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#令話6年能登半島地震に被災された皆さんにお見舞い申し上げます。にほんブログ村 石畳の路地の牡丹が咲いた。 待望のリベンジ北濃もあと2週間を切った。 ランキ…
Karahori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、ワタクシは大阪市中央区にある「空堀」と呼ばれる地域を歩いていました。戦災を受けなかったこの一帯は、「古き良き時代の大阪」を感じることが出来るんですよ。「勝の家」という食堂がありました。今でも営業しているんだったら、なんともすごい風格ですなぁ。空堀界隈を歩いていると、坂道がすごく多く、地形が複雑なことがよくわかります。大阪という町は起伏が少なく、あまり坂道が無いのですが、この界隈は坂道が多いんですよ。一つの理由は大阪市内にある上町台地という台地の西側に位置しているので、全体的に言うと東から西に向かって下っていく斜面になるんです。そこに加えて、かつてこの地域では瓦造りが盛んで、瓦を作るために土が掘られていたそうなんです。そのために凹地があちこちに...坂道-大阪市中央区:空堀
Karahori,ChuoWard,OsakaCityさてさて、今年の正月明け間もない頃、ワタクシは大阪市中央区にある「空堀」というエリアを散策しました。今日からはその時の写真をアップしていきますね。空堀(からほり)の地名の由来なのですが、豊臣秀吉が大坂城の外堀として築いた南惣構(みなみそうがまえ)堀が、水を入れない空堀だったことなのだそうです。空堀は大阪城の南側に位置しており、大阪市の中心部にあります。大阪市の中心部は太平洋戦争で大空襲を受け、多くが消失したのですが、ここ空堀界隈は奇跡的に空襲の被害を逃れたんです。そのおかげで戦前の古い建物、町割りが残っているんですよ。路地の奥に地蔵尊がありました。ワタクシが生まれ育った場所が、ちょうどこんな感じだったんですよ。車が入ってこない狭い路地の奥は、子ども達に...古くて新しい-大阪市中央区:空堀
昇平戲院を見学した私たち、さらに豎崎路を下って行きます途中で彭園という旧臺陽礦業の従業員倶楽部の建物がありましたが、この時は残念ながら公開されていなかったようです坂の上から見えた景色階段を降りて瑞金公路と交わったところに九份遊客中心(ビジターセンター)がありました こちらにはトイレもあるので、便利ですよ~(*^-^*) 今度は豎崎路を登って行きましょう豎崎路の番地のプレート猫出没注意のシー...
ディープ尾道の観光記|昭和ノスタルジーな路地散歩|時を超えてさまよい人になる(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市概 要古くから海運による物流の集散地として栄えた町。 坂の街・文学の街・映画の街として有名な町。 文学では、林芙美子・志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表。 映画では、小津安二郎監督の東京物語、大林宣彦監督の
ディープ尾道の観光記|昭和ノスタルジーな路地散歩|時を超えてさまよい人になる(広島県尾道市)
所在地広島県尾道市概 要古くから海運による物流の集散地として栄えた町。 坂の街・文学の街・映画の街として有名な町。 文学では、林芙美子・志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表。 映画では、小津安二郎監督の東京物語、大林宣彦監督の
諸条件によって異なるけど、町で写真を撮れば一日あたり大体300〜400枚以上の写真を撮る。土沢の町の写真も累計でいえば軽く千枚以上はあると思う。何のために撮るのか。正直、何のためということはない。ただ好きだから撮る。上原師匠は「可能であれば全部持ち帰りたいけど、それは無理なので写真に撮って持ち帰る」と仰っていた。僕は元々、昆虫採集の延長に写真撮影があると思っていたので、その言葉に激しくうなずいた。網で昆虫を取るように、レンズで写真を撮る。表現の違いはあれど、同じことだと思う。さて、一つの町で長い期間、写真を撮り続けることが増えた。町の中の特徴的な建物や施設が失くなっていく様もリアルタイムで見てきたし、これからも見ていくだろう。その町を離れた人から、「懐かしい」というコメントやメールを頂くこともある。大抵は...土沢AGAIN(終)〜記憶の管財人になりたい
AGAINどころか、もう何度目か分からない土沢の町である。実は丹内山神社(2日前に掲載)は、土沢の町から近い場所にあった。距離的には8〜9kmしかなく、クルマで行けば10分と掛からない。田舎の論理でいえば、目と鼻の先、否、同じ場所と言っても良いだろう。そんなわけで当然、帰りに土沢の町も歩いてみた。参拝以外は何もする予定はなかったけど、何だか急に忙しくなった。神様が、「お前はもう一度、土沢の町を歩け。そして町歩きを続けろ」と言ってくれているのかもしれない。僕は「東北コンプリート」と称し、東北六県の全ての市町村(旧市町村単位)で写真を撮ることを目指している。これまでに実に多くの町を歩いてきた。それぞれの県に、それぞれの特色があり、どの町が良いのかは簡単には言えない。断言できるのは、町の濃度で言えば岩手県の町が...土沢AGAIN①〜もう一度歩け
「建物インパクト」シリーズ、2回めにして最終回。今回は工場である。何の工場かといえば、路線バスの整備工場であり、しかも現役工場である。それにしては年季の入り方が違うと驚く。戦後すぐとは言わないまでも、「仮面ライダー」、否「明日のジョー」くらいの時代感に見える。正面側に廻れば多少は内部を除くことも出来ると思う。でもこういうものは、謎のままにした方が楽しいに決まっている。また街中でインパクトのある建物を見つけたら掲載したいと思う。LEICAM10MONOCHROME/SummicronM35mmASPH建物インパクト②〜工場の場合
名所旧跡でもなければ、文化財でもない。それでも何故か強烈なインパクトを残す建物がある。町で見つけたそんな建物をモノクロで撮ってみる。シリーズというほどではないけど、今日明日の2回掲載しようと思う。まずは元は商店だった建物である。現役世代の頃は知らない。でも今でも店舗の前にはタバコの自動販売機が置かれ、それはまさかの稼働中だった。この建物はカラーでも素晴らしい色をしている。それは色というより、積み重ねてきた年月が折なす彩の化粧という方がぴったりくる。もちろんモノクロで撮っても凄い。この迫力に気圧されつつ、いつも僕は撮影している。午後の光を浴びて、色濃い影を織りなす建物。生半可な気持ちでは対峙できない。キリスト看板が異様な存在感を発揮している。「さばきにあう」。さばきハウスと密かに呼んでいることは秘密にしてお...建物インパクト①〜商店の場合
僕は小学生の時に写真を撮り始めた。中学生からは父の一眼レフを使い、写真の基本を学んだ。高校生になると自分のカメラを手に入れて、モノクロフィルムの現像引き延ばしを行うようになった。写真狂の少年だったと思う。ところが、東京の大学に入り上京すると、全く写真を撮ることはなくなった。少年野球をやっていた子が、いつしかバットとグローブを手放すように、僕はカメラを手放した。その後、就職しても写真を撮ることはなかった。どうしてもという時は「写ルンです」を使っていた。その状況が変わったのは、転職で京都の会社で働くようになってからだ。京都には多くの中古カメラ屋さんがあった。通りを歩くと、ショーウィンドーに多くのカメラが飾られていた。日々それを眺めるうちに、いつの間にか欲しくなり、中古でEOSの安いフィルム一眼レフを買うことに...京都に還る③~2ndDay:至福の刻
今日の写真は、要するに錦市場に朝食を食べに行った写真である。宿泊するホテルは烏丸の中心地を選んだ。最初の朝の朝食は、錦市場まで歩いて食べに行った(次の日はホテル内のスタバで済ませた)。京都に住んでいても、錦市場を毎日の買い物に使う人はそういないと思う。でも時折ということであれば多くの人が使う。我々も休日などに錦市場で買い物をしていた。惣菜とか野菜とかがメインだった。だし巻き卵もよく買った。家人は大きな松茸が格安で売っていたことが衝撃的だったようで、季節になると松茸を探していた。観光客となった今回は夕食の材料を買うことはない。その替わり、朝食を食べた。これは京都在住時にはやったことがないことだ。さて、ホテルから錦市場までは歩いて500mほどだろうか。市場に着くまでに50枚以上の写真を撮り、市場のなかで150...京都に還る②〜2ndDay:市場での朝食
京都を離れ、秋田県に移住したのは18年前のことになる。あれからもう18年も経過した。俄には信じられない思いでいる。その間に色々なことがあった。色々なものが変化した。手に入れたものもあれば、失ったものもある。これから手に入れるものもあれば、これから失うものもある。要するにそれが人生だ。この18年間、一度も京都には行っていない。今回、二泊三日という短い日程ではあるが、18年の時を隔てて京都に出かけてきた。リアル浦島太郎である。今回の旅の目的は、①結婚25周年の記念、②切実に望むことを祈願すること、だった。正直、楽しいだけの旅ではない。それでも旅は旅。何日かに渡って掲載したい。一応、若干の説明をしておくと、日にちごとに「ざっくり」としたテーマに分けて掲載する。最終日はほぼ移動だけなので振り返りとなるかもしれない...京都に還る①〜1stDay:18年越しの光景
僕は何度も同じ町を歩く。最初のうちは、新しい何かを探したり、足を踏み入れたことのない場所を目指す。それがひと段落すると、ルート選定や周遊時間は思考を経ずに勝手に設定されるようになる。丁度、犬のパトロールと同様に、決まった場所を巡回するのである。犬が電柱にオシッコを掛ける代わりに、僕は写真を撮るのである。いつも同じような写真ばかり撮ることになるので、たまには変化をつけようと思いつつ、何故か同じことを繰り返している。そのパトロールを十年以上続けている町も数多くある。町は変化を繰り返す。東北の田舎町の場合、新しい店や建物が出来ることは稀である。大抵の場合、店が廃業したり建物が解体されたり、荒んだ建物が更に荒れることになる。変わらぬ何かを発見して安心したり、次に来るときは存在しないかもしれない何かに別れ難い想いを...朝市の町を歩く(終)~犬のパトロール
ジャズ喫茶ミカがあった五城目の町である。僕はここに定期的に来て、写真を撮りながら町を歩く。毎月の末尾に「2,5,7,0」のつく日に朝市が開催され、古くから多くの人で賑わう。暫くはコロナ禍で縮小されていたが、最近復活したと聞き久しぶりに訪れた。あれ?、復活どころか更に縮小している。朝市開催日が日曜日に当たる場合、「朝市プラス」として拡大開催されているそうなので、通常の朝市では出店が少ないのかもそれない。土曜日のこの日は、数えるほどしか店が出ていなかった。まあ勝手知ったる五城目の町なので、朝市の開催とは無関係に歩いてみよう。レンジファインダーカメラとか、モノクロ撮影にはピッタリの町である。もう一回続きます。LEICAM10MONOCHROME/SummicronM35mmASPH朝市の町を歩く①〜小さな朝市を横目に
青森(むつ市)に行ったのは、9月最初の連休だった。随分と昔のことのように思える。あの時は日本中が猛暑だった。既に東北では猛暑は昔のこと、朝晩は冷え込む日も多くなった。これからの季節はモノクロ日和になると思う。真夏にはモノクロでうまく撮れず、忸怩たる思いがあった。ライカを持ち出す機会も減っていた。これからモノクロ写真を思う存分に撮りたいものだ。ちなみに、この写真は真夏にうまく撮れず、ボツにした写真だ。LEICAM10MONOCHROME/SUMMILUXM50mmASPHモノクロシーズンがやって来る
一時期はホームグラウンドのように通っていた東鳴子温泉。今では通過する際に立ち寄る程度。随分とご無沙汰している感がある。今回も所用で近くを通ったので、立ち寄った。滞在時間わずか10分。その間に歩いて撮った写真である。散々見知った狭い町にも関わらず、久しぶりに味わう高揚感。時間が限られることは悪いことばかりではない。写真の「いさぜん旅館」はお気に入りの旅館である。初めて泊まったときに居心地が良すぎてもう一泊延泊した。次の日は早朝に出発して秋田県まで戻り、会社に出社した。宿主は何故か阪神タイガースのファンで、お風呂の椅子は阪神カラーに塗ってある。きっと現在はご機嫌がよろしいことだろう。またいつの日か、泊まりたいと思う。LEICAM10MONOCHROME/SUMMILUXM50mmASPH懐かしの東鳴子温泉
宮城県某所にて。パン屋さんなのだろう。道路に面して珈琲などのテイクアウト受け取り口が併設されている。昭和の日本的スタバである。もう営業はしていないようだった。どんな珈琲を出していたのだろうか。誰が作っていたのだろうか。こういう店が現役のまま残っていれば、万難排して利用したい。スタバで珈琲を飲めない日は暫くやってこないだろうけど、こういう店の絶滅は近い。GRⅢ魅惑の珈琲売り場
終着駅への旅。その帰路編の最終回ということは、つまりはこの旅の最終回を意味する。勿論、旅は家に着くまでは続くし、家に着いてから写真を整理したり反芻する時間も広義には「旅」といえるかもしれない。でもまあ、今回で実質的に終わりである。旅の最終地点というか、最後に立ち寄ったのは「青森市」である。なんだかんだいって、何かあると僕は青森を目指している。高校生の頃、稚内を鉄道で目指す旅にチャレンジし,、そして失敗している。その最終地点も青森だった。いつの日か、何十年越しの旅を再開したいと思っている。青森は終点の地であると同時に再出発の地でもある。終着駅というのは、見方を変えれば始発駅でもある。全ては表裏一体。しばらく一人旅は出来ないと思うけど、青森よ、またいつの日か。日常に戻ります。終わり。X-PRO3/XF23mm...終着駅への旅(終)~すべては青森に通ず
最北の繁華街の夜は明けた。翌朝は、まずJR大湊線で野辺地駅まで移動する。そこから「青い森鉄道」で青森駅まで向かうことになる。乗り換え時間を利用して、野辺地駅前を散策した。実は野辺地町自体には以前にも来たことがある。近くの温泉旅館に泊まった。大間のマグロが出ると聞いて、楽しみにしていた。だが実際に出てきたマグロの刺身は、それ以上は不可能なほど細かくカットされていた。キャラメルの包みくらいの大きさに角切りされていた。(マグロをそんなに細かくカットする技術には驚いたが・・・)。マグロの入荷に問題が生じたのか、コストカットだったのか、理由はよく分からない。でも僕は野辺地と聞くと、あの小さなマグロ刺身を思い出す(ちなみに現在は普通の大きなマグロ刺身が出るようです)。昨夜、田名部の繁華街で食べたマグロの刺し身は絶品だ...終着駅への旅、帰路編①~野辺地の町
旅の夜は楽しむことにしている。酒だって飲む。でも以前と比べれば圧倒的に量は少ない。今回の総酒量は、2合相当+αくらいだろうか。全然足りない。当然もっと飲みたいが、これを現状の限界値としている。一軒目で生ビール(中)1杯、日本酒グラス1杯(多分90cc)。それだけで次の店に行く。こんな芸当は以前は出来なかった。二軒目では日本酒飲み比べセット(3杯で90〜120cc)、トマトチューハイ。うん寂しい。寂しいけれど、こうやって外で酒が飲めるようになったことを喜ぼう。最北の繁華街では、マグロもホタテも焼き鳥も旨かった。最後の写真の時計が午後10時半になっているが、多分これは止まっている。実際には午後8時頃には部屋に戻った。たったそれだけの夜だ。それだけの夜が楽しいのだから始末に負えない。帰りがけに、夕方出会った猫に...終着駅を目指す旅④〜旅の終わり
本州最北の終着駅である大湊駅に到着して、最低限の目標は果たした。ぬめっとした町並みはそれなりに見応えがあった。でもその終着駅で、不快な出来事があった。折角の旅にケチを付けたくないので飲み込んだものの、割り切れぬ気持ちを抱えたまま宿泊先のホテルに移動した。ここまでが前回。ホテルにチェックインし、気持ちと身体を整えるために暫しの休憩を取った。そして気分を新たにし本州最北端の繁華街に出撃した。ところが悪いことは続く。今度は道中でクルマに轢かれそうになった。僕は飛び跳ねて奇跡的に回避したが、まさに轢かれる寸前であった。尻もちをつき、心臓がギューンと収縮した。あろうことか運転手は軽く会釈だけして立ち去ろうする。激昂した僕はクルマを停めて、運転手を問い詰めた。もはや胸ぐらの掴み合いや揉み合い位は辞さぬ覚悟だった。たが...終着駅を目指す旅③〜本州最北の繁華街と猫
本州最北の地といえば、何となく「津軽海峡竜飛岬」というイメージがある。実際には、下北半島の大間町(まぐろで有名)が本州最北の地である。同様に本州最北の駅関係も下北半島にある。JR大湊線の「大湊駅」が本州最北の終着駅となる。これが本州最北の駅であればドラマチックなのだが、残念なことに(?)一つ手前にある「下北駅」の方が僅かに北側にあるそうだ。つまり本州最北の駅は「下北駅」である。ちなみに、かつては津軽半島の竜飛岬の直下に「竜飛海底駅」があり、それが本当の最北の駅だった。同駅は2014年に廃止されてしまった。さて、やっとの思いで到着した大湊駅。実はここでJR駅員の対応に憤慨することがあり、僕は危うく爆発しそうになった。旅にケチをつけたくないので、理性を保った。大きな傾向として、我が秋田県もそうだが、青森県も役...終着駅を目指す旅②〜本州最北端の終着駅に到着
登米市最後の町として残っていた旧・豊里町である。北上川、旧北上川、迫川という3つの川に囲まれた町ということだ。もうこの辺りは町の坩堝のようなところで、どこがどの町なのか地図と比べないと分からない。川を南に渡れば石巻市だし、東に行けば南三陸町。北西に行けば栗原市だって近い。つまり周辺の町を訪ねるためには、同じ町を何回も何回も通過する。初めての町なのに、そんな気がしない(笑)。新鮮味もない。でもいざ町を歩けば、嗚呼ここは初めての町だと、身体と視神経が覚えているので我ながら驚く。まだ石巻市の旧4町が残っているので、この周辺を何度も来ることになるだろう。早く宮城コンプリートをして、お気に入りの町の再訪を楽しみたいものだ。LEICAM10MONOCHROME/SummicronM35mmASPH久々に町を歩いた!〜(終)何度も通った最後の町
秋田県に住み始めて15年以上になる。気候にも大分慣れた。暑さに対する耐性も、普通の秋田県民並みになった。全国標準からすると脆弱な耐性である。だから今年の夏は堪える。そもそも秋田県では、お盆を過ぎると急速に気温が低くなる。昼間はエコアンが必須だけど、就寝時は何とかなる。エアコンがないと眠れない夜は、年間を通じて数日しかない。だから寝室にエアコンをつけていない家も多い。しかし今年は例外である。どの家でも稼働率の低かったエコアンをフル稼働させている。その影響でエアコンの故障という大惨事があちこちで発生している。8月後半になっても37度とか考えられない猛暑が続く。他にも諸事情があるのだが、町歩きをしていない一因は、この暑さである。少し前に(ウニ飯を食べた帰り)立ち寄った能代の町は、からからに乾いていた。これでは歩...からからに乾いた街は歩きたくない
イアのカフェやおみやげ【観光ポイント】皆さん、こんにちは!世界一周トラベラーのGreenです。今回は実際に僕がサントリーニ島のイアを観光した時の、まちの様子を紹介していきます。メインストリートを散策Nikolaou Nomikou通りイアに
秋田県では昨日から竿灯まつりが始まっている。残念ながら今年は行く予定はない。7月の豪雨被害から一転、真夏の晴れの舞台が待っている。会場からほど近い繁華街の川反。連日の真夏日に、街自体が疲弊しているように見えた。そう見えるのは、家のエアコンが故障して、僕自身が疲弊しているからだろうか。X-H2/XF10-24mmF4ROIS夏の午后、疲弊した町
釜石鉱山事務所へ行った際、帰りに遠野に立ち寄った。実は釜石と遠野は隣り合っている。釜石自動車道(大部分は無料)に乗れば、すぐに遠野に着く。ここで軽めの昼食を取り、少し歩いて写真を撮った。ここではライカを使った。市街地と郊外では事情が異なるが、遠野は目の色を変えて撮影する街ではない。レンジファインダーとか、二眼レフで撮影すると楽しい街である。二眼レフからは撤退したので、モノクロライカと相成った。そういえば最近は、僕のライカも安定しており、修理やメンテに出すことも無くなった。以前は何故か長期休みの少し前になると、何かと修理(メンテ)の必要が出てくることが多かった。長期休みまでに間に合うのか、やきもきした。ライカカメラジャパンの資本関係については詳しく知らないが、実はその対応はかなりハートフルである。「長期休み...遠野をモノクロで撮る
写真は秋田県美郷町の六郷地区。最近は諸々の雑事とか、イレギュラーなトラブルが続いて、写真撮影は低調になっている。とはいえ昨年のことを思えば、些細なことだ。とにかく昨年の夏は最悪だった。昨年の6月に青森に行った。骨折からの完全復帰を目指し歩きまくった。帰宅後、左足が腫れあがった。病院に行くと、尿酸値が高いので痛風の疑いがあると診断された(骨折後の単なる炎症だったと思う。現在は服薬や治療は終了した)。8月には新潟に行った。旅の途中で調子が悪くなり、診察を受ければ心房細動になった。あれからほぼ1年経ったことは感慨深い。。写真が低調なのは、昨夏の悪夢を払拭できないことが原因だ。必要以上に恐れず、過度に楽観視せずに生活したいものだ。夏は短い。後悔しないように写真を撮りまくりたい。追伸:新たなカンフル剤が近々届きます...夏が来れば思い出す
この町は決して過疎化した町ではない。少し離れた所には比較的大きな繁華街(飲み屋街)もあるし、商店が集まった他の場所もある。クルマの往来だって多い。でもこの一角だけは様子が違う。結構大きな規模の商店街である。数百メートルもある大通りに沿って、数多くの商店が軒を連ねる。だが・・・。その殆どが廃業しているのである。多分8割以上の店が廃業している。営業している店は数える程しかない。地方のアーケード商店街では、シャッター通りとなっていることは珍しくない。でもこのように大通りに沿って展開する商店街では稀有なパターンである。あたかも商店街の幻を見るようだった。狐に摘まれたような気分で町を後にした。後日、どうしてこうなったのか、調べてみたい。LEICAM10MONOCHROME/Tartisan28mmF5.6商店街の幻を見た
久しぶりに東北コンプリートの話である。次の目標は「宮城コンプリート」で、年内は無理でも来春までには達成しようと思っている。宮城県の旧市町村数(平成の大合併前)は、71市町村である。このうち既に写真を撮った市町村は52で、進捗率は70%を超えた。残りは19市町村である。最大の難関は4市(石巻市、登米市、栗原市、大崎市)の攻略だった。この4市だけで旧市町村数が33もある。最近はかなり進み、残るは石巻市と登米市の7町のみとなった。宮城県は東北の他の県よりも都市型であり、強烈な個性を持った町はどうしても少ない。それでも何度となく徘徊していると発見もある。今回の写真は栗原市の旧・若柳町である。廃線となった栗原電鉄の駅舎を訪ねて割と初期に訪問済みだった。それで分かった気になっていた。多分写真の場所が中心部だと思うけど...宮城の町を徘徊している
王将飲食店街は、宮城県の気仙沼市にある。気仙沼は立地条件も歴史も文化も、ほぼ「岩手県」に属している。僕が気仙沼に行く際は国道284号線を使う。284号線は、ずっと岩手県内陸を走る。太平洋に突き当たると、そこが宮城県の気仙沼市である。更に国道は北上するが、再び岩手県の陸前高田市に入る。街道は文化経済圏そのものでもあり、全てが岩手県であっても疑問を感じない。別に岩手県に肩入れしているわけではない(笑)。そうなった歴史的な経緯も認識している。単に感覚の話だ。本当のことをいえば、気仙沼には「ウニ」を食べに行った。この時期、気仙沼大島は「ウニ」目当ての観光客で賑わう。ところが今年はウニが不漁で、ウニ丼を食べることができなかった。土産用に幾つかのウニを買って帰るだけとなってしまった。気仙沼では普通の海鮮丼を食べ、太田...千厩スタンダード
宮城県気仙沼市、太田地区にある王将飲食店街。誰が呼んだのか、ここを太田租界というらしい。港から陸に上がった海の男たちの特区、そんな位置付けの町だった。もちろん正確にいえば、ここには治外法権も行政自治権も存在しない。だから租界ではない。彼らの主戦場である大海原では板一枚下は深い海で、地獄に直結していた。その日常から解き放たれるという意味で、租界的な意味を持っていたのかもしれない。下記リンクを参照頂ければ幸いだが、ここに初めて来たのは2017年のことだった。その時点で廃墟同然の佇まいだった。それでも営業を続けている店が2軒ほど存在していたし、実際にその店主と話をすることも出来た。それが数年前には営業を継続する店舗は消滅し、王将飲食店街の歴史は幕を閉じた。当時の写真を改めて見ると、営業していた店が存在していたこ...つわものどもが夢の跡①〜モノクロ編
先週は所用で山形市内まで行ってきた。業務用途で購入した品物の受け取りが目的で、フリーな時間は殆ど無かった。そんな中、気になって立ち寄った場所がある。山形市の繁華街のど真ん中に、誰もが手をつけずに忘れ去られたかのような一角がある。木塀と砂利道の狭いクランク。車も侵入できな細い小路である。ここだけ昭和30年代そのままのような雰囲気である。以前来た時と変わらぬ姿で安心した。LEICAM10MONOCHROME/SUMMILUXM50mmASPH取り残された路地裏
そんな訳で函館の短い旅は始まった。函館駅前の飲屋小路を歩き、路面電車に乗る。これだけで旅の目的は果たしたも同然だ。今回の旅では35ミリレンズを付けたライカ、そしてGRⅢのみを持ってきた。iPhoneはあるけど、PCやタブレットは持参しなかった。いつもクルマで移動していたので、どうしても物量主義に陥っていた。旅は身軽に限る。路面電車でベタなスポットに移動しよう。※やはり不安になってJupiter8(50mm)をこっそりバッグに忍ばせたことは伏せる。LEICAM10MONOCHROME/SummicronM35mmASPH函館トリップ①~路地裏から始まる短い旅
福島の旅の番外編。酔っ払ったので富士のミラーレスカメラは仕舞い、小さなコンデジGRⅢを片手にホテルに戻ろうとしていた。設定も適切ではなく、殆どのショットが手振れ(被写体ブレ)を起こしていた。これだけは何故かOKだった。しかも通り過ぎる刹那、奥にいる店員らしき人と、手前の客2人の姿を見た。それが見た通りに写っていた。酔っ払いのベストショットとしたい。追伸:一般的なベストショットとは異なる。旅としての個人的ベストショットであり、写真の質とは別の話である。GRⅢ(番外編)この旅のベストショット
今日の写真は旧・保原町(伊達市)のものである。まだ幾つかの町の写真が残っているが、今回はここで福島シリーズを終わりにしたい。保原町という町のことは知らなかった。こういう機会がなければ一生訪れることのない町だったかもしれない。僕は縁があって訪れることになったが、多くの人にとって一生訪れることのない町であることに変わりはない。僕はこういう町が好きだ。ここはモノクロで撮ろう、着いた瞬間にそう思った。ところで今回の福島の旅で廻った市町村は8つである。①本宮市、②旧・二本松市(二本松市)、③旧・安達町(二本松市)、④旧・福島市(福島市)、⑤旧・伊達町(伊達市)、⑥旧・保原町(伊達市)、⑦桑折町、⑧国見町である。実際のところ物理的な移動は大したことない。むしろ頭の方が付いていかなかった。今回の伊達市も5町が合併したも...Hello福島(終)〜一生訪れることのない町
生ビール(中2+小1)、中といってもピルスナーグラスなので実質容量は300mlと思う。まあ言ってみれば350ml缶を二つ分くらいである。これが居酒屋で飲んだビールの量だ。これまでであれば、ホテルの部屋でウォーミングアップで飲んでいた程度の量だ。でもこれは僕にとっては歴史的な一歩だ。日本酒に行きたいところも、ぐっと我慢した。たまの旅先の飲酒がこれで終わるのであれば、むしろ健康に良いくらいの話だと思う。実際にはこれでは終わらない(終わるわけがない)。ジャズ喫茶でワインとジントニックを2杯づつ飲んだ。まあこれで辞めなきゃと考え、締めのラーメンなんかも回避した。そんな夜だった。え?写真の解説?。今回は一切ありません。人生には写真よりも大切なことだってあるのだから。この時、酒を飲むことは写真よりも大切だったのである...Hello福島③〜写真よりも大切な夜
さあ、いきなり福島市内の繁華街である。二本松を出てから安達町を経由して福島市のホテルに入った。安達町の写真は今回は掲載しない。夜(まだ明るいけど)の繁華街を歩くのは久しぶりである。この場所は福島新町というらしい。路地を挟んで似たような形状の二階建てのビルが何棟も建っていて、それが一つの長細い建物のように見えている。ビルの一階部分には、同じ間口の飲食店の入り口が並んでいる。2階は座敷にでもなっているのか、あるいは店主の住居なのかもしれない。実際のところ辺りは清潔なのだが、どこか懐かしい猥雑な香りがする。正直、好物だ。しかし結論を言うと、ここでは納得いく撮影は出来なかった。それ故、当初の予定を変えて、RAWファイルからモノクロ変換した。この際、上手下手はどうでも良いとしても、眼の前にある情感豊かな光景を全く写...Hello福島②〜モノクロームの繁華街
福島の旅は、本宮映画劇場に行くことから始まった(一昨日掲載済み)。その後、二本松市を経由して宿を取った福島市内に入った。今回の旅程で、二本松に行くことは初めから決めていた。前職時代、京都から全国各地に出張した。僕は本社からの出張なので、担当営業所の営業が同行することが多かった。その一人にW君という後輩がいた。一時期は二人のコンビで、本当に色々な所に行った。僕らはまだ若く、仕事も懸命にしたけど、終わった後の飲み会にも負けないくらい力を入れた。W君は直販営業では圧倒的な成績を収めていたけど、法人営業に移ってからは苦労をしていた。出張旅費や経費の精算が滞って、上司から大目玉を喰らうことも一度や二度ではなかった。出張先の飲み会では、そんなW君の愚痴もよく聞いてあげた。そのW君の実家は二本松にあった。仕事で福島市内...Hello福島①〜誰かの二本松
GW期間中は前半に長野方面(渋温泉)に行った。戻ってからは所用が重なり、遠出も写真撮影も殆どできなかった。これは4月前半に行った宮城県の旧・鹿島台町(古川市)の写真である。掲載し忘れたことを後で気付いていたけど、まあ大した写真でもないので、そのまま放置していた。それを改めて眺めてみた。GWには殆ど町歩きをできなかったので、嗚呼歩きたいと心の底から思った。LEICAM10MONOCHROME/SummicronM35mmASPH嗚呼、歩きたい
GW写真の残り物。渋温泉からの帰り道に直江津に立ち寄った。上越高田の雁木通りが当初の希望だった。帰路の時間制約のなかで高田の町並みを歩くのは、(いつも)困難である。居ても立ってもいられない焦燥感だけが募る。だから今回は、同じ上越市の直江津に行った。直江津は海沿いの町である。町歩きが出来なくても、海鮮丼なんかを食べることが出来ると思った。そして実際には、渋いラーメン店を見つけてそこに入ったことは数日前の記事に書いた通りである。さて、直江津の町だけど、やはりここは新潟だと痛感した。町が茶色くて、鉄の錆分がたっぷりだ(褒め言葉です)。鉄分不足の心配はない。短い旅なので散漫にならないよう、今回はフジフィルムのカメラ(+GRⅢ)だけを持っていった。レンズも最小本数の替えだけだ。RAWファイルの設定忘れで、ほぼクラシ...錆色の直江津で旅は終わる
三度目の渋温泉。夜の散策も三度目となる。一度目は空いていて(15%)、二度目は人出がいっぱい(110%)、そして三度目はそこそこ(30%)といったところだと思う。今回は短めの散策であり、射的なども行かなかった。外湯も入らなかった。それでも暖色の明かりが灯る夜の温泉街を歩くだけで楽しい。スタンドバーが出来ていたので、クラフトビールなんかも頂いた。そして8枚目の写真は、僕が泊まる「金具屋」のライトアップを見る人達。その真上に僕の部屋はあった。9〜10枚目は部屋に戻って窓から撮った写真である。次の機会はないかもしれないので、もう少し楽しんでおけば良かったかもしれない。さらば渋温泉。X-PRO3/XF23mmF1.4R温泉迷宮・渋温泉(終)〜夜の帳
夕刻近い頃、渋温泉の路地裏を歩いた。遠くで子ども達が遊ぶ声がする。「通りゃんせ」を歌っているかもしれない、と耳を澄ます。勿論、今どきの子供は「通りゃんせ」を歌わない。でもこの場に佇むと、そのメロディーが木霊するような錯覚を覚える。本当にこの路地を通って良いのだろうか、これは一般に解放されているのだろうか。秘密めいた路地を歩く罪悪感にも似た疼き。嗚呼、渋温泉は最高だ。X-PRO3/XF23mmF1.4R温泉迷宮・渋温泉②〜ここはどこの細道じゃ
三度目となった渋温泉。当然ながら路地を彷徨する。この日は午後5時半より金具屋旅館の館内ツアーがある。温泉街歩きの時間は限られている。GW(中日だけど)期間ということを考えれば、想定よりも人出は少なかった。町並みは5年前に来たときと殆ど変わらない。町並みに対する興奮、どんどん次に進みたい高揚感、迫りくる時間への焦燥、様々なものが入り混じっていた。この場所を歩いていると、路地を一本曲がったところから異世界へ迷い込むのではないか、そんな気分にさせられる。更に奥にいけば、ここが元にいた正しい世界なのかどうか確信が持てなくなる。まさに迷宮。何度来ても、このワクワク感は続いている。追伸:通常はカメラの撮影設定を「jpeg+Raw」にしている。後で気づいたのだが、今回は何故か「jpeg」のみでの記録になっていた。あとで...温泉迷宮・渋温泉①〜迷宮へのボーダーライン
【洋食】元町中華街の路地にある洋食屋双平。日曜日も営業してるので行って来ました。エビフライとミンチとトンカツの定食1,100円!!
建民ダイニングの休日のランチを目当てにコナミスポーツクラブ帰りに行きましたがちょうど14時になったところでランチの受付終了。仕方なく検索して、前から気になってた洋食屋双平へ。揚げ物がメインの洋食屋さん。前に文化定食を食べたみゆきのすぐ前。田