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頭陀袋143 令和6年5月号
「栄叡大師千二百五十年」にあたり中国側より四体の尊像が贈られました。
#寺報
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恩林寺のぶろぐ
頭陀袋142 令和6年4月号
沢庵禅師という名前を聞いて思い起こされるのは沢庵漬け、大根の漬物ならだれでも知っている庶民の食べ物です。
頭陀袋141 令和6年3月号
お彼岸は春分と秋分の日を中日として前後三日、それぞれの一週間をお彼岸と申し、いわば仏教週間であります。
頭陀袋140 令和6年2月号
二月十五日は涅槃忌といって、お釈迦様が亡くなった日にちなんで御供養の法要を営みます。これを又は涅槃会と申します。
頭陀袋139 令和6年1月号
令和五年は恩林寺としまして新堂が禅堂の修業、大学の過程を卒業して高山へ。その後就職し、只今、法務と社会勉強に取り組んでおります。
頭陀袋133 令和5年7月号
おまえは後三日で命が尽きる。その後は私のように餓鬼に生まれ変わるだろう。
頭陀袋134 令和5年8月号
お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者は六神通を得て、神通第一と言われておりました。
頭陀袋135 令和5年9月号
了翁禅師は幼いころから仏門に入り、後に隠元禅師に師事します。
頭陀袋136 令和5年10月号
高泉禅師が黄檗山萬福寺の住職に就いたのは隠元禅師が亡くなられてからすでに二十年も経っておりました。
頭陀袋137 令和5年11月号
これは鉄眼禅師が一切経全巻木版印刷の発願されて全国を勧進行脚後、江戸からの帰り道での話。
頭陀袋138 令和5年12月号
私はかねてからのご縁により飛騨国分寺において茶筅供養の法要に参列させていただき例年のように司会を務めさせて頂きました。