※1/31)に行ったもので、アップするの忘れてました。 ここは自宅から比較的に近隣であることからすでに何度も訪れてますが、今回
今日紹介するのは西尾城【三河国】であります。 ここは比較的に近隣であることもあって今回で3度目の訪問でした。 まず初めて行った(2011/12)時は、単純にこのお城を見るという気分で、2回目の(2014
今日は【播磨国】の 赤穂城 を紹介したいと思います。 ここへ行ったのは、正直なとところ姫路城へ行ったついでだったのですが、実際にこの城を生で見ると立派で壮大な城でありました。 それは素
今回はかる~いのりで【美濃国】藤橋城 の紹介です。 何度も断っておきますが、今回はかるい気持ちで見ていただけたら幸いです。 もうこのお城は完全なる観光地的な意味合いの施設であって、そこに
今日は国宝でもある彦根城【近江国】を紹介します。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後に徳川四天王と言われた一人である井伊直政がこの近江国を任されて、それまで治めていた石田三成の佐和山城の資材
今回は【伊賀国】の 上野城 を紹介したいと思います。 この城の見どころはなんと言っても本丸西面の30mあると言われる超高石垣でしょう。 築城当時はまだ豊臣方の大阪城が脅威であったので、築城の名
今日は【飛騨国】の 帰雲城(向牧戸城・荻町城)について、またその周辺の白川郷も合わせて紹介したいと思います。 帰雲城は、内ヶ島氏3代(※4代とも)が室町時代から戦国時代にかけて今で言う荘
今回の紹介するのは【信濃国】高島城 であります。 場所は長野県の諏訪湖の畔でして、風光明媚な場所でもであり周辺には温泉なども点在して観光地となっております。 また現在でこそ干拓や埋め立てな
今日は【大和国】にある 郡山城 を少し紹介します。 訪れたのは数年前のことでしたが、ココへ行く前には下調をべをして、実際にこの城を生で見た感想は噂通りの壮大な城郭でありました。 例えるのなら
今日は【加賀国】の 金沢城 を紹介したいと思います。 金沢と言えば世間的には、兼六園、加賀100万石とかが一般に連想されますが、僕は初期の前田利家公が整備した際に建てたと言われている5層大天守に
今日のお城は【伊勢国】の 神戸城 の紹介であります。 場所は三重県鈴鹿市で、神戸と書いて「かんべ」と読みます。 さて城址ですが、本丸の一部と天守台の野面積みによる石垣が残るだけのものなのですが
今回も前回に続き【伊勢国】の 津 城 を紹介します。 場所は三重県津市で当時は安濃津城(※津城)と呼ばれていたそうです。 現在の城郭へと仕上げたのは徳川家康からの信頼が厚く築城技術には定
今日も三度【伊勢国】で 松ヶ島城 であります。 いよいよ伊勢国に3つあったと伝わる最後の五重天守は、この松ヶ島城であります。 もろんこの城主もかの織田信長に関係しておりまして、その次男である信
今回の城も【伊勢国】で 松阪城 の紹介であります。 前回の松ヶ島城を紹介した際に少し触れたこの松阪城ですが、なんと言ってもこの城をつくったのがかの蒲生氏郷でありました。 僕の中での氏郷公は、
今日は【越前国】の 丸岡城 を紹介したいと思います。 このお城はなんと言っても現存天守がありそれは一時、日本最古の現存天守かと尾張の犬山城と争っていました。 残念ながら最近の研究で江戸