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Shin-YokaichiStation,YokaichiCity,ShigaPref.さてさて、ランチを食べたワタクシ達は再び近江八幡の八幡堀近くへと戻っていきました。朝、八幡堀の周辺を歩いていた時に「八幡帆布鞄Cogocoro」というお店を見つけました。素敵な帆布鞄を売っているようですが、まだ開店前だったんです。そこでランチの後に訪ねてみて、気に入ったカバンがあれば買おうと思ったんですよ。ワタクシは帆布で作ったカバン、バッグが好きなんです。丈夫で長持ちするのと、使い込むほど味わいが出てくるのがいいんです。店内で商品を見て回り、家人はリュックにもショルダーバッグにも使える2Wayバッグを、ワタクシは小さめのショルダーバッグを買いました。その後、家人が東近江市にある道の駅に行きたいというので、そちらに向か...大正ロマンを感じる駅舎-滋賀県八日市市:新八日市駅
岡山県の中央に広がる標高約400mの吉備高原、その一画にある高梁〈たかはし〉市吹屋〈ふきや〉地区は吹屋銅山(吉岡銅山)の開発にはじまる鉱山町です。江戸時代に…
FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
藤里町の大部分は山岳地帯であり、市街地は町の南側のわずかな範囲に集中している。北側には白神山地が広がっていて、心許ない林道で青森県の西目屋村と繋がっている。山岳地帯の一部には秋田県側からは直接行くことができず、青森県側しかアクセスできない場所もある。町の南側の市街地も国道7号線から10キロほど離れており、まるで陸の孤島のようになっている。街中には食品スーパーも含め、一応の店が揃っている。冬季間はそこに籠もって生活するような感覚があるのだと思う。勿論、今の時代はクルマで離れた町まで出かけることは難しくない。それでも、それほど遠くない時代までは、人々は決められた相手とだけ接触し、決められた店で買い物をし、決められた場所にだけ出かけたのだと思う。外食するのにも(するとして)、恐らくは片手で数えられる店の中から選...FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
秋田県北部の町、藤里町。これが2回目の訪問である。初めて藤里町を訪れたのは2021年のことだった。それまで幾らでも機会があったのに藤里町に行かなかったのは、世間を騒がせた児童連続殺人事件があった町だったからである。事件のことを想うと胸が締め付けられる。加害者に同情するつもりはないが、あまりに切ない事件である。更にいえば、この小さな町にはワイドショーの取材班が長期に渡り張り付き、地元住民との間に軋轢や衝突もあったと聞く。スティル写真とはいえ、カメラを手に町を歩いて良いものか逡巡したのも事実である。だが前回の訪問時に町を歩いて、藤里町はそんな暗いイメージの町ではないことも知った。今後は事件のことではなく、町の違う一面を見ていこうと思ったものだ。そこを踏まえて次に行きたかったので、敢えてもう一度触れた。さて、藤...FUJI(SATO)カラーで写そう①〜避けられないイメージ
ShinmachiStreet,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、近江八幡市を訪れて八幡堀の桜を楽しんだワタクシ達ですが、八幡堀から歩いてすぐの場所に「新町通り」と呼ばれるエリアがあります。ワタクシは新町通りの町並みが好きでして、次の予定があってゆっくり散策することは出来ないのですが、せっかくなので駆け足ではありますが新町通りに向かうことにしました。新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。そして、国の重要伝統的建造物保存地域にも剪定されているんです。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして保存運動が展開されています。近江商人の中でも八幡商人は、近江商人の中でも最も早い時期に活動し、海外進出を果たしたのもこの地の出身者でした...近江商人の町並み-滋賀県近江八幡市:新町通り
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市にある八幡堀へとワタクシ達は向かいました。満開とまでは言いませんが、八分咲きくらいの桜は十分に見応えのあるものでした。若い頃、さほど桜に興味を持つことも無かったですし、桜の美しさに心惹かれることもありませんでした。歳を重ねるごとに「桜っていいなぁ」「桜は素敵だなぁ」と思うようになりました。特に五十路を迎えた頃からでしょうか。桜の季節を迎えると今までに無い感情が湧いてくるようになったんです。それは、「今年もまた満開の桜を見ることが出来て幸せだ」という幸福感と、「これからあと何度、美しい桜の姿を見ることが出来るのだろう」という不安感です。いつ頃からでしょうか。一年が過ぎ去っていく速さに驚くようになりま...今年も桜を楽しむことができる喜び-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市の八幡堀へとワタクシ達はやって来たのですが、八幡堀には白い土塀や古い民家が立ち並び、そして堀には屋形船が行き来します。しかも堀の両サイドには遊歩道が設けられ、美しい光景を眺めながらの散策を楽しむことが出来るんです。八幡堀は琵琶湖と城下を結びつける水路として大きく発展してきました。町の繁栄に大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国では大津と並ぶにぎわいをみせたそうです。八幡堀はその後、昭和初期までは経済・流通路として反映しましたが、戦後の陸上交通の発展によって徐々に衰退していきます。昭和30年代に入って高度成長期を迎え、やがて八幡堀は市民からも忘れ去られる存在になってしまったのです。その結果、今の...堀は埋めた瞬間から後悔が始まる-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、4月7日の月曜日なのですが、この日は関西地方の多くの場所でソメイヨシノが見頃を迎えていました。ワタクシ、4月からは週3日勤務の非常勤職員になったので、日〜水が休日なんです。ですので、平日で人出が少ないこの日に桜を見に行こうと考え、家人と出かけることにしました。向かったのは滋賀県の近江八幡市です。朝6:30に自宅を出発、8:30に近江八幡に着きました。この建物は「白雲館」といい、明治10年に八幡東学校として建築されました。当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物なんです。近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示...湖国の桜-滋賀県近江八幡市:八幡堀
登米の町からの帰路、旧・築館町(栗原市)に立ち寄った。築館は合併時点で人口が約1万5千人ほどの町だった。でも印象としてはもっと大きな町に思える。何がそう感じさせるのかは分からない。僕は「築館」と聞くと、反射的に「ブルース」と言葉を繋げたくなる。この場合のブルースは、本物の「Blues(ブルーズ)」ではなく、淡谷のり子とか青江三奈なんかの歌謡ブルースである。多分、伊勢佐木町ブルースみたいな感じで、「築館町ブルース」という語呂を楽しんでいるだけだが・・・。登米の後に築館。宮城県は楽しめる。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR築館ブルース
ガイドブックには決して載ることのない、私的な「登米の歩き方」を掲載する。本当はガイド地図も作ろうと思ったが、歩いて探すことも楽しみの一つなので止めておいた。もっとも、これを見て実際に登米を歩く人はいないだろう。ガイドブック的な出版物は、どうしても「映える」スポットにばかり注目する。都会の喧騒から離れ東北独特の町並みを訪れた方が、わざわざお洒落なカフェに行く必要はない。そもそも登米町には、お洒落なカフェなど存在しない。それを補って余りある個性豊かなスポットが満載なのである。決してガイドブックが取り上げない(あぶら麩丼はギリ取り上げる)、登米の名所を歩いてみよう。①天然もの看板真っ茶色に染まったオロナミンC看板。廃業した店先に掛かっている。十年以上前も同じような姿だった。レトロを演出するツールではなく、本物だ...登米町探訪(終)~私的ガイドブック登米の歩き方
ここは登米市登米町という場所である。これで「とめし、とよままち」と読む。登米市は平成の大合併で9町が合併して出来た市である。その大部分が「登米郡」の町である。「とめぐん」と読む。つまり登米町は、「とめぐん、とよままち」から「とめし、とよままち」に変わったのである。何回聞いても複雑である。公共施設などに「登米」という名称が付いている場合、旧・登米町管内にあれば「とよま」と読み、それ以外では「とめ」と読むのだと思う。部外者には音読不能である。さて、そんな登米町(とよままち)であるが、東北コンプリートを意識する前からお気に入りの場所だった。武家屋敷通りがある町である。宮城の明治村とも呼ばれ、明治大正期の建物も多く残る。そして商店街はディープな昭和と「てんこ盛り」の町である。何度も何度も周辺を通過するのに、未踏の...登米町探訪①〜好きな町を歩くだけの写真
4月9日 濃厚な日 前編!!おはようございます♪♪只今時刻 AM6:00!!で ございます♪♪セルフうどん麺太郎!!住所:綾歌郡宇多津町段々と愛媛県に近づいて…
山形シリーズは終わったけど、投資信託の暴落記念に「この一枚」を番外編に昇格させる。例によってボツ写真だけど・・・。JR山形駅のビル通路にトランプ大統領の立て看板があった。トランプ大統領は看板になっても、格好良くて驚いた。最初は誰かは分からなかったが、姿形の良い人であることだけは明白だった。こういうと怒り出す人が多いことも理解しているが、僕は基本的にトランプ大統領に好感を持っている。賛否が分かれるにしてもトランプ氏を大統領に選んだアメリカ合衆国の民意に敬意を払うべきだとも考えている。だから勝手に看板にする行為には疑問も持つ。でもトランプショックともいうべき関税問題に始まる経済危機。これには重大な関心を寄せている。僕はナケナシのお小遣いを数年前から投資信託に投資している。海外企業株をメインに投資しているファン...山形での短い休日(番外編)〜トランプ大統領に会った
久しぶりに山形市に行き、街を歩いた。何故かやる気が出ず小さなカメラを片手に歩いたら気分が少し盛り上がった。というのが前回。そしてそのまま帰宅したのである。だから今回の写真は順序が逆で、本当は初めにこちらに来た。山形市の古い繁華街、花小路である。恐らくその名の通り、花街的な小路だったのだろう。どうしても夜の様子を見たくて、山形市で宿を取ってまで夜に来たこともある。でもそれは例外で、普段は専ら昼間に来る。少し前まではキャバレー跡地があり、ネオン看板も残されていた。今はもう無くなった。同じようでいて、少しづつ新陳代謝がなされていく。そして町並みはどんどん綺麗になっていく。どんどん綺麗になるのと反比例するように街は没個性化していく。街と花には多少の毒があった方が良いのかもしれない。最後にスナックの扉に架かる花を撮...山形での短い休日(終)〜花小路にて
久しぶりの山形の街。日帰りとはいえ時間はたっぷりある。駅前に移動して写真を撮ろうと思った。でも何だか気分が乗らず歩いても楽しくない。理由は分からないし解明しても意味はないと思う。僕はカメラをバッグに仕舞い、小さなGRⅢだけを片手に持ち街を歩いた。おお、少しだけ気分が盛り上がる(笑)。凡庸であれ撮ることが出来ればそれで良い。昼食は居酒屋でのランチで、ビールが呑めれば展開は更に良くなったかもしれない。でもクルマなのでノンアルを頂いた。食後はジャズ喫茶(オクテット)で濃い珈琲を飲もう。・・・・。まさかの満席だった。先客は詰めようとしてくれたが、今回は断念した。チーン。GRⅢ山形での短い休日②〜困ったときのGR
所要があり、山形市内まで出かけた。日帰りである。東北中央自動車道という秋田県横手市から福島県相馬市に至る自動車道がある。秋田県側は整備中だけど、山形県の金山町から福島県までの区間は開通している。僕も福島方面に行く際にはお世話になっている。無料区間が多いので助かっている。その福島往復の際には何度も山形を素通りしていた。今回は用事が終わったら街中で写真を撮ろうと思っていた。結果的には何故か全くやる気が出ず、写真的には散々な結果になった。それでも何回かに分けて掲載したい。最初の写真だけど、繁華街の中心地にエアポケットのように残された塀路地である。多分、権利関係が原因だと思うが、この一角だけ時代が停まっている。偶然、車を停めた駐車場のすぐ脇に塀路地があり、探すまでもなく撮影することになった。周辺では建物の解体など...山形での短い休日①〜塀路地から
旅の最後の訪問地は、旧・新鶴村(会津美里町)である。当初の予定では更に北上して、旧・高郷村及び旧・山都町(共に現・喜多方市)に行く予定だった。寒さと道路の積雪への不安からとても行く気にはならなかった。旧・新鶴村にはJR(只見線)の駅が二つある。小さな村に駅が二つもあったことは驚きだ。一つは今回の写真の「新鶴駅」。もう一つは南隣にある「根岸駅」。横浜と同じ根岸である。しかも新鶴駅と根岸駅の間は約2kmと至近距離にある。根岸駅周辺には特に何もないので、どういう経緯で駅が存在するのかは分からない。20年くらい前のデータによると、一日の利用客素は25人だった。今はもっと少ないだろう。そんなわけで写真は新鶴駅である。今は鶴(タンチョウ鶴含む)といえば、北海道以外ではごく限られた場所でしか見ることはできない。十年ほど...会津のしっぺ返し(終)~締めはラーメン
さあ、そろそろしっぺ返しである。その前に話は昨年に遡る。昨年は記録的な少雪の年だった。積雪が全くない日が続き、スタッドレスタイヤが激しく摩耗した。この春もまた磨耗するのではないか。そんな不安から今年は早々に夏タイヤに交換した。会津遠征にあたり、山形と福島の県境の山道は夏タイヤでは若干の不安があった。そこで事前に天気予報やライブカメラを調べたところ、問題ないだろうと判断した。実際、往路は全く問題なかった。ところが翌朝である。宿の部屋のカーテンを開けると・・・。降っている・・・。割とはっきり降っている。地面に落ちるのと同時に雪は溶けている。それでも長時間降るにつれ、停車している車のフロントガラスが白くなってきた(あまりの動揺に写真を撮ることも忘れた)。福島と山形の県境を走る国道121号線、通称「大峠道路」をラ...会津のしっぺ返し④~春に浮かれるべからず
ShoujuinTemple,Uji-TawaraTown,KyotoPref.さてさて、3月13日のことですが、ワタクシは久しぶりにソロキャンプに行きました。この日のキャンプ場は滋賀県大津市にあるのですが、キャンプ場に向かう前にちょっと立ち寄りたい場所があったんです。ワタクシが向かったのは京都府の宇治田原町という滋賀県との県境に位置する町です。宇治田原町の中心部から山あいに向かい、小さな集落の奥まった場所に目的地がありました。ワタクシが訪れたのは正寿院という高野山真言宗の小じんまりとしたお寺です。正寿院は717年に建立された医王教寺の塔頭寺院として建立されたと言われ、創建年は約800年ほど前と伝わっています。まずは本堂に参拝するとしましょう。本堂には鎌倉時代に活躍した日本を代表する仏師である快慶作の「不...キャンプ場に行く前に-京都府宇治田原町:正寿院
今回の旅の宿は、会津芦ノ牧温泉である。初めての宿泊となる。同じ会津若松市にある「会津東山温泉」には何度も行っている。そちらは会津藩の奥座敷として栄えた温泉であるのに対し、芦ノ牧温泉の方は元々は地元の人が利用する温泉場であったらしい。東山温泉も廃業した旅館が廃墟化しているが、芦ノ牧温泉の方はそれを遥かに上回る(?)廃れ具合である。以前は写真の2〜3枚目に写る土産物店の横にストリップ劇場があった。気になってはいたが、そのうちに廃業したというニュースを聞いた。建物は残っていたので、いつか行って撮影しようと考えていた。考えているうちに建物も解体されてしまった。今回は宿の写真などは掲載しない。夕方に到着してから散策した温泉街の様子である。夜も歩いてみようと当初は思っていた。でも散策してみた結果、夜に営業している店は...会津のしっぺ返し③〜温泉街、香ばしさ極まる
最初の町である旧・塩川町を皮切りに、2つ目の湯川村、3つ目の旧・北会津村(現・会津若松市)と巡り、最後の訪問地である旧・会津本郷町(現・会津美里町)まで来た。表題の「しっぺ返し」とは、僕が会津のことを舐めてかかったことの代償を意味する。舐めたことの1つ目は「雑さ」である。旅の前日、僕にはどうしても欠席できない仕事上の飲み会があった。早々に退出するつもりだったが、事情により最後まで残ることになり、ついつい深酒をしてしまった。翌朝、午前5時にアルコールチェッカーで図ると、「0.02」の数値を指した。酒気帯び運転は0.15以上からだけど、「0」ではないことは好ましくない。午後7時には数値は「0」になったものの、念には念をおして、僕は午前10時まで出発を遅らせることにした。初日には前述の町に加え、磐梯町と旧・河東...会津のしっぺ返し②〜知られざる焼き物の里に来た
実のところ、粛々と東北コンプリートを進めている。なかなか時間は取れないけど、僕のお小遣いは「プライスレス」なコンプリートに集中され、他には殆どお金を使わなくなった。可能であれば、月に1回の遠征を続けていきたい。コンプリートに拘り過ぎると、未踏の町を廻ることだけが優先され、近くにある「おいしい町」を素通りすることになる。これを寿司屋に例えると、通を気取るために「コハダ」とか光り物、酢の物ばかりを注文し、鮪の中トロとかウニは我慢することに似ている。もちろん中トロやウニばかりが寿司ではない。だがコハダばかりでは飽きるのも、中トロやウニが旨いのも事実である。今回は会津方面に遠征し、会津若松市と喜多方市の旧町村部を廻ってきた。宿泊は会津芦ノ牧温泉(激安プラン)で、会津若松と喜多方の中心部(中トロとウニ)には行かなか...会津のしっぺ返し①〜小魚の光り物のような町
以下の例文の空欄(1)及び(2)に当てはまる適切な語は何ですか。次の①〜④の中から正しい組み合わせを選びなさい。例文:(空1)チンコ(空2)ナミ①(1)=ガ(2)=コ②(1)=オ(2)=人③(1)=パ(2)=ト④それ以外中学生か(笑)。でも知っている方がいれば、本当に教えて下さい。気になって仕方ありません。北秋田市の某所にて。中学生男子向けの穴埋め問題
AmericaVillage,ChuoWard,OsakaCityさてさて、道頓堀から御堂筋を越えてさらに西へと向かいます。すると、今までとはちょっと雰囲気が変わるオシャレなエリアが広がっているんですよ。心斎橋、道頓堀から御堂筋を渡った西側一帯は、1970年代後半ごろから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。もともとこのエリアは、企業の倉庫や駐車場、オフィスビルなどが並ぶ静かな街だったのですが、1970年代に空いた倉庫や駐車場で、アメリカ西海岸やハワイなどから輸入した、アメリカンカジュアルの服を販売し始めたことから「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。古着やジーンズ、中古レコード、雑貨などを販売するお店が次々とオープンし、近隣に大規模なショッピング施設も出来たことから、若者の流行の発信地として発展...若者の町へ-大阪市中央区:アメリカ村
Doutonbori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、「道頓堀」にやって来たワタクシは、道頓堀川へと向かって行きました。この道頓堀川なのですが、以前は異臭を放つほど汚染された川でした。大阪市が長年にわたり水質改善に努めて来たおかげで、随分と川が綺麗になりました。今では「とんぼりリバークルーズ」というクルーズ船が通航しています。ただ、ワタクシは乗りたいという気持ちにはなりません。時刻も11時前になり、道頓堀川の周辺はかなりの観光客の数になっていました。この写真の右端には、美味しそうにたこ焼きを食べている東南アジア系の外国人カップルがいました。大阪というと「たこ焼き」「お好み焼き」「きつねうどん」などがガイドブックに載ってるんでしょうね。ビルの壁一面がド派手にペイントされています。鬼太郎の目玉親...ミナミのランドマーク-大阪市中央区:道頓堀
マタギ銀座、もとい鷹巣銀座を抜けて歩を進めると、そこは飲み屋の多い繁華街となる(※今後、鷹巣に統一する)。もう僕は慣れた。こういう繁華街があることも知っているし、それを数知れぬほど見てきた。六本木とか渋谷とは全く異なる場所に見えるかも知れないが、実のところ本質的な要素は変わらない。大きな括りでいえば質は同じであり、量が違うのである。その量の差が圧倒的なだけだ。・・・。六本木は言い過ぎだな。むしろここは歌舞伎町だな。マタギの歌舞伎町。戦前くらいまでは山で暮らすマタギも多かったはずだ。真っ暗な山から見れば、ここは現代の歌舞伎町のネオンよりも眩しく見えたことだろう。実のところ、大都会の大繁華街というのは数えるほどしかない。一方で、鷹巣と同じような繁華街は全国に星の数ほどある。一つ一つの繁華街の規模は小さくても、...鷹ノ巣モノクローム(終)〜マタギの歌舞伎町
秋田県最過疎の村、上小阿仁村を抜けてたどり着いたのは、鷹ノ巣という町である。旧・鷹巣町、現在は北秋田市となっている。北秋田市は、鷹巣町に加え、森吉町、愛川町、阿仁町がの4町が合併して新設された市である。森林面積が大きく、林業などが盛んな地域でもある。また「阿仁マタギ」と呼ばれるマタギがいる場所でもある。僕は鷹ノ巣という町が大好きだ。秋田県に来るまでは、鷹ノ巣という町の存在は知らなかった。初めて鷹ノ巣に来たときは、全く知らなかったのに、思いのほか大きな町で驚いた。きっと最近まで、マタギがここに獲物を売りに来て、銃弾とか刃物を仕入れ、余った金で一杯やったりしたのだろうと勝手に考えてワクワクした。もしかすると違うかもしれないが、想像するだけで楽しかった。今でも年に3〜4回は、この町に来て写真を撮る。さて今回の鷹...鷹ノ巣モノクローム①〜マタギの銀座
Doutonbori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、法善寺横丁を後にしたワタクシは、すぐ北側にある「道頓堀」へとやって来ました。道頓堀の名は、慶長17年(1612)に私財をなげうって川を開削した安井道頓(やすい・どうとん)の名前に由来します。その後、芝居や歌舞伎の娯楽の街として栄え、現在は多くの飲食店が集まる人気の観光地となっています。そして、道頓堀の飲食店の特徴が、とにかくド派手な看板が多いことなんですよ。「しばいたろか!!」というたこ焼きのお店です。看板はともかく、「しばいたろか!!」という屋号はどうなんですかねぇ。明治製菓の「カールおじさん」ですな。大阪ではまだカールは販売されています。関東の方ではカールって販売されてないんですよね。東日本では売れ行きが悪かったのですかねぇ。これは有...ド派手!!-大阪市中央区:道頓堀
秋田県の上小阿仁村。ただでさえ少子高齢化により人口減少の激しい秋田県のなかで、もっと人口が少なく、かつ高齢化率が高い自治体である。村はの町とは断絶した山間にあり、冬は雪に埋もれる豪雪地帯でもある。村の面積の90%以上が山林原野となっている。自殺者の発生率が異様に高い村でもあったが、色々な対策が取られ近年は大幅に改善した。また一時期、全国ニュースで話題になったのは、医師問題である。村には病院はないが、村営の診療所が設けられている。ここに医師が一名常駐することになる。今から十数年前に、この診療所の医師が次から次に辞めるという問題が発生した。長くて1年、短い人では一ヶ月。陰惨な医師虐めが横行したという噂であった。事の真偽は不明だが、年収1500万円という医師の収入(村からの報酬)に地域住民が反発したという話だっ...秋田県の最も過疎が進んだ村
HouzenjiAlley,ChuoWard,OsakaCityさてさて、大阪を代表する繁華街である難波の町を、ワタクシは北に向かって歩いていました。商店街になんとも不思議な、いや、奇妙奇天烈な自転車が停まっていました。誰かが乗ってきて、この場所に停めたと思われるのですが、どうしてこんなデコレーションをしているのでしょうか。そう思ってこの自転車を眺めていたら、ワタクシよりも年上で薄汚い格好をしたオッサンが自転車に乗って去って行きました。こういうオバハンがよくテレビなどで紹介されますが、実際に大阪にいるんですよ。生息しているのは大阪の下町。商店街などでこういう人に出会うことはよくあります。「法善寺横丁」へとやって来ました。「法善寺横丁」と書かれた看板がありますが、この看板の文字は藤山寛美さんが書いたものです...石畳-大阪市中央区:法善寺横丁
“Tatsutaya”,ChuoWard,OsakaCityさてさて、ワタクシは難波の街を縦横無尽に歩いておりました。六十路の爺さんになりましたが、足腰は丈夫なのです。この建物は「味園ユニバースビル」といい、キャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナなどが入居した建物です。かつてはミナミの歓楽街を代表する存在であり、ワタクシはここで中学校の同窓会をしたことがあるんです。和田アキ子はデビューする前に、ここのダンスホールの専属歌手だったんですよ。しかし、建物の老朽化もありすでに飲食店は営業を辞めており、今年の5月から建物の解体作業が始まるそうです。難波から「昭和」がまた消え去っていくことになりました。こういった場末の飲み屋街も、いずれは区画整理などで小綺麗な通りに変わっていくのかもしれません。でも、そ...朝からちょいとお寿司で一杯-大阪市中央区:「竜田屋」
所用で大曲(秋田県大仙市)に行ったときの写真である。昼食の際に駅前を少しだけ歩いた。まあ何回も撮った場所の写真だし、特にこれと言った写真は撮れていない。敢えて挙げたのは、面白い掲示板が二つ。最初に「すみませんが、ここに自転車または犬を入れないで下さい」の掲示板である。これは何度見てもジワジワ来る。まず「すいませんが」という下手(したて)に出た語り口。しかも板か何かに手書きで書けば済むのに、わざわざ業者に造らせたと思われる看板である。そして「自転車または犬」という組み合わせ。恐らく犬連れの自転車で来た人が勝手に停めるのだろう。何も自転車と犬(しかも、または)にピンポイントで指定しなくても良いと思う(笑)。立ち入りや何かを置くことは全て禁止で良いのだから。更にいえば「自転車」と「犬」の部分が赤字で強調されてい...意味ありげの看板
栗駒町は、平成の大合併で栗原市となった。近隣の10市町村が合併して新たな市を形成したのである。その面積は約805㎢であり、人口は約6万人である。ちなみに東京23区の面積は約627㎢であり、人口は約985万人である。宮城コンプリートの際は、栗原市、大崎氏、登米市、石巻市の4市だけで33もの旧市町村を抱えているので、大変苦労した。この周囲を何回も何回もグルグルした。だから心理的にお腹一杯で栗原市周辺には行きたくない気持ちもある。でも栗駒町は別である。そもそもあれだけグルグルしたのに、何故か栗駒町にだけは足を踏み入れていなかった。だからこそ宮城コンプリート終盤に栗駒町に入ったときは驚いたのである。この町の中心商店街は六日町という。古典手的な昭和の商店街である。大型店というのは殆どない分、あらゆる分野の個人商店が...魅惑の栗駒町(終)〜200分の1
KuromonMarkett,ChuoWard,OsakaCityさてさて、大阪屈指の繁華街である難波の散策を楽しむワタクシでありますが、「裏ナンバ」と呼ばれるエリアにやって来ました。「ウラなんば」とは、正式な定義はありませんが、北は千日前、南はなんさん通り、東は黒門市場、西は髙島屋辺りまでのエリアのこと。100店舗近くの飲食店が立ち並び、安くておいしいお店が多いのが特徴で若い人に人気があるんです。ただ、ワタクシが訪れたのは朝ですので営業しているお店は皆無でした。こういうネーミングが大阪らしいといえば大阪らしいですな。続いて「黒門市場」を訪れました。「黒門、ええもん、ほんまもん」と言うキャッチフレーズで知られた黒門市場は、良質な食材が揃う大阪を代表する商店街です。しかし、今、この商店街が大きく変わってしま...ここは日本か!?-大阪市中央区:黒門市場
宮城県の栗駒町。初めて訪れたのは2023年の3月、丁度2年前のことだった。町並みに心躍ったことを昨日のことのように覚えている。その年の2月に僕は、心房細動の治療としてカテーテル・アブレーションという手術を受けたばかりだった。経過は順調だったけど、流石に無理は禁物だった。体調が万全になったらまた来ようと思っていた。そして2025年3月。再び栗駒町を訪れたわけだ。今回撮った写真を家で見直したところ、コピーのように2年前と同じような写真を撮っていた。これはデジャビュであり、2年前に戻ったのではないかとすら思った。栗駒町は周囲から独立した町並みであり、ここだけ異空間に存在しており、いまだに昭和が続いているのではないか。そんな錯覚を覚える。もう一回続きます。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR魅惑の栗駒町①~究極のデジャビュ
SennichimaeDouguyasujiShoppingStreet,ChuoWard,OsakaCityさてさて、難波の散策を楽しむワタクシですが、いわゆる「千日前」と呼ばれるエリアにやってきました。有名なたこ焼き屋さんの前には大行列ができていました。外国人の観光客もたくさんいます。かつては「欧米人はタコを食べない」と言われていましたが、今はそうでもないんですね。ここがかの「なんばグランド花月」です。言うまでもなく吉本興業が運営するお笑い・喜劇専門の劇場ですな。ワタクシ、何度か新喜劇や漫才を見に訪れたことがあるのですが、テレビとは違って漫才一本のネタが長いので芸人の力量がよくわかります。ただ、昔の作りの劇場なので椅子が狭いのが欠点。最近の映画館などに慣れていると「狭い座席やなぁ」と思います。オール阪...料理道具がずらり-大阪市中央区:千日前道具屋筋商店街
NanbaSquare,ChuoWard,OsakaCityさてさて、久しぶりに難波を訪れたワタクシは、難波八阪神社を後にして難波の中心部に向かっていました。久しぶりとはいえ勝手知ったる難波ですので、地図などを見なくても道に迷うことはありません。裏通りを歩くと、そこには昔懐かしい風景がまだ残っていました。今では大阪も随分と小綺麗な町並みに変わりつつあり、ワタクシのように昭和の時代に大阪で育ったネイティブ大阪人には「大阪らしさが失われていくなぁ」と思ってしまうのです。でも、一歩裏通りに入っていくと、まだまだ昔ながらの町並みが広がっているんですね。と思っていたら、こんなオシャレな看板がありました。そして、こんなオシャレな空間が広がっていました。うーむ、難波も変わりつつありますな。南海なんば駅の近くに来ると「自...変わりゆく「なんば」-大阪市中央区:なんば広場
写真を撮る時には、ピントや構図、更には露出など決めることは多い。でも僕の場合、とどのつまり「撮るべき瞬間」を何よりも優先するだけである。あとの諸々は努力義務に過ぎない。この「撮るべき瞬間」を阻害されることは何よりもストレスとなる。それがMFのレンジファインダー(ライカ)を寵愛していた理由でもある。一方で最近のミラーレス一眼カメラでは、大抵のことをオートマチックに熟してくれる。あとはタイミングを見てシャッターを押すだけ。その世界に近づきつつある。其の為の技術なのである。ところが、いざシャッターを押そうとするとカメラはスリープモードに入っていたりする。シャッターを半押しすれば解除され、そのタイムラグもほんの一瞬である。ほんの一瞬だけど、その一瞬が気持ち悪いのである。どうしてもうまくいかない。その躊躇から「撮る...八百屋の寸景〜いちばん大事なこと
八戸市の鮫地区。海岸沿いの地区であり、名前の通り鮫が多かったのだと思う。また鮫地区の蕪島は、ウミネコが数多く生息する場所としても有名である。ここは車で通過したことはあるが、実際に降り立って歩いたことはない場所である。今回は二日目の朝に鉄道で移動し、鮫駅から蕪島(神社)まで歩いて往復してきた。鮫の街を突っ切る形で歩いた。上原師匠は、よく鮫の町を歩いて写真を撮っていた。気にはなるものの、僕にはハードルの高い町でもであった。そこでどういうものを撮るべきか、よく分からなかった。今回行って、悩まずに行けば良かっただけと分かった。駅があり、商店街があり、港があり、飲み屋街があり、蕪島があり、猫もいる。全部撮れば良い。ここだけはモノクロにした。蕪島神社の上空は青く澄み切っていて、色を諦めるのは困難だった。原点回帰の試み...八戸探訪(番外編)~鮫という町
“Kanemitsu”,Taiza,KyotangoCity,KyotoPref.さてさて、京丹後市のカニで有名な間人(たいざ)にやって来たワタクシ達ですが、ワタクシはお風呂に入る前にお宿の「かねみつ」の周辺を散策していました。宿のすぐ裏側には日本海が広がります。いつもだと冬の日本海は荒々しい波が打ちつけてくるのが常です。しかし、この日の日本海はまるで春の海のような穏やかな穏やかな姿を見せてくれました。ワタクシは野鳥についてあまり詳しくはありません。ですので、この岩礁の上に群れをなしている鳥がカモメなのか、それともウミネコなのか区別がつきません。これはどちらなのでしょうか。写真には写らないようにしたのですが、海岸には悲しいくらいの海洋プラスチックごみが流れ着いていました。ハングル文字、キリル文字(ロシア語...穏やかな日本海‐京都府京丹後市:間人・「かねみつ」
そんなわけで陽は落ちて夜が来た。夕刻までの時間は、末席ながら自分のことを写真撮りと思っている。夜の帳が降りてからは、旅人と呑兵衛の比率が写真撮りを上回る。夕方までは高揚感に包まれながらも、どこか覚めた眼と意識で街を見ている。それが今や僕は夜の街の一部と化し、弛緩した意識を保ちながらも単なる酔い人となる。犬から酔っぱらい(笑)。もう被写体の細部なんか見えていない。身を置いたその場から見えるものを拾い上げるだけである。写真だって人様に見せるようなものではないかもしれない。そんな僕の唯一優れたところを記すとすれば、街への紛れ方だと思う。酔客が闊歩する繁華街(この日は殆ど居なかったが・・・)。明かりを灯した夜の店。ここで写真を撮ればトラブルに発展する可能性もある。でも僕はどこからどう見ても一人の酔っぱらいのオッサ...八戸探訪(終)~夜は野となれ山となれ
鉄道で来た八戸探訪の旅。これまで鉄道旅だと嬉しくて、ついつい昼間のビールを飲み過ぎ、夜にダメージが残るパターンが多かった。今回は対策はバッチリ。往路は酒を一滴も飲まなかった。酒蔵見学で試飲はしたが、お代わりはしていない。ホテルにチェックインしてから休息を挟み、万全の態勢で夕刻の街に出た。八戸夕刻の時間は、ほぼノープラン。最初の一杯はビールで、陸奥八仙を必ず飲む、と飲酒のことは決めていた。それでも一つだけ気になっていることがあった。それが1~2枚目の「マルタ」の建物である。毎回八戸に来る度に撮っていて、頭に残っている。でもあれが何処にあったのかは記憶にない。まあいい、それが必然であれば歩いているうちに見つけるだろう。上原師匠はよく言っていた。「この町で写真を撮る人間であれば、〇〇には必ず辿り着くのです」と。...八戸探訪⑤~夕刻の嗅覚(再び犬となる)
八戸は太平洋に面した港町で、同じ青森県の日本海側や内陸部に比べると積雪量は少ない。それでも北国は北国。雪も降るし、浜風が厳しく体感温度は低い。かつて港から上がった船員で賑わった遊里の町の飲屋街にも工夫が見られる。内部廊下が異様に長い飲屋長屋のような構造の建物が幾つも見られる。元々バラックの飲屋があり、それを連結して屋根代わりに二階部分を増築したのかもしれない。薄暗いトンネル廊下は50mくらいありそうだ。内部の店を飲み歩き、外に出たらいつの間にか明るくなっていた。そんなこともあったかもしれない。まるで竜宮城から出て来たかのような感覚を覚えたに違いない。内部の店が今でも営業しているのかどうかは疑わしい。殆どは廃業しているとみて間違いない。それでも幾つかの店は現役のようでもある。僕は店が営業している姿を思い描き...八戸探訪④〜小中野竜宮城(後編)
京の今日は最高気温 18.1℃ (12:50) お昼過ぎまで明るかったのに歩きにいこうかと思ったら雨雲接近…今日も大人しく・・・この先、書こうと思ったら有名な歌が降臨〓 ♪家籠りの~年寄り~ ♪…
八戸探訪編に戻る。八戸に来るのは3回目であり、過去2回はどうしても本八戸の中心地を歩くことがメインの日程になっていた(陸奥湊まで行って、魚市場で朝食を食べたが・・・)。今回は中心地以外の場所も歩いてみようと思い、小中野駅から散策を始めた。実際は、ここから旅を始め、小中野を抜けて八戸酒造に行ったのが本当の時間軸だ。だから前回の蔵元見学から少しだけ時間を巻き戻すことになる。八戸でやりたいと思っていたことの一つに、新むつ旅館に泊まることがあった。元遊郭が転業した旅館で、玄関を入った大広間に部屋に登る見事な大階段がある。僕は青森黒石の中村旅館には3〜4回泊まっており、同じく元遊郭の中村旅館にも朱塗りの大階段がある。新むつ旅館の階段は中村旅館より遥かに大きなものである。いつか行こうと思いながら時間は流れ、とうとう新...八戸探訪③〜小中野の遊里を歩く(前編)
“Konamonoya”,FukuchiyamaCity,KyotoPref.さてさて、「福知山鉄道館フクレル」の見学を終えたワタクシ達は、福知山市の町並み散策へと向かいました。思いの外、福知山城と鉄道館の見学に時間を費やしてしまい、おまけに雨も降ってきたんです。ですので、福知山での散策は短めに切り上げて、この日のお宿に向かうことをワタクシ達は考えていました。素敵な洋風建築がありました。この建物は旧松村家住宅の中の洋館です。松村家住宅とは同市を発祥とする中堅ゼネコン・松村組の創業者である松村雄吉の住居として、明治末期から大正中期にかけて建てられた建築物群なんです。こちらは旧松村家住宅の母家です。現在は、全国でも有名なスイーツ店「足立音衛門」の本店として利用されています。ただ、ワタクシはスイーツに全く興味も...福知山のB級グルメ-京都府福知山市:「粉もの屋」
八戸へ行ってきた。2009年、2016年に続いて3度めの訪問となる。今回は鉄道の旅で、新幹線のダイヤ混乱により大変な目にあったが、無事帰還した。写真は廃業した自転車屋さん。何か見覚えがあると思って確認したところ、2009年に初めて行ったときにも撮影していた。当時は現役だった。16年の月日の流れを痛感した。16年前の写真を見直して気付いたことがある。当時は何の情報も持たず、下調べもせず、とにかく出かけただけである。過去写真では、町中でも面白い場所が沢山あった。今では何処なのかわからないし、当然今回は行っていない。一体どういうことなのか・・・。最近は東北コンプリートのため、なるべく行ったことのない町に出かけるようにしている。その弊害が出ているような気がした。過去の方が楽しく写真を撮っていたのではないか。3度目...八戸探訪①〜16年の月日の流れ
古民家のブックカフェ-奈良県橿原市:今井町・「うのまち珈琲店」
“UnomachiCoffeeShop”,ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、今井町の古い町並みを散策していたワタクシ達ですが、「コーヒーでも飲みたいなぁ」と話をしていると、いい感じのお店を見つけることが出来たんです。ワタクシも家人も「ここに入ろう」と即断即決でした。古民家を利用したこのカフェは「うのまち珈琲店」というお店で、岡山県玉野市で人気を集めているカフェの2号店だそうです。現在は東京、神戸、広島などにも店舗を広げられているそうです。天井が高い広々とした店内で、壁一面に様々なジャンルの本が並んでいました。これはいい雰囲気ですな。店内のディスプレイもワタクシの好みです。これはいいお店に入ることが出来ました。中に入ってわかったのですが、このお店、かなりの人気店のよう...古民家のブックカフェ-奈良県橿原市:今井町・「うのまち珈琲店」
ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、橿原市今井町の町並みは、江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みです。ですので、テレビドラマやCMのロケなどによく利用されているんですよ。この建物は「旧米谷家住宅」というのですが、かつては「米忠」という屋号で金物商を営んでいた旧家です。中を見学することが出来るので、ワタクシ達は中に入ることにしました。2015年にNHKの朝ドラで「あさが来た」というドラマが放映されました。女優の波瑠さんが主人公の白岡あさを演じたのですが、ドラマではあさの実家である今井家は京都にあることなっていました。でも、あさの実家今井家のロケはこの場所で行われたんですよ。今井町だから今井家にしたのですかね。ワタクシはこのドラマを見ていましたが、あさのご主人にな...テレビのロケ地-奈良県橿原市:今井町
ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている今井町を訪れたワタクシ達ですが、タムスリップしたかのような古い町並みはフォトジェニックで、ついついシャッターを押す回数が増えてしまいます。今井町は戦国時代に称念寺を中心に発展した寺内町です。防衛のため町を環濠で囲んだ城塞都市で、織田信長との戦いで町を守り抜いた功績を称えられ、自治権が与えられました。以降、商業都市として発展を遂げ、「海の堺陸の今井」と呼ばれるほど、豊かな経済力を手に入れます。江戸時代になると独自の紙幣「今井札」を流通させ、「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄しました。この立派な建物は「今西家住宅」なのですが、今西家は今井町の惣年寄筆頭をつとめた名家だそうです。戦国時...青空と白壁-奈良県橿原市:今井町