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AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十一の巻 奏聞記・前編 〜 卑弥呼政道と三つの象徴
倭国においては、女王・卑弥呼、神に仕え、自ら民の前に姿を現すことはほとんどございません。政は弟および政庁の重臣らが預かり、方針はすべて神託に基づきて定められます。女王は、祭祀の場において神意を賜り、その言葉を政庁に託し、国の政を導かれます。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十の巻 帰還の旅路 〜 詩洸の記
卑弥呼の御前より辞し神火の明かりを背に再び山路をゆく。都の外れまで巫女たちが並んで見送った。火を祀る女たちのまなざしに我らは深く頭を垂れた。倭という国は遠き大国に仕えながらも己のまことを失わぬ民の国であった。山も川も人も神すらも息づいていた。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』九の巻 女王国・邪馬台国にて 〜 詩洸の記
遥かなる倭の旅もついに終章を迎えん。魏皇・曹叡の命を受け親魏倭王の金印をたずさえ巫女王に謁する使命を胸に我らは南へと歩を進めた。檜の香漂う神殿には火が絶えることなくその奥には女王卑弥呼が座している。我らにその姿を拝することは許されなかった。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』八の巻 投馬国 ~ 海の道を越えて
不彌国を発った詩洸らは大海へと漕ぎ出した。信の文字を染め抜いた布が海風にひるがえる。豪雨と逆風に翻弄され荒れ狂う波の狭間で船底にまで水が入り舟子たちの手は血に染まる。二十日目の朝水平線の彼方に海の道を制する倭国の別なる中枢、投馬国が現れた。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』七の巻 山と水に護られし不彌国
次に向かうはその背後に広がる山深き領域-山紫水明の地-不彌国(ふみこく)である。「風は優しく、水は清らか、人は誠実」これは不彌国の民に伝わる古歌の一節であるとある老翁は語った。青々とした田畑と遠くにそびえる山々、そして筑後川の穏やかな流れ。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』六の巻 奴国 〜 光武帝より金印紫綬を授かりし国
かつての金印が語る“あの国”に足を踏み入れる。平らな野に音のない都がひろがっていた。騒がしさの代わりにものの動きが整っている。倭の他のどこよりも規則が人の背に添うているようだった。この国はかつて後漢に使いを送り金印を授かったと記録にある。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』五の巻 伊都国 〜 倭の玄関、王の影、鏡のまなざし
青銀の印印のある山の下、玄関の極みに座した宮廷のような館の前で、われらは初めて居国の王と相見えた。王は忍忍と象のような事は言わず、ただ静かに一礼した。王の声はなかった。我々がこの地に足を踏み入れたという事実だけが静かに帳簿に記されていった。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』四の巻 末盧国 〜 海の玄関、風の記憶
東南陸行五百里至末盧國。其地有山林,深邃,山有丹。無良田,食海物自活。船行則依山島,南北市糴。壱与という名の女王が記されている。卑弥呼の後を継ぎ倭の国を再び導いたとされる若き女王。三韓征伐(新羅征伐)を前に末盧国の神集島に神々を招いた神功皇后
善通寺市は毎年4月29日を古墳の日として王墓山古墳、宮が尾古墳の石室を一般公開しています。朝9時過ぎに行くと割合ゆっくり見学することができます。全長46mの前方後円墳で石室は横穴式。この石室は石屋形式と言われ、九州地方で多く見られますが、瀬戸内・四国地方
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』参の巻 一支国 〜 潮と人が交わる島
田が張られ畑が耕され干された魚網が風に揺れていた。小川には舟が浮かび浜では女たちが貝を選っていた。交わりの島。交易の品々とともにことばも風習もここで交錯していた。タツミの海の向こうに煙の絶えぬクニがあると聞く。火を守る女が治め名を卑弥呼という
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』弍の巻 対馬国 〜 海峡を越えて
狗邪韓国の海辺より船を出した詩洸と新元。春霞のなか小舟は潮に揺れながら南南東へ進む。やがて波間に影のような島が現れた。倭の玄関口対馬国である。山深く、森は海辺まで迫り、岩場には海鳥が舞い、潮の香が濃く漂っていた。潮と風を読む術に長けた燈流。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』 壱の巻 戦乱の魏国から狗邪韓国へ
三国志で知られる魏・呉・蜀が覇を争う戦乱の時代。魏の皇帝曹叡は一通の報告に目を留めた。東海のかなたの邪馬台国の女王が魏の皇帝に使者を送り朝貢の意志を示してきた。返礼として金印と紫綬を授け皇帝の威を伝える若き使節・詩洸と従者・新元を倭に派遣する
◆「卑弥呼」のルーツ解明しました! ★『三國志』(巻三十倭人伝/著者・陳寿)の「魏志倭人伝」に記す元書~「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王、國中遂定、政等以檄告喩…
弥生時代〜吉野ヶ里遺跡へ行きました〜魏志倭人伝とか。・:*:・(*´ー`*人)。・:*:・
去年の春、大きな声では言えませんが旦那の九州出張に便乗して佐賀県にある特別史跡『吉野ヶ里歴史公園』へ、行きました、内緒ねめちゃ暑かったから…昭和の服巻きしてま…
上古の草原からこんにちは。皆様、我ら一行は「原の辻遺跡」に来ています。壱岐のおいしい焼酎で酔いかけた身に、日差しが刺さります。え~こちらの遺跡はですね。「王都復元公園」とも紹介されておりまして。なんの王都かと言えば、はい皆様お馴染みの魏志倭人伝。こちらに記された「一支国(いきこく)」の王都に特定されていた場所。その遺跡でございます。B.C.2~3世紀からA.C.3~4世紀(弥生時代~古墳時代初め)にかけて...
日本の歴史で、一番の謎と言えば「邪馬台国やまたいこく」です。邪馬台国は、2~から3世紀に日本にあった国です。その頃、日本にはたくさんの国がありました。邪馬台国は、たくさんの国の中で一番有名な国です。ほとんどの日本人が、邪馬台国という国があったことを知っています。でも、邪馬台国がどこにあったのか、誰も知りません。邪馬台国があったのは、日本の「弥生やよい時代」です。弥生時代、人々は田んぼで米を作るよう...
東アジア考古学の門田誠一氏が2023年第13回日本考古学協会賞大賞を受賞された著作。 その対象となった研究書が『魏志倭人伝と東アジア考古学』(吉川弘文館2021)(こちら) 魏志倭人伝に記された倭と倭人の事物・習俗・社会を、同時代の史書・文献、考古資料
弥生時代の環濠遺跡やその出土物を、真っ先に軍事面でとらえる傾向があるのは、その背景に魏志倭人伝の「倭国乱」の解釈の誤解があって、卑弥呼登場までの長期間にわたって大規模な内乱があったかのように刷り込まれてしまったことが要因と考えられる。 早くに古田武彦氏