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我々は、大本山永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)について、道元禅師の僧団の中で、どのような位置付けにあったのかを正しく理解出来ているのだろうか。無論、後継者としての立場であったりとか、『正法眼蔵随聞記』の記録や、『正法眼蔵』の書写・編集等はよく知られたことであると思う。その上で、拙僧は敢えて以下の記述に注目しておきたいと思う。僧海・詮慧等深草諸衆、尽く師を以て教授闍梨となす。一会の上足なり。『三大尊行状記』「懐奘禅師章」このように、懐奘禅師に関する最古の記録の1つである『三大尊行状記』では、僧海首座や詮慧禅師などの、深草・興聖寺時代から道元禅師僧団に入った者にとって、懐奘禅師を「教授闍梨」として仰いでいたことを意味している。「教授闍梨」については、詳しくは「教授阿闍梨」と表現されるべきものであり、...教授阿闍梨としての懐奘禅師