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明治時代の仏教啓蒙家といわれる大内青巒居士が、次のような礼讃文を編んだという。(講師先づ合掌して曰く)人身受け難し、今已に受く、仏法聞き難し、今已に聞く、此の身今生に向つて度せずんば、更に何れの生に向つてか此身を度せん、大衆諸共に三宝に帰依したてまつるべし。『礼讃文』、大日本仏教青年会『仏教講話録』明治26年この次に三帰礼文などが続くのだが、今回見たいのは以上の一節である。なお、明治中期以降、この礼讃文は宗派を超えて、様々な研修会や講演会の場で講師によって読誦されたようである。それで、この一節の典拠なのだが、最初の数句はおそらく、大慧宗杲禅師の言葉であろう。人身得難し、仏法逢い難し、此の身不向今生に向かって度せずんば、更に何れの身に向かって此の身を度せん。『大慧書』巻30なお、別の文献では、「古徳云く」の...或る『礼讃文』について
今日の寺院は 正法寺【曹洞宗】を紹介します。 場所は千種区城山町にて、この高台の地域には末森城(※現:城山八幡宮)や寺院においても沢山あったりします。 今回の寺院は明治36年(1903)に創始
曹洞宗では、出家の儀式に当たる「出家得度式」において、3種類の御袈裟を授けることになっている。それは、「出家得度式作法」の中の「授坐具衣鉢」項目であり、その際に、坐具と五条衣・七条衣・九条衣と鉢盂を授けるのである。いわば、「比丘六物」の内の五物までを授けることを意味している。この辺は、曹洞宗の清規に多大なる影響を与えている中国雲門宗の長廬宗賾によって編まれた『禅苑清規』の影響もあるといえるだろうか?受戒の法は、応に三衣・鉢具并びに新浄の衣物を備うべし。新衣無きが如きは、浣染して浄めしめよ。入壇受戒は、衣鉢を借賃することを得ざれ。〈中略〉若し衣鉢を徣借すれば、登壇受戒すると雖も、竝びに得戒せず。『禅苑清規』巻一「受戒」項このように、非常に厳しく「三衣」の必要性を説くのである。それで、現状の得度作法であれば、...出家と三衣について
今日4月8日は、仏教を開いた釈尊の降誕会であるとされる。日本では、近代に入ってから「花祭り」などと呼ばれるようになったが、元々は「降誕会」「浴仏会」「灌仏会」などと呼称される法会であった。そこで、今日はその法会に因む説法を見ておきたい。仏誕生に拈香す。雨、雨を洗い、風、風を磨す。水緑花紅なり。釈迦老子、天を指し地を指して自ら言う、「天上天下唯我独尊」と。噫、然る従り、南瞻浮洲、荊棘生じ、諸人悩乱す。總持、雲門に令して行わせしめず。只だ一杓の悪水を驀頭に灑ぎ、諸人と報恩し去らんと要す。良久して曰く、稽首大聖、驢胎馬腹、馬腹驢胎。『通幻禅師語録』、『曹洞宗全書』「語録一」巻・71頁下段~72頁上段これは、通幻寂霊禅師(1322~1391)が總持寺に住持している間の上堂であろうか。この語録は、上堂の順番が、やや...今日は釈尊降誕会(令和7年度版)
以下の一節をご覧いただきたい。仏、衣鉢を制するの始め、其の事甚だ簡易なり。上根の大器、能く是に堪ふ、後の劣根不器の徒、時に異事を生じ、及び病縁の苦、行来の艱を憐れむに因りて、漸く六物、十三資具等、非時飲、或いは薬物、瓶、尺、如意、杖、払、巾、履等の開縁有り。又、菩薩の行来に十八物を具する等の縁有り。指月慧印禅師『不能語規律』巻上拙僧、おそらくではあるが、「十三資具」という用語をここで初めて見た。上記にも出ているが、比丘六物とか、菩薩十八種物とかは、以前から聞いていたが、「十三資具」は知らなかった。それで調べてみた。すると、義浄が訳した根本説一切有部系の律蔵や、『南海寄帰伝』などに見える語句だと理解した。また、「十三資具衣」(『根本説一切有部目得迦』)などの語句もあり、どうやら「法衣(袈裟)」で用いられるも...「十三資具」とは何か?
以前、【「招宝七郎大権修理菩薩」異聞】という記事でも、末尾で臨済宗・無著道忠禅師の御見解を引用したのだが、以下のように示されている。忠曰く、右手、額に加え、遠望の勢と為すの像、是れなり。大唐阿育王山の護法神なり。修利、或いは謬りて修理と作すは非なり。『禅林象器箋』巻19「大権修利菩薩」項以上のように、無著禅師は「大権修利菩薩」が正しいとしていて、「修理」を否定している。それでは、曹洞宗ではどのように記載されることが一般的なのだろうか?そこで、少しく資料などを渉猟してみた。すると、以下の結果となった。まず、毎朝曹洞宗の朝課、特に「仏殿諷経」での回向文は、以下のようになっている。上来、妙法蓮華経観世音菩薩普門品・大悲心陀羅尼・消災妙吉祥陀羅尼を諷誦す、集むる所の功徳は、大恩教主本師釈迦牟尼仏(現座道場本尊云々...「招宝七郎」は「大権修利菩薩」か?「大権修理菩薩」か?
ちょっと気になった文章があったため、この記事で見ておきたい。○招宝七郎大権修理菩薩は元阿育王経に出たり、阿育王の弟にて阿育八万の塔を諸州に置これを遥拝する形也(舎利を守護する神也其実は帝釈なりと云々)此神の事捜神記にも出たり其外禅家の書に見ゆ招宝山は大明一統志にあり大権修理菩薩の諡号は梁書に出ると天野信景『塩尻』巻46以上の文章は、尾張藩士・天野信景(1663~1733)の随筆『塩尻』から引いたものである。そして、紹介されているのは、曹洞宗寺院の多くで伽藍神として祀られているであろう招宝七郎大権修理菩薩のことである。ただし、色々と気になることがある。例えば、『阿育王経』という経典だが、これは『大正蔵』巻50にも入っている同経か『阿育王伝』を指すのだとは思うが、詳細は不明である。なお、拙僧はこの一節を、大内...「招宝七郎大権修理菩薩」異聞
現在、2講座承っている『正法眼蔵』勉強会の内、1つでは「行持(上)」巻を読んでいる。その中で、以下のような一節が見られた。光陰なにとしてかわが功夫をぬすむ。一日をぬすむのみにあらず、多劫の功徳をぬすむ。『正法眼蔵』「行持(上)」巻そもそも、この一節は、古聖・先賢と称される古来の優れた者達が、自らの時間を惜しんでなすべきことをなしていたと評した文章に続くものとなっている。そして、道元禅師は光陰(時間)が、我々から功夫(修行)を盗むとしている。更に、ただ1日のみでは無く、無限の時間に得たはずの功徳までも盗まれるという。そう考えると、この盗むとは、仏道の成就に直結しない、無駄な人生を過ごしていることを批判した教えだといえる。ただし、本当に時間が我々から修行や功徳を盗むのだろうか?むしろ、仏道の成就を目指していな...何が自分の修行の功徳を奪うのか?
今日は千種区にある 善篤寺【曹洞宗】の紹介です。 場所は千種区城山町にて、以前に紹介した相応寺の隣にあります。 この寺の創建当初は岐阜県竹ヶ鼻村にあったそうで、その後に清州へ移るも更に後
今日から4月である。世間的には新年度となり、新たな気持ちで新たな環境に行く人もいれば、不安に感じている人もいると思う。居場所の不安を感じている人は、以下の記事などを読んでいただけると良いのでは無かろうか。・4月1日から居場所を失ってしまう方へ(Yahoo!ニュース)それにしても、今日は、多くの商品が値上げされたり、多分大変なのだが、年度最初から暗い話ばかりしていてもシャクに障るだけだから、とりあえず仏教の記事を採り上げていきたい。今日は、道元禅師が、曹洞宗と梅の華の関わりについて述べた文章があるため、見ていきたいと思う。吾宗に梅を本とすること、別なる事なし。六祖の在処は梅の道地なり、仏法もこの地より繁昌す。一花五葉にわかつなり、梅花も又五葉なり。夫五葉といふは、曹洞、臨済、雲門、潙仰、法眼なり。たとへば、...日本曹洞宗と梅の華(4月1日版)
為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは、己が為さぬなりけり。
一心欲見仏(いっしんよっけんぶつ)、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)、自我及衆僧(じがぎゅうしゅそう)、倶出霊鷲山(ぐしゅつりょうじゅせん) (妙法蓮華経如来寿量品偈、みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんげ) ただ一心に、仏を見たいと願い、真実を見定めたいと強く念じながら、心を一つにして、集中して、没頭して、仏の道をひたすらに信じ切る事。 そのような心で、身命を惜しまず、捧げ尽くす気...
このような記事があった。・Z世代に人気「ジェネリック〇〇」海外では…「デュープ」「平替(ピンティー)」(BSS山陰放送)従来は「医薬品」とか「家電」の世界などで、特許が切れて同じ内容の商品が安価に供給される様子を「ジェネリック医薬品」とか「ジェネリック家電」とか呼ばれていたが、Z世代ではもう少し幅広く、軽い感じで「ジェネリック」が使われているという報道なのだと思う。詳細は上記記事をご覧いただければと思う。ところで、かの「ラーメン二郎」などを見てみると、二郎本店及びのれん分けでは無い店の類似商品が「インスパイア系」とか呼ばれるが、更にコンビニでのチルド商品については「ジェネリック」と呼ばれるらしい(「ジェネリック二郎」人気ランキングTOP3!第1位は「中華蕎麦とみ田監修三代目豚ラーメン」【2021年投票結果...なんとなく「ジェネリック仏教」
今日から、今年度の春の彼岸会である。「彼岸会」の起源や展開の一端については、【彼岸会―つらつら日暮らしWiki】をご覧いただければ幸いである。さて、この期間に関連して、今回は上記タイトルの通り、龍樹菩薩造『大智度論』から、「彼岸」に関する語句を学んでいきたいと思っている。なお、龍樹菩薩と「彼岸会」と言えば、『龍樹菩薩天正験記』という謎の文書が存在しており、『和漢三才図会』(1712年成立)で参照されるなどして大いに広まってしまったのだが、偽書である。今回は同書では無く、『大智度論』巻12「釈初品中檀波羅蜜法施之余」を見ていくため、いわゆる布施行と彼岸の関係について学ぶことになると思う。問うて曰く、「云何が檀波羅蜜の満と名づくや」。答えて曰く、「檀の義、上に説くが如し。波羅(秦に彼岸と言う)蜜(秦に到と言う...『大智度論』と「彼岸」について(1)
そろそろ夏安居の結制も近いので、ちょっと記事にしてみたい。比丘仏子受歳するは、夏安居なるのみ。年年に必ず三宝に白して、夏安居を結ぶ。其の白夏法とは曰く、大徳一心に念じて、我れ比丘〈又、仏子と云う〉某甲、今、某〈伽藍・聚落〉に依り、前三月安居す、房舎の破れを修治するが故に〈三説す〉、所対告げて言わく、放逸なること莫れを知れ、答えて言わく、受持す。所対問うて言わく、誰の持律に依るものか。答えて言わく、某甲律師による〈若し法に依らば、何等聖教と云う〉、所対告げて言わく、疑有らば当に往問すべし〈若し法に依らば、疑有らば応当に披覧して決すべしと云う〉、答えて言わく、頂戴受持すべし。瞎道本光禅師『対大己五夏闍梨法求寂参』この一節だが、一応の典拠は南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上四「安居策修篇第十一」などのようだが...「白夏法」について
とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。師一日、或曹洞宗の寺に至る、住持雑談の次で曰、某し幼少より乍立小用せず、炉に唾を不吐、師聞曰、其様な事にても無ては、出家冥加も有、早く一寺にも住し、人にも知る事有べからず、是上ながら、道心冥加の有様に成申度、亦曰、小僧共に能教ゑたるが能也、必ず乍立小用させめさるるな、出家侍の立小用、見苦敷物也、炉に唾を吐せめさるるな、食物をも炙り、其上香炉の火をも取物也、総じて曹洞宗は、をつつかみにて律儀なし、誠の道心社無とも、行規計りなりとも正くすべし、責て是程の事也とも無んば、人間に生を得たる甲斐なし、皆恥かきに出たり、咦、我も七十年、恥をかき来れりと也、鈴木正三道人『驢鞍橋』巻上・61則、カナをかなにするなど見易く改める鈴木正三道人が、曹洞宗の律儀に関する発言をした貴重な箇所...近世洞門僧の持律意識について
江戸時代には、仏教寺院の僧侶が、葬祭をほぼ独占していったようなところがあるけれども、当然に廃仏毀釈が起きた明治時代に入ると、その状況が変わった。そのために、次のような法令が出されるに至った。○葬儀神官僧侶の内へ相頼むべきの事(第百五十八・第百九十八見合○第十五巻の第七十六見合)第二百九壬申六月廿八日第百九十二号御布告近来、自葬取り行う候者も之有る哉に聞き候処、向後は相成らざる候條、葬儀は神官僧侶の内江相頼むべき候事。明法寮編『憲法類編』巻14(村上勘兵衛・明治5年)82丁表・カナをかなにし訓読すまずは、この一節をご覧いただきたい。これは太政官布告である。そして、批判されているのは「自葬」である。神官や僧侶などを頼まずに、自分で勝手に葬儀を行うことを意味していよう。江戸時代までの状況から解放されて、庶民は坊...葬祭執行の権利は誰にあるのか?
一人の人が、ほんの一時でも坐禅をする無限の功徳は、全宇宙の諸仏が共に力を合わせても、推し量る事はできない。
それ、修証(しゅしょう)はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道(げどう)の見(けん)なり。 仏法(ぶっぽう)には、修証(しゅしょう)これ一等(いっとう)なり。 いまも証上(しょうじょう)の修(しゅ)なるゆゑに、初心(しょしん)の辨道(べんどう)すなはち本証(ほんしょう)の全体(ぜんたい)なり。 かるがゆゑに、修行(しゅぎょう)の用心(ようじん)をさづくるにも、修(しゅ)のほかに証(しょう)をまつ...
昨日から、『正法眼蔵』勉強会は、「仏教」巻に入った。そこで、最初から読んでいくと、こういった一節が見られる。このゆえに、朝に成道して夕に涅槃する諸仏、いまだ功徳かけたり、といはず。「仏教」巻この一節について、江戸時代の学僧・瞎道本光禅師が以下のように註釈している。須扇多仏、朝に成道して夕べに涅槃し、化仏の住世甚大に長りき。大智度論に証するが如し、後に当に附録すべし。『正法眼蔵却退一字参』「仏教」篇つまり、瞎道禅師は『大智度論』に見られる「須扇多仏」に因む話だと断定されたのである。典拠は、以下の通りである。亦た須扇多仏の如し、弟子本行未熟なり、便ち捨てて涅槃に入り、化仏として一劫留まりて以て衆生を度す。『大智度論』巻7つまり、須扇多仏は弟子が未熟だったため、涅槃に入った後で「化仏」という存在となって長く衆生...朝に成道して夕に涅槃する話
今日は、3月10日である。昨日まで、日付に従った記事を書いていたのだが、今日も懲りずに語呂合わせ的記事を書いてみたい。主として大乗仏教で広く用いられる「三世十方」という言葉がある。意味としては、過去・現在・未来の三世、そして、上下・八方を総じて十方となる語句を組み合わせ、あらゆる時間・空間を意味する言葉である。この言葉が用いられる背景としては、結局は存在する全ての事象に、特定の「法」が適用されることを示すものである。例えば、こういう一文だと理解しやすいのでは無かろうか。請仏といふは、請釈迦牟尼仏のみにあらず、請無量無尽三世十方一切諸仏なり。請諸仏の数にあづかる、無諱不諱の親曾見仏なり。『正法眼蔵』「見仏」巻この「請仏」とは、以下の一節を承けたものである。賓頭盧尊者、阿育王宮の大会に赴いて斎す。王、行香の次...「三世十方」の話(令和7年版)
■『雪の永平寺』凛とした雰囲気 曹洞宗の厳しい修行の場を体感(福井県永平寺町)
目次 1 どうしても観たかった『雪の永平寺』 2 駅前からスタッドレスタイヤを履いたカーシェアで 3 願いが叶う『傘松閣』の花鳥風月の天井画 4 凛とした張り詰めた修行の場『雪の永平寺』 5 『山門』には『四天王』が配置され睨みを効かす 1 どうしても
3月9日は、語呂合わせで「サンキューの日」、転じて「ありがとうの日」である。「ありがたい」という気持ちがあれば、自ずとそれは、我々にとって或る対象へ貴重な想いを抱かせ、感謝や尊敬の念を生むものである。ところで、同じ語呂合わせといえば、「参究」だってそうである。「参究」とは、以下のような意味である。参究とは、即ち此の一箇の話頭に参ずるなり。話頭に参ずるに、外に疑情を起こさず。所謂、小疑小悟・大疑大悟・不疑不悟なり。疑は、即ち参なり。『百丈清規証義記』巻8まぁ、だいたいこんな感じ。参究とは、疑悟一如の処に於いて行われる修行であり、一箇の話頭(公案)に対して、疑悟一体となって取り組むのである。疑悟一体とは、疑問だけを先に置くのではなく、自らをまず仏道に置いて(よって、熱心な坐禅が必要である)、その中で、疑悟が一...3月9日は「ありがとうの日」もとい「参究の日」
鶴見駅に戻った後は、駅の西側にある曹洞宗の大本山・総持寺に寄りました。 曹洞宗は中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の一つで、洞山良价(807年 - 869年)によって創宗されました。日本では、禅宗の一つであるとともに、鎌倉仏教の一つとして位置付けられています...
間違いなく、勉強不足の拙僧が悪いのだが、まだ学生の頃、或る数字を見て大いに迷乱を深めたことがあった。例えば、以下のような文脈に見える数字である。監寺に謝する上堂。已に両年三七月を鼻するに、算じ来りて六百有余日なり。許多か労謝に叉手せん。更に蒲団を把るの功失せず。這箇は是れ、現前の大衆、相い謝せん。且く道え、仏祖、他に謝する、又た作麼生か道わん。良久して、払子を以て禅牀の右辺を撃つこと一下して云く、仏祖、各各、先監寺に謝し了れり。『永平広録』巻2-137上堂問題は、この「両年三七月」という記述である。ここで「三七」と出ているのだが、学生の頃の拙僧は、現代的な縦書きの感覚があったためだろう、これを「37ヶ月」だと当初理解した。そうなると、丸3年を超えるわけであるが、ずいぶん永く、監寺を務めた人もおられたものだ...「三七」という数字に勘違いした日々
自分に与えられた仕事は、今、できる時に、精一杯の力で取り組む。それが禅の教えであり、仏の生き方。
他不是吾、更待何時。 他(た)は是(こ)れ吾(わ)れにあらず、更(さら)に何(いず)れの時(とき)にか待(ま)たん。 (典座教訓、てんぞきょうくん 道元禅師) これは、道元禅師様が、禅の本場である宋(中国)に渡り、修行生活を送られていた頃のお話しです。 それは、ある夏の暑い日の事でした。 道元禅師様が昼食を終えられ、自分の部屋に戻ろうと、廊下を歩いていました。 すると、仏殿(仏像を安置している建物...
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。当寺は、二位殿・右大臣殿の御菩提の為にし奉り、御建立候の上、始めて布薩説戒を行ぜられ候〈天〉、廻向し奉らるべき候の由、謹んで承り候し了んぬ。折節、在国し候は、勤仕せしむるべき候。且く、六波羅殿の御書、畏くも拝見し候し了んぬ。早く、寺庫に納むべき候。今月十五日、布薩説戒し、既に勤仕せしめ候し了んぬ。恐惶謹言。十月廿日道玄「贈波多野義重書状」、『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻・268頁下段~269頁上段、訓読は拙僧上記書状だが、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の編集に係る『訂補建撕記』にのみ収められているもので、その経緯などについて、面山禅師自身は以下のように述べている。○檀那義重への返書の艸、一通文言左の如し、〈先の書状原文〉右の祖筆、現今永平寺の室中にあり、年号見へず、...永平寺開創の意義と布薩説戒について
たった一人の少しの坐禅でも、その行いの功徳、因縁は、 全世界、全空間へ伝播し、それが人類を救う事になる。
仏道(ぶつどう)をならふといふは、自己(じこ)をならふなり。 自己(じこ)をならふといふは、自己(じこ)をわするるなり。 自己(じこ)をわするるといふは、万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるなり。 万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるといふは、自己(じこ)の身心(しんじん)および他己(たこ)の身心(しんじん)をして脱落(だつらく)せしむるなり。(正法眼蔵、しょうぼうげんぞう 現成公案、げんじょ...
今日は五節句の一、上巳の節句である。世間的には「桃の節句」と呼ばれることが多いであろう。なお、「上巳(読み方は「じょうし」が一般的だと思うが、「じょうみ」と呼ぶ場合もある)」というのは、三月上旬の「巳の日」に、元々節句が行われていたため、そう呼称された。だが、既に古代の中国で、現代同様に「3月3日」に行われるようになったという。関連して、以下の一節も参照しておきたい。〔◎三月〕▲三日上巳御祝儀今日を重三と云、又上巳と云、上は初といふ意也、いにしへは三月初の巳の日を上巳とす、三月は辰の月なれば巳を除日とす、不祥を除くこゝろ也、〔宋書〕魏より後、但三月三日を用ひて復巳を用ひず。享保20年『江府年行事』、三田村鳶魚編『江戸年中行事』(中公文庫)38頁ここを引用しておけば、先の拙僧の説明は不要だったようだ・・・つ...今日は上巳の節句(令和7年版)
とりあえず、七日間の加行を伴い行われるはずの「伝戒式・伝法式」について、非常に簡略化された儀礼が存在することを指摘しておきたい。それは、或る意味で以前からよく知られている切紙の『山居伝授儀規』を見ておきたい。なお、「山居」であるが、今一つ分からないところもあるけれども、中世の頃、参禅問答を中心とした参究が終わった者に対して、師が私的に与えたものであったようである。○山居伝授儀規一七日間、三時に巡堂し、専精に道心の堅固ならんことを祈祷す。第七日午後、道場を荘厳し、室内に椅を設け、法被之を覆う。椅の後の壁上に高く両鏡を懸く。椅の前に一卓を設け、卓前に師資の拝席を展ぶ。卓上に華瓶・香炉・燭台・洒水器・松燭〈三把〉・衣鉢・血脈嗣書等を置く。瓶に松枝を挿み、洒水枝の松枝なり。当晩の昏鐘鳴の後、師、資を引いて道場に入...『山居伝授儀規』切紙に見る儀礼の簡便性
今日は3月1日である。拙ブログでは、この日に合わせて「閉炉の説法」などを紹介しているが、それは【ブログ内検索:閉炉】で、過去の記事をご覧いただければ良いと思う。そこで今日の記事だが、日付に因んで採り上げておきたい。三月旦の上堂。大衆を召して云く、時有りて常に人を催す、人豈に虚しく時を度らんや。或いは水中に亡躯たり、或いは火裡に失命す。刃刀で腸を割り、箭鋒骨を透る、病患は老少を択ばず、閻王寧ろ貴賤を問う。剛質微繊の罪犯、供に以て鉄牀洋銅となる。宿生善種に依りて箇の人身を得る、般若の良因に答えて祖師の門下に投ず。今日若し空しく過さば、幾劫に又た相逢せん。寒気已に去るも、熱時未だ来たらず。弁道の時最も宜し、空しく光陰を度ること莫れ。『義雲和尚語録』上記一節は、大本山永平寺5世・義雲禅師(1253~1333)の語...今日は3月1日の説法を学ぶ(令和7年版)
物の大切さ 101回目の記事は私の初めての法話を書き記したいと思います。 永平寺では2月ごろに「法話発表会」がございます。 各寮舎で一人づつ選出され、役僚(指導者)、修行僧の前で10分間法話をします。 この話があったとき「これはやるしかない!!」と率先して立候補をしま、、、 してないです じゃんけんで負けて法話をすることになりました笑 今思えば、結果としてよい経験ができたなと思います。 といことで法話をつくるわけですが、今まで作ったこともないし、学生の頃の作文や読書感想文も苦手だったので法話となったらもう何から始めればいいのかさっぱり ということで法話に関する本を購入し真似すればいいかなと思っ…
小学生の頃、鼻づまりで何度も鼻をかんでたとき 母に「鼻水は脳が溶けてるんだよ」と言われて その後なんか簡単な算数の問題出されたときに全く答えがわからなかった時がありました。 それからちょっと怖くなって鼻をかむのを我慢していた思い出があります。 ただ実際のところ鼻をかんで脳が溶けるなんてことはありません 小学生の頃の私は 脳が溶けて頭が悪くなったという思い込みからそういう症状がでてしまったのではと今では思います。 これならまだ可愛い方ですが これから学生、社会人になって知らないことを教えられたときに 先輩の話、周りの人の話を鵜呑みにしすぎてしまうと危ないということに気づいてほしいです。 放てば手…
今日2月25日は、菅原道真公のご命日とされ、各地の天満宮などでは御祭が行われるかと思われる。多くの受験生にとっては、いわゆる学問の神様として、信仰を集めていることだろう。そこで、拙僧なりに天神さまと曹洞宗との関係を述べておかねばならないと思っているのだが、今年は江戸期に加賀大乘寺の住持であった卍山道白禅師(1636~1715)の偈頌を紹介したい。大明方蘭坡菅神の渡宋して伝衣する像を画き、並びに賛有り。紫陽しかも生けるに斉しく、筆を援けた臨摹の精彩を加うる有り。老衲随喜して蘭坡の韻を次がん。妙手臨摹の筆に神有り。一番の拈出一番新たなり。無相福田相を知らんと欲せば、道うこと莫れ、梅を画いて春を画かず、と。『卍山広録』巻21、『曹洞宗全書』「語録二」237頁さて、この、「蘭坡」が描いたという、菅神(菅原道真公)...今日は天神・菅原道真公のご命日(令和7年版)
【縁起】祝!100記事!! 読者へ感謝 これからも縁を大切に!
まず初めに私のブログを読んでくださり誠にありがとうございます。 そして22人の読者様、いつも見てくださりありがとうございます 皆様のおかげで100記事まで書くモチベーションにもなりました。 毎日のアクセス数平均は10件ほどとあまり閲覧されてはいませんが、少しでも皆様の目にとまり、仏教を伝えることができればと思います。 縁起 「因縁生起」の略で、物事には原因があり、そこに縁が作用して結果が起きる という意味を持ちます。 出会い1つにしても数え切れないほどの縁が生じて、あらゆる出来事が成り立っております。 さらに言うならば、そのうちの1つが欠けていれば結果はまた違ったものになります。 最悪の場合、…
いつも思うのだが、やはりその美しさが禅僧の心も捉えたようで、「富士山」を題材として偈頌を詠んだ僧は少なくない。曹洞宗の高祖・道元禅師は、宝治元~2年にかけて鎌倉に行化されたため、その往来中などに富士山をご覧になったと思うのだが、残念ながら『永平広録』『道元禅師和歌集(傘松道詠)』などには見えない。江戸時代に入ると、幕府による政治も安定し、徐々に人の往来が盛んとなり、僧侶も全国への行脚が可能になったようで、「富士山」について論じる場合も珍しくなくなる。そこで、江戸前期の曹洞宗の学僧、独菴玄光禅師(1630~1698)が「富士山高」という偈頌を詠まれた。ただ、その詩は難しいので、詩に付けられた「序」を見てみたい。当時の富士山がどういう位置付けだったか分かると思う。富士山は日本国の高山なり。春・秋・冬は登るべか...「富士山」を語る禅僧(1)
愛語こそ、財が無くとも誰もができる布施であり、縁ある人々、周囲の人々を幸せにして、 自分も幸せになる方法。
愛語(あいご)というは、衆生(しゅじょう)を見(み)るに、先(ま)ず慈愛(じあい)の心(こころ)を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)を施(ほどこ)すなり。 慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)の懐(おも)いを貯(たくわ)えて、言語(ごんご)するは愛語(あいご)なり。 徳(とく)あるは讃(ほむ)むべし、徳(とく)なきは憐(あわれ)むべし。 (修証義 道元禅師) このお...
今日は猫の日である。2月22日は、「2」を「ニャー」とし、猫の鳴き声に聞こえることから、語呂合わせで「猫の日」としている。その中で、猫に関する説法を見出したので、学んでみたい。二三子に示して曰く、遠州正宗寺逆翁派の寺なり。近く、住持本芸和尚、一日昼臥す。手飼の猫児、障子を隔てて人語を作す。主の名を喚ぶこと一両回す。芸、密かに知りて之を殺して棄つ。猫、再び活き来たりて、怨みを訟うるの因縁有り。所以に芸老在住の間、外に宿せず。本山聚会等、之の鳴くは止む。八幡西明寺住持牛薰和尚の寺家に猫有り。夜、林野に出でて、音曲に舞踏す。之を視る者、竊かに告ぐ。薰老、猫に語る。猫、忽ちに奔逸して、竟に回らず。駿州金谷村大覚寺の寺家の猫児、或る時、山に在りて舞踏す。寺に小僧有り、仏花を覓めて之を視る。舞休み曲終わりて、主猫、同...2月22日「猫の日」の猫説法
以下の記事が公開されていた。・「外国人との共存無理」京都のお寺が怒りの投稿“観光公害”のリアルとは?モラルやマナー直すハードルは(ABEMATIMES)詳細は上記記事を見ていただければと思うが、宗教都市として世界遺産にも登録されている京都市であるが、同市内にある仏教寺院の関係者が、いわゆる観光公害、或いはオーバーツーリズムについての問題提起を行っていることが話題となっているそうだ。拙寺のように、全く観光とは縁が無い「持たざる寺」の関係者からすると、或る意味で「贅沢な悩み」のような気がするが、深刻なのだろう。心よりお見舞い申し上げる。それで、そもそも寺院と観光という話になると、修行寺という性格を持つお寺も日本にはあって、「拝観謝絶」などと明言している場合もある。曹洞宗の場合、例えば両大本山ともに修行道場(宗...京都の寺院に於ける観光公害問題について
とりあえず、こちらの記事があった。・生臭坊主と言わないで。お寺の多角経営が進んでいる(ASCIISTARTUP)それで、寺院も経営面を思うと、収入の多角化が必要だという話で、それに取り組んでいる事例を紹介した記事なのだが、気になるのは冒頭の一節で、「御朱印ブームが落ち着いた昨今」とあることだろう。これは、実はこの通りであると思う。例えば、以下の記事はどうか。・あんなにハマっていたのに…「御朱印集め」ブームから去った人たち「コラボ御朱印はありがたみが減る」「見返しても思い出が蘇らない」(マネーポストWEB)ちょっとこの記事の書き方は、ブームが去るときに、敢えて対象を叩き気味に論じるような論調なので、それは割り引いて考える必要もあるけれども、御朱印のブームは去ったと思う。なお、御朱印のブームには功罪があって、...ASCIIの寺院経営に関する記事
以下の一節をご覧いただきたい。二月十五日第一人事行礼(解制人事)暁天坐禅、祝祷諷経、朝課諷経、鎮守諷経、課罷小参終わって、人事行礼を行う。『昭和修訂曹洞宗行持軌範』113頁一般的に、2月15日は釈尊涅槃会のイメージが強いが、同日、冬安居の解制でもある。いわば「解冬」である。これについて、例えば、以下の一節はどうか。今、叢林の結夏、四月望を以てし、解夏、七月望を以てす。此の三月を安居と為す。又た結冬、十月望を以てし、解冬、正月望を以てす。此の三月を以て専ら禅那を務む。『百丈清規証義記』巻8「節臘章第八」これは、『勅修百丈清規』に対して、中国清代に成立した註釈書だが、以上の通り、「結冬・解冬」について論じている。なお、良く見てみると、冬安居については、「専ら禅那を務む」とあって、坐禅を専一に修行する様子である...そういえば「解冬」でもあった
食事の偏りが多くある人程、偏った心身が形成され、心身の不健康、不調、ひいては病気を招く。
五観の偈(ごかんのげ) 一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二(ふた)つには己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全欠(ぜっけつ)を計(はか)って供(く)に応(おう)ず。 三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るるは貧等(とんとう)を宗(しゅう)とす。 四(よ)つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とする...
2月15日は釈尊が入滅された日となり、所謂「釈尊涅槃会」とされるが、そういえば、その後はどうなったのか?という話をしてみたい。釈尊は、入滅される前に、ご自身の喪儀法についても指示を出され、いわゆる「火葬」と「卒塔婆の建立」を命じている。ただ、それは結構な時間をかけて行われたようなのである。それで、釈尊の入滅時を画いた経典同士で少しずつ内容は異なっているのだが、『長阿含経』に入っている『遊行経』を見てみると、末羅族という人達が供養することとなり、具体的な方法を、釈尊の遺言を聞いていた阿難(アーナンダ)尊者から説明を受けた。そこで、「火葬」の方法に関する説明とは、以下の通りであった。先ず以て香湯もて洗浴し、新たなる劫貝を用って周匝して身に纏わせよ、五百張疊を以て次に之を纏わせるが如し。身を金棺の内にし、灌以麻...釈尊が般涅槃された後の話
カイン、気づいたか?椅子の足が黒のルーズソックス履いてるだろ。今までは高さ2㎝ほどのゴムキャップを履かせフェルトを貼ってたんだけど、100均にあるよと聞いたんで買ってみた。4つ入って110円、4脚分で440円。嵌めるだけだから簡単だし滑り止めまで付いている。にしても物価高騰と喧しいなかでのこの値段、安すぎはしないか。材料代、人件費、輸送費・・・う~ん、日本の物流がよくわからん。安いのはありがたいが見た目が気に...
今日2月15日は、三仏忌の一、釈尊涅槃会である。つまり、仏教の開祖である釈迦牟尼仏が入滅された日である。この日は、釈尊の般涅槃の意義を探りながら、後孫として必要な学びを重ねていきたいと思う。今日は、この一節を学んでいきたい。浄法界の身、本と出没無し。大悲の願力、去来を示現す。仰いで照鑑を願い、俯して真慈を請う。南閻浮提大日本国北陸道国庄山寺開闢〈某甲等〉今月十五日、恭しく本師釈迦如来大和尚入般涅槃の辰に遇う。謹んで香華灯明の微供を弁備し、以て最後の慇懃の供養を伸ぶ。恭しく現前の一衆を集め、秘密神咒を諷誦す、集むる所の殊勲は、上み慈蔭に酬いん者なり。右、伏して以れば、常在霊山の微月、幽光遠く輝き。泥洹双樹の残花、余薫尚お郁る。涅槃常楽の接化、今時なる迄も、無為実相の徳用、来際を被う。是を以て上乗一心の法供養...今日は釈尊涅槃会(令和7年版)
明日2月15日は釈尊涅槃会である。端的に、釈迦牟尼仏が入滅された日である。古来から、この日は三仏忌の一として、禅宗では法要を行っている。具体的には、以下のような流れである。二月十五日、涅槃会なり。力に随って供具を弁ず。兼日、衆中の大小、山中の諸人、各おの七文銭を出して、涅槃仏を供養し、机上にこれを点ず。庫下よりこれを勤めて、供具を調う。是れ永平の旧儀なり。供具弁備の後、上堂、例の如し。但だ拈香して云く(以下、疏が続く)……宣疏罷、啓唱諷経、常の如し。主人、坐具を収めて、起立し行道す。又た諷経了ずる時、焼香し礼三拝なり。維那、回向に云く、上来、楞厳秘密神咒を諷誦し、供養する功徳は、今月入般涅槃・本師釈迦牟尼如来大和尚、以て法乳の恩に酬いんものなり。『瑩山清規』「年中行事」なお、「疏」については、明日の記事で...明日は釈尊涅槃会(令和7年版)
洞門学僧による或る法語で、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を用いた例があったため、学んでみたい。凡仏道を修行するには、持戒を第一の根本とするなり、戒を持つときは、おのづから心が清浄になるゆゑ、禅定も智慧も、自然とこの内より出るゆゑ、持戒と礎となし、禅定を屋宅となして、よく智慧の造作をなすと、梵網経にも仰せられ、又遺教経にも、わが涅槃の後は、まさに戒法を尊重とたふとみ、珍敬とうやまひ奉るべし、たとへば暗夜に松炬挑灯をもつがごとく、又貧しきものの、財宝を得るがごとし、此ゆゑに戒法さへあれば、末世の大導師といふものにて、如来の世にましますと同じ事なり、寂室堅光禅師『菩薩戒童蒙談抄』ということで、江戸時代末期の学僧・寂室堅光禅師(1753~1830)の教えを見ていきたい。これは、曹洞宗で相伝してきた仏祖正伝菩薩...曹洞宗に於ける『遺教経』の学び(3)
さて、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』は、全部で「七分」から成立しているとされる(岩波文庫本「解題」参照)。一、序分二、世間の功徳を修習する分(一、邪業を誡む。二、根心を誡制す。三、多衆を誡む。四、睡眠を誡む。五、瞋恚を誡む。六、貢高を誡む。七、諂曲を誡む)三、出世間大人の功徳を成就する分(一、少欲功徳。二、知足功徳。三、遠離功徳。四、精進功徳。五、不忘念功徳。六、禅定功徳。七、智慧功徳。八、究竟功徳)※八大人覚四、畢竟甚深の功徳を顕示する分五、入証決定を顕示する分六、未入上上証を分別するため疑を断ずる分七、種種の自性を離るる清浄無我の分我々はどうしても、『正法眼蔵』「八大人覚」巻の影響で、ここでいう「三」が気になるが、他の部分も重要である。例えば、次のような一節はどうだろうか。汝等比丘、憂悩を懐くこと...『仏垂般涅槃略説教誡経』に学ぶ(3)
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光陰(こういん)は矢(や)よりも迅(すみや)かなり、 身命(しんめい)は露(つゆ)よりも脆(もろ)し 何(いず)れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか、過(す)ぎにし一日(いちにち)を復(ふたた)び還(かえ)し得(え)たる (修証義 道元禅師) 「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」という言葉もありますが、これは、光陰(月日)が過ぎ去る事は、まるで飛ぶ矢のように、あっと言う間で速い、という意味...
以前に、道元禅師の伝記を書いた時、結局古伝(14世紀までに成立した伝記群)に見付からなかったため採り上げなかった記事に、以下の一節がある。・(建長)四年夏、遺教経を講ず、黒白駢擁して聴き聳ゆ。『永平開山道元和尚行録』・四年壬子師、五十三歳○夏、遺教経を講ず、緇白雜襲す○師、預め前途促逼するを知りて、是の経を講ず。蓋し、如来最後の垂範を擬すなり。正法眼蔵大人覚巻、茲に萌ず。『永平仏法道元禅師紀年録』上記記事で、道元禅師は御入滅される前年の夏に、『遺教経』を講義したというのである。その結果、出家・在家が多く集まってきたという。また、上記の講義が行われた理由として、『紀年録』では前途(ご自身の寿命)が「促逼(追い詰められる)」していることを知って、『遺教経』を講義したという。つまり、釈尊が涅槃を前にして垂誡した...曹洞宗に於ける『遺教経』の学び(2)
坐禅の実施こそが、この宇宙に自分自身の全てを捧げ尽くす、最高、最上の善行。
大凡(おおよそ)因果(いんが)の道理(どうり)、歴然(れきねん)として私(わたくし)なし 造悪(ぞうあく)の者(もの)は堕(お)ち、修善(しゅぜん)の者(もの)は陞(のぼ)る 毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり (修証義 道元禅師) 「修証義」とは、曹洞宗の開祖、道元禅師様が、宋(中国)での修行を終えられ、日本に帰国してから晩年までの約20年間を費やして書き残された、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう...