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三門から続く参道を北に歩き二天門を過ぎた突き当りに建っている朱に塗られた伽藍が『御影堂』です。大永2(1522)年に第12世・日鎮上人が建立された小御堂が御影堂の始まりで、寛永9(1632)年、第17世・日精上人の代に、阿波徳島藩主・蜂須賀至鎮公夫人も敬台院の寄進によって再建された物が現在の御影堂です。その後、第24世・日永上人の代の元禄12年、第56世・日応上人の代の明治35年に修理され、さらに第66世・日達上人の代の昭和46年に大改修が施されています。この時に、御宮殿や金箔の丸柱、彫刻なども改修され、寛永9年の造立時の姿に復元されました。 御影堂 建物は、間口25メートル、奥行と高さが共に…
五重塔は、総本山第26世・日寛上人が享保11(1726)年に、徳川幕府の第6代将軍・家宣公の妻の天英院と共に起塔の志を立たてられ、資金を残されたのが起因になります。その後、総本山第27世・日養上人から五代に渡わって時の法主上人が、その意志継いで、総本山第31世・日因上人の代に、諸国の僧俗からの御供養と、備中松山藩主の板倉勝澄公の寄進により、寛延2(1749)年6月12日に建立されました。そして、総本山第43世・日相上人の代の享和元(1801)年、総本山第64世・日昇上人の代の昭和28(1953)年、総本山第66世・日達上人の代の昭和42(1967)年に、それぞれ修復されて現在に至ってます。 五…
五重塔の東側の道路を挟んだ丘陵地帯が大石寺の墓苑になっています。この墓苑は、昭和44(1969)年6月10日に第66世・日達上人の代に現在地に移転されました。総面積約11万㎡(33,000坪)、墓地数約1万6000墓という広大な公園墓地です。敷地内の北側に、中央大塔、西大塔、東大塔の3つの三師塔が建たてられています。中央大塔は、貞享2年(1685)、第22世・日俊上人の代に、大聖人の塔が建立され、翌貞享3(1686)年に、日興こう上人・日目上人の塔が建立されました。現在の中央大塔は、安永9年(1780)、第37世・日琫上人の代に再興されたものです。西大塔は、享保16年(1731)、第28世日詳…
奉安堂の東側、十二角堂の北側に『大納骨堂』があり、その東側には『大名墓地』が有ります。そして『大名墓地』に囲まれて『大行尊霊(南条時光殿)墓所』があります。 大納骨堂 『大納骨堂』は、昭和35(1960)年12月、第66世日達上人により建立され、昭和44(1969)年に現在の地に移転・新築され、その後に地震対策等に対応すべく平成17(2005)年3月、第67世日顕上人の御発案で一部改築し、中央部に参詣可能なロッカー式墓地形態の納骨壇棟が完成しました。須弥壇中央の御宝前には日顕上人の常住御本尊が御安置されていて、納骨壇棟の前には、大聖人・日興上人・日目上人の三師塔が建立されています。外周に一時預…
『六壺』と隣接しているのが『客殿』です。客殿は、寛正6(1465)年3月、総本山第9世日有上人によって建立され、その後、第27世日養上人、第52世日霑上人、第64世日昇上人、第66世日達上人の代にそれぞれ再建されています。現在の客殿は、平成10年3月、日顕上人の御発願により『不開門』と共に新築されました。建物は、間口と奥行が同じで約55m、高さが36mの二階建てで、1,112畳敷の大広間があります。それ以前は昭和39年の日達上人時代に池田創価が寄進した『大客殿』でした。私はその『大客殿』の実物は知りませんが、当時の画像を見る限りではSRC造五階建てで、当時からすればモダンで贅を尽くした豪華な建…
☆ps://www.youtube.com/results?search_queryくだらない。情けない。バカバカしい。政治が崩れて地に落ちていく。虚しい...
☆崩れない学会にショック!まるでダメ男氏は発言が二転三転、しかも声高に批判している内容は空っぽ・・具体的に言えば、戸田城聖は悟っていなかったとか、池田大作...
☆あなたは幸せですか?まるでダメ男(だめお)という人がいるのです。日蓮正宗信徒らしいのですが、もう、言っていることはデタラメばかり、根拠のない空想話ばかり...
☆とどめは自民党の裏金.なんだろう・・コロナ問題が終わり、やぅと明るい時代が来ると思っていたら、ウクライナの戦争は続き、ましてやイスラエルで戦争が起り、世...
☆すでに不幸の渦中にあり.まるでダメ男(だめお)という憐れな男がいます。正式にはそういう名前ではありませんが、知っている人なら「この人」とお分かりのことと...
裏門の正面、大客殿と隣接しているのが『六壺』です。『六壺』は大石寺発祥の建物で、日興上人によって正応三年(1290)10月12日に建立されました。創建当時は、持仏堂など6つの部屋に分かれていたことから『六壺』と名付けられたと伝えられています。その後、様々な変遷を経て、第52世日霑上人の代に独立した堂宇として建立され、さらに第64世日昇上人、第66世日達上人の代に復興改築がなされました。そして現在の建物は、昭和63(1988)年10月7日、第67世日顕上人の御発願により大石寺開創700年の記念事業として新築再建されたものです。構造は、総けやき造りの十間四面の平屋建て、屋根は寄棟本瓦葺き、外壁は土…
☆独善のアメリカファースト.世界各国に20%を超える関税をする!なんて、なんちゅーことをするのか。ポカーン・・常軌を逸しているというか想像を絶するというか...
☆他宗と手を結んだ理由.以下に、個人年金運用を解説した資料の写真を添付します。写真解説「私が加入した米ドル積み立て型の変動制保険の資料です」創価学会員は眉...
☆富士宮信徒「暗躍」の理由.過去記事「仏教カテゴリ関係者の皆さまへ」及び、その続編を以下に示します。→sokafree.exblog.jp/3448846...
☆創価学会を興隆させる!以下に、1月から手帳に記録した唱題の時間を示します。写真解説「2025年の元旦からの90日間の記録。最小で5分、最大で100分」女...
☆それはまさに「竜女」の証明.聖教新聞に鮮烈に輝く体験談が掲載されました。>5歳の少女は聴覚障害があるため、話すことも聞くこともできなかった。ある日、通っ...
☆前略・千早様シリーズ(67)→ps://www.youtube.com/watch?v=9mUyk9lOAlcきょうは久々、千早さん記事を書きたいと思い...
☆「宿命転換」を描く漫画.以下に、復刻版「どろろ」(全二巻)の写真を添付します。昔から読みたい漫画がいくつかありました。その一つが「どろろ」でした。このほ...
法祥園の東側の出入り口の付近に『石之坊』があり、『常唱堂』と日興上人の『説法石』があるので是非立ち寄って欲しい塔中坊です。『石之坊』と『常唱堂』は元々は別の建物で、『石之坊』は享保9年(1724)に、第26世・日寛上人が『常唱堂』の建立を発願して現在の地に建立され、その後享保12年に第28世・日詳上人の代に遠信坊の北側に『常唱堂』が建立されました。日寛上人は『常唱堂』の建立に際して、「富士の根に常に唱となうる堂建てゝ雲井に絶えぬ法の声かな」との歌を詠まれています。建立当初は「常題目堂」と称され、本堂の横に堂番部屋があって6人の僧侶が常に日夜不断に唱題行をしていたそうです。その後大正14(192…
今回ご紹介するのは、鬼門と二天門の間に位置する『法祥園』です。この『法祥園』は平成二年、大石寺開創700年の記念事業として、東塔中の蓮葉庵の南側に作られた広さ1600坪余りの美しい庭園です。中央に『明鏡池』があって天気のいい日には富士山が見えるという大石寺の「富士山映え」撮影スポットのひとつです。庭園内には、『蓮蔵坊』と『多宝蔵』があります。 『蓮蔵坊』は正応三年(1290)に、第三祖・日目上人によって創建され、宝永二年(1705)第24世・日永上人が再興して学頭寮としました。現在の建物は昭和56年に日蓮大聖人七百御忌を機に第67世・日顕上人により、新築再建されました。この『蓮蔵坊』と周辺が、…
☆今、Aさんへの記事を連載中ですが、この数日の激戦で疲労していてしばし休憩をさせていただきたいと思います。Aさんの悩みは大きく、よってしっかりとアドバイス...
☆明日は我が身の災害.→ps://www.youtube.com/watch?v=tqufu05pDkE平凡なる生活は、きっと平凡なことではない。世には危...
三門をくぐり塔中の参道進んでいくと、左手に客殿や大坊へ繋つながる通路があり、そこに朱塗の門があります。古風な唐破風造りで表側の上部に鬼の面が配されていることから『鬼門(おにもん)』と呼よばれています。前回、ご紹介した『裏門』が大坊の裏側の門で、この『鬼門』は大坊の『表門』になります。また朝日の昇る東の方角を向ているので『朝日門」とも呼ばれます。『鬼門』は、享保2年(1717)、総本山第25世日宥上人により建立され、昭和33年(1958)、総本山第65世日淳上人によって屋根が桧皮葺から銅葺に改修されました。 鬼門 『鬼門』を通り過ぎて、さらに奥(北)進んで、石段を上ると、御影堂の手前に二天門があ…
裏門 大石寺の御登山の時にはいつも裏門の南側の商店街に一番近い【新町駐車場】に車を停めますのでほぼ毎回裏門から入って奉安堂に向かいます。裏門は六壺参道の南端にあって、【鬼門】に対して【裏門】と呼ばれています。創建年数は明らかではないとのことですが江戸中期の大石寺絵図には描かれていて、大石寺49世・日荘上人時代の文政6年(1823)に再建新築された記録があります。現在の門は昭和63年、大石寺開創700年の記念行事として67世・日顕上人によって新築されたものです。間口9.5m・奥行4m・高さ6.5mの大きさの門になります。 裏門 裏門の正面に見えるのが【六壺】で、まずは【裏門】のところで題目三唱。…
総門を抜けると正面に見えるのが三門です。(総門から約400m)私は自家用車で大石寺にいくのですがこの三門が見えるてくると「大石寺に到着!」とワクワクしてきます。総本山のランドマークみたいなもので、初めて大石寺に連れて行った人達はみなこの三門に驚嘆したり感動したりします。 三門 三門は間口24m、奥行11m、高さ22m。木造朱塗りの荘厳な姿はその規模と雄大さで「東海随一」と言われ、昭和41年に静岡県有形文化財に指定されました。三門は、1712(正徳2)年、第25世日宥上人の発願で、徳川6代将軍・家宣から富士山の巨木70本、家宣の正室・天英院から黄金1200粒の寄進を受けて1717(享保2)年8月…
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XXXさん
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