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京阪石山寺駅から瀬田川沿いを歩くこと10分。石山寺の東大門に着く直前に「朗澄大徳ゆかりの庭園」があります。朗澄律師大徳は「石山寺中興の祖」と言われた名僧で、自分の死後は鬼となって石山寺の経典と聖教を守ると誓い、弟子の前に金色の鬼となって現れました。石に刻まれた鬼は、石山寺縁起絵巻に描かれた死後の朗澄律師の姿なのだそう。この庭園を過ぎるとすぐに石山寺東大門があります。東大門仁王門、山門、総門とよばれる...
~勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ~こうした助言・忠告うぃ意味した格言が~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉で、長い歴史の中には、この言葉を彷彿させる恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世でその例を取り上げるなら、
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
織田家が、豊臣秀吉の天下を受け入れ、豊臣政権、江戸時代を生き延びたのに対して、豊臣家は、徳川家康に滅ぼされた。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の時点では、豊臣家を…
歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や
大坂夏の陣の戦いの火蓋が切られたのは、慶長20年(1615年)4月26日。豊臣方の大和郡山城攻めからでした。その後、4月29日には紀州路方面での樫井の戦...
嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。栖霞観跡本堂(釈迦堂)は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されましたが、嵯峨の大火が類焼し、本堂以下の伽藍は被災。元禄13年(1700年)より、本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まり、また...
大阪の谷町9丁目駅から徒歩5分ほどのところにある生国魂神社(いくたまじんじゃ)生魂(イクタマ)とは、生まれたばかりの魂という意味があるそうです。社伝によれば、神武東征の際、神武天皇が、生島神・足島(たるしま)神を、現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝えています。戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失。天正11年(1583年)豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を...
1615年(慶長20年)徳川家康は浪人解雇と豊臣家の移封を要求しましたが、豊臣秀頼は父の城を捨てるわけにはいかないと拒否し、大坂夏の陣が始まりました。淀殿は、女性でありながら、甲冑に身を包み、豊臣方の総大将として徳川との戦に臨みましたが、堀を埋められた豊臣に勝ち目はなく、ついに大阪城は落城。淀殿は、秀頼の「豊臣の人間として果てたい」という言葉で、自分もともに自刃することを決めました。家臣に救出された千姫...
徳川方の砲撃に恐れおののいた淀殿は、一転して和議の申し出に応じます。そして、徳川、豊臣両者による和議の話し合いが行われたのは、慶長19年(1614年)1...
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その2 ~真田丸の戦い~
「その1」のつづきです。 方広寺鐘銘事件で徳川との関係が急速に悪化した豊臣方は、旧豊臣恩顧の大名たちを味方に引き入れようと試みますが、そのすべてに拒否さ...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
中村重勝の兵士達は、眠っており、不寝番の兵達は、皆揃って、餅などを食べながら、雑談し合っていた。 守将の中村重勝は、普段は、常に具足を脱がない、勇士としての…
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
サライ.jp秀吉と茶々の息子・豊臣秀頼の生涯|「大坂の陣」で家康と戦い敗れた豊臣家の若き後継者
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どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
彦根城跡から夢京橋キャッスルロードに出ると、通りの真ん中に浄土宗の宗安寺があります。井伊直政の正室・東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立された安国寺を前身とします。井伊直政が高崎城主となると安国寺は移転。1601年佐和山入城に伴い、佐和山城下へ移され、宗安寺と改名。1603年、彦根城築城の際、現在の地へ移転されました。赤門は、石田三成の佐和山城の表門を移築したものと伝えられています。現在の本堂は、...
令和5年11月7日(火) 【旧 九月二四日 友引】・霜降・楓蔦黄(もみじつたきばむ)空堀に蔦草生ひて淀殿の夢覆ふごと石垣に這ふ ~林龍三 『塔』 2020年5月号Photo:大阪城 ~tenki.jp 安土桃山時代を扱った歴史ドラマでは必ず登場する大坂城。豊臣秀吉が築いた大坂城は現在
京都市東山区の養源院は、三十三間堂の東向かいにあります。以前行った春の養源院の特別公開では、俵屋宗達筆の襖絵「松図」、杉戸絵「白象図」「唐獅子図」、狩野山楽筆の襖絵、豊臣秀吉公木像、伏見城遺構「血天井」、淀殿・江・豊臣秀頼の肖像画などの寺宝が公開されました。養源院は、豊臣秀吉の側室となった淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の文禄三年(1594年)に創建した寺。一度は落雷により焼失しました...
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) は、全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社で、「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれています。境内入口にある太鼓橋は、淀殿の寄進と伝わり、舞楽曼荼羅供の装束にも描かれているそうです。「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。空海が金剛峯寺を建立する際、丹生都比売神社が神領を寄進...
豊臣秀吉の死後、次の天下人の座を狙う徳川家康と、豊臣家を擁護する石田三成が対立。家康が上杉征伐(会津征伐)を企てると、石田三成は、五大老の毛利輝元、宇喜多秀家をはじめとする旧豊臣方の恩顧の諸大名を大坂城に集結させました。家康はこの動きに対し、慶長四年6月18日、大津城の京極高次と会い密談を交わしていたと言われています。三成は家康が会津攻めに赴いた隙に、大谷吉継や毛利輝元らを集めて挙兵。伏見城を落とし...
ずっとご無沙汰してすみません。前の記事からずっとダウと日経の値動きを追いかけるのに夢中で、取引記録をかけませんでした。 しかも、新しい記事は関ヶ原の戦い関連の話だったりします。 以前から関ヶ原の戦いとそのキーマン? の小早川秀秋のことは記事にしてますので、下記の過去記事をどうぞ。 gonstock.hatenablog.com gonstock.hatenablog.com 以前、「突っ込んだ記事は、関ヶ原合戦の日の旧暦新暦変換の10月頃書けたらいいな、とおもいます。」などと書いておきながら、結局バタバタするままに、あまりいいネタは書けないと思います。ちょっと小早川秀秋ばかりだったので、少し離…
豊臣秀頼と淀殿は、豊臣秀吉没後から秀吉の追善供養として、畿内を中心に寺社の修復・造営を行いました。主なもので東寺金堂・延暦寺横川中堂・熱田神宮・石清水八幡宮・北野天満宮・鞍馬寺毘沙門堂など、85件にものぼったといいます。今まで撮影した画像をまとめてみました。東寺南大門東寺金堂醍醐寺金堂熱田神宮石清水八幡宮北野天満宮等持院鞍馬寺由岐神社の本殿と拝殿金戒光明寺の阿弥陀堂真如堂の本堂相国寺の法堂寂光院の本...
アヴァン,トーキチロー,変なところで自覚はあるのね。アンタ,甥一族を惨殺してるもんね。 忠勝クンがなんか物分かりよくなってるー。 阿茶サンはずけずけ,治部クンは夢追い人。なかなか面白い造形ですな(苦笑) 左衛門尉サン,お久しぶり〜〜〜っ♪ 老いても,オツムのキレは変わってませんのね。よき。 君臣親子夫婦揃っての海老すくい,壮観でした。これが最後,ですか・・・??? これ泰平の象徴だと思うのね。江戸城でも,是非お...
どうする家康 第39話「太閤、くたばる」 ~慶長の役と秀吉の死~
鶴松の死後、自身の年齢から考えてもはや実子は見込めないと考えた豊臣秀吉は、養子となっていた甥の豊臣秀次を後継者と定め、関白職も譲ります。しかし、それから...
どうする家康 第38話「唐入り」 ~文禄の役と淀殿2度目の懐妊~
小田原征伐を終えて天下統一を成し遂げた翌年の天正19年(1591年)、豊臣秀吉の身の回りを立て続けに不幸が襲います。1月には最も信頼していた実弟・豊臣秀長...
大坂の玉造稲荷神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)創建されたと伝えられています。戦国時代の戦火により荒廃しましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建されました。大坂夏の陣で、社殿は再び焼失しましたが、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建されました。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称し、江戸時代には伊勢参りの出発点とされました。「玉造」という名は、鎮座...
滋賀県大津市坂本の律院は、比叡山延暦寺の里坊です。元々は、横川の総里坊であった松禅院があった場所で、山門、石垣の高さにその格式の高さを感じます。かつて松禅院と呼ばれていた当地は、大正末期に民間の手に渡り、荒廃していたのを、昭和24年(1949)戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢(えなみそけん)師が再興。寺号は祖賢師が当時、安楽律院の管領を務めていたことに由来するそうです。庫裏本堂本堂は、豊臣秀吉の側室・淀殿が...
秀吉が鶴松の菩提を弔うために建立した智積院の前身「祥雲禅寺」
智積院は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院で、山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)といいます。鶴松を亡くした豊臣秀吉の嘆きは大きく、鶴松の菩提を弔うために、京の東山に祥雲禅寺(臨済宗)を建立しました。しかし、その後、豊臣家を滅ぼした徳川家康は、この寺をかつて秀吉と対立した紀州・根来寺の僧に与え、五百佛山根来寺智積院(真言宗)としました。真言宗智山(ちさん)派の総本山で全国...
日本三大悪女とは|日野富子、北条政子、淀殿は日本史上何をした?詳しくご紹介します!
日本三大悪女と言われる女性がいます。 その3人は誰なのか。そしてどうして「悪女」と呼ばれるのか。 詳しくご紹介
寧々サマ,背後で表情が少々微妙。トメになってるってことは,今後のご活躍が期待できますね〜。 で,でんでん太鼓を弄びながら相変わらずサイコパスなトーキチロー(洒落ではないぞ 笑)。 いきなり登場したな〜阿茶局。今までどこにいたのよ;;; ポンコツ神君の国替阻止案は,信雄チンの前例でアウトぉ〜〜〜〜!当たって良かったね,半蔵チン(笑) 茶々サン,妖女の片鱗が・・・次回,全開みたいね;;; 江戸については,トーキチローの言う通りな...
大津市の三番目の名刹石山寺です。来年の大河は紫式部だそうです。来年の舞台になるのでしょう❗きっと延暦寺、三井寺と比較するとこじんまりしています。東大門は頼朝により建立され、淀殿によって大幅に改修されそうです。歴史を感じます。そう言えば、どうする家康淀殿登場しましたが、、何処かで見た顔、、、そうきたか、😅( ̄ー ̄)\(^_^)/です。以前は味方、いや初恋の相手、今度は敵対ですか?⁉️発想が斬新ですね⁉️😎宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。大阪城日本100名城-リタイアじーじの徒然絵日記日本100名城の大阪城です。とても大きな城とお堀です。外人観光客で溢れかえっていました。天守閣は行列が長くて入場を諦めました。今回はお堀を中心とした観光でした。日本...gooblog大阪城のお堀日...石山寺東大門重要文化財
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その3 ~賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦い~
「その2」のつづきです。清洲会議以降、決定的な対立関係となった羽柴秀吉と柴田勝家。もはや天下を視野に入れた秀吉にとって勝家は邪魔な存在であり、一方の勝家...
いずみんさん、これまでお母さんを怒らせた時には小さい頃は大泣きしながら「ママ、ごめんなさい!」.·´¯`(>▂<)´¯`·.えーんえーん」。鼻水シャクリ上げすぎて過呼吸起こすってかくらいに。カワイソー反抗期はとりあえず無くて、現在は「こりゃ駄目だ」¯\_( ͠° ͟ʖ °͠ )_/¯…と諦念混じり…。お母さん、いつだったか舞台で淀殿役を演じた事があって、その中の「さあ、おせん!」というセリフをその頃からかアレンジして、いずみんさんに何かを迫る時に使うようになりました。(ちなみに舞台の登場人物「おせん」とは徳川家康の孫娘で淀殿の息子の正妻となった千姫の事)永依美さんは、娘がお祭りのお姫様役を無事勤めて「あー終わった終わった」で無く、それが肥やしとなり、...第5話7pageそれともただの親ばか?
勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ。こうした意味の助言・忠告の格言が、~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉であり、また長い歴史の流れの中には、この言葉に恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世での一例を取り上げてみれば
楽しい日本史 -偉人編- 17 石田三成 豊臣家に一生を捧げた男
寺で働いていたが、天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康と対立した石田三成についての以下のような疑問を学習する記事
NHK大河ドラマ歴代作品 濃姫/お市/ねね/淀殿/築山殿 キャスト比較
NHK大河ドラマで、信長、秀吉、家康と関係のある女性5人を演じたキャストを比較しました。<関連記事>NHK大河ドラマ 信長/秀吉/家康/光秀/三成 キャスト比較NHK大河ドラマ ジャニーズ主演作品NHK大河ドラマ 歴代視聴率一覧&ランキング織田信長の正室で、斎藤道三の娘・濃姫(帰蝶)。織田信長の妹、お市の方。豊臣秀吉の正室、ねね(北政所、高台院)。豊臣秀吉の側室で、お市の方の長女・淀殿(茶々)。徳川家康の正室、築山殿...
今日は京都の 養源院【浄土真宗遣迎院派】の紹介です。 場所は京都の東山区にあり昨年末の京都の旅で立ち寄ったものでした。 この寺院はかの豊臣秀吉公の側室であった淀殿が、その父であった浅井