メインカテゴリーを選択しなおす
【武都】章「参考文献」弐十弐・承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱
22.【承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱】 評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2018年 『承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱…
【武都】章「参考文献」弐十・源実朝~「東国の王権」を夢みた将軍
20.【源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍】 評価:70点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍』は、鎌…
19.【源実朝~歌と身体からの歴史学】 評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:2015年 『源実朝~歌と身体からの歴史学』は、鎌倉幕府の三代…
歌人としても知られる鎌倉幕府3代将軍・源実朝が編纂した家集「金槐和歌集(きんかいわかしゅう)」を解説
歌人としても知られる鎌倉幕府3代将軍・源実朝が編纂した家集「金槐和歌集(きんかいわかしゅう)」を解説 - Japaaan [ (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a] function(){arguments.currentScript=c.currentScript c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q []).push(arguments)};c.getElementById(a) (d=c.createElement(f),d.src=g,d.…
今年二度目の訪問となった鎌倉の覚園寺。前回とは違い、秋景色を見せていただきました。鎌倉の覚園寺は、建保6年(1218)、北条義時が 十二神将の戌神将のお告げにより建てた大蔵薬師堂が前身のお寺です。 承久元年(1219年)正月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の際に、将軍・源実朝が源頼家の子公暁によって暗殺される事件が起こり、源氏の正統が断絶。義時はこの時実朝のすぐ側にはいなかった。『吾妻鏡』では、義時は実朝の脇で...
畠山重忠の衣装武士の鑑と言われたほどの畠山殿武士らしく潔く美しく散っていきました。演じた中川大志さんがブレイクしたドラマでもありましたね!源実朝の衣装白地に鶴の柄は、亡く頼朝を思わせますね~北条義時の甲冑今となっては懐かしい梶原殿絵までお上手な後鳥羽上皇全成殿もお気の毒でした(; ;)上総介も存在感のある方でした。みんな大好き和田殿😄北条家の皆さんが、唱える度に間違えていた呪文(^0^;)承久の乱では、幕府方...
再度鎌倉の大河ドラマ館を見学してきました。11月に模様替えされて、初期の頃とは異なる展示物も展示されていました。まだ純粋な青年だった頃の小四郎こと北条義時家族が和気あいあいだった頃の北条家この頃が懐かしいですね~出ました!平六こと三浦義村です!決して相談してはならないお方(^0^;)襟を正すと要注意(..;)源氏三代揃い踏み。いつの間にかお三方とも逝ってしまわれた(; ;)実朝くんの手には、演じた柿澤勇人さんが来館...
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も、いよいよ大詰めを迎えることになった。ただ、こうしたドラマは視聴者に魅力・面白さを提供しないことには見てもらえないわけだから、その作り方もその方向に沿わざるを得ない宿命を背負っている。ということは、大河のような歴史ドラマ
北鎌倉を巡る、寄り道歴史探索 Vol.2 将軍の妻 北条政子と次男 源実朝
Vol.1 から少し日が空いてしまった。 前回は源頼朝、北条政子の長女・大姫と、木曽義仲の嫡男・義高の話をした。 wagamama110.com 切通を抜けた先、岩舟地蔵堂を過ぎて踏切を渡ると、閑静な参道が右手に見えてくる。 鎌倉五山第三位の「寿福寺」である。 丁度この記事を書いている時期的にNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が大詰めを迎えていて、物語のクライマックスに大きく関わる鎌倉幕府三代将軍 源実朝、北条政子親子の供養塔がここにあることが解った。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a] functio…
承久元年(1219年)7月13日、都を揺るがす源頼茂の乱が勃発!源頼茂(みなもとのよりもち)は、源頼政の孫、源頼兼の子であり、大内裏中の内裏の警固を職務とする大内守護を職務としていました。源頼政源実朝の家司となるとともに、左大将・右大臣拝賀の際は鎌倉に赴いており、実朝と親しい武士でした。しかし、源実朝暗殺後、実朝の後継者・鎌倉幕府第4代将軍として三寅になることが決まり、頼茂は謀反の心を引き起こしたといいまま...
鎌倉殿の13人 子供と一緒に観る「初大河ドラマ」としてスタートした「鎌倉殿の13人」。私は義経と弁慶、静御前ぐらいしか…鎌倉についてはほぼ知識ゼロだったので、あまり興味もなかったのですが、みるみるうちにハマってしまって…。一方、未だに北条を含めて登場人物の名前は殆ど分かりません。 登場人物の名前もろくに覚えられずに観続けた「鎌倉殿の13人」ですが、ドラマの中で最も引かれた人物が源実朝でした。将軍という立場なのに、死に至る和田を見守ることしかなかった実朝の涙には未だに心が揺れます。 鎌倉殿の13人 源実朝 NHK「クロアチア×カナダ」戦 源実朝・百人一首 後鳥羽上皇・百人一首(今後追記予定) 嵐…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜いよいよ雪の鶴岡八幡宮の階段だぁ〜ってことで第45話の感想ぉ〜!複雑な糸が絡んで、結果的に義時の思うとお…
【鎌倉殿の13人】実朝暗殺。義村の本心を知り、義時の闇が深まった
「聖なる儀式」の中、天使の実朝は天命に従う NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、11/27に三代将軍実朝の悲劇的最期を描く第45回「八幡宮の階段」を放送した。 最近は主人公に同情たっぷりの家族に引きずられて見ていたせいか、物語は重かった~とにかく重かった。最後の心の拠り所・三浦平六義村にも殺されそうになったと知った我らのダークヒーロー北条義時の絶望。最後の方はもう人間味を完全に失ったロボット顔に変貌し、血の通わない無機物的な、故に迷いがあるはずがない顔になっていた。「かわいそうで仕方ない」と家族は同情しきりだ。 さて、今回描かれた実朝暗殺。まずは源仲章が「寒いんだよ」と出色のセリフを吐いて絶…
【本郷和人の日本史ナナメ読み】波多野家の謎 どこに消えた?「実朝の首」 - 産経ニュース 産
厚労省で「現代の奴隷制度」の議論が再浮上…“労働者いじめ策”に驚きと怒りの声が広がる ニフティニュー…
京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信清の娘の坊門信子(西八条禅尼)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。本覚寺は、光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃...
京都駅から西に歩いて10分ぐらいのところにある六孫王神社。ここは源氏の祖である源経基の邸宅跡で、清和源氏発祥の地で、多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と共に「源氏三神社」の一つとされます。あります。六孫王という名は、経基の父が清和天皇の第六皇子だったことに由来し、経基の子・満仲が邸宅跡に霊廟を建て、六の宮と称したのが始まりです。本殿の背後に経基の墓石があり、境内から「満仲の誕生水...
北条義時ゆかり鎌倉「覚園寺」!義時を救った戌神の伝説と史跡めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、北条義時ゆかり鎌倉「覚園寺」!義時を救った戌神の伝説と史跡めぐりです。
京都市南区西九条の大通寺(遍照心院)は清和天皇の第六皇子・貞純親王の御子、六孫王経基(つねもと)の子・満仲が父の墓所に堂宇を建立したのが始まりとされています。その後、源実朝が鎌倉八幡宮で甥の公暁に暗殺され、妻が出家して西八条禅尼(本覚尼)と名を改め、夫を弔って創建しました。西八条禅尼坊門信清の娘。元久1(1204)年,将軍源実朝の御台所として鎌倉に下向。この婚姻は,鎌倉幕府と朝廷の融和策として最上の手段で...
武士の都・鎌倉・・・源頼朝によって、日本初の武家政権がこの地に誕生しました。ところが、頼朝の直系は、実朝暗殺によって三代で途絶えることになります。この時、頼朝の妻・政子と二代執権・北条義時兄弟は、次の将軍に皇族の皇子を望みました。しかし、朝廷はこれを受け
寿福寺は、鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の鎌倉五山第3位の寺院で、源頼朝が亡くなった翌年の1120年、頼朝の菩提を弔うために、妻の北条政子が明庵栄西禅師を開山として建立した寺です。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。 この地はかつて頼朝の父・源義朝の館があったところで、頼朝が鎌倉入りした際、ここに館を建てようとしましたが...
鎌倉殿の13人 第45話「八幡宮の階段」 ~源実朝暗殺事件~
建保7年(1219年)正月27日、半年前と同じ鶴岡八幡宮で、源実朝の右大臣拝賀の儀が行われる運びとなりました。その日、昼は晴れていたものの、夜になって雪が...
鎌倉殿の13人 源実朝惨殺 源仲章はオウンゴール的殺害 鎌倉殿が不在の中 坂口健太郎さん 菊地凛子さんの存在 鎌倉殿の13人 源実朝惨殺 引っ張って引っ張ってきた 源実朝 ついに公暁に惨殺されました そして一緒に 源仲章はオウンゴール的殺害 生田斗真さん演じる 源仲章もオウンゴール的に殺害されてしまいました 太刀持ちの役を北条義時から奪い取って そのまま殺害されるという なんてかわいそうなんだろう 鎌倉殿が不在の中 鎌倉殿が不在となり 北条政子により重い責任が課せられることになりそうです 北条政子が自害しようとするのをとめるトウ 本人は冷静な殺人者なのにね 坂口健太郎さん そして坂口健太郎さん…
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある白旗神社は若宮の東側にあり、源頼朝と実朝が祭られています。鶴岡八幡宮の三の鳥居若宮白旗神社の参道御社殿は黒漆極彩色、唐破風向拝の柱は漆塗りで、輝くような美しさを持った建物です。社伝によると正治2(1200)年5月、頼朝が白旗大明神の勅号を賜ったことを受け、北条政子が創建したといわれています。この辺りは、人通りも少なく、ひっそりとしています。にほんブログ村 歴史ブログランキング...
鎌倉にわずかに残る公暁の跡「鶴岡二十五坊跡」実朝暗殺の真犯人は誰か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、鎌倉にわずかに残る公暁の跡「鶴岡二十五坊跡」実朝暗殺の真犯人は誰か?です。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜やはりと言うか、そうなるよねと言うかって感じだねってことで第44話の感想ぉ〜いきなり…白い犬と義時…なん…
1219年1月27日、三代将軍・源実朝は右大臣拝賀の式の直後、鶴岡八幡宮の階段脇の大銀杏の陰に隠れていた二代将軍・源頼家の遺児・公暁によって殺害されました。そのことから、この木は「隠れ銀杏」とも呼ばれています。源実朝というのは、物語の話で、実際は階段を上った辺りで斬られたそうです。建保7年(1219)、前年に朝廷から右大臣に任官された実朝は、昇進を神に報告するため、鶴岡八幡宮に参詣しました。深く雪の積もった夜、...
源仲章のビックリ顔に劣らぬほど驚いた終わり方 11/20に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第44回「審判の日」は、建保7年(1219年)1月27日の「鎌倉の悲劇の1日」をたっぷり描くのかと思いきや、悲劇を描かないまま直前で終わった。覚悟を決めてテレビ前に臨んだこちらはビックリだ。え~なんでそこで終わるかな! 次回、11/27の「八幡宮の階段」に悲劇は持ち越される。悲劇の1日は、2回に渡って描かれるということだ。27日は実朝君の月命日だからわざわざその日に延ばしたんだとか、実はワールドカップにぶつかることを考えて少しでも大河に引き留めようとしたんだとか、色々想像した。とにかく、せっ…
鎌倉市十二所にある明王院明王院は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原頼経によって発願された寺です。1218‐56(建保6‐康元1)鎌倉幕府の第4代将軍。摂政九条道家の子。母は太政大臣西園寺公経の娘綸子。公経の妻全子,すなわち頼経の外祖母は源頼朝の姪。幼名三寅。1219年(承久1)3代将軍源実朝が殺され,源氏の正統が絶えたため,頼朝の遠縁にあたる頼経が鎌倉に迎えられた。25年(嘉禄1)元服,翌年征夷大将軍に任ぜられ(摂家(...
鎌倉殿の13人 第44話「審判の日」 ~実朝の昇進と義時の薬師堂建立~
後鳥羽上皇の皇子を次期将軍に迎えることが内定すると、上皇は現将軍の源実朝を驚異的なスピードで昇進させました。建保6年(1218年)1月13日に権大納言、...
雪の降る日の悲劇…源実朝、凶刃に斃れる。鶴岡八幡宮と実朝2つの墓
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、雪の降る日の悲劇…源実朝、凶刃に斃れる。鶴岡八幡宮と実朝2つの墓です。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜先には悲劇が…ドキドキするねってことで第43話の感想ぉ〜!!今回ほど三浦義村の悪い顔を見たことがありませ…
鎌倉の覚園寺は、建保6年(1218)、北条義時が 十二神将の戌神将のお告げにより建てた大蔵薬師堂が前身のお寺です。 承久元年(1219年)正月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の際に、将軍・源実朝が源頼家の子公暁によって暗殺される事件が起こり、源氏の正統が断絶。義時はこの時実朝のすぐ側にはいなかった。『吾妻鏡』では、義時は実朝の脇で御剣役(太刀持ち)の予定だったが、当日白い犬をみたところ急に体調不良となり、源仲章...
政子は実朝に付き、反義時を鮮明に NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は11/13に第43回「資格と死角」を放送した。政子が上洛して談判に成功し、第三代鎌倉殿の実朝が後継者を京から迎える話が現実味を増したことで、実朝&政子の喜びをよそに不穏な空気が漂った。 政子は前42回「夢のゆくえ」で、「頼家のようなことにならないと良いのだけど」と実朝を心配していた。他方、義時は「これ以上、西を大事にすれば坂東の御家人全てを敵に回します。あの御方に頼家様のようになってほしくないのです」と政子に脅しをかけ、実朝が表を退き政は宿老に任せるよう、警告していた。 その後、政子は一旦は「生き急ぐことはない、ゆっくりと時…
鎌倉市十二所に建つ大慈寺跡の碑明王院に向かう途中で偶然見つけました。碑文大慈寺ハ建暦二年源實朝ノ創建ニカゝリ新御堂ト號ス建保二年七月二十七日大供養ヲ行ハレ尼御臺政子及ヒ将軍實朝大ニ儀衛ヲ張リ之ニ臨メリ後正嘉元年征夷大将軍宗尊親王ノ時本堂丈六堂新阿彌陀堂釋迦堂三重ノ塔鐘樓等悉ク修理ヲ加ヘラレ荘厳ノ美殆ンド古跡ニ軼キタリト東鑑ニ見ヘタリ當時ノ盛觀以テ想フヘシ爾來星霜七百年布金ノ地マタ一片ノ礎石ヲモ止メ...
太宰治「右大臣実朝」近習が明かす鎌倉殿の裏側…実朝、義時、公暁の人物像
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。今日の夢中は、太宰治「右大臣実朝」近習が明かす鎌倉殿の裏側…実朝、義時、公暁の人物像…です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたもお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
唐船建造の失敗などはあったものの、建保年間の幕政は安定していました。しかし、ただひとつ、大きな問題を抱えていました。将軍・源実朝の後継者問題です。建保5...
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も終わりが近づいてきましたね。実朝さん暗殺、承久の乱、義時さんの最後…内容としては盛り沢山だね源実朝暗殺そして公暁謀殺に関しては様…
日本最古の築港遺跡「和賀江島」!北条泰時が築いた源実朝の夢を受け継ぐ港跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、日本最古の築港遺跡「和賀江島」!北条泰時が築いた源実朝の夢を受け継ぐ港跡です。
建保5年(1217年)6月20日、公暁は、18歳で鎌倉に戻り、北条政子の意向により鶴岡八幡宮別当に就任。同年10月11日からは裏山で千日参篭を行いました。鶴岡八幡宮は、1063年、源頼義が前九年の役の戦勝御礼として岩清水八幡宮を勧請し、由比郷に創建したのが始まりで、源頼朝が1180年に鎌倉入りした際、現在の地に移しました。一の鳥居、二の鳥居そしてこの三の鳥居をくぐり、本宮参道に入ります。 鳥居を潜ると、源平池が広がって...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜実朝さんが独り立ちできるか⁉︎ってことで第42話の感想ぉ〜!いきなり!源実朝の夢に後鳥羽上皇が出てきまし…
鎌倉殿の13人も後半に近づいてきました。いよいよあの公暁が鎌倉に戻ってきます。公暁は、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の三男。母は『吾妻鏡』によれば足助重長(加茂重長)の娘の辻殿、『尊卑分脈』などによれば一幡の母と同じく比企能員の娘若狭局、縣篤岐本『源氏系図』によれば三浦義澄の娘。一幡は異母兄または同母兄、栄実は異母弟または異母兄、禅暁は異母弟または同母弟、竹御所は異母妹または同母妹にあたる。幼名は善哉(ぜ...
高野山の西室院は、もとは谷上院谷にありましたが、その後、南谷へ、明治時代に一心院谷の現在地の金光院跡に移転したそうです。こちらには、源頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と、源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園「多聞...
多宝塔国宝の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めた際、造営することになったものです。建立は貞応2(1223)年、高野山で現在残っている、もっとも古い建立物で、多宝塔としても、滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものだそうです。本坊庫裏大広間の襖絵は、室町時代中期(1400年代)に活躍した小栗宗丹(おぐり・そうたん)によるもので、金地著色梅花雉子図(こんぢ...
高野山の金剛三昧院は、建暦元年(1211年)、北条政子の発願により、源頼朝の菩提を弔うために創建された寺で、始めは禅定院と称しており、落慶法会には、日本臨済宗の開祖である栄西も招かれ、開山第一世としました。承久元年(1219年)、源実朝の菩提を弔うために禅定院を改築し、金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰されました。貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)...
次の将軍は誰?実朝、後鳥羽、北条氏それぞれの思惑…「源氏将軍断絶」より
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。今日の夢中は、次の将軍は誰?実朝、後鳥羽、北条氏それぞれの思惑…「源氏将軍断絶」より…です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたもお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
建保4年(1216年)6月15日、東大寺の大仏を再建したことで知られる宋人の技術者・陳和卿が、源実朝に拝謁しました。陳和卿は、対面するなり実朝の顔を3度...
【鎌倉殿の13人】源実朝を演じる柿澤 勇人さんの過去の出演作品とイッキ見する方法をまとめました。
【鎌倉殿の13人】源実朝を演じる柿澤勇人さんの過去の出演作品とイッキ見する方法をまとめました。大河ドラマには『平清盛』と『軍師官兵衛』に。朝ドラ『エール』での歌声にも注目です。新作映画はTSUTAYA DISCASでDVDの宅配レンタルを、NHKの「歴史探偵」はU-NEXTのNHKオンデマンドで視聴できます。
【鎌倉殿の13人】42話 ”夢のゆくえ”ネタバレあらすじと感想。実朝の夢と西のお方。
【鎌倉殿の13人】42話 ”夢のゆくえ”ネタバレあらすじと感想。実朝の夢の宋船は?義時と西のお方後鳥羽上皇の対立が激化。政子は尼御台として覚醒します。八田知家の筋肉美にうっとりして大江広元の目が心配。時政パパの穏やかな姿でほっこりしたものの不穏な予感がします。
高野山の熊谷寺(くまがいじ)は、その名の由来である熊谷直実、その師の法然上人等が逗留され、平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。熊谷直実は、京都で法然の弟子となって修行し、出家して蓮生と名を改めました。建久元年(1190年)は敦盛卿の7回忌に当たるにつき、追善法要を営もうと高野山に登り、父祖の菩提寺であった当寺(当時は智識院)に敦盛の位牌および石塔を建立し、敦盛卿の菩提を弔いました。後年その話を聞い...
源実朝はなぜ渡宋を夢見たのか?渡宋計画ゆかりの藤沢・鎌倉史跡めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、源実朝はなぜ渡宋を夢見たのか?渡宋計画ゆかりの藤沢鎌倉史跡めぐりです。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜今回も涙無くしては見れなかったね〜ってことで第14話の感想ぉ〜!和田義盛が御所に行っている間に出陣してし…
平清盛が仁安元年頃から取り組んできた日宋貿易は鎌倉時代も続いていたため、南宋から多くの人が来日していました。その中に、東大寺大仏の再建を行った宋人の僧・陳和卿(ちんなけい)がいました。陳和卿は、建保4年(1216)、鎌倉に赴き「当将軍は権化の再誕であり、恩顔を拝みたい」と源実朝への拝謁を希望。御所で実朝に対面した際、陳和卿は実朝を3度拝み、泣き出し、「貴客は昔宋朝医王山の長老たり。時に我その門弟に列す。(将...
辞世の句(その7)鎌倉時代 源実朝・菊池武時・楠木正行・親鸞
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
鎌倉殿の13人 第41話「義盛、お前に罪はない」 ~和田合戦~
建暦3年(1213年)5月2日、和田義盛が兵を挙げました。『吾妻鏡』によれば、八田知重(知家の息子)が義盛の館に兵が集合していることを大江広元に通報した...
第二の執権となった北条義時は、姉の北条政子とともに、三代将軍・源実朝を補佐していましたが、建暦3年(1213)、 信濃の武士・泉親衡(いずみちかひら)が、比企一族の残党を集め、二代将軍・源頼家の遺児・千手丸を擁立して謀反を企んでいることが発覚。この計画に和田義盛の子や甥が加担していていたことが判明。義盛は実朝に息子と甥の赦免を願い出て、息子は許されましたが、甥の胤長は、罪人としての侮辱を受けた上で配流となり...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜今日は、えいたろうの旅行記はお休みで「鎌倉殿の13人」第40話の感想ぉ〜和田義盛…とっても面白い「俺に免…
10/16の「鎌倉殿の13人」でついに3代将軍、実朝さまの秘められていた苦悩が明かされました。この日、かねてより彼の側近でもありまた親友としても慕っている北条泰時に和歌を贈り「返歌をするように」と求めるところから第39話は格調高く穏やかに始まるのですが…しかし実朝
『実朝の首』 葉室麟 宇月原晴明『安徳天皇漂海記』を読んで「実朝ォォォォォォ〜!!!」と号泣したあの日から、鎌倉三代将軍源実朝は「なんかもう・・・たまらん人」として私の胸に棲みついてしまった。 読みたい本リストに長らく入ったままだったこの『…
建暦3年(1213年)2月15日、鎌倉御家人の千葉成胤のもとに阿静房安念と名乗る僧が訪れます。安念は、信濃国の泉親衡という人物が将軍源実朝の廃位と源頼家...
「夜」に、とうとうのカミングアウト NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第39回「穏やかな一日」、土曜日の再放送を見て、これを書き始めた。第3代鎌倉殿・源実朝の心模様が中心に描かれた回で、彼には切なかったけれど救いもあったように思った。 今39回は、承元2年(1208年)から建暦元年(1211年)の足掛け4年を1日で描く、と語りの長澤まさみがいきなり侍女の姿で言っていたから(ダー子のコスプレにしか見えなかった。オサカナはすっかり魚の腐ったような目をするようになった義時?)、実朝は20歳前のハイティーンの4年間か。今で言えば高校~大学生の多感な、恋愛が盛り上がる時期に当たるのだろう。 (func…
【武都】章『天地鳴動』編「承久の乱」①日本史上における承久の乱
承久の乱は、源平合戦、南北朝の動乱、戦国時代の合戦に比べれば、有名とは言い難い。 しかし、承久の乱こそは、日本史上、唯一無二の「革命」であった。 日本史上の…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜今回は感想を日曜日じゃなんだ…ってことで第39話の感想ぉ〜!!サブタイトルは『穏やかな一日』でしたが…義…
北条時政の失脚により、息子の北条義時が実質御家人筆頭として幕政を運営することになります。『吾妻鏡』には、このとき義時が執権職を継承したとありますが、これ...
大河ドラマでは、源実朝の和歌の師匠が藤原定家になりましたね。これから益々和歌に傾倒していくようです。京都の嵯峨野は、平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの遊猟、行楽地でした。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、以後貴族・文人などにより、山荘や寺院が次々と建てられました。藤原定家がこの地に小倉百人一首を編纂したとされる小倉山の山荘「時雨亭跡」とされる遺跡が、厭離庵、二尊院、常寂光寺に残...
鎌倉市坂ノ下の海浜公園に、源実朝の歌碑があります。長谷寺から成就院に行く途中で立ち寄りました。実朝は、後鳥羽上皇が熱中していた蹴鞠と和歌にも「当代は歌鞠をもって業となす,武芸廃れるに似たり」と批判されるほどに執心したといいます。承元3年7月には、和歌30首を藤原定家に送って指導を求めており、和歌は死後に『金槐和歌集』としてまとめられました。金槐和歌集(きんかいわかしゅう)鎌倉前期,源実朝の歌集『鎌倉右大...
「鎌倉殿の13人」で源実朝を暗殺した黒幕を予想したがどう思う
どうも、たかちゃんさんの日記です。小栗旬が主演のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送を終了するまであと2か月となりましたね。こうなってくると気になることの1つ。それは最終回がどのようなドラマ展開を見せるのか。そして柿澤勇人が演じる鎌倉幕府の3代将軍の源実
京急線「金沢八景駅」より徒歩2分、横浜市金沢区瀬戸にある瀬戸神社は、瀬戸三島明神とも呼ばれています。元来、この地は入り江となっており、現在の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路によって平潟湾に繋がっていました。干満時に急流となり、海上交通の難所であったため、水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、5~6世紀頃から海神が祀られるようになったといいます。治承4年(1180)、この地に源頼...
前述の通り、後鳥羽上皇は、1203年(建仁三年)10月、源頼朝と北条政子の次男である、千幡が、北条時政の邸宅にて、元服すると、「実朝」の名を与えた。 翌年に…
鎌倉殿・源実朝暗殺!!それは歴史をどう動かしたのでしょうか?鎌倉殿の13人 完結編 (NHK大河ドラマガイド) [ 三谷 幸喜 ]楽天で購入鎌倉幕府三代将軍・源実朝・・・その治世は、初めから血にまみれたものでした。1203年、二代鎌倉殿・源頼家、危篤に陥る・・・後継者に
令和4年10月8日(土) 【旧 九月一三日 先負】・寒露・鴻雁来(こうがんきたる)朝まだき小野の露霜さむければ秋をつらしと鹿ぞ鳴なる ~源実朝 『金槐和歌集』 0247 秋歌まだ夜が明けきらぬ早朝、小野に露霜が降りるくらいに寒ければこんな秋は辛いのかと鹿の鳴く声が聞こえ
鎌倉殿の13人 第37話「オンベレブンビンバ」・第38話「時を継ぐ者」 ~牧氏事件~
私事ですが、本業の仕事があまりにも忙しすぎて、先週の大河ドラマの稿をすっ飛ばしてしまいました。まあ、元より趣味でやっているブログですから、毎週必ず起稿し...
公暁による、三代将軍、源実朝の暗殺は、歴史家達には、黒幕が存在したとの説がある。 公暁の父、源頼家を殺害したのは、当時、十二歳の実朝ではない。 そのため、何…
われて砕けて裂けて散るかも…三代将軍源実朝ゆかりの鎌倉歌碑めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、われて砕けて裂けて散るかも…三代将軍源実朝ゆかりの鎌倉歌碑めぐりです。
【博物館】鎌倉国宝館『北条氏展』vol.3-2ー義時と実朝・頼経ー|『鎌倉殿の13人』の関連展示でもっと学ぶ
鎌倉国宝館で開催中の『北条氏展』に行ってきました。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と連動して鎌倉市内では鎌倉国宝館と、鎌倉歴史文化交流館で『北条氏展』を実施しています。同じテーマで各館のカラーがよく出た展示でした。
前述の通り、1218年(建保六年)12月2日に、源実朝は、右大臣に任官すると、翌年の1219年(建保七年)1月27日、鶴岡八幡宮において、右大臣拝賀の儀式を…
法堂跡法堂は、北条高時の時代、北条貞時の13回忌に当たる1323年(元亨3年)に建立されましたが、応安の大火で焼失してしまいました。方丈方丈の前には柏槇ビャクシンが植えられ、裏には、心字池のある美しい庭園が広がっています。百観音霊場の由来は、養老二年(718年)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代、観音信仰に篤かった源頼朝が開いた板東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十四観音霊場の総称と...
辺津宮(へつみや)は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りしています。土御門天皇 建永元年(1206年)源実朝が創建。現在の建物は延宝3年(1675)に再建されたものです。昭和51年(1976)に改修により、権現造りの現在の社殿が新築されました。神社の祈祷は、主にこの宮で行われています。本殿前には「天女と五頭龍伝説」に由来した龍を祀った江の島弁才天の龍の銭洗、屋根には江島神社の社紋「向かい波三つ鱗」が見られます...
令和4年9月19日(月) 【旧 八月二四日 先勝】・白露・玄鳥去(つばめさる)松の葉の葉さきを細み置く露のたまりもあへず白玉散るも ~正岡子規(1867-1902)Photo:松の葉先の水滴 ~fujiboさんとtwitter 9月19日は正岡子規の命日、糸瓜忌《へちまき》です。1902(明治35)年
中川大志の静かな圧が凄い 9/11に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の35回「苦い盃」。てっきり畠山滅亡回かと思い、前回ブログでは先走ってしまった。苦い盃=心ならずも畠山を討ち取った後の義時の苦い祝杯か?と予想してのことだった。 toyamona.hatenablog.com 考えてみれば、確かにパッパッと片付けるなんてもったいないことを制作側がするはずがない。たっぷり見せるよね。畠山重忠を好演する中川大志の退場があまりに勿体なくて、こちらも身構えすぎた。 次36回の「武士の鑑」はタイトルからそのものズバリでため息しかないが、前回の先走りを反省して予告についてはあまり触れない方が良…
【予習19】第ニ部 第三章 執権・北条時政 後編(鎌倉殿の13人:2022大河)
鎌倉殿の13人:執権・北条時政 後編 続々とキャストが発表され、次第にワクワクが募ってきますね。妄想たくましく、ストーリーを思い浮かべながら、来年の三谷劇場…
【予習21】第ニ部 第五・最終章 承久の乱 編(鎌倉殿の13人:2022大河)
鎌倉殿の13人:承久の乱 編 遂に武都鎌倉の覇権を握った義時は、王権回復を目論む後鳥羽院と対決の時を迎える。 鎌倉バトルロイヤルを制した義時と御家人たちは果…
【予習20】第ニ部 第四章 侍所別当・和田義盛 編(鎌倉殿の13人:2022大河)
鎌倉殿の13人:侍所別当・和田義盛 編 遂に父を乗り越え、新たな執権となった北条義時の前に、武士の国を創ろうと誓いあった友・和田義盛が立ちはだかる。二人の共…
【予習29】グランパ時政の暴走(鎌倉殿の13人、10月ごろ放送)
9月中に話がどこまで進むかは知らないが、坂東の関羽雲長こと畠山重忠(中川大志)を敵にまわしてしまったグランパ時政(坂東彌十郎)の株は大いに急降下し、ヒール街…
鎌倉殿の13人 第34話「理想の結婚」 ~時政の専横と実朝の縁談~
源実朝が三代鎌倉殿となり、祖父の北条時政が侍所別当と執権に就任すると、ここから時政の専横がはじまります。あくまで幼い将軍の代理という名目ではあるものの、...
鎌倉殿の13人 第33話「修善寺」 ~時政の執権就任と頼家の最期~
源頼家が伊豆国修禅寺に送られたあと、鎌倉幕府の実権は北条時政が掌握しました。三代鎌倉殿となった源実朝は、建仁3年(1203年)9月10日、北条政子の御所...
鎌倉殿の13人 第32話「災いの種」 ~頼家の鎌倉追放と実朝政権発足、そして一幡の死~
比企の乱によって幕府内の権勢を手中にしたかに思えた北条でしたが、想定外の事態が発生します。危篤状態にあった源頼家が、奇跡的に回復したんですね。比企一族の...
【予習28】「エースで四番」といわれた男(鎌倉殿の13人、9月ごろ放送)
NHKの公式ガイドブックをもっていないので、八九月のストーリー展開や進捗状況は知らないが、関東比企連合と伊豆北条組の抗争終了後、キーマンとなりそうな人物を見…
【復習27】ゴッドマザーの一族(鎌倉殿の13人、8/7~28放送)
【復習】(8/7)全成の確率 北条時政(坂東彌十郎)とりく(宮沢りえ)の依頼で、不承不承ながら頼家(金子大地)の呪詛をさせられていた阿野全成(新納慎也)。その…
鶴岡八幡宮の白旗神社「実朝祭」 2022.08.09鶴岡八幡宮ぼんぼり祭最終日8月9日は源実朝の誕生日源実朝公の誕生日に実朝公の遺徳を偲ぶとともに、文芸に...
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある白旗神社は若宮の東側にあり、源頼朝と実朝が祭られています。鶴岡八幡宮の三の鳥居若宮白旗神社の参道御社殿は黒漆極彩色、唐破風向拝の柱は漆塗りで、輝くような美しさを持った建物です。社伝によると正治2(1200)年5月、頼朝が白旗大明神の勅号を賜ったことを受け、北条政子が創建したといわれています。この辺りは、人通りも少なく、ひっそりとしています。にほんブログ村 歴史ブログランキング...
憎しみの心で人を討って何が残るのだろうか…そんなことを思い哀しみに暮れた週末でしたが晴れやかな笑顔と共に早朝から道行く人々にお礼に立つ清々しい青年に手を振...
城ぶら「大倉御所跡」頼朝から頼家、実朝へ…鎌倉殿の居館跡!13人の顔ぶれも
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、城ぶら「大倉御所跡」!頼朝から頼家、実朝へ…源氏3代将軍の居館跡です。「鎌倉殿の13人」の顔ぶれも!
今の行政区分では逗子市にありますが、鎌倉の歴史を語る上で欠かせない存在、今から1300年もの昔(721年)に創建され、現在は曹洞宗ですが最初は真言宗のお寺で990年花山法皇がこの地を訪れて法要を営み、1174年には後白河法皇が参詣されこの霊場を坂東三十三箇所霊場の第2番に定めました。 階段を登りきると、いよいよ観音堂が現れます。現在の堂は1727年に再建され、中世以来の伝統的な密教本堂形式をとりつつ、細部の構造は18世紀前半の特徴をよく反映しています。 源頼朝、実朝、政子が度々訪れたことが『吾妻鏡』にも記され、頼朝の時代には岩殿寺の山頂付近から二階堂方面へと繋がる巡礼の古道があり、734年創建の古刹、坂東三十三箇所霊場第1番の杉本寺に参拝し、古道を通ってここ岩殿寺に参詣していたそうです。 明治時代には文豪、泉鏡花が逗子滞在中に幾度も訪れ『春昼』『春昼後刻』は岩..
令和4年5月14日(土) 【旧 四月一四日 大安】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)むら雨の風にぞなびくあふひ草向ふ日かげはうすぐもりつつ ~藤原家隆『壬二集』村雨を吹き付ける風になびく葵の花が向いている太陽の光は、雨雲にうっすらと覆われてゆく。Photo:京都観光オフィ