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恋愛小説作家「愛川耀」のネコ日記: 作家ネコちゃん、北陸の旅は秘境・大牧温泉を訪ね金沢へ。2日目は山代温泉のホテル瑠璃光に宿泊しました。 夕食は「春宴の膳…
福井 永平寺レンタルBBおすすめスポット 卍吉祥山永平寺福井県吉田郡永平寺町志比5-15rentalbike.amebaownd.com👆レンタルBBブログ…
今日は父の誕生日です。 傘寿です。 お誕生日おめでとう! 父の誕生日に思うこと 私には、両親が80代になったと言うことが、どうにもあまりピンとこないんですよねぇ。 自分が思う世の中の80歳と、自分の両親が結びつかないと言いますか。 それだけ
今日から北陸新幹線、 敦賀まで延長開業という、 ニュースが昨日から報道されていましたが。 福井には22歳の頃(昭和53年) 福井駅のステーションホテルに泊まり…
金沢-敦賀間が延伸開業沿線で式典、応援割も開始―北陸新幹線(時事通信)3月16日、北陸新幹線の金沢―敦賀間(約125キロ)が延伸開業しました。なお、今回の延伸で、金沢駅の先に当たる駅は、北から小松駅・加賀温泉駅・芦原温泉駅・福井駅・越前たけふ駅・敦賀駅となります。この結果、東京―敦賀は従来より50分短縮されて、3時間8分となるそうです。まずは開通おめでとうございます。一方で、1月の能登半島地震からの復興に、寄与することを願います。そして、曹洞宗の大本山永平寺が、東京からますます近くなりましたね。#ニュース北陸新幹線の金沢―敦賀間が延伸開業
宝治2年(1248)3月14日、道元禅師は永平寺にて帰山の報告をされた。宝治二年〈戊申〉三月十四日の上堂に云く。山僧、昨年八月初三日、山を出でて相州鎌倉郡に赴き、檀那俗弟子の為に説法す。今年今月昨日、帰寺、今朝陞座す。這一段の事、或いは人有って疑著す。幾許の山川を渉って、俗弟子の為に説法する、俗を重くし僧を軽んずるに似たり、と。又た疑わく、未曾説底の法、未曾聞底の法有りや、と。然而、都て未曾説底の法、未曾聞底の法無し。只だ、他の為に説く、修善の者は昇り、造悪の者は堕つ、修因感果、抛塼引玉のみなり。然も是の如くなりと雖も、這一段の事、永平老漢、明得・説得・信得・行得なり。大衆、這箇の道理を会せんと要すや。良久して云く、尀耐、永平が舌頭、説因・説果・無由。功夫耕道、多少の錯りぞ。今日、憐むべし水牛と作ることを...道元禅師による永平寺帰山の上堂について
この辺は、先行研究も多いので、あくまでも諸資料を読み直す、備忘録的な記事である。大本山永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)には、古い伝記資料として、『伝光録』『三祖行業記(三大尊行状記)』や『洞谷記』「洞谷山伝燈院五老悟則並行業略記」などがあり、それよりも後の時代に作られたものとして、『建撕記』の一部に伝記が見える。そこで、懐奘禅師の伝戒・伝法などについては、次のような記述がある。師、元公の伝法し、帰朝して建仁寺に寓止するを聞きて、往きて論談・法戦す。長処有ると知りて、心を帰して信伏す。遂に、元公の住庵するを聞きて、文暦元年甲午冬、深草に参じて衣を改む。次年八月十五日、仏祖正伝の戒法を伝授さる、達磨の二祖に授くる儀なり。有る時、元公、「一毫衆穴を穿つ」の因縁を挙似す。師、言下に於いて大悟し、礼拝す。...懐奘禅師の伝戒・伝法と大悟
【福井県一人旅】一泊二日モデルコース!グルメ・観光・お土産のお勧めを一挙ご紹介!!
日本海に面し、名物セイコガニをはじめ、 海鮮が美味しく、 観光ものんびり巡るのに程よい福井県。 関西からサンダ
ネットによる情報の共有が一般的になってから、仏教を学ぶ方が一定量居られることは良く分かるのだが、その動機について、どうも“自分のために”学ぶ方が多いように見えて、拙僧的には非常に残念。例えば、大乗仏教とは、明確に誓願によって宗教性を発揮するものであり、それこそ阿弥陀如来の「本願」としても、それは前身となる法蔵菩薩の「誓願」に由来する。ここで、誓願とは、菩薩が最初に菩提心を起こし、それが実現するまでは成仏しないと誓い願うことであり、菩提心を起こした菩薩は必ず何かしらの誓願を持つことになる。では、まさに自らの修行という点では、もっとも厳しいのではないか?と思われている道元禅師はどのような誓願をお持ちになられたのか?まず知られているのは『正法眼蔵随聞記』に出る以下のような言葉である。一日示云、我在宋の時、禅院に...道元禅師の誓願と未来成仏論
拙僧自身の問題意識として、特に、高祖道元禅師自身がそのようであったと思うのだが、京都から越前に移動するに従い、自ら「誓願」という、宗教者として、仏道修行者として重要な事柄を意識されたように思うのだ。道元禅師自身も、大仏寺に入られてから誓願を発しておられるし、その周囲にいた弟子達も、各々誓願を発している。そして、それは出家者に留まらず、外護者である波多野氏まで及んでいた。今日はそれを見ていきたい。開闢檀那如是の事永平寺建て初めの夜、開山和尚と法談の次で、誓願を立て云く、○願くは我、生々に三宝を外護せんことを。○願くは我、世々に信心不退ならんことを。○願くは我、不退に大菩提を証せんことを。○願くは我、一切衆生を済度せんことを。開山大和尚、誉て云く、回心向大の願文なりとてこれを聴許す。『建撕記』「如是」というの...波多野義重公の誓願
今日は福井県の 道の駅 禅の里 を紹介します。 場所は福井県吉田郡永平寺町を通る国道416号沿いに位置しており付近には九頭竜川も流れていたりと景観も良いところです。 またここには日帰り天然温泉
【福井】北陸新幹線開業秒読み・県庁所在地福井を巡る【福井県】
北陸新幹線開業まであと半年を切った福井県。 せっかくのタイミングなので福井県の県庁所在地・福井を紹介。 どんなスポットがあるのか知ってもらえたらと思います。
今週は一日休診にさせていただいて母校の愛知学院大学歯学部で口腔病理学実習のお手伝いです患者様にはご迷惑をおかけして申し訳ありません新幹線で昼食と食べようと新大阪で「永平寺ごま味噌焼き鯖寿し」を購入脂が乗った肉厚の鯖と胡麻味噌がとても美味しく、おすすめですちなみに母校の愛知学院大学は曹洞宗専門学支校を前身としており大本山は永平寺で学生時代、永平寺一夜参禅に行ったのを思い出しました永平寺繋がり
こんにちは②の続きです24日は 朝から 曹洞宗 大本山『永平寺』へ お参りしに行きました外からでも 凄さをピリピリ肌に感じますこちらは、お坊さんになる為の修行…
曹洞宗 大本山 永平寺 を参拝しました 1泊2日の福井旅行。 1日目は 東尋坊を観光。 他は 特に観光場所を計画していなかったのですが “永平寺にも行ってみたいな~” と主人
自然豊かな福井県の紅葉名所を10箇所(九頭竜湖、永平寺、足羽山、一乗谷朝倉氏遺跡、西山公園、越前陶芸公園、名勝 養浩館庭園、ふくい健康の森、大原山・西福寺、刈込池)紹介します。穴場スポットもあるので、紅葉を楽しむ際には参考にしてみてください。
明治時代以降は、新暦への変換などがあって、9月29日に曹洞宗では両祖忌を執行しているが、当ブログでは諸事情もあって、かつての日付のまま、高祖道元禅師忌の記事を書くようにしている。曹洞宗の両祖の忌日は、旧暦の表記では次の通りである。永平道元禅師御遷化:建長5年(1253)8月28日瑩山紹瑾禅師御遷化:正中2年(1325)8月15日そこで、拙ブログでは、8月15日は「終戦の日」の記事を書くため、瑩山禅師忌を9月29日に書き、道元禅師忌を8月28日に書くようにしている。よって、本日の記事となっていることをご理解いただきたい。さて、改めて、道元禅師の最初期の伝記から御遷化された時の状況を学んでみたい。建長四年壬子秋、病を示す。建長五年癸丑八月二十八日夜半、偈を示し、自書して云く、五十四年、第一天を照らす、箇の𨁝跳...旧暦の日付で高祖道元禅師の忌日(令和5年度版)
【自由度限定・ランチまで?】修行の場を見せてあげましょう、のセット拝観【永平寺@福井県】
自分の旅史のなかでは神社仏閣は最後の最後。ある程度絶景をクリアして名城をひと通...
こんにちは、愛花です♪ 夏休み第1弾の旅行は、私の実家家族と一緒に行ってきました。 小4息子は旅行が大好き。 都道府県全国を回りたい! 息子 という夢を持っています。 次は北陸に行ってみたい! 息子 と言っていて、父が北陸旅行を計画してくれました! 北陸旅行記 福井編 新潟|親不知ピアパーク 6時間半かけて福井県に到着 曹洞宗大本山 永平寺 世界三大奇勝 東尋坊 最後に 北陸旅行記 福井編 母の生まれ故郷が福井ということもあり、福井県をメインに北陸を巡ることに。 埼玉から関越→上信越→北陸道を走って北陸へ向かいました。 新潟|親不知ピアパーク 一旦北陸道の親不知インターで降りて、新潟県糸魚川市…
昨夜は酒を買い忘れて2杯しか飲めず、夜の間はずっと雨が降っていて余り眠れず。 朝早く起きてしまったが太陽が出てきてくれなく、テントやグラウンドシートが中々乾かない。 8時に出発する。4日間過ごした美し
以前から、気にしている文脈があるので、それを見ておきたい。元和に改元す。東照源君、兵を統べて伏見に駐す。諸宗徒徴して城に入りて顧問す。師も亦与う。諸師、各おの祖脈の源、委しく述べ、寺院の本支に及ぶ。源君、将に永平を以て洞門の本寺に為さんとす。師、殿階を上書して曰く、總持禅寺は後醍醐天皇勅賜の梵刹、開山瑩山に命じて宗を匡す。御製の詰命、其の略に曰く、曹洞出世の道場に補任す。宜しく南禅と相並びて、紫衣を服し、国家の延長を祈り奉るべし。次いで、歴朝の天子の宸翰、皆な斯の如し。仰いで望むに閣下に請うらくは、先蹤に随わんことを、と。源君見て乃ち之に従う。遂に永平・總持を陞らせ、両本寺と為す。為に鈞帖降りて大護持と作る。總持を本寺と為すは、師の力なり。『日本洞上聯灯録』巻10「加州宝円泰山雲堯禅師」項、『曹洞宗全書』...いわゆる両大本山制度の成立に関する一議論
日時:令和5年6月16日 08時30分ごろ 住所:福井県大野市蕨生 状況:ドラム缶式のわなにてツキノワグマ1頭を有害捕獲。後に放獣 ------------------------ 日時:令和5年6月16日 10時05分ごろ 住所:福井県大野市新田 状況:親子とみられるツキノワグマ2頭の目撃情報 現場:九頭竜川の河川敷 ※テラルふれあいロードの阪谷新橋付近 ------------------------ 日時:令和5...
先日、【7月14日懐奘禅師永平寺住持職に就位】の記事でも書いたが、道元禅師は夏安居中には夏安居を徹底して御修行されるが、解制となれば、何かの行動を起こされる場合がある。そこで、今回採り上げるのは、寛元元年(1243)7月16日のことである。この日、道元禅師は京都深草の興聖寺から、越前への移転を開始されたといわれている。なお、最古の伝記では、日付までは記さない。後に波多野雲州大吏義重、固請するに依りて、移りて越州に下る。寛元二年甲辰七月、吉祥山永平寺を草創す。『永平寺三祖行業記』「初祖道元禅師」章、訓読は拙僧以上の通りの記述で、永平寺(この時、正しくは「吉祥山大仏寺」であった)を草創したのが、寛元2年(1244)7月であったことを記すが、その前の越前への移転開始の日付は書かれていないのである。おそらく、最初...7月16日道元禅師が越前への移転を開始
旧暦の日付であれば、という話ではあるのだが、7月14日というと、永平寺の二祖・懐奘禅師(1198~1280)が住持職に就位した日付となっている。今日はその経緯などを学んでみたい。まず、懐奘禅師の永平寺住持職就位について伝えるのは、最古の伝記の一である『三祖行業記』『三大尊行状記』ともに共通している。建長五年癸丑七月十四日、即ち住持位に著く。夜間に小参し、早朝に上堂す。元和尚、病床たりと雖も、輿に乗りて来たりて、聴聞し証明す。然りと雖も、師に事ふて礼を捨てず。『三大尊行状記』「永平二代懐奘和尚行状記」、訓読は拙僧で以下同じ以上の通りなのだが、建長五年とは1253年である。道元禅師最晩年であり、この日から約1ヶ月半後の8月28日に、御遷化された。永平寺住持職承継に関連して、以下の記述もある。△建長五年七月十四...7月14日懐奘禅師永平寺住持職に就位
雨降る見たいやけどキャンプツーリング行ってきた その1 ツーリングプランを使ってみた
このところ毎度毎度、定休日に限って天気が崩れる。オッサンはもう大概、ストレスMAX。 ((
今日は7月8日である。ところで、発見されたのが比較的新しい時代(江戸時代中期)なので、信憑性などで疑問無しとはしないのだが、通称『御遺言記録(または『永平室中聞書』)』と呼ばれる文献がある。本書は、永平寺3世・義介禅師が聞いたという体裁で、御開山である道元禅師、二祖・懐奘禅師の遺言が記録されたものとされる。その中で、「建長五年(1253)七月八日」という日付の教えが見られるので、今日はそれを学んでいきたい。同七月八日、御病重ねて増発す。義介驚きて参拝す。堂頭和尚示して云く、汝近前し来たれ。介右辺に近前す。示して云く、今生の寿命は、此の病にて必ず限りを覚ゆ。凡人の寿命は必ず限り有り。然而ども病に任す可きには非ず。日比見られるの様、我れ随分力人を合し、彼此に医療を加う。然りと雖も全く平愈せず。此れ又た驚く可か...七月八日道元禅師の「正信」の教え
初夏の北陸編⑪:6日目 高岡市で国宝と言えば「○○〇」ですね。
すみません。⑪をアップしてませんでした。⑫をアップしてました。前後しますが、⑪をアップします。 高岡城跡を散策した後でまだ朝の8時半6時に出発しただけありまし…
それから帰路へ。永平寺に。往路で飛ばした観光地に帰路で寄りました。駐車場は400円の町営駐車場は停めないで300円のより近くの駐車場へ。いっぱいあるので心配し…
6月9日 2日目 5時から朝風呂 7時に朝食 送迎バスの時間まで中庭散策 9時出発 JR芦原温泉駅まで送ってもらい 9時30分発の路線バスに乗り […]
道の駅は「永平寺」の近くの「道の駅 禅の里」に ここはお風呂も併設している道の駅です。 ちょうど露天風呂が壊れていたのですが、大人520円は安いです…
みなさん こんにちわ 先日やっと今年第3弾の旅に行きました。フリーの身なのでいつでも行けそうですが、家内の都合や病院そして天気や気温など様々な要素が上手くいか…
・環境の日(環境省)6月5日は環境の日とされる。これは、1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたとし、国連でも6月5日を「世界環境デー」と定めたという。ということで、今日は「仏教に於ける環境論」を扱ってみたい。特に、道元禅師が大仏寺(後の永平寺)に入った際に、或る感想を、大檀越・波多野義重公に述べという一節が残されているため、見ていきたい。説法の後、師、雲州に謂く、「這の一片の地、主山北に高く、案山南に横たう、東岳白山の神廟に連なる、西流滄海龍宮に曳き、峰巒重疊、人烟遠く隔たる。予、在宋の時、天童、坐禅の法要を三十余箇條を示し玉う。其の第一に、『大海の流れを見る事(莫れ)、青山渓水を見るべし』。此の地、此の記に応ず。林泉の風景、望む所、亦た、珍味必ず良器に盛...道元禅師が語った永平寺の環境論
こんな記述を見付けた。如空房理然、南京の人なり。本と興福寺の住僧、円縁大法師の弟子、衆事に交わることを辞し、戒壇院に入る。〈中略〉一両年を経て亦た戒壇に来たりて、本と法相を研き、因明に通達し、学識敏利し、鑽仰飛名し、大小並びに学ぶと雖も、菩薩戒を善くし、太賢梵網古迹、宗要、研究弘通す。越前国永平禅寺に往きて、仏法上人の遺門に入り、禅法旨帰、彼の宗義を存す。凝然大徳『東大寺円照上人行状』下巻これは、理然という人の話である。奈良の平城京出身で、興福寺の円縁大法師の弟子であったらしい。その後、東大寺の戒壇院で学び、法相(唯識)を学び、因明に通じたという。そして、大小乗の戒律を学んだが、特に菩薩戒を善く学んだという。さて、問題は、引用文末尾の一節で、永平寺に行って、仏法上人(道元禅師のこと)の遺門に入り、禅を学ん...永平寺で学んだ律宗の人
拙僧つらつら鑑みるに、道元禅師に於ける「律儀」の再構成について、一度考えておくべきであると感じていた。ただ単純に道元禅師が『永平清規』を制定されたということだけでは、それが実際に学人にどう受け止められ、実践されていたかが分からない。また、道元禅師の場合は、まったく禅宗(道元禅師はご自身を禅宗とは名乗られない)への学びがない者達に対して、改めて教育していかねばならないという立場であられたし、しかも、叢林の修行は継続的に行われなくてはならなかった。それを思う時、以下の一節などはいわゆる「律儀」の再構成として考えることが出来るように思う。寮中の儀、応当に仏祖の戒律を敬遵して、兼ねて大小乗の威儀に依随して、百丈の清規に一如すべし。清規に曰く、「事に大小無く、並びに箴規に合すべし」と。然らば則ち須らく梵網経・瓔珞経...『衆寮箴規』に見える「律儀の再構成」について
ポッチと押してくれると喜びます 朝は気温11度。 風がやけに強かったの。 暑いのに慣れていたので部屋に戻ってから暖房を入れたわ。 さすがに、すぐに室温が上がったの
風はツヨイですが お日様出てます朝から お墓・お地蔵様のお花を替えに行ってきました クリスマスローズ・フリージア 洋風のお供え花になりました山吹(ヤマブキ)は お散歩中に 堤防から根っこごと頂いたのが 根付い今年は花を咲かせました ラッキーさてさて 緑寿と古希旅行まずは 福井で 途中下車 福井駅から バスで永平寺へ向かいます 風薫る季節 新緑がとても綺麗でした ...
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【べにや無何有】海外在住金沢人発おすすめしたい露天風呂付き温泉宿
粉雪舞い散る夜、静寂の中、湯気が湧き上がる露天風呂にゆったり入って、冷えたビールをゴクリと一杯。そのあとは、日本の美食コースを堪能し、森林浴のような畳部屋の香りに包まれ、あぁ、やっぱり日本の温泉宿って最高だなと愉悦に浸る。
〈福井/永平寺〉道元禅師によって開創された曹洞宗の大本山は雪深くなってます!!
雪の永平寺へ行ってきました、20年ぶりぐらいになりますが雪がとても多く参道の杉並木の上にもごっそり雪が積もり、歩いているとドサッと雪が落ちてくるのでびっくり、「頭上注意」の注意書きが入り口にあり、ちょっと怖いぐらいの雪国になっていましたがい
☆・・・良いお年を・・・☆ 永平寺・勝山・大野 温泉旅館・ホテル 永平寺 親禅の宿 柏樹關 ≪福井県≫*観光スポット周辺のホテル・旅館一覧≫ ≪ふるさと納税「福井県」≫ ♪頑張ろう!日本!・・・ウ
曹洞宗の大本山で、1244年に道元禅師によって出家参禅の道場として開創され、樹齢680年といわれる老杉に囲まれた敷地には、「七堂伽藍」をはじめとする70余りの殿堂楼閣が点在しています。坐禅体験・写経体験のほかに、泊まりこみで雲水の修業に近い生活を送る参籠や参禅の体験をすることもできるそうです。 老杉に囲まれ、壮厳な雰囲気が漂う境内には山門、仏殿、法堂、僧堂(坐禅堂)これらはすべて回廊で結ばれています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2013.10.12 福井県吉田郡永平寺町えちぜん鉄道、勝山永平寺線、永平寺口駅 百寺巡礼(五木寛之)の本を元に全国を巡って写した、お寺の写真を4Kフォトムービにしています。 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。 https://ww..
お香コレクション。最近のお気に入りは永平寺が建てた柏樹關で買ったもの!
永平寺「柏樹關」今年の3月頃だったか?念願の「永平寺ひとり旅」に行ったのですがお宿は何とも心やすらかになる、香が漂っていて~。永平寺が建てたお宿は「柏樹關」といって永平寺の参道入口に建てられています。すごく洗練されていて、何とも心が静かに落
眩い朝陽が差し込むのは早朝の福井駅、ホームの先端に高校生のカップル。会いたかったんだね。現在キャンペーン中とかで、この日「一日フリーきっぷ」が500円、えちぜん鉄道をお得に呑み潰そう。恐竜が今にも襲いかかろうとしているのは勝山駅、1914年(大正3年)開業以来の駅舎は登録有形文化財。午前中は三国芦原線に乗って東尋坊に遊んで、午すぎから勝山永平寺線に揺られてきた。なぜ恐竜?って、ここは福井県立恐竜博物館の最寄駅だから。人気の博物館は現在予約制なので注意が必要だ。九頭竜川対岸の山裾に鈍く光る銀のドームが恐竜博物館、ボクは勝手に“モスラの卵”と呼ばせてもらおう。白地に青のツートンにちょっぴり黄色のアクセント、MC7000形は飯田線を走っていた119系をJR東海から譲渡されたものらしい。この2両編成にのんびり揺ら...モスラの卵と越前そばと黒龍と勝山永平寺線を完乗!
ダンナ、今年度4回目の出社コロナ禍でずーーーっとリモートになって、年数回しか会社に行かないので、車は1台にしました。…って事で、駅まで送迎しないとですそして渋滞するんだった…PayPay30%還元で美容室でカットして、本屋さんへ。わが町ありがたや~本屋さんの30%還元は嬉しい 今年こそ金沢経由で永平寺に行きたいけど、日程的に微妙かもそういえばこの間、お寺から頂いた水晶が残っていたので、他の石を合わせてもらって、...
最近ゲットした新しいお香をレビュー!福井県にある永平寺という有名なお寺で実際に使われているお香、『零陵香』です。「禅」の道場としても有名なお寺で焚かれている香りはいったいどんなものなんでしょうか・・・?