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平安ノスタルジーの世界をたどる 清少納言と藤原定子、一条天皇 ~京都・鳥辺野陵
“あらたまる しるしもなくて 思ほゆる 古(ふ)りにし世のみ 恋いらるるかな” 「世の中が変わる様子もなく、ただただ過ぎ去ってしまった昔の世を恋しく思います」 ---清少納言が詠んだ歌。 近年「昭和ノスタルジー」ともいうべき風潮があちこちに見られます。「あの頃はおおらかでよかった」とか「日本が元気だった」とか。文字通りの「ノスタルジー」であって、今より当時が良かったわけでは必ずしもないわけですが、こうした風潮そのものが現代日本の状況をよく示しているのかも知れません。 そしてそんなノスタルジーを感じる方にとってこの清少納言の歌は「わかるわかる!と親近感を覚えるのではないでしょうか。 とはいえこの…
一条天皇の皇后・定子の陵墓は、京都市東山区今熊野泉山町にある鳥辺野陵(とりべののみささぎ)とされています。定子と一条天皇『枕草子絵詞』藤原定子(ふじわらのていし/さだこ) (976―1000)一条天皇の皇后、藤原道隆の女(むすめ)。母は高階貴子(たかしなのきし)。正暦元年(990年)1月、14歳で4歳年下の一条天皇に入内、まもなく従四位下に叙せられ、2月には女御、10月中宮となる。長徳2年(996年)、兄・伊周(これちか)、隆家が...
京都市東山区五条坂にある大谷本廟は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所で、通称は、「西大谷」。「日野誕生院」・「角坊」(すみのぼう)とともに「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内建物です。清水寺から大谷本廟にかけてのエリアは、鳥辺野の葬送地跡で、今でも広大な鳥辺山墓地があります。『源氏物語』第40帖「御法(みのり」では、光源氏の妻・葵の上の葬儀が鳥辺野の葬場で行われます。また、桐壺更衣、夕顔...
鳥辺野(とりべの)は、京都市東山区の阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)を中心に西方に広がる山麓一帯を指します。北辺は清水寺南、西大谷を含む辺りから、南辺の今熊野観音寺北、一条天皇皇后定子陵のある鳥戸野陵に至る地域を総称し、鳥部野、鳥戸野とも。平安時代以来、葬送の地として『源氏物語』や『徒然草』に登場し、藤原道長をはじめ、藤原一族も同地で荼毘に付されたといいます。藤原道長『紫式部日記絵巻』より「東の鳥辺野」、「西...
親鸞聖人御荼毘所(火葬所) 京都・延仁寺。親鸞が荼毘に付された鳥辺野の地へ
見真大師御荼毘所。薄暗く、静まりかえって、誰もいない場所でした。 弘長2年/1262年、荼毘(だび)に付される親鸞聖人 親鸞聖人荼毘所(火葬所)の親鸞聖人像 親鸞聖人荼毘所(火葬所) 親鸞聖人荼毘所の休憩所 親鸞聖人荼毘所前の石段(見真大師御荼毘所道) 京焼肉懐石 弘「弘の...
[大谷本廟] ブログ村キーワード前回ブログで豊国神社の裏(東)に抜けて、東大路を北上しました。そして、今いるのは「東山(東大路)五条」交差点南西角です。今回はこの東側の大谷本廟から、その墓地を東に抜けていきます。撮影日は、2018年11月15日木曜日午後1時。信号が青くなりましたので、横断歩道を北に渡ります。五条通の長い横断歩道を渡り、東大路を北上しています。国道1号線の高架をくぐり、6車線の五条通を渡り切りま...