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一旦、大館駅で降りて花輪線に乗り換え、隣の東大館駅まで来た。大館の繁華街(飲み屋街)は東大館駅周辺にある。ここで写真を撮りながら、徒歩とバスを使いJR大館駅方面に戻っていく。それが今回のルートである。この近辺では何度も写真を撮ったことがある。来るたびに繁華街の色はくすみ、店と建物の数は減っていくように感じる。今回はガチガチのクラシックネガ(フィルムシミュレーション)で撮影した。クラシックネガがハマるという意味では、一級品の繁華街である。 最後から二枚目の写真は廃業した飲み屋さんの入り口のあたりで撮った。偶然近くを通ったおばちゃんが、「なぜそんなものを撮るのか」と聞いてきた。怪しむという感じでは…
ちょっと前のことだけど、食堂でテレビのニュース番組を見た。「またトランプ関税の被害者です」と女性アナウンサーが深刻そうな顔で報じていた。「カニカマ」を作っている会社がトランプ関税により翻弄されている。それは一度ならず二度目のことだという。内容を聞けば、この会社の「カニカマ」は中国への輸出が売り上げの大きな部分を占めていたそうだ。中国が日本産海産物を輸入停止にしたので、その対中国輸出がゼロになってしまったらしい。そこで会社はアメリカに工場を建設し、アメリカからの輸出と言う形式で中国に出荷する戦法を取った。その戦法は守備よく成功し、軌道に乗っていたそうである。ところが今般の米中関税戦争の煽りを受け…
GWが始まるときは亡き師匠のことを想う。GWに限らず町を歩いて写真を撮るときは、いつだって想いはする。だけどGWは特別だ。何があってもその日は町で写真を撮っていようと考えている。最近の自分自身を振り返ると、確かにほとんど毎週どこかに出かけ写真を撮っている。とはいえ諸事情で出かける頻度は下がっている。どんな人にも事情はあるのでそれは良い。問題は出かけた際のことだ。ほとんどの街は何度か出かけたことのある町となった。どうしても効率を優先する行動が知らぬ間に身についてしまった。この駐車場に停めて、あそこに行って、的な動きをする。クルマを移動しなければならないとか、駐車場から遠い場合、その先まで足を伸ばすことがなくなった。以前は駐車場のことなんて考えず、ひたすら歩き廻ったではないか。歩き回るうちに意外なものを見つけ...久々にマチアルキニストとなった
FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
藤里町の大部分は山岳地帯であり、市街地は町の南側のわずかな範囲に集中している。北側には白神山地が広がっていて、心許ない林道で青森県の西目屋村と繋がっている。山岳地帯の一部には秋田県側からは直接行くことができず、青森県側しかアクセスできない場所もある。町の南側の市街地も国道7号線から10キロほど離れており、まるで陸の孤島のようになっている。街中には食品スーパーも含め、一応の店が揃っている。冬季間はそこに籠もって生活するような感覚があるのだと思う。勿論、今の時代はクルマで離れた町まで出かけることは難しくない。それでも、それほど遠くない時代までは、人々は決められた相手とだけ接触し、決められた店で買い物をし、決められた場所にだけ出かけたのだと思う。外食するのにも(するとして)、恐らくは片手で数えられる店の中から選...FUJI(SATO)カラーで写そう(終)〜記憶の色は薄れていく
秋田県北部の町、藤里町。これが2回目の訪問である。初めて藤里町を訪れたのは2021年のことだった。それまで幾らでも機会があったのに藤里町に行かなかったのは、世間を騒がせた児童連続殺人事件があった町だったからである。事件のことを想うと胸が締め付けられる。加害者に同情するつもりはないが、あまりに切ない事件である。更にいえば、この小さな町にはワイドショーの取材班が長期に渡り張り付き、地元住民との間に軋轢や衝突もあったと聞く。スティル写真とはいえ、カメラを手に町を歩いて良いものか逡巡したのも事実である。だが前回の訪問時に町を歩いて、藤里町はそんな暗いイメージの町ではないことも知った。今後は事件のことではなく、町の違う一面を見ていこうと思ったものだ。そこを踏まえて次に行きたかったので、敢えてもう一度触れた。さて、藤...FUJI(SATO)カラーで写そう①〜避けられないイメージ
登米の町からの帰路、旧・築館町(栗原市)に立ち寄った。築館は合併時点で人口が約1万5千人ほどの町だった。でも印象としてはもっと大きな町に思える。何がそう感じさせるのかは分からない。僕は「築館」と聞くと、反射的に「ブルース」と言葉を繋げたくなる。この場合のブルースは、本物の「Blues(ブルーズ)」ではなく、淡谷のり子とか青江三奈なんかの歌謡ブルースである。多分、伊勢佐木町ブルースみたいな感じで、「築館町ブルース」という語呂を楽しんでいるだけだが・・・。登米の後に築館。宮城県は楽しめる。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR築館ブルース
ガイドブックには決して載ることのない、私的な「登米の歩き方」を掲載する。本当はガイド地図も作ろうと思ったが、歩いて探すことも楽しみの一つなので止めておいた。もっとも、これを見て実際に登米を歩く人はいないだろう。ガイドブック的な出版物は、どうしても「映える」スポットにばかり注目する。都会の喧騒から離れ東北独特の町並みを訪れた方が、わざわざお洒落なカフェに行く必要はない。そもそも登米町には、お洒落なカフェなど存在しない。それを補って余りある個性豊かなスポットが満載なのである。決してガイドブックが取り上げない(あぶら麩丼はギリ取り上げる)、登米の名所を歩いてみよう。①天然もの看板真っ茶色に染まったオロナミンC看板。廃業した店先に掛かっている。十年以上前も同じような姿だった。レトロを演出するツールではなく、本物だ...登米町探訪(終)~私的ガイドブック登米の歩き方
旅の最後の訪問地は、旧・新鶴村(会津美里町)である。当初の予定では更に北上して、旧・高郷村及び旧・山都町(共に現・喜多方市)に行く予定だった。寒さと道路の積雪への不安からとても行く気にはならなかった。旧・新鶴村にはJR(只見線)の駅が二つある。小さな村に駅が二つもあったことは驚きだ。一つは今回の写真の「新鶴駅」。もう一つは南隣にある「根岸駅」。横浜と同じ根岸である。しかも新鶴駅と根岸駅の間は約2kmと至近距離にある。根岸駅周辺には特に何もないので、どういう経緯で駅が存在するのかは分からない。20年くらい前のデータによると、一日の利用客素は25人だった。今はもっと少ないだろう。そんなわけで写真は新鶴駅である。今は鶴(タンチョウ鶴含む)といえば、北海道以外ではごく限られた場所でしか見ることはできない。十年ほど...会津のしっぺ返し(終)~締めはラーメン
さあ、そろそろしっぺ返しである。その前に話は昨年に遡る。昨年は記録的な少雪の年だった。積雪が全くない日が続き、スタッドレスタイヤが激しく摩耗した。この春もまた磨耗するのではないか。そんな不安から今年は早々に夏タイヤに交換した。会津遠征にあたり、山形と福島の県境の山道は夏タイヤでは若干の不安があった。そこで事前に天気予報やライブカメラを調べたところ、問題ないだろうと判断した。実際、往路は全く問題なかった。ところが翌朝である。宿の部屋のカーテンを開けると・・・。降っている・・・。割とはっきり降っている。地面に落ちるのと同時に雪は溶けている。それでも長時間降るにつれ、停車している車のフロントガラスが白くなってきた(あまりの動揺に写真を撮ることも忘れた)。福島と山形の県境を走る国道121号線、通称「大峠道路」をラ...会津のしっぺ返し④~春に浮かれるべからず
栗駒町は、平成の大合併で栗原市となった。近隣の10市町村が合併して新たな市を形成したのである。その面積は約805㎢であり、人口は約6万人である。ちなみに東京23区の面積は約627㎢であり、人口は約985万人である。宮城コンプリートの際は、栗原市、大崎氏、登米市、石巻市の4市だけで33もの旧市町村を抱えているので、大変苦労した。この周囲を何回も何回もグルグルした。だから心理的にお腹一杯で栗原市周辺には行きたくない気持ちもある。でも栗駒町は別である。そもそもあれだけグルグルしたのに、何故か栗駒町にだけは足を踏み入れていなかった。だからこそ宮城コンプリート終盤に栗駒町に入ったときは驚いたのである。この町の中心商店街は六日町という。古典手的な昭和の商店街である。大型店というのは殆どない分、あらゆる分野の個人商店が...魅惑の栗駒町(終)〜200分の1
宮城県の栗駒町。初めて訪れたのは2023年の3月、丁度2年前のことだった。町並みに心躍ったことを昨日のことのように覚えている。その年の2月に僕は、心房細動の治療としてカテーテル・アブレーションという手術を受けたばかりだった。経過は順調だったけど、流石に無理は禁物だった。体調が万全になったらまた来ようと思っていた。そして2025年3月。再び栗駒町を訪れたわけだ。今回撮った写真を家で見直したところ、コピーのように2年前と同じような写真を撮っていた。これはデジャビュであり、2年前に戻ったのではないかとすら思った。栗駒町は周囲から独立した町並みであり、ここだけ異空間に存在しており、いまだに昭和が続いているのではないか。そんな錯覚を覚える。もう一回続きます。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR魅惑の栗駒町①~究極のデジャビュ
鉄道で来た八戸探訪の旅。これまで鉄道旅だと嬉しくて、ついつい昼間のビールを飲み過ぎ、夜にダメージが残るパターンが多かった。今回は対策はバッチリ。往路は酒を一滴も飲まなかった。酒蔵見学で試飲はしたが、お代わりはしていない。ホテルにチェックインしてから休息を挟み、万全の態勢で夕刻の街に出た。八戸夕刻の時間は、ほぼノープラン。最初の一杯はビールで、陸奥八仙を必ず飲む、と飲酒のことは決めていた。それでも一つだけ気になっていることがあった。それが1~2枚目の「マルタ」の建物である。毎回八戸に来る度に撮っていて、頭に残っている。でもあれが何処にあったのかは記憶にない。まあいい、それが必然であれば歩いているうちに見つけるだろう。上原師匠はよく言っていた。「この町で写真を撮る人間であれば、〇〇には必ず辿り着くのです」と。...八戸探訪⑤~夕刻の嗅覚(再び犬となる)
八戸探訪編に戻る。八戸に来るのは3回目であり、過去2回はどうしても本八戸の中心地を歩くことがメインの日程になっていた(陸奥湊まで行って、魚市場で朝食を食べたが・・・)。今回は中心地以外の場所も歩いてみようと思い、小中野駅から散策を始めた。実際は、ここから旅を始め、小中野を抜けて八戸酒造に行ったのが本当の時間軸だ。だから前回の蔵元見学から少しだけ時間を巻き戻すことになる。八戸でやりたいと思っていたことの一つに、新むつ旅館に泊まることがあった。元遊郭が転業した旅館で、玄関を入った大広間に部屋に登る見事な大階段がある。僕は青森黒石の中村旅館には3〜4回泊まっており、同じく元遊郭の中村旅館にも朱塗りの大階段がある。新むつ旅館の階段は中村旅館より遥かに大きなものである。いつか行こうと思いながら時間は流れ、とうとう新...八戸探訪③〜小中野の遊里を歩く(前編)
レコードはA面が良いのは当たり前だけど、実はB面こそが本質であると言われる。ここは秋田県有数の観光地、角館である。最大の見所は黒塀の武家屋敷通りで、春は桜、秋は紅葉が美しい。また武家屋敷通りからほど近い桧木内川も桜の名所として有名だ。一方で角館は武家屋敷通りや桜だけで構成されている訳ではなく、普通の生活の営みがある。つまりはレコードでいうB面だ、わざわざ角館に行き、武家屋敷通りには行かず、普通の町並みを撮影した。A面は聴かず、B面だけを聴くのと同じだ。もしかしたら贅沢な行為ではないかと、一人ニヤリとした。X-T5/XF23mmF2RWR角館のB面
矢島町は由利高原鉄道の終着駅である。町は殆どが地場資本で形成されている。いわゆるチェーン店は、食品スーパー1軒(マックスバリュ)、コンビニ1軒(ローソン)、ドラッグストア2軒(ツルハ、薬王堂)であり、すべてここ15年以内に進出したものだ。僕が秋田県に来た当初は、これら店舗は一軒も存在していなかった。つまりごく最近までチェーン店は一軒も存在しなかったのである。また町内にはビジネスホテルの類は一軒も存在せず、昔ながらの旅館が幾つかある。造り酒屋は2軒ある。地元パチンコ屋さんが1軒。昭和のフォーマットをそのまま残した稀有な町である。泊まるにしては、僕的には物理的に近すぎる町だ。知り合い等もいるので、やり難くもある。でも旅人としてこんな町に来ることを考えるとワクワクする。町を歩くとき、僕は自分が遠くから来た旅人を...雪降る町の見納め(終)〜疑似旅人の妄想
雪の多い少ないは絶対量ではなく、相対的なものである。普段雪が降らない都心で積雪10cmとなれば大騒動になる。一方で毎年5mは積雪のある青森県の酸ヶ湯。酸ヶ湯の積雪深が6mになったところで大勢に影響はない。そもそも雪国では、雪が降ったら困ると思っていない節がある。テレビカメラを向けられれば、「毎年こんなものだから当たり前ですよ」とは言わない。言ったとしても放映ではカットされる。大抵の住民は空気を読んで「もう毎日の除雪でクタクタでどうにかして欲しい。この時期にこんなに降るのは初めてだ」と言う。同じセリフは何度も繰り返されているだろう。さて、そんな積雪シーズンも最終盤。秋田県内でも積雪量がそこそこ多い町に来た。旧・矢島町(由利本荘市)、かつての矢島藩・生駒氏のお膝元だ。この矢島藩は実に興味深い藩である。以前に当...雪降る町の見納め①〜矢島町に来た
新潟編のラスト。旧・中条町(現・胎内市)である。秋田県側から新潟県に行くには、まず村上市から入り、胎内市、新発田市というルートになる。胎内市は平成の大合併で中条町と黒川村が合併して出来た市である。よそ者からすれば、「中条市」にすれば良かったように思うけど、それなりの事情があるのだろう。これまで新潟県の旧市町村については全く意識して来なかったが、最近は少し意識するようになった。東北六県のコンプリートの後は新潟を目指すような予感もしている。さて、以前に歩いて印象の良かった中条の町。今回の旅は折角車で来たので、帰りに立ち寄った。その後の予定があり、中条を出たらまっすぐ帰ることになる。下調べもなく、前回の記憶を頼りに歩いた。結果的に前回見なかった建物を見た反面、前回気に入った街角には辿り着かなかった。町歩きの神様...胎内を歩けよ、さらば与えられん
陽が暮れて、街に明かりが灯る。新発田の繁華街には多くの店がある。地方都市特有の事情として、夜にならないと実際にどの店が営業しているのか分からない。この日は金曜日(しかもバレンタインデー)。でも新発田の繁華街は通常営業で、そういう華やかさとは無関係に淡々としている。まずは居酒屋的な店で一杯やった。まあ普通に美味しい店だった。でもその店は喫煙可能店で、後から来た常連客が考えられないくらいの量のタバコをプカプカし始めた。往時のチェーンスモーカーだった僕であればそれに対抗できたが、タバコを辞めて15年にもなる。まだ数回しか来ていない新調したアウターがタバコ臭くなり、気分がブルーになり撤退した。なんか嫌な展開だ。幸い、折角の時間を台無しにしないようにアンガーコントロールはしっかりと効いている。次はジャズ喫茶に行こう...新発田のカルマ(夜編)~そんなに悪い夜じゃなかった
さて、忘却の街、阿賀野市で写真を撮ったのが前回の記事。その続きである。阿賀野市を出た僕は、隣の新発田市まで来た。新発田市は馴染のある街で、何回も来たことがある。その隣町といえば聖篭町(西側)、あるいは中条市(東側)というイメージであり、南隣に阿賀野市があることは今回知った。何故、新発田に来たのか。それは忘却の彼方にある光景を求めるといっても、現実的に阿賀野市に朝から晩まで滞在することには無理がある。それは最初から想定していた(その通りとなった)。だから新発田市に宿を取ることに決めていたのである。この機会に久しぶりに新発田の街を歩こう。宿泊もするので、初めて夜の時間も歩こう。そしてジャズ喫茶にも行こう。それが今回のプランだ。本当は鉄道で来たかったのだが、そういった移動の効率から泣く泣くクルマで来ることになっ...新発田のカルマ(昼編)〜上書き保存しよう
貴方にはこんな経験がないだろうか。クルマでも鉄道でも良い。どこかに向かうときに偶然車窓からある光景を眼にする。理由は分からないけど、その光景に強く惹かれる。現実的には時間や手段がなく、そこに立ち寄ることは断念する。そして心のなかで思う。いつかここに改めて来よう、と。その「いつか」は実際のところ、なかなか訪れない。殆どの場合、二度と訪れないと言ってもよいだろう。暫くの間は喉に刺さった魚の小骨のように、「あの光景」が気になって仕方ない。どうにも気持ち悪くて仕方がない。そんな違和感も時の流れと共に薄れ、いつしか忘却の彼方に消えていく。「あれ何だか気になっていたけど、何だったかな」と・・・。それで良いのだろう。曖昧に何かを忘れていかなければ、我々は日常生活を営むことが難しくなる。それでも稀に、稀にではあるが、その...忘却の彼方の光景へ!
前回は、オークションに出品したレンズでのラストショットを掲載した。今日もラストショットだけど、これはX-PRO3でのラストショット。少し前の新潟村上シリーズの写真である。ダーティーといえるほど濃い描写だ。カメラ設定で微妙なカスタマイズをしているものの、通常のフィルムシミュレーション「クラシックネガ」である。これをX-T5で撮ると、恐らくもっとお上品になってしまうだろう。カメラやレンズは高画質であるほど良いとは限らないことを再認識した。例えれば、こんな話だ。高性能高出力のクルマに乗り換えて、数値的には明らかに速くなっている筈なのに、以前のクルマの方が加速が良かったように感じる。あるいは・・・。古いスピーカーを最新の後継機種に変えた。出力特性は劇的に向上している筈なのに、前のスピーカーの音の方が迫力がある。こ...これもラストショット
秋田県の旧・鳥海町(由利本荘市)である。雪は少ない。例年であれば長靴を履かなければ歩けないくらいに雪が積もっている。今年の少雪を象徴する光景である。旧・鳥海町は名古屋市と概ね同程じ面積を持つ町だった。名古屋市の人口が約233万人であるのに対し、旧・鳥海町は約6000人だった。人口密度は名古屋の約400分の1となる。鳥海山の麓に位置し、山間部まで広く集落が点在している。今回の写真は旧・鳥海町の一番賑やかな場所であり、東京でいえば銀座と新宿を足して2で割ったような地区である。都市部と地方部の相互理解が進まないのも無理はないと思う。さて、鳥海町は三船敏郎ゆかりの地でもある。鳥海町には三船敏郎の本家(父方の実家=三船家)がある。茅葺の立派な家屋であり、今でも残っている。三船敏郎(以下「三船」)の父がそこで生まれ育...鳥海町と三船敏郎
カメラの初撮りは場所を酒田に移動して続く。ここに来て別のフィルムシミュレーションも試したので、もう訳が分からなくなる。いつまでも能書きを垂れていても仕方あるまい。暫くは撮りまくろう。描写には納得いっていな部分が多い。だからこそ撮りたくなる。その為に最近ご無沙汰の場所にも、お気に入りの場所にも、そしてこれまで行っていなかった場所にも行く理由が出来る。今回もこうして酒田に来た。こうして、ああでもない、こうでもないとボヤくことが好きなのかもしれない。X-T5/XF23mmF2RWR酒田に来るその理由
丸5年以上使ったカメラ(X-PRO3)を処分し、新しいカメラ(X-T5)を手に入れた。カメラを処分するときは、いつだって一抹の寂しさを抱くけど、新しいカメラが来ればそんなことは忘れ、心躍る刻を過ごすものだ。でも今回は違う。X-PRO3は中古相場が沸騰しており、新品購入時の価格はとうに超えている。国産ミラーレスカメラとしては異例なことだと思う。そのお陰もあり、今回の下取り購入では約6千円という嘘みたいな価格で済ますことが出来た(中古機を買いました)。しかもマップカメラのポイントが10000ptも付いた。・・・・。でもそういう問題ではない。X-T5はカメラとしての性能昨日はX-PRO3を完全に凌駕する。それでも喪失感は消えない。まずは新しい機材環境に慣れよう。その後のことは、その後のことだ。さて、そんなわけで...しっくりこなかった初撮り
2019年の発売から丸5年以上、富士フィルムのX-PRO3を使ってきた。昨年カメラの大整理をした際に一度手放した。代替機がしっくりこず、結局再びX-PRO3を買い戻した。迷走している感があった、そして今回、またもやX-PRO3を売却し、今度はX-T5という機種を購入した。これらは全て下取り交換を利用しているので、実際の手出しのお金は少ない。今回の差額は6400円。つまり6400円払ってカメラを新機種(中古)に交換したわけだ。X-PRO3のリセールバリューは衰えを知らない。X-PRO3はとても気に入っていた。もはや相棒レベルだ。でも液晶の稼働分の構造に問題があり、液晶が突然死するという致命的なリスクを孕んでいる。この件でアメリカでは巨額な集団訴訟まで起こされている。単なる個体差や運ではない。設計と構造の問題...さようならX-PRO3
前段が多くなったが、いよいよ郡山の夜。時間帯と場所にもよるだろうが、街は以前のような騒々しいイメージはなかった。僕が歩いた場所では呼び込みなどの姿も見かけなかった。チェーン店、地場店、様々な店もあった。ここが出張で泊まった場所であれば、特に不満はないだろう。でも今回は忖度なしの評価をする。これは街自体の評価ではなく、僕と街の相性に対する評価である。結論からいえゔぁ、今後の福島訪問で郡山を拠点にすることはないと思う。位置的にも交通的にも絶妙な場所であることは確かだ。過不足なく夜を楽しむこともできるだろう。でも過不足なく夜を楽しむために泊まるわけではないのである。今回は楽しかったにしろ次は無いと思う。拠点とするには、いささか賑やか過ぎた。もう少し落ち着いた街で、ボロ宿を探すことにしよう。その気持とシンクロした...シカゴ郡山(終)〜さようなら郡山
僕が持っていた郡山の騒々しいイメージ。駅前の繁華街には客引きが溢れ、平均すれば10メートル毎に一人が声を掛けてくる。もう四半世紀前の出張時のことである。確かに当時はそういう繁華街が多かった。それにしても郡山の客引きは見るからに胡散臭く、無下に断ると悪態をついてくる始末だった。それが鬱陶しく食事をする店選びも適当になり、美味しいものを食べた記憶もない。食事が終われば、下世話な風俗店の呼び込みがまた付いてくる。きっと今でもそうなんだろうと思っていた。まずは陽の高いうちに繁華街の町並みを撮ろう。西陽が差す町に繰り出した。うん、まあ昼間は普通の街だ。何となくだけど、素っ気ないビルが乱立した繁華街だとばかり思っていた。意外なことに古い昔ながらの飲食店(の建物)も残っていた。もっとも十年くらい前に営業を辞めたような店...シカゴ郡山②〜風情の残り香
福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コ...シカゴ郡山①〜イメージからの脱却
福島方面に一泊二日の遠征に行ってきた。それは旅行(物味遊山)ではない。便宜的に「旅」とも表現するが、少し違うような気もする。今後も増えるであろう福島方面への外出、つまりは東北コンプリートへの挑戦は、「遠征」という表現がしっくりくる。今回の道中では、5つの新たな町を巡った。①川俣町、②大玉村、③旧・白沢村(本宮市)、④旧・岩代町(二本松市)、⑤旧・東和町(二本松市)の5つである。全く全貌の掴めなかった福島コンプリートも道筋は見えてきた。それでも全92市町村に対し、現状では約35の市町村にしか行けていない。ほぼ日帰りは不可能なので、拠点となる宿(温泉付きのボロ宿が理想)も確保しないと達成は無理だろう。今回の遠征は大雪の最中であり、道路事情も心配された。でもそんなことを心配していては到底コンプリートなど達成でき...福島コンプリート経過報告〜川俣町の光景
ここ数年、「ネオン球」を撮影することがマイブームとなっている。「ネオン球」とはキャバレーの電飾看板のネオン電球のことである。以前はそういう看板を持つ店舗が幾つかあった。今では写真の店しか残っていない。いつもはアップの写真だけを掲載しているが、年始のサービス(?)で全景をアップした。僕はこんなところで電球を接写している。ネオン球を接写する僕を、車のドライバーが胡散臭そうに見るというシュールな光景が繰り広げられている。撮影は営業開始前の昼間にだけ行う。いつの日か電球が灯るネオン球の本当の姿を見たいものである。X-PRO3/XF16-80mmF4ROISWR2025年の秋田市②〜ネオン球の総本山
深い意味はない。2025年になってから撮影した町並みの写真であり、山形県鶴岡市に初詣に出かけたことを除けば、秋田市でしか町並みの写真を撮っていない。1月4日の街の光景を掲載した。まあその「街」は僕の好みの場所だけれど・・・。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical2025年の秋田市①〜好みの場所の光景
それにしても酷いタイトルだ(笑)。今回、石鳥屋に来たのは久々の定点観測に加え、お酒を買うためである。石鳥谷は南部杜氏の里と呼ばれ、日本酒造りが盛んな町でもある。少し前にブロ友さんの記事を拝見し、七福神という酒を飲みたくなった。お正月用に購入した。こうなると「酒を買うことをダシに、街で写真を撮る」のか、「街で写真を撮ることをダシに、酒を買う」のか、自分でも分からなくなる。石鳥谷の町には清々しいほど誰も歩いていなかった。この町は亡き上原師匠推薦の町であり、ここに来るたびに僕は少し緊張する。もうフィルムカメラを使うことは滅多にないが、気持ちだけはネガフィルムに寄り添って撮影した。X-PRO3/XF23mmF2RWR石鳥谷で街撮りや
24日の午後から、今朝まで風邪でダウンしていた。コロナとインフルエンザは陰性。喉が痛くて飲み物を飲むのも辛かった。全快ならずも、今朝は大分マシになった。普段は珈琲を飲みながらブログをアップするけど、ホットミルク片手に更新している。さて、花巻編の最終回(作成済なのにアップロードする気力がなかった)です。僕は花巻の中心部を大きく3つに分けている。①駅前周辺、②市役所周辺、③マルカンデパート周辺、の3エリアである。本当は更に細分化しているので、いささか乱暴な区分けにはなる。でも大まかには3つだ。3つ全てを歩けば、丸一日コースとなるので、大抵は一つか二つのエリアを歩く。悪いことに気になる物件は均等に分散しており、①のエリアを歩いているときに、突然③のエリアの物件の写真を撮りたくなったりする。写真撮りにとっては幸せ...花巻温故知新(終)~エトセトラ、エトセトラ
ここも恋焦がれる花巻スポットである。街中のエアポケットのような立地にあり、いくらGoogleマップ(ストリートビュー)を眺めても決して検索することは不可能な場所だ。縁がなければ一生足を踏み入れることはないだろう。僕は何かの縁に導かれ、初めて花巻の街を歩いたその日、わずか十数分で此処に辿り着いた。それはちょっとした奇跡だと今でも思っている。小っ恥ずかしいけど、僕が花巻と恋に落ちた瞬間だった。初めて見た時点で、テル美容室は閉店してから長い時間が経っていることは明らかだった。それでも、その佇まいからすぐに分かった。少しだけ昔、お洒落な花巻娘(今では大々お姉様)は、この店に集っていた。新しい髪型、流行のセットをここで整えていたに違いない。花巻の流行はこの場所から発信されていたのだ。今では店は眠りにつくけど、往時の...花巻温故知新②~花巻モード
茶色とマゼンタが入り混じった光景が、東北の町には溢れている。一口に茶色といっても、そのバリエーションは実に豊富である。一つの物の色だってグラデーションのように色の幅を持っている。「◯◯色」と単純に言い切ることは出来ないし、10色の基本カラーで表現することも難しい。そこで今回の3枚の写真。どの部分を取るかで判断は分かれるだろうけど、一応はどういう色なのかを調べた。上から順に、①栗皮色、②土器色、③駱駝色、が最も近いようだった。カメラの設定や画像処理エンジンによっても異なると思う。ご注意戴きたいことは、街の色が豊富であることの例えで使った色名である。一般論でいえば、奥方やパートナーに向って「その土器色のセーター良いね」等とは言わない方が良いだろう。・・・。誰もそんな風に言わないか。X-PRO3/XF23mmF...土器色の愛しい人
昨年は記録的な少雪だった。個人的にも色々あり、雪の街を歩いて写真を撮ることは殆どなかった。今年度の冬季シーズンの始まりにあたり、手順確認を兼ねたリハビリ的な撮影を行った。色々なことを忘れていた。フードなしのダウンジャケット姿で、傘も持たずに歩いたので、早々にびしょ濡れになる。手袋もニット素材なので雪が染み込み使い物にならなくなった。歩き始めたときは薄日の刺す曇り空で、歩いているうちに雪が強くなった。レンズの前玉(フィルター付き)に水滴が着いたが、拭くものも持っていなかった。諦めてクルマに戻り帰りかける頃に、また薄日が差した。そんなこんなのすべてが懐かしい感覚だった。雪の街を歩く高揚感、冷たさ。それ故に感じる暖かい場所の有り難さ。数年前までは地吹雪が吹こうと町で撮影していた(嘘です、大げさに言いました)。今...東北の町には冬が似合う
秋田県横手市にて。とうとう雪が振り始めた。天気予報の大げさな報道については一家言持っているが、それは別の機会にする。横手市は豪雪地域である。本格的な積雪シーズンになると、街歩きは困難となる。今のうちに今年の撮り納めとばかり、出かけてきた。この写真は僕が勝手に「さばきの商店」と呼ぶ廃業した店である。「死後さばきにあう」のキリスト看板が目印だ。雪のなか、フィルムシミュレーション「クラシックネガ」で粒状度(強+大)で撮ると、表現のしようもない写りになった。これを若い人たちは「エモい」と言うのだろうか。多分違うな。X-PRO3/XF23mmF2RWRさばきの商店
日本全国には約500か所の銀座があるそうだ。データは見つからなかったが、ほぼすべての都道府県に存在すると考えて良いだろう。そしてここは仙台銀座、正式には仙台銀座商店街である。世の中に色々な銀座がある。その規模も形式もバリエーションに富んでいる。それにしても不思議に思う。何故ここを「銀座」としたのだろうか。仙台は東北では最も大きな街だし、それなりに都会である。いや結構都会である。例えば、角田市とか栗原市であるならば分からなくもない(両市の方、すいません)。角田銀座、うん。これなら分かる。でも仙台であるならば、他の場所がふさわしいのではないだろうか。というか、そもそも銀座というより横丁だよな、と思う。商店街と言いつつ、ほぼ全てが夜の飲食店なのである。つまりここが「仙台思い出横丁」とか「仙台ゴールデン街」であれ...仙台銀座の謎、再び
これも秋田市川反の繁華街。30分5000円と書かれたピンクキャバレー(多分)のネオン看板があり、その電球部分のアップ写真である。僕はネオン玉と呼んでいる。夜は綺羅びやかに光るであろうネオン玉も、昼間はビルの谷間の空を鈍く映している。ふと思う。ネオン玉が映したいものは、本当にこの空なのだろうか。もしそれが叶うのであれば、本当は映したい別の何かがあるのだろうか。ネオン玉が喋れるものであれば、聞いてみたい。X-PRO3/XF23mmF2RWRネオン玉が映したいもの
おでんを摘まみながら熱燗をきゅっとやって、怪し気なアロマで二次会。さらに熟女クラブでジャズを聴いて(聴けるのか?)、返す刀で30分5000円の店へ行き、締めにブラジル珈琲を飲む。あ、脳内の話です。このうち実際にやったことがあるのは、最初の「おでん」だけ。ここだけの話、他のところに行ったところで、言うほど楽しくないと思う。むしろ嫌な思いをするかもしれない。そもそも「アロマ」と「ブラジル珈琲」は、もう営業していない(筈)。だから、こうやって脳内トリップをしながら写真を撮る。お金も掛からないし、時間も取らず、実に楽しい。昼間の川反(秋田の繁華街)で、こんなことをしているのは僕くらいなものだ。追伸:撮影が終わり、クルマに乗り込み帰ろうとした。信号で止まったところ、珍しく同業者を発見。それもギャルみたいな恰好をした...ディープな繁華街の仮想現実
山形県鶴岡市の羽黒山五重塔。令和5年の5月から1年半に渡って屋根修復の工事が行われていた。その工事も完了し、久しぶりに勇姿を拝見した。僕は下側の駐車場にクルマを停め、片道10分と掛からない参道を歩いて見に行った。その参道(石段)を登っていけば、本殿に到達する。僕は本殿に行くときは、有料道路を走行してクルマで行く。でも一度この参道を歩いてみなければと思っている。この五重塔は東北最古のもので、本来の建立は約千年前、鎌倉時代のことになる。実際、4枚めの写真の大杉は樹齢千年を超えているそうだ。現在の塔は室町時代(西暦1370年頃)に建て直されたものである。塔は杉林の中にあり、周囲には何もない。こんな林の中にこつ然と姿を表す五重塔は、とても美しい。ここに来ると、身も心もぴしっと締まることを実感する。X-PRO3/X...羽黒山の五重塔〜聖なる場所を見た
敢えていえば、「悲しい」ではなく「哀しい」。もっといえば、「哀しい」でも十分ではない。日本語の「かなしい」は、かくも深く多様な意味を持っている。これを英語ではどう表現するのだろうか。多分、即物的になるのだろうなと思って調べてみた。いちいち挙げないけど、英語にも「かなしさ」を表現する言葉は沢山あった。もしかしたら日本語以上に多彩かもしれない。とても使い分けられない。つまり人類には数え切れないほどの「かなしさ」があるのだと、今更ながら気づいた。さて、11月の酒田市(山形県)の町並みである。11月の冷たい雨に濡れた酒田には、言いようのない「哀しさ」が溢れていた。それは単一的な「かなしみ」ではなく、様々な感情(正反対の感情)を抱合している。僕の解釈ではなく、見る方の解釈が何よりも優先されるだろう。一点だけ補足する...11月のメランコリー酒田
これも何度も書いていることだが、僕は盛岡という街が好きだ。街の規模だとか、雰囲気が本当にしっくり来る。都会すぎず、田舎過ぎず、広過ぎず、狭過ぎず。そして歩いて色々なところを廻れるところも良い。仕事の出張があったことを幸いに、盛岡に一泊して写真を撮った。それが今回の記事であり、主に夕刻から夜に至る時間帯のものである。通常は繁華街のど真ん中に宿を取る。それはそれで十分楽しいけど、結局は繁華街で飲みすぎて撃沈するのが習わしだ。今回は繁華街から少し離れたところに泊まったので、昼にしか来たことのない街角の夜の様子も見ることが出来た。また、これまでになかった新たなことは、街中で同業者を頻繁に見かけるようになったことである。同業者というのは、僕と同じように街の写真を撮る人たちだ。大抵、僕が行く街では僕以外に写真を撮る人...盛岡アフターダーク
旧・上北町から更に北上し、東北町(元々の旧・東北町)まで来た。ここは野辺地の南側に位置し、野辺地駅までは鉄道で行けば2駅10分ほどの距離である。むつ市からの帰路に野辺地に立ち寄ったことがある。是非、東北町(乙供駅)までと思ったが、時間の関係で泣く泣く諦めた。やっと念願叶って来ることが出来た。時間は夕刻の一歩手前。この後は、近くの温泉銭湯に宿を取ることになっていた(掲載しません)。時間帯のせいもあるけど、じわじわと来る町だった。寂しさが胸に染み入り、優しい気持ちにさせてくれた。「からすと一緒に帰りましょう」と頭の中でメロディーが鳴った。そんな町は中々ない。厳冬期の姿も見てみたい。犬は見つからなかったものの、道路を横断する猫を見た。猫たらしの僕でさえ呼び込むことが出来ないほど、警戒心の強い猫だった。旅の一日目...三沢に犬を探しに行こう④〜町の日が暮れる
三沢へは十和田湖、おいらせ渓流を経由して向かった。丁度紅葉が真っ盛りで、とても美しかった。多くの人が紅葉目当てで集まっていた。その美しい光景を他所に、脇目も振らず三沢に向かう自分が可笑しかった。まずは寺山修司記念館。次いで三沢の繁華街。一般的に秋の行楽シーズンに向かう先ではない。そんなことは関係なく、僕は三沢の繁華街にクルマを停め、街中に繰り出した。犬を探しに来たと言いつつ、まるで自分自身が犬でになったような気分だ。嗅覚を頼りに一直線に三沢に来た。そしてまた嗅覚を頼りに、以前に歩いた街を歩く。マーキングした場所は鼻が覚えている。今回、三沢に泊まり、この繁華街の夜の姿を見るべきかどうか迷った。結局は青森の地場温泉(宿泊できる温泉銭湯)に泊まることにした。見ない方が良い気がしたのである。これも普通、夜の繁華街...三沢に犬を探しに行こう②〜犬の記憶
その日、僕は青森県某所をクルマで走っていた。目的地となる未踏の町(旧町部0に差し掛かった時、この光景が眼に入った。一瞬の通貨でもあり、それが何なのか当初は分からなかった。スキー用品などを扱っていたスポーツ用品店が廃業した跡地ではないかと想像していた。クルマを近くに停め、再び現地に戻る。こんなに狙ったの如く看板の文字が落ちることがあるのだろうか。それは「スノーキムラ」ではなく、スーパーキムラの跡地だった。傾いた陽の光が、金色のスノーキムラを鈍く光らせていた。よく「HONDA」のバイク屋さんが、「ONDA」とか「HODA」になっているのは見る。「パチンコ」が「チンコ」になっていることもある。でも「スーパー」が「スノー」になるとは想像もしなかった。ここがハイライト(笑)の青森方面の遠足、明日から掲載します。X-...スノーキムラがある光景
フィルムシミュレーション「クラシックネガ」、レンズはノクトン23㎜、WB固定(5900K)。もはやこれはフィルムで撮った写真そのものだ。少し前にメッセージで批判を受けたという話を書いた。批判内容を確認すると①トーンが暗い、②色が濁っている、③被写体が廃れている、だった。これを僕流に解釈して、①Dark(暗い))、②Dull(濁った)、③DieOut(廃れた)と言い換えよう。3つのD、つまりは3D写真である。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2AsphericalLikeaFilmCamera~私的3D写真
初めて大東町に来たのは何時のことだったのか、それは覚えていない。確かなことは、僕が最初に来た頃と今では多少の変化はある。何かが失くなったり、どこかが変わったり・・・。それでも大きく捉えれば、ここは紛うことなく大東町であり、本質的なことは変わっていないようにも見える。こうして撮っている自分はどうだ?。進歩がないとも言えるけど、自分では何も変わっていないと思ってはいる。でもそんな訳はない。町が経年するように、僕という一人の人間も同じだけ歳を取っていく。以前はその事実に焦燥感が募ったが、今ではそれも別に悪くないと考え始めた。ああこうやって僕は歳を取っていくのだな。町を歩きながらニヤッとした。MakiAsakawa浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら(歌詞付)」X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23...あの頃の大東町(終)〜こんな風に過ぎて行くのなら
岩手県の旧・大東町大原地区である。丁度、昨日掲載したラーメン屋さんの周辺だ。大東町には、大原、猿沢、摺沢という3つの町並みがあり、どれも魅力的な町並みだから困る。岩手コンプリート達成後、訪問機会が減っているが、それは飽きたからではない。なまじ町の魅力を知ってしまったから、生半可な気持ちで来ることが難しくなっているのだ。どうしても本腰を入れて歩かざる得なくなる。前後の予定とか、帰宅時間とか、色々なことに支障が出る可能性がある。支障が出たとしても歩くことを選ばされてしまう、そういう危険な町なのである。この日はラーメン屋さんに行くことありきで訪れたけど、正直「面倒なことにならないだろうか」と腰が重かったのも事実である。とにかく摺沢や猿沢には近づかないようにして、大原地区だけを歩こう。上原師匠の写真から岩手の街道...あの頃の大東町①〜君子、危うきに近づく