メインカテゴリーを選択しなおす
陳情令 第52弾⑹AIに聞く「藍氏の戒律と規範の違いは何?」
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨赤字が自分の質問青字がAIの答え黒字が全部書き起こした後の自分の追記感想です。大文字や下…
皆さま、こんにちは。 龍翠です。 巫師麗月チャンネルに「稲荷大神秘文」をアップしましたので、よろしければご覧下さい。 さて、霊性と社会というジャンルを作って…
ちょっと、必要があって中国律宗の道宣(596~667)が書いた『教誡新学比丘行護律儀(以下『教誡律儀』と略記)』を読んでいたが、入浴法に気になる記述を見つけた。予め申し上げておくが、ちょっと汚い話ですので、特に食事時にご覧にはならないようにご注意いただきたい。さて、『教誡律儀』には「入温室法」が十六條にわたって示されており、浴室に行って入浴するまでの規則が簡単に書かれている。その中に、気になるお話しが・・・入温室法第十六〈十六條〉一、威儀を具し坐具を持つ。二、尊宿未だ浴せざれば先に浴することを得ざれ。三、要らず須らく瓶を持つべし。四、手を垂れて瓶を把ることを得ざれ。五、当に手を揖して瓶を把るべし。六、大已五夏の人と共に同じく浴することを得ざれ。七、初め衣を脱ぎ将に袈裟をもちて余衣の下に在くことを得ざれ。八...お風呂とトイレの混同禁止
拙僧の手元に、『〈密宗必須〉三聚戒本』という冊子があって、内容は『梵網経』『瑜伽戒本』『根本説一切有部戒経』の3種の戒本を収録したもので、「密宗必須」とある通り、日本の真言宗で用いたものである。そこで、その中に、「四十八軽戒略頌」が収録されていた。今日はその「偈頌」を見ておきたい。四十八軽戒略頌前の三十戒は摂善法なり。末の十八戒は摂衆生なり。是を梵網後二戒と名づく。原典に随って訓読以上である。これは、『梵網経』の「四十八軽戒」について、前後に区分し、更にその意義付けを行ったものである。それで、この「略頌」であるが、典拠は新羅・義寂による『菩薩戒本疏』巻下之本に「又四十八中、前の三十戒、多く摂善と為す。後の十八戒、多く利生と為すなり」とあることに由来するようである。そこで、「四十八軽戒」を前三十、後十八に分...「四十八軽戒略頌」について
『浄土布薩式』「大科第六 受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくが、今回は「大科第六」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「受者発心」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「発心偈」というべき偈文を、随喜衆一同で唱えるところから始まる。大科第六受者発心諸衆、同じく唱えて云うべし、我等今身に善縁に遇い、能く隔時の菩提心を発し、一切の持破信不信、同く極楽に生じて三忍を得ん。今、菩提心を発すに就いて、即ち二種有り、一には直成の菩提心、即ち此の娑婆濁刹の中に於いて、直に無上仏果を成せんと求むの心なり。二には隔時の菩提心、則ち直成の修業に堪えざるが故に穢土を厭ひ、浄土を欣む。凡身を捨て、聖身を得て、二土を分かち、隔時隔念の得益を求むるが故に、隔時隔土の菩提心と名くるなり。...『浄土布薩式』「大科第六受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
「第一官律名義弁」其十五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・15)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。なお、『僧史略』の続きとして、「一宗師」などを挙げているが項目名のみであり、説明文は「一開府儀同三司」にあるのみである。この役も、当方は以前まで知らなかったが、密教系の不空三蔵・金剛三蔵などのことだったようである。そして、個人的にはこの一節よりも、次の一文が気になった。右の外、猶お遺漏多し、今唯慷慨を挙るのみ、蓋し之を賜...「第一官律名義弁」其十五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・15)
以前、【「晨朝六念法」という作法】という記事を書いたのだが、その時には全体の作法を紹介したのみであった。詳細は、この記事で見ていきたいと思う。ところで、先の記事で允堪律師の言葉に「僧祇の文を出す」とあったものの、完全にスルーしてしまった。調べてみると、『摩訶僧祇律』に関連する文献で、「六念法」が出ていた。六念法一には、当に日数を知るべし、月一日、二日、乃至十四日、十五日。月大、月小、悉く応に知るべし。二には、清旦に当に施食法を作すべし、「今日食を得て某甲に施す、某甲、我、意を計らず、我れ当に食すべし」〈是の如く三説す〉。三には、日日に自ら若干臘数を憶すべし。四には、当に受持衣及び浄施者を憶念すべし。五には、当に衆食の別ならざるを念ずべし。六には、当に病・不病を念ずべし。『摩訶僧祇律大比丘戒本』允堪律師が述...「晨朝六念法」の内容について(1)
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。知るべし、諸法はわが諸法なり。われはすなはち諸法のわれなり、われと諸法と唯是れ水波のわかるなり。水波のわれは即ち三宝の正体なり。三宝はすなはち我らが全体なるを知らば、応ぜざる三宝あらず。そのよく三宝の正体をしるを帰依の道理とす。帰依に別路あらず、たゞわが正体にかへるときを正帰依とす。我を知らず只だ帰依の名のみ思ふは、正帰依にあらず。正帰依なるとき、われこれわれにあらず。我にあらざれば彼れにあらず。かれとわれと二もまたなし。このなしといふを、われとしかりとして三宝たつ帰依たつ。たてばいまの三宝あり。帰依ありてひとしく無上甚深微妙法なり。帰依の第一義は、別の容儀にあらず、五体投地して一心頂礼するなり。一心礼恭は、能礼所礼性空寂なり。性の空寂なる、必ず自心他心体無二なり...三宝帰依の一様相
夢窓疎石国師の「懺悔」観といえば、1つは『夢中問答』を見れば良いと思うのだが、他の通称『二十三問答』と呼ばれる法語集にも「懺悔」についての教えが2つほどあるのだが、1つは既に【仏教に於ける「懺悔滅罪」の話】で見たので、ご参照願いたい。今回は、もう1つを見ておきたい。十四懺悔に二つある事問ふて曰く、二つの懺悔のうちには、何れをなすべきぞや。答へて云ふ、人の心にまかすべしといへども、万心のなきことにて候へば、無想無念肝要にて候。有想にて念おこり候にも、根本なく心なしと悟り候はゞ、念のあるもなきにて候。誠に身ありて罪を作り、実に心ありて罪をつくるとは思ふべからず。『二十三問答』、山田孝道老師編『禅門法語集―校補点註』光融館・明治28年、84頁この「二つの懺悔」という話だが、詳細は冒頭のリンク先をご覧いただきたい...夢窓疎石国師が示す「懺悔」の話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。同、本師心地戒、初祖一心戒、六祖無相戒、咸く戒に非ざるを戒と名づく、畢竟如何端的の処、偈に云く、三帰三聚浄、箇々自家完うす、一体真心地、頭頭に許般没す。仏洲仙英禅師『円成始祖老人語録』巻中「授戒会法語」仏洲仙英禅師は、江戸時代末期に瑩山紹瑾禅師『伝光録』を開版したことで知られ、同書が明治期以降に参究されるようになったきっかけを作った洞門の学僧であり、また、あの井伊直弼の参禅の師としても知られている。一方で語録を見ると、授戒会法語がかなりの数収録されていることから分かるように、自坊は勿論、各地の授戒会などに戒師として招かれたものと思われる。今回紹介したのは、その1つである。何故採り上げたかといえば、この言葉の通りだからである。つまり、仏洲禅師は歴代の仏祖がことごとく...或る禅僧の授戒会法語について
『正法眼蔵随聞記』には、道元禅師が実際に栄西禅師に参じていたからこそ言及出来たであろう文脈が複数存在している。当方はそれを理由に、おそらく道元禅師は栄西禅師と相見し、参学していたと考えている。無論、従来の先行研究では、これらの文脈は全て、明全和尚などの栄西禅師門人から聞いたもの、という風に判断している場合もある。だが、当方は先行研究の根拠が、その当該著者の主観的雑感でしかないことに不満を抱いている。つまり、この辺、証明は出来ないのだ。さておき、今回の記事では以下の一節を見ておきたい。示云、故僧正建仁寺に御せし時、独の貧人来て道て云、「我家貧にして絶煙及数日、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是を救ひ給へ」と云ふ。其時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮をめぐらすに計略尽ぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、...栄西禅師が犯した罪は何だったのか?
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第五」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「発願」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「維那、金を鳴らし」から始まる。しかし、直後に「発願」と出ているので、その通りなのだろう。大科第五に、維那、金を鳴らし、大衆に告ぐ、合掌警念して発願して曰く、敬白、諸の仏子等、合掌至心して聴け、此れは是れ娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、五畿七道の中、某の道、某の国、某の郡、某の郷、某の村、某の里、某の仏像前にして、我等、本師釈迦牟尼仏道法の弟子、在家・出家の菩薩なり。久しく生死の海に沈淪して、恒に六趣の苦を受く、此れ即ち如来の出世に遇わず、頓教一乗の戒を受けざるに依る。今生に若し厭離生死の心を...『浄土布薩式』「大科第五発願」(『浄土布薩式』参究6)
「第一官律名義弁」其十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・14)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。そこで、今回だが、良く知っているけれども、ちゃんと知らなかった語句を見ておきたいと思う。一追贈法果年八十余にして卒す、帝、三び其の喪に臨み、老寿将軍、趙軍胡霊公を追贈す〈今、老寿将軍を贈るは、皆此の時の勅に出づ、知りぬ前の輔国は必ず是れ将軍にして胡霊の二字の諡なり〉。『緇門正儀』7丁裏、訓読は原典を参照しつつ当方上記一節...「第一官律名義弁」其十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・14)
以前、【道元禅師の直弟子達が語る三学論】という記事をアップしたのだが、他にも見ておくべき文脈があるため、今日はそれを確認しておきたい。雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、是修証はなきにあらず、染汚することゑじと云義にあたるべし、生滅とこそ云ねども、戒ぞ定ぞ慧ぞ云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず、一戒光明金剛法戒と云程にこそ戒をも心得れ、只戒と云へば制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得、又、戒はふね・いかだ也と云時は生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり、敬礼これなり、施設可得と云は是もほどこしまうけてうべくば生滅の法に似たり、然而今施設は可得とつかふ、戒定慧にて可心得、戒定慧已下至度有情類、施設可得なるなり、『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇、カナをかなにするなど見...道元禅師の直弟子達が語る三学論(2)
どうしても、現在の拙僧どもからすると、『梵網経』を重視してしまうことになるのだが、実際の菩薩戒の参究となると、『瑜伽師地論』(及び同論と同系統の各種訳本)を参照しなければ話にならないわけで、細々ではあるが、先行研究を含めて色々と見るようにしている。その上で、『瑜伽師地論』に於ける「四種他勝処法」を見ていくと、「菩薩戒」の位置付けが理解出来るように思う(先行研究として佐藤達玄先生『中国仏教における戒律の研究』木耳社・1986年、347~360頁参照)ので、その辺を見ておきたい。まず、「四種他勝処法」とは、以下の通りである。其れ四種他勝処法有り。何等とか四と為すや。若し諸菩薩、欲貪の為に利養恭敬を求めれば、自讃毀他す。是れを第一他勝処法と名づく。若し諸菩薩、資財有るを現すれば財を性慳するが故に、苦有り貧有り依...『瑜伽師地論』に見える四種他勝処法について
今年度に入ってから、とある勉強会で、江戸時代末期の黙室良要禅師(1775~1883)による法衣(袈裟)の研究書『法服格正』を読む機会を得ている。そこで、読んでいる中で、ちょっとした疑問点が出て来たので、それを調べた結果をまとめようと思ったのである。具体的には、勉強会では明治期の西有穆山禅師編集『洞上法服格正』(鴻盟社・明治29年)を用いていたのだが、同時に『続曹洞宗全書』収録本や、川口高風先生『法服格正の研究』(第一書房・1976年)の訳注本を参照していると、明らかに全く異なる本文が入っていることに気付いた。よって、そのことを記事にしてみたいと思う。まず、今回採り上げたいのは、全10章ある本文の「袈裟功徳分第一」の一節である。かゝれば不思量現の方袍は親証の好人に属し、無作相得の法服は、妙応の霊神を感ず、曽...『法服格正』を読んでみての雑考
とりあえず、以下の一節を見ていきたい。菩薩五戒威儀経に云く、「比丘、四重を犯せば、更に受路無し。菩薩犯すと雖も、脱すれば更に受くべし」。卍山道白禅師『禅戒訣』、『卍山広録』巻47所収ここに、『菩薩五戒威儀経』と出ているのが気になった。勉強不足の当方は、これがどの経典を指すのか、今一つ理解していなかった。なお、少し調べてみると、中国明代の『梵網経略疏』という文献に同名の経典が挙げられているので、どうも存在していたらしい。それで、引用文の内容から見てみると、求那跋摩訳『優婆塞五戒威儀経』に、同文が出ていることを確認したし、更に明代成立の『在家律要広集』では、『菩薩優婆塞五戒威儀経』という名前で転載されていることも確認した。よって、卍山禅師はこの経典を引用していることは明らかだと言えよう。ところで、『優婆塞五戒...『菩薩五戒威儀経』について
今日7月15日は解夏である。いわゆる、夏安居の解制である。そこで、この意義について、道元禅師の教えを学んでみたい。夏安居の一橛、これ新にあらず、旧にあらず、来にあらず、去にあらず。その量は、拳頭量なり、その様は、巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆえにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆえにさる、帀地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆえに、結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、新曾の面面、ともに結・解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。『正法眼蔵』「安居」巻夏安居を「一橛」と表現されている。この「橛」とは、「くい」の意味だが、真言宗では結界の四方を示すというから、この場合も安居を1つの「結界」と見ていることを指す...今日は解夏の日(令和5年度版)
この記事は、【「三帰戒」という呼称について】の続編である。それで、拙僧が集めた資料の中に、「三帰戒」という項目があることを確認したので、それを学んでみたい。三帰戒汝等、帰戒を求めんと欲せば、先づ当に懺悔すべし。〈壱反〉我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身口意之所生、一切我今皆懺悔。〈三反〉更に応に仏法僧の三宝に帰依すべし。〈一反〉南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧、帰依仏無上尊、帰依法離塵尊、帰依僧和合尊、帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。〈三反〉三帰戒を受くこと是の如し、今身より仏身に至る迄、此の事能く護持せよ。『日用行事書』写本、原典の訓点に従って訓読、漢字も現在通用のものに改めるこちらの『日用行事書』であるが、現在の愛知県内寺院で用いていたものだと判明している。なお、内容に甘雨為霖禅師(1786~187...「三帰戒」という呼称について(2)
ただの語呂合わせである。7月6日を「な」「む」として、「南無の日」だと思っている拙僧。どうも、ネットを調べてみると同じようなことを言っている人がいるようだが、拙僧は拙僧で勝手にこの日を大事にしたいと思っている。そこで、今日は以下の一節を紹介しておきたい。いま提婆達多、かさねて三逆をつくれり、一逆つくれる罪人の苦には、三陪すべし。しかあれども、すでに臨命終のときは、南無の言をとなへて、悪心、すこしきまぬかる。うらむらくは、具足して南無仏と称せざること。阿鼻にしては、はるかに釈迦牟尼仏、帰命したてまつる、続善ちかきにあり。『正法眼蔵』「三時業」巻提婆達多というのは、釈尊の親族であり、一度は仏教で出家したものの、釈尊に反発して僧団を分け(破僧罪)、更に比丘尼を殺害し、釈尊を傷つけた(仏身血)という3つの大罪を犯...今日は南無の日(令和5年度版)
今日採り上げるのは、道元禅師が本師・如浄禅師から受けた慈誨を集められた『宝慶記』である。同書の冒頭は、道元禅師が如浄禅師に対して質問などをして良いかどうかを確かめるものであり、その後、「宝慶元年七月初二日方丈に参ず」とあって、宝慶元年(1225)7月2日から、如浄禅師に個人的に参学できる立場になったことを意味している。この件について、道元禅師は後に、以下のようにも表現されている。われなにのさいはひありてか、遠方外国の種子なりといへども、掛搭をゆるさるるのみにあらず、ほしきままに堂奥に出入して、尊儀を礼拝し、法道をきく。愚暗なりといへども、むなしかるべからざる結良縁なり。『正法眼蔵』「梅華」巻現地で見聞された様子を伝えて、中国で生まれ、仏道を学んでいる者の中にも、如浄禅師の室内に入って教えを聞くことが出来な...宝慶元年七月初二日方丈に参ず
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、本書は冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。その中でも、大科の第四を紹介してみたい。大科第四焼香焼香竟て唱て云ふべし、願くは我身浄じて香炉の如く、願くは我心智慧の火の如く、念念に戒定香を焚焼して、十方三世の仏を供養したてまつる。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方そもそも、本式は広略両本があったとされる『浄土布薩式』の略本であるから、本文としては短い。だが、それでも、次の科からは、口訣や願文等が入ってくるため、かなり長くなってくる。上記の「焼香」の項目だが、香炉に香を焚く意義について、偈頌で述べられている。そして、調べたのだが、この偈頌には典拠があった。善導和尚の『法事讃』巻上である。これは、流石に適した典拠があったの...『浄土布薩式』「大科第四焼香」(『浄土布薩式』参究5)
中国禅宗六祖慧能禅師は難しい人である。何故ならば、未だ在家の身のままでその悟りを認められ、印可証明されてから、出家して大僧となったためである。そのため、六祖の出家をどう扱うかは、宗旨上1つの問題であった。曹渓六祖、優婆塞身を以て法性寺に寓せし時、印宗法師、為に其の髪を薙ぐ。寺主智光律師をして、比丘具足戒を授けしむ。祖、是れ多生の善知識、一切の戒法、自然に具足す。然るに印宗、告げる所に応じて化門の式成る。今時の一般の具足類に非ず。卍山道白禅師『対客閑話』、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・5頁下段、訓読は拙僧江戸時代の学僧・卍山道白禅師の説示であるが、ここからは、卍山禅師の修証観なども伺うことが出来よう。まず、上記内容が何を意味しているかといえば、六祖は優婆塞=男性の在家信者の立場でもって、法性寺に入っていたが、時...六祖慧能禅師の出家に関する一解釈
「因脈会」の作法については、既に【(4)】で書いた通り、戒師による説戒の時に併修された「因脈授与」が原型となっているため、いわゆる「道場」とは扱われないことを指摘した。ただし、その記事では、授戒として何が授けられているのかを明かさなかった。それについて指摘された文献があるので、今日はそれを見ておきたい。下午説戒之節因縁血脈ノ願アラバ室侍寮江相届用意之上、説戒時戒師三帰戒アリ、尤毎日用意同断也、『増福山授戒直壇指南』、『曹洞宗全書』「清規」巻・789頁下段~790頁上段実はこれでしかなく、全体の流れは分かりにくい。上記から分かるのは、因縁血脈の依頼があった場合には、室侍寮が準備するということと、説戒の時に戒師が三帰戒を授けること、そして毎日行う可能性があるということである。それで、三帰戒と因縁血脈という取り...「因脈会作法」考(5)
以前にアップした【(3)】の記事を書いた時に漠然と思っていたのだが、そういえば因脈会に関しては、授戒・授脈の場面のことを「道場」とは称していない。・因脈授与「因脈会行持日鑑」、『昭和修訂曹洞宗行持軌範』316頁つまり、道場ではないのである。この辺、授戒会・法脈会では、以下の通りである。・正授道場「授戒会行持日鑑」、前掲同著・308頁・正授道場「法脈会行持日鑑」、前掲同著・315頁この通りであり、両作法とも「正授道場」となっているのである。ただし、「因脈授与」となっている先ほどの作法について、実態は以下の通りである。直僚(因脈係)は、受者を整列させて加行位に就かしめる。戒師は三鼓、大擂上殿。まず説戒、終わって懺悔文を唱えしめる。室侍長(あるいは随行長)、洒水を行う。次いで戒師は三帰、三聚、十重禁戒を授け血脈...「因脈会作法」考(4)
前回の記事については、【(2)】をご覧いただければ良いと思うのだが、少しく気付いたことがあったので、記事にしておきたい。雑考に近いかもしれない・・・それで、まず、「因脈会」の「因脈」は、「因縁血脈」の略だとはされるが、その典拠はどこにあるのだろうか?気になったので調べてみたが、曹洞宗宗務庁刊『授戒会の研究』に付録されている各種戒会加行表を見てみると、畔上楳仙禅師や石川素童禅師が示されたという戒会指南書には、当たり前のように用いられているので、明治期には一般的であったといえよう。そうなると、「因縁血脈」の使用はその前になるとは思っていたのだが、以下のような一節を見出した。又血脈ヲ受ルニ四通リノ次第アリマス、一ニハ長老以上ハ傳戒ト云、二ニハ自身ニ受ヲ正戒ト云、三ニハ授戒ニ付テモ此ノ道場ニ得入來ナク、代人ニテ受...「因脈会作法」考(3)
既に、【「因脈会作法」考】で見たように、現行の『行持軌範』に於ける「因脈会作法」は、授戒会⇒法脈会⇒因脈会と、本来の授戒会から次第に略されたものであるけれども、その略され方を通して、現行の因脈会がどのような戒学に裏打ちされているかを考察する。まず、「因脈会作法」とはどのような流れになっているか、簡単に確認しておきたい。そもそも、宗門が公式に「因脈会作法」を定めたのは、『昭和改訂曹洞宗行持軌範』(昭和27年)であるが、以下のような説明となっている。概ね授戒会と同じ。唯、日時を短縮する。長さは四五日、短きは二三日或は一日とすることもある。又、月授戒と称して毎月一回(最後二日行ふ)修行することがある。因脈会には登壇並びに上堂は行はない。又、飯台を略して弁当持参とする。迎聖、歎仏、説教、施餓鬼、供養回向、説戒、読...「因脈会作法」考(2)
以前から、「因脈会作法」について、一言記事にしておきたかった。そもそも、宗門で「授戒会作法」を正式に軌範に組み込んだのは、昭和27年の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』からとなる。ところで、現行の『昭和修訂曹洞宗行持軌範』では、「授戒会作法」に関連して、以下の3つが立項されている。・授戒会作法(5~7日)・法脈会作法(3~4日)・因脈会作法(1日)それで、これが『昭和改訂』だと「授戒会作法」と「因脈会作法」しか、目次には載っていない。よって、「法脈会」というのは後で出来たのだと思っていたのだが、ちょっとした違和感を憶えていた。それは、『昭和修訂』に於ける説明文である。・おおむね、授戒会と同じであるが、期間は三日ないし四日とする。ただし法脈会においては、戒師の完戒上堂及び戒弟の登壇は行わない(完戒上堂になぞらえて小...「因脈会作法」考
現在、我々が一般的に「入寺式」と呼ぶ作法は、『行持軌範』では「請首座法」という。しかし、その制定には紆余曲折があったことが知られる。入寺式の事は、固より諸清規に無き者なり、宗内に中古以来一会結制等に於て首座の為に安下処を設けて入寺すること、恰も住持の晋山に類似するもの、其の何の理由たるを知らず、弊の甚きなり。按ずるに現今結制の首座は、諸清規に称する処の首座と其名同ふして其実を異にす。今の首座は三出世の初級にして一種特別の任職と成れり。故に請首座亦特別ならざる可らず。勅修に立僧首座を請する法名徳首座を請する法あれども、今時の用に適せず。禅苑に諸知事・請頭首法あり、勅修に両序進退法あり。僧規・小規は其の全文を採り、又は之を演べ書にせし等皆な今時請首座の法に適せざるのみならず、行礼煩に過ぎ、前後錯雑して穏当なら...「請知事法」と「入寺式」について
曹洞宗の得度作法は、第二次世界大戦後の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』以降に、全宗派で統一された。無論、江戸時代には面山瑞方禅師が『永平祖師得度略作法』を刊行しているし、類似の刊行物は複数存在していたようである。明治時代になると、当時の曹洞宗務局からは『明治校訂洞上行持軌範』が公的な作法書として刊行されるに至り、また、民間の出版社からも、「回向集」の体裁で作法書が複数刊行された。しかし、それらには得度作法が入ることはなかった。やはり、授戒を含む同作法は、室内で伝授される扱いだったのであろう。ところで、明治時代に宗政や宗学振興に尽力された来馬琢道老師の『禅門宝鑑』(鴻盟社・明治44年)には、得度作法が記されている。そうなると、理想論としては室内で伝授されるべき作法だが、それが契わない宗侶にとっては、『禅門宝鑑』の...来馬琢道老師『禅門宝鑑』に見る得度作法について
先日アップした【『仏祖正伝菩薩戒作法』の特徴について】の関係で、拙僧自身、授戒作法中に於ける「衆生受仏戒」偈の問題について、興味を抱いた。この偈について、出典はよく皆さまご存じであるとは思うが、確認しておくと中国以東に於いて菩薩戒の根本聖典の扱いを受けるようになった『梵網経』である。それで、拙僧どもはこの偈について、授戒には付きものだと思っているのだが、もしかするとその観念自体、そう古いものではない、と思うようになった。そこで、宗門授戒作法の中で、この偈がどのように採用されいているのか、確認しておきたい。先に挙げた記事でも申し上げたが、道元禅師に係る授戒作法3本では、以下の通りとなっている。・『出家略作法』不採用・『仏祖正伝菩薩戒作法』採用・『正法眼蔵』「受戒」巻不採用上記の通り、採用しているのは『菩薩戒...曹洞宗の授戒作法に於ける「衆生受仏戒」偈の採用について
先日、県庁前を通過していた時のこと、大きく「世界禁煙デー」と「禁煙週間」についての掲示があった。そこで、ちょっと調べてみた。・2023年世界禁煙デーについて(厚生労働省)以上のリンク先の通りなのだが、1970年に世界保健機関(WHO)が「たばこ対策に関する初めての世界保健総会決議」を行って、その後、1989年には5月31日を「世界禁煙デー」と定めて、たばこ対策を講じてきたという。その上で、日本の厚生労働省では1992年から、「世界禁煙デー」に始まる1週間を「禁煙週間」(5月31日から6月6日まで)として定めたそうである。よって、「世界禁煙デー」は終わってしまったが、まだ「禁煙週間」なので、関連する記事を書いておこうという話である。実は、江戸時代の或る仏教文献を勉強していた際に、たばこについての苦言が呈され...今は「禁煙週間」とのこと(令和5年度版)
この連載では、『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。今回は、全十六章でなっている「布薩式」の「大科第三」を見ていきたい。大科第三灑水灑水し已て偈を説いて唱えて云ふべし、今法水を浴して諸根を浄む、八功徳水当に知るべし是なり、実相一味清浄の水、皆一切煩悩の垢を除く。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方今度は灑水(洒水)である。灑水は他の宗派の布薩作法でも、行われることが多い。ただし、順番は別の場面でのこともある。なお、ここの「灑水」の意義は、偈を見れば分かる通り、諸根(我々の感覚器官)を浄め、一切の煩悩の垢を除くことを意味している。その意味では、清浄にすることである。なお、この「灑水偈」だが、典拠は不明である。概念として類似した文...『浄土布薩式』「大科第三灑水」(『浄土布薩式』参究4)
明治5年(1873)というと、日本仏教界が変容を余儀なくされたことで知られる。特に有名なのが、太政官布告百三十三号で、「肉食妻帯令」と通称される法が発布され、男性僧侶の結婚について自由化された(女性僧侶はその翌年)。しかし、他にも注目したい法令があるので、見ておきたい。○太政官布告第六十三号明治五年二月二十八日従来の僧位・僧官等、永宣示を以て諸寺院より差許置候分、自今総て廃止せられ候條、此の旨相心得、各府県管内寺院へ相達すべき事。米村鐐次郎編『現行社寺法令類纂』明治24年、2頁まず、江戸時代まで各宗派などに認めていた僧位・僧官について、この時をもって廃止されたのであった。現在、拙ブログでは明治時代の釈雲照律師が著した『緇門正儀』で中国での「僧位・僧官」の事例を見ているのだが、既に廃止された後で、どういうつ...明治五年の日本仏教界変容について
これは、大した内容の記事ではない。ただ、以前から、個人的に疑問に思っていたことを、確認しようと思ったのである。それは、「三帰戒」という呼称についてである。もちろん、三帰依を戒と見なせるかどうかという話ではない。それだけなら、江戸時代の日本仏教界の一部でも議論されたことがあって、その結果に納得できているので、そこではない。むしろ、一部の宗派で、在家信者の方の葬儀の時に授戒を行うが、そこでは、例えば菩薩戒十六条戒などを授けている場合があっても、その授けている戒の全体を「三帰戒」と呼ぶことがある。これについて、現場などでの便宜上の呼称なのか、それとも、呼ぶに当たって、何か根拠などでもあるのか、その辺を確認したいのである。色々と見てみたが、やはり葬儀関係の文献が一番分かりやすかった。以前も【大正時代の日本仏教界の...「三帰戒」という呼称について
拙僧つらつら鑑みるに、日蓮宗という宗派に於いて、受戒や持戒がどのような位置付けとされているのか、興味がある。色々な解説本などを見ると、戒を重視されている印象は薄いのだが、日本に於いて、同様の態度は同宗派と浄土真宗に見られ、非常に特徴的であると思う。無論、宗義的な理由もあって、『法華経』或いは『法華三部経(特に、『観普賢菩薩行法経』との関連)』で、以下のようにあることが大きいのだろう。爾の時に行者若し菩薩戒を具足せんと欲せば、応当に合掌して、空閑の処に在って遍く十方の仏を礼したてまつり、諸罪を懺悔し自ら己が過を説くべし。〈中略〉一日乃至三七日、若しは出家・在家にても、和上を須いず諸師を用いず白羯磨せざれども、大乗経典を受持し読誦する力の故に、普賢菩薩の助発行の故に、是れ十方の諸仏の正法の眼目なれば、是の法に...日蓮聖人の説く菩薩戒
備忘録的な記事である。以前から「大戒」という言葉の意味について色々と考えていたのだが、高祖道元禅師御自身の御見解を学んでおきたいと思い、記事にする次第である。拝して後、一両歩進み合掌問訊〈問訊は深かるべし〉して云く、「生死事大、無常迅速、伏して望むらくは和尚、大慈大悲、哀愍して仏祖の大戒を稟受することを聴許したまえ」。『仏祖正伝菩薩戒作法』「戒師請拝」まず、上記一節が最も最初に示された「大戒」表記だといえよう。『仏祖正伝菩薩戒作法』が、中国天童山で、如浄禅師から教わったものという伝承上での話だが、ここで、「仏祖の大戒」という表現が見える。この場合の「大戒」の定義は分からないが、どちらにしても、「偉大なる戒」や「大乗戒」という意味が想定されよう。・夫れ諸仏の大戒は、諸仏の護持したもう所なり。仏仏の相授有り、...道元禅師が用いられる「大戒」表記について
曹洞宗の授戒会は、生前に戒名を頂戴出来る修行として知られている。無論、この場合の「戒名」というのは、仏道修行者としての名前であって、一般的な観念として戒名を「死者の名前」などと扱う人もいるようだが、それは大分省略された物言いだといえる。それで、我々は「●●○○居士」の全体を戒名だと通称しているが、本当のことをいえば、「○○」の二字を「戒名」というのであって、「●●」の部分は道号(禅宗などで用いるようになった、仏道修行者としての通称)であり、「居士」の部分は「位階」である。熱心な方は、宗門の授戒会に繰り返し参加されるという。これは、現代的な事象かと思いきや、昔からそうだった、という話を今日はしておきたい。在家戒弟の列は、著帳の前後によるといへども、或は貴賤によりて列を定るも可なり。もし前度受戒したるか、或は...授戒会を繰り返し修行した際の戒名の扱いについて
今回紹介する口訣は、江戸時代末期に編まれた著者不明『開戒口訣』に見えるものであるため、実際に存在した内容であるかどうかは分からない。ただし、江戸時代末期当時の洞門僧が、『仏祖正伝菩薩戒作法』について、どう捉えていたかが分かるものであるため、参究してみたい。永平開祖、二祖・三祖に嘱して云、菩薩戒作法の如きは、懇に秘在して、旻せしむること勿れと。是故に今に至て、古叢林室中、多く秘在するものなり。『続曹洞宗全書』「禅戒」巻・354頁上段、カナをかなにするなど見易く改めているまず、道元禅師が二祖(懐弉禅師)・三祖(義介禅師)に言葉を托して言われるには、『菩薩戒作法』は秘在して、「旻」させてはならないという。「旻」とは「そら」などの意味であり、このままでは意味は分からない。おそらくは誤字か、翻刻ミスだとは思うのだが...『仏祖正伝菩薩戒作法』伝承に関する口訣について
拙僧つらつら鑑みるに、道元禅師に於ける「律儀」の再構成について、一度考えておくべきであると感じていた。ただ単純に道元禅師が『永平清規』を制定されたということだけでは、それが実際に学人にどう受け止められ、実践されていたかが分からない。また、道元禅師の場合は、まったく禅宗(道元禅師はご自身を禅宗とは名乗られない)への学びがない者達に対して、改めて教育していかねばならないという立場であられたし、しかも、叢林の修行は継続的に行われなくてはならなかった。それを思う時、以下の一節などはいわゆる「律儀」の再構成として考えることが出来るように思う。寮中の儀、応当に仏祖の戒律を敬遵して、兼ねて大小乗の威儀に依随して、百丈の清規に一如すべし。清規に曰く、「事に大小無く、並びに箴規に合すべし」と。然らば則ち須らく梵網経・瓔珞経...『衆寮箴規』に見える「律儀の再構成」について
拙僧つらつら鑑みるに、日本仏教に於ける「出家性」と「比丘性」について、どのように担保されているのかが気になった。無論、1つのことで決まるわけではない。あくまでも、複数のことを検討していく中で、個人的に納得したいということがある。そこで、問題意識の一つとして、現段階で、自分自身の「出家性」や「比丘性」がどのように担保されているか、分かっていないのではないか?と思えるのである。いや、これは、現代に限った問題ではない。この辺が明確にクリアになっているのは、いわゆる「声聞戒」の受戒及びその実践が生きている地域(僧伽)のみであって、日本のように、伝統的に「僧伽」が機能しなかった地域では、常にこの問題を問わねばならなかったはずである。それで、まず問題点の方を先に挙げておきたい。現状、曹洞宗侶が受ける戒(出家得度式・伝...日本仏教における出家性と比丘性について
拙僧つらつら鑑みるに、得度作法・授戒作法を一通り見た上で得た結論としては、個人的には以前より「檀信徒喪儀法」に於ける「授戒」について、何故、安名授与が無いのか?という疑問に対し、それは総授戒運動もあった宗門としては、生前に戒名を受けていることを前提にしているのでは?という仮説をお話ししてきたのだが、どうも違う印象を得た。それは、「安名授与」を含む得度作法というのは、明朝禅による影響の可能性があるということを、【『寿昌清規』に見る「沙弥得度」について】で指摘した。その上で、現在の得度作法は、おそらくはその明朝禅の影響を受けた逆水洞流禅師の得度作法を下敷きにしている可能性があり、古儀とは言い切れない可能性があると指摘したのである。それで、現状の「檀信徒喪儀法」に於ける「授戒」について、その典拠を一々考えること...「檀信徒喪儀法」「授戒」項渉典集
授戒会とは、曹洞宗最大の教化行持であり、多くの人々に対して曹洞宗の僧侶が保持している仏祖正伝菩薩戒を授ける儀式である。それで、三師というのは、戒師・教授師・引請師のことである。この三師が、儀式の中でどういう位置付けになるのかは、勿論授戒会に随喜された宗侶の方であればよくご存じのことだと思うが、最近読んでいる水野道秀老師『授戒の心得』(其中堂書店・明治28年)に解説されるところであったので、確認してみたい。本宗授戒の戒師は、現前師と称して、本宗の僧侶伝法相続以上の人にして、仏祖正伝の大戒を面授面稟せるものは、戒師として其の戒法を転伝弘通して衆生済度の任あるものなり。而して戒師は昔時霊山会上にありて、斯の大戒を授けられたる釈迦仏の位置にして、則はち今の戒師に釈迦牟尼仏として、其の相伝したる仏戒を授け玉ふものな...宗門授戒会の三師について
大宰府が西日本の中心だった頃からこの地にある古いお寺で福岡の隠れた名所、巨大な仏像や国宝の梵鐘で知られています。 宝蔵(写真は案内板から) 戒壇院は僧が守るべき道徳規範や集団規則を「戒律」といい、これを受ける儀式を経て、僧尼と認められました。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2019.12.07 福岡県太宰府市観世音寺西鉄、太宰府駅 百寺巡礼(五木寛之)の本を元に全国を巡って写した、お寺の写真を4Kフォトムービにしています。 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。 https://www.youtube.com/playlist?list=PLBmrxCQ66RO7ofb_WjC_PfRBZqsVvG1QC
以前、【『大般涅槃経』と菩薩戒について】という記事を書いたこともあったが、個人的に諸大乗経典(偽経含む)に見える「菩薩戒」について調べている。他にも、個人的に『梵網経』を学ばせていただいているが、拙僧以前からちょっと気に入らないことがあって、『梵網経』は、「誦戒」を始めとして、儀軌的な側面も見えるのだが、総じてはその意義を説くのが主眼で、梵網菩薩戒を具体的にどのように受けるかは分からず終いであるように思う(中国仏教界では、『梵網経』に授戒儀規を示す一品があったとする人もいるが、本当にあったのかどうか分からない。少なくとも、現存はしていないと思う)。ただ、当然に教団として、『梵網経』を受け容れていくとなると、それを受者に敷衍していくに辺り、儀軌的な側面が軽いのは問題だといえる。無論、儀軌を作り上げていく過程...『観普賢菩薩行法経』に見る菩薩戒について
拙僧自身、「菩薩戒」という大乗仏教の戒律を受けているが、もちろん、「菩薩戒」について概念上は釈尊入滅後の後代に出来た戒律だと理解している。日本では江戸時代には「大乗非仏説」が出て来ているため、もう、数百年くらいは疑わしい状態だったと見ることも出来る。ただ、そういった概念上の問題だけでは、個人的には片付けられないので、「菩薩戒」を勉強し直すべきだと思っている。さて、そうなると「菩薩戒」は、『梵網経』とか『瓔珞経』とか、一部の経典を学ぶ場合が多いが、それらは「仏説」として信じられている(実際のところは、中国成立であることは間違いないが)。よって、「菩薩戒」は仏説として示されたと信じていることになる。また、他の経典にも説かれていて、今日は大乗仏典の『大般涅槃経』から見ていきたい。戒に復た、二有り。一には声聞戒。...『大般涅槃経』と菩薩戒について
『続曹洞宗全書』「禅戒」巻に収録されている逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について検討してみたい。これは、『続曹全』では『剃度儀軌』の中に合冊されており、宝暦2年(1752)に校訂されたという奥書がある。それで、簡単に差定と内容を検討しておきたい。差定は以下の通りである(差定の各項目名は、拙僧が適宜付した)。・堂頭登座・受者三拝・浄道場・堂頭垂誡・奉請三宝・懺悔・洒水灌頂・三帰戒・四弘誓願・諸仏大戒授与・血脈授与・普回向(ただし、回向文は道元禅師『出家略作法』に準ず)・三拝・退堂この中で気になるのは、「四弘誓願」「諸仏大戒授与」「血脈授与」であろうと思う。それ以外は、普通の授戒(喪儀法に於ける授戒含む)などとそう変わらないからだ。そこで、「四弘誓願」であるが、これは、曹洞宗で一般的な得度作法や授戒作法には見...逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について
これは、【安名と戒名について】の続編的記事である。それで、宗門に於ける「安名」という語の典拠について、少し遡ることが出来たので、それを記事にしておきたい。なお、前回の記事では、中国などでの用法に着目して記事にしたけれども、今回は宗門に於ける諸清規・諸作法から検討してみたい。まず、繰り返しになるけれども、道元禅師に由来する『出家略作法』には江戸時代の面山瑞方禅師校訂本(『得度略作法』)も含めて、「安名」の語は出ていない。確認だが、弟子に授けるもの(名前を書いた紙)も、「名前を与える」意味での語の両方とも出ていないのである。よって、道元禅師の頃は、出家に因む名前(僧名・戒名)の授与に、「安名」とは使われていなかったことを指摘するものである。それで、江戸時代になってきて、出家得度作法が多様化してくると、幾つかこ...「安名」の語について
中国禅宗の六祖慧能(638~713)については、以下のような伝記的記述が残されている。二月八日、法性寺智光律師に就いて満分戒を受く。其の戒壇、即ち宋朝・求那跋陀三蔵の置くところなり。『景徳伝灯録』巻5「慧能禅師章」それで、問題はこの「満分戒」と呼ばれるものが、いわゆる声聞戒(比丘戒)なのか?菩薩戒なのか?ということである。この点について、以下のような議論があった。六祖大師受くる所の具足戒、是れ菩薩大乗戒なり。〈中略〉則ち智光の授くる所、決して菩薩大乗戒なり、疑うべからず。石雲融仙『叢林薬樹』上巻、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・22頁上段なお、この根拠については、よく分からない。様々な経論は引用しているけれども、石雲の見解を直接確定してくれる文脈は無いのである(ただし、具足戒を菩薩戒と見る文脈は存在している)。...中国禅宗六祖慧能の受戒をめぐる曹洞宗内での議論について
菩薩が受持すべき菩薩戒については、色々な組み合わせがあるのだが、その中でもかなり変わった内容なのが、以下の一節である。仏、文殊に告ぐ、若しくは男子・女人、三自帰を受け、若しくは五戒、若しくは十戒、若しくは善信菩薩二十四戒、若しくは沙門二百五十戒、若しくは比丘尼五百戒、若しくは菩薩戒を受け、若しくは是の諸戒を破りて、若しくは能く至心に一たび懺悔するものは、復た我れの説く、薬師瑠璃光仏、終に三悪道中に堕せず、必ず解脱を得ることを聞け。『仏説潅頂経』要するに、破戒をしても、薬師如来に帰依をすれば、三悪道に堕落しないということが説かれている。なお、上記経典と、どういう相互関係にあるのかは当方には判断しようがないが、上記の内容が薬師如来に関するものである時、実は、薬師如来関連の経典との繋がりをこそ、先に見るべきだっ...「菩薩二十四戒」の話