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入館して分かったことは?「御馬下の角小屋」を見学しました。江戸時代の商家であり参勤交代時に大名細川氏、島津氏の休憩所でもある貴重な日本古来の木造建築でした。 こちらは「御馬下の角小屋」の入口です。そして右手のこちらの建物が「記念館」です。「角小屋」内部に資料が無いと思っていたらこちらに展示されていました。熊本市の「記念館の相関図」です。訪問済みの記念館もありますがこうした関係を頭に回るのも面白そう...
篤姫様が輿入れの際に休憩した?国道3号線をを車で通行する際にいつも気になっていました。渋滞していることが多くて断念していました。 それがこちらの白壁の建物です。旧豊前街道 近世の熊本では、新町一丁目の札の辻を起点に、豊前街道、薩摩街道、豊後街道、日向街道が四方に通じていました。豊前街道は、札の辻、熊本城内―京町―鹿子木―味取―広―山鹿―肥猪―南関を経て福岡県に入り小倉に至る交通路であった。細川、島津の藩...
日時:令和5年12月18日 21時45分ごろ 住所:東京都あきる野市三内 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:東京都道31号青梅あきる野線(秋川街道) ...
北八尾街道(近鉄今里駅〜JR八尾駅)③・・・長瀬北小、金岡中学の同窓生に
実家で昼食を取ったあと、金岡公園の方に行ってみた。昔は低いフェンスで囲まれた野球場があって、乗り越えて入れたも…
北八尾街道(近鉄今里駅〜JR八尾駅)②・・・長瀬北小、金岡中学の同窓生に
寿町1丁目の交差点。交通の要衝?画面右側が西方向で生野に向かう。手前が北で布施柳通りに通じて、奥左斜め前方が八…
北八尾街道(近鉄今里駅〜JR八尾駅)・・・長瀬北小、金岡中学の同窓生に
思い入れのある街道ではある。幼少の頃、実家の近くを通るこの街道を「八尾街道」と呼んでいた。実際には、”北”八尾…
郡上八幡への街道高速道路から降りて郡上八幡への街道です。車がやっと1台通れるような昔ながらの街道です。ノスタルジック街道です。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。郡上八幡ノスタルジック昭和の店-リタイアじーじの徒然絵日記郡上八幡の街角こんなノスタルジックな店があちらこちらにありました。まさに、昭和、大正の匂いがします。子供時代よく通った駄菓子屋の記憶が甦ります。こんなノスタルジ...gooblog小江戸川越の町並み-リタイアじーじの徒然絵日記タイムスリップする町並みです。横丁から遠山の金さんがひょっこり陽気に出てきそうです。ひょっとして、渋く紋次郎かな🎵時代劇好きの小生は妄想してしまいます。宜しけれ...gooblogパリ14区のの小路-リタイアじーじの徒然絵日記パリ14区の南部...郡上八幡への街道
竜田越奈良街道(近鉄河内国分駅〜近鉄信貴山下駅)② 亀の瀬を越えて行け!
こわごわと吊橋を渡った先は、舗装された道が続いている。サイクリングで訪れる人も多いようで、さっきも2台の自転車…
竜田越奈良街道(近鉄河内国分駅〜近鉄信貴山下駅)① 亀の瀬を越えて行け!
前回は近鉄河内国分駅を終点とした。いよいよ県境を越えて奈良に入る。 大阪と奈良を結ぶ街道はいくつかあって、北か…
やっぽ~(^O^)/きょうな☆です 今日もさっさとお出かけネタの続きを! 今年もまた笠取峠の松並木にやってきました♪ 紅葉がキレイなのでコレは楽しみ♪ …
まだ日中は暖かいですが本日11月8日は立冬でした。さて、10月に訪れた能勢妙見編の続きです。妙見の森関連事業が12月3日に終了することになっており、それにともないケーブルカーやリフト、野外施設も閉鎖します。↑能勢電鉄・妙見口駅に停車する能勢電鉄5100系5142F妙見口駅からケーブルカーの下の駅(黒川駅)まで歩きます。駅から続く道は「花折(はなおれ)街道」と呼ばれる妙見山への参道で、昔は土産物店や茶店、旅館が立ち並びにぎわっていたそうです。途中の道しるべに「妙見の森・ケーブル」と書かれています。ケーブルとリフトがなくなると妙見山まで公共交通機関はバス・タクシー、あるいは徒歩で登るかです。国道477号線に出てしばらく歩きます。阪急バスのケーブル前バス停も記念に撮影しておきました。ケーブル廃止後は何という停留...妙見口から妙見の森ケーブル・黒川駅へ
野田阪神・大和田街道に沿ってーOsakaMetroまちさんぽ/千日前線 野田阪神駅
結局、8月は歩きに出ていない。例年のことではあるが、いや、例年以上に酷暑が続いていたので無理はしなかった。でも…
秀吉も利休も愛した天下茶屋ーOsakaMetroまちさんぽ/堺筋線 天下茶屋駅
実は、先日の「まちさんぽ」野田阪神駅を歩いたあとに、天下茶屋にも行ってるので報告まで。 以前紀州街道を歩いたと…
さるかに合掌亭:不知火牛の肉団子カレー 今夏も「芦北伽哩街道」を訪れました。熊本県南部地方に夏を呼ぶイベントです。 2023年は芦北町・水俣市の11店舗が参加。このうち5店舗を回りました。 「街道」のパンフレットには、芦北町在住の漫画家・村
日時:令和5年6月1日 06時30分ごろ 住所:京都府舞鶴市蒲江 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:京都府道571号西神崎上東線 ※京都丹後鉄道の中坪踏切付近(東雲駅から北に約1.3km) 動向:由良川方面い移動 ------------------------ 日時:令和5年6月1日 時刻不明 住所:京都府京丹後市峰山町橋木 状況:クマ1頭の目撃情報 ------------------------ 日時:令和5年6月1日...
長尾街道(近鉄河内国分駅〜長尾神社)・・・なんとも冴えないウォーキング②
細くて、蛇行していて、蔵のある家が点在する風景。街道の雰囲気を楽しみながら、のんびり歩く。 河内国分を出てから…
「歴史をひもとく藤沢の資料 7 遠藤地区」(藤沢市文書館)から(その3:「白旗勘定」について)
当初の予定ではこの話題で複数回の記事を書く予定ではなかったのですが、藤沢市文書館の「歴史をひもとく藤沢の資料」の最新刊である「7 遠藤地区」(以下「藤沢の資料」)中で紹介された「遠藤民俗聞書(ききがき)」(1961年・昭和36年 藤沢市教育委員会刊、以下「聞書」、ルビは藤沢市図書館の資料情報に従う)や「遠藤の昔の生活」(1980年 藤沢市教育文化研究所 刊、以下「昔の生活」)の内容を検討するうちに、つい長くなっ...
「歴史をひもとく藤沢の資料 7 遠藤地区」(藤沢市文書館)から(その2)
前回紹介した藤沢市文書館の「歴史をひもとく藤沢の資料」の最新刊である「7 遠藤地区」(以下「藤沢の資料」、別記ない場合は最新刊を指す)について、今回は同書で紹介された「遠藤民俗聞書(ききがき)」(1961年・昭和36年 藤沢市教育委員会刊、以下「聞書」、ルビは藤沢市図書館の資料情報に従う)や「遠藤の昔の生活」(1980年 藤沢市教育文化研究所 刊、以下「昔の生活」)に見られた少し意外な内容について検討してみたい...
「歴史をひもとく藤沢の資料 7 遠藤地区」(藤沢市文書館)から(その1)
このところ毎年1冊のペースで藤沢市文書館から発刊されている「歴史をひもとく藤沢の資料」(以下「藤沢の資料」)のシリーズですが、昨年は長後地区が取り上げられ、私のブログではその中から長後を経由する滝山道について重点的に記事にしました。今年は7巻目として「遠藤地区」が刊行されましたので、早速中身を確認してみました。今回の「藤沢の資料」も同シリーズのこれまでの巻と同様の構成になっています。遠藤地区の資料...
夏びよりの畦町宿をぶらり(福岡県福津市)―観光地化しつつある宿場町の今
久しぶりに唐津街道畦町宿に足を運びました。天気は非常によく、セミはまだ鳴いていませんでしたが、夏日和といったところでした。元々、畦町宿はあまり観光地化されていない場所でした。久しぶりに足を運んだところ、行燈型の街路灯が設置されるなど、若干観光地としての体裁が整ってきたような感じがしました。少し前に屋根が崩壊した「郡屋」は今も変わらず残っています。▲崩壊した屋根トタンが崩れ、中から萱が見えてしまって...
中国街道(阪神大物駅〜阪神西宮駅)① 尼崎駅から再開ではなくて・・・
前回は阪神尼崎駅を終点としたんだが、実は気になることがあって、もう一度大物駅から歩きなおすことに。 大物駅から…
ずいぶん、暖かくなりました。コロナ感染も、少なくなり、なんとか、穏やかな日になって来ました♪今まであまり、外に出て見ようと言う気になれなかったですが、天気の良さに惹かれてちょっと出かけました。
足裏が痛くったって、街道歩きはやめられない・・・靴は大事です!
街道歩きはひとまず置いといて、同じ悩みを持つ人に伝えておきたい。歩いたり、足裏を伸ばしたりすると、じんじんと痛…
下高野街道・・・予習の時間(下高野街道は、高野街道の中でも一番マイナーな街道?!)
京から高野山に向かう場合、陸路であれば京街道、もしくは船で大阪方面に向かい、清水八幡宮を起点に東高野街道で一直…
「栗橋宿」探訪、日光街道唯一の関所があった川の町をめぐる【埼玉・久喜市】
埼玉県久喜市にあった栗橋宿は、日光街道唯一の関所が置かれた町。利根川を越える人馬輸送の舟運が運行されました。関所の歴史をたどりながら旧宿場町を歩きます。栗橋に残る鎌倉時代の伝承地、「静御前の墓」も紹介します。
10月31日五街道といえば徳川家康が整備した江戸時代の主要幹線道だ。京都と江戸をつなぐ東海道と中山道と甲州街道。奥州と江戸をつなぐ奥州街道、江戸から宇都宮まで…
江戸時代にこんな道が!豊後街道は熊本と大分(鶴崎)を結ぶ全長約124km(31里)の主要街道です。参勤交代に多く使われ熊本から鶴崎までは4泊5日を要したそうです。熊本を出発した参勤交代の一行は亡くなった宮本武蔵が甲冑姿で見守る武蔵塚を通過して大津で一泊されます。翌日、街道の中でも難所とされる二重の峠を越え阿蘇へと入ります。 阿蘇へ下ったところにくまモンやキティちゃんが出迎えてくれる駐車場があります。歴史...