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「名作文学の書き出しを諳んじる!芥川龍之介や夏目漱石など、名作の魅力と感想」
「名作文学の書き出しを諳んじることで作品の魅力を再発見。芥川龍之介や夏目漱石などの有名作家の名作から学ぶ、文学の深層と人間ドラマ。『羅生門』『鼻』『走れメロス』『人間失格』など、名作の書き出しとその感想を紹介。」
藤原道隆の一族、中関白家の道隆の嫡妻、高階貴子を演じるのは、板谷由夏。 藤原道隆の長男、藤原伊周を演じるのは、三浦翔平。三 浦の得意な過剰演技が、伊周にハマ…
1月後半ツイッターコピペw ~言葉遊びって・・・素敵やんw~
にほんブログ村 俺が昔からやってる課題に 清少納言の「うつくしきもの」を真似してみよう!というのがあるw 読めんw たとえば、おほきにはあらぬ殿上童(わらは)…
比叡山の麓にある坂本の恵日院の境内にある慈眼堂は、慶長12年(1607年)から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の延暦寺の復興に尽力した天海の廟所です。正保3年(1646年)に建立された江戸時代初期の禅宗様を基本とする仏堂で、国の重要文化財に指定されています。堂内には木造慈眼大師坐像(重要文化財)を祀っています。境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏群のうちの13体の阿弥陀如...
①②から続き 『②大人の遠足、京都九条通り筋歩きの旅』①から続く 『①大人の遠足、京都九条通り筋歩きの旅』これだっ!催行1週間前に申し込んだバスツアークラブツ…
冬枯れの路傍に冬の薔薇が咲いていました。 薄い大倫の薔薇を慕うように、やや小ぶりながらも艶やかで濃い色の薔薇が取り囲んでいます。まるで宮廷の侍女のように。平安時代であれば、清少納言・・・ 藤原道隆の長女である藤原定子は、一条天皇の皇后でしたが、父亡き後、権力争いに巻き込まれて悲運な生涯となりました。 そんな定子に仕えていたのが清少納言で、清少納言もやはり権力抗争によって窮地に追いやられたり、様々な誘惑もあったのですが、結局は、心酔していた定子に寄り添って忠誠を尽くし続けたのでした。 冬に薔薇に囲まれて咲く薔薇に遭遇したときに、その儚くも美しい姿から、思わずそんな平安宮廷に思いを馳せていました。…
車折神社の境内社を紹介します。水神社 祭神は龍神芸能神社祭神は天宇受売命。芸能・芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けています。芸能人や関係者によって奉納された約4,000枚もの朱塗りの玉垣が社殿を囲んでいます。清少納言社 祭神は清少納言「光る君へ」で、ききょう(清少納言)を演じたファーストサマーウイカさんも参拝されたとか。今年は多くの参拝者で賑わったことでしょう。地主神社北側の鳥居から出ると、車折神社駅...
京都市右京区嵯峨朝日町にある車折神社(くるまざきじんじゃ)は、清原頼業(きよはらのよりなり)を祀る神社です。頼業は、学問で有名な広澄流清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者でした。また、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には、三十六歌仙の一人である清原元輔、娘の清少納言らの名も見られます。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「...
#4474 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
令和7年1月3日(金) 【旧 一二月四日 先負】 冬至・「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ ~清少納言 『後拾遺和歌集』 巻16-0939 雑歌二夜が更けている間に鶏の鳴き声を真似て、朝が来たと騙して帰ろうとしても
Noteを更新しました。ご一読いただければ幸いです。 以前に清少納言と中宮定子についての投稿をしたことがありましたが、この投稿ではそんな二人のエピソードを「枕草子」から紹介してみました。 note.com ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐり ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中歴史
古典文学にも登場する仁和寺『紫式部日記』には、仁和寺の僧都・済信(さいじん)が、また、『枕草子』には、仁和寺の僧正・寛朝(かんちょう)が登場します。中門五重塔寛永21年(1644年)再建。御室桜と共に仁和寺のシンボル的存在となっています。桃山時代建築の国宝建造物。仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図などが極彩色で描かれています。経蔵寛永18年(1641年)か...
京都御苑の枇杷殿(びわどの)は、藤原仲平の屋敷跡です。左京一条にある枇杷第を伝領し、邸内に枇杷が植えられていたことから、枇杷殿、枇杷左大臣などと呼ばれていました。長和3年(1014年)三条天皇は眼病を患い、藤原道長は天皇の眼病を理由にしきりに譲位を迫りました。また、この年と翌年、内裏が相次いで焼失。眼病の悪化もあり、長和5年(1016年)三条天皇は、皇后娍子(せいし/すけこ)の子・敦明親王の立太子を条件に、道...
今日は選挙なので1時間繰り上げ放送ですね 本日のツッコミ 清少納言思うところはあったと思うけど あそこまでTHE・恨な人ではなかったと思うよ多分本当のことは…
須磨寺の宝物館の一角にある「須磨寺小石人形舎」では、アートデザイナーの故木島武雄氏が、須磨や各地の小石を集めて『源氏物語』や源平合戦の場面を表した小石人形が展示されています。光源氏を彩る人々光源氏、葵の上、桐壺帝、桐壺更衣、紫の上など百人一首の詠人清少納言、小野小町など在原行平と松風村雨源平合戦などの情景が、センサーで作動して動くしくみになっています。一の谷合戦平敦盛青葉の笛を吹く平敦盛平家の公達...
2024年9月は、大河ドラマ『光る君へ』に登場している清少納言や紫式部の娘の賢子を主役にした歴史小説や、紫式部の人生と源氏物語を楽しむ本などを中心に、定番購入…
平安ノスタルジーの世界をたどる 清少納言と藤原定子、一条天皇 ~京都・鳥辺野陵
“あらたまる しるしもなくて 思ほゆる 古(ふ)りにし世のみ 恋いらるるかな” 「世の中が変わる様子もなく、ただただ過ぎ去ってしまった昔の世を恋しく思います」 ---清少納言が詠んだ歌。 近年「昭和ノスタルジー」ともいうべき風潮があちこちに見られます。「あの頃はおおらかでよかった」とか「日本が元気だった」とか。文字通りの「ノスタルジー」であって、今より当時が良かったわけでは必ずしもないわけですが、こうした風潮そのものが現代日本の状況をよく示しているのかも知れません。 そしてそんなノスタルジーを感じる方にとってこの清少納言の歌は「わかるわかる!と親近感を覚えるのではないでしょうか。 とはいえこの…
2024年10月11(金)~13(日) 絶好の秋晴れの3連休。バイク乗りならバイクに乗れよと思いながらも、車に乗って秘密基地へ行って来ました。 翌朝の雑草チ…
藤原惟規は、勅撰集に選ばれるほど歌の才能があったそうです。『後拾遺和歌集』に、越後へ向かう時に詠んだ歌があります。辞世の歌 「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」惟規は最後の「ふ」の文字を書けずに息絶えたため、父・藤原為時は「おそらくこのように書きたかったのであろう」と書き足したといいます。都へ帰りたいとい気持ちを抱きながらも、再び都の地を踏むことが出来なかった惟規。。さ...
#840 第38回「まぶしき闇」感想~大河ドラマ『光る君へ』
敦成親王呪詛事件から、伊周の道長に面と向かって呪詛をぶつける道長が思い通りに政治を進めようとすることで闇が深く、鮮明に出てきた『大河ドラマ「光る君へ」 - N…
史実では 紫式部と清少納言は会ったことがないらしいんですよ なので初期の仲良し設定の時!?だったんですよ まぁ、後で立場的に仲が悪くなるのは確定だったので 先…
「香炉峰の雪」の章段は、「春はあけぼの」に続いて、代表的なものですね。 「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。」という一説です。 香炉峰とは、中国の廬山にある峰で、白楽天の詩に「香炉峰の雪は簾をかかげて...
藤式部が藤壷では道長との関係で、実家では娘との関係で、作品では清少納言との関係で・・・『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第37回「波紋」について中宮彰子…
さてさて…「おこがましい」って言葉は目上の人に意見をする時やおせっかいかもなぁという時なんかに「おこがましいのですが」と冒頭に使うけれども… 元々の意味はなん…
NHK大河「光る君へ」を楽しみに視聴させていただいております。 このブログで、2024.1.26日から「源氏物語と紫式部」を「桐壺」「若紫」「浮舟」と題して3回に渡って書かせていただいていますので、その展開がどのくらい史実と異なっているのかなどを含め興味深いからです。 ...
大河ドラマ『光る君へ』で、宮中で大流行りし、一条天皇の心が亡き藤原定子に心とらえさせ続ける『枕草子』の見方が変わる『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘めら…
#819 孟嘗君に、逢坂の関にと from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
清少納言と行成の知的なやりとりを『枕草子 下 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、行成、清少納言に一夜を共にした後のような「後朝」の戯れから始まり、清…
大河ドラマ『光る君へ』で、中宮定子の下で活躍した清少納言を歴史小説で味わおうと思い『月の輪草子【電子書籍】[ 瀬戸内寂聴 ]』を読みました。90歳超の清少納言…
2024年8月は、大河ドラマ『光る君へ』についに登場した和泉式部のことや、最近はまっているウイスキー沼の本、定番購入の歴史関係などの15冊を読みました。15冊…
こんばんは、めいです中秋の名月です 月見れば 千々に物こそ悲しけれ我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里) 月を見ると 色々悲しく感じるワンめい一人に…
「藤原道長と平安時代の貴族のくらし – 小学生にもわかる貴族文化」
「平安時代の貴族たちの遊びや文化、藤原道長、清少納言、紫式部の代表作について小学生にもわかる言葉で紹介します。蹴鞠や和歌、花見など、貴族のくらしの一端を学びましょう。」
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言の恋愛遍歴、中宮定子との輝かしい生活と中宮定子への思いを描いた『小説清少納言「諾子の恋」 [ 三枝和子 ] 』を読みました。…
秋の花・華コレクション2024 今年も七草 ききょうさんはどうしてる?
これも7月の内に撮影しておいた桔梗の花。去年学んだ「秋になってから探したら遅い花もある」の教訓を生かそうとチャンスは逃しませんでした。先月、同じ公共の花壇に行ってみたら、入れ替えするつもりなのか今まであった花々のほとんどが抜かれて、土が掘り返されていました。桔梗やオミナエシはありましたが、枯れが更に進行していました。話は変わりますが、大河ドラマのききょう(清少納言)さんはどうしてるんでしようか?「枕草子」大ヒットでも現代の作家みたいにキャンペーンで自ら人前に出て来る。または公共奉仕のために出させられる―なんて事は無かったとは思いますが。まひろさんが休暇で自宅に戻っている時に「何で道長のお役に立とうとしてるんや!」と鬼の形相で怒鳴り込んで来る。👹―なんて事があるかもしれないと、今後の展開を心配しています。吉...秋の花・華コレクション2024今年も七草ききょうさんはどうしてる?
#805 レビュー 『「枕草子」をかいた女性随筆家 清少納言』
大河ドラマ『光る君へ』で、まひろと創作について語り合い、中宮定子の輝かしい姿を描いた『枕草子』を書いた清少納言を知ろうと『清少納言 『枕草子』をかいた女性随筆…
平安時代中期、奈良の興福寺別当であった定澄(じょうちょう)。壬生氏の生まれで左京の人。延喜19年(919年)17歳で得度し、仁和寺別当・寛空、興福寺別当・空晴に学ぶ。興福寺に籍を置き、永延2年(988年)の維摩会では講師を務めた。長徳元年(995年)権律師に任じられ、西大寺別当に就任[3][4][1]。長保元年(999年)興福寺権別当となり、翌年には正任の別当に転じ、権少僧都となって龍蓋寺・龍門寺の別当職も兼任した[5][6][7...
#793 清少納言と行成のとの交友関係 from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言が、道長に一矢報いるべく、定子の光り輝く姿を描いた『枕草子 上 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、その個所を見てい…
#786 清少納言の行成評 from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言が、道長に一矢報いるべく、定子の光り輝く姿を描いた『枕草子 上 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、その個所を見てい…
『源氏物語』は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品です。平安中期、宮仕えで宮中の内情にも精通した紫式部が、和歌795首を詠み込んだ物語を通して、当時の貴族社会を描きました。『源氏物語』の原本は、今は残されていませんが、現存する最古の写本は、鎌倉時代に藤原定家(ふじわらのさだいえ)が残したものであるといわれており、定家の写本は、以後『源氏物語』の主流となり、広がっていきました。また、定家が京都小倉山の山...
#784 敦康親王を生む定子の姿 from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言が、道長に一矢報いるべく、定子の光り輝く姿を描いた『枕草子 上 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、その個所を見てい…
#779 レビュー 『100分de名著 清少納言「枕草子」』山口仲美
大河『光る君へ』で、清少納言がついに『枕草子』を完成させたので、まずは『清少納言枕草子 (NHK「100分de名著」ブックス) [ 山口仲美 ]』を再読『枕草…
仁王門から本堂までの399段の長い登廊を上りきり、やっと長谷寺の本堂に到着。小初瀬山の斜面に建つ国宝の本堂は、慶安3年(1650)、徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、本尊を参拝する礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造になっています。ご本尊は、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ長谷寺式十一面観世音菩薩...
『六月のぶりぶりぎっちょう』【読書感想】~歴史ファンタジーを感じて~
本日の本はこちら。万城目君の「あれ」に対する本家の意地? 『六月のぶりぶりぎっちょう』読みました。 六月のぶりぶりぎっちょう 京都の摩訶不思議 (文春e-…
奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院・長谷寺初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されています。牡丹に続いて、6月には紫陽花が見頃を迎え、境内の各所で紫陽花を楽しめます。長谷寺は、朱鳥元(686)年、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりとされています。平安時...
清少納言の『枕草子』完成!紫式部(まひろ)は『源氏物語』を書き始め!大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第29回「母として」について清少納言は道長のやり口に…
撮影日時 2024/08/03 19:21:32テレビっ子の私は大河ドラマも必ず観ています。きちんと観ることもあれば、何かしながら観て、録画も見直さないドラマがあります。今放映中の『光る君へ』はどちらかといえば後者です。それでも同じような名前ばかりなので、続き柄など頭の中で整理しながら観ています。すると、一条天皇は伯父(藤原道隆)の娘(定子)と結婚して、さらに叔父(藤原道長)の娘(彰子)と、つまりはいとこ同士で結婚し...
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により奈良に創建されました。鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。清少納言も和泉...
【徳島】『光る君へ』清少納言ゆかりの地 清少納言の墓碑が残る観音寺『天塚堂』
【徳島】 清少納言ゆかりの地 観音寺『天塚堂』は徳島県鳴門市里浦坂田の 海沿いに近い 里浦城跡があった山の南側に…
おはようございます。警備員のおっさん、やぶりんです(´・ω・`) 今日は「かき氷の日」ということで、かき氷検定を受験しました( ゚Д゚)無料WEB検定です。 …
泉湧寺の塔頭・今熊野観音寺の正式な寺号は、観音寺(かんのんじ)ですが、「今熊野」の通称で知られています。山号は新那智山。本尊は十一面観音。西国三十三所第15番札所。洛陽三十三所観音霊場第19番札所。熊野権現のお告げを受けた弘法大師(空海)がお堂を建てたのが始まりで、熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。頭痛持ちで苦しんでいた後白河天皇の枕...