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「前三三、後三三」とは、いったいどのような意味だろう。その疑念を、そのこだわりをしばらく胸に抱いたままにする。やがて、その意味が分かった、つまり、その問いと一体となったと思えたころ、もう抱いた疑問はどうでもよくなっている。
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その4)
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
【YouTubeチャンネル開設】急に思い立ってYouTubeチャンネルはじめました!まだテキストベースのショート動画4本のみですが、ぼちぼちアップしていく予定。開設記念のおひねり感覚で高評価・チャンネル登録していただけると嬉しいです!◆チャンネル名「ルビンズワーク」(←わかりやすくカタカナにしました)◆チャンネルホームhttp://www.youtube.com/@ルビンズワーク⇒ ルビンズワーク◆コンテンツ⇒「覚醒と音の中心」⇒「食べる瞑...
仏教や神道といった日本の精神文化が、どのように武道の理念や稽古法に影響を与え、空手という独自の武道が形成されてきたのかを解説。少林寺武術の伝説から禅の思想、琉球王国の武術文化、神道的価値観、日本武道の精神性に至るまで、空手の源流を体系的にたどります。武道の本質や教育的価値を深く理解したい方に最適な一記事。
【#悪魔相応 #アンゲロイ #降臨系 覚醒からのつぶやき 119】
縁のある人のみ辿りつく超パワースポット。まあ縁がなければ何処でも辿り着かないが。◆あえていうなら私は初級では「信」中級では「捨」上級では「魔」の悟性を見ています。「捨」が転換点です。◆エネルギーが中心を貫くときに爆発する激情というものがある。それは有無を言わさず勝手にあなたの心身を通り抜けていく。そのとき喜怒哀楽のどれが出るかであなた自身の神が顕になる。あなたはそれを奇妙なほど醒めた中心から発見する...
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その3)
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
5月に入ったというのに、雨が降ったり止んだり、ずっと変な天気が続いていた。そんな毎日、ソファでごろごろしながら見た数々のYouTube動画。その中の一本、...
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その2)
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
真実。それはある意味、真実なんてどこにもない!という答えなのかもしれません。しかしながら、その答えすら真実か否かは分からない。それが真実……。要はつかみどころ…
『碧巌録』より 第三四則 仰山問甚処来 / 仰山不曾遊山(その1)
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
『碧巌録』より 第三三則 陳尚書看資福 / 陳操看資福(その1)
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その2)
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
5/17(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」(夜間開催)
***** Rubin’s work 東京ワーク開催日時のお知らせです。 ◆5/17(土) 18:30~22:00 (夜間のみ)⇒ メルマガ登録はこちらから場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。 【基礎】・一瞬で集中に入る軸と姿勢・どこにも居座らない座法・呼吸の秘伝的ライン・丹田のポイントと集中の奥義・対象のない祈り・内部の目へのシフト【実践】・祈りを貫通させる・霊脈の促しを知る・カルマの回想録・...
『碧巌録』より 第三二則 臨済仏法大意 / 定上座問臨済(その1)
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
#Buddha #Māra-saṃyutta 【Monologue by Awakening 12】
The claim of sanity is the beginning of madness.The claim of madness is the sitting of madness.The reason you lament
#方便のストッパー #生命感覚 【4/19(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
4/19(土)東京にてワーク開催しました。満を持して秘教サークル「R会」始動。今後は面子により不定期開催の予定。【秘教サークルと体験シェア】前々回のワーク辺りからエネルギー的な変化があり、私自身もより即興的かつ全開で現象世界に対峙していくフェーズに入ってきました。その流れのひとつの象徴として最近ある強烈な体験が起こり、今回の秘教の会(仮通称「R会」)でその内容と意味をシェアしました。体験の内容は文章で...
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その4)
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その3)
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
災難に逢う時節は災難に逢うがよく候死ぬる時節には死ぬるがよく候是はこれ災難をのがるる妙法にて候。良寛さんは好きというよりも存在してくれたことに有難さを感じています。私にとっては、愚で愁で厳でなお了。というものをちらりはらりと大事の時に見せてくれるところなのです。良寛さん
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その2)
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
「紅椿の幻」 神が来し海上の道岬椿 ( 本井 英 )和歌三首 ちはやぶる神代は地上に在りしかな 紅椿落つ鎌倉の寺 旭日の空をじーっと眺めいる この一刻に久遠おもいて 春の森に鶯啼きて輝ける 座せば無尽の過去と未来よ俳句七句 浄智寺の椿の赤に海を見る 紅椿吾が心源に落ちたるか 藪椿ことばに生きる一花あり 街ゆかば花を数えて弥生かな 春の夜の花のかほりは幻ぞ 鎌倉の路地裏に立ち...
『碧巌録』より 第三一則 麻谷振錫遶床 / 麻谷兩處振錫(その1)
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
『碧巌録』より 第三〇則 趙州大蘿蔔 / 趙州大蘿蔔頭(その1)
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
人は折々裏腹の表情を見せる。表情の裏にあるもの、心の躊躇に焦点を当てる。例えば認知症の人が歩き回るのがなぜ問題なのか。不用意に歩かれて困る人が周りに存在するからだ。言葉そのものででなく、誰かが乱暴な言葉と決めつけて初めて、それは暴言と呼ばれるようになる。優劣は、そこに優と劣の線を引かない限り存在しない概念でしかない。そんなここんなを待つ心の庵、それが妙喜庵である。待庵妙喜
魚が水中を泳げば水が濁り、鳥が空を飛べば羽毛が落ちる。このように跡をくらますことは難しく、必ず痕跡が残る。即ち心が動けば必ず認識が起こり、世界が立ち現れてくる。
4/19(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」(夜間開催)
***** Rubin’s work 東京ワーク開催日時のお知らせです。 ◆4/19(土) 18:30~22:00 (夜間のみ)⇒ メルマガ登録はこちらから場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。 【基礎】・一瞬で集中に入る軸と姿勢・どこにも居座らない座法・呼吸の秘伝的ライン・丹田のポイントと集中の奥義・対象のない祈り・内部の目へのシフト【実践】・祈りを貫通させる・具象体と抽象体・核心の臨界点・カル...
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その2)
鏡はすべての存在をありのままにそのまま映し出し、取捨選択することはない。私たちのうちにある「鏡」である心も、あらゆる現象を映し出すのであるが、映ったものを判断し取捨選択するので、「心」と「境」が一体となったあの「わかった」という瞬間からは遠くなる。
皆さん座禅してますか! この記事を見られたということは、少しは禅に興味があるとお見受けします。 禅マスターの方はご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。 私はタバコも吸ってますし、肉もモリモリ食べますが、 全然禅してねーよ 禅の思想こそ、現代というか私に不足しているのでは無いかと考えてます。 禅に興味をキッカケを持ったのはこちらの動画です。 たまたまYoutubeで見ました。 1時間ありますので、全編はお時間がある時に 視聴をお願いします。 最初の5分だけ見て頂けますでしょうか。 youtu.be 修行しに参りました! 開始3分くらいにこのセリフがあります。 怠惰に生きてきた私はこんな心の持…
#Bodhicitta #Entity 【Monologue by Awakening 11】
There are kind of evil entities glowing as divine beings.Our naked eyes are dazzled by shining sorcery.If you don't hide, the world won't hide either.Shakti energy would be a double-edged sword if you can't see through the hidden lure in it.God is not a corder.Devil is not a hacker. Soul is not a software.Body is not a hardware.Existence is not a dataset.Life is not a SEO measures.If you wait for ...
「いただきます」に込められた意味とは?~一杯のお粥から見えるもの~
本日は、皇紀🎌2685年令和7年西暦2025年3月26日水曜日です。 みなさん、「いただきます」という食事のあいさつにどういった意味が込められているか知っていますか🍚? 私が中学生だった時、理科の先生が「お命をいただきます」という意味だと教えてくれたことを今でも覚えています。 実は「いただきます」という言葉にはこんな思いが込められているのです! 天地(あめつち)の恵みと、多くの人々の働きに感謝して、生命(いのち)のもとを慎んでいただきます。 私はこのことを参政党の重松ゆうこさんのユーチューブの動画で知りました。 (どの動画だったか探したのですが、分かりませんでした) ★重松ゆうこさんのユーチュ…
#第七層に触れる #恩寵サイクル 【3/22(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
3/22(土)東京にてワーク開催しました。【第七層の境界と気絶】今回は初参加の方もいらしたため姿勢の調整や内部の目などの基礎に時間を割きましたが、前回(⇒ #秘教ワーク解禁 #シャクティに酔う 【2/23(日) 東京ワーク ~所感と解説~】)よりワーク内容のフェーズが変わってきたことを受け、後半では現象世界を成り立たせているエネルギーのうねりをどのように感知すればよいのか、その入り口までレクチャーしました。まず...
『碧巌録』より 第二八則 涅槃和尚諸聖 / 南泉不説底法(その1)
言ってしまえば、過ぎ去ってしまい、もはや真実ではない。いや、言葉にしようとすることで、もう離れてしまっている。どうやってもとあったものと一体になるか。分離したものを体得して「わかった」となる瞬間を待つしかない。
僧問雲門、樹凋葉落時如何。雲門云、體露金風。ありのまま、しかも厳しい真実が露わになる。だがそれは、常にそうなのである。
「独坐大雄峰」には、二つの解釈が成り立つという。「大雄峰」は、ただの地名であるが漢字はどうしても即物的なその成り立ちから、イメージを喚起する。そこで、百丈が、どっかりと禅定してそれが外から仰ぎ見られるほどの独秀だというのが、百丈の禅の心境を表しているというもの。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その5)
この「盧老不知何處去、白雲流水共依依」の句には、あとをとどめぬ禅のあり様が言い表されている。禅は、執着すること、とどまること、痕跡をとどめることは許されない。到達したあとには、無心に白雲流水がたなびき流れていないといけないのだ。
自分に与えられた仕事は、今、できる時に、精一杯の力で取り組む。それが禅の教えであり、仏の生き方。
他不是吾、更待何時。 他(た)は是(こ)れ吾(わ)れにあらず、更(さら)に何(いず)れの時(とき)にか待(ま)たん。 (典座教訓、てんぞきょうくん 道元禅師) これは、道元禅師様が、禅の本場である宋(中国)に渡り、修行生活を送られていた頃のお話しです。 それは、ある夏の暑い日の事でした。 道元禅師様が昼食を終えられ、自分の部屋に戻ろうと、廊下を歩いていました。 すると、仏殿(仏像を安置している建物...
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その4)
禅の問答では、師は修行者の力量を問う。嚴陽尊者に出会った僧は、身構えた。尊者が示したものは、杖ではあるが、尊者が問うているのは「杖」ではない。なざすことのできない、「杖」で象徴される禅の宗旨である何かだ。
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その3)
二六時中、つまり今生きているこの1日のうちのすべての間、行住坐臥、つまり私たちの行ったり、来たり、立ったり、座ったり、掃除したり、ものを食べたりといったすべての行動が、打成一片、すなわち行動・行為・環境と自分の意識とが溶融して一つになるようにする、意識しないようになる、それが禅宗らしい修練の日日である。
3/22(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」(夜間開催)
***** Rubin’s work 東京ワーク開催日時のお知らせです。 ◆3/22(日) 18:30~22:00 (夜間のみ)⇒ メルマガ登録はこちらから場所は東京都中央区、参加条件等の詳細はメルマガにてご案内しております。 【基礎】・一瞬で集中に入る軸と姿勢・どこにも居座らない座法・呼吸の秘伝的ライン・丹田のポイントと集中の奥義・対象のない祈り・内部の目へのシフト【実践】・タントラとマザー意識・魔を看破する触覚知・集中と拡散...
『碧巌録』より 第二五則 蓮華庵主不住 / 蓮華峯拈拄杖(その2)
20年間同じ問いを発し続けたのは、仏恩に報いるためである。そして誰一人として答えられない公案であった。そこから、禅における言葉の関係の考察に入る。
#秘教ワーク解禁 #シャクティに酔う 【2/23(日) 東京ワーク ~所感と解説~】
2/23(日)東京にてワーク開催しました。満を持して禁断?の秘教ワーク解禁!闇に酔い、皆さん瞳孔開いてます 笑【タントラと「それ」の采配】今回のワークは必然の流れで二元性のタントリックな領域に踏み込んでいく会となりました。経緯としては、これまで認識の転換をメインにワークしてきましたが、参加者さんの準備が整ってきたことで、認識の転換だけでは分かり得ない二元性の理解や、恩寵による信の確定への「それ」からの...
「チガウという」私はチガウと言うチガウ チガウ ソウジャナイ と何がチガウのか何でもいいのさ何が何であれそれはチガウのだこの世が欲する正しさがチガウと 私は云っている私たちが呼吸する大気は何だ私たちが踏みしめる大地は何だ私たちの空想は何だ誰が真実を知っているのか自分だけが真実を知っているのか神か 仏か 先祖か 宇宙か彼らなら真実を知っているのか私はチガウと云うこの蒼天の輝きは 一体なんだ私の心耳に...
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どんなことでもならべてみろ。百千あろうとも、どれもこれもゆきづまる。あれもこれもゆきづまる。どの方向へ向いて行ってもゆきづまるものばかり。そんなゆきづまるものはみんな捨てる。そして何も持っていない。そこが絶学無為の閑道人である。とは興道禅師。出づるとも入るとも月を思わねば心にかかる山の端もなしとは無窓国師。閑道人
男女のご縁、因縁においても、身口意(行動、言葉、心)の行いが原因となり、それに応じた結果を引き寄せる。
このお話しは、唐の時代の中国で、元和12年、第14代憲宗皇帝の時で、今からおよそ1,200年前の出来事として、言い伝えられている昔話です。唐(中国)のとある町に、信仰心が薄く、神仏を一切信じない人達ばかりが住んでいる町がありました。 その町に、毎朝、一人の美しい女性がたくさんの魚を入れた籠を手にして現われ、魚を売り歩いていました。その土地の青年達は、競い合ってその女性に近づき、籠の中の魚は、いつも、あっと...
下着を放る。という意味ではありません。禅にある用語です。生きながら生きることの意味というそれ「自体」としては現実でないことを考える。そんなわたしも放下着。放下着
食事の偏りが多くある人程、偏った心身が形成され、心身の不健康、不調、ひいては病気を招く。
五観の偈(ごかんのげ) 一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二(ふた)つには己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全欠(ぜっけつ)を計(はか)って供(く)に応(おう)ず。 三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るるは貧等(とんとう)を宗(しゅう)とす。 四(よ)つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とする...