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今回は、勝龍寺城の紹介をしたいと思います。 勝龍寺城の概要勝龍寺城が完成した年については複数の説がありますが、1457年に畠山義就が築城した説が可能性とし…
「その3」のつづきです。七尾城本丸まで制覇したので、「その2」で見た再び遊佐屋敷跡と桜馬場に戻って、さらに北側の城域を目指します。 写真は桜馬場から北へ進...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その4 <勢溜の壇~尾崎丸>
「その3」のつづきです。南西の勢溜の壇にやってきました。 勢溜の壇は本丸の峰から南西に長く伸びる尾根上に10段の大型の曲輪からなる壇です。 その説明板。 ...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その5 <旧本城・興禅寺跡・毛利元就火葬場跡・毛利隆元の墓・>
「その4」のつづきです。尾崎丸から少し南下すると、「旧本城」と書かれた誘導看板が現れます。 毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城は、14世紀半ばに毛利時親...
下津井城は下津井港を見下ろす高台に築かれた平山城。1592年頃に築城が始まり、1639年に一国一城令により廃城になったことから、40年ほどしか使われなかったことになります。 城跡は岡山県指定史跡となっており、瀬戸大橋架橋記念公園として、整備されています。 というわけで、特に準備しなくても大丈夫だろう、と高をくくっていたら大失敗でした。 下津井電鉄の廃線跡から外れて坂道を登ります。 遠くに鷲羽山ハイランドのアトラクションの音や歓声が聞こえてきます。 園路に沿って進むと、広場に出ました。馬場跡という曲輪のようです。 西の丸の石垣が残っていますが、だいぶ崩れています。 西の丸は巨大な土塁に囲まれてい…
松本城、諏訪高島城をめぐった帰路、高遠城に立ち寄りました。高遠城は三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘の突端に築かれた平山城。北・南・西の三方を河川に囲まれる...
「その1」のつづきです。高遠城本丸をもう少し歩きます。 太鼓櫓です。時を報じる太鼓を打っていた櫓ですね。江戸時代には搦手門の傍らにあったそうですが、明治1...
「その2」のつづきです。七尾城本丸に登ってきました。 本丸には、「七尾城址」と刻まれた大きな石碑があります。裏面を見ると、「昭和十七年仲秋」とありますから...
金沢城を訪れた翌日、能登まで足を伸ばして能登畠山氏の居城・七尾城を訪れました。「七尾」という地名は、七尾城が築かれた七つの尾根に由来すると言われます。それ...
「その1」のつづきです。能登七尾城調度丸から見た桜馬場北側4段石垣からスタート。 圧巻のロケーションですよね。セットバック石垣は高いところで4mに及びます...
飛山城跡 (宇都宮ライトレール) 宇都宮の市街地を過ぎて、鬼怒川を渡ったところにある駅。周囲には田んぼが広がり、最新のLRTとの対比は不思議な感じがします。 好調なライトレールですので、この駅周辺も今後、開発が進むものと思います。現在は1日300人ほどの乗降人員ですが、今後は増加していくのでしょう。 駅名にもなった飛山城は、歩いて15分ほど。鎌倉時代築城と伝わる中世城郭は、国指定史跡。鬼怒川を臨む段丘には幾重にも横堀が巡り、織豊期までの遺構が重層的に検出されています。 無料送迎バスの実証実験も行われたようなので、沿線の貴重な観光地として、注目が高まっていくものと思います。 ↓よろしければクリッ…
前回報告した武田神社は、戦国時代までは武田氏の居城となっていました。これに対して徳川体制になってからは築かれた新城は「舞鶴城」と呼ばれており、かつては20haほどの広大な城郭でした。現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。 甲府駅南口...
徳川居城「江戸城跡」探訪、巨大天守台や百人番所に威厳を見る!【東京・千代田区】
気軽に旧江戸城跡の見学ができる皇居東御苑を紹介。江戸時代の番所建物や、門跡や堀の石垣、巨大な天守台跡など結構遺構が残ります。江戸城の歴史も交えながら紹介。自然が楽しめる都心の憩いの場として、城好きでなくてもオススメのスポットですよ。
日時:令和6年6月14日 08時10分ごろ 住所:石川県小松市日用町 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:市道 ※苔の里から東に約300m ------------------------ 日時:令和6年6月14日 09時30分ごろ 住所:石川県小松市若杉町ソ 状況:木に登っているツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:憩いの森・若杉堤付近 ------------------------ 日時:令和6年6月14日 20時30分ご...
先日、福井県の疋壇城跡に行ってきましたのでレポートしたいと思います。 疋壇城跡の概要疋壇城(ひきだじょう)は文明年間に朝倉氏によって築城されたお城です。疋…
岩国領(岩国藩)初代領主の吉川広家が、横山の山頂に築いた城(山城)。別名は「横山城」。日本100名城に選定されている。 1600年(慶長5年)に毛利輝元が関ヶ原の戦いに敗れ萩城に移封となり、同時に毛利家存
JR横浜線片倉駅の近くにある山が実は城跡だと聞いてちょっと上ってきました。 片倉城について 歴史 片倉城は室町時代に築城されたと言われていますがはっきりしたことは判っていません。身辺武蔵風土記稿などでは応永年間(1394~1428年)に大江
「太田の焼きそばを食べに行こう!」館林から太田市へ移動しまーす!麦畑がたくさんある、、群馬県は米より麦の栽培が盛んとゆー話しは本当なんだね!正午近くにお目当ての「山口屋」に到着。店の隣にある駐車場が空いていたので、あれ?意外と混んでない?って思ったら、店
撫川城の城跡になると思います。自転車で走っていました。 なんか堀みたいだなーって思ったら確かに堀でしたね。 ここを守る武士の気持ちはどうだったんだろうか? 橋は細かったのですが、川城と町城を掛け合わせた造りの様な気がしました。 現在は神社になっているようです。自転車の散歩で見つ...
日本海に面した指月山とその麓に位置する城跡。別名は「指月城」。日本100名城の一つに数えられ、国指定史跡に指定されている。 関ヶ原の戦いに敗れ、広島から萩に追われた毛利輝元が1604年(慶長9年)に築城を
フェリーターミナルからバスで苫小牧駅へ。 12:15発のすずらん4号に乗り換えました。 12:28着の白老で下車しました。特急に乗るような距離ではありませんが、ちょうどよい列車がなかったのでやむを得ず、という感じです。 白老駅北口から 12:33発の白老町交流促進バス(ぐるぽん)というコミュニティバスに乗車。5分ほどの「陣屋資料館」で下車しました。 戻りのバスまで50分しかありませんので、早足で回ります。 白老元陣屋は、幕末期にロシアの南下に備えて沿岸警備を命じられた仙台藩によって1856年に築造された陣屋です。明治維新までの12年間、おおよそ120名の藩兵が駐屯していました。ウトカンベツ川を…
日時:令和6年5月1日 06時35分ごろ 住所:山形県山形市切畑 状況:成獣のクマ1頭の目撃情報。体長約130センチ 現場:市道(切畑集落センター前) ------------------------ 日時:令和6年5月4日 14時10分ごろ 住所:山形県山形市八森 状況:クマ3頭の目撃情報現場:山形県道167号妙見寺西蔵王公園線(西蔵王高原ライン) ※観音橋の南詰め付近 ------------------------...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その3 <三ノ丸、二ノ丸、本丸>
「その2」のつづきです。吉田郡山城三ノ丸へ登ってきました。 石碑には「三之丸跡」と刻まれています。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」という呼称は豊臣時代以降の言葉で...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その2 <御蔵屋敷跡・釣井の壇、姫之丸壇、釜屋の壇、羽子の丸、厩の壇>
「その1」のつづきです。毛利元就の墓所から登山道を登ること約15分、曲輪に到着しました。 吉田郡山城の城域は東西約1100m、南北約900mに及ぶ広大な規...
. . 𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧 ⠜ 山城国一揆8𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧. .1486年には、狛秀盛たちが南山城の将来について深く議論し、2月13日には宇治平等院で惣寄合が開催され、惣国掟法(いわゆる憲法)の草案が承認され、これが一援を受けました。この一揆はただの暴動ではなく、地元が自らの手で治めるという新しい試みで、この動きは他の地域にも広がり、大一揆へと発展しました。この山城国一揆が形成した惣国は、なんと7年9ヶ月も...
「浦添城跡」の歴史!ハクソー・リッジと浦添ようどれの場所を巡る!
「浦添城跡」は浦添市にあります!この場所は映画「ハクソー・リッジ」の舞台にもなっていて沖縄戦の現実を感じることができます!また、浦添ようどれからは琉球王国の深い歴史も学ぶことができます!敷地内は綺麗に整備されているため快適に観光ができます!
日時:令和6年4月15日 時刻不明 住所:青森県黒石市上十川山元 状況:熊1頭の目撃情報 現場:東北自動車道の東側 ------------------------ 日時:令和6年4月17日 13時00分ごろ 住所:青森県弘前市原ケ平奥野 状況:熊1頭の目撃情報 現場:水路(せせらぎ温泉から南に約400m) ------------------------ 日時:令和6年4月19日 09時00分ごろ 住所:青森県八戸市鮫町遥...
ー上狛散策ー1・狛城の運命ー畠山義就の戦略と南山城地域の制圧ー2・義就の反乱ー大和を制圧した畠山義就の戦術と影響ーの続きです。. . 𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧 ⠜ 山城国一揆3𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧. .狛秀盛は南山城地域に深く根ざした山城三十六人衆のもとを一軒一軒訪れ、「皆の力を合わせてこの土地を守ろう」と呼びかけました。もちろん、これはお互いが長年にわたって牽制しあっていた古い国人たちに対する、なかなかハードルの高い...
. . 𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧 ⠜ 山城国一揆2𖥧 𖥧 𖧧 ˒˒. . 𖡼.𖤣𖥧. .応仁の乱以来、南山城地域は、戦場として繰り返し焼き払われました。田畑は踏み荒らされ、辛うじて天災を逃れた少量の作物も、収穫前に足軽や野武士によって略奪される始末。さらに、前将軍足利義政が東山山荘(銀閣寺)の建設のために人夫役や普請料を要求し、働き盛りの男性は無理やり足軽や人夫として徴用され、地域は更に困窮。飢えや足軽の暴力が日常となり、他地域に...
中世肥前国主と呼ばれた千葉氏の居城、千葉城のあった小山に鎮座する神社。「祇園さん」「おぎおんさん」と呼ばれ親しまれている。 御祭神は健速須佐之男大神(タケハヤスサノオノオオカミ)、櫛稲田姫大神(クシ
ここは、上狛環濠集落跡、歴史の風が今もささやく場所です。この地にかつて栄えた狛城は、まるで巨大なお城のセットのよう。広々とした敷地に深い水濠と土塁がぐるりと囲んであり威風堂々としていました。敷地の広さは、東西約330メートル、南北約360メートル。今でもその水濠の一部がこの地に静かに息づいています。当時は堀幅が約5,4メートルもあり、その名も「浦の川」。堀というより、ちょっとしたボート遊びができそ...
8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
ぷらっと静岡市に来てみましたが、とくに大きな目的はなく、なんとなく静岡市を見てみたい、という感じです。ひとまず静岡駅近くの駿府城公園に行って見ることにしました。観光地っぽいしね。静岡駅からは徒歩20分くらい。途中で静岡鉄道の新静岡駅を通りす
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
江戸崎駅から関東鉄道が運行する稲敷エリア広域バスに乗車。小坂団地で下車しました。 小坂団地は1969年頃に造成された大規模な住宅地。約1200の区画に2000世帯が住んでいるとのこと。 ただ休日の昼間のせいか人の姿に乏しく、閉店した商店や空き区画が目立つように感じます。 小坂城は、そんなニュータウンの東のはずれにあります。 小坂城は稲敷台地の南の縁、小野川がつくる段丘崖を利用して築かれた平山城です。 東に小坂の町を臨み、北側を通る鎌倉街道を押さえています。 小坂団地の造成と国道408号線の建設により周辺環境は大きく変化しましたが、遺構がよく残り、現在は公園として整備されています。 公園に入って…
【史跡】高天神城の千人塚(静岡県掛川市)田んぼの中にぽつんと立つ小さな塚。当時激戦に散った高天神城の城兵を祀る首塚です。...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
前日飲み会だったため目覚ましをかけずに寝たのですが、朝早く目が覚めてしまったのでお出かけすることにしました。 松戸8:31発の電車に乗り、我孫子、成田と乗り継いで、下総神崎駅に降り立ちました。 10:30発の桜東バスに乗り換えます。 翌3月17日は、酒蔵まつりでバスが運休するとのこと。危ないところでした。 バスに揺られること約40分。旧江戸崎町の中心部に近い浜町というバス停で下車しました。 乗り換えのバスまで1時間半ほどあるので、その間に江戸崎城跡を散策します。 江戸崎城は、稲敷台地の南端、舌状に張り出した台地につくられ、麓に水堀を巡らした連郭式の城でした。現在、水堀はすべて埋められてしまって…
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
古代城と中世城が混在する城山城。 その3 <主郭・井戸跡・石塁>
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...