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松本城、諏訪高島城をめぐった帰路、高遠城に立ち寄りました。高遠城は三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘の突端に築かれた平山城。北・南・西の三方を河川に囲まれる...
塩山で一番の名所といえば、武田家の菩提寺である恵林寺です。ここは大学生の時にゼミ旅行で来たことがありますが、もう薄れてしまった記憶を頼りに、およそ40年ぶりに再訪しました。 恵林寺は臨済宗妙心寺派に属し、開山は鎌倉時代の1330年(元徳2年)と伝えられています。応仁の乱...
今回の青梅街道宿場巡りは、8番目の宿場塩山宿です。現在の行政区画は、山梨県甲州市になります。 前回報告した丹波宿からは、青梅街道は大菩薩峠を越えて行くル―トとなっていました。ちなみに、小説「大菩薩峠」は1913年~1941年に『都新聞』『毎日新聞』『読売新聞』などに連載...
あなたを「戦国武将」に例える診断するテストです!設問は5問で全て択一式。1~2分でできる簡単なテストなので今すぐトライしてみましょう♪
1週間遅れになってしまいましたが、先週末に山梨県の甲府に行ってきました。 駅北口を降りて路線バスに乗り向かったのは、武田信玄を祭神とする武田神社です。旧社格は県社。先日、米沢にある上杉神社(武田信玄のライバルだった上杉謙信が祭神)について報告しましたが、上杉神社が別格官...
大型連休の旅7・武田神社3-境内を巡り歩いて大満足の参拝でした-
【甲府市】の【武田神社】、最近の神社はいろいろ神事に合わせて境内を飾り付け、皆さん参拝客を楽しませてくれます。こちらも飾りつけもあり、夜は灯りで楽しめるようです。 さて、【甲府市】の【武田神社】
■「小諸城址『懐古園』」千曲川と深い谷に囲まれた天然の要塞(長野県小諸市)
目次 1 南に蓼科北に浅間山 藤村が謳う千曲川旅情の町『小諸』 2 『小諸駅』前には『停車場ガーデン』が整備され賑わっています 3 武田信玄の軍師「山本勘助」が完成させた鉄壁の城『小諸城』 4 城址には『小諸市動物園』もあります 5 島崎藤村が愛した『千曲
大型連休の旅6・武田神社2-神社の境内は見どころが一杯です-
【甲府市】の【武田神社】、久しぶりの参拝は境内も新鮮なものでした。そうなると隅々まで見学したくなるもの、歴史の遺産も大満足です。 さて、【甲府市】の【武田神社】、神社の回りは住宅街ですが、広い敷
大型連休の旅5・武田神社1-武田信玄を祀る神社を久しぶりに参拝です-
次にやってきたのは【甲府市】の【武田神社】、こちらは【武田信玄】のお住まいがあった地に神社を建立、当家も久しぶりの参拝です。 さて、【甲府市】の【武田神社】、現在は住宅地に囲まれた場所、それでも
三分一湧水(さんぶいちゆうすい)武田信玄が三つの村に水を公平に分配した 山梨
有名な湧水地で、八ヶ岳南麓から湧き出る水で、日本名水百選にも選ばれ、近くには三分一湧水館があり、展望ホールから八ヶ岳や南アルプスの美しい景色を展望出来るそうです。 この湧水の名前の由来は、戦国時代に武田信玄が三つの村に水を公平に分配するために、湧水を三方向に分けたことから来ているそうです。 大荒れの碑は、1943年に発生した集中豪雨の土石流で流されてきた石を使って作られ、恐ろしさとその教訓を伝えています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2012.06.09 山梨県北杜市長坂町JR小海線、甲斐小泉駅 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。思い出の写真をフォトムービーにして Ⅰ思い出の写真をフォトムービーにして Ⅱ
群馬県の草津温泉でも、相当な山奥だと思う(野反湖の近く)だが、ここはそこからさらに40kmほど、コンビニもない山道をひたすら車を走らせて一時間ほどで辿り着ける秘湯中の秘湯。 長野県、渋温泉。 釣哲人 <Look
奈良和歌山の旅ラン③ 高野山の奥之院参道で戦国武将の墓碑を参るランというかほぼウォーク
信長の野○シリーズを40年近く前からやっていていまだに好きな私にとって、高野山のもう一つのハイライトは奥の院にある戦国武将の墓碑でした。 ガイドブック等で見ると有名どころの武将の墓碑が何個かある感じだっ
【職人の魂を込めた本物手刷り作品】武将Tシャツ2014モデル!侍・和柄・戦国武将Tシャツ【半そで】( 山本勘助)【軍師】【送料無料】【お土産】【プレゼント】価格: 2420 円楽天で詳細を見る ### 山本勘助の名言と現代社会を生き抜く知恵 戦国時代の名将である山本勘助(やまもと かんすけ)は、その卓越した軍略と知恵で知られています。 彼の名言の中でも特に心に響くのが、「策を練らずして戦う者は、己を滅ぼす」という言葉です。 この言葉は、現代社会においても多くの教訓を与えてくれます。 #### 名言の背景と意味 山本勘助は、武田信玄に仕え、数々の戦でその軍略を発揮しました。 彼の策により、武田軍…
戦国武将Tシャツ・戦国ドラマバージョン〜黒田一族の野望と絆〜( 黒田官兵衛)【大河】【送料無料】【お土産】【プレゼント】価格: 2420 円楽天で詳細を見る ### 黒田官兵衛の名言と現代社会を生き抜く知恵 戦国時代の名将、黒田官兵衛(くろだ かんべえ)は、その卓越した戦略と知恵で知られています。 彼の名言の中でも特に心に響くのが、「一歩退くことは、二歩進むための準備である」という言葉です。 この言葉は、現代社会においても多くの教訓を与えてくれます。 #### 名言の背景と意味 黒田官兵衛は、豊臣秀吉の軍師として多くの戦でその知略を発揮しました。 彼は一度、逆境に陥ったものの、その後見事に復活…
6月17日に実際に起こった戦国時代の他のエピソードについてですが、戦国時代は様々な出来事が多く、関連する重要な出来事として、以下のエピソードがあります。 **…
戦国武将Tシャツ【半】( 武田信玄)ゆうパケット日本全国送料無料!【送料無料】【半袖】【海外】【外国】【おみやげ】【日本】【プレゼント】【ギフト】【オリジナル】【ロゴ】【歴史】価格: 2420 円楽天で詳細を見る 武田信玄の名言から学ぶ現代社会の知恵 名言1:「風林火山」 信玄の代表的な旗印である「風林火山」は、彼の戦略思想を象徴しています。この言葉には、「風のごとく速く、林のごとく静かに、火のごとく激しく、山のごとく強固に」という意味が込められています。 現代の知恵 現代社会でも、変化の激しい時代において「風林火山」の精神は重要です。迅速な行動と冷静な判断力、激しい情熱と堅実な基盤のバランス…
戦国三英傑の一人である徳川家康(1543-1616年)を描いた一枚の絵。 杓子定規風には『徳川家康三方ヶ原戦役画像』、また愛称風には『顰(しかみ)像』 とも呼ばれている、まあ割合に良く知られたといってもよさそうな肖像画が、 実は筆者の生息地・名古屋の「徳川美術館」に所蔵され...
目次基本情報御由緒御朱印御朱印帳境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:武田神社御祭神:武田信玄公社格等:県社・別表神社鎮座地:山梨県甲府市古府中町2611…
久々のお城は 鳥羽山城【遠江国】を紹介します。 この城は以前の城ブログにて紹介した二俣城と向き合った感じに位置しており、その距離はなんと300mもないほどの近さなのであります。 当時は現
4月10日は4(フォー)&10(とう)でほうとうの日らしいですよ。 ↓山梨県の郷土料理なのに県民は食べないだとお? 冬場なんて鍋物でぴったりなのに… 「食べない郷土食…」見直して 4(フォー)月10(とう)日は「ほうとうの日」 山梨 - 産経ニュース ほうとうは太麺×大量の野菜×味噌とか私の好きなもの欲張りセットなので これ絶対うまいやつーで大好きーな食べ物でございます。 山梨県へ旅行に行った際には必ずと言っていいほど 食べるかお土産で買っていきます😎 なんなら日本橋(八重洲口)行った時に山梨県アンテナショップでも買うレベル www.yamanashi-kankou.jp 先日の春の青春18き…
昨日の土曜日は思いがけず、「雪」。本日は、雨こそ降っていないものの、曇天。寒いのに花粉も飛んでいる状態な上、天気も悪いので、DT(37F)を動かす気力もなく。。。久々に歴史探訪。。っということで向かったのは「心頭滅却すれば火もまた涼し」の「恵林寺」ここは、その昔、ツーリングで訪れましたが、その時、「宝物館」は、休館。いずれ。。。と思っていたら、23年経ってました。(大汗)今回、「宝物館」は、ほぼ貸切状態だ...
今回は甲斐国の 躑躅ヶ崎舘 を紹介します。 ここは甲斐の虎こと戦国時代の武将であるかの武田信玄公の城館として知られているもので、一般的には武田氏舘跡として国の史跡に指定されております。 現
こんにちは、人形の秀月 十七代目です。今日はは定休日で、浜松市天竜区水窪町の山住神社さんへ伺ってきました。とても山奥の山頂とは伺っていましたが・・・磐田から2時間近く掛かりびっくりしました。山住神社」、山住山(1107m)山頂に鎮座し、山犬(狼)を祀る神社。元亀3年(1572年)、武田勢に追われていた徳川家康が山住に逃げ込んだとき、山犬が一斉に吠えて武田勢を退散させたとされ、三方ケ原の戦いの後、家康より二振りの刀...
今日のお城は 二俣城【遠江国】を紹介します。 場所は現在の静岡県浜松市にて、天竜川と二俣川の合流点(※当時は今と流路が違う)にある小山に築城されておりました。 城の起源は今川氏の時代からいろ
#227 TVメモ『英雄たちの選択 武田信玄 幻の西上作戦~対信長最終決戦』
テレビ番組 英雄たちの選択『武田信玄 幻の西上作戦~対 信長最終決戦』2023年3月29日再放送(初回は2021年5月)について 武田信玄というとこの下の肖像…
テレビ番組「歴史探偵」『武田信玄 最強の秘密』2023年4月26日放送について『どうする家康』で壮年家康の最大の敵として立ちはだかる阿部寛さんが演じるテルマエ…
#246 第18回「真・三方ヶ原合戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月14日の大河ドラマ『どうする家康』の第18話「真・三方ヶ原合戦」家臣たちを失いながら窮地を脱した家康17話があまりにあっさりと場面転換したら家…
#253 第19回「お手付きしてどうする!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月21日の大河ドラマ『どうする家康』の第19話「お手付きしてどうする!」包囲網を破る信長、三河どりを決める勝頼、なんだか呑気な家康?17・18話…
「わが武田信玄公の家臣、 真田昌幸殿が築城した・・・ 上田城を視察に来たでござる。」 「どれどれ・・・」 (ここはまだ城外でござる💦。) …
#302 遠江侵攻を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で今川氏真と戦った遠江侵攻についてを大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと思いま…
#317 信玄を怒らせるな!を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で第16話~第18話までの武田信玄の西上作戦について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』…
#319 三方ヶ原の戦いを『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』で第17話~第18話の「三方ヶ原の戦い」について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から…
奇しくも「甲府開府の日」に、VF甲府の三浦颯太選手が日本代表に追加招集されるとは…( ゚д゚)ポカーン
・J2甲府のDF三浦颯太が日本代表追加招集 来年元日のタイ戦 「僕自身が一番驚きました」(デイリー)/いやーこれにはびっくりした。J2の選手が選出されるのも約4年ぶり、甲府の選手が選出されたのはJ1にいた2011年のハーフナー・マイク以来らしいですね(大汗)
武田信玄と織田信長は、お互いを良く知っていた。 何故なら、美濃遠山氏が武田と織田に両属していて、情報の受け渡し役をしていたから。 信玄から信長へ、今川義元の動きは全て知らされていた。桶狭間の戦いは、信玄抜きでは語れないものである。
#342 高天神城の位置 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~『歴史群像2023年8月号』
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号で…
#352 高天神城の城主 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~その2
高天神城の城主について、大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8…
#354 信玄の”三年の鬱積” 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その3
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、まずは武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号での特集で…
#368 武田信玄のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その4
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐっての武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最…
#379 徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その5
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる徳川家康のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
#383 武田勝頼のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その6
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる武田勝頼のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 90.徳川家康・七十八
真田幸村は、上田合戦にて、徳川家康を苦しめた、真田昌幸の次男、真田信繫とされる。 真田「幸村」は、大阪冬の陣の際に、突然、登場した、人物であるが、大阪の陣当…
#387 再度、徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その7
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、長篠の戦いで勝利を収めた徳川家康の再反撃のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』…
歴史物語では、信長と家康は幼馴染で旧知の仲だったとか、「桶狭間」の後、すぐに同盟関係が構築されたとか、 二人は近しい間柄のように描かれていますけど、それほど近しい間柄では無かったのでは? 寧ろ、余所余所しい関係だったのでは?という雑文です。
小淵沢駅は観光客でごった返していました。 上下の特急が相次いで到着し、接続する小海線の気動車は乗車率100%を越えていたと思います。 小海線が発車し静寂が戻った駅で待つことしばし、高尾行き普通列車に乗車しました。 甲府で下車し、13:00発のバスに乗り換えます。 10分ほどで武田神社に到着。 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と詠んだ武田信玄に象徴される通り、戦国大名となった武田氏は甲斐国内に大規模な城を持たなかったことがよく知られています。 (実際には、要害山城をはじめとする山城を築いていますし、滅亡直前には武田勝頼が新府城を築城しうつっています) 代わりに領国経営の中心と…
◆ くろよんを目指して信州、その30「帰途編」(2023年9月)
画像左クリックで1,280ピクセルの大きな画像が開きます再度左クリックしていただくと元に戻ります◆ くろよんを目指して信州、その29 旅のハイライト「大観...