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小学校校舎建て替えに伴い一時的に撤去されていましたが、復元されました。 由来説明文「文政二年、犀川の雅名菊水川からこの名がついた。この地にあった芝居小屋の座元、菊川松之助の姓によったともいう。」(金沢市HP
【荒川自然公園と周辺その3】レトロな街区表示板と町会の標石を発見!園内の季節の花、コールダックの脱走騒動!?
2022年5月2日、前回の記事からの続きです。荒川4-49付近を歩いています。あれ!こんなところに、レトロな街区表示板を発見!少し高い位置にありました。新しい街区表示板の上にあるということは、あえて残したっぽいですね^^柳沢鉛筆製作所(荒川4-53-5)まで戻って来ました。右側の路地には入らずに・・・こちらの道へ。ん?左側に何か置いてあります。「荒川區三河島町七丁目南町會」だって!現在でいう荒川七丁目ですね。これ...
「住居表示街区符号による旧地名の保存」碑 in 埼玉県鴻巣市
以前も訪れた事があるのだが、桜が満開だったので、地図に書かれている「旧町名復活の碑」を再取材することにした。 絵では「復活の碑」は木製の棒のようになっているが、こういうものではなかった。 訪問日 2023年3月6日(撮り忘れたものがあったので4月6日再訪する。) 鴻巣駅前にある公園「エルミパーク」の遊歩道を満開のカワヅサクラの中、歩いていく。 桜の木の根元に「住居表示街区符号による旧地名の保存」碑が設置されていた。 以前はこの裏に「街区表示板」があったようなのだが、移動されていた。 住居表示街区符号による旧地名の保存地名 ~保存街区「本一町・宮本町」~ 江戸時代、中山道の宿場として発達した鴻巣…
以前下記の記事で荒川区尾久町時代の痕跡を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 今回の探索で尾久町の新たな痕跡をいくつか発見したので、紹介しよう。 発見日 2023年4月4日 発見場所 東京都荒川区西尾久 ①荒川区尾久町二丁目三九六番地 ②荒川区尾久町三ノ二四一五 ③荒川區尾久町七丁目二二五番地 あらかわ遊園内の「一球さん号」の停留所に旧駅名と旧町名が書かれていた。 1913年(大正2年)4月1日王子電気軌道三ノ輪(現・三ノ輪橋) - 飛鳥山下(現・梶原)間開業時に荒川遊園前停留場として開業。 1939年(昭和14年)9月1日尾久町六丁目停留場に改称。 1…
近くに来たので、消滅してしまっていないか気になり、立ち寄ってみた。 どこにあったっけ? ほぼ2年振りなので、あった場所を忘れていて、少し探してしまった。 発見日 2021年2月22日(再訪日2023年4月3日) 発見場所 東京都北区上十条二丁目 あった。 無事だった。 よかった! これは町会員プレートと兼ねているようだ。 歴史 1932年(昭和7年)10月1日北豊島郡全域が東京市に編入。王子町、岩淵町の区域に王子区を設置。 1943年(昭和18年)7月1日東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都を設置。 1947年(昭和22年)3月15日特別区への移行のため、王子区及び滝野川区の区…
最近、旧町名「中野区東郷町」の目撃情報が上がっていたので、久しぶりに都内の旧町名探索に出向いた。 事前調査では確認できていたが、現地に着くまでは、消滅していないか不安だった。 無事発見することができたので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①中野區東郷町十三番地 発見日 2021年6月21日 発見場所 東京都中野区本町二丁目 区名が右書きで區になっているので、戦前のものかもしれない。 ②中野区東郷町三十八番地 発見日 2023年3月30日 発見場所 東京都中野区本町三丁目 モジャハウスなので、春から秋にかけては、葉っぱで隠れていて、冬にならないと現れてくれなそうな季節限定の表札…
北本市で大字○○だけのものはいくつか発見しているが、小字が付いているものは初めてだった。 発見日 2023年3月27日 発見場所 埼玉県北本市荒井四丁目 北本市大字荒井字中岡 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行。下石戸上村・下石戸下村・石戸宿村・荒井村・高尾村が合併し、石戸村になる。 石戸村大字荒井 1943年(昭和18年)2月11日中丸村と石戸村が合併、北足立郡北本宿村になる。 北本宿村大字荒井 1959年(昭和34年)11月3日町制施行に伴い、名称変更。北本宿村から北本町になる。 北本町大字荒井 1971年(昭和46年)11月3日市制施行 北本市大字荒井(一部) 1973年(…
現在、埼玉県上尾市で確認できている鍾馗様は4体ある。 以前も撮っていたのだが、ブログの記事にするため、再訪して撮り直すことにした。 訪問日 2023年2月20、28日 ①おしゃれ工房 新井屋 当店の瓦製の鍾馗様は中山道上尾宿脇本陣の細井家より明治35年に屋敷事引き継いだものです。中山道上尾宿では、万延元年(1860年)・慶応4年(1868年)・翌明治2年と幕末から明治初期にかけて3度の『上尾大火』があり、まちのほとんどが消失し疲弊してしまいました。このため、上尾宿では、厄除け・火災除けに鬼瓦の鬼より強い鍾馗様を鬼瓦と向かい合わせにして、睨みを利かせるように屋根に上げるようになりました。又、鍾馗…
菊屋橋公園と孫三稲荷で発見した旧町名 浅草菊屋橋と浅草阿部川町
この日(2023年3月18日)は、冷たい雨の日だった。 今まで暖かかったのに、急に寒くなった。(最高気温9.2℃) 家を出た時はそれほど降っていなかったのだが、上野駅に着いた時は、普通に降っていた。そのうち止むのかなと思っていたが、止む気配がなく、たまに風が吹いたりで、足元はびしょびしょ、靴の中も水が入り込んで冷たくなってしまった。でも、よくあることなので、このくらいで探索は中止しない。 掲示板の下に「阿部川町会」と書かれていた。 この辺りは探索したことがあるのだが、今まで気が付かなかった。 旧町名由来案内 本町は、昭和十一年(1936)年に江戸・明治時代からの浅草栄久町の北半分、同阿部川町の…
旧町名「千代田区三年町」のプレートが設置されていた伊藤ビルの今
以前下記の記事で旧町名「千代田区三年町」を紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 伊藤ビルが解体される途中までは追っていたのだが、その後は足が遠のいていた。 2023年3月22日、近くに来たので、立ち寄ってみた。 ビルでも建設中なのかなと思っていたが、駐車場になっていた。 あのプレートは産業廃棄物になってしまったのだろう。 もう少し頑張れば、救出できたかもしれない。 残念なことをした。
今回は埼玉県北本市に現存する旧町名の痕跡の一部を紹介することにしよう。 北本市は旧中山道の桶川宿と鴻巣宿の間にあるのだが、旧中山道付近にはほとんど古い建物が残っていないので、思ったより発見することはできなかった。 発見日 2023年3月9日 北本町の家屋調査済証 発見日 2023年3月14日 北本町立中丸小学校 発見日 2023年3月9日 1887年(明治20年)開校 校内に開校百周年記念の碑が見えた。
旧町名 小田原町の住所プレートと電力プレート in 東京都中央区
以前下記の記事で「小田原町」に触れたことがある。 citywalk2020.hatenablog.com それで以前確認しに行ったことがあるものが今どうなっているのか気になり、2023年3月4日、旧小田原町の痕跡の状況を確認しに築地を訪問した。 以前発見した痕跡はすべて無事だったが、気がかりなこともあった。 ①中央區小田原町一丁目三番地七 発見日 2019年12月7日 ②京橋區小田原町二丁目一番地三 発見日 2019年10月28日 ③オダワラ1-23 発見日 2022年5月25日 再訪日 2023年3月4日 以前訪問した時と違う姿になっていた。 電力プレートが設置されている銅板葺きの看板建築は…
登録有形文化財「松本家住宅主屋」と電力プレート「タチヨ2-6」 in 東京区千代田区
多町の町名案内板はもう発見していたと思ったのだが、まだ発見していなかったので、旧町名の痕跡である電力プレートを紹介するために写真を撮ってきた。 撮影日 2023年3月4日 撮影場所 東京都千代田区神田多町2-9-3 千代田区ホームページより 大工棟梁・松尾栄太郎の設計施工で昭和6年に建築された、神田多町問屋街に残る震災復興町家です。神田に残る元青果物問屋の店舗兼住宅。多町大通りに面した角地に東面して建っているため、狭い間口と長い奥行きの対比がよく見えるところもポイントです。木造三階建、切妻造、平入で、正面は特徴的な「出桁造」の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとなっており、東京の…
旧町名「銀座東」は下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com そこに紹介していなかった痕跡を昭和通り沿いで発見したので、今回はそれらを紹介することにしよう。 貴重なものなどないが、実際に歩かないと見つけられないものだ。 交差点と歌舞伎座 昭和通りの地図 銀座東一丁目 歩道橋の上にタイル絵があった。 銀座東二丁目 銀座東三丁目 銀座東四丁目はなかった 銀座東五丁目 銀座東六丁目はなかった 銀座東七丁目 銀座東八丁目 ランキング参加中写真・カメラランキング参加中路上観察
福井松平藩邸跡と旧福井中学校と旧町名「浅草福井町」「浅草新福井町」
「~跡」や「~発祥の地」については、今までも書いたことがあるかもしれないが、あまり積極的には取り上げていなかったかもしれない。 説明板を発見するたびに撮っているのだが、他の記事を優先させてしまうため、時間経過とともに自分の記憶の中から飛んで行って、日の目を見ることが少ない。 そのように埋もれさせてしまっているものも、今後は取り上げていこう。 「ヒューリック浅草橋ビル」 片隅に何か記念碑のようなものが見えた。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都台東区浅草橋一丁目22-16 それは福井松平藩邸跡の石碑だった。 下には福井中学校の歴史が書かれていた。 福井中学校の歴史 明治36年(190…
言問橋を渡ったところ、道路沿いに東郷平八郎元帥謹書の「牛島神社」の碑があった。 碑が建っている下の石を見ると「松倉町」と彫られている。 裏側に何か彫られているのが見えた。 それを見るために入口と思われる細い隙間を入って、灯籠の間を通るとたどり着くことができた。 この写真だと左奥が入口となる。 裏面 右側面 町会創立発起人が彫られている。 左側面 昭和五年十月建之 裏面 上に松倉町沿革とある。 文学博士 吉田静致 明治5年7月25日(1872年8月28日)~ 昭和20年(1945年)10月4日 1898年東京帝国大学哲学科卒業。1899年文部省留学生となり、ドイツ、イギリスで倫理学を学び、192…
2023年3月2日、日本教育会館で神田法人会主催の決算説明会があったので出席してきた。 変わりがなくてよかった。 発見日 2020年12月28日(再訪日2023年3月2日) 発見場所 東京都千代田区一ツ橋二丁目 旧教育会館の門柱→1928(昭和3)年創設この門柱は、1928(昭和3)年、当時の帝国教育会によって建設された旧教育会館に附設する教育図書館と教職員の東京宿泊所であった「一ツ橋寮」の入口の門柱である。当時、 教育図書館は東京市からの補助を受け、一時期東京市立神田簡易図書館となり、今日の 千代田図書館に引き継がれていった。その後再び教育会館附設図書館として現在にいたっている。この由緒ある…
中央区から両国橋を渡って墨田区へ。 もう随分前に訪問した気になっていたのだが、撮った写真が見つからなかったので、訪問するのを忘れていたようだ。 記憶が超あいまいな自分だった。 目的のものを道路の反対側から見る。 横断歩道は少し離れた所にあり、歩道橋を渡ったほうが早かった。 歩道橋の上からパチリ。 発見日 2023年2月25日 発見場所 東京都墨田区両国三丁目 ここに旧町名の痕跡が残っている。 正面 本所松坂町趾 ? 「本所松坂町跡」ではなく「本所松坂町趾」となっている。 ネットでこの石碑のことを調べてみると「本所松坂町跡」と書かれているのがほとんどだった。 「跡」と「趾」に違いがあるのか調べて…
恵比寿駅と用賀駅を結ぶ東急バス[恵32]系統のバス停に「下通り5丁目」がある。 駒沢通りはよく歩いていたのだが、この日(2023年2月21日)初めてこのバス停に気が付いた。 このバス停名を見て思い出した。 渋谷区下通の表札があったことを。 それがこれだ。 もう少し近寄ってみよう。 柵に覆われていたので、これ以上は近寄れなかった。 左側の板が表札なのだが、離れた所から撮ったため、ただの板切れとしか見えないかもしれない。 しかし、よく見ると文字が書かれているのが確認できる。 この表札が設置されていた建物はかなり前から撮っていた。 この界隈では有名な物件だった。 廃屋だと思っていたのだが、住人がいた…
設置されている所在地は分かっていた。 「7-10」はどこだ。 道路を渡って、探すがすぐに見つからず、日本橋人形町一丁目7番を一周してしまった。あっ、あった! と思ったら、老夫婦がパンプレット片手にこの碑を見ていた。 早くどいてくれないかなあ。 発見日 2023年2月18日 発見場所 東京都中央区日本橋人形町一丁目7-10 所在地 中央区日本橋人形町一ー七ー一〇谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)は、明治十九年七月二十四日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。同二十五年、阪本尋常高等小学校に入学しました。その後、父の事業の失敗により、近くを転々としました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国…
吹上町(ふきあげまち)は、かつて埼玉県北足立郡にあった町だ。 現在は鴻巣市になっている。 発見日 2020年3月13日 発見場所 埼玉県鴻巣市 「縣」と「郡」と「町」と「大字」がいいねえ。 エモい! 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により、北足立郡吹上村・榎戸村・大芦村が合併し、新たに吹上村となる。 1934年(昭和9年)4月29日町制施行により、吹上町となる。 1954年(昭和29年)7月1日北足立郡吹上町・小谷村が合併し、新たに吹上町となる。 1955年(昭和30年)10月1日北足立郡吹上町・北埼玉郡下忍村が合併し、新たに北足立郡吹上町となる。 2005年(平成17年)10…
随分前に発見したものだが、今まで北乗物町の千代田区町名由来板があるのに気が付かなかった。 昨日(2023年2月11日)、神田北乗物町付近を歩いていたらたまたま町名由来板を発見することができたので、今更であるが紹介することした。 ①北乗物町5 発見日 2019年9月14日 ②北乗物町8 発見日 2019年11月30日 千代田区町名由来板 神田(かんだ)駅の東側には、古い町人町(ちょうにんまち)の面影(おもかげ)を残す町名が目につく。鍛冶町(かじちょう)、紺屋町(こんやちょう)、北乗物町(きたのりものちょう)。そしていまは消えたが、塗師町(ぬしちょう)、鍋町(なべちょう)なんていうのも戦前の頃まで…
発見日 2023年2月4日 発見場所 東京都中央区銀座六丁目6-7 銀座で歩道を歩いていた時に、反対側の歩道に鳥の彫刻があるのに気が付いた。 キツツキ? 道路を渡って近寄ってみると木の幹の形をした石川啄木の歌碑だった。 この道は歩いたことがあるはずだが、今まで気が付かなかった。 京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな 啄木 この歌の「京橋の瀧山町」が気になった。 京橋區時代の旧町名なのだろうか? 裏側に回答があった。 京橋の瀧山町の由来 京橋の名は維新後の明治十一年に新たに制定された区名で昭和二十二年に現在の中央区に改められるまで七十年の間都民にしたしまれてきた区名です。瀧山町の名…
まだこのブログを始める前の約2年前のことになるが、②は①を探しに来た時に発見した。 その時は①は発見できず、ひとつ見つかったからいいやと思い、そのまま存在を忘れていた。 先日、渋谷区の旧町名で見落としがないかを再調査している時に、まだ発見できていなかったことを思い出した。 ストリートビューで事前調査するが、入り込めないところにあるようだったので、確認することはできなかったが、この辺だろうとあたりを付けた。 初探索から随分経ってしまっていたが、幸いなことに消滅しておらず、現地ではすぐ発見することができた。 ①澁谷区豊分町二番地 発見日 2023年2月7日 発見場所 東京都渋谷区広尾二丁目 ②渋谷…
久しぶりに旧町名「元広尾町」の痕跡の現存を確認するために広尾五丁目付近を訪れた(2023年2月7日)。 広尾散歩通りは平日にもかかわらず賑やかだった。 創業100年超の銭湯もある。 なんと牧場もあったそうだ。 七星舍牧場跡地 1887(明治20)年、志村峯吉がこの地に七星舎牧場を開設しました。大変先見性のあった人で、1902(明治35) 年に当時渋谷村と言われた田舎の地に大きな二階建ての木造洋館を建設しました。 屋根の上には大きな看板があり一面に「七星舎」の文字が描かれ、両側に小さく「牛」「乳」と描かれていました。洋館の裏には450坪(1485㎡) の牧場に乳牛が 約15頭飼育されており、その…
現町名「秋葉原」とその旧町名「練塀町」そして「長者町一丁目」と『練塀架道橋』
恥ずかしい話だが、結構最近まで「秋葉原」という町名の存在を知らなかった。 旧町名の痕跡が現存していないところの現町名については疎かった。 何時だったか忘れたが、初めて見た時の反応は、 えっ! 「台東区秋葉原」? 秋葉原は千代田区ではないのかい。 「オタ区」でもなかった。(そんな区があるわけない!) JR東日本の秋葉原駅の所在地は外神田一丁目で、秋葉原ではなかった。 「台東区秋葉原」は秋葉原駅から少し離れているところにある。 秋葉原駅と御徒町駅のちょうど真ん中あたりにある。 京浜東北線、山手線や新幹線等の線路と公園、それにいくつかのビルがあるだけだ。 電気店、メイドカフェ、ゲームショップもない。…
新たに「浦和市大字田島字北」時代のものを発見したので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。 ①浦和市田島北1465 発見日 2020年12月7日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 ②浦和市田島北1 4 番地 発見日 2023年1月17日 発見場所 埼玉県さいたま市桜区田島四丁目 「北」の文字は消されてしまっているようだが、うっすらと見える。 自分の老眼の目で見えるのだから、若い人は、絶対、きっと、たぶん、おそらく、心の目を使わなくて見えるだろう。 歴史 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する田島村であった。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い周辺1…
ネットで調べていたら、旧町名の発見情報があった。 いつも参考にさせて頂いている方の発信だった。 この辺りは探索したことがあるはずなのだが、この旧町名の痕跡の存在は、今まで気が付かなかった。 発見日はすべて2022年12月17日。 ①表札 発見場所 東京都文京区千石三丁目 すぐ近くで解体工事をしている人が数人いたので彼らの目が気になった。こちらを見ていないだろうと思われる時を見計らって、さっと写真を撮り、伏目がちにその場を立ち去った。 急いで撮ったが、ちゃんと撮れていてよかった! ②電力プレート 発見場所 東京都文京区千石二丁目 劣化が進んでいるが、遠目でもこの形ですぐわかった。 ③町会員プレー…
当ブログでは家屋調査済証も旧町名の痕跡の一つとして紹介することにしている。 発見日 2023年1月19日 発見場所 埼玉県加須市 4枚のプレートが縦に並んでた。 ①上から3番目に加須町時代の家屋調査済証があった。 北埼玉郡加須町が市制施行して加須市となったのが1954年(昭和29年)5月3日なので、約70年以上も前のものだ。 ②加須市になってからのもの タイプ1 ③加須市になってからのもの タイプ2 ②より③の方が新しいものと思われる。 家屋調査済証とは、家屋を新築または増築した年に、税務課職員によって家屋調査を行ってもらったということを示すもの。 加須市のものはネットになかったので、群馬県高…
谷中初音町については、つい先日(2023年1月22日)、下記の記事で紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 上記記事を書くにあたって谷中初音町について調べていたところ、旧町名由来案内が四丁目以外のものもあることが分った。 写真を撮っていたはずだと思い、フォルダーを探してみたが見つからなかった。記憶違いか?いつもあてにならない記憶だ。 仕方ない。 旧町名由来案内がどこに設置されているのか探そう。 ストリートビューを駆使し、場所を特定することができた。 よく歩いていたところだったが、本当に撮っていなかったのかなあ。 まあ、いいや。 撮りに行くか。 急ぐ必要など全然ないの…
台東区谷中は何回も探索したことがある。 旧町名に関する新しい発見はもうないと思っていた。 でもあったのだ。 初見の「谷中初音町」の電力プレート(④)が。以前発見したものもあるので合わせて紹介することにしよう。 ①台東区谷中初音町四ノ一六〇 発見日 2021年5月1日 発見場所 東京都台東区谷中 ②ヤナハツ-8 発見日 2021年10月5日 発見場所 東京都台東区谷中 ③ヤナハツ-29 発見日 2021年10月23日 発見場所 東京都台東区谷中 ④ヤナハツ-34 発見日 2023年1月21日 発見場所 東京都台東区谷中 電力量計のコードが邪魔で全体は見えない。 ⑤ヤナハツ-39 発見日 2021…
先日、下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)で発見した琺瑯看板を紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 今回は旧町名を紹介しよう。 琺瑯看板を紹介している方はたくさんいるだろうけど、展示されているものの中からほとんどの方が関心を寄せないと思われる旧町名に気が付いて、それを紹介するのは当ブログくらいではないか? 知らんけど。 訪問日 2023年1月7日 訪問場所 東京都台東区上野桜木二丁目10番6号 ①東京市下谷区谷中茶屋町三番地 旧町名由来案内「旧 谷中茶屋町」より 明治二年、天王寺表門前新茶屋町が改められ、谷中茶屋町が誕生した。天王寺は、応永の頃(1394~14…
現町名は町が取れただけなので面白みはないのだが、新たに今まで気が付かなかったものを発見したので、紹介することにした。 浦和市北浦和町一丁目 ①北浦和町一丁目十八番地 発見日 2020年2月1日 ②北浦和町一丁目一四一番地 発見日 2020年2月6日 北浦和町二丁目 ③北浦和町2の85 発見日 2023年1月3日 北浦和町三丁目 ④北浦和町三丁目九〇番地 発見日 2020年9月20日 ⑤北浦和町三丁目一三〇番地発見日 2021年3月14日 ⑥ 発見日 2023年1月5日 家屋調査済証に北浦和町三丁目時代のものを発見。 下にNHKの放送聴取章があった。 歴史 1943年(昭和18年)大字針ヶ谷、大…
騎西町は現在の加須市である。 2010年に合併したので、それほど古いものではない。 しかし、小字付きのものなので紹介したいと思った次第である。 「立山」は現存している小字の可能性があり、小字町名になるかもしれないが、騎西町は消滅しているので、旧町名扱いとしている。 「鴻茎」は「こうぐき」と読む。 発見日 2020年5月4日 発見場所 埼玉県加須市鴻茎 歴史 1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、北埼玉郡騎西町・外川村・下崎村が合併し、騎西町が発足する。鴻茎村・芋茎村・牛重村・根古屋村が合併し北埼玉郡鴻茎村が成立する。 1943年(昭和18年)4月1日北埼玉郡騎西町・田ヶ谷村・種足村…
埼玉県戸田市で発見した旧町名『東京市日本橋区御幸通薬研堀町』
当然表札ではない。 旧町名の痕跡が表札で残っているのがベストかもしれないが、元の所在地では完全に消滅してしまっているものも少なくない。 しかし、神社や寺院の中を探索していると旧町名の痕跡が残っていることが結構ある。 それだけではなく、学校、公園、バス停のなどの名称にも残っているものもある。 すでに当ブログではそのような痕跡をいくつか紹介しているが、これからも積極的に紹介していこうと考えている。 戸田市内にある寺院で発見した。 どこの寺院だったっけ? あそこかな? もしかしたら、神社だったかもしれない。 いや、やっぱり寺院だったよな。 立ち寄ったのは、「平等寺」だけだったと思うし、きっとそうだ。…
日本橋浜町は現存している町名だが、住居表示実施前のものなので、旧町名扱いとしている。 ①中央区日本橋浜町二丁目四〇番地 発見日 2021年9月25日 ②ハマチヨ1-7 発見日 2023年1月7日 自分の記録にはなかったので、これは初見のものかもしれないが、確信はない。 町名と関係ないが、「ハマチヨ」を漢字にすると「浜千代」「濱千代」になる。「浜千代」「濱千代」という苗字もあるし、「浜 千代」「濱 千代」という氏名にもなる。 中央区日本橋浜町一丁目1番の街区表示板 探索途中で史跡を発見した。 賀茂真淵縣居(あがたい)の跡 以前は久松町の交差点に近いジョナサンの入っているビルの壁に平成元年七月に設…
今回は、埼玉県比企郡小川町で発見したレトロな看板・プレート等を紹介しよう。 発見日 2022年11月29日 この日は、曇りであったが、小雨もぱらつくこともあった。 「犬のフン看板」シリーズ 各自治体でいろいろな種類があるので、おもしろい。すべての自治体で実施しているのかわからないが、このような飼い主のマナー啓発看板を無料で配布しているらしい。 みんなで川をきれいにしよう 1971年(昭和46年)5月、槻川をきれいにして昔のような清流にもどし鮎の住めるような川にしようという願いをこめて、槻川に関係する東秩父村、小川町、嵐山町の三町村で「槻川をきれいにする会」を設立した。 交通事故から子供を守りま…
旧町名のフォルダーの中で未紹介のものがあるかどうか探していたら、神奈川県のものがいくつかあった。 調べてみた限りでは、東京都(「旧町名をさがす会」さん)や埼玉県(「埼玉の古い地名を探す」さん)のようにブログ等で神奈川県の旧町名だけを紹介している方はいないようだ。 開拓のチャンス! と思ったが、何の手がかりもない。 今まで発見したのも町名看板探索のついでに発見したものばかりだ。 大田区の隣とはいえ、遠い。 そうだ、まだ東京23区内の中の端っこの区(大田区、足立区、練馬区、世田谷区、葛飾区、江戸川区)の探索が不十分だった。 それが先だが、いずれはチャレンジしたいと考えている。 ①磯子区磯子町宮下 …
生田は川崎市多摩区に現存している町名じゃないの? 神奈川県民はそう指摘するかもしれない。 自分は埼玉県民なので、他県のことは調べるまで知らなかった。 麻生区が多摩区から分区したときにその一部が東百合丘になったという経緯がある。その経緯の痕跡、分区前の生田を発見したので、紹介することにしよう。 発見日 2020年10月24日 発見場所 神奈川県川崎市麻生区東百合丘2丁目 現区名の「麻生」の読みは「あそう」ではなく「あさお」である。 歴史 1875年(明治8年)上菅生村、五段田村が合併して(旧)生田村が成立。 1889年(明治22年)4月1日町村制の施行により、(旧)生田村、金程村、高石村、細山村…
今回は超有名なものだが、東京23区内では最古級クラスのひとつである旧町名「東京府荏原郡世田谷村経堂在家」を紹介しよう。 発見日 2020年2月27日(再訪日2022年10月19日) 発見場所 東京都世田谷区経堂五丁目 それは左側の立派な門柱(大理石だろうか?)に設置されていた。 近寄ってみよう。 この表札は、世田谷村成立の1889年(明治22年)〜1923年(大正12年)の間のものと考えられる。今から約100年以上も前のものだ。上部が割れているのが残念だが、奇跡の存在だ。 歴史 1889年(明治22年)5月1日町村制の施行に伴い、池尻村、三宿村、太子堂村、若林村、下北沢村、代田村、経堂在家村の…
今回は約2年ぶりに本庄市を訪問し、旧町名探索などを行った。 以前訪問した時(2020年4月28,30日)は、旧町名にほとんど関心がなかったので、積極的に探索することはしなかったが、今回はそれを大きな目的として訪問した。 本庄市の旧町名を調べていたところ、wikiには旧本庄町域の通称町名として諏訪町、台町、本町、照若町が記載されていた。「本庄市郷土叢書第6集 本庄市の地名① -本庄地域編- 本庄教育委員会」には《小字名》の中の城下のカッコ内に宮本町、泉町、上町、仲町、七軒町(しちけんちょう)、本町、台町、照若町の8町名の記載があるが、諏訪町は記載がない。1877年(明治10年)の「地誌書上帳」に…
調べてみたところ、前回、東京都八王子市に訪問したのは約2年前の2022年10月20日、26日のことだった。 久しぶりの訪問だ。 そして、今回が八王子市の初めての記事になる。 ちょうど「第43回 八王子いちょう祭り」が開催されていた。 事前に調べておけばよかった。第43回交通安全クラシックカーパレードが開催されており、トヨタ2000GTなど50数台が参加していたようだ。 いちょう祭りとは(八王子いちょう祭り祭典委員会ホームページより) 八王子市追分町から高尾駅入口まで、ほぼ4kmにわたる甲州街道(国道20号)の両側に、約770本のいちょう並木が続き、季節に応じてそれぞれの風景で街を彩り、特に秋に…
この日は奥多摩町を探索する予定であったが、諸事情により急遽変更することにした。 どこを探索しようかと迷った末、千葉市にすることにした。 以前も探索したことがあるのだが、その時の目的は、千葉市内に現存する町名看板を発見することだった。 地図も持ってこなかったし、旧町名が存在しているのかもわからず、足の向くまま、気の向くままの探索になるだろう。 千葉市は千葉県の県庁所在地だが、今まで紹介していなかったので、今回が千葉市の初投稿となる。 以前訪問した時の記憶も薄れ、ほぼ何の情報もない状態だったので、千葉駅にある観光案内所に立ち寄り、千葉市観光ガイドマップを入手した。 その説明に県下一の花柳界として蓮…
千葉市の旧町名シリーズ第2弾 今回は、千葉市亥鼻町時代のものを紹介しよう。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区亥鼻二丁目 亥鼻町時代のプレート 上部の文字ははっきりと読み取れないが、「家屋調査済証」かもしれない。 歴史 1936年(昭和11年)亥鼻町が起立。もとは千葉市千葉字南亥鼻と字西亥鼻・東亥鼻・北亥鼻・亀ヶ岡・市場町・本町3丁目・亀井の各一部。井花とも書く。戦国期は井花の地名があった。 1973年(昭和48年)住居表示実施により市場町・亥鼻町・亀岡町・矢作町の各一部から亥鼻1丁目となる。 市場町・亥鼻町の各一部から亥鼻2丁目となる。亥鼻町の一部から亥鼻3丁目とな…
本庄市の旧町名シリーズ第2弾は「仲町」。 本庄宿の中では最も歴史が長いのが本宿。本宿より西方で、京都よりには上宿ができ、両者の間には中宿が成立した。三つの宿は、その後、本町、仲町、上町と呼ばれるようになる。 発見日 2020年4月28日 発見場所 埼玉県本庄市中央 仲町が住居表示によって中央になった時期はわからなかった。 山車庫は仲町ではなく仲街となっている 以前は「仲街」と呼ばれていたことがあるのだろう。
本庄市の旧町名シリーズ第5弾は「諏訪町」。 「諏訪町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「日の出」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市日の出 読みづらいが、「諏訪町」の文字は分かるだろう。 諏訪町自治会館 諏訪町山車庫 諏訪神社 手水鉢の裏 「東京下谷龍泉寺町」と省略されているが、「東京市下谷龍泉寺町」、「東京市下谷区龍泉寺町」のどちらだ? 今回の訪問で発見したのは、五つの旧町名なので、本庄市の旧町名シリーズはここでいったん終了となる。 また、いずれ訪問して、未発見の旧町名(宮本町、泉町、上町、本町、伊丹堂)の探索を実施した…
新年あけましておめでとうございます。 新年から当ブログをご覧頂きありがとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 今年最初のとっておきのネタ、そうでもないか、 とにかく開幕でーす。 1枚だけだったら、原則通り紹介しないのだが、 えっ? ちょっと待って。 原則って何? つい最近の記事に書いたのに、読んでくれていないのかな? そういう方のために書いておこう。 「埼玉の古い地名」さんに載っているものは原則紹介しないことにしている。 ということだ。 でも、原則はあくまでも原則ということなので、原則ではない場合も多々ある。 原則破りの理由はいくつかあるが、結果的には記事が書きたい場合である。 今…
この日の最終目的地は、さいたま市西区西遊馬にある馬宮公民館にしていた。 何故かというと、そこに馬宮村の道路元標があるはずだからだ。 調べてみると自宅からそこまで徒歩で行くと2時間強かかることがわかった。 自転車で行くか? でも、2時間か、いつも歩いているし、歩いていこう。 いろいろ寄り道しながら行ったので、結局着いたのは4時間後だった。 自転車で行けばよかったと思う場面もいくつかあったが、ご褒美があったので、徒歩が正解だったということにしておこう。 ここまでの流れだと、今回紹介するのは、馬宮村の道路元標だと思うかもしれないが、タイトルにもあるように、探索途中で発見した旧町名だ。 自転車で探索し…
文京区久堅町の旧町名の痕跡を新たに発見したので、以前発見したものと合わせて紹介しよう。 「久堅町」は「ひさかたちょう」と読む。 ①自治会員プレート 発見日 2021年3月6日 発見場所 東京都文京区小石川五丁目 現在は営業しているのかわからないが、趣ある木造の豆腐屋さんに設置されている。 ②たばこ販売店の琺瑯看板 発見日 2022年12月17日 発見場所 東京都文京区小石川五丁目 ①と道を挟んだ向かい側のたばこ店にあった。 この辺りは何回も探索しているはずだが、初めて気が付いた。 以前探索した時は、シャッターが閉まっていたかのかもしれない。 この看板は軒下等上の方に設置されていることが多いが、…
千葉市の旧町名シリーズ第4弾 今回は、千葉市市場町(いちばちょう)を紹介しよう。 「市場町」は現存しているが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区市場町 文字がかすれてしまっているが、どうにか読めるだろう。 歴史 1126年(大治元年)に千葉常重が千葉に城下町を築いた際、対岸を市場と呼んでいたという。 1936年(昭和11年)に起立。もとは千葉市千葉の一部。 1973年(昭和48年)住居表示実施。 地名の由来 地名は市場が開かれたことにちなむ。