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現在、当方でも使っている「檀信徒喪儀法」の回向文で、特に「山頭念誦」のそれの一番最後は、以下のようになっている。雲程に奉送し、聖衆を和南す。今回の記事で問題にしたいのは、この「聖衆を和南す」の部分である。「和南」というのは、尊敬する対象に対して、その想いを表す「帰依の礼拝」の意を持つ語である。よって、この場合には「聖なる者達に帰依の礼拝をします」ということになる。ところで、こういう状況で用いられる語の場合、我々はどのような「聖衆」をイメージすれば良いのだろうか?この回向文の制作された状況と、その後の曹洞宗の教義の進展とは、どうやら密接な関係を持つようである。まず、「雲程に奉送し、聖衆を和南す」の意味だが、現在の曹洞宗では以下のように解釈していると思われる。「白雲たなびく天界に(覚霊を)送り奉り、(お迎え下...「聖衆を和南す」の意義について
さて、前回の記事から、『出定笑語』(全4巻)の第2巻に入っている。そして、前回は国学者・平田篤胤(1776~1843)による釈尊成道評を紹介したわけだが、成道した釈尊は続いて、初転法輪に進む。今回はそんな話の筈だが、篤胤は意外なところで引っかかる。それは、実際の本文を見ながら紹介しよう。斯で彼石上を起て山を下り、彼車匿憍陳如が輩五人のおつたる波羅奈国に来ると、かの五人の者は悉多が食を受け食たる事を知りおるによつて、互に語り合には、「瞿曇、苦行を棄て、飲食の楽を受く。志す所、獲ず。今、既に此に来る。我等、須らく起て之を迎えざるなり。亦た礼敬を作すこと勿れ」、と云合せて各々もく然としておつたが、さすがそこへきてはさうもならず、かれこれと世話やいたと云事でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』54頁、漢字な...釈尊による初転法輪(拝啓平田篤胤先生24)
白玉山 士峰院 朝光寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、戦国時代中期に上原勘解由左衛門(うえはら かげゆざえもん 誕生年不詳~1548年)が開基、僧の碧峯東全(誕生年不詳~1546年)が開山した曹洞宗寺院です。院号の士峰院は開基した上原勘解由左衛門の妻の法名「士峰院盛山浄栄」から採られたようです。禅宗寺院では普遍的な釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀っています。江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)...
☆ 202206 訳あり県内ぐるぐるドライブ 食べ歩き?! 癒し空間 雲巌寺 ☆
前回からの続きになります♪ 前回の記事へ『☆ 202206 訳あり県内ぐるぐるドライブ 食べ歩き?! 麺処 花火 金色の鶏蕎麦 ☆』不安定な空模様の週末 雨が…