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日時:令和5年11月19日 16時10分ごろ 住所:岐阜県本巣市法林寺 状況:子グマ1頭の出没情報 現場:文殊の森公園周辺 ※周辺に山口城跡、楞厳禅寺、奈良尾神社、法林寺、国道157号、道の駅織部の里もとす、樽見鉄道の織部駅などがある ※公園利用者および登山者の方は熊にご注意ください(本巣市) ------------------------ 日時:令和5年11月21日 06時45分ごろ 住所:本巣市法林寺 状況:成獣のク...
上月城攻めの毛利方陣城・仁位山城。 その2 <③郭④郭と畝状竪堀>
「その1」のつづきです。仁位山城②郭から③郭へ向かいます。 ③郭です。ここも傾斜がついていて、自然地形って感じなんですよね。経年の堆積物でそうなってしまっ...
前稿で紹介した上月城の北東約500mという至近距離に、仁位山城跡があります。ここは、上月城の援軍として駆け付けた羽柴秀吉方が陣を布いたという説もあれば、上...
日時:令和6年11月14日 18時15分ごろ 住所:山形県鶴岡市山五十川 状況:亜成獣のツキノワグマ1頭の目撃情報。体長約80センチ 現場:山形県道61号菅野代堅苔沢線(山五十川公民館から南に約150m)------------------------ 日時:令和6年11月14日 20時40分ごろ 住所:山形県寒河江市白岩 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報。体長約100センチ 現場:国道458号(国道112号との交点付近)------...
「その1」のつづきです。上月城主郭まで攻略したので、つづいて尾根伝いに西側の郭を攻めます。 主郭西側の虎口。縄張り図では桝形虎口になっていますが、微妙。。...
播磨国佐用町上月。現在の兵庫県佐用町には、かつて荒神谷川を挟んで北に大平山上月城、南に荒神山上月城がありました。城ははじめ大平山に築かれ、のちに荒神山に本...
長水城、篠ノ丸城を攻略したので、続いて聖山城を攻めます。聖山城は篠ノ丸城の出城だったともいわれ、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による長水城、篠ノ丸城攻め...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その2 <主郭・2郭>
「その1」の続きです。登山開始から約70分、長水城跡主要部に到着しました。 主郭下です。標高584mの長水山の山頂に築かれた城で、現在、主郭跡には信徳寺本...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その1 <大手道>
前稿で西播磨の篠ノ丸城を攻めましたが、今回はその本城・長水城を攻めます。長水山城、広瀬城とも呼ばれます。長水城は篠ノ丸城とともに播磨国守護の赤松氏庶流の西...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その4 <三重堀切~畝状竪堀>
「その3」のつづきです。篠ノ丸城二ノ丸の西側にある三重堀切を見にいきます。 二ノ丸(主郭という説も)の西側を見下ろすと、さっそく大きな堀切が。 降りてきま...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その3 <主郭周り~二ノ丸>
「その2」のつづきです。篠ノ丸城主郭まで攻略しましたが、城域はまだまだあります。 主郭西側の横堀。南側から見ています。右側が主郭を囲う土塁です。往時はもっ...
「その1」のつづきです。麓の最上山公園(通称もみじ山)で紅葉狩りを堪能したので、最上山北の通称「一本松」山頂に築かれた篠ノ丸城跡を目指します。 登山口です...
日時:令和5年11月1日 04時40分ごろ 住所:新潟県阿賀町七名乙 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報。体長約120センチ現場:ソバ畑 ------------------------ 日時:令和5年11月1日 04時55分ごろ 住所:新潟県村上市瀬波新田町 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報。体長約100センチ現場:瀬波海岸付近------------------------ 日時:令和5年11月1日 09時40分ごろ 住所:新潟...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その2 <本堂跡~大門跡>
「その1」のつづきです。弥高寺大門跡の南側には、大きな横堀が東西に構えられています。 大門跡の土塁上から見下ろした横堀。 大門跡を降りてきました。横堀ウォ...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その1 <本堂跡~大門跡>
上平寺城から谷を隔てた西側に、かつて城郭なみに要塞化された弥高寺がありました。ここも、京極氏、浅井氏に関係の深い場所です。 写真は本堂跡。最も広い削平地で...
「その1」のつづきです。上平寺城主郭まで登ってきました。 主郭は伊吹山より派生した標高699mの尾根頂部にあります。面積はざっと見たところ、50m×50m...
京極氏館跡からのつづきです。近江と美濃の国境にそびえる標高1377mの伊吹山の南、弥高山の「刈安尾」と呼ばれる尾根の先端に、かつて京極氏の居城・上平寺城が...
延岡市の市街地中心に位置する、宮崎県を代表する近世城郭。別名は「縣城」または「亀井城」。続日本100名城に選定されている。 豊臣秀吉の命により延岡に赴任した高橋元種が1601年(慶長6年)に築城を始め、1603
小川城を出て、高原の国道を南へ。 周囲の山々は、冬支度が進んでいます。 道路の交通量は多いですが、歩道が整備されているので安全かつ快適な道中。50分ほどで到着しました。 城跡に行く前にガイダンス施設に寄り道します。 ここでは、縄張図などの資料をもらえるほか、御城印やスタンプ、最寄りのバス停までの地図やバスの時間も教えてもらえます。 まずは、現在駐車場になっている般若郭へ。 城内最大の郭で、発掘調査の結果建物跡が検出されています。 空堀を隔てて二郭、三郭の北側を守る般若郭は、三郭正面の馬出に入る橋を背後から挟撃できる位置にあります。 虎口は西側1か所しかなく、その虎口は三郭から横矢が掛かるように…
PayPayキャンペーンやってますし いつもの如く便乗して観光名所の紹介でもしますね。 舞台は栃木県さくら市🌸 さくら市といえば千葉県だよなあ?と思う千葉県民。 あっちは佐倉市ですが。 氏家駅から歩いていき… 氏家ゆうゆうパークを通り 雄大な自然を鑑賞し 途中のむすびの鐘を鳴らしておきました(ぼっち) 恋人たちが願いを唱え2人で鳴らすと幸せになれるとされています。 ※公式サイトより抜粋 一人で鳴らしたけどご利益ないっすかね?? そして鐘の背後に見えるこんもりした森が… 勝山城跡 sakura-navi.net 橋がちょっといい雰囲気。 そして勝山と言ったら安房勝山だよなあ?? 普通は福井の勝山…
過日、インスタの城友さんよりお誘いを受け、かつて北近江を支配した京極氏遺跡めぐりのオフ会に参加させていただきました。近江と美濃の国境にそびえる標高1377...
18年ぶりの石神井公園(後編)石神井公園の見どころは三宝寺池エリアにあり
前回に続き、石神井公園の報告です。前回は、石神井公園の東側の石神井池エリアを紹介しましたが、今回は西側の三宝池エリアの報告です。 (出所)東京都公園協会ホームページ 三宝寺池はかつて武蔵野三大湧水池のひとつでした。江戸時代には、いかなる日照りにもかれないといわれ、昭和3...
「その3」のつづきです。田丸城本丸まで制覇しましたが、その北側にある北ノ丸に向かいます。 北ノ丸には、現在、稲荷神社が鎮座しています。 北ノ丸です。 田丸...
12月2日の決戦に備えて、12月1日は有休をとっていました。 静岡のホテルも予約して準備万端だったのですが・・・なぜかフリーになってしまいました。。。 せっかく休みを取ったので、上越新幹線に乗車、上毛高原駅に降り立ちました。 8時前の高原の駅はピリッとした冷たい空気に包まれていました。体感的に都内とは10℃くらい違う感じがします。 この日の最初の目的地は小川城です。 駅から5分程でした。 小川城は利根川がつくりだした河岸段丘にあって、段丘崖と2本の沢に挟まれた要害の地にあります。 段丘面を隔てる堀切は巨大で圧倒されました。 堀切は屈曲しており、主郭からは北側が張り出している構造。現在の遊歩道が…
「その2」のつづきです。田丸城本丸に向かいます。 本丸虎口です。右折すると・・・。 おーっ!!! いしがっきー!!!! 虎口に設置された説明板。どうやらこ...
「その1」のつづきです。田丸城三ノ丸から西側を見上げると豪壮な石垣群が目に入ります。石垣を見て歩きましょう。 写真は本丸東下の石垣群。櫓台のような野面積石...
伊勢神宮を抑える要衝として築かれたという田丸城。太古の昔より、この地は伊勢神宮への参宮本街道と熊野街道の分岐点として栄えました。今回はその田丸城を歩きます...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その6 <御城番屋敷跡>
「その5」のつづきです。「その2」で見た松阪城裏門の南側にある御城番屋敷跡にやってきました。 ここはかつて、松坂城三ノ丸でした。 御城番屋敷は、松坂城を警...
★ご訪問ありがとうございます★クリックしてランキングのポイントと順位を確認していただけるとうれしいです。★身近な植物で作る楽しいリースを随時ご紹介「唐辛子リースの作り方」「庭の植物で作るXmasリース・スワッグ」「庭の植物で作るXmasリース<デザイン集>」「ダイソーのリボンをクリスマスリースに使う(2)」福岡都市高速からの眺めです。矢印が玄海島。この間の結婚記念日の記事で遊覧船に乗ってご紹介した島です。今日(19日)はちょっと出かけてきました。耳の具合があまりよくないので迷ったのですが、以前から予定していたし、一度は覗いてみたいと思っていたので。出かけたのは、福岡市東区の筥崎宮蚤の市。人混みの中へ出かけたら、また耳がおかしくなるのではないかと思ったのですが、行ってみると、音楽も何もかかっていなくてとても...楽しい蚤の市(1)用途不明の品々と手乗り鳩
小淵沢駅は観光客でごった返していました。 上下の特急が相次いで到着し、接続する小海線の気動車は乗車率100%を越えていたと思います。 小海線が発車し静寂が戻った駅で待つことしばし、高尾行き普通列車に乗車しました。 甲府で下車し、13:00発のバスに乗り換えます。 10分ほどで武田神社に到着。 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と詠んだ武田信玄に象徴される通り、戦国大名となった武田氏は甲斐国内に大規模な城を持たなかったことがよく知られています。 (実際には、要害山城をはじめとする山城を築いていますし、滅亡直前には武田勝頼が新府城を築城しうつっています) 代わりに領国経営の中心と…
「その4」のつづきです。松坂城本丸西側にある、きたい丸を歩きます。 きたい丸とは、古田重勝の子である古田重恒の幼名、「希代丸(稀代丸)」に由来するといわれ...
「その3」のつづきです。松坂城本丸下段中御門跡に戻ってきました。 「その3」の冒頭で見た中御門は、さらに本丸上段に続いています。 まずは右折。 そして左折...
11月3日は秋晴れの行楽日和でした。 前日に指定券を買いに行ったら、朝一番の特急あずさ71号は満席。 仕方ないので、八王子から座席未指定券で乗車します。 大月で下車する人が多く、空席に座ることができました。 甲府で乗り換えて、長坂で下車。 特急停車駅は隣駅の小淵沢ですが、北杜市の中心駅ということもあって駅前はこちらの方がにぎやかな感じがします。 コミュニティバスに乗り換えて、旧JA大泉支店前で下車しました。 八ヶ岳の裾野の高原は秋の装い。 緩やかに下っていくと、谷戸城があるポッコリとした小山が見えてきます。 谷戸城は、平安時代後期に常陸からうつり、甲斐源氏の祖となった源(逸見)清光の居城と伝わ…
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その3 <中御門・本丸下段・助左衛門御門>
「その2」のつづきです。いよいよ松坂城本丸へ向かいます。 二ノ丸から本丸へ向かう中御門です。 ここを訪れたのは令和4年(2022年)7月2日。このとき中御...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その1 <三ノ丸から見た高石垣>
三重県松阪市といえば松阪牛・・・ではなく、松坂城です。松坂城は近江国日野城よりここへ移ってきた蒲生氏郷が築いた城です。 表門前の石碑には「松坂城」と刻まれ...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その2 <表門、裏門、二ノ丸、隠居丸>
「その1」のつづきです。松坂城外周を歩いて、再び表門跡に戻ってきました。 表門です。大手門ではありません。古地図の縄張り図によると、大手門はこの北西の水堀...
大宮から新幹線に沿って北上するニューシャトルという新交通システムがあります。 新幹線の高架橋と一体で整備され、全長12.7km。新幹線が通過する地域の見返りとして建設されました。 上越新幹線と東北新幹線が分岐するあたりにある丸山で下車しました。 目的地は伊奈氏屋敷跡。 治水・利水工事で有名な伊奈忠次の陣屋跡です。 ニューシャトルの車庫を越えたところ、駅の最寄りは裏門にあたります。 この辺りは、発掘調査で障子堀が発見されたところ。現在は埋め戻されて遺構を見ることはできません。 堀底につくられた遊歩道を通って南へ。 土塁の上にある頭殿権現社は櫓のように見えます。 南側は原市沼に面しています。 頭殿…
ここ↓が、信長公が安土城築城の際に、甲賀の長寿寺から移築し己の菩提寺としたという摠見寺があった場所である。江戸時代の確かちょうどペリーが日本へ来航した年に火災に遭い本堂焼失。眺めは良い。が、こんな細い突き出たところにも家々が普通に建っていて驚いた。摠見寺本堂跡地の隣には、三重塔がある。室町時代につくられた建物を長寿寺でから移築したものらしく、すっごい凝っているが、かなり古くぼろぼろで台風や地震でも...
木の根っこがすごい! 中庭を挟んで3棟の建物があったと推測されているも本丸跡も、地上6階・地下1階建てで世界で最初の木造高層建築物と言われている安土城天守閣も今では礎石が並んでいるだけである。あと、木の根っこね(笑)しかし、何故、世界で最初の木造高層建築物といわれているのかがちょい謎である。世界最古の木造建築物と言えば、607年に建造されたとする法隆寺五重塔がまず浮かぶのだが、高さが約32メートル...
沖縄の天空の城「中城城跡」!見どころは空高く築かれた城壁からの絶景
「中城城跡」は沖縄の中城村にあるグスク跡です!沖縄のグスク跡の中で標高が一番高いため、解放感がある景色はとても美しいです!ボランティアガイドや正門まで送ってくれるカートもあるので、便利でおすすめ!城壁からの絶景を楽しみたい人は必見です!
「その1」のつづきです。津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。 写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。藤堂高虎が築いた櫓とは似...
藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その3 <高虎像・西の丸・高山神社>
「その2」のつづきです。津城本丸跡の一角に、藤堂高虎の騎馬像があります。 藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に...
さて、安土山入山料を支払う受付には、戦国武将漫像図とやらが飾ってあった。これを見ると、織田信長氏は格好良い。近郊の山々から採取した石や石仏や墓石等を使ってつくられた大手道↑。両側には幅1メートルはある側溝もある。そして、階段の所々にはこのような↓説明書きと共に、お金を入れるための小鉢まで用意されていた。説明書きには、有難い石仏様の石なのだから拝んで金いれていけ!とでも催促するかのように、”趣旨をご理...
長篠の合戦の翌年1576年から築城が開始され、3年後1579年に織田信長が移り住んだといわれている安土城。その3年後に本能寺の変が起きたそうで・・・・3という数字になにかあるのだろうか・・「おぼろげながら浮かんでくるな。3という数字が」(笑) さて、当時はここ↓に、東西110メートルにわたり石垣が積み上げられ、4か所の出入り口が設けられていたそうな。安土山入山にはお金がかかるが、広い駐車場とこのエリ...
千曲川の段丘崖に拠って築かれた上田城。 徳川の大軍を2度退けたことで、真田氏の城として認識されています。 実際、始発の新幹線で降り立った上田は、圧倒的な「真田推し」。 ただ、真田氏の上田城は関ヶ原の戦い後破却されており、真田信之は三の丸の跡地に新たに居館を築きました。 現在の上田高校がその跡地。 真田氏転封後も使用され、堀と土塁、表門と塀が残ります。 そしてその北側に古屋敷と絵図に記載のある屋敷跡があります。 現在は上田市立清明小学校になっています。 二の丸の堀端、東虎口に出ました。 城内に入る前に、堀底に降りてみます。 堀底は現在遊歩道になっていますが、1972年までは上田交通真田傍陽線が走…