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「戦乱の世」から「太平の世」へと大きくカジを切り始めた江戸幕府に不満を持つ旗本は少なくなかったようだ。旗本には、神君・家康とともに戦ってこの天下を作った、という自負心があったからだろう。太平を良しとする世の中は、この武勇を遠ざけることにもつながり、そうし
こんな謎がある。~江戸幕府第三代将軍・徳川家光(1604-1651年)が身に着けて いたのお守りには、なぜ「二世将軍」と書かれていたのか~三代将軍・家光がなぜ「二世将軍」との思いを持っているかについては色々な見解もあるようだが、その中には家光は二代・秀忠の子ではな
2025年1月5日1月2日は江戸城に行き、本年度がスタートしました。昨年から江戸城や徳川家に縁のある場所を、少しずつ周っております。今回は東京都杉並区にある妙正寺に行ってきました。正月最後の休みのこの日、家から歩いて約1時間少々ですが、ウォーキングを兼ねて訪問。新宿区、中野区、杉並区を流れている川で、新井薬師あたりから約9.7kmの区間を流れる妙正寺川があります。妙正寺川沿いは、ほとんどの区間が歩行者専用なのでウォーキングやランニングには最適。妙正寺の裏側には妙正寺公園があり、噴水もある広い公園があります。川は公園に繋がっています。妙正寺は1352年に堂を建てたのが始まりとされています。670年以上の歴史があるお寺です。妙正寺の正門。こちらは昭和56年新築の門になります。鐘楼堂は昭和38年に建て替えられま...法光山妙正寺【徳川家光公縁の寺】@東京都
<江戸城(2)>の”城門”を巡る-現存の平川門、不浄門、北桔橋門、そして移築改築の乾門
松の内2日目ですが、みなさん、あけましておめでとうございます。 本年も「シロスキーのお城紀行」をどうぞよろしくお願いいたします。 昨年末のブログでも触れました…
あまり有名な出来事ではないかもしれないが、つまりヒメ隊員は御存知ないと思うのだが、1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発(ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる「遣欧使節団」が、幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した
2024年11月17日東京には江戸城の遺構が、街中に幾つも残っています。現在、江戸城の主郭になっていた場所は皇居になっており、天守台や櫓、城門などが現存や復元されています。しかし、江戸城は全長15kmに及ぶ日本一の巨大城郭でしたので、現在も至る所にその名残を見ることができます。今では世界の東京都となり高層ビルが立ち並び、さらなる大開発が進んでいますが、江戸の歴史を知ることで今の東京を違った視点で楽しむことができます。定期的に江戸城の埋もれた遺構を巡っていきます。まず向かったのは四ツ谷駅。四ツ谷駅は中央線、総武線、南北線、丸の内線が交わる大変便利な駅。新宿区と千代田区の境に位置しており、江戸城はこの四谷まで広がっていました。改札を出ると鉄道や駅周辺の歴史について観覧板があります。当然江戸城についての内容もあ...江戸城遺構巡り【其の一】@東京都
2024年10月20日三日間の岡山、高知、香川の100名城巡りを終え東京に帰ってきましたが、翌日は台場で用事があったので、品川第三台場に行きました。日本続100名城にも選ばれている品川台場ですが、おそらくお台場に遊びに来ているほとんどの人が知らないであろう江戸幕府による貴重な遺構です。よくあるお台場の光景。ビーチには高校生や観光客、ファミリー、カップルなど各々の時間を楽しんでいます。そんな幸せの時間が流れるこの地で、江戸時代の1853年、日本に激震が走ります。ペリー率いる4隻の軍艦が神奈川の浦賀沖に現れました。江戸幕府は守備を強化するために砲台を建設することを決断。奥にはレインボーブリッジが見えます。お台場公園の見慣れた当たり前の光景ですが、レインボーブリッジの下に石垣造りの島があります。海に浮かぶあの島...品川台場@港区
それなりの歴史知識を持った人でないと解けそうもない少しマニアックなクイズになるが、ヒメ隊長は以下の有名人?四人の共通点を述べることができるかな? 〇第84代・順徳天皇(1197-1242年) 〇日蓮宗宗祖・日蓮(1222-1282年)〇後醍醐天皇側近・日野資朝(
【徳川家宣の生涯】6代目は何した人かサクッと解説!たった2年で挑んだ江戸の改革
徳川家宣(とくがわ いえのぶ)は、江戸幕府の6代目将軍として、わずか2年ほどの短い期間ではありましたが、江戸時代の政治に重要な影響を与えた人物です。今回は、徳川家宣の生涯と彼が何を成し遂げたのかを簡単にサクッと解説します! 徳川家宣の生涯年
【徳川家継の生涯】7代目将軍は短い生涯で何をした?江戸に残した軌跡をサクッと解説!
徳川家継(とくがわ いえつぐ)は、江戸幕府の7代目将軍として、幼少ながらも徳川家を支えた人物です。彼の将軍在職期間はわずか3年という短さでしたが、その生涯には多くの出来事が詰まっています。今回は、徳川家継の生涯と彼が成し遂げたことについて、
【徳川吉宗の生涯】8代目将軍は何をした人?サクッと解説!質素倹約の大改革
徳川吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府の8代目将軍として歴史にその名を刻んだ人物です。吉宗は、財政再建と社会の安定を目指した「享保の改革」で有名で、その質素倹約の精神は江戸時代に大きな影響を与えました。今回は、そんな徳川吉宗の生涯と、彼
【徳川家重の生涯】9代目は何した人?まったり将軍ライフをサクッと解説!
徳川家重(とくがわ いえしげ)は、江戸幕府の9代目将軍として、徳川吉宗の跡を継いだ人物です。彼の将軍在職期間は、長かったものの、あまり華々しい功績がないため、一般的に知られている将軍とは少し異なります。しかし、彼の時代にも江戸幕府を支える重
【徳川家治の生涯】10代目は何をした人?才能を見抜くお任せ政治をサクッと解説!
徳川家治(とくがわ いえはる)は、江戸幕府の10代目将軍として約27年間の長い治世を担いました。家治の時代は、江戸幕府が安定期にあったため、大きな戦や混乱は少なかったと言えます。 しかし、その一方で家治自身は積極的に政治を動かすことはなく、
【徳川家斉の生涯】11代目は何をした人?幕府を揺るがす「子だくさん&贅沢」伝説をサクッと解説!
徳川家斉(とくがわ いえなり)は、江戸幕府の11代目将軍として在職期間が50年にも及び、江戸時代で最も長く将軍職を務めた人物です。彼の治世は、贅沢や華美な文化が栄えた「化政文化」と重なり、江戸幕府にさまざまな変化をもたらしました。今回は、そ
【徳川家慶の生涯】12代目は何をした人?サクッと解説!幕府を襲う時代の荒波
徳川家慶(とくがわ いえよし)は、江戸幕府の12代目将軍として、約30年にわたり幕府を率いた人物です。家慶の時代は、江戸幕府が変化する社会情勢に直面し、難しい局面を迎えていた時期でもありました。今回は、徳川家慶の生涯と彼が行ったことについて
【徳川家定の生涯】13代目将軍は何をした人?開国騒動に揺れる幕府をサクッと解説!
徳川家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府の13代目将軍で、幕府が幕末の動乱期を迎えている時代に将軍職に就いた人物です。病弱で人前に出ることを嫌った家定は「イモ公方」と呼ばれ、実際の政治は側近に任せることが多かったとされています。 そんな家
【徳川家茂の生涯】14代目将軍は何をした人?幕末の動乱と上洛奮闘記をサクッと解説!
徳川家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府の14代目将軍として、幕末の激動の時代に幕府を率いた人物です。家茂の時代は、幕府が国内外の多くの問題に直面していた時期であり、彼自身も若くして大きな決断を迫られることとなりました。今回は、徳川家茂の
【徳川慶喜の生涯】15代最後の将軍は何をした人?江戸城スルーのスマート決断をサクッと解説!
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府の15代目最後の将軍として、幕府の終焉を迎えた時代に重要な役割を果たした人物です。彼は、聡明で先見の明があり、激動の幕末において数々の難局に直面しました。今回は、徳川慶喜の生涯と、彼がどのような決断
先日昼メシに入ったお店の屋号が誘い水となって、今回の話題をなんと 「三八式歩兵銃」にした次第です。 臨機応変というべきか行き当たりばったりというべきか、そのへんのところはよく わからないのですが、まあ毎度のことでもありますので各位様におかれましては 今回も気持ちを強く持って...
天保十一年における江戸北町奉行所の分課・役職名を現代風に言い換えてみる
以前、「江戸幕府の役職名を現代風に言い換えてみる」という記事を書いたが、今回は天保十一年における北町奉行所の職員録をもとに、江戸町奉行所の分課・役職名を現代…
家康が菩提寺に定めた増上寺に、6人の歴代将軍が眠る【東京・港区】
徳川家康が徳川家菩提寺に定めた増上寺は、秀忠をはじめ6人の歴代将軍が眠る将軍家ゆかりのスポット。江戸時代の三解脱門や霊廟惣門などの建築物が残っており、かつての面影を感じさせます。
あまり楽しい話題ではないので、好みに合わないと感じた場合は、迷わず ちゃっちゃとスルーしちゃってください。 かく申す筆者自身もまた、そうした箇所ははハナからスルーすることにしています から、気兼ねはとんと無用に願います。 さて、今回取り上げる話題は「極刑」ということで、こん...
2024年07月27日休日の土曜日。暑い日が続いているので、早朝に散歩も兼ねて江戸城にやってきました。江戸城は日本で最大の巨大城郭でした。東京の中心部ということもあり、現在残っている遺構はだいぶ縮小されましたが、それでも圧巻の城郭を至る所で感じることができます。今日は竹橋方面へ内堀周りを散歩したいと思います。7時頃に東京駅に到着。東京駅前から江戸城に続く、片側4車線の永代通り。現在は日本の中枢なので、見上げるほどの高層ビルが立ち並びます。ここが江戸城のメインゲートとなる、大手門。巨大な櫓門が見えます。大手門から東皇居に入れますが、今日は早朝の為まだ開城していません。この大手門の石垣は改修の際に伊達政宗が担当したといわれています。江戸城の内堀。皇居ランでも使われる内堀周りは約5.5Km。九段下や、武道館方面...江戸城@東京都
ペリー代将率いるアメリカ海軍による、いわゆる「黒船来航」(1853年)から、それ以降「明治維新」に至るまでの期間(約15年)を、一般的に「幕末」(江戸幕府の末期)と呼んでいる。一口に言えば、「江戸幕府」の在り方を巡り、政治的にも社会的にも大きな混乱を生じた時期
何年も前のことですが、とある年配者との間でこんな言葉が話題になったことが ありました。 ~武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり~ そして、その時の筆者がこんな感想を漏らしたのを、なにがキッカケだったか、 最近ひょいと思い出したのです。 ~武士って、こりゃまた凄い覚悟を持って毎日...
大門の増上寺に行った後は浜松町の浜離宮恩賜庭園に移動。桜も見たいと思っていましたが、何よりも江戸時代の歴史に深く関わりがあるので、一度は行くべきスポットです。増上寺からはゆっくり歩いて25分ほどで、交通アクセスで直接行く場合は汐留駅が最寄駅。まさに都会のど真ん中。浜松町駅方面から大通りを道なりに歩くと、堀のような水路が現れます。美しく、遠くまで続く石積み。どう見ても近世城郭の水堀にしか見えません。そう!浜離宮恩賜庭園は江戸幕府によって造られた、大名庭園。6代将軍、徳川家宣によって将軍家の別邸、浜御殿として大改修。11代将軍、徳川家斉の時に現在の庭園が完成しています。綺麗な切込接の石垣。城郭でいう外堀にあたります。ちなみに庭園の規模は25万㎡、東京ドーム5個分という巨大な敷地面積を誇ります。石垣をよく観察す...浜離宮恩賜庭園
4月に入り、例年よりも遅く桜が咲き始めた今年。3月3日に姫路城に行って以来、忙しくて城や寺など巡ることが出来ない日々が1ヶ月以上続きました。花見も兼ねて、今回は浜離宮恩賜公園に行くことにしました。その前に、増上寺へ向かいます。増上寺は港区にある超有名なお寺。ドラマの撮影などでも度々使われています。安倍元首相の葬儀も増上寺で行われました。場所はJR浜松町駅か、都営大江戸線大門駅。駅前の大通りを歩くと増上寺の門が現れます。こちらが駅前続く道の先にある表門。鉄骨で復元されたもですが、実はここにあった増上寺の門は徳川家康から贈られた江戸城の門だったと言われています。元は現在の日比谷にあった増上寺ですが、慶長3年に江戸城拡張の際に現在の地に移動。その際に江戸城の門も移築したようです。復元とはいえ、立派な門です。一応...増上寺@東京都
最近はあまり見かけない風景になっていますが、かつては願い事を叶えるための 「御百度参り」をする人も少なくありませんでした。 ところが、現代では逆に、こんなお問い合わせが出ることもありそうです。 その「御百度参り」って、いったいなんのことですか? そこは気の効く筆者ですから、...
さてさて…今日は新紙幣発行の日だけれど…発行の日が区切りのイイ1日じゃなくって、3日なのは… 週明け(休み明け)初っ端の月曜日だと…不測の事態が起こってしまっ…
「黒船来航」(1853年)より45年も前のこと、オランダ国旗を掲げたイギリス軍艦「フェートン号」が長崎港へ侵入し、オランダ商館員を人質にとった上に、薪・水・食料を要求し、それを手に入れるや、まんまとトンズラを決め込むという、日本国の面目丸つぶれの事件が起こって
さて「旗本八万騎」という言葉は、一般的にはこのように説明されている。~徳川将軍家の旗本の数を称したもの。 旗本は、実際には五千を少し 上回る程度でであったが、御家人と陪臣を含めれば、約八万騎であった~ (三省堂・大辞林)この程度の説明なら、まあ大概の人に
自らが創業して以来、長きにわたってワンマン体制で臨んできた初代社長は、 二代目以降の後継社長について、こんな腹積りを持っていたようです。 ~弱肉強食の時代も終わってのだから、ワシのようなワンマン経営はもう必要が なくなった。 だからして、次代以降の社長たちは経営実務を...
【維新は続くよ、どこまでも】町内会費を国がネコババ?市民の積立金を公共事業に流用した明治政府。
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東洲斎写楽(生没年不詳)と名乗る謎の?絵師が突如出現(1794年)したのも、また伊能忠敬(1745-1818年)が初めて蝦夷地の測量(1800年)をしたのも、元号では「寛政年間」(元年~13年)、つまり、西暦でいえば1789年から1801年にまたがる期間の出来事だ。そして、実はその
江戸幕府の第三代将軍となった徳川家光(1604-1651年)の政治姿勢を眺めると、 少なからず「上から目線」であることに気が付きます。 家光の祖父である初代将軍・家康(1543-1616年)も、また父である二代将軍・ 秀忠(1579-1632年)も、かつては諸大名らと共に...
ある種の原則、あるいはい通過儀礼と言っていいのかもしれませんが、歴史には ~新権力者は必ず旧権力者を悪く言う~ こうした性癖が厳として存在しています。 いささかみみっちい感じがしないでもありませんが、そうすることによって、つまり 「悪者を成敗した・失脚させた」という理屈由...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
「外様」とは、本来、主家とは、緩い主従関係を持った、家臣を意味する。 江戸幕府での外様大名とは、関ケ原の戦い後、徳川家康に従った、豊臣家の大名である。 外様…
国民作家・司馬遼太郎(1923-1998年)による紀行文集『街道をゆく』は、 著者本人の逝去によって43冊目の「濃尾参州記」を最後に絶筆(未完)となりました。 それを読んだわけでもないのでよく知りませんが、タイトルはおそらく、 美濃国・尾張国・三河国を指しているのでしょう。...
Rise of the Ronin 12月14日予約開始オープンワールドアクションRPG「Rise of the Ronin」
幕末舞台オープンワールドアクションRPGゲームRise of the Ronin12月14日予約開始!Wo Longや仁王シリーズ等コーエーテクモゲームスの開発チームTeam NINJAが手掛けるゲームRise of the Ronin予約特典パッケージ版ダウンロード版予約情報と動画
ペリー代将率いるアメリカ海軍による、いわゆる「黒船来航」(1853年)から、それ以降「明治維新」に至るまでの期間(約15年)を、一般的には「幕末」(江戸幕府の末期)と呼ぶ。一口に言えば、「江戸幕府」の在り方を巡り政治的にも社会的にも大きな混乱を生じた時期だ。~
どうする家康で話題沸騰中の江戸幕府と徳川家康。この記事では江戸幕府の役職を覚え方を交えて小学生にもわかりやすく紹介します。幕府を知れば時代がわかる!あなたも奥深い歴史の世界へLet's go!
#486 第44回「徳川幕府誕生」感想~大河ドラマ『どうする家康』
関ヶ原の戦い後の徳川家康と茶々&秀頼の静かに進行していく対立を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第44回「徳川幕府誕生」(11月19日放映)家康と茶々の本心を…
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
〈中学受験〉享保・寛政・天保の改革をまとめてスッキリ覚える!
江戸時代の三大改革について、行なった人・行なった年・内容・成果を分かりやすくまとめた年表、語呂合わせでしっかり覚えられる!この頃に起きた三大飢きんとの関係も合わせて把握できます。
徳川政権が築いた『幕藩体制』と『鎖国』をしっかり学ぶと、江戸時代が長く続いた理由が分かってくる!頭に入りやすいよう、見やすい組織図や部分的年表を交えながらまとめてます。
最近では少数派になってしまったかもしれませんが、これまでのお買い物は、 「一万円札」(紙幣)とか「五百円玉」(硬貨)とかの、いわゆる「貨幣」を 使用することが普通でした。 えぇ、中には「いいや、ワシはとっくに“電子マネー”オンリーじゃ」と主張される方も おられるだろうことは...
武家統制を目的とした「武家諸法度」(元和令/1615年)は、徳川幕府初代将軍・徳川家康の命により二代将軍・秀忠がまとめ上げ、それ以降以下のように数度の改訂?が加えられている。〇寛永令(1635年) 三代・家光 →参勤交代/大船の建造禁止〇寛文令(1663年) 四代・家
国替(くにがえ)/所替(ところがえ)/転封(てんぽう)/移封(いほう)/ などなど、多彩な言い方があるようですが、要するにどれもが、 ~(主に)江戸時代、幕府が大名統制策として大名の領地を他に移し替えること~ を意味しています。 実際、史実としてもそうした「国替」は盛んに行...
どうも、クイズで知識も楽しくゲットしたくなるブログです。2023年は1603年に江戸幕府が開かれて420年という記念すべき年ですね。さて、ここでクイズです。江戸幕府では初代の徳川家康からはじまり合計で15人の将軍が誕生したことでも有名ですね。そのなかで1番長生きした人