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板垣李光人、大森南朋&小手伸也ら「どうする家康」家臣団と再会!「絆が凄い」【画像】
俳優・板垣李光人さん(22)が2024年9月28日付のインスタグラムで、大河ドラマ「どうする家康」(NHK、2023年)において徳川家臣団として共演した6人の俳優との集合写真を公開しました。ネット上では「徳川家臣団の絆が凄い!!」「現世でも
静岡駅北口駅前広場にある銅像を紹介します。徳川家康にとって駿府は、最長約25年を過ごした地です。今川家の人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代の3度を駿府城で過ごしました。竹千代像は、家康が8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごした幼少期の姿。竹千代像この隣には、今川義元公生誕五百年祭を記念し、令和2年に設置された今川義元の甲冑姿の銅像もあります。今川義元像そして、こちらは、壮年期の家康像です。徳川家康像平成19年度に家康の駿府城入城四百年を記念し、「大御所四百年祭」展開してきた事業の一環として平成21年3月19日、銅像が設置され、像台座の題字は、徳川宗家第十八代当主・徳川恒孝氏によって書かれました。三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した頃の壮年期の家康の姿です。この...静岡駅前の竹千代・今川義元・徳川家康の銅像
蓮永寺の墓所には、お万の方の供養塔があります。養珠院(ようじゅいん、天正8年(1580年)-承応2年8月22日(1653年10月13日))は、徳川家康の側室。紀州徳川家の家祖徳川頼宣、および水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。名は万。母は北条氏隆(氏尭の誤伝か)の娘とも北条氏尭の娘、あるいは田中泰行の娘(=北条氏尭の養女、板部岡江雪斎の姉の娘・姪)ともいい、諸説ある。実父の正木頼忠は上総勝浦城主正木氏の正木時忠の次男で、当初は小田原に人質として滞在していたが、万の同母兄である為春と万をもうけた後、急死した実兄の正木時通の跡を継ぐため上総に戻ることになる。万と為春の生母は後北条家家臣だった蔭山氏広と再婚した。万はこの義父の元で育てられることになる。伊豆で成長した万は慶長元年(1596年)頃、家康に見初められ側室と...静岡の蓮永寺(2)お万の方の供養塔
静岡市葵区の沓谷(くつのや)にある蓮永寺は、文永11年(1274)、日蓮上人の高弟・日持上人によって庵原郡松野村(現在の富士川町)に開創されました。その後、衰退しましたが、徳川家康の側室・お万の方の発願により、元和元年(1615)、駿府城鎮護の寺として現在の沓谷に移し、再興されることになりました。山門仁王門実に広々とした境内です。鐘楼庫裏客殿本堂蓮永寺(貞松山蓮永寺・みまつさんれんえいじ)蓮永寺は、はじめ庵原(いはら)郡松野村に建てられてあったが、元和元年(1615)、お万の方(の発願によって、駿府の鎮護とすべく、この地に再興されたものである。お万の方は、上総国(千葉県)大滝城主正木左近太夫頼忠の娘で、後に伊豆河津の笹原城主蔭山氏の養女となり、徳川家康に仕えて2人の男子を産んだ。上の子は、家康の第10子頼...静岡の蓮永寺(1)駿府城鎮護の寺
JR飯田線「新城駅」から徒歩4分のところにある大善寺には、亀姫の墓とされる五輪塔があります。本堂亀姫は、徳川家康との築山御前の長女で、兄は松平信康。奥平信昌の正室。永禄3年(1560年)、駿府で生まれた。元亀4年(1573年)ごろに家康が奥三河における武田氏の勢力を牽制するため奥平氏の帰順を試みた際、織田信長の提案で亀姫と新城城主・奥平信昌の婚約が提示条件の一つとなり、長篠の戦いをめぐる戦功への家康からの褒美として天正4年(1576年)7月、信昌へ嫁いだ(「徳川幕府家譜」『徳川諸家系譜第一』)[3]。生涯、信昌に一人も側室を置かせず、自身で4人の男子(家昌・家治・忠政・忠明)と1女(大久保忠常室)を儲ける。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの戦勝により、慶長6年(1601年)夫・信昌が美濃加納10万石に...大善寺の亀姫の墓
本多忠豊は、徳川四天王の一人、本多忠勝の祖父にあたります。1544年(天文13年)9月、安祥城は、織田信長の父・織田信秀に支配されました。安祥城を奪還するため、岡崎城の徳川家康の父・松平広忠は、1545年(天文14年)9月、上条西で織田軍と交戦。(第二次安祥合戦)織田軍の援軍によって挟み撃ちにされ、敗北した松平広忠を逃がすため、殿軍(しんがり)を務めて討死したといわれています。三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬されました。墓碑は、討ち死にしたと考えられる場所に建立されています。 ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング 本多忠豊の墓碑
安祥城の近くの住宅地の中に、本多忠勝の祖父と父の墓碑があります。墓所は妙源寺(愛知県岡崎市大和町)にあり、戦死地の安城町赤塚にも墓碑が建てられています。まずは、本多忠勝の父・本多忠高の墓碑から紹介します。市指定史跡本多忠高墓碑天文九年(1540)尾張の織田信秀(織田信長の父)が、安城城(安祥城)を奪い取ります。その後、天文十八年(1549)までの約10年間、安城城争奪戦、いわゆる『安城合戦』が繰り返されました。天文十八年(1549)、岡崎城主・松平広忠(徳川家康の父)が没しました。同年、今川・松平軍は太原崇孚(たいげんそうふ)雪斎を総大将とし、織田軍が占領する安城城を攻撃しました(第3次安城合戦)。先鋒となった松平軍の主将・本多忠高(本多忠勝の父)は、安城城代・織田信広(信長の兄)に追い迫りましたが、城の...本多忠高の墓碑
大乗寺から筒井泉跡へ。筒井とは、安城城周辺の七つ井(筒井、浅黄井、中井、桜井、柳井、梅ノ井、風呂井)の一つです。筒井は、中でも名井であったと言われ、安城城の城主がこの水を茶の湯に使ったとされています。1549年(天文18年)に竹千代(後の徳川家康)が人質となっていた織田家から岡崎へ戻る際、筒井の水を飲み、この水を大変気に入ったので、竹筒に入れて持ち帰ったことが「筒井」の名の由来と言われています。市指定史跡筒井泉跡昭和43年4月1日指定安城城周辺の台地の縁から水が湧き出す地があり、そのうち筒井、浅黄井、中井、桜井、柳井、梅ノ井、風呂井の七カ所は「七ツ井」と呼ばれてきました。天文18年(1549)、竹千代(のちの徳川家康)が人質となっていた織田家から岡崎への帰途、筒井の水を飲んだと伝わります。その際、この水を...竹千代ゆかりの井戸「筒井泉跡」
安祥城の城跡は、現在安祥城址公園として整備され、本丸跡には大乗寺があります。安祥山了雲院大乗寺は、延徳元年、安祥城主・松平親忠が勢誉愚底上人を開山として創建されました。安祥合戦と享保の火災で荒廃しましたが、安祥城址に移転再建後は城跡のお寺として知られています。市指定史跡安祥城址昭和36年10月1日指定安城城(安祥城)が築かれた年代や人物は明らかではありません。一説には、室町時代の永享年間(1429~1441)、志貴荘の地頭和田親平によるともいわれます。江戸時代に記された「三河物語」には、岩津城(岡崎市)を本拠としていた松平信光が、文明8年(1476)ころに安城城を奪い取ったとの記述があります。このとき信光は、きらびやかに仕立てた踊りを安城の「西野」で行い、城内の兵が見物に出かけた間に城を奪ったとされます。...安祥城(2)大乗寺
愛知県安城市の安祥城(あんじょうじょう)は、永享12年(1440)、畠山一族の和田親平が築城したといわれ、別名を森城といい、天守を持たない平山城でした。文明年間、松平信光が本拠地として以来、岡崎に移るまで徳川四代の居城となりました。現在城跡は安祥城址公園として整備され、本丸跡に大乗寺、二の丸跡に八幡社、周囲に堀や土塁などが残っています。愛知県安城市にあった中世の平山城(ひらやまじろ)。三河国碧海郡(あおみのこおり)周辺(現愛知県碧海(へきかい)郡)を支配していた和田親平が1440年(永享12)に築城したとされる。その後、1471年(文明3)に、岩津城(岡崎市)の松平信光(のぶみつ)が謀略を用いて無血落城させ、以後4代にわたって松平氏の居城となった。この4代を安祥松平氏という。安祥松平氏4代の松平清康(きよ...安祥城(1)
小田原合戦「長久保城」!秀吉軍が続々と集結、箱根越えの軍議を開く
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、小田原合戦「長久保城」!秀吉軍が続々と集結
小田原合戦の発火点「名胡桃城」!連郭式山城、馬出、智将・真田昌幸の仕掛けとは?
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焼津駅の北にある大井神社は、永禄三年(1560)創立と伝わる神社で、左口、白髭、稲荷の三社が合祀されています。徳川家康が鷹狩りをした際、立ち寄ったといわれています。焼津駅から歩いても3分ほどのところにあります。これで焼津の家康ゆかりの史跡めぐりを終え、駅近くの「黒潮」にて食事をしました。ランチの刺身御膳を注文したら、お刺身は舟盛り出てきました。これで、税込み2,000円だったと思います。焼津港で採れた新鮮な海鮮料理が評判だけあって美味しかったですよ~~ランチタイムの終わり頃に入店したので、スムーズに入れてラッキーでした。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄 にほんブログ村 神社・仏閣ランキング 焼津市の徳川家康ゆかりの地(6)大井神社
秀吉の妹にして家康の妻「朝日姫」…運命を惑わされた女性ゆかりの京都・静岡の史跡
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苦難の時代の家康を支えた糟糠の妻"お愛の方"ゆかりの宝台院へ
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静岡県焼津市の石脇浅間神社前に、注連縄をしてある大きな石が二つあります。徳川家康が、この石に旗を立てたことから、旗掛石と呼ばれています。(家康の時代より、もっと昔から有名であったとも)石脇の原川新三郎は、天正9年(1581)の頃から家康に従って親交を深めたとされ、天正10年(1582)、家康が武田軍のいる花沢城や田中城を攻めた際、新三郎の家を本陣とし、この旗掛石の神に戦勝利を祈願しました。二年後の戦いでは、家康は新三郎に対して、村の15歳から60歳までの男子一人残らず集めるように命じ、集まった人は千人ほどだったといいます。その後、天下を統一した家康は、二代将軍に職を譲り、駿府に住みました。そして、しばしば原川家を訪れ、原川家の門前の大きな石に旗を立てて、その力を示したといいます。また、家康が馬を繋いでおい...焼津市の徳川家康ゆかりの地(5)家康が戦勝祈願した旗掛石
豊臣秀長邸跡「大坂城西の丸」!家康ついに上洛…会談前夜の思わぬ出来事とは?
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焼津駅から徒歩5分ほどのところに、徳川家康の伝説が残る罪切地蔵尊があります。武田軍との合戦で敗走中の家康が焼津北村(現・栄町)の僧に救われ、後に駿府に隠居して鷹狩りを行った際、草庵に立ち寄り、かつての御礼として名剣を授けるとともに阿弥陀寺を建立しました。その地に現在建っているのが罪切地蔵尊で、罪を断ち切り幸運を招くという御利益があるとして、今でも人々の信仰を集めています。毎月24日にの午前8時から午後3時まで縁日が開かれ、9月23日には例大祭「ごりやく祭り」が行われます。天正9年(1581年)徳川家康が、当地で武田勢と一戦を交え敗走し、当地焼津北村の草庵僧に救われた。その後、家康は天下を制定し、3年後に駿府へ居を構えた。家康はたびたび高草山で鷹狩りをした際、その一命を救ってくれた草庵に立ち寄り、報恩を以っ...焼津市の徳川家康ゆかりの地(4)罪切地蔵尊
石川数正出奔!ゆかりの「松本城」へ…戦うための黒い天守にこめた思いは?
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一触即発!家康対秀吉「小幡城」「龍泉寺城」!小牧・長久手の結末は?
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教念寺から海蔵寺へ。海蔵寺は創建当時は「宝城山安養寺」と言う天台宗の霊場でした。海蔵寺八世呑龍上人の記した「金玉院海蔵寺地蔵尊縁起」によると、後白河天皇の勅願所であり、平安時代末期には国家安康を祈るための、国から指定された祈祷寺院だったそうです。嘉元三年(1305年)、時宗を開いた一遍上人の弟子である二祖の真教上人に感化された安養寺の観海律師は、真教上人の弟子となり、天台宗だった安養寺を時宗に改宗しました。「小川のお地蔵さん」とも呼ばれ、水難除けのお地蔵さんとしても親しまれてきました。明応九年(1500年)、夏のことです。城之腰村の漁師、吉平さんが網を引きあげようとすると、1メートルほどもある木のお地蔵さんが網にかかっていました。びっくりした吉平さんは、急いで引きあげると、小さな仮のお堂を建てて、お地蔵さ...焼津市の徳川家康ゆかりの地(3)海蔵寺
焼津神社から教念寺へ。こちらにも小泉八雲が散歩でよく訪れたそうで、「小泉八雲ゆかりの地」の案内板がありました。母(二十八代忍晃の妻)が嫁にきて間もなくの頃、裏の畑で仕事をしている処へ乙吉が垣根越しに面を出して、「おばさん、八雲先生が来たので、泉水(池)の鯉を見せてくりよや」といった。「ああええともサ」と返事すると、乙吉のほうがむしろ背の高い、目の大きい外人さんが入って来てニコニコ笑って頭を下げた。そして、池の鯉を見たり、本堂の屋根から上に枝を覗かせている大松を眺めて「大変いい景色」と何度もほめていた。母が渋茶を汲んで出すと喜んですする様に飲んだ。茶碗を持つ手も型にはまっていて、この外人さんはきっと偉い人に違いないと思った。(北山宏明著『小泉八雲と焼津』より)江戸時代、徳川家康拝領の品が伝わっているそうです...焼津市の徳川家康ゆかりの地(2)教念寺
羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ
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長久手合戦を左右した家康の動きとは?家康本陣跡「色金山」と「御旗山」
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静岡県焼津市に鎮座する焼津神社の創建は反正天皇4年(西暦409年)と伝えられています。日本武尊を焼津の守神としてお祀りをしたのが焼津神社のはじまりです。焼津神社付近では、古墳時代の集落跡という1,600年程昔の宮之腰遺跡が存在し、古くから人々が居住したことが知られています。室町時代に今川氏が駿河の国を治めていた頃、この地域は「入江荘(いりえのしょう)」とも呼ばれ、焼津神社はその地名から「入江大明神」とも称されてきました。境内にある江戸時代の灯籠には「入江大明神廣前」の文字が彫られています。今川氏や徳川家などの武家の信仰も厚く、また焼津地域の人々や漁業関係者から崇められています。現在の本殿は慶長8年(1603年)、徳川家康によって建てられたものです。家康は田中城を出て焼津の浜から出港し、久能山で鷹狩に勤しん...焼津市の徳川家康ゆかりの地(1)焼津神社
家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三河中入り"、戦いの帰趨を握った岩崎城の動きとは?
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里宮拝殿砥鹿神社は、本宮山に1300年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里にて祀る里宮とで二所一体の崇敬を集める神社であり、また三河国内の筆頭神社一之宮です。里宮の社殿は伝統的木造建築の檜造りです。さざれ石開運石(かいうんせき)、子産石(こうみいし)とも云い、開運や安産、子授けのご利益がございます。全国にあるさざれ石の中でもとても大きく、高さ2.6m、横幅3.4mの日本一のさざれ石になります。ケヤキ手水舎表神門正面にある拝殿に繋がる表神門太鼓楼津守神社(つもりじんじゃ)祭神:田裳見宿彌(たもみのすくね)※10月第2日曜に例祭を斎行。同日氏子秋祭りが本社で斎行され、当社まで子供御輿が巡幸する。ブログランキングの応援よろしくお願いします😄にほんブログ村神社・仏閣ランキング砥鹿神社里宮(2)
家康を辿る城旅「楽田城」!秀吉、楽田城に入る…小牧山を包囲する砦群
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家康を辿る城旅「小牧山城」!決戦迫る…家康が本陣を敷いた信長ゆかりの堅城
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JR飯田線「三河一宮」駅下車、徒歩約5分のところにある三河国一之宮砥鹿神社(とがじんじゃ)の歴史は1300年を遡り、古くから朝廷の崇敬篤く、平安時代には「延喜式内社」に列せられ、三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となりました。 西参道大鳥居以前は本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13年(西暦1842年)岡崎藩勘定奉行の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されました。昭和20年(1945年)豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31年(1956年)に国道151号線沿いに移築されました。鳥居には至る所に空爆の被弾痕が見られます。 本宮山の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座しています。永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一...砥鹿神社里宮(1)
毎度どうも!開店から17日です。 日曜日らしくしただけで何がハッピーなのか知らんけど・・・ 年いくと土日とかあまり関係ないんよな・・・ 黒服君もそう思うやろ? なんだね? 週休二日制却下されたの根に持ってるだと? 知らんがな・・・ きっちり土日休み欲しいなら公務員にでもなれや・・・ オレの商売サービス業やっちゅうねん。 アマゾンとかブラックフライデーとかやっとるやろ? ああいうのうちでもなんかできんのかい? あん? ネタもカネもヒトも何もないだと? つ・・・詰んでるがなソレ・・・ どないしよ・・・ もう踊るしかないな。 黒服オマエダンス得意やろ? ハッピーダンスtiktokで踊ってこいや。 t…
東京へ単身赴任中の☆しょうた☆です(・Д・)ノんでマラソンに参加するために訪れた静岡で「浅間神社」へお参り家族の安全と健康を祈願そしてフルマラソンを無事に完走できた感謝をお伝えしたあとに境内で開催している「岡田准一✖松本潤」写真展へ大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康を演じた松本潤さんの写真展※撮影はOK同性から見てもかっくいいっすね~p(*^-^*)qで憧れに浸ったあとはっちゅうと壁には有名人のサインレトロ感...
2023年4月2日の大河ドラマ『どうする家康』の第13話『家康。都へゆく』、前半の主要キャラクター揃い踏み、15代将軍足利義昭、明智光秀、浅井長政にと お市と…
#206『三河物語』を読むその6 「五代目 松平長親」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第6回は「五代目 …
徳川対北条"天正壬午の乱"甲斐の覇権の行方は?北条軍の本陣跡「若神子城」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、徳川対北条"天正壬午の乱"甲斐の覇権の行方
#208『三河物語』を読むその7 「六代目 松平信忠」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第7回は「六代目 …
#210『三河物語』を読むその8 「七代目 松平清康」~『どうする家康』を楽しむため
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第8回は「七代目 …
2023年3月の1か月間に読了した本です。先月は7冊読みました。基本的には歴史中心です。大河ドラマ『どうする家康』に合わせて、より楽しみためのものから、読書術…
#227 TVメモ『英雄たちの選択 武田信玄 幻の西上作戦~対信長最終決戦』
テレビ番組 英雄たちの選択『武田信玄 幻の西上作戦~対 信長最終決戦』2023年3月29日再放送(初回は2021年5月)について 武田信玄というとこの下の肖像…
テレビ番組「歴史探偵」『武田信玄 最強の秘密』2023年4月26日放送について『どうする家康』で壮年家康の最大の敵として立ちはだかる阿部寛さんが演じるテルマエ…
甲斐をめぐり家康動く!武田勝頼の夢のあと「新府城」武田流築城術も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、甲斐をめぐり家康動く!武田勝頼の夢のあと「
#246 第18回「真・三方ヶ原合戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月14日の大河ドラマ『どうする家康』の第18話「真・三方ヶ原合戦」家臣たちを失いながら窮地を脱した家康17話があまりにあっさりと場面転換したら家…
念仏堂跡天文22年(1553年)の建立で、国の重要文化財に指定されていましたが、1994年に焼失。大恩寺念仏堂歴史天文22年(1553)牧野保成造立元禄10年(1697)移築大改修大正10十年(1921)国宝指定昭和25年(1950)国重文指定昭和28年(1953)解体復原平成6年(1994)焼失説明浄土宗御津山大恩寺は松平親忠の中興で徳川家、牛久保牧野家、為当竹本家、大塚岩瀬家等の崇敬が続いた。念仏堂の構造は桁行五間、梁間五間、一重入母屋造、檜皮葺で一間の逗子があった。特に内陣の厨子、須弥壇の形式彫刻等に見るべきものが多く、天井、長押等の絵画も見事で室町時代の秀作と言われた。平成八年八月御津山大恩寺本殿に向かって左手の道を墓地に向かう途中、牧野家、清廉夫婦、広忠、亀姫の墓があります。牧野家のお墓松平清康...徳川家康ゆかりの大恩寺(2)
#253 第19回「お手付きしてどうする!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月21日の大河ドラマ『どうする家康』の第19話「お手付きしてどうする!」包囲網を破る信長、三河どりを決める勝頼、なんだか呑気な家康?17・18話…
明智光秀敗走す!山崎の戦い本陣跡そして光秀最期の城「勝龍寺城」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、明智光秀敗走す!山崎の戦い本陣跡そして光秀
#260 『信長公記』を読むその34 巻15の2 :天正十(1582)年 甲州征伐
『信長公記』最終巻の巻15 天正10(1582)年のその2は、甲州征伐が織田信忠による武田領に侵攻で始まり、崩壊する武田領についてです。 武田家の崩壊 信忠…
#261 『信長公記』を読むその35 巻15の3 :天正十(1582)年 武田勝頼の最期
『信長公記』最終巻の巻15 天正10(1582)年のその3は、甲州征伐に織田信長も出陣してきて武田勝頼が自刃して武田家滅亡までについて 武田勝頼の最期、甲斐武…
#262 『信長公記』を読むその36 巻15の4 :天正十(1582)年 甲州征伐の後処理
『信長公記』最終巻の巻15 天正10(1582)年のその4は、甲州征伐で武田家滅亡後の後処理について、恵林寺の焼き討ちが行われます。 武田領の知行割が決まる。…