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3/22・23(土・日)はとっても天気がよいというので、「そうだ京都に行ってみよう」と思い、行き先をネットで探っていました。 桜は早いし梅は盛りを過ぎてるだろうし、4つの二条城めぐりをしようかな、それとも王道の東山かな・・・決めかねていると、 京都山科の 随心院 は、遅咲きの梅「 はねずの梅 」で有名で、小野小町 ゆかりの寺でもあるんだそうな。ふ~んそ~なんだ、では、「 随心院 」に行ってみよう。 随心院 について 真言宗のお寺さんで、991年、仁海(にんがい)僧正の開基とのこと。 この随心院がある京都市山科区小野は、小野氏 が栄えた所なんだそうです。 ・小野妹子(推古天皇の時の遣隋使) ・小…
JRのそうだ、京都、行こうで紹介されている京都の山科にある隨心院花の間のイベントに行ってきました。色とりどりのお花で飾られたお部屋は豪華絢爛。
いやぁ、偶然というのは面白いモノで。 7MHzのFT8で遊んでいたら、偶然、平安美人に遭遇。・・・って、何のことか分かりませんよね。「時空を超えて」でもあるまいし。分からない方は、次の画像をご覧ください。(パブリックドメインなので問題ないっす。) これ、誰でしょう? 答えは、ログの右端(お名前の欄)にあります。たまたま続けて読んで来てくださったお二人の名前が「〇〇」さんと「〇〇」さんだったわけでして・・・。ただ、それだけのお話ですm(__)m
それでは、随心院の中を見学していきます。中にも小野小町ゆかりの物が随所に飾られています。小野小町像小野小町うた屏風これは、はねず踊りの人形ですね。随心院では、3月にはねず踊りが行われています。はねず(薄紅色の古名)の梅が咲き誇る中、はねず色の衣装と菅笠の小町と深草少将に扮した少女達の童唄と踊りが披露されるそうです。これも一度見てみたい京の行事です。茶釜能の間には、華やかな障壁画とカラフルな和傘が飾...
京都市山科区の随心院も「べらぼう」のロケ地として使われています。随心院(ずいしんいん)は、京都市山科区小野御霊町にある真言宗善通寺派の大本山の寺院。こちらの薬医門が田沼家の邸門として第一話に登場しました。薬医門寛永年間(1624年 - 1631年)の建立。開山は小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)僧正。随心院は、そもそもは仁海僧正が創建した牛皮山曼荼羅寺(ごひざんまんだらじ)の塔頭でした。仁海は神泉苑...
仕事から帰ってからgoogleニュース周りを確認していると、スマートフォン向けRPG『Fate/Grand Order』の新情報が出ていました。新たなサーヴァントとして小野小町が登場という内容でした。どれどれと詳しく確認すると、2月12日か
それでは、随心院の中を見学していきます。中にも小野小町ゆかりの物が随所に飾られています。小野小町像小野小町うた屏風これは、はねず踊りの人形ですね。随心院では、3月にはねず踊りが行われています。はねず(薄紅色の古名)の梅が咲き誇る中、はねず色の衣装と菅笠の小町と深草少将に扮した少女達の童唄と踊りが披露されるそうです。これも一度見てみたい京の行事です。茶釜能の間には、華やかな障壁画とカラフルな和傘が飾...
小町庭苑入口随心院の本堂裏には、小町文塚があります。小町文塚 深草少将や多くの貴公子から小野小町に寄せられた千束の文を埋めたと伝わります。小町文塚 百夜通いで有名な深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小野小町に寄せられた恋文を埋めたところと伝えられています。 このように丁重に供養された理由として、当時は思いを伝えるために書かれた恋文は、思いの篭ったったものであり粗略な扱いをしては相手に恨まれたり祟...
随心院(ずいしんいん)は、京都市山科区小野御霊町にある真言宗善通寺派の大本山の寺院。薬医門寛永年間(1624年 - 1631年)の建立。開山は小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)僧正。随心院は、そもそもは仁海僧正が創建した牛皮山曼荼羅寺(ごひざんまんだらじ)の塔頭でした。仁海は神泉苑にて雨乞の祈祷を9回行い、そのたびに雨を降らせたとされ「雨僧正」の異名がありました。曼荼羅寺は仁海が一条天皇から小野氏邸宅...
提出日は今日だったけど一個も、、/小野小町で夢の違いを知った
昨日は天気は悪かったけどとても暖かな日だった。今日は一転、とっても寒い日になりましたよ まだ雪が降るほどじゃないけど、これから本格的な冬の様相になってくるんで…
伏見区西桝屋町の伏見大仏で知られる欣浄寺(こんじょうじ)は、曹洞宗の開祖・道元が鎌倉時代に創建したと伝わります。当地には、小野小町の恋人であった深草少将ゆかりの邸宅があったとされ、境内には「少将の通い道」や少将と小野小町の塚、「墨染井」と呼ばれる井戸があります。深草少将は、小野小町から、「私の元へ百日間通い続けたら結婚してもいい」と言われ、九十九夜通い、いよいよ百日目という日に、雪に埋まり凍死したと...
小野小町は日本三大美人として有名だが、果たしてどんな人物だったのか?
日本三大美人には、「美人の多い地域」という観点から「秋田美人・京美人・博多美人」という言い方もありますが、通常は、「衣通姫(そとおりひめ)/衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」「小野小町(おののこまち)」「藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)
前回、前々回に続いての大津ネタ。↑は滋賀県大津市の長安寺にある通称「関寺の牛塔」。 京都駅からJR琵琶湖線に乗って10分ほど、大津駅のほど近くにあります(最寄り駅は京阪電鉄の上栄町駅)。「大津事件」の現場を伝える碑からも近いです。オーバーツーリズムがいよいよ破滅的な状況になりつつある(?)京都駅周辺の混雑ぶりとの落差に驚愕すること疑いなしの快適な観光&散策が楽しめるところです。ちと車の交通量が多いけど。 この関寺の牛塔は高さ3メートルを越える堂々たる石造宝塔で↓はその傍らに立つ説明板。かつてこの地には関寺という非常に大きなお寺があり、そこには金色に輝く五丈(約15メートル)もの弥勒菩薩像が安置…
神泉苑は、延暦13年(794)、元は桓武天皇により平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宮殿があり、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園で...
昨年の秋には『月』の句をたくさん詠みましたが、今年の春は〖桜〗の句をたくさん詠みました。つぎのプレバトのお題は『ふるさと』のようですが、また季語が「花」になりました。桜さくら堂ですし(笑) 私のふるさとは城下町です。 奈良時代からの歴史があるのですが、私が生きてきたわずかな時代でも、人も町並みもどんどん移り変わっているように思います。思い浮かべる懐かしいあの人もこの人も、すでにこの世を去ってしまったということも多くなりました。 人の営みというのは、まるで華やかに咲いて散ってゆく花のようですね。 それはいつの世でも同じようで、たとえば古今集に小野小町のこんな歌が・・・ 花の色はうつりにけりないた…
*今宵は小野小町のお酌で一献__なんて妄想を抱き買っちゃったのが、秋田・湯沢の日本酒『福小町』です。貴醸酒(左)と原酒生酒の2本。昨年の父の日にプレゼントされた同酒の大吟醸が旨かった記憶もよみがえりました。 デパ地下の酒売場で試飲してみると、仕込み水に純米大吟醸酒を使用した貴醸酒...
皆様、すっかりご無沙汰しております。バレンタインデーにポストして以来ですからひと月半ぶりになりますね。「だれか良い人できたの?」とか「旦那さんと縒りを戻したのかな」などとお気遣いいただきましたが、答えはどちらもNOです。2月15日から3月上旬までは、確定申告にか
こんにちは京都の朗読家 馬場精子です昨日は、随心院で行われた【はねず踊りと今様】へ行って参りました🌸はねず踊りは、地元、京都、山科小野の子ども達が、はねず色の…
一条戻り橋から東へ90m。南北に伸びる道を小町通といいます。一条通堀川東入二筋目西北角に「小野小町双紙洗水遺跡」の石碑があります。かなり背の低い石碑な上、植木に隠れていたので、場所がわからず、何度も通り過ぎてしまいまました(..;)正面には「小町通」、側面に「小野小町双紙洗水遺跡」の文字が刻まれています。かつてこの地で、小野小町と大伴黒主との歌合せが行われました。狩野探幽『三十六歌仙額』対戦相手の大友黒主...
#4181 鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
令和6年3月18日(月) 【旧 二月九日 仏滅】・啓蟄 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)鴨山の磐根し枕《ま》ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ ~柿本人麻呂 『万葉集』 巻2-0223 挽歌鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを知らずに、妻は私の帰りをずっと待っている
こんにちは京都の朗読家 馬場精子です本日は珍しく、教室も何もなくお天気も良いので朝から歩きました。歩くと、心も身体も整います。青い空を時々、見上げます。大きく…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』(※1月28日、ようやくエンディングが完成して、ゲームが完結致しました!!)に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。私が…
こんにちは京都の朗読家 馬場精子です金剛流能楽師 山田伊純さんのご公演。小野小町ゆかりのお寺「随心院」能之間に、フリーアナウンサーの内海裕子さんとご一緒しまし…
こんにちは京都の朗読家 馬場精子です今週末は連休ですね。どこかにいらっしゃるご予定はございますでしょうか?連休最終日の5日(日)金剛流の能楽師、山田伊純さんが…
■『随心院』小野小町ゆかりの庭園の美しい「穴場」的寺院(京都府京都市)
目次 1 日本史で登場する小野氏の土地『小野』へ 2 小野小町ゆかりの『隋心院』へ 3 六歌仙にも選ばれた『小野小町』 4 一帖の絵画のような美しい『苔の庭』 5 小野小町が化粧をした井戸や「文塚」 1 日本史で登場する小野氏の土地『小野』へ (写真:小
いつもご覧いただき ありがとうございます。 日々の何でもない話を 織り交ぜ、 飲んでも飲まなくても、 飲めなくても、 カクテルのお話などして、 楽しいひと…
京都市山科区小野御霊町にある、隨心院です。勧修寺の後に、お参りしました。こちらも、結婚式の前撮りのカップルグループだけで、ほぼ貸し切り状態でした。小野小町ゆかりのお寺です。大玄関内から見た薬医門梅の花の頃がきれいですが、青紅葉も、きれいで
柴咲コウちゃんご愛用!三部屋だけの老舗宿【亀屋万年閣】山形湯巡り紀行③
山形・小野川温泉つづきまぁ~す 今日は客室編ね たった3つしかお部屋が無い亀屋万年閣さん。創業120年の歴史がある老舗旅館。 でも館内は、レトロモダンに…
ゴールデンウィーク中の 京都でしたが結構 穴場 でした京都 真言宗善通寺派 大本山 ”隨心院”小野小町ゆかりの寺として知られるお寺 創建当時は「牛皮山曼荼羅寺」とよばれていたそうです春期非公開文化財特別展も見られ いいお詣りとなりました【御朱印】 この界隈はかつて「小野郷」と呼ばれ小野氏が栄えた地域「絶世の美女」といわれる平安時代の歌人小野小町が余生を送った場所と伝えられています人...
花の色は褪せてしまったわ。私が物思いにふけりながら長雨を眺めている間に!そして私の容色も衰えてしまった・・・。『百人一首』に収められた小野小町の 有名な歌です。散りゆく桜の花にわが身の衰えを重ねて嘆く小町(かつては絶世の美女と謳われていました。)美人も、そうでない私も、それなりに老いていくんですね!??(桜の写真とオートシェイプを組みあわせて作っています。)ブログ村に登録しています。 ポチッと応援クリックお絵描きの励みになりますのでお願いします。小野小町(おののこまち)
ふるさとチョイスにて京都府京丹後市に寄付をしてゲットした返礼品、 タンゴ・キングダム・ビール7本入りの中から、スモークをご紹介します。 開封時のレポートはこちらからどうぞ。 京都府京丹後市のクラフトビール、細川ガラシャ、メルツェン ふさと納税で京丹後市に寄...
江戸川柳でたどる偉人伝(平安時代①)坂上田村麻呂・弘法大師・小野小町・在原業平・菅原道真・平将門・小野道風
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
2013年春に播いた牡丹類の苗たちがそれぞれに大きく育ち、今年の秋は一斉に開花しています。一年のうちでも温室内が一番華やかになる時期です。この時期温室の窓、出入り口は締め切っています。蜂やアブなどが入り込んで意図せぬ雑種ができてしまうのを防止するためです。でも、種子は得たいもの。綿棒を使って同種同士を間違わないように交配しておきました。ご訪問くださりありがとうございます。このブログは「にほんブログ...
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その4)平安時代
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
< 日本人が文字を持ってから脈々と受け継がれている短歌のエッセンスって なに? > 俵万智「サラダ記念日」が発売されて一大ブームになったのは、なんと1987年。知っている人には分かっていただけるかと思いますが、「なんと」って言ったのは、あれからもう35年も経っているのかあ、っていうどこか不思議な感慨を感じてしまう2022年の今だからなんであります。 1987年といえば、日本がバブル景気に入ってすぐぐらいの頃ですね。「サラダ記念日」の発表当時、俵万智さんは25才。そっかあって思っちゃいますね。 短歌とか、ほぼ接点のない生活をしているからってわけでもないと思うんですけど、俵万智っていう人は、令和の…
【百人一首の歌人】「吹くからに秋の草木のしほるれば」 文屋康秀 小野小町に向けた優しさ
百人一首第22番目の歌の作者は文屋康秀ふんやのやすひでです。 六歌仙の一人で、小野小町とも親交があったとされています。 今回は文屋康秀について紹介します。 文屋康秀とは 生没年などは不明ですが、877年、880年頃に任官していますので、9世紀末頃の人ではあるようです。 天武天皇の子孫とも言われていますが、定かではありません。 小野小町とは親密な付き合いがあったようで、三河掾として赴任する際に誘ったところ、次の歌を返したとか。 わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ これは誘いに応じたということでしょうか。 十訓抄によれば、これは小野小町の容色が衰えた後のこと。 であ…
みなさんも古典の授業などで、一度は耳にしたことはありませんか?絶世の美女とうたわれた「小野小町」さん。今回は小野小町(おののこまち)ゆかりの地が、茨城県にもあるというのでご紹介しますね。筑波山のふもと、静かで自然いっぱいの場所です。近くには
昨日届いた小包に入っていたおかき こういうの好き 美味しい 袋に書いてある歌 「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」 秋田には小野小町という、未来永劫語り継がれる超有名人がいるので、 いろんなものが、(お米とか、、うーん、米しか思い浮かばない...
左馬(ひだりうま)は習い事の神様だった ★ミニベロポタ(京都の井手町)
2022.3.19■ミニベロで 小野小町ゆかりの地 京都の井出町へポタリング井手町の地図をみると左馬 という文字が。。左馬って聞いたことあるなあ。いってみよう…