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岡山市の西端を流れる足守〈あしもり〉川は、かつて高梁〈たかはし〉川の支流と合して瀬戸内海へ注いでいました。吉備津〈きびつ〉と呼ばれたその一帯は対外交流の拠点…
以前、岡山県古代吉備文化財センターに勤務されていた吉久正見〈よしひさまさみ〉さんから『吉備地域の石棚・石台を持つ横穴式石室について』と題した著作を拝受しまし…
岡山市街地の東部を流れる百間川〈ひゃっけんがわ〉の河川敷を発掘していると、赤く焼けた炉のあとが2つ並んで見つかりました。どちらも一辺1mほどの方形をしていま…
JR岡山駅の北側には、弥生時代の中ごろ(約2400年前)にさかえた南方〈みなみかた〉遺跡があります。さまざまな開発事業に伴って住居や墓、貝塚などが発掘されて…
【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】
ホケノ山古墳展(終了)の関連展示で見た #纏向石塚古墳 出土の #孤文円板(複元)。展示会場の #橿原考古学研究所付属博物館(常設)に展示されていた #特殊器台 紋様とそっくり。共通するデザインから吉備と大和(纏向)の関係を考察 #桃太郎伝説 #吉備津彦 目次 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 吉備と大和を繫ぐ桃太郎伝説 記紀ベースで日本の古代史を考える限界 本文 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 先日、ホケノ山古墳展(橿原考古学研究所付属博物館、終了)で展示されていた纏向石塚古墳の孤文円板(復元)の美しい造作に、思わず見とれてしまいました。 纏向石塚古墳から出土した木片から複製し…
温羅〈うら〉という異国の鬼が築いたという鬼ノ城〈きのじょう〉、「吉備津神社縁起」が伝える鬼退治伝説の舞台となったこの場所に、はじめて科学のメスが入れられたの…
温暖な気候を利用したオリーブ栽培や沖合の島々が織りなす多島美から、「日本のエーゲ海」と称される岡山県南東部の牛窓〈うしまど〉町(現瀬戸内市)。その東側に広が…
弥生時代の岡山県では、竪穴住居の床を穿った穴に灰などを詰めて囲炉裏〈いろり〉に使ったと考えられています。しかし、ここに土器を据えて煮炊きを行っていた証拠は今…
「井原〈いばら〉市で銅鐸が見つかったから調査をしてきてくれ」。そんな連絡を受けたのは、赤磐〈あかいわ〉市の朱千駄〈しゅせんだ〉古墳を調査している最中でした。…
倉敷市と総社市を結ぶ県道54号線を小田川から北へ1.5km走ると、左手にうっそうとした竹林の小山が見えてくる。これが吉備の巨石墳の一つ、倉敷市箭田大塚〈やた…
スリッパを折り曲げたような形の奇妙な焼き物(写真)を、みなさんは何だと思いますか? 現在、東京国立博物館に収められているこの焼き物は、今から40年ほど前に勝…
岡山市街地の東を流れる百間川〈ひゃっけんがわ〉は、江戸時代に岡山城下を洪水から護るために造られた旭川の放水路です。昭和50年(1975)に改修工事が計画され…
岡山市街地を旭川に沿って遡り、新大原橋を渡るとすぐ、牟佐大塚〈むさおおつか〉古墳(国史跡)の標識が眼に入る。住宅の裏手にそびえる墳丘は、畑や道路によって周囲…
古墳時代後期(6世紀)になると、吉備でも畿内にならって家形石棺がつくられるようになります。岡山県南西部の浪形石〈なみがたいし〉という石灰岩で製作された家形石…
備前、美作、備中、備後に分割された吉備。 現在の岡山県と、広島県東部・・・と思っていたら 実は今の兵庫県も加古川から西は吉備だった という説まで目に入って来ました。 という事は、網干とか相生はもちろん、 姫路も、高砂の石の宝殿も吉備という事になります! 実際、姫路の方言は「関西」の中でも独特らしいですね。 雛形経綸から考えても 吉備あたりはギリシャの雛形だから、 わかりやすいかも。 マケドニアのアレクサンダー大王が 一時期はエジプト辺りからバクトリア辺りまで 巨大な帝国を築いているわけで。 その後、ローマは今のイスタンブール辺りまで 支配していて、東ローマの首都だったのが コンスタンティノープ…