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関ヶ原の戦い(1)「本多忠勝陣跡~徳川家康最初陣地~決戦地」
2015年に関ヶ原に行った時の記事を再アップします。この日は、JRのさわやかウォーキングに参加しました。駅からすでに合戦がスタートしているようです。最初の陣跡は、駅から0.7kmの本多忠勝陣跡ここから1.8km先には徳川家康最初陣地「桃配山」は二大戦の陣跡と言われています。壬申の乱にて、勝者の大海人皇子が野上行宮より出陣し、陣を敷いたという言い伝えがあり、家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたといわれています。家康...
関ケ原の戦いの本戦の舞台となるはずだったこの大垣城の展示室には、当時の戦国武将たちの貴重な資料や、江戸以降、実際に戸田氏が使用した甲冑、石田三成をはじめとする西軍・東軍の武将による連署禁制の書が見られます。(複製なので撮影OKです)石田三成が本拠地を置いたこの大垣城から、東軍が陣をおいた岡山(現在のお勝山)までは約5キロあります。(赤で囲んであるところが、東軍が陣をおいた岡山)当時はここからお勝山を見...
#420 第37回「さらば三河家臣団」感想~大河ドラマ『どうする家康』
怪物化が加速する秀吉に小田原合戦とその後の関東国替え&江戸入りの大河ドラマ『どうする家康』の第37回「さらば三河家臣団」(10月8日放映)について鶴松を亡くし…
第42話のどうする家康。 関ケ原の合戦に関しての私の知識があまりにも無く、ふわっと認識していた程度だったことがよく分かりました。 ドラマ内では、鳥居元忠と千代夫婦の最期が描かれ、その姿が悲しくも美しいもので良かったなぁと思いつつ、やっぱりお別れは悲しいという想いもあり…。 素敵な夫婦で良かったな。 寄り添うかたち 女性の力 関ケ原。 寄り添うかたち 史実では女性の一生ってあまり残っていないので分からないのでしょうけれど、ドラマ内では夫である鳥居元忠と伏見城を守っていた千代。 家康に夫婦になる事を許されてから、ずっと2人は二人の形で寄り添ってきたのだろうなぁと想像されます。 ビシっと夫の尻を叩い…
どうする家康 鳥居元忠さんと千代さんの最期 壮絶でしたね この大河ドラマで 千代さんこと 古川琴音さんが世にでた作品でした 素晴らしかったですね 品 古川琴音 写真集 Pegasus 01 松岡一哲 ノーブランド品 Amazon
大垣城は、1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって揖斐川(牛屋川)東河岸にあった牛屋に築かれたとも、1535年(天文4年) に宮川安定が大尻に築いたともいわれ、この当時は、牛屋城と呼ばれていたとされています。1544年(天文13年)に織田信秀により落城し、織田信辰が5年間城主を務め、その後、竹越尚光、氏家直元、池田恒興らが城主となりました。1588年(天正16年)一柳直末によって、若しくは 1596年(慶長元年)頃、伊藤祐盛...
阿茶サンを保護した寧々サン,貫禄♪ そーして,調略に入る正信サンがまぁた楽しそうで。一体,何人に声かけしたの?(笑) 秀忠チンはちょい凡庸って描き方ですのね。その分,秀康チンが際立つのぉ。 じいじの孫別れ,稲チャンの凛々しい成長ぶり,よき。おっと,トメがじいじになってた。確かに,本軍足止めのキーマンだもんね。次回は,また寧々サンに戻るのかしら? あ,やっぱり妻子のことを言い出した。そこで,誰かさんに「妻子のことな...
毎号読んでいる歴史雑誌『歴史群像 2023年10月号[雑誌]』の最新号についてのレビューです。 歴史群像 2023年10月号[雑誌] 毎号、日本史・世界史、そ…
#468 第42回「天下分け目」感想~大河ドラマ『どうする家康』
石田三成が打倒家康に向けて挙兵、家康も三成と天下分け目の戦いを決意して、そのための下工作の手紙垣に精を出す二人などを描いた大河ドラマ『どうする家康』の第42回…
。.。:+*゚゜゚*ciao!平日のお昼の図書館。新聞コーナーも閲覧席もがらんとしています。気分はmylibraryネ。介護雑誌「レクリエ」年々迫ってくる、母の介護。lalaもいろいろ予防しなくては。絵本「しずかに!ここはどうぶつのとしょかんです」絵本「たったひとつのドングリが」すべてのいのちをつなぐ山に食べるものがなくて、里に下りてくる熊。今年はドングリが少ないのだそうです。蒸し暑いでした。夕方の室温28度なり。『どうする家康』真田信之の妻となった稲(本田忠勝の娘)「ここから先は一歩も通しませぬ!」と槍をドン!本田の血筋ですねぇ。鳥居元忠と千代。千代が最後まで描かれてよかった。にほんブログ村11月1回目の図書活と
石田三成の居城だった佐和山城を再現した「佐和山一夜城石造」が、彦根市古沢町の佐和山ふもとにある佐和山会館の敷地内に設置されています。 2012年彦根商工会議所青年部の創立30周年記念事業により、彦根市の石材店が、地元の寺に残っていた古図などを参考に制作したそうです。平成19年に開かれた彦根城築城400年祭の時に、同祭実行委員長だった北村昌造・彦根商工会議所会頭の提案で、高宮町の田中家石材(田中寿信・代表取...
前田利家公像前田利家公初陣之像とまつ像 前田利家(1539?‐1599)加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野の戦い
どうする家康 第43話「天下分け目」 ~小山評定、伏見城の戦い~
徳川家康とともに会津の上杉景勝討伐に向かった諸将に、上方で石田三成が挙兵したとの報せが入ったのは、慶長5年(1600年)7月20日過ぎのことでした。この...
【どうする家康】第41話ネタバレあらすじ「逆襲の三成」再放送は?どこで見れる?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第41話は「逆襲の三成」 隠居していた三成が不穏な動きを見せます。 この記事では ・41話を見逃した。・41話の動画を視聴したい。「どうする家康」の見逃しをイッキ見したい。・41話「逆襲の三成」のあらすじ
NHK【歴史探偵】どうする家康コラボSPはどこで見れる? 11月1日放送の内容は?出演者ぞくぞく登場!
2023年11月1日に放送された「歴史探偵#85 どうする家康コラボ~天下分け目の特別調査」スペシャルについて オンエアが見れなかった 録画するのを忘れた 番組の内容を知りたい というあなたに、お届けします。 放送後7日以上経過した「歴史探
伏見城はやはりそうなるよな。千代があたりまえのように戦ってるのは格好良かったし、覚悟も格好良かった。これまでずっとうっすら疑ってて申し訳ない気持ち。元忠と千代の最期には胸がぎゅっとなる。天下分け目の戦いに向けて、各大名にもいろいろな思惑があって、駆け引きがあって、裏工作もある。決戦が始まるまでが勝負という感じですね。寧々が味方なのはよかったけど、寧々のところもいつまでも安泰とは限らないのよね…。どうする家康第42回天下分け目
【どうする家康】第42話あらすじ・感想考察「天下分け目」|伏見城の戦い〜彦の最期に殿も決意
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年11月5日放送第42話「天下分け目」の内容となります。
数年前、秋の大原を訪ねました。紅葉の参道を抜けて、三千院の参道の奥にある宝泉院へ向かいました。宝泉院も、実光院とともに大原寺勝林院の僧坊の一つです。山号は魚山、本尊を阿弥陀如来。声明の大家・宗快法印によって嘉禎年間(1235年頃)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていました。正徳6年5月に宝泉院と改められ、現在に至ぃています。宝泉院には、盤桓園(ばんかんえん)、鶴亀庭園、宝楽園(ほうらくえん)という3つの...
医王寺山「武田勝頼本陣跡」!進軍か退却か?武田の命運を左右する軍議の行方は?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、医王寺山「武田勝頼本陣跡」!進軍か退却か?
【どうする家康】#41 逆襲のシャアならぬ三成、家康との最後の戦い前夜
最後に向けて盛りだくさん NHK大河ドラマ「どうする家康」第41回「逆襲の三成」が先週10/29に放送された。石田三成は、秀吉死後の五大老五奉行の政を進めたが、朝鮮戦役から戻った加藤清正らの処遇に失敗して混乱を抑えられず、失脚した。 この「逆襲の三成」というサブタイトルを聞いた時、世代的にどうしても機動戦士ガンダムの映画「逆襲のシャア」を思い浮かべてしまったが(それにしてはすっかり中身を忘れている)、確かあの映画もアムロとシャアの「最後の戦い」を描いたんじゃなかったっけ・・・(気になる人は調べて)。「どう家」の三成と家康も、いよいよ決着が付く「関が原」前夜と言ったところに物語は差し掛かっている…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜家康さんが狸って言われているのは演技なんかなぁ?ってことで第41話の感想ぉ!石田三成を政(まつりごと)から…
京都市東山区の養源院は、三十三間堂の東向かいにあります。以前行った春の養源院の特別公開では、俵屋宗達筆の襖絵「松図」、杉戸絵「白象図」「唐獅子図」、狩野山楽筆の襖絵、豊臣秀吉公木像、伏見城遺構「血天井」、淀殿・江・豊臣秀頼の肖像画などの寺宝が公開されました。養源院は、豊臣秀吉の側室となった淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の文禄三年(1594年)に創建した寺。一度は落雷により焼失しました...
のことですが、伏見の武家屋敷の古地図を買いに伏見区桃山まで行ってきました。伏見城を中心に全国各地の武将の屋敷や街道、河川を描いた伏見町誌付図「豊公伏見城ノ圖」です。この地図は、文禄3年(1594年)の伏見城が完成した当時に作られた地図なのだそうです。これは、桃山時代、大名屋敷が立ち並んだ伏見城城下町の地図を、京都市伏見区の郷土史家の藤林武さんが伏見町誌付図「豊公伏見城ノ圖(ず)」を基に作り上げた地図で...
もう10年以上前のことになりますが、京都市北区鷹峯を訪ねました。北大路バスターミナルからバスで源光庵へ。源光庵は、貞和2年(1346年)に臨済宗の大徳寺2世・徹翁義亨国師により隠居所として創建され、元禄7年(1694年)臨済宗から曹洞宗に改められました。夕方近くでしたが、女性同士の参拝客が多かったです。障子の向こう側に見える庭園が美しい源光庵といえば「窓「が有名ですね。一つは四角い方の迷いの窓円迷いの窓の⾓型...
#428 第38回「唐入り」感想~大河ドラマ『どうする家康』
欲望を大義にすり替えて壊れていく太閤秀吉の姿を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第38回「唐入り」(10月8日放映)について”キツネ”の茶々?に憑りつかれたよ…
#459 小田原攻め その1~『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる北条攻めについて『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』ではどのようになっているのか小田原…
慶長5年(1600年)、徳川家康が会津の上杉景勝の征伐のため出兵(会津征伐)、6月16日、家康は伏見城に宿泊して鳥居元忠と酒を酌み交わし、伏見城を預けました。家康の出陣中に五奉行・石田三成らが家康に対して挙兵。伏見城で、鳥居元忠らが1,800人の兵力で立て籠もる伏見城の戦いが勃発しました。元忠は、三成が派遣した降伏勧告を拒否して戦い続け、13日間の攻防戦の末、討ち死。享年62。元忠の首級は京橋口に晒されましたが、...
どうする家康、見ていて明確に石田三成という人間が嫌いになりました。 ということで、三成へのマイナス感情たっぷりに更新していきます。 「マジコイツ嫌い」って思ってしまった。 馬鹿以下 そもそもの目指す場所 心が折れる 馬鹿以下 久しぶりに登場した徳川家臣団や、三浦按針ことウィリアム・アダムスなど触れたい事は沢山あるんです。 が、そういった物にも目が向かないほどに三成にイラっとしてしまった。 佐和山城に隠居している三成。 そんな彼の元を訪れてくれた大谷吉継(刑部)は、歴史の上で三成と竹馬の友と言われるほどの間柄の人物。 刑部は当時では忌み嫌われていた病を患っていて、彼を意図的に避ける人物が多かった…
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) は、全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社で、「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれています。境内入口にある太鼓橋は、淀殿の寄進と伝わり、舞楽曼荼羅供の装束にも描かれているそうです。「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。空海が金剛峯寺を建立する際、丹生都比売神社が神領を寄進...
沓掛城跡(今川義元最後の滞在地)沓掛城跡(本丸)沓掛城跡(二の丸)沓掛城跡(諏訪曲輪)1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、
徳川家康公像若き日の徳川家康公像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。三河国を統一後、遠江国に進出し、岡崎城から浜松城に移る。29歳~45歳までの17年間を過ごし、浜松からは、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、高天神城の攻略、小牧・
昨夜のzeroプライチ“渋ハロ”「来ないで」に効果あり?ハロウィン目的でハロウィン期間に来ないで、とお達しが出るほど酷い状況だったということ。大きな事件事故になる前に懸命な判断だったのかな?でも、仮装したい、練り歩きたいと思ってる若者たちのエネルギーはどこへ
#435 2023年10月の購入本について その1 『歴史街道2023.11』
2023年10月購入本は、100分de名著はすでに持っているものでしたので、『歴史街道2023年11月号(特集1「新・関ケ原)』の最新号だけを購入。歴史街道2…
#457 第41回「逆襲の三成」感想~大河ドラマ『どうする家康』
石田三成が失脚し、狸を演じる徳川家康が豊臣政権の政務を担うようになった中で、チャンスをうかがっていた三成ついに打倒家康に立つを描いた大河ドラマ『どうする家康』…
徳川家臣団の屋敷跡巡りの続きです。尾張町公会堂付近には松下之綱の屋敷跡松下之綱天文6年生まれ。松下長則(ながのり)の子。今川氏に属し遠江(静岡県)頭陀寺(ずだじ)城主。このころ日吉丸(のちの豊臣秀吉)が3年間之綱につかえている。のち徳川家康,秀吉につかえ,天正18年遠江久野(くの)1万6000石の城主となる。慶長3年2月29日死去。62歳。三河(愛知県)出身。通称は嘉(加)兵衛。(コトバンクより)「おんな城主直虎」では、悪役に...
狸は辛い・・・この期に及んでこっそり弱音を吐くところが,ポンコツ神君のポンコツたるところ。でも,それが板についた蒲鉾だもんねえ。寄り添うペテン師,違った正信サンとの柔らか主従関係が,よき。 で,お友達を失った寂しさも,よく出てますな。この終盤に入って,演技に磨きがかかっております。よきよき。 刑部ーーーーーっ,ここで干柿を土産にするかーーーーーっ(笑) 茶々サンに続いて,二代目四郎次郎も「復活」。「十...
どうする家康 第41話「逆襲の三成」 ~家康暗殺計画、直江状、内府ちがひの条々~
石田三成の失脚から約半年後の慶長4年(1599年)9月、今度は徳川家康を暗殺しようとする企てがあることが発覚します。その首謀者は金沢に帰国している前田利...
#438 第39回「太閤、くたばる」感想~大河ドラマ『どうする家康』
唐入りの欲望を果たすべく文禄の役を始めた秀吉が秀頼の無事だけを願う人物になってしまった姿を描く大河ドラマ『どうする家康』の第39回「太閤、くたばる」について欲…
みんな茶々に転がされてるってことか?まあもともと引っ掻き回していた感はあったけど…彼女的にはどういうシナリオを描いているんだろう。三成が信念と義で動いているのはわかるけど、なぜそこまで秀吉に忠義を尽くすのかがわからない。秀吉の振る舞いを見て疑問に思わなかったんですかね。忠義に値する人物だと思っていたんですかね。元忠は千代と仲良くしていたようで何より。でも兵は3000でいいってフラグすぎて…。どうする家康第41回逆襲の三成
【どうする家康】第41話あらすじ・感想考察「逆襲の三成」|かつてない大戦へ〜裏で糸引く女狐・茶々
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年10月29日放送第41話「逆襲の三成」の内容となります。
徳川家康在城期の徳川家臣団居住区は、浜松城を取り囲むように設定されていました。鴨江観音堂の北築地跡、現在の浜松西小学校付近には、鵜殿兵庫頭の屋敷跡の標柱が立っています。鵜殿兵庫頭鵜殿氏長(うどの うじなが)天文18年生まれ。鵜殿長照の子。今川氏真の家臣。父とともに三河(愛知県)上之郷(かみのごう)城をまもる。永禄5年徳川家康の家臣,松平清善に攻められ捕虜となる。今川方と徳川方の人質交換で氏真のもとにもどり,...
戦国版"走れメロス"!長篠城の危機を救った鳥居強右衛門ゆかりの史跡へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、戦国版"走れメロス"!長篠城の危機を救った
【どうする家康】#40 念入りに老けた「狸」家康、満を持して天下様へ
「狸」の域に達した家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」が10/22に放送された。前回、秀吉がおどろおどろしく死んじゃったので今回はちょっと気が抜けてしまったが、残り8回しかない家康はそうも言っていられないだろう。あらすじを公式サイトから引用する。 秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜秀吉さん亡き後…合議制…うまくいくの?ってことで第40話の感想ぉ〜!秀吉が亡くなり、五大老五奉行による合議…