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大した内容のない中途半端な能書きを垂れている今回のシリーズ(二作)も終わりとなる。要は商店街の一定範囲を往復する30分ほどの時間に、写真を撮りながら思ったカメラの設定の話である。極論すればどちらでも良い事柄である。そのどちらでも良い事柄を重大事のように語るのが写真ファンのお約束ムーブだ。以下、とくに役にも立たないので、読まなくても問題ありません。X-H2では、フィルムシミュレーション「クラシックネガ」は殆ど使ったことがなかった。本格的に使うのは今回が初めてだ。同じクラシックネガでも、X-PRO3の描写とは異なる部分もある。センサーが違うから当たり前ではある。中判のGシリーズで撮るクラシックネガを見ると、X-PRO3と比べ余裕のある描写で驚いたことがある。それに比べれると、PRO3の描写はピーキーになる。X...地方都市の旧市街(終)~クラシックネガに戻る
旅の夜は楽しむことにしている。酒だって飲む。でも以前と比べれば圧倒的に量は少ない。今回の総酒量は、2合相当+αくらいだろうか。全然足りない。当然もっと飲みたいが、これを現状の限界値としている。一軒目で生ビール(中)1杯、日本酒グラス1杯(多分90cc)。それだけで次の店に行く。こんな芸当は以前は出来なかった。二軒目では日本酒飲み比べセット(3杯で90〜120cc)、トマトチューハイ。うん寂しい。寂しいけれど、こうやって外で酒が飲めるようになったことを喜ぼう。最北の繁華街では、マグロもホタテも焼き鳥も旨かった。最後の写真の時計が午後10時半になっているが、多分これは止まっている。実際には午後8時頃には部屋に戻った。たったそれだけの夜だ。それだけの夜が楽しいのだから始末に負えない。帰りがけに、夕方出会った猫に...終着駅を目指す旅④〜旅の終わり
秋田県に住み始めて15年以上になる。気候にも大分慣れた。暑さに対する耐性も、普通の秋田県民並みになった。全国標準からすると脆弱な耐性である。だから今年の夏は堪える。そもそも秋田県では、お盆を過ぎると急速に気温が低くなる。昼間はエコアンが必須だけど、就寝時は何とかなる。エアコンがないと眠れない夜は、年間を通じて数日しかない。だから寝室にエアコンをつけていない家も多い。しかし今年は例外である。どの家でも稼働率の低かったエコアンをフル稼働させている。その影響でエアコンの故障という大惨事があちこちで発生している。8月後半になっても37度とか考えられない猛暑が続く。他にも諸事情があるのだが、町歩きをしていない一因は、この暑さである。少し前に(ウニ飯を食べた帰り)立ち寄った能代の町は、からからに乾いていた。これでは歩...からからに乾いた街は歩きたくない
僕は西伊豆にある海沿いの町で生まれ育った。西伊豆には鉄道が通っていない。海の背後には山が連なり、隣の町に行くのには山を越えなければならなかった。小学生の僕にとって、自力で山を越えることは困難だった。だから僕はしょっちゅう海を眺めて、この海が世界中と繋がっているんだと自分に言い聞かせていた。そんな小さな町で起こった出来事の想い出をひとつ。小学生の一時期、僕は柔道を習いに行っていた。あまりに細くて華奢であることを心配した両親が、知り合いの柔道場に僕を送り込んだのだ。平日の夕方、週に2回ほど道場に通った。道場には近所のT君と一緒に歩いて通っていた。海沿いにある松林の公園を抜けて道場に通う。帰る頃になると辺りは真っ暗で、天気の良い日は頭上を見上げると満点の星空が広がっていたものだ。そんなある日、僕とT君はいつもの...松ぼっくりとUFO(実話)
何回も行っている山形県某所のキャバレーロンドン跡。外観の写真を撮るわけであって、内部の写真はこれまで撮ったことはない。当たり前だが内部には侵入しないことにしている。ところが今回、下で写真を撮っていると、建物の内部で何か音がする。覗いてみれば扉が開いている。もしかしたら解体に向けて準備をしているのかもしれない。それであれば許可を得ようと声を掛けてみた。ガサガサ!!と大きな音がして腰が抜けるほどビビった。それは中にいた猫で、その猫が猛烈な勢いで逃げていった。この店の嬢ではないようだ。そんなわけで猫が去った後の内部を少しだけ覗かせて貰った。初めて入ったキャバレーロンドンには誰も居なかった。ツワモノドモが夢の跡。入り口に蝶ネクタイのボーイが立ち(多分)、千鳥足のお父さんが「飲み放題」の張り紙を見て、派手な壁紙の奥...キャバレー・ロンドンの室内〜ツワモノドモが夢の跡
本当は別の記事を用意していた。あまりに平和な内容だったので、急遽差し替えた。一昨日の夜から秋田県では大雨が降り続いている。場所によっては7月の平均月間降雨量を超える雨が、わずか一日で降ったそうだ。河川の氾濫や家屋への浸水などの被害も出ている。JRA秋田駅東口は広範囲に渡り浸水しているし、僕が心房細動の手術を受けた秋田大学付属病院は緊急患者の受け入れを停止したそうだ(病院自体には浸水被害はない)。僕自身の状況ですが、全く無事で特に変わりもない。不思議なことに雨の通り道の境に位置したようで、それほどの大雨でもなかった。それでも雨は地味にずっと降り続いているし、時折は叩きつけるような雨量になることもあるけど、災害レベルではない。わずか十数キロの差で大雨の地区もあるので、本当に分からないものだ。要約すると秋田市を...秋田県の大雨被害について
釜石鉱山事務所では立ち入り禁止部分を除いて、屋外も見学することが出来る。坑道などには近づけないけど、結構ワクワクする。歩き廻りながら、もし僕がその時代に生まれ、鉱山技師だったらと考える。まあ鉱山技師になりたいと考えたこともないし、根っからの文系人間なので、その素養もないのだが・・・。鉛筆を握り製図盤をと睨めっこしている自分。現場で坑道のトンネル壁をハンマーで叩いて地質を確認する自分。新しい坑道の採掘計画書を書くのに徹夜する自分。そういう人生もあるのだなと思う。ちなみに自分が鉱山労働者となって地下で働く様子も想像することもある。薬缶の口から直接水を飲む。作業が終わって風呂に入り煤を洗い流す。住宅に戻り冷えたビール(あるのか?)をグッと飲み干す。給料日に現金の沢山入った封筒を貰う。嗚呼、そんな人生もあるのだな...大人の遠足(終)~鉱山技師の夢を見る
岩手県某所で偶然見つけたスカイライン2000GT。あまり詳しくないので、詳細は分からない。クラシックネガで撮っただけで、全く加工はしていない。被写体に忖度したのか、昭和っぽい写りになった。追伸:学生時代にアルバイトをしていた会社の社長が、本物のハコスカのGTRを持っていた。乗せて頂いたこともある。その後、会社は倒産して社長は行方不明になった。マグロ漁船に売られたとか、内臓を取るために中国人に売られたとか、穏やかでない話ばかりが聞こえてきた(当時の社長はまだ30そこそこだった)。GTRもどこかに売られ、今では数千万円の値がついているかもしれない。GTRに乗って何処かに逃亡してくれて生き延びていたら良いなと思う。X-PRO3/XF16-80mmF4ROISWR昔のクルマ〜ハコスカ2000GTから想う
写真は秋田県美郷町の六郷地区。最近は諸々の雑事とか、イレギュラーなトラブルが続いて、写真撮影は低調になっている。とはいえ昨年のことを思えば、些細なことだ。とにかく昨年の夏は最悪だった。昨年の6月に青森に行った。骨折からの完全復帰を目指し歩きまくった。帰宅後、左足が腫れあがった。病院に行くと、尿酸値が高いので痛風の疑いがあると診断された(骨折後の単なる炎症だったと思う。現在は服薬や治療は終了した)。8月には新潟に行った。旅の途中で調子が悪くなり、診察を受ければ心房細動になった。あれからほぼ1年経ったことは感慨深い。。写真が低調なのは、昨夏の悪夢を払拭できないことが原因だ。必要以上に恐れず、過度に楽観視せずに生活したいものだ。夏は短い。後悔しないように写真を撮りまくりたい。追伸:新たなカンフル剤が近々届きます...夏が来れば思い出す
久しぶりに東北コンプリートの話である。次の目標は「宮城コンプリート」で、年内は無理でも来春までには達成しようと思っている。宮城県の旧市町村数(平成の大合併前)は、71市町村である。このうち既に写真を撮った市町村は52で、進捗率は70%を超えた。残りは19市町村である。最大の難関は4市(石巻市、登米市、栗原市、大崎市)の攻略だった。この4市だけで旧市町村数が33もある。最近はかなり進み、残るは石巻市と登米市の7町のみとなった。宮城県は東北の他の県よりも都市型であり、強烈な個性を持った町はどうしても少ない。それでも何度となく徘徊していると発見もある。今回の写真は栗原市の旧・若柳町である。廃線となった栗原電鉄の駅舎を訪ねて割と初期に訪問済みだった。それで分かった気になっていた。多分写真の場所が中心部だと思うけど...宮城の町を徘徊している
雨降りが楽しかったのは久しぶりだ。優しい雨だった。「②」だけど、本シリーズはこれで終わりである。雨に濡れた緑が辺りを覆い尽くし、まるで静かな森の中を歩いている気分だった。帰る頃になると薄日が差してきた(その後は青空も覗いたようだ)。雨が止んで欲しくない、そう思ったのも久しぶりだった。この日(6月3日)、雨の角館を歩きながら頭の中に流れてきた曲が二つある。一つが昨日掲載した「Here'sThatRainyDay」。そしてもう一つが「GentleRain」。歌うのはアストラット・ジルベルトだ。昨夜、ニュースで彼女の訃報を知った。鼻歌しか歌ったことがないと言われる彼女が、「イパネマの娘」を歌って突然世界的大スターになった。元の夫であるジョアン・ジルベルトも2019年に亡くなっている。スタン・ゲッツも、アントニオ...雨の角館②~アストラッド・ジルベルトの雨
雨の週末だった。今回は角館に行った。桜と紅葉の時期は混み合う角館も、この時期はシーズンオフだ。雨に濡れた新緑の緑、そして湿ったグレーの畳石が美しい。これを富士フィルムお得意の「クラシックネガ」で撮ると、なんともいえない描写になる。特にくすんだような緑・・・。もはや正しい色かどうかは分からない。でも良い色だと思う。雨が降ったことに感謝したくなる。さて「Here'sThatRainyDay」といえば、もうBillEvansしかない。環境が許す方は是非聴きながらどうぞ。X-PRO3/XF35mmF1.4RBillEvans-Here'sThatRainyDay(VerveRecords1968)雨の角館①〜Here'sThatRainyDay
生ビール(中2+小1)、中といってもピルスナーグラスなので実質容量は300mlと思う。まあ言ってみれば350ml缶を二つ分くらいである。これが居酒屋で飲んだビールの量だ。これまでであれば、ホテルの部屋でウォーミングアップで飲んでいた程度の量だ。でもこれは僕にとっては歴史的な一歩だ。日本酒に行きたいところも、ぐっと我慢した。たまの旅先の飲酒がこれで終わるのであれば、むしろ健康に良いくらいの話だと思う。実際にはこれでは終わらない(終わるわけがない)。ジャズ喫茶でワインとジントニックを2杯づつ飲んだ。まあこれで辞めなきゃと考え、締めのラーメンなんかも回避した。そんな夜だった。え?写真の解説?。今回は一切ありません。人生には写真よりも大切なことだってあるのだから。この時、酒を飲むことは写真よりも大切だったのである...Hello福島③〜写真よりも大切な夜
福島の旅は、本宮映画劇場に行くことから始まった(一昨日掲載済み)。その後、二本松市を経由して宿を取った福島市内に入った。今回の旅程で、二本松に行くことは初めから決めていた。前職時代、京都から全国各地に出張した。僕は本社からの出張なので、担当営業所の営業が同行することが多かった。その一人にW君という後輩がいた。一時期は二人のコンビで、本当に色々な所に行った。僕らはまだ若く、仕事も懸命にしたけど、終わった後の飲み会にも負けないくらい力を入れた。W君は直販営業では圧倒的な成績を収めていたけど、法人営業に移ってからは苦労をしていた。出張旅費や経費の精算が滞って、上司から大目玉を喰らうことも一度や二度ではなかった。出張先の飲み会では、そんなW君の愚痴もよく聞いてあげた。そのW君の実家は二本松にあった。仕事で福島市内...Hello福島①〜誰かの二本松
心房細動のカテーテルアブレーション手術から三ヶ月が経過した。経過はすこぶる順調である。これまでも温泉などには数回行っているが、すべて家人同伴である。そろそろ独り旅を再開する時が来たようだ。可能であれば今回は鉄道を使った旅で、いつもよりは遠くまで行こうと思っていた。それが仕事の事情で叶わなかった。無念である。次善の策として僕が選んだ地は、「福島」だった。東北6県の全ての市町村(旧市町村)で写真を撮る「東北コンプリート」を進めている。山形、秋田、岩手の3県では既に達成し、宮城県もいよいよ佳境に入った。そんな中で手付かずに近い状態なのが、福島県なのである。これまで5〜6箇所に宿泊したことがあるし、それなりの回数は訪問している。その割に訪問場所は同じところばかりで、なかなか進展していない。山形方面から福島まで高速...Hello福島(序)〜足掛かりをつける旅
福島県本宮市の元本映画劇場。建物は1914年の築であり、元々は芝居小屋(公会堂)だった。1943年に映画劇場となる。約800人の収容力を誇る大型劇場だった。観客数の減少などにより1963年に閉館した。福島の大きくもない町に、これだけの規模の劇場があったことは驚くべきことだ。でも更に驚かされるのは、その後の経緯だ。劇場主は自動車のセールスマンとして働き、劇場関係の借金を完済。その後も長きに渡って、この巨大な建築物と上映機材を維持管理してきた。想像を超える労力と経済的な負担があったことは間違いない。そして2008年、なんと45年振りにこの劇場で映画を上映した。それ以来、全国から見学者が訪れるようになった。テレビ番組の取材などにも登場しているとのことで、見た方もいると思う。なんでも週末であれば劇場主に電話をすれ...109年目の映画劇場
廃業した洋服店のショーウィンドーに取り残されたミスターダンディ氏。折に触れて彼に会いに行っている。2月にカテーテルアブレーションを受ける、その数日前にも会いに行った。その時はいつも増して哀し気な眼をしていた。無事に手術が終わり、今回は改めて完治の報告に行った。今回はいつもよりも晴れやかな表情をしていた。きっと祝ってくれているのだと思う。ありがとうミスターダンディ。X-PRO3/XF23mmF2RWRただいまミスターダンディ
GW写真の残り物。渋温泉からの帰り道に直江津に立ち寄った。上越高田の雁木通りが当初の希望だった。帰路の時間制約のなかで高田の町並みを歩くのは、(いつも)困難である。居ても立ってもいられない焦燥感だけが募る。だから今回は、同じ上越市の直江津に行った。直江津は海沿いの町である。町歩きが出来なくても、海鮮丼なんかを食べることが出来ると思った。そして実際には、渋いラーメン店を見つけてそこに入ったことは数日前の記事に書いた通りである。さて、直江津の町だけど、やはりここは新潟だと痛感した。町が茶色くて、鉄の錆分がたっぷりだ(褒め言葉です)。鉄分不足の心配はない。短い旅なので散漫にならないよう、今回はフジフィルムのカメラ(+GRⅢ)だけを持っていった。レンズも最小本数の替えだけだ。RAWファイルの設定忘れで、ほぼクラシ...錆色の直江津で旅は終わる
三度目の渋温泉。夜の散策も三度目となる。一度目は空いていて(15%)、二度目は人出がいっぱい(110%)、そして三度目はそこそこ(30%)といったところだと思う。今回は短めの散策であり、射的なども行かなかった。外湯も入らなかった。それでも暖色の明かりが灯る夜の温泉街を歩くだけで楽しい。スタンドバーが出来ていたので、クラフトビールなんかも頂いた。そして8枚目の写真は、僕が泊まる「金具屋」のライトアップを見る人達。その真上に僕の部屋はあった。9〜10枚目は部屋に戻って窓から撮った写真である。次の機会はないかもしれないので、もう少し楽しんでおけば良かったかもしれない。さらば渋温泉。X-PRO3/XF23mmF1.4R温泉迷宮・渋温泉(終)〜夜の帳
夕刻近い頃、渋温泉の路地裏を歩いた。遠くで子ども達が遊ぶ声がする。「通りゃんせ」を歌っているかもしれない、と耳を澄ます。勿論、今どきの子供は「通りゃんせ」を歌わない。でもこの場に佇むと、そのメロディーが木霊するような錯覚を覚える。本当にこの路地を通って良いのだろうか、これは一般に解放されているのだろうか。秘密めいた路地を歩く罪悪感にも似た疼き。嗚呼、渋温泉は最高だ。X-PRO3/XF23mmF1.4R温泉迷宮・渋温泉②〜ここはどこの細道じゃ
三度目となった渋温泉。当然ながら路地を彷徨する。この日は午後5時半より金具屋旅館の館内ツアーがある。温泉街歩きの時間は限られている。GW(中日だけど)期間ということを考えれば、想定よりも人出は少なかった。町並みは5年前に来たときと殆ど変わらない。町並みに対する興奮、どんどん次に進みたい高揚感、迫りくる時間への焦燥、様々なものが入り混じっていた。この場所を歩いていると、路地を一本曲がったところから異世界へ迷い込むのではないか、そんな気分にさせられる。更に奥にいけば、ここが元にいた正しい世界なのかどうか確信が持てなくなる。まさに迷宮。何度来ても、このワクワク感は続いている。追伸:通常はカメラの撮影設定を「jpeg+Raw」にしている。後で気づいたのだが、今回は何故か「jpeg」のみでの記録になっていた。あとで...温泉迷宮・渋温泉①〜迷宮へのボーダーライン
森岳温泉は、秋田県内では比較的大きな温泉街である。温泉産業に関連して生計を立てている人だって多い。でも町の人口に対して占める割合でいけば、結局それはマイナーな部類に入る。マイナリティの権利が脚光を浴びているが、どのマイナリティを支援するかは極めて恣意的な話である。都市部の左派リベラル層が好きな分野に限定され、それ自体がイメージ戦略の一環なのである。地方の観光業、建設業などは「利権の巣窟」扱いである。こうしてボディーブローを受け続けた地方社会は疲弊してきた。残念ながら森岳温泉は今後も益々衰退していくだろう。もう何十年かすれば、この地に観光産業はなくなり、仕事場もなくなり、若い人はいなくなる。そして老人介護施設では性的マイナリティの権利が保障されていくだろう。あれ?何でこんなにネガティブになっているのだろう?...森岳温泉という街(終)〜火急なる現実
秋田県三種町に出かけてきた。本来の目的は別にあったが、そのことは今は触れない。今回はその後に立ち寄った森岳温泉の写真である。森岳温泉は寂れる一方で、営業しているホテルも少なくなった。スナックや飲食店も営業している店よりも、廃墟化した店の方が多い状況だ。その森岳温泉の温泉ホテルで、日帰り入浴とランチ(何故か焼肉ランチ)を楽しんだ。食後は腹ごなしに温泉街を散策した。人気の少ない休日の午後、僕は森岳温泉での時間を満喫した。必然的に街へのシンパシーは高まり、明るい展望が開けるよう応援する気持ちになった。さて、特定の政党云々を批判するものではないが、森岳温泉には地元秋田2区選出の野党国会議員のポスターが貼られていた。貼ることは良いことだとは思う。でも強い違和感も覚える。現地のこの廃れた状況。そこにアナウンサー出身の...森岳温泉という街①〜人の言葉、神の言葉
黄砂の影響か、単なる春霞か、もやっとした昼下がり。ひたすらに猫は眠っていた。この冬に「ちょびお騒動」で心身ともに疲れたのか、とにかくよく眠る。窓のすぐ下を外猫が我が物顔で歩いていても全く気づかない有様だ。今回のレンズは、XF23mmF1.4Rだ。しばらくの間、稼働率が減っていた。XF23mmF2RWRという同じ焦点距離のレンズも持っているからだ(そちらの方が安いレンズだけど、小型軽量かつシャープな写りをする)。でもこの柔らかな写りは、今回のレンズでならではの描写だ。嗚呼、良いな。これが富士フィルムの写りだなと思える。X-PRO3/XF23mmF1.4R猫、惰眠を貪る
山形県高畠町の瓜割石庭公園である。高畑石という石材の採掘場所を整備している。先週掲載した白布温泉に行く際に、高畠ワイナリーに立ち寄った。その際に短時間になるが足を伸ばした。現地ではこんな絶景が駐車場から徒歩1分で眼に入る。まるで遺跡か、インディジョーンズの映画の舞台のようだった。青空の下であれば圧巻の光景を見せるらしい。今回は富士フィルムのミラーレスカメラ(X-PRO3)を持っていった。24mm相当からのズームレンズを装着していたので、大抵の場面で困ることはない。でも全く収まらなかった。遠近感が分かり難いけど、垂直の石壁が30メートルの高さだという。仕方がないので、iPhone13PROの超広角レンズ(13mm相当)を併用した。装備を整えた上で、いつかまた来たいと思う。遺跡のような石切場
今回は、白布温泉からの帰路に長井に立ち寄った。町並みは想定以上に魅力的に映り、本腰を入れて歩きたい欲望に駆られた。いつも同様の場面で無理をして、体調を悪化させてきた経緯を思い出し、今回は自制することにした。未練たっぷりに町を後にした。なにしろ久々の温泉宿泊、そしてアルコール摂取、術後最長のロングドライブである。加えて家人同伴というのもある。一方で体調には自信を深めた。この分であれば本格的な町歩きを再開しても問題はないだろう。だから敢えて今回は大人しく帰ろう。いつも撮る特徴的な建物3軒を定点観測的に撮って、このシリーズは終了する。帰り支度をしていると、これまでの長井に纏わる思い出が次から次に蘇る。初めて来たときは町並みに感動しながらも、うまく撮ることは出来なかったこと。写真をブログに載せたら、上原師匠が喰い...DEEPな長井(終)〜また逢う日まで逢える時まで
僕は常々、廃墟には興味がないと言っている。じゃあ今日の写真は何だ、これは廃墟ではないのか、そう思われた方もいるはずだ。これはセンシティブな問題で、少々面倒な説明をしなければならない。率直に言えば、僕は廃墟の建物自体が嫌いなわけではない。時の洗礼を受けた建物や構造物を「廃墟、廃墟」と喜び、無神経にそこに足を踏み入れる、そういう輩が嫌いなのだ。ここでいう「踏み入れる」は、物理的な侵入よりもむしろ精神的な領域を指している。多くの時間と様々な事情、それが絡み合って成された現状の姿。そこに想いを馳せる想像力もなく、廃れているという事実だけで単純に面白がる。あまつさえ無神経にその姿を晒していく。そういう姿勢が嫌いなのである。僕のなかでは撮るべきものと、そうではないもの、その区別が存在する。そこで今回の建物となる。これ...DEEPな長井②〜対峙する姿勢
これから数日の間、米沢の白布温泉への往復で立ち寄った長井市の町並み写真を掲載する。最近は「東北コンプリート」達成に向けて、未到の町で写真を撮っている。町の規模も様々で、これという目立った特色のない町で写真を撮ることが多い。それはそれで勉強になっている。この流れの中で、いきなり長井のような町に来ると、もう驚くことばかりだ。喩えていえば、減塩減カロリーの病院食を毎日食べ続けていたのに、ある日突然に美味なる料理店で好きなだけご飯を食べるようなものだ(それでも、これは所謂高級料理ではないけど)。こんなに味濃かった?、こんなに蕩けるような食感だった?、こんなに美味しそうな盛り付けだった?、と僕の五感がうれしい悲鳴をあげる。どうして良いのか分からないので、とりあえず10枚ばかり見繕って掲載した。X-PRO3/XF23...DEEPな長井①〜濃厚な味わい10連発
本シリーズ最終回。他にも旧・田尻町を歩いているが、今回は省略する。最後の町は、旧・小牛田町(美里町)である。これまでの町と比べ、小牛田町には大きな特徴がある。それは「鉄道の要衝」として栄えた町ということだ。小牛田駅は東北本線の駅であると同時に、陸羽東線、石巻線の始発駅でもある。駅前に飲食店が多いことからも、旅客で賑わったことは容易に想像できる。今回は駅前付近を30分ほど歩いただけなので、町を理解するには足りなかった。数時間単位で滞在し、そこで食事をして、何か買い物でもして、同じ場所を何度か歩く。そうしないと分からないこともある。多くの町に到達することを目的にしてしまうと、そこに至らない。どうしても表面的なことで終わってしまう。この町には再度来ることになると思う。いずれにしても、こんな感じで東北コンプリート...コンプリートへの道のり(終)~今回のラスボス小牛田町
この日、旧・栗駒町で撮った写真は丁度100枚、滞在時間は約1時間50分ほどだった。本当はもっと腰を落ち着けても良かったけど、今回は家人と同行しているので、我慢した。写真を撮るほかには、牛タンの炭火焼き丼を食べ、内田康夫の文庫本(古本)を買い、カフェから珈琲豆のサンプルを貰い(結構な量)、たい焼きを食べた。普通に町歩きとしても充実していた。この町には何度も来ることになるだろう。久しぶりに良い町を歩いたので、一点だけ書いておきたい。よく誤解されるが、僕は決して廃墟のような町が好きという訳ではない。時間を掛けて古びたものの美しさに敬意を持っているだけなのだ。廃墟マニアではないし、演出された昭和レトロに秋波を送ることもない。あくまで営みの中で産まれた「経年」に頭を下げる男でありたい。X-PRO3/XF23mmF2...感動の町並みが出現する(終)〜営みから生まれたもの
足掛け15年に渡り、東北各地の町並みを歩いてきた。目指すは東北地方の全市町村(旧市町村単位)を訪問すること。これまでに訪問した市町村数は250を超える。僕以上に多くの「東北の旧市町村」を訪ねた人間は皆無とは言わないが、控えめにいって数えるほどしかいないと思う。だがこの先は荊の道。移動距離も所要時間も増える一方となり、苦労の割に出来高は上がらなくなる。そうなると一体何のためにやっているのか、ジレンマに陥ることも増えてきた。シンプルに町の写真を撮りたいだけなのに、地図と睨めっこする必要に追われ、ただ実績を残すためだけに町を訪れることもある。そうではない。余所者の僕が東北独特の町並みを見たときの震えるような感動、あれを味わいたいのだ。思いとは裏腹に作業の時間は着実に増えていく。もう全体図の概要は見えつつある。心...感動の町並みが出現する①〜そこは栗駒町
羽州街道とは、現在の福島県から宮城、山形、秋田を経て青森県に至る街道のことである。江戸期の五大街道である奥州街道から福島県で分岐し、奥羽山脈の西側から列島を北上していく。その距離は実に約500kmに及ぶ長い街道である。現在の国道13号線や7号線の原型でもある。秋田県湯沢市の県道277号線の一部区間は、その羽州街道の道筋と町並みを色濃く残している。真っ直ぐに伸びる道路を歩くと、同じ道を江戸期の旅人も歩いたんだなと実感され、胸が熱くなる。最後の一枚は目印となる一里塚である。旅人は一里塚に植えられた目印の樹を見て、勇気づけられたのだろう。根っこに寄りかかり、汗を拭って休憩したのかもしれない。そこに辿り着くまでに、生き死に関わる危機を何回かは切り抜けているのかもしれない。現代の旅人はカメラを片手にふらふらと歩いて...今に残る羽州街道の町並み
今回の日帰り紀行では、山形県の河北町、東根市、村山市で写真を撮った。周辺には、天童、寒河江、山形、更には尾花沢、大石田といった町が隣接している。すべて何回も繰り返し行った町であり、飽きが来ている面は否定できない。それでも今回は久しぶりの訪問なので、新鮮な気持ちで歩くことができた。このシリーズの最後に歩いたのは村山の町だった。そういえば、2枚目の早川食堂のカツ丼をもう一度食べようと思っていたことを思い出した。4枚目の通りの奥へ「いつか行ってみよう」と思いつつ一度も果たしていないことも。飽きたといいつつ、色々なテーマが残っていることを思い出す。思念は業をつくるというが、一度でも歩いた町は人生の一部となり、再び訪れる理由ができる。未踏の町にばかり関心が行くが、こうやって同じ町を訪れることが出来ることに率直に感謝...春の山形・村山路(終)〜町を歩く理由
山形県の東根市。昨日も掲載したが、かつて栄えた繁華街は廃れつつある。ピーク時の姿を留めたまま朽ちた建物も多く見かける。ある一軒のスナックの前に枯れ草の山が出来ていた。何気なく見ると驚いた。その山に埋もれるように猫が休んでいた。猫は毛がほつれにほつれ、相当に汚れていた。かといって今にも死にそうな感じではない。栄養もある程度は足りているようだった。雰囲気からして根っからの野良ではなく、どこかで飼われていた猫に違いない。この姿になるまでは、少なくとも年単位の時間を過ごしているだろう。もしかして、このスナックのママさんに飼われていた猫かもしれないと思った。ママさんの猫かどうかは別にして、少なくとも猫は店の前で誰かを待っているように見える。その姿を見て僕は言いようのない哀しさを覚えた。虚に開いた眼で、猫は何を見よう...春の山形・村山路④~それでも待ち続ける猫
山形県の河北町から東根市に移動した。この周辺は近い距離圏に多くの町(市)が隣接している。東北地方では隣の市に行くには峠などの無人地帯を越えるパターンが多いので、山形村山地方は希少例である。その東根市には陸上自衛隊の駐屯地がある。前の記事で「役所あるところに飲み屋あり」と書いた。だが東根市の場合、最も大きな繁華街は市役所ではなく自衛隊駐屯地の周辺に立地する。最も多く酒を飲む人がいる場所に飲み屋があるのは当然である。飲み屋街はかなり年季が入っていて、お世辞にも活性化されているとは言い難い。数十年前に栄えたそのままの姿で朽ちていく店も多い。他の若い世代がそうであるように、現代の自衛隊員は飲み歩くことが減ったのかもしれない。コンプライアンス的な監視が厳しくなったのかもしれない。サンプル数は少ないが、自衛隊駐屯地周...春の山形・村山路③~基地の町の姿
昨日は梅の写真を掲載した。あれはガラス張りの室内広場で咲いた梅である。その翌日に訪れた町では、まだ冬が最後の踏ん張りを見せようとしていた。それでも道路に降りかかる雪が、すぐに溶けて濡れてしまう辺りには、春が遠くないことを感じることができる。最後の一枚、古木に白い雪の花が咲いていた。X-PRO3/XF23mmF2RWR冬は最後の力を振り絞る
【FUJIFILM X-T5】クラシックネガで写すレトロな街「熱海・伊東」
X-T5を購入し、人気のフィルムシュミレーション「クラシックネガ」で昭和レトロな街、熱海・伊東をカメラ散歩して来ました!気軽にフィルムライクな写真が撮れていい感じ!作例多数載せました。
岩手県某所にて。まあ何か目的がなければ通らない道路だとは思う。でも仮に、夜間に知らずに通ったとしよう。クルマのヘッドライトにこれが映り出されたとしたら、もう腰が抜けるかもしれない。外部から悪きものが侵入しないように(あるいは人形と共に外に送り出す)作られる道祖神である。それがあるべき姿なのである。X-PRO3/XF16-80mmF4ROISWR道祖神のあるべき姿
まあ我が家の場合、毎日が猫記念日みたいなものではある。ちょびお騒動の最中、沈黙を守っていた我が家の猫、銀次郎。隔離していたとはいえ、お互いに存在を感じていたようで、落ち着かない日々を過ごしていた。やっと平和な刻が訪れても、相変わらず怒った顔ばかりしている。それでも間違いなく、機嫌は良いのだと思う。X-PRO3/XF23mmF2RWR「猫の日」の銀次郎
先の記事でも触れたように、地滑りに伴い通行止めとなっていた国道107号線(ゆだ錦秋湖駅付近〜湯田ダム付近の約5km)。最も不便を強いられたのは、ゆだ錦秋湖周辺の耳取地区だと思う。通勤などで相当な負担があったと思う。ここには「穴ゆっこ」という温泉入浴施設があり、何度か利用したことがある。今回久しぶりに来てみれば廃業していた(元々温泉施設の故障や露天風呂の枯渇などで休業がちだった)。今更設備投資を行なったところで、どう足掻いても回収できないと思われる。鉄道(JR北上線)は通常運行しているので、往来はできるのではないか。都会の方はそう思うかもしれない。この地で鉄道だけで生活することは不可能に近く、買い物だって通院だって、クルマがなければどうにもならない。この集落はクルマはあっても、それまでの道路がなくなったのだ...通行止めとなった集落の光景
落ち椿が一輪。空を見上げた訳でもないのに、陰鬱で冷え冷えと感じるから不思議だ。もうすぐ冬の季節がやってくる。冷たい雨に濡れた落ち椿は、もう10日もすれば真っ白な雪に埋もれるだろう。8のつく日はwebにお花を』X-PRO3/XF35mmF1.4R(クラシックネガ)落ち椿
パチンコ屋みたいなタイトルだ。秋田川反の繁華街に中望遠レンズ(XF56mm)を着けて歩いた。撮影は、①絞り開放(F1.2)、②フィルムシミュレーション「クラシックネガ」、③WB色温度マニュアル指定5900K、③粒状度「強+大」、で行った。すべてカメラの設定の話で、フジフィルムのカメラとしては特別な設定ではないけど、一般的には割と癖のある描写であることは間違いない。まだ光が回る前の時間でだったけど、少しアンバー系の色合いに、粒状感の強い描写。その背景は微妙な溶け具合でとなった。画像編集をしたわけでもなく、メーカー公式の画像がこれだから恐れ入る。この日の撮影時間は約20分で、今回を含めて2回分の記事に相当する。望遠系のレンズで町中のスナップ写真を撮る機会は滅多にない。時刻は午前11時。昨夜の名残を感じる時間で...絞り開放Day①〜午前11時の繁華街
こんなことを書くと叱られるかもしれない。それを承知で言うと、北上(岩手県)の街はどこか物哀しい。けなしているのではない。むしろ褒め言葉である。僕は「情感」と言ったりするが、うまく表現する言葉がみつからない。そういう情感豊かな街に来ると、僕は自分が逃亡犯であることを想像する。人目を偲んで、安アパートの一室に身を潜めて暮らしているという設定だ。季節は秋から初冬で、冷たい風が吹くなか、必需品を買うために人通りのない街をこっそりと歩く。こんな話は理解されないどころか、北上市民を敵にまわしそうなので、これでやめておく。追伸:それで孤独に耐えられずに赤提灯を潜る。店内の暖かさに感動する。そこで僕は妙齢な女将と惹かれ合う。それでも逃亡犯の弱みから一歩踏み出す勇気が出ない。それがあることをきっかけに二人の距離が急速に縮ま...哀しい北上の逃亡犯
岩手県北上市。今回は中古レコード市に行った。東北地方では地元のレコード屋さんが、他地域の数店と共催で中古レコード市を開くことがある。それが北上市の百貨店で開催された。会場近くを少し散歩してみた。通りに飾られた花(造花も)に、秋の陽射しが降り注いでいた。十分暖かくはあるが、冬の到来を予想させる光でもあった。東北地方では、10月に入ると、やたらと暖房と冬タイヤのTVCMが多くなる。嫌でも冬に備える気持ちが湧いてくるが、少し早いようなソワソワした気分になる。こういう時はフィルムシミュレーションのクラシックネガに限る。粒状度の設定は「強かつ大」。いかにノイズを少なくするか、そこに存在意義があったデジタルカメラ。そのデジタルカメラの画像に、敢えて粒状感というノイズを加えるメーカー、富士フィルム。良いなあ。8のつく日...秋の陽射しとクラシックネガ
連写とかで撮っているわけでもないし、タイミングを狙い測っているわけでもない。それでも何故か「舌ぺろ」の写真が多い我が家の猫。何かとストレスの多い今の社会。僕だって様々なストレスに苦しんでいる。そんなときは、この猫のように弛緩すれば良いのかもしれない。なにしろストレスを受け流すことについては、猫に勝る者はいない。X-PRO3/XF23mmF2RWRストレスが漢を駄目にする
廃業してしまった食堂。残った建物は撮影することができる。往時の写真を持っている人もいるだろう。だが世の中がどれだけ進歩しても、食べ物の味を記録(アーカイブ)することはできない。師から弟子へ、親から子へ、伝承されていく幸せな味は極めて少ない。大衆食堂の味などは、写真や思い出話から、その味を知る人が思い起こすことしかできない。記録ではなく、記憶の中にしか存在しない味である。青森県つがる市(旧・木造町)で見つけた食堂は、真冬の雪のなかで見たかったと思う。吹雪で凍てつく真冬、この食堂は天国だったに違いない。僕だったら何を食べようか。熱燗も頼もうか。店の前で佇み、妄想に耽ける。X-PRO3/XF23mmF1.4R食堂記憶遺産〜妄想する時間
厄年ではないけど、今年は次々に厄難が襲い掛かる。思えば、昨年末に凍結路で転倒し、左肩を痛打した。今だに痛みが残る。そして3月の下駄骨折。ほぼ3ヶ月半が経過し、全治の目処の時期となった。自己リハビリも必死にやったし、スポーツ整体のようなところでトレーニングもした。身体というものは微妙なバランスで成り立っているもので、悪ければ悪いなりのバランスがある。僕は頑張り過ぎた代償として、別の異変が生じた。いわば第三の矢であり、意味当初の骨折より重症となった。愕然としているが、世の中には、もっと大変な病気に直面している方も大勢いる。今回は自分の病気の話題は徹底的に避けて、素知らぬ顔をしようと思う。さて。写真はJR秋田駅前の喫茶店の照明である。近くに行けば毎回撮っている。当面は、こんな写真とストック写真でやりくりしたいと...微妙なバランス