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千葉市の旧町名シリーズ第4弾 今回は、千葉市市場町(いちばちょう)を紹介しよう。 「市場町」は現存しているが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区市場町 文字がかすれてしまっているが、どうにか読めるだろう。 歴史 1126年(大治元年)に千葉常重が千葉に城下町を築いた際、対岸を市場と呼んでいたという。 1936年(昭和11年)に起立。もとは千葉市千葉の一部。 1973年(昭和48年)住居表示実施。 地名の由来 地名は市場が開かれたことにちなむ。
八王子市の新町(しんちょう)は現存する町名だが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月19日 発見場所 東京都八王子市新町 レトロ感ある住所プレートだ。 会社名は「飯塚絹撚株式会社」。 現存していないようだ。 八王子の八の字が「)(」とカッコのようにも見える。 電話番号が4桁時代のもの。 歴史 1970年(昭和45年)3月1日住居表示実施。
このブログでは、埼玉県の旧町名に関しては、原則「埼玉の古い地名」さんに掲載されていないものを投稿するようにしている。(すでに投稿した中には自分の手柄のように「埼玉の古い地名」さんに掲載されているものを投稿しているものもあるが・・・。しかし、事後ではあるが、掲載されているものを投稿してもいいと了承を得ている。) 先日新しく発見した「浦和市大字栄和」の旧町名を紹介したので、過去に撮った写真の中に「浦和市大字栄和」のものがないかとフォルダーを探してみた。すると「北町」「西」「道之下」の3つが見つかった。 「北町」「西」は既に「埼玉の古い地名」さんに掲載されているので、今回は、掲載されていない「道之下…
以前紹介したことがある琺瑯町名看板の現存を確認してきた。 同じ住居表示実施前の番地の表札もあったので、合わせて紹介しよう。 住居表示実施前の琺瑯町名看板と表札の両方が現存しているケースは結構レアではないかと思う。 ①浦和市文蔵65 発見場所 埼玉県さいたま市南区文蔵一丁目 「文蔵」の文字のバランスがおかしい上に、「蔵」の中の「臣」という字が変だ。 ②浦和市大谷場1655 発見場所 埼玉県さいたま市浦和区神明一丁目 この偶然に気が付いた方はいるだろうか? そう両方とも番地に「65」がある。 並べてみると同じ市内の琺瑯町名看板でも異なるところがいくつかあるのが分かる。 ・フォント・寄贈の文字にカッ…
千葉市の旧町名シリーズ第3弾 今回は、千葉市長州町(ながずちょう)時代のものを紹介しよう。 発見日 2022年11月25日 発見場所 千葉県千葉市中央区長州 ①千葉市長州町二丁目十四番地 ②千葉市長州町二丁目一二五番地 ①のものより文字が薄くなってしまっているが、読めるだろう。 歴史 昭和47年(1972)に起立。もとは千葉市長洲町1丁目の全域と長洲町2丁目・港町の各一部。長洲町は昭和11年(1936)に起立、もとは千葉市千葉・寒川の各一部。 地名の由来 地名は長い洲浜という意味。 洲浜浜辺の入りこんだところ。水の湾入したなぎさ。州が出入りしている海岸。
この日もやってしまった。 以前書いた下記の記事と同じことをまたもやしてしまった。 citywalk2020.hatenablog.com 池袋駅で西武池袋線に乗って大泉学園町から探索する予定だったのだが、何を感違いしたのか、また、東武東上線に乗ってしまったのだ。 改札に入ってから気が付いたのだが、気が付くのが遅かった。 次の電車が準急で、最初に止まる駅が成増駅で、乗車時間は9分。 しかたない、また、成増駅経由で探索しよう。 成増駅で降りて、板橋区内、和光市内を探索すると、見落としていたものをいくつか発見することができ、この間違いも、結果的にはよかった。 この旧町名もそんな中で発見したものだ。 …
八王子市の横山町は現存する町名だが、発見したものは住居表示前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月19日 発見場所 東京都八王子市横山町 歴史 1882年(明治15年)7月町村分合により江戸期の横山宿を八王子横山町と改称。 1889年(明治22年)4月1日町村制施行により八王子町成立。これまでの八王子横山町の町域を横山町とする。 1968年(昭和43年)8月1日住居表示を実施。(旧)1~103番地を(新)1~25番地に変更。 地名の由来もともとは滝山城の城下町、八王子城を経て、江戸期に八王子十五宿の横山宿に因む。
本庄市の旧町名シリーズ第3弾は「照若町(てるわかちょう)」。 「照若町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「中央」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市中央一丁目 本庄宿の仲町付近は北に伊勢崎道、南は八幡山道が分岐していた。両街道沿いも開発対象となり、前者は寺坂町(照若町)、後者が七軒町となった。 照若町が住居表示によって中央になった時期はわからなかった。 町名の由来も不明。 照若町商店会 商工案内板 照若町の文字があった。 バス停?
本庄市の旧町名シリーズ第4弾は「台町」。 「台町」は現存している町名だが、発見した場所の町名が「本庄」となっているので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年11月17日 発見場所 埼玉県本庄市本庄 13支会とは何だろう? 台町自治会掲示板 台町区の看板 徳川家康が江戸幕府を開くと江戸を中心とした交通網の整備が行なわれ、新たに御堂坂に中山道が開削されると、本庄氏時代に侍町であった久城堀東一帯の再開発がなされた。 『本庄開発旧記』に『…拙家共北ヨリ東ノ方ハ侍所臺村境迄…』の記述があることで、人々は旧家臣団の居住地(侍所)跡を『臺村(だいむら)』と呼んでいたことが分かる。 彼等には地形の高台と…
岸町はさいたま市浦和区に現存している町名だが、今回取り上げるものは、住居表示実施前のものなので、旧町名扱いとしている。 発見日 2022年12月10日 発見場所 埼玉県さいたま市浦和区岸町四丁目 木製の表札とプラスチック?ケースに覆われているもの2種類が設置されていた。 プラスチック?ケースのものは東京23区内ではたまに見かけるが、さいたま市内というより埼玉県内では、たぶん初めての遭遇だ。 このたぶんというのがとても怪しいと自分で思うのだが、そういうことにしておこう。 あいまいにしないで、調べてみたほうがいいんじゃない? 仕方ない、調べてみよう。 ・ ・ ・ ざっとだが、過去に撮った写真を調べ…