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神戸市須磨区にある関守稲荷神社(せきもりいなりじんじゃ)は、須磨の関の守護神、稲倉魂神を祀る神社です。名前の由来は、源兼昌が詠んだ百人一首のうちの一首に登場する須磨の関があったとされる場所に神社を建てたことから来ているそうです。須磨の関は古代、畿内と西国とを繋ぐ交通と軍事の要衝として重視されました。清少納言の『枕草子』にも、「関は、逢坂の関・須磨の関・鈴鹿の関・岫田の関・白河の関・衣川の関」と記さ...
「藤原道長と平安時代の貴族のくらし – 小学生にもわかる貴族文化」
「平安時代の貴族たちの遊びや文化、藤原道長、清少納言、紫式部の代表作について小学生にもわかる言葉で紹介します。蹴鞠や和歌、花見など、貴族のくらしの一端を学びましょう。」
仁王門から本堂までの399段の長い登廊を上りきり、やっと長谷寺の本堂に到着。小初瀬山の斜面に建つ国宝の本堂は、慶安3年(1650)、徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、本尊を参拝する礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造になっています。ご本尊は、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ長谷寺式十一面観世音菩薩...
一条天皇の皇后・定子の陵墓は、京都市東山区今熊野泉山町にある鳥辺野陵(とりべののみささぎ)とされています。定子と一条天皇『枕草子絵詞』藤原定子(ふじわらのていし/さだこ) (976―1000)一条天皇の皇后、藤原道隆の女(むすめ)。母は高階貴子(たかしなのきし)。正暦元年(990年)1月、14歳で4歳年下の一条天皇に入内、まもなく従四位下に叙せられ、2月には女御、10月中宮となる。長徳2年(996年)、兄・伊周(これちか)、隆家が...
皇室との関係が深いことから御寺と呼ばれる泉涌寺がある月輪地区は、清少納言の父・清原元輔の邸宅があったとされる場所で、清少納言が晩年を過ごしたとされています。境内には、清少納言の供養塔と歌碑が立っています。泉涌寺の創建については、伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創したという説、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪...
読書記録:枕草子ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(角川ソフィア文庫)[清少納言]二週間以上かかってようやく読み終えられました。「枕草子」の初心者向け抄訳&解説本です。前にもちょっと触れた通り、現代語..
放送大学 /『枕草子』の世界(’24)/ 大河ドラマ「光る君へ」
NEKONOTE - 放送大学で今期から始まった”枕草子の世界”を受講しています。F4も出てくるよ〜- 脱出ゲームアプリの制作をしています。ブログでは4コマ絵日記、webや日常に役立つ情報をまとめています。ゲーム制作/web制作/放送大学/英語学習
読書記録:新版枕草子上巻現代語訳付き(角川文庫黄26-1) 清少納言,石田穣二 本 通販 Amazon原文と注釈と補注と現代語訳を掲載。私は現代語訳を読みつつ、引っかかった部分は原文の注釈や補注をチェックして..
こちらはドイツのフランクフルトのゲーテの生家です。(公式のゲーテハウス生家ホームページより) 「過去に思いを馳せる」 ちょっと未来の自分を想像はしても、何百年前かに思いを馳せること、なかなかないですよね。 昔の文学、たとえば 紫式部と清少納言によって、およそ1000年前に書かれた源氏物語と枕草子。 シェイクスピアは1564~1616のリア王などの四大悲劇、ロミオとジュリエットなどを書いた劇作家。 ゲーテは1749~1832にファウストや若きウェルテルの悩み、など書いています。(ちなみなゲーテについては、エッカーマンによる「ゲーテとの対話」が有名です。) これらの文学や映画をみて私たちは遠い昔に…