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7月2日は、道元禅師が本師・天童如浄禅師から学んだことを記録した『宝慶記』と学ぶ日としている。理由は、以下の通りである。宝慶元年七月初二日、方丈に参ず。『宝慶記』つまり、道元禅師が初めて如浄禅師に参じたのがこの日だったといえるため(本当は、暦が新旧で違うので、変換が必要)その一節に、「菩薩戒序」の話が出ているので、今日はそれを見ておきたい。身心悩乱する時は、直に須く菩薩戒の序を黯誦すべし。問うて云く、菩薩戒とは何ぞや。和尚示して曰く、今、隆禅の誦する所の戒の序なり。『宝慶記』第5問答ここで如浄禅師が仰っているのは、坐禅などの時に身心が悩乱した時に、「菩薩戒序」を読むと良いという話をしているのである。そこで、この場合の「菩薩戒」とは何か?という道元禅師の質問に対し、隆禅和尚が誦する「菩薩戒序」のことだと教示...『宝慶記』に見える「菩薩戒序」の話
こんばんは、ねこうさです。 今日は水曜どうでしょうの新作先行上映会に行ってきました。 www.htb.co.jp 今日の先行上映会は、新作全話を全国200館の映画館で同時上映され、その200館の内、どこか1か所にどうでしょう軍団が登場し、その模様もライブビューイングで見れると言う、ローカル番組とは思えない企画。 どうでしょう軍団が登場したのは、ユナイテッドシネマ札幌だったみたい。札幌のどこかだろうなと思っていたので、都内で見ていた私は呑気にポップコーンを頬張っていました。 新作上映中も4人は客席の最前列に座り、他のお客さんと一緒に見ていたので、ユナイテッドシネマ札幌に参加出来た方は最高の思い出…
今日採り上げるのは、道元禅師が本師・如浄禅師から受けた慈誨を集められた『宝慶記』である。同書の冒頭は、道元禅師が如浄禅師に対して質問などをして良いかどうかを確かめるものであり、その後、「宝慶元年七月初二日方丈に参ず」とあって、宝慶元年(1225)7月2日から、如浄禅師に個人的に参学できる立場になったことを意味している。この件について、道元禅師は後に、以下のようにも表現されている。われなにのさいはひありてか、遠方外国の種子なりといへども、掛搭をゆるさるるのみにあらず、ほしきままに堂奥に出入して、尊儀を礼拝し、法道をきく。愚暗なりといへども、むなしかるべからざる結良縁なり。『正法眼蔵』「梅華」巻現地で見聞された様子を伝えて、中国で生まれ、仏道を学んでいる者の中にも、如浄禅師の室内に入って教えを聞くことが出来な...宝慶元年七月初二日方丈に参ず
今日は何の日>7月2日:たわしの日🐢亀の子束子の社長さんは元ギタリスト
1918(大正15)年、西尾正左衛門商店の創業者社長・西尾正左衛門氏が「亀の子束子(かめのこたわし)」の特許を取得した日です。 発明自体は1907(明治40)年。 翌年には早くも実用新案許可を取得していました。 正左衛門氏(当時32歳)は当初棕櫚(しゅろ)製の玄関マットを売...