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TsumagoPostTown,NagisoTown,NaganoPref.さてさて、善五郎の滝の撮影を終えて、ワタクシは「オーベルジュイマイ」へと戻りました。いいお宿は朝食もまた楽しみなんですよね。ふわふわの「オムレツ」が美味しいんです。オムレツってシンプルな料理であるが故に、調理する人の技量がわかる気がします。濃厚な「ポタージュスープ」、新鮮な「野菜サラダ」ももちろん美味しいんです。特に野菜サラダは野菜そのものが美味しいので、シンプルな味付けのドレッシングが合いますね。「焼きたてのパン」も楽しみの一つです。ゆったりとした時間の中でいただく朝食は、ことのほか美味しい気がします。一日一組の宿なので、周囲の人の喋る声が気になることもありません。これが嬉しいんですよ。朝食を終えてチェックアウトの際、宿のお嬢さ...木曽路の宿場町へ-長野県南木曽町:妻籠宿
水沢の町で写真を撮る。続き。 要は僕は飽き始めているのだ。元々、僕は子供の頃から一つのことに狂ったように打ち込む性分だった。その反面、ふとした拍子に突然飽きて、全ての興味を失うのである。あれほど好きだったのに何故?と自分でも不思議に思ったものだ。東北の街で写真を撮ること、あるいは水沢で写真を撮ることについては、そこまで至ってはいない。でも少しづつその瞬間が近づいている感覚がある。それはそうだ。軽く15年以上は東北の街で写真を撮り続けている。大抵の街には何度か行ったし、大抵の被写体は何度か撮影している。それをこの先、死ぬまで繰り返すかと考えると、ふと虚しくなることもある。次の週には楽しくて仕方な…
岩手県の旧・水沢市(現・奥州市)。最近では大谷翔平選手の出身地としても有名になった。水沢は僕が東北地方の街歩きをするきっかけになった町である。最初から好きな町だったし、今でも好きな町だ。それでも一時期よりも訪問頻度はかなり減った。そんな水沢を久しぶりに歩く。今回は昨日掲載した「小安峡温泉」が主目的だった。まず秋田県から岩手県の水沢まで来て、街歩きをする。その後、山の峠道を走り、秋田県の小安峡温泉に向かい、汗を流す。なかなか良いアイディアに思えた。だがこの日の水沢は30度近い猛暑だった。つい2週間前までストーブを使っていた秋田県の男には暑すぎた(小安峡は大分涼しかった)。数年前まで水沢の地には「…
山形県酒田市のY字路。もう十何年前からずっと撮り続けている。撮ったからどうなるものでもないし、撮ってどうしたいという野望もない。では必ず撮るのは何故だろうか?。多分、犬が電柱におしっこをするのと同じことだと思う。ポチがあの街角の電柱におしっこを掛けるように、僕は酒田でY字露の写真を撮る。これを犬の作法という。 GRⅢ ブログ村ランキングに参加しています。応援クリックお願い致します。 ランキング参加中写真・カメラ
鉄道の休日で拠点となったJR大館駅。少し前まで、ここはまるで戦後バラック市みたいな中々の町並みだった。繁華街や官庁街が別にあることもあり、駅前は壮絶だった。それが花善(鶏めし弁当という人気弁当の製造元)が新しいレストランを建て、秋田犬の郷という観光施設が出来るなど、ある程度の再開発が行われた。JR駅舎も建て替えられ、広くて清潔な休憩スペース付の綺麗な建物になった。僕は戦後バラックの町並みが好きだけど、まあ良いことだと思う。 大館市は「秋田犬の郷」であり、旧駅舎前に「ハチ公像」があった。JR渋谷駅前のハチ公像と大きな違いに衝撃を受けたものだ。ハチ公前・・・。昭和から平成初期、まだ誰もが携帯電話を…
一旦、大館駅で降りて花輪線に乗り換え、隣の東大館駅まで来た。大館の繁華街(飲み屋街)は東大館駅周辺にある。ここで写真を撮りながら、徒歩とバスを使いJR大館駅方面に戻っていく。それが今回のルートである。この近辺では何度も写真を撮ったことがある。来るたびに繁華街の色はくすみ、店と建物の数は減っていくように感じる。今回はガチガチのクラシックネガ(フィルムシミュレーション)で撮影した。クラシックネガがハマるという意味では、一級品の繁華街である。 最後から二枚目の写真は廃業した飲み屋さんの入り口のあたりで撮った。偶然近くを通ったおばちゃんが、「なぜそんなものを撮るのか」と聞いてきた。怪しむという感じでは…
Fuse,HigashiOsakaCity,OsakaPref.さてさて、久しぶりにワタクシは「布施」の町を訪れました。布施は東大阪市の中心街であり、大阪市の中心部の一つである難波までは近鉄電車でわずか10分ほどで行くことが出来る交通至便な場所なんです。にも関わらず、その寂れ具合はかなりのものでした。布施駅から歩いて10分もかからない場所でこんな光景を見ました。かつては町工場で働く労働者たちの遊興の場だったのでしょう。昭和40年頃から時間が止まったかのような路地裏の風景ですが、ワタクシが育った場所がこういう感じの路地だったんですよ。ただ、大きな違いが一つあります。ワタクシが子どもだった時代、自動車が入ってこない狭い路地裏は絶好の遊び場でした。かくれんぼ、鬼ごっこ、ビー玉等々、路地裏にはいつも子どもが遊ぶ姿...寂れゆく町-大阪府東大阪市:布施
Fuse,HigashiOsakaCity,OsakaPref.さてさて、5月7日のことですが、ワタクシは「大阪の下町らしい場所を歩きたいなぁ」と思い、東大阪市の「布施」界隈の散策を楽しみました。大阪府民以外で「東大阪市布施」と言われても、どんな場所なのかピンとくる人は少ないかと思いますが、ブログの中で追々紹介していきたいと思います。東大阪市は名前の通り大阪市の東に隣接する市で、大阪府においては大阪市、堺市に次ぐ人口を擁する中核市です。布施は東大阪市の中心部であり、近鉄大阪線と奈良線が合流する交通の要所です。東野圭吾の代表作の一つに「白夜行」という作品がありますが、布施はその舞台なんです。また、最近ではNHKの朝ドラ「舞い上がれ」の舞台もこの界隈なんですよ。中小企業が数多く集まっている町で、町工場のおっち...「昭和」が残る町へ-大阪府東大阪市:布施
秋田県の旧・角間川町。現在は大仙市である。1955年に大仙市の前身である大曲市に編入されているので、旧町が廃止されてからは長い時間が経っている。それでも独自の町並みを維持しているから不思議である。恐らく「角間川」の存在は全国的には殆ど知られていないと思う。雄物川という大きな川が流れ、江戸期にはその水運で栄えた。大正期に鉄道網が充実すると、取り残されるようになった。内陸の小さな町が鉄道と共に発展したのに対し、大きな町だった角間川は水運と共に衰退した。僕は、この角間川の町が好きで、たまに歩きながら写真を撮る。数年前まで巨大な屋敷が廃墟同然となっていたが、いまは観光施設として再生されている。それ以外…
ちょっと前のことだけど、食堂でテレビのニュース番組を見た。「またトランプ関税の被害者です」と女性アナウンサーが深刻そうな顔で報じていた。「カニカマ」を作っている会社がトランプ関税により翻弄されている。それは一度ならず二度目のことだという。内容を聞けば、この会社の「カニカマ」は中国への輸出が売り上げの大きな部分を占めていたそうだ。中国が日本産海産物を輸入停止にしたので、その対中国輸出がゼロになってしまったらしい。そこで会社はアメリカに工場を建設し、アメリカからの輸出と言う形式で中国に出荷する戦法を取った。その戦法は守備よく成功し、軌道に乗っていたそうである。ところが今般の米中関税戦争の煽りを受け…
秋田県で雨降りの日を最も楽しめる場所の一つが角館だと思う。5月の角館といえば、桜の季節が終わり観光客が少ない季節である。でも新緑が雨に濡れる光景はとても美しく、密かなるベストシーズンだと思っている。本当はもう少し後(5月中旬以降)の方が良いのだが、雨が降った土曜日に我慢できず出かけてきた。この光景は昨年も撮影した。昨年は「クラシックネガ」という描写(フィルムシミュレーション)を使い、敢えて緑をくすんだ感じにした今回は「ベルビアモード」で正統的な緑にした。個人的にはクラシックネガの描写の方が好きで、しっくり来る。でも一般的には今回の鮮やかな描写が好まれるだろう。X-T5/XF16-80mmF4ROISWR,XF56mmF1.2RWR緑の街に雨が降る
僕は休日の昼間に川反(秋田市最大の繁華街)の写真をよく撮る。お決まりの被写体のひとつに「北洲」という料理店がある。これがまた実に香ばしいファサードで魅了されている。最近は昼間に見ると、看板の一部が剥がれたり、かなり老朽化が目立つようになった。もしかして営業していないのだろうかと不安になったこともあるが、調べたら絶賛営業中だった。秋田県の郷土料理がメインで、きりたんぽ鍋が美味いらしい。というわけで、この週末に一人川反に出向き、北洲にお邪魔した。毎回モデルになって頂いているので、お布施を払わないといけないのである。特段予約もせずに行き、カウンターに通して頂いた。座敷に女性二人組(多分観光客)、そして途中からカウンターにもう一人の男性一人客が来ただけであり、静かに食事を楽しんだ。女性客は早々に帰ったので、店内は...川反の夜①〜きりたんぽ鍋を食べた
GWが始まるときは亡き師匠のことを想う。GWに限らず町を歩いて写真を撮るときは、いつだって想いはする。だけどGWは特別だ。何があってもその日は町で写真を撮っていようと考えている。最近の自分自身を振り返ると、確かにほとんど毎週どこかに出かけ写真を撮っている。とはいえ諸事情で出かける頻度は下がっている。どんな人にも事情はあるのでそれは良い。問題は出かけた際のことだ。ほとんどの街は何度か出かけたことのある町となった。どうしても効率を優先する行動が知らぬ間に身についてしまった。この駐車場に停めて、あそこに行って、的な動きをする。クルマを移動しなければならないとか、駐車場から遠い場合、その先まで足を伸ばすことがなくなった。以前は駐車場のことなんて考えず、ひたすら歩き廻ったではないか。歩き回るうちに意外なものを見つけ...久々にマチアルキニストとなった
新潟県村上市の小俣街道。昨日掲載した小国街道からは直線距離で約8km、実際の道路距離では約25kmくらいの距離にある。ここは「日本国」という山の麓に位置し、小俣街道の宿場町である。小俣街道も広義な意味での出羽街道にあたり、新潟県村上市(村上城)と庄内地方を結ぶ街道であった。分かりやすくいえば「大名倒産(浅田次郎)」の地から、「たそがれ清兵衛(藤沢周平)」の地を結ぶ街道である。この場所に初めて来たのは、2016年のことだった。有名な街道ではないのでそれほど期待していなかったが、あまりに美しい集落で驚いたことを思い出す。小国街道と同様に一応商店が一軒あるが、他に施設らしい施設は何もない(敢えていえば缶詰工場がある)。それでもこの地には他所から来た人が意外なほど多く歩いている。多くの人が歩く理由は、ここに「日本...街道ロマン(終)〜美しき「日本国」、小俣街道
街道と聞くと心躍る。基本的に住民は領内で暮らすことが基本だった江戸期に、大小様々な街道が整備されている。商人の行き来や、藩関係者の往来が主だったものだとしても、街道の充実ぶりを考えるとそれだけとは思えない。相当数の庶民だって街道を通ったに違いない。それは病気療養のための旅だったり(湯治などに向かう)、お伊勢参りだったり、それにかこつけた物見遊山だったり・・・。一体どんな人が、どんな目的で、どんな格好をして街道を歩いたのか、興味は尽きない。かつての街道は道路となって現存したり、街道町が発展して町並みを形成したり観光地化したりしている。その一方で消えてしまった街道もあることは想像に難くない。なかにはあまり知られず、地味に集落として継承されているケースもある。そんな知られざる街道町を二日に分けて二か所ほど掲載し...街道ロマン①〜幻の小国街道
InaCity,NaganoPref.さてさて、ワタクシ達は伊那市にあるビジネスホテルにチェックインしました。時刻は4時半です。ワタクシは相棒さんと6時に食事に出かける約束をし、それまでは互いに自由行動です。風呂に入ってのんびりするのもいいのですが、ホテル周辺の町並みがちょっと興味深かったので、ワタクシは1時間ほど伊那市の市街地を散策することにしました。伊那市は元々天竜川の西側に市街地が広がっており、JR飯田線の伊那市駅も天竜川の西側にありますが、この伊那市駅周辺の寂れ具合が相当なものなんですよ。狭い路地が入り組み、そこには飲み屋、居酒屋が数多くありました。かつての炭鉱町や漁業で栄えた町に行くと、歓楽的なお店が多いのは常なのですが、伊那市はそういう町ではありません。ただ単に、酒飲みが多かったのですかねぇ。...ハイカラ・レトロで粋な街-長野県伊那市
奥会津の旅、最後の訪問地は金山町。「金山町」は福島県以外にも、山形県にも存在する。また既に合併した岐阜県の旧・金山町(下呂市)もある。地区名としての「金山」であれば全国に数知れず存在するだろう。いずれも何らかの金山銀山などと関連しているか、「金山神社(金山彦の命)」に由来していると考えて良いそうだ。でも福島の金山町の周辺、もっといえば南会津地域には金山らしきものは見当たらない。あるのは奥深き山と平家落人伝説。徳川家康は江戸幕府を開くと、南会津地域(5万5千石)を幕府直轄地とし、わざわざ尾瀬の麓に関所を作ったという。何故このような地を・・・。平家の莫大な財宝が隠されているとか?・・・。もうロマンしか感じないが、これは僕の妄想に過ぎない。そんな金山町には静かな静かな時間が流れていた。結局、会津の何たるかは全く...会津の最奥へ④〜会津財宝伝説(妄想)
会津最奥の旅。早くも二日目(今回は宿泊場所については割愛する)、只見町に到着した。昨年の9月に会津坂下町から柳津町、そして三島町まで西進した。只見川沿いに国道252号線を走る旅だった。景色は最高で、どこまでも進みたかったけど、日程の都合で断念した。金山町と只見町が未踏のまま残った。今回は西側から只見町、金山町と入り、そこから先は9月に通った道を戻っていくことになった。只見町は檜枝岐村の北に位置している。直通ルートはないので、一度東側の南会津町まで戻り、その後北北西に進路を取った。南会津の宿からは1時間ほどで到着した。その只見町の最果て感は檜枝岐村よりも分かり易い。実際の最果ては檜枝岐村だけど、「感」は只見の方が雰囲気がある。只見は鉄道で新潟と通じているので、実際は「最果て」でも「どんつき」でもない。JR只...会津の最奥へ③〜最果て(感)の只見町
奥会津の集落を見ると、元々は藁葺き屋根だったであろうトタン屋根の家屋が多い。きっと壮観だっただろうなと思う。その原風景をそのまま残したような場所がある。旧・舘岩村(南会津町)の前作地区である。約20戸の伝統的な家屋が残っているという。この地区には川を渡る橋(最後の写真)しかアクセスルートはない。背後は奥深い山となっている。これって平家の落人が住まう村で間違いないのでは・・・。橋の向こうへは、住民の車以外は集落内に入ることはできない。見学希望者は橋の手前で車を停め、入場料300円を払って集落に入る。多分、見学料の収益は茅葺の修繕の補助や集落の整備に使われるのだと思う。茅葺きの張り替えは莫大な費用が掛かるので、良い取り組みだと思う。集落内には資料館が一棟、あとは古民家カフェ(この日は営業していなかった)がある...会津の最奥へ②〜藁葺き家屋の原風景
過去2回の会津への旅で、会津の奥深さと恐ろしさは身に沁みて分かった。本当の意味で会津を制覇することなど出来る筈もない。それでも福島コンプリートを目指す以上、形だけでも会津の最奥まで到達しなければならない。まだ先の話になるが、来るべき福島コンプリートのフィナーレは、会津最奥の檜枝岐村、あるいは沿岸部の双葉町(福島第一原発のある町)だと考えていた。GWとなり、遠距離ドライブを厭わず出かけるチャンスが来た。沿岸部は季節に関係なく到達できるが、奥会津は真冬だと厳しい。今しかない。いよいよ会津最奥を目指す短い旅に出ることにした。短い旅といっても一日に8〜10時間も運転するきつい旅である。会津の最奥は本当に遠い。そしていきなりだけど(かなり中略しています)、終点の檜枝岐村から始めることにする。檜枝岐村は只見町と並ぶ福...会津の最奥へ①〜リアル平家の落人村
Shin-YokaichiStation,YokaichiCity,ShigaPref.さてさて、ランチを食べたワタクシ達は再び近江八幡の八幡堀近くへと戻っていきました。朝、八幡堀の周辺を歩いていた時に「八幡帆布鞄Cogocoro」というお店を見つけました。素敵な帆布鞄を売っているようですが、まだ開店前だったんです。そこでランチの後に訪ねてみて、気に入ったカバンがあれば買おうと思ったんですよ。ワタクシは帆布で作ったカバン、バッグが好きなんです。丈夫で長持ちするのと、使い込むほど味わいが出てくるのがいいんです。店内で商品を見て回り、家人はリュックにもショルダーバッグにも使える2Wayバッグを、ワタクシは小さめのショルダーバッグを買いました。その後、家人が東近江市にある道の駅に行きたいというので、そちらに向か...大正ロマンを感じる駅舎-滋賀県八日市市:新八日市駅
岡山県の中央に広がる標高約400mの吉備高原、その一画にある高梁〈たかはし〉市吹屋〈ふきや〉地区は吹屋銅山(吉岡銅山)の開発にはじまる鉱山町です。江戸時代に…
FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
藤里町の大部分は山岳地帯であり、市街地は町の南側のわずかな範囲に集中している。北側には白神山地が広がっていて、心許ない林道で青森県の西目屋村と繋がっている。山岳地帯の一部には秋田県側からは直接行くことができず、青森県側しかアクセスできない場所もある。町の南側の市街地も国道7号線から10キロほど離れており、まるで陸の孤島のようになっている。街中には食品スーパーも含め、一応の店が揃っている。冬季間はそこに籠もって生活するような感覚があるのだと思う。勿論、今の時代はクルマで離れた町まで出かけることは難しくない。それでも、それほど遠くない時代までは、人々は決められた相手とだけ接触し、決められた店で買い物をし、決められた場所にだけ出かけたのだと思う。外食するのにも(するとして)、恐らくは片手で数えられる店の中から選...FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
秋田県北部の町、藤里町。これが2回目の訪問である。初めて藤里町を訪れたのは2021年のことだった。それまで幾らでも機会があったのに藤里町に行かなかったのは、世間を騒がせた児童連続殺人事件があった町だったからである。事件のことを想うと胸が締め付けられる。加害者に同情するつもりはないが、あまりに切ない事件である。更にいえば、この小さな町にはワイドショーの取材班が長期に渡り張り付き、地元住民との間に軋轢や衝突もあったと聞く。スティル写真とはいえ、カメラを手に町を歩いて良いものか逡巡したのも事実である。だが前回の訪問時に町を歩いて、藤里町はそんな暗いイメージの町ではないことも知った。今後は事件のことではなく、町の違う一面を見ていこうと思ったものだ。そこを踏まえて次に行きたかったので、敢えてもう一度触れた。さて、藤...FUJI(SATO)カラーで写そう①〜避けられないイメージ
ShinmachiStreet,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、近江八幡市を訪れて八幡堀の桜を楽しんだワタクシ達ですが、八幡堀から歩いてすぐの場所に「新町通り」と呼ばれるエリアがあります。ワタクシは新町通りの町並みが好きでして、次の予定があってゆっくり散策することは出来ないのですが、せっかくなので駆け足ではありますが新町通りに向かうことにしました。新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。そして、国の重要伝統的建造物保存地域にも剪定されているんです。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして保存運動が展開されています。近江商人の中でも八幡商人は、近江商人の中でも最も早い時期に活動し、海外進出を果たしたのもこの地の出身者でした...近江商人の町並み-滋賀県近江八幡市:新町通り
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市にある八幡堀へとワタクシ達は向かいました。満開とまでは言いませんが、八分咲きくらいの桜は十分に見応えのあるものでした。若い頃、さほど桜に興味を持つことも無かったですし、桜の美しさに心惹かれることもありませんでした。歳を重ねるごとに「桜っていいなぁ」「桜は素敵だなぁ」と思うようになりました。特に五十路を迎えた頃からでしょうか。桜の季節を迎えると今までに無い感情が湧いてくるようになったんです。それは、「今年もまた満開の桜を見ることが出来て幸せだ」という幸福感と、「これからあと何度、美しい桜の姿を見ることが出来るのだろう」という不安感です。いつ頃からでしょうか。一年が過ぎ去っていく速さに驚くようになりま...今年も桜を楽しむことができる喜び-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市の八幡堀へとワタクシ達はやって来たのですが、八幡堀には白い土塀や古い民家が立ち並び、そして堀には屋形船が行き来します。しかも堀の両サイドには遊歩道が設けられ、美しい光景を眺めながらの散策を楽しむことが出来るんです。八幡堀は琵琶湖と城下を結びつける水路として大きく発展してきました。町の繁栄に大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国では大津と並ぶにぎわいをみせたそうです。八幡堀はその後、昭和初期までは経済・流通路として反映しましたが、戦後の陸上交通の発展によって徐々に衰退していきます。昭和30年代に入って高度成長期を迎え、やがて八幡堀は市民からも忘れ去られる存在になってしまったのです。その結果、今の...堀は埋めた瞬間から後悔が始まる-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、4月7日の月曜日なのですが、この日は関西地方の多くの場所でソメイヨシノが見頃を迎えていました。ワタクシ、4月からは週3日勤務の非常勤職員になったので、日〜水が休日なんです。ですので、平日で人出が少ないこの日に桜を見に行こうと考え、家人と出かけることにしました。向かったのは滋賀県の近江八幡市です。朝6:30に自宅を出発、8:30に近江八幡に着きました。この建物は「白雲館」といい、明治10年に八幡東学校として建築されました。当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物なんです。近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示...湖国の桜-滋賀県近江八幡市:八幡堀
登米の町からの帰路、旧・築館町(栗原市)に立ち寄った。築館は合併時点で人口が約1万5千人ほどの町だった。でも印象としてはもっと大きな町に思える。何がそう感じさせるのかは分からない。僕は「築館」と聞くと、反射的に「ブルース」と言葉を繋げたくなる。この場合のブルースは、本物の「Blues(ブルーズ)」ではなく、淡谷のり子とか青江三奈なんかの歌謡ブルースである。多分、伊勢佐木町ブルースみたいな感じで、「築館町ブルース」という語呂を楽しんでいるだけだが・・・。登米の後に築館。宮城県は楽しめる。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR築館ブルース
ガイドブックには決して載ることのない、私的な「登米の歩き方」を掲載する。本当はガイド地図も作ろうと思ったが、歩いて探すことも楽しみの一つなので止めておいた。もっとも、これを見て実際に登米を歩く人はいないだろう。ガイドブック的な出版物は、どうしても「映える」スポットにばかり注目する。都会の喧騒から離れ東北独特の町並みを訪れた方が、わざわざお洒落なカフェに行く必要はない。そもそも登米町には、お洒落なカフェなど存在しない。それを補って余りある個性豊かなスポットが満載なのである。決してガイドブックが取り上げない(あぶら麩丼はギリ取り上げる)、登米の名所を歩いてみよう。①天然もの看板真っ茶色に染まったオロナミンC看板。廃業した店先に掛かっている。十年以上前も同じような姿だった。レトロを演出するツールではなく、本物だ...登米町探訪(終)~私的ガイドブック登米の歩き方
ここは登米市登米町という場所である。これで「とめし、とよままち」と読む。登米市は平成の大合併で9町が合併して出来た市である。その大部分が「登米郡」の町である。「とめぐん」と読む。つまり登米町は、「とめぐん、とよままち」から「とめし、とよままち」に変わったのである。何回聞いても複雑である。公共施設などに「登米」という名称が付いている場合、旧・登米町管内にあれば「とよま」と読み、それ以外では「とめ」と読むのだと思う。部外者には音読不能である。さて、そんな登米町(とよままち)であるが、東北コンプリートを意識する前からお気に入りの場所だった。武家屋敷通りがある町である。宮城の明治村とも呼ばれ、明治大正期の建物も多く残る。そして商店街はディープな昭和と「てんこ盛り」の町である。何度も何度も周辺を通過するのに、未踏の...登米町探訪①〜好きな町を歩くだけの写真
4月9日 濃厚な日 前編!!おはようございます♪♪只今時刻 AM6:00!!で ございます♪♪セルフうどん麺太郎!!住所:綾歌郡宇多津町段々と愛媛県に近づいて…
山形シリーズは終わったけど、投資信託の暴落記念に「この一枚」を番外編に昇格させる。例によってボツ写真だけど・・・。JR山形駅のビル通路にトランプ大統領の立て看板があった。トランプ大統領は看板になっても、格好良くて驚いた。最初は誰かは分からなかったが、姿形の良い人であることだけは明白だった。こういうと怒り出す人が多いことも理解しているが、僕は基本的にトランプ大統領に好感を持っている。賛否が分かれるにしてもトランプ氏を大統領に選んだアメリカ合衆国の民意に敬意を払うべきだとも考えている。だから勝手に看板にする行為には疑問も持つ。でもトランプショックともいうべき関税問題に始まる経済危機。これには重大な関心を寄せている。僕はナケナシのお小遣いを数年前から投資信託に投資している。海外企業株をメインに投資しているファン...山形での短い休日(番外編)〜トランプ大統領に会った
久しぶりに山形市に行き、街を歩いた。何故かやる気が出ず小さなカメラを片手に歩いたら気分が少し盛り上がった。というのが前回。そしてそのまま帰宅したのである。だから今回の写真は順序が逆で、本当は初めにこちらに来た。山形市の古い繁華街、花小路である。恐らくその名の通り、花街的な小路だったのだろう。どうしても夜の様子を見たくて、山形市で宿を取ってまで夜に来たこともある。でもそれは例外で、普段は専ら昼間に来る。少し前まではキャバレー跡地があり、ネオン看板も残されていた。今はもう無くなった。同じようでいて、少しづつ新陳代謝がなされていく。そして町並みはどんどん綺麗になっていく。どんどん綺麗になるのと反比例するように街は没個性化していく。街と花には多少の毒があった方が良いのかもしれない。最後にスナックの扉に架かる花を撮...山形での短い休日(終)〜花小路にて
久しぶりの山形の街。日帰りとはいえ時間はたっぷりある。駅前に移動して写真を撮ろうと思った。でも何だか気分が乗らず歩いても楽しくない。理由は分からないし解明しても意味はないと思う。僕はカメラをバッグに仕舞い、小さなGRⅢだけを片手に持ち街を歩いた。おお、少しだけ気分が盛り上がる(笑)。凡庸であれ撮ることが出来ればそれで良い。昼食は居酒屋でのランチで、ビールが呑めれば展開は更に良くなったかもしれない。でもクルマなのでノンアルを頂いた。食後はジャズ喫茶(オクテット)で濃い珈琲を飲もう。・・・・。まさかの満席だった。先客は詰めようとしてくれたが、今回は断念した。チーン。GRⅢ山形での短い休日②〜困ったときのGR
所要があり、山形市内まで出かけた。日帰りである。東北中央自動車道という秋田県横手市から福島県相馬市に至る自動車道がある。秋田県側は整備中だけど、山形県の金山町から福島県までの区間は開通している。僕も福島方面に行く際にはお世話になっている。無料区間が多いので助かっている。その福島往復の際には何度も山形を素通りしていた。今回は用事が終わったら街中で写真を撮ろうと思っていた。結果的には何故か全くやる気が出ず、写真的には散々な結果になった。それでも何回かに分けて掲載したい。最初の写真だけど、繁華街の中心地にエアポケットのように残された塀路地である。多分、権利関係が原因だと思うが、この一角だけ時代が停まっている。偶然、車を停めた駐車場のすぐ脇に塀路地があり、探すまでもなく撮影することになった。周辺では建物の解体など...山形での短い休日①〜塀路地から
旅の最後の訪問地は、旧・新鶴村(会津美里町)である。当初の予定では更に北上して、旧・高郷村及び旧・山都町(共に現・喜多方市)に行く予定だった。寒さと道路の積雪への不安からとても行く気にはならなかった。旧・新鶴村にはJR(只見線)の駅が二つある。小さな村に駅が二つもあったことは驚きだ。一つは今回の写真の「新鶴駅」。もう一つは南隣にある「根岸駅」。横浜と同じ根岸である。しかも新鶴駅と根岸駅の間は約2kmと至近距離にある。根岸駅周辺には特に何もないので、どういう経緯で駅が存在するのかは分からない。20年くらい前のデータによると、一日の利用客素は25人だった。今はもっと少ないだろう。そんなわけで写真は新鶴駅である。今は鶴(タンチョウ鶴含む)といえば、北海道以外ではごく限られた場所でしか見ることはできない。十年ほど...会津のしっぺ返し(終)~締めはラーメン
さあ、そろそろしっぺ返しである。その前に話は昨年に遡る。昨年は記録的な少雪の年だった。積雪が全くない日が続き、スタッドレスタイヤが激しく摩耗した。この春もまた磨耗するのではないか。そんな不安から今年は早々に夏タイヤに交換した。会津遠征にあたり、山形と福島の県境の山道は夏タイヤでは若干の不安があった。そこで事前に天気予報やライブカメラを調べたところ、問題ないだろうと判断した。実際、往路は全く問題なかった。ところが翌朝である。宿の部屋のカーテンを開けると・・・。降っている・・・。割とはっきり降っている。地面に落ちるのと同時に雪は溶けている。それでも長時間降るにつれ、停車している車のフロントガラスが白くなってきた(あまりの動揺に写真を撮ることも忘れた)。福島と山形の県境を走る国道121号線、通称「大峠道路」をラ...会津のしっぺ返し④~春に浮かれるべからず
ShoujuinTemple,Uji-TawaraTown,KyotoPref.さてさて、3月13日のことですが、ワタクシは久しぶりにソロキャンプに行きました。この日のキャンプ場は滋賀県大津市にあるのですが、キャンプ場に向かう前にちょっと立ち寄りたい場所があったんです。ワタクシが向かったのは京都府の宇治田原町という滋賀県との県境に位置する町です。宇治田原町の中心部から山あいに向かい、小さな集落の奥まった場所に目的地がありました。ワタクシが訪れたのは正寿院という高野山真言宗の小じんまりとしたお寺です。正寿院は717年に建立された医王教寺の塔頭寺院として建立されたと言われ、創建年は約800年ほど前と伝わっています。まずは本堂に参拝するとしましょう。本堂には鎌倉時代に活躍した日本を代表する仏師である快慶作の「不...キャンプ場に行く前に-京都府宇治田原町:正寿院
今回の旅の宿は、会津芦ノ牧温泉である。初めての宿泊となる。同じ会津若松市にある「会津東山温泉」には何度も行っている。そちらは会津藩の奥座敷として栄えた温泉であるのに対し、芦ノ牧温泉の方は元々は地元の人が利用する温泉場であったらしい。東山温泉も廃業した旅館が廃墟化しているが、芦ノ牧温泉の方はそれを遥かに上回る(?)廃れ具合である。以前は写真の2〜3枚目に写る土産物店の横にストリップ劇場があった。気になってはいたが、そのうちに廃業したというニュースを聞いた。建物は残っていたので、いつか行って撮影しようと考えていた。考えているうちに建物も解体されてしまった。今回は宿の写真などは掲載しない。夕方に到着してから散策した温泉街の様子である。夜も歩いてみようと当初は思っていた。でも散策してみた結果、夜に営業している店は...会津のしっぺ返し③〜温泉街、香ばしさ極まる
最初の町である旧・塩川町を皮切りに、2つ目の湯川村、3つ目の旧・北会津村(現・会津若松市)と巡り、最後の訪問地である旧・会津本郷町(現・会津美里町)まで来た。表題の「しっぺ返し」とは、僕が会津のことを舐めてかかったことの代償を意味する。舐めたことの1つ目は「雑さ」である。旅の前日、僕にはどうしても欠席できない仕事上の飲み会があった。早々に退出するつもりだったが、事情により最後まで残ることになり、ついつい深酒をしてしまった。翌朝、午前5時にアルコールチェッカーで図ると、「0.02」の数値を指した。酒気帯び運転は0.15以上からだけど、「0」ではないことは好ましくない。午後7時には数値は「0」になったものの、念には念をおして、僕は午前10時まで出発を遅らせることにした。初日には前述の町に加え、磐梯町と旧・河東...会津のしっぺ返し②〜知られざる焼き物の里に来た
実のところ、粛々と東北コンプリートを進めている。なかなか時間は取れないけど、僕のお小遣いは「プライスレス」なコンプリートに集中され、他には殆どお金を使わなくなった。可能であれば、月に1回の遠征を続けていきたい。コンプリートに拘り過ぎると、未踏の町を廻ることだけが優先され、近くにある「おいしい町」を素通りすることになる。これを寿司屋に例えると、通を気取るために「コハダ」とか光り物、酢の物ばかりを注文し、鮪の中トロとかウニは我慢することに似ている。もちろん中トロやウニばかりが寿司ではない。だがコハダばかりでは飽きるのも、中トロやウニが旨いのも事実である。今回は会津方面に遠征し、会津若松市と喜多方市の旧町村部を廻ってきた。宿泊は会津芦ノ牧温泉(激安プラン)で、会津若松と喜多方の中心部(中トロとウニ)には行かなか...会津のしっぺ返し①〜小魚の光り物のような町
以下の例文の空欄(1)及び(2)に当てはまる適切な語は何ですか。次の①〜④の中から正しい組み合わせを選びなさい。例文:(空1)チンコ(空2)ナミ①(1)=ガ(2)=コ②(1)=オ(2)=人③(1)=パ(2)=ト④それ以外中学生か(笑)。でも知っている方がいれば、本当に教えて下さい。気になって仕方ありません。北秋田市の某所にて。中学生男子向けの穴埋め問題
AmericaVillage,ChuoWard,OsakaCityさてさて、道頓堀から御堂筋を越えてさらに西へと向かいます。すると、今までとはちょっと雰囲気が変わるオシャレなエリアが広がっているんですよ。心斎橋、道頓堀から御堂筋を渡った西側一帯は、1970年代後半ごろから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。もともとこのエリアは、企業の倉庫や駐車場、オフィスビルなどが並ぶ静かな街だったのですが、1970年代に空いた倉庫や駐車場で、アメリカ西海岸やハワイなどから輸入した、アメリカンカジュアルの服を販売し始めたことから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。古着やジーンズ、中古レコード、雑貨などを販売するお店が次々とオープンし、近隣に大規模なショッピング施設も出来たことから、若者の流行の発信地として発展...若者の町へ-大阪市中央区:アメリカ村
Doutonbori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、「道頓堀」にやって来たワタクシは、道頓堀川へと向かって行きました。この道頓堀川なのですが、以前は異臭を放つほど汚染された川でした。大阪市が長年にわたり水質改善に努めて来たおかげで、随分と川が綺麗になりました。今では「とんぼりリバークルーズ」というクルーズ船が通航しています。ただ、ワタクシは乗りたいという気持ちにはなりません。時刻も11時前になり、道頓堀川の周辺はかなりの観光客の数になっていました。この写真の右端には、美味しそうにたこ焼きを食べている東南アジア系の外国人カップルがいました。大阪というと「たこ焼き」「お好み焼き」「きつねうどん」などがガイドブックに載ってるんでしょうね。ビルの壁一面がド派手にペイントされています。鬼太郎の目玉親...ミナミのランドマーク-大阪市中央区:道頓堀
マタギ銀座、もとい鷹巣銀座を抜けて歩を進めると、そこは飲み屋の多い繁華街となる(※今後、鷹巣に統一する)。もう僕は慣れた。こういう繁華街があることも知っているし、それを数知れぬほど見てきた。六本木とか渋谷とは全く異なる場所に見えるかも知れないが、実のところ本質的な要素は変わらない。大きな括りでいえば質は同じであり、量が違うのである。その量の差が圧倒的なだけだ。・・・。六本木は言い過ぎだな。むしろここは歌舞伎町だな。マタギの歌舞伎町。戦前くらいまでは山で暮らすマタギも多かったはずだ。真っ暗な山から見れば、ここは現代の歌舞伎町のネオンよりも眩しく見えたことだろう。実のところ、大都会の大繁華街というのは数えるほどしかない。一方で、鷹巣と同じような繁華街は全国に星の数ほどある。一つ一つの繁華街の規模は小さくても、...鷹ノ巣モノクローム(終)〜マタギの歌舞伎町
秋田県最過疎の村、上小阿仁村を抜けてたどり着いたのは、鷹ノ巣という町である。旧・鷹巣町、現在は北秋田市となっている。北秋田市は、鷹巣町に加え、森吉町、愛川町、阿仁町がの4町が合併して新設された市である。森林面積が大きく、林業などが盛んな地域でもある。また「阿仁マタギ」と呼ばれるマタギがいる場所でもある。僕は鷹ノ巣という町が大好きだ。秋田県に来るまでは、鷹ノ巣という町の存在は知らなかった。初めて鷹ノ巣に来たときは、全く知らなかったのに、思いのほか大きな町で驚いた。きっと最近まで、マタギがここに獲物を売りに来て、銃弾とか刃物を仕入れ、余った金で一杯やったりしたのだろうと勝手に考えてワクワクした。もしかすると違うかもしれないが、想像するだけで楽しかった。今でも年に3〜4回は、この町に来て写真を撮る。さて今回の鷹...鷹ノ巣モノクローム①〜マタギの銀座
Doutonbori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、法善寺横丁を後にしたワタクシは、すぐ北側にある「道頓堀」へとやって来ました。道頓堀の名は、慶長17年(1612)に私財をなげうって川を開削した安井道頓(やすい・どうとん)の名前に由来します。その後、芝居や歌舞伎の娯楽の街として栄え、現在は多くの飲食店が集まる人気の観光地となっています。そして、道頓堀の飲食店の特徴が、とにかくド派手な看板が多いことなんですよ。「しばいたろか!!」というたこ焼きのお店です。看板はともかく、「しばいたろか!!」という屋号はどうなんですかねぇ。明治製菓の「カールおじさん」ですな。大阪ではまだカールは販売されています。関東の方ではカールって販売されてないんですよね。東日本では売れ行きが悪かったのですかねぇ。これは有...ド派手!!-大阪市中央区:道頓堀
秋田県の上小阿仁村。ただでさえ少子高齢化により人口減少の激しい秋田県のなかで、もっと人口が少なく、かつ高齢化率が高い自治体である。村はの町とは断絶した山間にあり、冬は雪に埋もれる豪雪地帯でもある。村の面積の90%以上が山林原野となっている。自殺者の発生率が異様に高い村でもあったが、色々な対策が取られ近年は大幅に改善した。また一時期、全国ニュースで話題になったのは、医師問題である。村には病院はないが、村営の診療所が設けられている。ここに医師が一名常駐することになる。今から十数年前に、この診療所の医師が次から次に辞めるという問題が発生した。長くて1年、短い人では一ヶ月。陰惨な医師虐めが横行したという噂であった。事の真偽は不明だが、年収1500万円という医師の収入(村からの報酬)に地域住民が反発したという話だっ...秋田県の最も過疎が進んだ村
HouzenjiAlley,ChuoWard,OsakaCityさてさて、大阪を代表する繁華街である難波の町を、ワタクシは北に向かって歩いていました。商店街になんとも不思議な、いや、奇妙奇天烈な自転車が停まっていました。誰かが乗ってきて、この場所に停めたと思われるのですが、どうしてこんなデコレーションをしているのでしょうか。そう思ってこの自転車を眺めていたら、ワタクシよりも年上で薄汚い格好をしたオッサンが自転車に乗って去って行きました。こういうオバハンがよくテレビなどで紹介されますが、実際に大阪にいるんですよ。生息しているのは大阪の下町。商店街などでこういう人に出会うことはよくあります。「法善寺横丁」へとやって来ました。「法善寺横丁」と書かれた看板がありますが、この看板の文字は藤山寛美さんが書いたものです...石畳-大阪市中央区:法善寺横丁