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『大比丘三千威儀(または『三千威儀経』)』(上下巻)という文献がある。要するに、比丘として修めるべき、諸威儀や修行法などを簡潔に示した文献なのだが、色々と学ぶことが出来るので、見るようにしたいという気持ちがある。今日は、その巻上の冒頭から引用してみた。仏弟子とは、二種有り、一つには在家、二つには出家なり。在家とは、初め五戒を受けて本と為し、三悪趣を遮り、人天の福を求む。以て未だ能く永く捨家・眷属・縁累を捨てざるが故に、更に三戒を加えて前の五戒を助け、一日一夜に未来世に永く出因縁を種えよ。出家とは、行に始終、上中下業有り。下出家とは、先づ十戒を以て本と為し、形を尽くして受持す、家・眷属・因縁・執作を捨て、俗人等に於いて是れ出家なり、具戒に於いての故に是れ在家なり、是れを下出家と名づく。其れ中出家とは、次に応...『大比丘三千威儀』に示す在家と出家の話
中世室町期に後花園天皇に授戒した天台宗の鎮増和尚が詠まれた偈頌を紹介したい。生死の大海を渡り、無生の彼岸に到る、木叉を以て船筏と為し、無明の迷闇を除き、仏果の智見を開き、戒光を以て伝灯と為す。『円頓戒要義』なお、後花園天皇の受戒は、宝徳2年(1450)12月だと伝わるので、この文献もまた、中世の天台宗の戒観を知る手掛かりということか。調べてみると、鎮増和尚とは、元々京都白川に所在した天台宗寺院にいて、寺内には戒壇もあったという。また、独自の戒灌頂という作法も行っていたようだが、当方、勉強不足でこれ以上、この辺は深めることが出来ない。そういえば、この元応寺だが、応仁の乱に於いて伽藍を焼失して衰退し、16世紀後半には現在、滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(天台宗)に吸収されてしまったという。さて、経緯は以上のよう...或る天台僧が示した授戒の偈
鈴木正三道人(1579~1655)といえば、仁王禅に象徴されるように、どこか坐禅・禅法に注目していた人だというイメージがあるが、それ以外にも説法したことがある。そこで、今日は正三の『反故集(手紙を集めたもの)』上下巻(堤六左衛門・寛文11年[1671]版)から見ておきたい。五戒を持て人道に生ずる事、最分明也。五戒を持する人は偽無真の身心を修する人也。故に其報に心正しく身全して六根完具の人間と生を得也。又五戒は五常に相通じて正直の道也。此故に知べし、現に五常正き男女と生を得来事は、偏に前世持戒の功力なる事を。然ども今時、持戒正き人希なるが故に、人体を得来といへども、心は大約鬼畜也。地獄の馬を画に書て其面ばかり人たる相を顕す事是なり。此を以て人々自心を顧て五戒を犯す事莫れ。若然らずんば忽人身を失して万劫千生三...鈴木正三道人の五戒論(1)
或る大乗経典を読んでいたら、「浄僧」に関する話を見出したので、採り上げてみたい。なお、これは、【「第一義僧」のお話し】の続きの文章である。復た次に、族姓子よ、四種の僧有り。何等をか四と為すや。第一義僧、浄僧、唖羊僧、無慚愧僧なり。〈中略〉云何が名づけて浄僧と為すや。諸もろの能く波羅提木叉具足戒を持つ者有りて、律の如く修行し威儀犯さず、是れを浄僧と名づく。『大方広十輪経』巻5「衆善相品第七」浄僧というのは、結局波羅提木叉(具足戒)を持つものだという。律の通り修行する者を呼ぶので、その通りである。なお、『法苑珠林』巻19と、『諸経要集』巻2に、それぞれ「十輪経云く」として引用されているのだが、『法苑珠林』は「浄僧」で、『諸経要集』では「清浄僧」となっている。・・・何故か違っているが、「清浄僧」という表現を見て...「浄僧」のお話し
『釈氏要覧』とは、中国の北宋代の道誠によって編集され、天禧3年(1019)に全3巻として成立した。初学者向けの、仏教用語事典のような位置付けであり、日本でもかなり参照されたことが知られる。その中に、「戒法」という一章があるが、当ブログではしばしば採り上げている。今回は、その名も「戒」という項目を見ておきたいと思う。戒智度論に云わく、梵語に尸羅、秦に性善と言う。○古師云わく尸羅、此に戒と云う、止過防非を以て義と為す○増輝記に云わく、戒とは警なり。三業を警策し、縁非を遠離するなり。○優婆塞戒経に云わく、戒とは制と名づく。能く一切の不善の法を制するが故に。○菩薩資糧論に云わく、尸羅とは、清涼の義なり。心の熱悩を離れるが故に。安穏の義、能く他の世楽の因と為すが故に。安静の義、能く止観を建立するが故に。寂滅の義、涅...『釈氏要覧』の「戒」という項目
いわゆる菩薩戒は大乗戒とも呼称されるけれども、そこから更に、「一乗戒」という用語にも展開する。いわゆる「法華一乗思想」との関係で、天台宗が用いた印象ではある。日本の文献にはなってしまうが、以下の一節を見ておきたい。弘仁十四年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺一乗止観院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。前入唐天台法華宗内供奉付法伝灯大法師位義真和上、一乗戒和尚と為す。承和元年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺戒壇院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。内供奉延暦寺伝灯大法師位円澄和尚、一乗戒和尚と為す。『伝述一心戒文』巻上この文脈は、「被最初年分試及弟得度聞傳宗旨文」と名付けられたものの一節で、要するに、光定自身がどのような受戒遍歴を辿ったかを記録したもののようである。それで、ここに「一乗戒」という表現が複数見...「一乗戒」という用語の雑感
この記事は、あくまでも普寂上人の『菩薩三聚戒弁要』を読んだ、という備忘録的な内容である。同書の中で、分受戒についての指摘があったので、それを見ておきたい。もし摂律儀戒は、或は十重四十八軽戒を受持し、或はただ十重禁戒を受持し、或は十戒の中において、一戒二戒乃至九戒分受することを許す。又、在家出家護持おなじからず。下に至りて弁ずべし。以上の通りなのだが、十重四十八軽戒の受持について、区々だということになっている。詳細は、後で弁ずるとは書いているが、具体的には「戒相を弁ず」の項目が該当するようである。戒相とは即ち十重四十八軽戒なり、受者の意楽まちまちなり、或は軽重具さに受くるあり、或は唯十重禁戒を受得し、軽戒は隨分受学するあり、或は十重の中、一戒乃至九戒分に随ふえ受学するあり、又一々の戒を受学するにも、其持犯開...普寂上人『菩薩三聚戒弁要』に見る分受論
駈込寺(かけこみでら)の論理 中世の駈込寺(かけこみでら)は、追われた人を救済する聖域(アジール)でした。 草履の片方でも塀の中へ放り込んだら、もう借金取りも追いかけることを諦める。 そういう不文律が成り立っていたそうです。 駆け込んできた
発端は、明治政府が発令した太政官布告 日本のお坊さんは肉食も飲酒も、妻帯もなさっているかたが多いです。発端は明治政府が発令した太政官布告なのですが、それから150年以上もたって大半のお坊さまが肉食・飲酒していらっしゃるのに、いまだに 坊さん
それでは、今回から『浄土布薩式』の本文を学んでみたい。まずは、冒頭部分である。浄土布薩戒上大日本国華洛沙門源空述浄土宗頓教一乗円実大戒布薩法式『続浄土宗全書』巻15・74頁『浄土布薩式』は上下2巻本である。それから、法然上人の署名は、「大日本国華洛沙門源空」となっている。「華洛」とは、華やかな都という意味であり、端的に京都にいた法然上人のことを指すとはいえる。それから、この布薩を行う戒の名目が凄い。「頓教一乗円実大戒」とある。頓教なので、すぐに悟れる教えであり、一乗であるから誰一人救われない者がおらず、円実だというから、円かで真実なる大戒だという意味になる。なお、「頓教一乗」という語句は、『円覚経』の註釈書に見えるもののようだが、実際の著者確定に関わるものだろうか?分からない。若し、此の法式を行んと欲する...『浄土布薩式』の冒頭(『浄土布薩式』参究1)
本文には無いことでも、補って読むと分かる文脈もある。以下の一節などはどうか。復た次に、是の菩薩、慈悲心を生じ、阿耨多羅三藐三菩提を発し、布施し衆生を利益せんとし、其の須いる所に随いて、皆、之を給与す。持戒して衆生を悩まさず、諸苦を加えず、常に無畏を施し、十善業道を根本と為し、余は是れ衆生を悩まさざる遠因縁なり。戒律、今世に涅槃を取ると為す故に、婬欲、衆生を悩まさざると雖も、心、繋縛する故に大罪と為す。是を以ての故に、戒律中、婬欲を初と為す。白衣、不殺戒、前に在り、福徳を求むると為すが故に。菩薩、今世に涅槃を求めず、無量世中に於いて生死を往返し、諸もろの功徳を修す。『大智度論』巻46「釈摩訶衍品第十八」まず、上記の文献は、鳩摩羅什訳『大品般若経』に対する注釈であるから、大乗仏教だし、菩薩の戒律としても「十善...『大智度論』に見る出家と在家の戒の違い
以前、「持戒の上中下」について考えたのだが、その時に、取り残した問題があったので、今日はそれを採り上げてみたい。元になっている一節は以下の通りである。若し護らず、放捨すれば、是れを破戒と名づく。此の戒を破れば、三悪道中に堕つ。若し下持戒ならば人中に生じ、中持戒ならば六欲天中に生じ、上持戒又たは四禅・四空定を行ずれば、色無色界の清浄天中に生ず。上持戒に三種有り、下清浄持戒ならば阿羅漢を得、中清浄持戒ならば辟支仏を得、上清浄持戒ならば仏道を得。『大智度論』巻13「初品中尸羅波羅蜜義第二十一」それで、冒頭のリンク先の記事では、この持戒のあり方にも様々な状態があることを紹介したのだが、更なる課題としては、上記の一節に於ける「上持戒の上中下」である。そもそも、持戒のあり方に区別があるというのは、この場合、十善戒で守...「上持戒の上中下」について
以前、【「名字比丘」について】という記事を書いたのだが、その続編に当たる記事である。具体的には、「名字比丘」という言葉が用いられている文脈を探ってみよう、という話である。今回は、日本に於ける末法思想の様相を示すとされる『末法灯明記』を見てみたいと思う。こちらの文献は、古来より伝教大師最澄の著作だとされるが、仮託されたものとされる。なお、同書は文中で問答が続くのだが、その中で「名字比丘」についても論じられている。例えば、以下の問答である。問て云く、諸の経律の中に、広く破戒を制して、入衆を聴さず。破戒尚に爾なり。何に況んや無戒をや。而るに今重ねて末法の無戒を論ず。豈瘡無きに自ら以て傷つけんや。答う、此の理、然らず。正像末法の所有の行事は、広く諸経に載す。内外の道俗、誰か披きて諷せざらん。豈自身の邪活を貪求して...続・「名字比丘」について
禅宗の考え方なのかもしれないが、いわゆる修行道場としての「叢林」について、どういう場所であったのか、見ておきたい。演祖曰わく、所謂叢林とは、聖凡を陶鑄し、才器を養育するの地、教化の従出する所なり。群居類聚すると雖も、之を斉しく率い、各おの師承有り。今、諸方、先聖の法度を務め守らず、好悪偏情なり、多く己の是を以て物を革む。後輩をして当に何れの法を取らしむるべきか〈二事坦然集〉。『禅林宝訓』巻1こちらの『禅林宝訓』という文献だが、中国臨済宗楊岐派の大慧宗杲禅師(圜悟克勤禅師の法嗣)と竹庵士珪禅師(仏眼清遠禅師の法嗣、なお圜悟と仏眼はともに五祖法演禅師の法嗣)が、先人の言葉を集め、更にはコメントを付すなどした文献を、沙門浄善が編集して中国南宋の孝宗皇帝の時代の淳熙年間(1174~1189)に成立している。上記、...叢林とはどのような場所か?
岩波文庫でも読むことができる、『大般涅槃経』(『ブッダ最後の旅』、南伝のパーリ仏典を訳した)では、釈尊の葬儀について、阿難陀尊者にはかかずらうな、といったという。その点、北伝でも『遊行経』という経典で、同じことをいっているので、見ておきたい。時に阿難、即ち座より起ちて、前の仏に白して言わく、「仏の滅度の後、葬法は云何」。仏、阿難に告ぐ、「汝、且く黙然して、汝の所業を思え、諸もろの清信士、自ら楽いて之を為す」。時に阿難、復た重ねて三啓す、「仏の滅度の後、葬法は云何」。仏、言わく、「葬法を知らんと欲せば、当に転輪聖王の如くすべし」。阿難、又た白す、「転輪聖王の葬法は云何」。仏、阿難に告ぐ、「聖王の葬法、先づ香湯を以て其の体を洗浴し、新劫貝を以て周遍し身に纏い、五百張の畳を以て、次いで之を纏うが如し。内身を金棺...『遊行経』に見る葬儀否定論
この連載を続けていて、少し気になることがあった。この連載は、「僧位・僧官」についての記事をアップしているのだが、実は釈雲照律師が『緇門正儀』を刊行した明治13年までに、以下の布告があったはずなのである。○太政官布告第六十三号明治五年二月二十八日従来の僧位・僧官等、永宣示を以て諸寺院より差許置候分、自今総て廃止せられ候條、此の旨相心得、各府県管内寺院へ相達すべき事。米村鐐次郎編『現行社寺法令類纂』明治24年、2頁このように、「僧位・僧官」について、少なくとも国が定めていたようなものは、明治5年の段階で廃止されたということなのだろう。そうなると、雲照律師には、この辺の政策に対する何らかの意図があったのかな?と思えてくる。この辺、もし何か分かることがあれば、今後も検討したい。ということで、ここ数回、釈雲照律師『...「第一官律名義弁」其八(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・8)
今回から、新連載を始めたい。読んでいく文献は、浄土宗でかつて行われていた『浄土布薩式』という式次第・作法・思想を示したものである。この「布薩式」だが、【浄土布薩戒(新編浄土宗大辞典web版)】という項目を見ていただければ、だいたいの様子は分かると思う。『続浄土宗全書』でも、法然上人(源空)の著作とはなっているが、江戸時代には既に疑義が呈され、現在では法然上人の著作とは認められていない。その議論へ影響を与えたこととして、『浄土布薩式』(上下巻)が、慶安元年(1648)に開版されたことも大きいといえよう。『続浄土宗全書』巻15には、関連する議論も収録している。なお、明治時代初期の福田行誡上人の改革などによって、「布薩戒」は廃止されており、この連載記事はあくまでも歴史的な事象を扱うだけであるが、見ていきたいと思...新連載開始(『浄土布薩式』参究0)
慈雲尊者が、こんな話をしていた。若末世にても、如来の正法正義によりて、二百五十戒を守り、四縁・十縁具足して、如法に法義を勤めますれば、此人が末世の大福田・大導師じや。此を僧宝と云じや。何様な学者でも、智者でも、手跡が見事でも、持戒清浄で無ければ、実の僧宝では無い。結縁の分斉じや。慈雲尊者『三帰法語』11丁表さて、今回見ていきたいのは、持戒清浄かどうかで判断される、僧宝と結縁の問題である。ただ、当方の調べ方が悪いと思うのだが、慈雲尊者がどの辺を典拠にしてこれを仰っているのかが分からなかった。ただ仰っていること自体は理解しておきたいと思う。まず、慈雲尊者は「末世(末法)」であることを前提に話をしておられる。末法の世とは、教行証の教のみが残る時代ともされており、行証が無いという。しかし、ここでは如来の正法と正義...僧宝ではなく結縁という話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。受戒の功徳殊勝の行、無辺の勝福皆な回向す、普ねく願わくは沈溺の諸有情、速かに無量広仏刹に往かんことを、回向因縁三世仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。『伝授三壇弘戒法儀』類似した偈文(回向文)は、中国明代あたりから編まれた受戒作法書などに見られるものである。よって、受戒の法会が行われた時に唱えられたものだといえよう。ところで、この偈文には幾つかの類似した表現があるのだが、違いとしては、4句目の「広仏刹」が「光仏刹」になるパターンがあるということと、「略三宝」の「回向因縁三世仏」が、通常の「十方三世一切仏」となる場合がある。個人的には、「広仏刹」よりは、「光仏刹」の方が、いわゆる無量光仏たる阿弥陀仏が主宰する極楽浄土のイメージになるので、適しているのではないかと思う...或る受戒作法に見る回向偈
ちょっとした時事ネタではあるが、記事にしてみた。なお、日本の話ではなくて、お隣の韓国での報道である。・「修行期間」なのにタイに遠征ゴルフ…海印寺僧侶だった=韓国(中央日報)以上の通りなのだが、ここでいう「修行期間」というのは、10月15日から1月15日まで行われる「冬安居」のことである。しかし、海印寺の上層部に属する僧侶2名が、タイにゴルフに行っていたらしく、それが批判されているようだ。なお、今回が初めてではなくて、過去にも同様の問題が起こしているようなので、ちょっと別様の感想を抱いた。つまり、韓国仏教界も、「世俗化」が進んでいるのではないか、という話である。日本は元々、一部宗派で僧侶の結婚が行われるなどしていたが、明治時代に入り、当時の国の宗教政策の関係もあって、僧侶の結婚について、国が規制することが無...僧侶のゴルフ問題について
『釈氏要覧』巻1「受戒」項を見ていたところ、「持戒三心」という項目を見出した。内容は非常に短い一節だ。瑜伽論に云く、「一つには有為を厭うの心、二つには菩提を求趣するの心、三つには有情を悲愍するの心なり」。『釈氏要覧』「持戒三心」項それで、上記のように典拠は『瑜伽論(瑜伽師地論)』だとはするが、同論にはこの字句のままでは出て来ないし、この3つが繋がる形で説示されている箇所も良く分からない。それで、色々と調べてみたところ、先行する文献として、以下の一節を見出した。第四門中、制して三聚を立つ。中に於いて略ぼ五義を以てこれを制す。一つには起因の不同なるが故に三聚を立す。起因と言うは、一つには有為を厭う心、律儀戒を起つ。二つには菩提を求むる心、摂善戒を起つ。三つには衆生を念う心、摂生戒を起つ。『大乗義章』巻10「三...「持戒三心」について
既に、この辺は先行研究もあるので、今回は個人的な備忘録的な記事である。『四分律』を見ていると、「調部」という言葉が出て来る。例えば、以下の通りである。二律、并びに一切の犍度、調部、毘尼増一、都て集めて、毘尼蔵と為す。『四分律』巻54つまりは、「調部」というのは、『四分律』を構成する一部分を指している。そして、更に見ていくと、巻55~57が、「調部」第一~三となっている。よって、以下のようにも紹介される。調部毘尼〈五十五、六、七、共に三巻〉。霊芝元照『四分律行事鈔資持記』上一上「釈序題」巻数を確認しただけである。それで、『四分律』の該当箇所を見ていくと、以下のような記述があることに気付く。爾の時、世尊、毘舎離に在り。時に優波離、即ち坐より起ちて、偏えに右肩を露わし、右膝を地に著けて、合掌して仏に白して言わく...『四分律』の「調部」とは何か?
「心城を守る」修行について、以下のような一節を見出した。演祖曰わく、衲子、心城を守り、戒律を奉り、日夜、之を思い、朝夕、之を行ぜよ。行、思を越えること無く、思、行を越えること無し。其の始有れば、其の終成る。猶お耕せば之に畔有り。其の過、鮮しや。『禅林宝訓』巻1「演祖」というのは、臨済宗楊岐派の五祖法演禅師ということで良いのかな?そこで、「心城を守る」という話が出ているのだが、同時に「戒律を奉」るべきだという。そして、自己自身の身心を耕すと、「畔」が出来るので、誤りが無くなるという。ところで、この「心城」については、『華厳経』「入法界品」などに見える。その場合、「心城」は24種類の効能に繋がっていくのだが、結局は調えられた自己の様子を示したものだと思われる。それで、『華厳経』の註釈書を見ると、以下のような説...「心城を守る」修行について
以前から、個人的に注目していた概念に、「礼節威儀」としての戒という位置付けがあるのだが、とりあえずちゃんと調べると、以下の一節が知られる。若しくは言行相応とは、能く罪を捨てると為し、先づ十戒を授け、三年失無くんば、乃ち二百五十戒を与う。其れ十戒を本と為し、二百四十戒を礼節威儀と為す。『般泥洹経』巻下これは、阿含部系の涅槃経(釈尊入滅を扱った経典)なのだが、いわゆる声聞戒(比丘戒)について、「十戒が基本」であり、残りの「二百四十戒」については、「礼節威儀」であるとしているのである。ところで、上記一節については、おそらく最初に沙弥十戒を授けていて、その後三年、戒律に関する過失が無ければ、二百五十戒を授けるべきだということになる。上記の異訳である『仏般泥洹経』巻下でも、上記とほぼ同じとなる一節があるのだが、そち...「礼節威儀」としての戒について
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。問、菩薩戒に就て通受・別受と云事ありと聞り。吾等椎にして一向に其訳を知らず。願くは慈悲を垂て詳に示し玉へ。答、通受・別受の名は源と表無表章に出たり。三聚浄戒に於て、単に摂律儀戒ばかり〈比丘は二百五十戒、乃至優婆塞は五戒なり〉を受るを別受と号す。摂律儀戒と摂善法戒と饒益有情戒との三聚を残らず総通して受持するを通受と云なり。諦忍律師『梵網経要解或問』カナをかなにするなど見易く改める諦忍妙竜律師(1705~1786)という人は、江戸時代の八事興正寺(現在は高野山真言宗で、名古屋市内)の5世だった人である。なお、律学を能くした人として知られる。そのため、以上のような問答に及んだといえよう。これは、何を扱っているかというと、菩薩戒に於いては「通受」と「別受」という考えがあるが、...諦忍律師が示す菩薩戒の「通受と別受」について
以前も、他の目的のために拙ブログで引いたこともあるのだが、とりあえず以下の一節を見ておきたい。菩薩戒経に云く、「我が本元自性清浄なり」。若し自心を識り見性すれば、皆な仏道を成ず。『六祖壇経』以上のような引用文があるのだが、これは実は、「取意」の文章となっていて、典拠とおぼしき一節は以下の通りである。是の如き十波羅提木叉、世界に出づ。是の法戒は、是れ三世一切の衆生、頂戴受持するところ、吾今、当に此の大衆のために重ねて十無尽蔵戒品を説くべし。是れ一切衆生の戒の本源にして自性清浄なり。『梵網経』下巻中国成立とされる『梵網経』であるが、戒の本源に「自性清浄」を設定していることが分かる。しかし、六祖慧能禅師は、あくまでも「我が本元」を自性清浄だとしている。その本元たる自心を知り、見性(自性を見る)すれば、仏道を成ず...『六祖壇経』に引く『菩薩戒経』の話
江戸時代の浄土宗・普寂上人(1707~1781)には『菩薩三聚戒弁要』という著作が残されているが、初学者向けに三聚浄戒の綱要を説いた文献として知られる。よって、その一部について学んでみたい。もし肯信する人ならば、をのづから二種の生死は、性に逆ふ妄法なりとしりて、しきりに厭背の心をおこし、一乗の因果は性具の妙道なりと聞て、深く楽欲を生じ、即ちその生死を出離し、賢聖道におもむく大願・大行を立べし、いはゆる大願は、即ち発菩提心なり、いはゆる大行は、即ち三聚浄戒なり、三聚戒は、一には摂律儀戒、謂く一切の悪をやむるなり、二には摂善法戒、謂く一切の善を修するなり、三には摂衆生戒、謂く一切の衆生を救摂するなり、此三聚戒は、願を此生に立て、行は三僧祇劫に満なり、『菩薩三聚戒弁要』非常に簡単な説示ではあるが、菩薩が賢聖道に...大行としての三聚浄戒
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。上堂、僧問う、無心、即ち是れ戒なり。如何なるか是れ無心戒。師云わく、野色に寒霧籠もり、山光に暮煙を斂む。『古雪哲禅師語録』巻4中国明代の禅僧・古雪真哲禅師の言葉であるが、ここで「無心戒」について問われている。それに対し、自然の風景を読み込むことで、「無心」を表現したものとなっている。この辺、徹底無心を追究すると、自然の様子に自ずと展開されることを意味している。そこで、問題も残る。つまり、その無心の様子が、「戒」になるかどうか、である。そうなると、明らかに異なる宗義を持つ宗派も存在している。即ち知る、全心是れ戒なり、全戒是れ心なり。心を離れて戒無く、戒を離れて心無し。南嶽慧思『受菩薩戒儀』これは、伝説的な天台宗の祖師となる南嶽慧思の見解ともされる文脈だが、ここで、「...或る禅僧の語録に見える無心戒の話
ふとしたことから、日本天台宗の文献を見ていたら、気になる一節が見られたので、掘り下げてみたい。菩薩戒壇院〈亦た法華戒壇院と名づく〉。別当義真知院事光定『当山十六院事』、『伝教大師全集』巻5、『渓嵐拾葉集』にも見えるこの文章だが、一応、弘仁9年(818)に最澄と義真の連名でもって示されたものだというが、取り扱いには注意が必要なのだろう。何故ならば、この文章には以下のような「口訣」が付属されている。口決に云わく、十六院事、悉く建立の儀無し。伝教大師の御代、十六院の寺号を置き、別当・三綱等を任ずると雖も・・・同上要するに、先に挙げた文章は一応、最澄が生前に定めたものだという体裁を整えるための文章である可能性が高い。それで、最澄が生前、比叡山に「大乗戒壇」を設置したいと願っていたのは、良く知られたことだと思うが、...日本天台宗の文献に見える「法華戒壇院」について
声聞戒に於ける比丘戒を受ける場合には、「遮難」といって、その資格を厳しく尋問することが定められているが、菩薩戒の場合には広く授戒させることを理念としていることもあって、この辺の資格への疑問は、かなり曖昧である。そこで、授戒時に尋問される内容は、「七遮」となっている。例えば、以下のような作法が知られている。第六問遮即ち能く発心し、行相を建立すべし。行相、自行化他を出づ。自行なるが故に上求なり、利他なるが故に下化なり。汝等、既に発心の相を知りて、堪能し四弘を成就満足す。此れ但だ現在身心の発趣なり。若し遮難有れば、戒品発せず。故に梵網経に云く、若し七遮有れば、受戒と為すに応ぜず。今、汝に問う。当に実の如く答うべし。若し実をもって答えざれば、徒らに自他を苦しむ。〈中略〉汝等、曾て仏身より血を出さざるや、不や。応に...菩薩戒の「七遮」への雑感
『梵網経』の註釈書を読んでいたら、以下の一節を見出した。又、真偽沙門経に云わく、比丘に二事有れば、鑊湯中に堕す。一つには常に愛欲心を念ず。二つには喜愛、知友を結ぶ。聖言、此の如し。意念、尚お鑊湯に堕す。況んや身語の過患、甚だ重からんや。法蔵『梵網経菩薩戒本疏』「初篇婬戒第三」項気になったのは、この『真偽沙門経』という経典である。すると、本書の註釈者である江戸時代の鳳潭法師が、以下のように示している。〇真偽経とは、開元録五に云く、京声の出づる所、迦葉禁戒経と文句全同し、乃ち是れ彼の経の異名なり。録家錯て上す。鳳潭『梵網経菩薩戒本疏紀要』巻2要するに、『開元釈教録』巻5を参照しつつ、『迦葉禁戒経』と同じものだとしている。他にも、『摩迦比丘経』などとも呼ばれている。実は、この『迦葉禁戒経』については、学ぶ機会を...『真偽沙門経』とは何か?
連載終了に当たって(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・17終)
前回までの連載記事で、義浄『南海寄帰伝』「十九受戒軌則」を学び終えた。ただし、その上で、個人的にはもう少し学んでおくべきことがあるような気がしている。それは、義浄が批判した「訛」についてである。この「訛」は、日本語では「なまり」や「方言」を意味する言葉になる。実際に、漢語としても基本は同じで、本来の様子から変化したことを指す。つまり、義浄が自著で「訛」としたのは、以下のような事例である。西方の僧衆、将に食するの時、必ず須らく人人、手足を浄洗し、各おの小床に別踞す、高さ七寸なるべし、方は纔に一尺ばかり。『南海寄帰伝』巻1「三食坐小床」このように、西方の僧侶たちは、食事の時に手足を洗ってから、「小床」に個別に坐っていたという。つまりは、椅子に坐って食べていたというのである。だが、中国では以下のように替わったと...連載終了に当たって(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・17終)
今回から、平田篤胤『出定笑語』で第2巻に入っていくが、ちょうど1~2巻にまたがって論じられているのが、釈尊の成道についてである。そこで、前回までは篤胤が設けた課題に基づいて論じたが、今回は敢えてこちら側からの見え方ということで、篤胤が釈尊の成道について、どのように評しているかをまとめてみたい。その際、例えば、釈尊の成道については、特に禅宗などで劇的な論じ方がされる印象があるが、篤胤は余り神秘的な論じ方を好まない。そうなると、劇的な釈尊成道の場面などは、篤胤は忌避するだろうから、その確認を行ってみたい。・・・いやあの、結論から言うと、全然書いてなかった。もしかして、「成道」という悟りの場面について、理解出来なかったのだろうか。例えば、以下のような一節はどうか。偖悉多は山に入て右の如く坐禅観想を為て、終に其道...篤胤による釈尊の成道評(拝啓平田篤胤先生23)
以前、臨済宗の『塗毒鼓』に『葛藤集』という文献が収録されているのを見たが、いわゆる公案の本則ばかりを集めた文献で、江戸元禄期には存在していたことは明らかだが、編著者などは分かっていないらしい。それで、当方なりに『塗毒鼓』所収の『葛藤集』を読んでいたのだが、最近、単行本の『宗門葛藤集』(柳枝軒・安政5年版)を入手したので、それも読んでいた。その時、或る一則が気になったので、採り上げてみたい。人有て恵覚禅師に問ふ、某甲、平生、牛を殺ことを愛す。還た罪有や否や。覚曰く、罪無し。曰く、什麼と為てか罪無や。覚曰く、一箇を殺し、一箇を還す。『宗門葛藤集』巻下・35丁表、原典に従って訓読まず、恵覚禅師と聞いて、当方は最初、瑯瑘慧覚禅師のことかな?とか漫然と思っていたが、全然違っていた(;゜ロ゜)この恵覚禅師は『景徳伝灯...或る人が禅僧に問うた殺生と罪
近現代の日本仏教の僧侶は、結婚することが多く、そのため、他の国の僧侶との違いがあると指摘されることがある。とはいえ、実は法度で禁止されていた江戸時代から、隠れて結婚する事例があったとはされ、それに相応する用語もあった。なお、「大黒」というのは、隠語であって、これは大黒尊が寺院の庫院(庫裏)に置かれていることが多く、僧侶の妻も庫院の奧に隠されているので、「大黒」と呼ばれたのである。さて、それで、僧侶の妻を示す用語として、より表向きだったのは「梵妻」或いは「梵嫂」であった。「妻」は説明を要しないが、「嫂」は見慣れない人もいるかもしれない。本来は「兄嫁」を意味する言葉だったので、敢えて「梵嫂」とすることで、「僧侶本人の妻では無い」印象を持たせたかったのかもしれない。ただし、明治時代の文献を見ると、「梵妻」と「梵...梵妻・梵嫂・寺庭婦人
まぁ、ちょっとした雑考である。以前から、拙ブログでは、「戒名」という用語に注目して、色々と考察してきたのだが、今回は「戒名」が「死後の名前」だと理解されたのはいつ頃からか?というのが気になっている。本来は、仏弟子となって受戒し、その時に授けられる「仏教徒としての名前」だったはずだが、いつの間にか、「死後の名前」という理解がある。おそらくは江戸時代には既に一般化されているとは思うが、明治時代になってすぐの資料にも見出したので、紹介しておきたい。KAI-MYO,カイミヤウ,戒名,n.ThenamegivenbytheBuddhiststoadeceasedperson,posthumousname.『和英語林集成』1872年、199頁以上の通りなのだが、訳してみると、「仏教徒が故人につけた名前、おくりな」の意...「戒名」が「死後の名前」と理解されたのはいつ頃からか?
以前、【『大智度論』における出家律儀の種類について】を書いたときに、まだ採り上げないままの文章があったので、この記事で見ておきたい。問うて曰く、沙弥十戒、便ち具足戒を受く。比丘尼法中、何を以てか式叉摩那有りて、然る後に具足戒を受け得るや。答えて曰く、仏の在世時、一りの長者婦有り、懐妊を覚えずして、出家して具足戒を受く。其の後、身、大いに転現し、諸もろの長者、比丘を譏嫌す。因みに此に二歳学戒有りて制し、六法を受けて、然る後に具足戒を受く。問うて曰く、若し譏嫌と為るは、式叉摩那、豈に譏に到らざるや。答えて曰く、式叉摩那、未だ具足戒を受けざるは、譬えば小児の如し、亦た給使の如し。罪穢有ると雖も、人、譏嫌せず。是れを式叉摩那、六法を受けると名づく。是の式叉摩那に二種有り。一つには、十八歳の童女、六法を受く。二つに...『大智度論』における具足戒の受け方について
適度な飲酒は認められている寛容な「唯一神 真知宇 イエス教会」 関西の同志社卒 増田真知宇 先生
適度な飲酒は認められている寛容な「唯一神 真知宇 イエス教会」 適度な飲酒は認められている寛容な「唯一神 真知宇 イエス教会」イエス・キリストは「最後の晩餐」…
気になる文脈があったので、紹介しておきたい。若し、瓔珞経に依らば、戒師、羯磨の方法を作さざれば、初めに過去の一切仏を礼せしめ、次に未来仏を礼せしめ、次に現在仏を礼せしむ。是の如く三礼し已らば、法・僧も爾る所なり。次に三帰依戒法を受けしめ、次に三世の罪を懺悔せしむ。次後に正に十無尽戒を授く。吉蔵『勝鬘宝窟』巻上さて、ここで『瓔珞経』と言っているのは、『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品第七」であると思われる。だが、実際の原文とはだいぶ違っている印象である。上記の文章を見ると、以下の差定となっている。過去仏礼拝未来仏礼拝現在仏礼拝法・僧礼拝三帰依戒法三世罪懺悔十無尽戒ところで、典拠と思しき、『瓔珞経』での差定については、以下の通りである。仏、諸もろの仏子に告ぐ、今、正に正戒を説く。善男子・善女人、当に受戒する時、先...或る受戒作法について
或る問答で「大修行底の人」と対で用いられた「大作業底の人」について、議論されたことは無かったのだろうか?ということが気になった。それで、以下の問答があったので考えてみた。問う、大修行人、還た地獄に入るや也た無しや。師云く、裏許に在り。僧曰く、大作業人、還た天堂に上るや也た無しや。師云く、鰕の跳べども斗を出でず。『建中靖国続灯録』巻6「仏印了元禅師」これをそのまま採れば、まず、大修行人が地獄に入ることがあるだろうか?という質問に対して、「裏許に在り」という話になっている。これは、大修行人が地獄に堕ちるはずが無いという「前提」があってのことなのだが、この場合地獄の内側にいるという意味なのだろう。何故こうなるのかはこの問答からは知られないようだが、大修行人は修行で何かを目指してしまい、その結果分別が出て来て地獄...「大作業底の人」について
とりあえず、【(2)】をご参照いただいた上で、『真宗百通切紙』巻2「卅九妻帯の事」の前回に続く以下の記事をご覧いただければと思う。問ふ、聖人妻帯の意、如何、答ふ、末代下根の凡俗に同じて本願他力を勧め給へり、譬ば人の井中に堕んに衣服を脱ぎ、井に入ん、其の間には、死すべき故に、衣服脱せずして井中に入り、是を救うべし、其の如く、濁世末代の世俗を救んには僧形の侭、俗中に入て本願念仏を勧て、俗人念仏往生疑無しと信を取らせ玉へり、問ふ、末弟の僧、妻子を帯びて念仏往生疑い無し耶、答ふ、本願不思議何ぞ疑ん耶、其の上、源空上人云く、設ひ僧形と為ると雖も、妻子を帯るは、即ち在家の僧なり、更に出家の思いを成すべからず、恒に身心に愧ぢ、深行を修すべし、但だ邪婬を禁ずべきなり、一人猶を以て比丘行に非ず、況や邪婬を行ふをや、空聖人、...江戸時代の浄土真宗に於ける妻帯論について(3)
ちょっと気になる文脈があったので、学んでみたい。戒、唯だ仏制するのみ余人に通ぜず行宗云わく、大千界の内、仏を法王と為す。律は是れ仏勅なり、唯だ聖制のみ立す。自余の下位は但だ依承すべし。良に以れば如来は行果極円にして、衆生、軽重の業性を究尽す。等覚已下、猶お堪る所に非ず。況んや余の小聖をや。輒ち敢て擬議せんや。国家の賞罰号令の如くなること有るは、必ず王より出づ。臣下、僭越すれば、庶人、信を失す。亡敗すれば日無し。仏法も亦た爾り。若し他の説を容れれば群生奉らず。法、久住せざる故なり。『緇門警訓』巻3、版本に従って訓読要するに、戒とは仏陀が定めたものだが、他の人が定めることは出来ない、という趣旨の文章である。まず、行宗とは、律宗系の文献に見える名前だが、律宗僧の祖師の一人か。それが、大千界の内、仏を法王とし、律...『緇門警訓』に見る「仏制としての戒」の説示
以前、【「居家」という表現】という記事を書いたときに、いわゆる仏教の在家信者を示す表現として「居家」があることを示した。ところで、そうなると、例えば「居家戒」という表現があるのかどうかが気になったので、ちょっとだけ調べてみた。問うて曰く、若し居家戒ならば天上に生ずることを得て、菩薩道を得る。亦た涅槃に至ることを得るは、復た何ぞ出家戒を用いんや。答えて曰く、倶に度を得ると雖も、然し難易有り。居家、業に種種の事務生ず、若し道法に専心せんと欲すれば、家業、則ち廃すべし。若し家業に專修せんと欲すれば、道事、則ち廃る。取らず捨てず、乃ち応に法を行ずるは、是れを名づけて難と為すべし。若し出家して俗を離れれば、諸もろの紛乱を絶して、一向に專心して、行道、易きと為す。『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」す...「居家戒」という表現について
以前アップした【「三蔵」概念の成立について】の続きのような記事なのだが、その記事を書いた時には調べなかった一節があるので、紹介しつつ、リンク先の記事を補完しておきたい。なお、リンク先の記事では、『大智度論』を引用しつつ、「修多羅」について、『阿含経』と「大乗経典」に加えて、「二百五十戒、是の如き等を、名づけて修多羅と為す」としており、何故か、本来は「律蔵」に係る文献も含めていたことに、違和感を感じていたのである。そうしたら、その辺のことが同じ『大智度論』に書いてあったので、確認しておきたい。先説す、「尽く十方諸仏の説く所の法を聞かんと欲する者は、当に般若波羅蜜を学すべし」と。説く所の法とは、即ち此れ十二部経なり。諸経中、直に説くものは、修多羅と名づく。いわゆる四阿含、諸摩訶衍経、及び二百五十戒経なり。三蔵...『二百五十戒経』の話
本文の締めくくり(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・16)
16回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、本文の締めくくりである。律に云く、秉羯磨有れば、我が法未だ滅せず。若し秉持せずんば、我が法、便ち尽く。又、曰く、戒住すれば我れ住す。理、虚説に非ず。既に深旨有り、誠に敬すべき歟。重て曰く、大師影謝して、法将に随て亡ぶ邪山峻峙して、慧巘にして綱に隤う、重て仏日を明す、寔に賢良に委くす、若し小径に遵はば、誰か大方を弘めん、幸に通哲に垂る、力を勉めて宣揚せよ、冀は之を紹隆し...本文の締めくくり(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・16)
僧侶がいなくなった寺、全員が薬物検査陽性タイ(AFPBB)詳細は上記報道の通りなのですが、何か、残念な報道でした。タイ中部の仏教寺院で、僧侶全員がいなくなったという報道がありました。その理由ですが、薬物検査で陽性となり、薬物依存のリハビリ施設に送られたそうです。また、この僧侶たちは還俗したとも報じられています。以前から、東南アジアの仏教寺院では、戒律に無いという理由で結構な喫煙率だったという話を聞いたことがあったのですが、他にも薬物の問題もありそうですね。#ニュースタイの仏教寺院で僧侶が全員いなくなった理由に驚き
今日は11月29日だが、語呂合わせで「いい肉の日」らしい。とはいえ、国内の全般的な値上がり傾向から、食肉も高騰しているという。今日はその辺、どうなるのだろうか?様々な企業が、セールや、特別な企画を打ち出して対応するような感じだろうか。それで、仏教では一般的に、肉を食べることは禁止されていると思われていることだろう。色々と調べると、釈尊自身が食肉を明確に禁止したかどうかは微妙なようだが、どちらにしても、インド自体の宗教界の食肉忌避傾向から、仏教も食肉が禁止されたようである。そのためか、中国成立の菩薩戒の文献『梵網経』巻下では、「食肉戒第三(四十八軽戒)」が定められ、軽戒とはいえ実質的には食肉出来ないようになっている。よって、『梵網経』の影響が強い東アジア地域では、全般的に仏教の食肉が否定されているように見え...江戸時代の浄土真宗に於ける肉食論について(1)
ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一尼僧正并びに尼都維那・尼統宋の大始二年、尼宝賢に勅して、尼僧正と為す。又、法浄を以て京邑の尼都維那と為す。梁・陳・隋・唐、其の事少しなり。偏覇の国には往々、尼統・尼正の名を聞く。『緇門正儀』3丁表、訓読は原典を参照しつつ当方いわゆる女性僧侶である比丘尼についての僧官について述べたものだといえる。なお、上記一節の典拠は『大宋僧史略』巻中「二...「第一官律名義弁」其六(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・6)
とりあえず、【(1)】をご参照いただいた上で、『真宗百通切紙』巻2「卅九妻帯の事」の前回に続く以下の記事をご覧いただければと思う。問ふ、楞厳経に云く、縦ひ多智禅定現前すること有ども、婬を断ぜざるが如きは必ず魔道に落つ、といへり、如何、答ふ、是れ人に随ふ説なり、問ふ、大集経に八重無価を説に、九十五種の異道に比し第一と為と云ふ、見よ、持戒より浅劣なり、如何、答ふ、上来八重の無価は、制教に約して福田の勝劣を分別す、若し化教に約せば、設ひ無戒なりと雖も、所行の法に依て、世の福田と為るなり、世に持戒の人無きこと面面知るべし、問ふ、寺院に妻子あるは見苦敷なり、如何、答ふ、仏、妻子を制するこヽろは広く衆生を化せん為めなり、末法に妻子を許すは邪婬を離れしめんが為めなり、羅什妻子有りと雖も賤劣と云はず、太子に妻子有りと雖も...江戸時代の浄土真宗に於ける妻帯論について(2)
今日11月23日は、「勤労感謝の日」となっている。制定の理由について、この日の由来は元々「新嘗祭」だったそうである。だが、GHQにより国の行事ではないと判断されたため変更が余儀なくされ、労働者に対し、その一年の勤労を感謝する日となった。ところで、元々の新嘗祭について、こんな記述を見付けた。新嘗祭十一月二十三日に行はせらるゝ新嘗祭は、皇孫尊が降臨あらせられたる時に縁由し、神武天皇元年に行はせ給ひたるより歴朝継続して変易あらせらるゝ事なく神嘗祭と共に宮中の祭儀式多く有るが中に最も厳儀と称し奉る御祭典にして、御親祭の御準備の鄭重なるは申すに及ばず供御の新穀を民間有志者より献納する特例の設けられたるあり。勝山忠三編『祭儀類典』神職合議所・明治39年、42頁・・・この記述によれば、新嘗祭は神武天皇の時から行われてい...「勤労感謝の日」と仏教
今日、11月22日は語呂合わせで「いい夫婦の日」らしい。まぁ、現代の日本では、婚姻関係も多様化が進んだのかどうかも分からないけれども、どちらにしても、もし夫婦になったのであれば、夫婦なのであれば、それは世界平和のためにも、「いい夫婦」であって欲しいと勝手に願ってしまう。世界の平和は、まず家庭から、ということになるだろうか。そこで、例年この日には「「いい夫婦の日」と仏教」などと題して記事を書くようにしているのだが、今年度はどうしたものか?仏教というのは本来、出家者の結婚などについては否定されているが、実は在家者に対する態度についても、結構微妙なこととなっている。例えば、以下のような記載はどうか。媒人戒五三時を具するに犯す。三時とは、一には此の家〈男、或いは女の家〉にして語を受け、二には彼の家に往て告〈男意を...「いい夫婦の日」と仏教
なんか、日本の場合、猫は仏教伝来とともに、鼠害対策として連れて来られたという話を聞いたことがあるのだが、犬について、古来よりお寺で飼っていたという話があるらしい。とりあえず、以下の一節などはどうか。寺院に狗を養ふ薩波多律摂に曰く、大寺の内には犬を養て防ぎ守らしむべし。子登『真俗仏事篇』巻6ということで、わざわざ以上の記事があるということは、お寺で犬を飼っていたという話が伝わっているらしい。しかも、典拠らしき文献名も挙がっているので、それを見ておきたい。蔵門鑰の時、応に私記を作すべし、防守の為の故に随意に狗を養うべし。其の狗を畜うるは、須らく行法を知るべし。若しくは窣覩波及び房院の地なれば、狗の爮爴する所、応に平填すべし、若し不浄を遺せば即ち応に除去すべし。若し修治せざれば、並びに悪作を得ん。勝友造・義浄訳...お寺で犬を飼う話
まずは以下の一節を読んでいきたい。云何が菩薩の戒清浄なるや。若し菩薩摩訶薩、声聞・辟支仏心及び諸破戒、仏道を障げるの法を念わざれば、是れを戒清浄と名づく。『摩訶般若波羅蜜経』巻6「発趣品第二十」、原漢文最初、漢文を読んだ時、「菩薩戒清浄」とあったので、菩薩戒の清浄なる様子かと思いきや、そうではなくて、菩薩にとっての戒清浄を論じる文脈であった。つまり、菩薩にとっての持戒のあり方を示す文脈だとも理解出来ると思うのだが、その意義については、声聞や辟支仏(縁覚)の心を思うべきでは無く、また、諸々の破戒も思うべきでは無く、仏道を妨げる法を思うことが無ければ、戒清浄と名づけるという。よって、やはり菩薩としての生き方に反する事柄を思わなければ、戒清浄だということになる。基本的に『般若経』に於ける戒本は、十善戒である場合...菩薩の戒清浄について
慈雲尊者飲光に、「宝暦十二年四月十三日大坂某信女乞求三帰受前開示云」という法語が遺されている。文字通り、女性の在家信者に対して、三帰の基本を示されたものである。今日は、その一説を学んでおきたい。又、仏世尊は此身はどうした物じや、心はどうした物じやと云ふことを、明かに思惟なされて、菩提樹下にて廓然大悟なされたが、今日の仏世尊釈迦如来じや、此仏世尊に帰依し奉るを帰依仏と云ふ、又、仏も法を以て師とすとあつて、法に依て修行されたが、今日の者も法に依て出離生死の道を修行するに依て、次に法に帰依し奉る是を帰依法と云ふ、何を法と云ふならば、仏の世に出現なされたは、一切衆生に真実の道を御示しなさる事より外は、仏の御用はないが、其御示しなされたが今日の御経じや、まあ是が法で世間の十念を授くるも、一分の帰依法じや、法華の題目...慈雲尊者が説く三帰の教え
ちょっとした雑考である。以前、『梵網経』「第二十三軽戒」について考えたときに、ふと思いついたことがあった。それは、現代はネット技術が盛んなので、世界どこでも、「師資相授の受戒」が可能なのでは無いか?という話である。まずは、その戒の原文を見ていただきたいと思う。なんじ仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒(自ら誓って戒を受く)すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。『梵網経』下巻「第二十三軽蔑新学戒」さて、ネット時代になり、またこの新型コロナ...ネット時代に自誓受戒は成立するのか?
現代の日本で「進学」というと、より上の学校に進むことをいうわけだが、漢訳仏典でも「進学」の名前が付いたものがある。非常に短いものではあるが、内容は経文・偈頌・経文の順となっているので、一々を紹介していきたい。是の如く聞けり、一時、仏、舎衛の祇樹園須達精舎に遊び、大賢衆千二百五十人なり。仏、諸もろの比丘に告げ、「四雅行有り、智者常に遵い、丈夫修むる所、達士恒に奉り、不才の愚夫の好楽せざる所なり。何等をか四と為すや、父母に孝事し、悦色養足たり、仁を守り慈を行じ、終始殺さず、恵施し乏を済う、未だ曽て悋逆せず、聖の世に遭値いて、栄を捐て道を履む。是れ四雅行なり、智者の遵う所、丈夫の修むる所、達士の奉る所、不才の愚夫の好楽せざる所なり」。『仏説進学経』さて、まずは以上の通りだが、ここで説かれているのは、仏教の智者と...仏説で説かれた「進学」について
とりあえず、以下の一節をご覧いただければと思う。経「罪・不罪、得べからざるが故に、応に尸羅波羅蜜を具足すべし」。論「尸羅〈秦に言わく、性善〉、好く善道を行じ、自ら放逸せざる、是れを尸羅と名づく。或いは戒を受け善を行じ、或いは戒を受けずして善を行ず、皆な尸羅と名づく」。『大智度論』巻13「釈初品中尸羅波羅蜜義第二十一」少なくとも、本書では「尸羅」という語を、「性善」として捉えている。よって、ひたすらに「善」にあることをもって、「尸羅」としている。そこには、「自ら放逸せざる」とはあるので、意識的に「善」であろうとする努力を要する。また、「善」とは、具体的な戒本の有無を要しないので、受戒していても、していなくても、善を行うことを「尸羅」としている。そもそも、戒本があるからこそ、罪も生ずるので、罪の有無も、善には...『大智度論』で説く「尸羅」の意味
しっかりとした先行研究もある分野なので、この記事はあくまでも当方の学び、という感じである。そこで、近年は偽撰という扱いになっているようだが、弘法大師空海が弘仁四年仲夏之月晦日(813年5月晦日)に示されたという『同大師重誡』という文献がある。その中には、戒学に関する説示が見られるので、見ておきたい。諸の弟子等に語るに、凡そ出家修道の本は、仏果を期す。更に輪王・梵家を要せざれ。況や人間の少少の果報をや。心を遠渉に発すことは、足るに非ざれば能わず。仏道に趣向することは、戒に非しては、寧ろ到らんや。必ず顕密二教を須いて、堅固に清浄の戒を受持して、犯すこと莫るべし。いわゆる、顕の戒とは、三帰・五戒及び声聞・菩薩等の戒なり。四衆に各おの本戒あり。密の戒とは、いわゆる三昧耶戒なり。亦、仏戒と名づけ、亦は発菩提心戒と名...弘法大師の遺誡に見る戒学について
阿含部ではあるものの『護国経』という名前だったので、大乗経典の『金光明経』のような、「護国経典」なのか?と思いきや、「護国尊者」という人についての話であった。なお、「護国尊者」だが、これはあくまでも意訳で、音写だと「頼吒波羅」となる。この人の名前で検索しても、ほぼ同じ内容の経典がある。また、翻訳の問題は、「訳して曰わく、頼吒は国、波羅は護なり」(『翻梵語』巻6「雑人名第三十」)とある通りである。それにしても、この『護国経』の末尾に気になる一節があるので、見ておきたい。爾の時、倶盧大王、尊者の伽陀を説くを聞き已りて、歓喜信受して、復た白して言わく、「護国尊者、能善く出離す、是の故に、我れ今、尊者に帰依す」。護国告げて言わく、「大王、我に帰依すること勿れ、我れの帰依する所、是れ仏世尊及び法、僧衆なり。王、当に...『仏説護国経』に見る三宝帰依について
「律蔵」への註釈書を見ていたところ、「七種受戒」という項目が見出されたので、確認しておきたい。該当箇所は、以下の通りである。凡そ七種受戒あり、一には見諦受戒、二には善来得戒、三には三語得戒、四には三帰受戒、五には自誓受戒、六には八法受戒、七には白四羯磨受戒なり。七種の中に於いて、見諦得戒、唯だ五人のみ得て、余は更に得る者無し。善来得戒、三語、三帰は、仏の在世のみ得て、滅後は得ざる。自誓、唯だ大迦葉一人のみ得て、更に得る者無し。八法受戒、唯だ大愛道一人のみ得て、更に得る者無し。白四羯磨戒、仏の在世に得、滅後にも亦た得る。『薩婆多毘尼毘婆沙』巻2「七種得戒法」以下には、それぞれの項目について、簡単な解説などを付して、学びとしておきたい。一・見諦受戒:これは、四諦の道理を見て戒を受けたことを意味し、「唯だ五人の...「七種受戒」について
今日、11月1日は「教育の日」であるらしい。この日に何か、日本教育史上の出来事でもあったのか?と思いきや、11月3日の「文化の日」に関連して、教育文化週間となっているから、ということらしい。それで、今日は「禅林に於ける新人教育」が見られる問答を採り上げ、検討することとしたい。七人の新到相見す。師問う、陣勢既に円かなり、作家戦将せん。何ぞ出来して、楊岐と相見せざらんや。僧、坐具を以て便ち打つ。師云わく、作家。僧、又た打つ。師云わく、一坐具・両坐具、作麼生。僧、擬議す。師、背面に立つ。僧、又た打つ。師云わく、你道え、楊岐の話頭、甚麼の処に落在するや。僧、面前を指して云わく、這裏に在り。師云わく、三十年後、明眼の人に遇わば、錯挙することを得ざれ。且く坐して喫茶せよ。『聯灯会要』巻13・楊岐法会禅師章中国臨済宗・...禅林に於ける新人教育について
以前にアップした【「十善戒」の内容の「戒と守護」について】の記事で、「十善戒」の「意業」3条については、「貪瞋痴の三毒」に対応していることを確認したが、この件について、以下の説示も見ておきたい。経中に貪瞋痴を三根と名づけ、又三毒と名づく。又貪瞋邪見の三道と名づく。十善戒の中、後三戒、此によりて制するじや。慈雲尊者飲光『十善法語』第八「不貪欲戒」以上の通り、慈雲尊者はしっかりと、「十善戒」の「後三戒」について、貪瞋痴の三根、或いは三毒、或いは三道だとしている。よって、先の記事の通り理解して良いと言える。ところで、この「三根」であるが、以下のような説示が見られる。三根と言うは、謂わく貪瞋痴なり。染境を貪と名づけ、忿怒を瞋と曰い、闇惑を痴と名づく。『大乗義章』巻5「三根三道三毒煩悩義四門分別」経中とはあるが、調...「十善戒」と「三毒」との話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。是の如き等の種種の因縁の故に、但だ十善業道を説く。亦た自ら行い、亦た他人に教う。名づけて尸羅波羅蜜と為す。十善道、七事は是れ戒、三を守護と為すが故に、通名として尸羅波羅蜜と為す。『大智度論』巻46「釈摩訶衍品第十八」『大智度論』が、「十善道(十善戒)」をこそ、「尸羅波羅蜜」にするというのは、その通りなので、そこはまぁ良い。問題は、「十善道、七事は是れ戒、三を守護と為す」の箇所である。これをそのまま受ければ、「十善道」について、戒の部分と守護の部分とに分けて理解されていることになる。それで気になったので、他にも同様の表現をしている仏典があれば、と思ったが容易には散見されないようなので、本書独自の立場と仮定して、見ていきたい。それにしても、「十善道」を「七事の戒」と「...「十善戒」の内容の「戒と守護」について
中国禅宗青原下の羅漢桂琛禅師(865~926)の言葉に、興味深いものを見付けたので、採り上げておきたい。童子たりし時、日に一たびの素食なり。言を出すに異有り。既に冠にして親を辞して、本府万歳寺の無相大師に事え、披削し、登戒し、毘尼を学ぶ。一日、衆の為に台に升り、戒本を宣べて布薩し已んぬ。乃ち曰く、持犯は但だ身を律するのみ。真の解脱には非ざるなり。文に依りて解を作して、豈に聖を発せんや。是に於いて南宗を訪ね、初めて雲居・雪峯に謁して参訊勤恪す。『景徳伝灯録』巻21まぁ、禅僧っぽいといえばそれまでだが、いわゆる戒律の持犯について、根本的なことを述べていることが分かる。そういえば、桂琛禅師が出家した「無相大師」だが、もちろん、妙心寺の開山である関山慧玄大師のことではない。中国の無相大師である・・・誰、これ?中国...羅漢桂琛禅師の持戒観
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。問うて曰わく、尸羅波羅蜜は則ち一切の戒法を総す。譬えば大海の衆流を総摂するが如し。いわゆる不飲酒、不過中食、不杖加衆生等、是の事、十善中に摂せず、何を以てか但だ十善を説くや。答えて曰わく、仏、総相して六波羅蜜を説く。十善を総相戒と為し、別相に無量戒有り。不飲酒、不過中食は不貪中に入る。杖不加衆生等は、不瞋中に入る。余道は義相に随う。戒を身業、口業と名づけ、七善道、摂する所、十善道、及び初後に発心するが如し。殺さんと欲すれば、是の時、方便を作して、悪口、鞭打、繋縛、斫刺、乃至、垂死なり。皆、初に属す。死後、皮を剥ぎ、食噉、割截、歓喜す。皆、後と名づく。命を奪う、是れ本体なり。此の三事和合して、総じて殺不善道と名づく。是を以ての故に知る、十善道、則ち一切戒を摂すると説...「総相戒」の話
これは、既にアップした【(2)】の続きの記事というか、同じ視点で書いた別の記事である。今回は、江戸時代初期の真言宗の学僧・浄厳律師の考えを学んでみたい。〔第二〕通別二受期限の事凡そ菩薩戒に通受あり、別受あり。別受というは、五戒・八戒・十戒・具足戒なり。是は声聞に共ずる故に、尽形寿を限とす、通受というは、三聚浄戒なり、所謂、五戒等を摂律儀戒とし、瑜伽・梵網等の諸戒を摂善法戒・饒益有情戒として、尽未来際を期限とす〈尽未来際というは、仏に成までの事なり〉、是故に発す所の願も遠く来際を期するなり、故に生生世世に仏種を断ぜず、在在処処に正法を弘て、普く人天の師と作るべし、かりそめの事に非ず、貴むべし、貴むべし、浄厳律師『菩薩戒諺註』版本、2丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改めるこれは、菩薩戒に於いて、通受と別受...三聚浄戒の意義に関する一視点(3)
以前、【五戒と五常の関係について】という記事を書いたことがあったのだが、その斜め上的な続編記事である。問て曰く、何を以て之を知る。仏法いまだ漢土に渡らざる已前の五常は、仏教の中の五戒たること如何。答て曰く、金光明経に云く、一切世間の所有善論は皆此の経に因る。法華経に云く、若し俗間の経書・治世の語言・資生等を説かんも〈資生の業等を説かんも〉、皆正法に順ぜん。普賢経に云く、正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名く。涅槃経に云く、一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず。止観に云く、若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり。弘決に云く、礼楽前きに駆せて真道後に啓く。広釈に云く、仏三人を遣はして、且く真旦を化す。五常を以て五戒之方を開く。昔、大宰、孔子に問て云く三皇五帝は是れ...日蓮聖人が示す「五戒」と「五常」の関係について
明治期に、通仏教的な視点でもって、従来の仏教について総括したような文献が複数刊行された。戒律の始めて興りしは何帝の時ぞ魏の斉王、嘉平二年、西天の三蔵曇摩迦羅、洛陽に到り、授戒の法を制す、仏法漢に入てより、一百八十余年を経て、戒律始て興る加藤祐常編輯『三国仏教歴史疑問案(全)』鴻盟社・明治25年、11頁、カナをかなにするなど見易く改めるまずは、以上の一節を確認しておきたいのだが、こちらでは中国で、戒律が始めて興されたのはどの皇帝の時か?という問いに対し、答えは三国時代末期になる魏の斉王(曹芳)の時代の元号で、西暦250年であった。その時に、インドの曇摩迦羅三蔵が、洛陽に来て、授戒の作法を定めたという。これは、仏教が中国に伝わってから、180年余りのことであったという見解である。ところで、これが、どこを典拠に...中国仏教の授戒の初めについて
とりあえず、以下の一節を見ておきたい。三戒一つには在家戒(即ち八戒)。二には出家戒(即ち別解脱戒)。三つには道俗共戒(五戒五聚戒)。『釈氏要覧』「戒法」章これを三戒とする見解が他にあるのかどうか見付け切れてはいないのだが、とりあえず、以下の通り見ておきたい。在家戒⇒八戒(八斎戒)出家戒⇒別解脱戒(比丘戒)道俗共戒⇒五戒五聚戒(?)それで、当方の関心事は「道俗共戒」である。在家戒と出家戒は考えるまでもない。だが、道俗共戒については、良く分からないところである。そもそも、中国成立の仏典上、「道俗共戒」という表現を見出すことが難しい。まぁ、最近は検索ソフトも充実しているので、調べてみるのだが、出て来ない。ただし、以前、実世界の論文で書いたときに参照した一節を思い出した。戒律の中に就いて凡そ三種有り。一つには別解...『釈氏要覧』に見える「道俗共戒」について
今回採り上げる文献については、【慧明院日灯『草山要路会註』「衣食第四」の参究】という記事を書いているので、それを参照していただきたい。端的にいえば、この文献は近世の日蓮宗に於ける規範的内容を持っている。今回は、「住処第五」という項目を参究してみたい。叙して曰く、居は気を移し、物は心を転ず。象は厩に依て変じ、蚤は頭に処て黒し、是れ賢者の三たび隣を遷す所以なり。大なる哉、居乎択ばざるべけんや。智者大師曰く、好処に三有り。一には深山人を絶するの処、意を恣にして観ず、念念道に在り、毀誉起こらず、是の処、最勝なり。是を上士と為す。二には頭陀蘭若の処、聚落を離るること、極めて近きは三・四里、此れ則ち放牧の声絶し、諸の●鬧無し、煩悩を覚策するに、是の処を次と為す。三には白衣住処に遠き清浄伽藍の中、是の処を下と為す。若し...慧明院日灯『草山要路会註』「住処第五」の参究
仏教の世界では、在家信徒に対して、以下の「五戒」が示されている。1・不殺生戒→生き物を殺してはいけませんよ2・不偸盗戒→他人のもの盗んではいけませんよ3・不邪淫戒→不道徳なセックスはいけませんよ4・不妄語戒→ウソをこいてはいけませんよ5・不飲酒戒→酒を飲
葛城の慈雲尊者飲光(1718~1805)には、「十善戒」について提唱・解説した『十善法語』が残されている。成立は安永2年(1773)であり、江戸時代には13冊本として何度か刊行されたようだが、明治時代に入り1冊本としても刊行された。今回は、その明治期の高野山転法輪蔵を用いて記事を書いてみたい。且く差別せば、十善を世間戒と云、沙弥・比丘戒等を出世間戒と云、菩薩戒を在家・出家の通戒と云、若し要を取て言はヾ、世間戒も出世間戒も、声聞戒も菩薩戒も、此十善戒を根本とするじや。初心なる者は、世間戒と聞ては少分なることヽ思ひ、声聞戒と聞ては尽さぬことヽ思ひ、菩薩戒と聞ては高く尊きことと思ふ、それは名に著する迷と云ものじや、此十善戒は、甚深なること、広大なることじや。『十善法語』1~2頁、カナをかなにするなど見易く改める...慈雲尊者飲光『十善法語』に学ぶ戒の種類について
童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)
14回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、比丘の下に学びに来ていた者についての話である。凡そ諸白衣、苾芻の所に詣で、若しくは専ら仏典を誦し、情に落髪を希み、願いて緇衣に畢るを、号して童子と為す。或は外典を求めて出離に心ろ無きを、名て学生と曰ふ。斯の二流、並に須らく自食すべし〈西国の僧寺、多く学生有り、来りて苾芻に就いて外典を習学す、一には駆馳して給侍することを得、二には乃ち教えて好心を発せしむ。既に自利利他有...童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)
慈雲尊者飲光(1718~1805)は江戸時代後期の真言宗侶だが、「正法律」と呼ばれる戒律復興を行ったことでも知られる。色々とあって、その教えを学ぶ機会があるのだが、意外と明治時代以降に刊行された教えが多い。慈雲尊者はもちろん、同時代にも大きな影響があったが、明治時代以降にこそ、慈雲尊者の教えは貴重だとされた。そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。戒律沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、皆後人の杜撰なり、支那諸伝記にもなし、又、某...慈雲尊者の説く諸宗の戒律
大乗仏教が菩薩という理想的な修行者を前面に押し出すと、それまでの一般的な修行者を声聞として位置付けた。それに伴い、戒律についても、「菩薩戒」という表現や思想的体系が打ち出される一方で、従来の戒を「声聞戒」と呼称した・・・はずなのだが、個人的にどの辺が最も古いのか気になった。もちろん、一般的には大乗『大般涅槃経』での、菩薩戒と声聞戒との対比が知られていると思う。戒に復た二有り、一には声聞戒、二には菩薩戒。初発心より、乃至、阿耨多羅三藐三菩提を得成す、是れを菩薩戒と名づく。若しくは白骨を観る、乃至、阿羅漢果を証得す、是れを声聞戒と名づく。若しくは声聞戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、仏性及び以て如来を見ず。若しくは菩薩戒を受持すること有る者は、当に知るべし是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得て、能く仏性...「声聞戒」という表現について
これは、以前アップした【『正法念処経』に見る「四種受戒」について】の続きの記事となる。『正法念処経』という何とも黙示録的な経典があるのだが、その中で「四種受戒」、つまりは受戒の種類について指摘した文脈があった。それで、受戒すれば、次の問題は持戒となるのだが、それについて徐々に「持戒者」としての境涯が深まる様子を指摘している。よって、正確には「四種持戒」である。又復た更に四種持戒有り。何等をか四と為すや。一には希持戒、二には半持戒、三には悔持戒、四には合持戒なり。彼の優婆塞、句海を学ぶに於いて次第に漸取す。初め三帰を取りて優婆塞と作る。彼の人、心を修め、復た久時に於いて善く観察し已んぬ。一学句を取りて、彼の句を学ぶに於いて、堅持して缺けず、穿たず、孔かず。『正法念処経』巻44「観天品之二十三」まずは、「四種...『正法念処経』に見る「四種持戒」について(1)
以前アップした【戒律を得るのは人間界のみという話】の続きの記事を書いてみたい。それで、先に引いた一節については、『薩婆多毘尼毘婆沙』巻1「總序戒法異名等」にも書かれている。それどころか、中国では『法苑珠林』などに、後者が引用されている。そこで、そちらの記事だけでは話が続いていかないが、別の文献を見ていくと、この辺が分かる。一、能受の人、五種有り。一つには是れ人道なり。故に律に云わく、「天子・阿修羅・非人・畜生、得戒せず」。故に論に云わく、「三帰・五戒、唯だ人中のみ有り、余道には無き所なり」。南山道宣『四分律刪補随機羯磨』巻上「◎諸戒受法篇第三」この「能受の人」というのは、よく戒を受けるべき人ということだが、それに五種あるとしている。この全てを採り上げると、人権的な問題が含まれるので、とりあえず1つだけでも...「戒律を得るのは人間界のみという話」の続き
辞書的な文献である『釈氏要覧』の記述を学んでおきたい。具足戒即ち出家の二衆、受戒するところなり。何をか具足と名づくるや。決定蔵論に云わく、比丘戒、四分の義を摂す。一には具足を白四羯磨して受くるなり。二には具足するに随い、謂わく此の向後より、一一の戒に随い、常に持して覆護するが故に。三には他心の具足を護る。謂わく比丘一分の威儀具足するに他心を護ると名づく。四には守戒を具足す。謂わく小罪を見るに於いて畏れて犯さず。若し犯有る者は、悉く皆な発露するが故に。此の具足戒、六聚有り。比丘二百五十條、尼三百五十條なり。次に釈すること左の如し。『釈氏要覧』巻上、明治期の版本を参照しつつ訓読は当方具足戒とは、一般的には受戒したことで功徳が具足し、持戒がされていくという風に説明されると思うのだが、上記の内容だと、『決定蔵論』...『釈氏要覧』に見る「具足戒」について
仏教の一部では、比丘が用いる食器(鉢盂・応量器)の最大の器のことを、「頭鉢」という。しかし、この名称自体、通仏教的であるか?というと、実はそうでもない。五には量を明かす。四分中、大鉢は三斗を受く。小は斗半を受く。中品、知るべし。霊芝元照『仏制比丘六物図』「鉢多羅第四物」以上のように、「頭鉢」に相当する食器は、「大鉢」となっているのである。しかも、「四分中」と提起している通り、典拠は『四分律』に求められる。仏言わく、「若しくは鍵瓷、小鉢、次鉢を以て受くることを聴す。鍵瓷は、小鉢に入れる。小鉢は、次鉢に入れる。次鉢は、大鉢に入れる」。『四分律』巻39「皮革揵度之余」以上の通り、『四分律』を見てみると、4つの大きさの異なった器を用いていたことが推定される。ただし、その内、鍵瓷は、便宜的に用いられた堅焼きの器であるらし...「頭鉢」考
個人的に、「一乗戒」という用語が気になっている。この用語は、(おそらくだが)漢訳仏典や、中国成立の仏書には見られないものと思われる。しかし、日本の天台宗などの文献では、見られる用語であるので、それを記事にしておきたい。第十三弁一乗戒問う、大論に云く、諸仏、多く声聞を以て僧と為す。別の菩薩僧無し。弥勒菩薩、文殊師利菩薩等の如きは、釈迦文仏に、別の菩薩僧無きを以ての故に、声聞僧中に入りて、次第に坐す。而も何ぞ天台、別に戒壇を結んで、梵網の戒を授け、菩薩僧と名づくるや。又、経の説に云く、若し、優婆塞戒・沙弥戒・比丘戒を受けずして、菩薩戒を得て、是の処、有ること無し。譬えば重樓の初級に由らざるに、第二級を得ても、是の処、有ること無きが如し。亦た何ぞ天台、律儀の戒を経ずに、越えて菩薩大乗の戒を受くるや。大小の発心、異なり...『払惑袖中策』巻中「第十三弁一乗戒」について