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以前は夜の川反を歩くことが楽しくて、それこそ隅から隅まで歩いたものだ。最近はそもそも夜の川反に行かないし、行ったとしてもあまり歩かない。この日も久しぶりの夜の繁華街なのに、それほど気分が盛り上がらない。呑みたいという欲求も途中で尻すぼみになった。こんな夜は無理せず歩くことにしよう。僕はそもそも酒場放浪人ではなく、マチアルキニストなのだから。そうして夜は更けていき、僕の時間は終わりを告げたのだった。X-T5/XF23mmF2RWR夜の川反(終)〜夜のマチアルキニスト
こんばんは〜ご訪問ありがとうございますにほんブログ村何だか急に肌寒くなっちゃいましたね。朝から降っていた雨も夕方には上がって明日はもう少し暖かく23℃予想です。良い日になれば良いなぁ。前記事の続きです。根津神社で参拝しておわら節を堪能して境内ぶらぶらのあと
岐阜駅から高山本線の普通列車を乗り継いで飛騨金山へ向かいました。 定刻通り9時27分に飛騨金山に到着。 駅舎内の観光案内所で筋骨めぐりのマップをもらって出発です。 飛騨地方では狭い入り組んだ路地を筋骨と言うそうで、金山には極上の筋骨が残っているようです。 町もけっこう観光PR力を入れています。 (私も2年くらい前にたまたま知ったので、そんなに知られていないかも🤔) hidakanayama.com 金山は飛騨街道の金山宿として昔から栄えていた場所でした。 江戸時代はずっと尾張藩の藩領でした。 飛騨川と馬瀬川の合流地点にかかる金山橋を渡ります。 駅から続くメインストリートです。 奥飛騨酒造さんで…
秋田県最過疎の村、上小阿仁村を抜けてたどり着いたのは、鷹ノ巣という町である。旧・鷹巣町、現在は北秋田市となっている。北秋田市は、鷹巣町に加え、森吉町、愛川町、阿仁町がの4町が合併して新設された市である。森林面積が大きく、林業などが盛んな地域でもある。また「阿仁マタギ」と呼ばれるマタギがいる場所でもある。僕は鷹ノ巣という町が大好きだ。秋田県に来るまでは、鷹ノ巣という町の存在は知らなかった。初めて鷹ノ巣に来たときは、全く知らなかったのに、思いのほか大きな町で驚いた。きっと最近まで、マタギがここに獲物を売りに来て、銃弾とか刃物を仕入れ、余った金で一杯やったりしたのだろうと勝手に考えてワクワクした。もしかすると違うかもしれないが、想像するだけで楽しかった。今でも年に3〜4回は、この町に来て写真を撮る。さて今回の鷹...鷹ノ巣モノクローム①〜マタギの銀座
宮城県の栗駒町。初めて訪れたのは2023年の3月、丁度2年前のことだった。町並みに心躍ったことを昨日のことのように覚えている。その年の2月に僕は、心房細動の治療としてカテーテル・アブレーションという手術を受けたばかりだった。経過は順調だったけど、流石に無理は禁物だった。体調が万全になったらまた来ようと思っていた。そして2025年3月。再び栗駒町を訪れたわけだ。今回撮った写真を家で見直したところ、コピーのように2年前と同じような写真を撮っていた。これはデジャビュであり、2年前に戻ったのではないかとすら思った。栗駒町は周囲から独立した町並みであり、ここだけ異空間に存在しており、いまだに昭和が続いているのではないか。そんな錯覚を覚える。もう一回続きます。X-T5/XF23mmF1.4RLMWR魅惑の栗駒町①~究極のデジャビュ
NanbaSquare,ChuoWard,OsakaCityさてさて、久しぶりに難波を訪れたワタクシは、難波八阪神社を後にして難波の中心部に向かっていました。久しぶりとはいえ勝手知ったる難波ですので、地図などを見なくても道に迷うことはありません。裏通りを歩くと、そこには昔懐かしい風景がまだ残っていました。今では大阪も随分と小綺麗な町並みに変わりつつあり、ワタクシのように昭和の時代に大阪で育ったネイティブ大阪人には「大阪らしさが失われていくなぁ」と思ってしまうのです。でも、一歩裏通りに入っていくと、まだまだ昔ながらの町並みが広がっているんですね。と思っていたら、こんなオシャレな看板がありました。そして、こんなオシャレな空間が広がっていました。うーむ、難波も変わりつつありますな。南海なんば駅の近くに来ると「自...変わりゆく「なんば」-大阪市中央区:なんば広場
そんなわけで陽は落ちて夜が来た。夕刻までの時間は、末席ながら自分のことを写真撮りと思っている。夜の帳が降りてからは、旅人と呑兵衛の比率が写真撮りを上回る。夕方までは高揚感に包まれながらも、どこか覚めた眼と意識で街を見ている。それが今や僕は夜の街の一部と化し、弛緩した意識を保ちながらも単なる酔い人となる。犬から酔っぱらい(笑)。もう被写体の細部なんか見えていない。身を置いたその場から見えるものを拾い上げるだけである。写真だって人様に見せるようなものではないかもしれない。そんな僕の唯一優れたところを記すとすれば、街への紛れ方だと思う。酔客が闊歩する繁華街(この日は殆ど居なかったが・・・)。明かりを灯した夜の店。ここで写真を撮ればトラブルに発展する可能性もある。でも僕はどこからどう見ても一人の酔っぱらいのオッサ...八戸探訪(終)~夜は野となれ山となれ
鉄道で来た八戸探訪の旅。これまで鉄道旅だと嬉しくて、ついつい昼間のビールを飲み過ぎ、夜にダメージが残るパターンが多かった。今回は対策はバッチリ。往路は酒を一滴も飲まなかった。酒蔵見学で試飲はしたが、お代わりはしていない。ホテルにチェックインしてから休息を挟み、万全の態勢で夕刻の街に出た。八戸夕刻の時間は、ほぼノープラン。最初の一杯はビールで、陸奥八仙を必ず飲む、と飲酒のことは決めていた。それでも一つだけ気になっていることがあった。それが1~2枚目の「マルタ」の建物である。毎回八戸に来る度に撮っていて、頭に残っている。でもあれが何処にあったのかは記憶にない。まあいい、それが必然であれば歩いているうちに見つけるだろう。上原師匠はよく言っていた。「この町で写真を撮る人間であれば、〇〇には必ず辿り着くのです」と。...八戸探訪⑤~夕刻の嗅覚(再び犬となる)
八戸は太平洋に面した港町で、同じ青森県の日本海側や内陸部に比べると積雪量は少ない。それでも北国は北国。雪も降るし、浜風が厳しく体感温度は低い。かつて港から上がった船員で賑わった遊里の町の飲屋街にも工夫が見られる。内部廊下が異様に長い飲屋長屋のような構造の建物が幾つも見られる。元々バラックの飲屋があり、それを連結して屋根代わりに二階部分を増築したのかもしれない。薄暗いトンネル廊下は50mくらいありそうだ。内部の店を飲み歩き、外に出たらいつの間にか明るくなっていた。そんなこともあったかもしれない。まるで竜宮城から出て来たかのような感覚を覚えたに違いない。内部の店が今でも営業しているのかどうかは疑わしい。殆どは廃業しているとみて間違いない。それでも幾つかの店は現役のようでもある。僕は店が営業している姿を思い描き...八戸探訪④〜小中野竜宮城(後編)
八戸探訪編に戻る。八戸に来るのは3回目であり、過去2回はどうしても本八戸の中心地を歩くことがメインの日程になっていた(陸奥湊まで行って、魚市場で朝食を食べたが・・・)。今回は中心地以外の場所も歩いてみようと思い、小中野駅から散策を始めた。実際は、ここから旅を始め、小中野を抜けて八戸酒造に行ったのが本当の時間軸だ。だから前回の蔵元見学から少しだけ時間を巻き戻すことになる。八戸でやりたいと思っていたことの一つに、新むつ旅館に泊まることがあった。元遊郭が転業した旅館で、玄関を入った大広間に部屋に登る見事な大階段がある。僕は青森黒石の中村旅館には3〜4回泊まっており、同じく元遊郭の中村旅館にも朱塗りの大階段がある。新むつ旅館の階段は中村旅館より遥かに大きなものである。いつか行こうと思いながら時間は流れ、とうとう新...八戸探訪③〜小中野の遊里を歩く(前編)
秋田川反のかっぱ小路。最果て感と場末感が最大の魅力である。実のところ、ここ数年で内部の店は入れ替わり、以前からの店はもう殆ど残っていない。まさか令和になって、かっぱ小路に動きがあるとは想像すらしなかった。店の看板は変わっても、雪が積もる小路は一見同じように見える。だが大きく違う点がある。そこにはもう猫の姿はないことだ。ここをねぐらとする猫はいないのである。猫がいない「かっぱ小路」なんて・・・。そのうち河童もいなくなるに違いない。X-T5/XF23mmF2RWRかっぱ小路に猫はもういない
突っ込みどころ満載なので、順を追って説明する。①まずここは秋田県ではなく山形県新庄市である。②新宿ゴールデン街ではなく新庄のゴールデン街である。③雪は「あまねく」降るものではなく、貧富の差よりも激しく偏重する。というわけで・・・。祝日の2月11日に、所用があって秋田県湯沢市に出かけた(ここで写真は撮っていない)。そこから車で1時間ほど足を伸ばし、山形県の新庄市まで出かけた。秋田県側は大した雪ではないが、峠道を山形県側に入ると突然の豪雪となった、天候と県境は関係ないのに不思議な話だ。視界ゼロ。今年初めてのホワイトアウト。死ぬ思いをして新庄に辿り着いた。峠ほどではないけど、新庄の繁華街も雪に埋もれていた。ここは正確には「あけぼの町」という場所で、新庄のゴールデン街の異名を持つ。新庄の街中に泊まる理由もなく、繁...雪の繁華街~新庄ゴールデン街
以下はブログ休止中に書いた文章なので、古いのはごかんべんください😌。 NHK「ドキュメント72時間 年末スペシャル2024」を見ました。「ドキュメント72時間」とは、飲食店・図書館・道の駅・旅館・墓地など色々な人がやってくる場所で、72時間インタビューを行なう番組
天神から西へと伸びている明治通りその道路から北側になりますその辺りの裏通りを歩いてみました住吉神社前の通り『明治通り』が出来る前はこちらが表通りだったので...
前段が多くなったが、いよいよ郡山の夜。時間帯と場所にもよるだろうが、街は以前のような騒々しいイメージはなかった。僕が歩いた場所では呼び込みなどの姿も見かけなかった。チェーン店、地場店、様々な店もあった。ここが出張で泊まった場所であれば、特に不満はないだろう。でも今回は忖度なしの評価をする。これは街自体の評価ではなく、僕と街の相性に対する評価である。結論からいえゔぁ、今後の福島訪問で郡山を拠点にすることはないと思う。位置的にも交通的にも絶妙な場所であることは確かだ。過不足なく夜を楽しむこともできるだろう。でも過不足なく夜を楽しむために泊まるわけではないのである。今回は楽しかったにしろ次は無いと思う。拠点とするには、いささか賑やか過ぎた。もう少し落ち着いた街で、ボロ宿を探すことにしよう。その気持とシンクロした...シカゴ郡山(終)〜さようなら郡山
僕が持っていた郡山の騒々しいイメージ。駅前の繁華街には客引きが溢れ、平均すれば10メートル毎に一人が声を掛けてくる。もう四半世紀前の出張時のことである。確かに当時はそういう繁華街が多かった。それにしても郡山の客引きは見るからに胡散臭く、無下に断ると悪態をついてくる始末だった。それが鬱陶しく食事をする店選びも適当になり、美味しいものを食べた記憶もない。食事が終われば、下世話な風俗店の呼び込みがまた付いてくる。きっと今でもそうなんだろうと思っていた。まずは陽の高いうちに繁華街の町並みを撮ろう。西陽が差す町に繰り出した。うん、まあ昼間は普通の街だ。何となくだけど、素っ気ないビルが乱立した繁華街だとばかり思っていた。意外なことに古い昔ながらの飲食店(の建物)も残っていた。もっとも十年くらい前に営業を辞めたような店...シカゴ郡山②〜風情の残り香
福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コ...シカゴ郡山①〜イメージからの脱却
前にもちらっとご報告いたしましたが この度ご縁がありまして 京都清水寺にある 路地裏3坪雑貨店さまで委託販売させていただきます。 期間は12月28日から2月11日まで お店の近くは着物の
ここも恋焦がれる花巻スポットである。街中のエアポケットのような立地にあり、いくらGoogleマップ(ストリートビュー)を眺めても決して検索することは不可能な場所だ。縁がなければ一生足を踏み入れることはないだろう。僕は何かの縁に導かれ、初めて花巻の街を歩いたその日、わずか十数分で此処に辿り着いた。それはちょっとした奇跡だと今でも思っている。小っ恥ずかしいけど、僕が花巻と恋に落ちた瞬間だった。初めて見た時点で、テル美容室は閉店してから長い時間が経っていることは明らかだった。それでも、その佇まいからすぐに分かった。少しだけ昔、お洒落な花巻娘(今では大々お姉様)は、この店に集っていた。新しい髪型、流行のセットをここで整えていたに違いない。花巻の流行はこの場所から発信されていたのだ。今では店は眠りにつくけど、往時の...花巻温故知新②~花巻モード
日本全国には約500か所の銀座があるそうだ。データは見つからなかったが、ほぼすべての都道府県に存在すると考えて良いだろう。そしてここは仙台銀座、正式には仙台銀座商店街である。世の中に色々な銀座がある。その規模も形式もバリエーションに富んでいる。それにしても不思議に思う。何故ここを「銀座」としたのだろうか。仙台は東北では最も大きな街だし、それなりに都会である。いや結構都会である。例えば、角田市とか栗原市であるならば分からなくもない(両市の方、すいません)。角田銀座、うん。これなら分かる。でも仙台であるならば、他の場所がふさわしいのではないだろうか。というか、そもそも銀座というより横丁だよな、と思う。商店街と言いつつ、ほぼ全てが夜の飲食店なのである。つまりここが「仙台思い出横丁」とか「仙台ゴールデン街」であれ...仙台銀座の謎、再び
この間購入した畳縁 ちゃんと形になりました✨ これは新しい委託先へ納品します(^-^) 京都清水寺にある 路地裏3坪雑貨店様 短期間ですが 初めての京都です! ドキドキです〜!
江刺の路地歩き、第2回目。実質的には最終回である。随分と様相が異なるにせよ、ここは岩手の神楽坂みたいだと思う。まあ石畳だけが似ているという・・・。また江刺には「えさし藤原の郷」という平安時代のテーマパークもある。なかなか立派な建造物が建ち、平安時代に紛れ込んだかのように感じることのできる場所だ。その藤原の郷は、NHK大河ドラマ「光る君へ」のロケ地となったそうだ。もっとも僕は大河ドラマみたいなものは見たことがないので、どんな場面なのかは知らない。恐らく煌びやかな世界なのだろう。一方、僕は古びた路地を歩き、モノクロで写真を撮るのであった。全く光らない男である。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical江刺の路地を歩く②~光る君、光らない男
江刺の町である。旧・江刺市、現在の奥州市となる。定期的に行きたくなる。よく行くのは、旧市街の蔵町モールという辺りであり、ここは路地が縦横無尽に伸び、所々に蔵が建っている。夜まで粘って歩くような町でもないので、日帰りで時間に追われていても、十分楽しめる。町並み=路地という、僕にとっては理想的な場所でもある。最初に来た時、一枚目の写真の和風バー「路路」でランチカレーライスを食べた。もう10年以上前の話だ。思いっきりスナックの店内で、高齢のママさんの手作りカレーを食べた。親戚の家にお邪魔したかのような親近感だった。もう廃業したと思い込んでいたが、どうも店は継続しているようだ。ママさんは当時から既に高齢だったので、違う方が店を継承したのかもしれない。とすれば、泊りがけで来る価値があるかもしれない。そんなことを考え...江刺の路地を歩く①〜聖地はここにもある
温泉だけではない裏路地も商店街もマーケットにだってわくわく~熱海
温泉地というと必ずと言ってもいいほど名前が出る熱海。首都圏からのアクセスも良く、大小の旅館やホテルのほかに保養所や別荘などもあり老若男女に人気です。坂道も多いので1日かけてゆっくり散歩を楽しんではいかがでしょう。知らない熱海に出会えるかも。
秋田市の繁華街、川反。その中でも特に古い小路、かっぱ小路。バラックが寄せ集められた飲み屋街で、骨の髄まで昭和が染み込んでいた。殆どの店が役目を終え、早晩再開発されるだろう。・・・。そう思ってから十年以上。古い店は次々に姿を消したものの、むしろ若者向けの新たな店が順次開業している。以前からある看板で残っているのは「ニューカジノ」くらいである。このような展開になるとは想定外だった。入口に貼った入居書募集の張り紙で、月の賃料3万円くらいで店を持てることが分かった。誰か秋田に移住して、ここでジャズ喫茶でもやってくれないかな、と思っている。え、僕ですか?。とても飯を食っていく自信がないので、辞めておきます。X-PRO3/XF23mmF2RWRかっぱ小路は変容する〜誰か店を開きませんか
おでんを摘まみながら熱燗をきゅっとやって、怪し気なアロマで二次会。さらに熟女クラブでジャズを聴いて(聴けるのか?)、返す刀で30分5000円の店へ行き、締めにブラジル珈琲を飲む。あ、脳内の話です。このうち実際にやったことがあるのは、最初の「おでん」だけ。ここだけの話、他のところに行ったところで、言うほど楽しくないと思う。むしろ嫌な思いをするかもしれない。そもそも「アロマ」と「ブラジル珈琲」は、もう営業していない(筈)。だから、こうやって脳内トリップをしながら写真を撮る。お金も掛からないし、時間も取らず、実に楽しい。昼間の川反(秋田の繁華街)で、こんなことをしているのは僕くらいなものだ。追伸:撮影が終わり、クルマに乗り込み帰ろうとした。信号で止まったところ、珍しく同業者を発見。それもギャルみたいな恰好をした...ディープな繁華街の仮想現実
敢えていえば、「悲しい」ではなく「哀しい」。もっといえば、「哀しい」でも十分ではない。日本語の「かなしい」は、かくも深く多様な意味を持っている。これを英語ではどう表現するのだろうか。多分、即物的になるのだろうなと思って調べてみた。いちいち挙げないけど、英語にも「かなしさ」を表現する言葉は沢山あった。もしかしたら日本語以上に多彩かもしれない。とても使い分けられない。つまり人類には数え切れないほどの「かなしさ」があるのだと、今更ながら気づいた。さて、11月の酒田市(山形県)の町並みである。11月の冷たい雨に濡れた酒田には、言いようのない「哀しさ」が溢れていた。それは単一的な「かなしみ」ではなく、様々な感情(正反対の感情)を抱合している。僕の解釈ではなく、見る方の解釈が何よりも優先されるだろう。一点だけ補足する...11月のメランコリー酒田
盛岡の夜が明けた。翌朝、僕はホテルをチェックアウトし、荷物を駅のコインロッカーに預けると、小さなカメラだけを持って街に出た。コンデジ一つだけを持って旅に出れば、どれだけ身軽だろう。そう思いつつも、なかなかその勇気は出ない。帰宅までの限られた時間、こうやって身軽なまま町を歩くと、とても気持ち良い。スポーツカーに例えるようだけど、「軽さは正義」。そう実感した。軽快かつ航続距離が飛躍的に向上する。そして狭い路地裏に侵入していく。さあ、最後にあそこに行ってから、新幹線に乗ろう。あそことはどこか。それは次回、盛岡編最終回にて。GRⅢ盛岡町歩き~軽さは正義
これも何度も書いていることだが、僕は盛岡という街が好きだ。街の規模だとか、雰囲気が本当にしっくり来る。都会すぎず、田舎過ぎず、広過ぎず、狭過ぎず。そして歩いて色々なところを廻れるところも良い。仕事の出張があったことを幸いに、盛岡に一泊して写真を撮った。それが今回の記事であり、主に夕刻から夜に至る時間帯のものである。通常は繁華街のど真ん中に宿を取る。それはそれで十分楽しいけど、結局は繁華街で飲みすぎて撃沈するのが習わしだ。今回は繁華街から少し離れたところに泊まったので、昼にしか来たことのない街角の夜の様子も見ることが出来た。また、これまでになかった新たなことは、街中で同業者を頻繁に見かけるようになったことである。同業者というのは、僕と同じように街の写真を撮る人たちだ。大抵、僕が行く街では僕以外に写真を撮る人...盛岡アフターダーク
Fooding Bar Ruelle堂山 リュエル 梅田 隠れ屋的 BAR デート 梅田グルメ
こんばんは。。同じamebloブロガーさんほろちゃんとのはしご酒続き。。1軒目 地酒だいにんぐやすで美味しい海鮮→2軒目イマココ。。同じ堂山にある、知人Din…
三沢へは十和田湖、おいらせ渓流を経由して向かった。丁度紅葉が真っ盛りで、とても美しかった。多くの人が紅葉目当てで集まっていた。その美しい光景を他所に、脇目も振らず三沢に向かう自分が可笑しかった。まずは寺山修司記念館。次いで三沢の繁華街。一般的に秋の行楽シーズンに向かう先ではない。そんなことは関係なく、僕は三沢の繁華街にクルマを停め、街中に繰り出した。犬を探しに来たと言いつつ、まるで自分自身が犬でになったような気分だ。嗅覚を頼りに一直線に三沢に来た。そしてまた嗅覚を頼りに、以前に歩いた街を歩く。マーキングした場所は鼻が覚えている。今回、三沢に泊まり、この繁華街の夜の姿を見るべきかどうか迷った。結局は青森の地場温泉(宿泊できる温泉銭湯)に泊まることにした。見ない方が良い気がしたのである。これも普通、夜の繁華街...三沢に犬を探しに行こう②〜犬の記憶
№2,019 心理学は摩訶不思議256 “ 性格心理テスト 79 "
まずは ポチっと、連ちゃんプッシュでやる気が、 ✖100倍 ポパイのほうれん草です❢ は じ め に ご 挨 拶 本 編 性格心理テスト 79 お わ り に ご 挨 拶 糸屯ちゃんの掲示板 🆕お知らせ 主催サークルのご案内 趣味のブログを楽しむ会 映画バンザイ!! NO MUSIC NO LIFE 洋楽好きのためのサークル 関西サークル ビバ!海外生活 2016年にブログを創めた人のサークル ブログサークルコメント #ハッシュタグ(IN POINT) やる気が、 ✖100倍 ポパイのほうれん草 は じ め に ご 挨 拶 おばんです _ _))ペコリ 白石ですさて本日テーマも、 心理学は摩…
初めて大東町に来たのは何時のことだったのか、それは覚えていない。確かなことは、僕が最初に来た頃と今では多少の変化はある。何かが失くなったり、どこかが変わったり・・・。それでも大きく捉えれば、ここは紛うことなく大東町であり、本質的なことは変わっていないようにも見える。こうして撮っている自分はどうだ?。進歩がないとも言えるけど、自分では何も変わっていないと思ってはいる。でもそんな訳はない。町が経年するように、僕という一人の人間も同じだけ歳を取っていく。以前はその事実に焦燥感が募ったが、今ではそれも別に悪くないと考え始めた。ああこうやって僕は歳を取っていくのだな。町を歩きながらニヤッとした。MakiAsakawa浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら(歌詞付)」X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23...あの頃の大東町(終)〜こんな風に過ぎて行くのなら
青森県の大鰐温泉。大鰐温泉には2~3回泊まったこともある。でも多くは弘前方面へ出かけた際の帰り道に立ち寄ることが多い。クルマで行くにしても、鉄道で行くにしても、秋田から弘前とか青森方面に行くのであれば必ず通過する場所だからだ。温泉街だけに限らず、日常生活の町並みも魅力的で、いくら歩いていて飽きない町である。今回立ち寄ったのは久しぶりのことだった。イメージなので実際は違うかもしれないが、大鰐温泉を歩くときは、曇りの日、雨の日、雪の日が多い。それが似合っている町並みだと思う。からっと晴れた日に歩くことは滅多にない。一般的には秋晴れの休日には大鰐温泉を歩くよりも、別のことをした方が良い。でも今回は秋晴れだった。予想に反し、青空の下の大鰐温泉も悪くなかった。この微妙な違和感は表現が難しい。バリバリの演歌歌手がジャ...青空の下に大鰐温泉
今回は所用があって弘前に行った。それを済ませ、スナックホテルに泊まれば目的は達成されたも同然だ。とはいえ僕は写真撮リなので、行く以上は街を歩いて写真を撮る。前週に伊豆に行っているので、体力的にも財力的にも控え目な夜の写真撮影となった。弘前という街は、夕刻に差し掛かっていく時間帯が最も魅力的だ。定点観測のように過去に撮影した古い建物を探していると、街はあっという間に暮れてゆく。今回は二次会など行かなくても、ホテルに戻れば良い。そこは前回の記事の「スナック」なのだから。そんなわけで弘前の短い夜は終わったのである。それにしてもフィルムシミュレーション「クラシックネガ」と弘前は相性抜群だ。以前はオリジナルのプロファイルをLightroomで作成していたけど、いまはクラシックネガに頼り切りだ。弘前アフターダーク
繁華街の猫は、僕の大好物の被写体である。ここ数年は繁華街にあまり出なくなった上に、猫の数自体も少なくなったような気がする。猫との遭遇も減っているので、千載一遇のチャンスだった。日々、僕は猫たらしになるべく努力している。何度も往復して少しづつ猫との距離を詰めてゆく。「何だよ?、」が徐々に「またか?」に変わっていく。気を許す猫もいれば、最後まで頑なの猫もいる。今回の猫たちは、やさぐれというには品があった。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical繁華街の猫〜やさぐれとは呼ぶには品がある
①<ジャズ喫茶ゆしま>まずは「ジャズ喫茶ゆしま」。昭和27年創業の老舗中の老舗のジャズ喫茶である.四半世紀以上前に何度か来たことがある。多分ほとんど変わらない店構えである。無粋となると思って聞かなったけど、なんとママさんは103歳にしてご存命であり、最近まで店に出ていたそうである。以前に来たときは、エセ文化人みたいな輩がドヤ顔を芸術論を語り合っていた。やたらとエピゴーネンという単語を乱発していた。使いたかったのだろうなと生暖かくスルーしていた記憶がある。今回はそういう輩もおらず、コージーでリラックスした雰囲気が漂っていた。なおマスターに写真を撮っても良いかと尋ねたところ、何故か僕のスマホで写真を撮ってくれた。隣に座っていたのは、本当のところは近所のオジサンで、PhotoshopのAi画像処理で美女に差し替...熱海(番外編)〜ジャズ喫茶とストリップ劇場
熱海の繁華街は、「熱海銀座商店街」周辺に位置している。JR熱海駅から距離にして1kmちょっとだが、坂道や曲がりくねった道の先にある。隣のJR来宮駅から行った方が若干近いようだ。今では熱海に来た観光客の多くは、ほJR熱海駅周辺、海岸付近、ホテル内で過ごすので、繁華街に繰り出す人は減っている。しかしながら僕のような人間からすると、ここは天国だ。まさに昭和の真空パック。居ぬきで改装された飲食店の中には、「新鮮な魚料理」を売りにした今風の店もあった。正直、ファミレスと大差はないようだった。滅多にない機会なので、そういう店ではなく、きちんとした職人のいる料理店で食べた。生シラスに煩い僕も納得の味だった。若者の姿はファミレスのような飲食店にチラホラあるだけで、時間と共に町を歩く年齢層も高くなる。みんな気になるであろう...それぞれの熱海(終)~昭和の夜は続いている
熱海に来た。熱海という街を語ることは難しい。首都圏に住む人の大半は、一度や二度は熱海に行ったことがあるだろう。当然それぞれの胸に、それぞれの熱海がある。その分、最大公約数を算出し難い街なのである。僕は伊豆で育ったので、当然ながら熱海には何度も行ったことがある。伊豆を離れてからも訪れている。僕にとって熱海は、地元圏内の町であると同時に、観光地でもある。そして東北に移住した現在では、遠く離れた地にもなった。これから書く熱海は、あくまで僕にとっての熱海である。それが貴方にとっての熱海と少しでも共通点があれば嬉しいし、異質であったとしても何らかの示唆が含まれていればと思う。さて、今回いつもと違う点は鉄道で熱海入りしたことだ。まず驚いたのは、熱海駅の改札付近の混雑状況だ。これはもう都会並みではないか。調べたところ、...それぞれの熱海①~栄枯衰退の果てに
僕が学生の頃、静岡県には「高校学区」が存在していた。というか、それが無くなっていることは最近知った。詳細は忘れたが、先の記事の下田市であれば、下田市と賀茂郡が一つの学区となっていた。僕が進学する高校は、三島市、駿東郡(うち清水町、長泉町)、田方郡、熱海市、伊東市が一つの学区であったと思う。確か、地理的要因で、下田市周辺では例外も認められていたように思うが、基本的には学区は厳守された。三島市と沼津市は隣接しており、互いの通学には便利だが、越境は認められない。そんなわけで、僕が通った高校には、熱海とか伊東から通学する生徒もいた。伊東なんて、僕からすれば夏休みに遊びに行く観光地であり、日常の生活圏がクロスするなど考えられなかった。でも伊東から三島、あるいは伊豆箱根鉄道沿線の高校には十分通学が可能であった。そして...かつて伊東には伊藤君が住んでいた
【荒川区散歩その6】荒川1~3丁目エリア!菓匠 あかねね本店~峡田児童遊園~レトロ物件多数~峡田ふれあい館~荒川区子ども家庭総合センターに見入る!
2023年4月13日、前回の記事からの続きです。サンパール通りへ出ました。周りを見渡すと、赤い店舗を発見。菓匠 あかねね本店(荒川1-45-12)2022年1月10日オープンの、おはぎ専門店。口コミ評価高し!峡田児童遊園(荒川1-55-2)昭和41年3月26日開園利用者がいたので、今回は軽くスルー。区立第三峡田小学校(荒川1-43-1)の校舎が見えます。そのすぐ前には、レトロ物件が建ち並んでいます(荒川1-52)。1989年の住宅地図によると...
僕は喜多方の町が大好きだ。事ある度に立ち寄っている。今回も旅の岐路に立ち寄った。喜多方ラーメンの老舗「あべ食堂」のラーメンを食べようと決めていた。行列ができる有名店で、その行列に並ぶ根気がなく、一回も食べたことがなかった。一度、台風の時だったか、コロナ禍だったか、喜多方に立ち寄った際に、最大のチャンスがあった。実はどうせ混んでいるだろうと別の店でさっさとラーメンを食べた。食後に散策すると、あべ食堂に行列はなかった。滅多にない奇跡だ。喜多方ラーメンはあっさりしているので、2杯くらいは食べることはできると思う。だが僕はカロリーとか塩分のことを思い悩み、絶好の機会を逃してしまった。どこかで「ここで食べないと一生食べることが出来ないかも」という想いがあった。今回はそんな想いを払拭すべく、例え1時間でも並んで食べよ...喜多方ラーメンの哀歌(エレジー)
2024年6月6日に勉強を始めた簿記3級です。2カ月の勉強で受験の目標を立てています。60歳過ぎていろんなことに挑戦しています。 もうすぐ3カ月 6月6日:開講式 6月13日:オンラインの予定があったため中座、早退 6月20日:講座自体はあ
路地裏が僕の写真のフィールドであり、とくに車も入れない狭い小路が主戦場だ。とどのつまり、ここに来ればレンズを試すとか云々はもう関係ない。大体既に購入したレンズなので、試し撮りもなにもあったものではない。路地裏で写真を撮り始めれば、いつも通りの撮影でしかない。ただ後から文章で面白おかしく「試し撮り」と称するだけである。今回の撮影は当初モノクロで行ったが、しっくり来ない。そこでクラシックネガにスイッチした。WBは6100に固定したので、普段より若干暖色系に降った。決してシャープなレンズではないが(というより僕が使ってきた他の35mmレンズがシャープ過ぎた)、むしろ暖色気味の方が良い色が出る。←こんなものも、後からそれらしく言っているだけである。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2A...初めてのレンズを試そう②〜何はなくても路地裏へ
おつかれさまです。 今日は、 蒲田の路地裏にある寒天の名店 を紹介します。 てん屋 昭和な佇まいがたまらん! 「てん屋」では、ところてんやみつまめに使う寒天をバラ売りしているんです。 また、ところてんのたれ、みつまめに使う餡や黒蜜も売っています。 ちょっと珍しいお店でしょ? 注文方法はこちら↓ 寒天(みつまめ用)2本(3人分)と黒蜜と豆を購入。 約3人分。 これで800円! 寒天が宝石みたい! この寒天の食感がゆるすぎず、かたすぎず、絶妙なんです! 伊豆産天草を直火釜で炊き上げて、昔ながらの手作りで出来た寒天は甘味処の味! あ、餡を買うのを忘れた… ということで、スーパーカップをトッピング。 …
富士フィルムのX-PRO3は、アクロスモードというモノクロ撮影モードを持つ。モノクロ描写の優れたカメラである。だが昨年までライカM10モノクロームを使っていたせいか、モノクロの濃さについては、どうしても不満を持っていた。後の処理である程度カバーできるのだが、フラストレーションが溜まる。まあライカのモノクロ専用機は特殊だから仕方ないと割り切っていた。ところがどう言う訳か、この夏くらいからX-PRO3から納得のいく「黒」が出るようになってきた。今回の写真はLightroomで調整しているものもあるけど、何枚かは全くの無加工である。どうしてこうなったのだろう。原因として考えられるのは、次の5点だ。①本当は同じ描写で単に僕が慣れた②カメラがやっと僕の意を汲むようになった③むしろセンサーの劣化など機械的な要因④カメ...濃さこそモノクロ写真の命
所沢の路地裏。昨日、《串カツ田中》でお酒飲みながら写真の本を読んでいましたら、撮りたいものが思いつかない時は目についたものを何でも撮ろうとありました…